2011年08月16日(火)
26周年 [家族]
8月20日で、結婚26周年。
今年の8月20日は「ひろしまクロスカントリー」に出張のため、ちょっと早めのお祝い。
下鴨のインド料理店「チャンダル」へ。
「お祝い? なんにもめでたない!」
って言うんでしょうね、あのお方は。
でも、あのお方の逆鱗に触れてしばらくご法度となっていた写真の公開が解禁となった。今日は京都キャロットのお盆休みやからいいそうです。
このあと、北大路ビブレでネックレス購入。
なんと、私の給料の1か月分。と言ったら普通は40万円くらいですが、私は週2回の早朝バイトだけなのでその20分の1くらい。トホホー・・・。
身に着けると、こんな感じです。
似合ってます。
今日は、大文字の送り火の日。
うちのすぐ近くに、なんとか見えるところがある。
きくを連れて、見に行って来ました。
お願いは、もちろん「ふうふえんまん、ふうふえんまん・・・」
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2011年08月08日(月)
直子は久保田利伸に似ていた [家族]
昨日はいなかのお墓まいり。
大勢集まっていたが、その中の一番のニュースは「直子の出産予定」。
予定日は10月19日。あと3週間で仕事の休みに入れるらしい。
直子は、私の4歳上の姉・多鶴子の子、6人姉妹の末っ子である。
「直子はちっちゃい時、久保田利伸そっくりやったんけどなあ・・・。」
「えー、そんなんゆうのん、こうじおっちゃんだけやでー。」
顔だけじゃなくてやな、川にある大きな岩の上からズボッと飛び込んでたあの姿がな、サルぽくて・・・。それが久保田利伸のイメージとピッタリおうてやね・・・、とは言わんかったけど。
もうすぐ立派なお母さんやね。まだ23とかゆうてたけど、楽しいお母さんになってね。
久保田利伸出したら、元ミスユニバース・森理世も出しとかんとな。
6人姉妹の長女・朝子。
「朝子、ミスユニバース度があがっとるどー。」
「そやろー。」
「ミスユニバースはな、朝子みたいなはっきりした顔やないと選ばれへんねん。ほんま、若いときに出といたらよかったのに・・・。」
「そやなー。でも、そんなんゆうのん、こうじおっちゃんだけやでー。」
こないだのこと。
いなかできくの散歩をしていたら、多鶴子姉夫婦が別荘建築予定地を掃除しに来ていた。
私の足首サポーターを見つけた姉が、「こうじ、どうしたん。」
「ああ、それはな・・・」と説明しかける夫・隆雄さん。
もう、隆雄にいさんたら・・・。私のブログを欠かさず読んでるんだから・・・。ああありがたや、ありがたや・・・。
「四万十、がんばらんなんな」と激励までしてもらった。
「でも、あれだけの量、よう毎日書けるもんやなあ。」
「そんだけ仕事の役に立ってへんちゅうこと。ヒマでヒマで・・・。でも毎日読んではったら、いつヨメさんに離婚されるかとハラハラドキドキするでしょ。」
「うーん・・・。」
ここで返事に詰まるちゅうのは、よく読めている証拠です。
以上!
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2011年08月04日(木)
父からの・・・ [家族]
こないだ、おじいさん(父)の家に行ってちょっとしゃべった。
「このごろ小さい字が全然見えへん」と行ったら、「これ、持って帰れ」と言って自分の老眼鏡をさがしだしてきた。父にはもう度が合わなくなったものらしい。かけてみると、私の目にはピッタリだった。
そのあと、「カッターシャツも持って帰るか」と言い、一着出してきた。実は、今の私はカッターシャツを着る機会など皆無といってもいいのだが・・・。ありがたくもらっておいた。
今までに父からもらったもの?
いくら考えても思いつかない。たぶん、ほとんどない。
それなのに、こないだは身に着けるものを二つももらった。
ひょっとして、これは形見?
今日、私の最後の教え子の一人であるちいちゃんからコメントをもらった。「親より先に死ねない」。
ここから、ちいちゃんとの「いのち問答」が始まるかも・・・。私の答えは、「『親より先に死なない』。今の私は、私のヘマ人生を笑って喜んでくれている89歳の父のためにという気持ちもだいぶあります。私の存在は、父の長生きの役に立ってへんかなあ・・・。」
私が生まれてきたのは(存在価値は)、「ちょか」をしまくって親を喜ばすことだと思っていた。ほなら、親が死んでしもたらどうしたらいいんやろねえ・・・。
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2011年07月31日(日)
避暑地の花火 [家族]

今、いなかに帰っています。
百均の花火をしました。
(注) ヨメさんの携帯からアップしました。
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2011年07月29日(金)
こま爺とおウメ婆 [家族]
毎年恒例の墓そうじ。
うちは分家なので墓の数は少ない。曽祖父、曾祖母、祖父、祖母、伯母と叔母。そして、ちゃんとした墓石がまだない私の母。母が亡くなってもう20年。ちゃんとした墓石を作らないのは、父が亡くなったときにいっしよにするつもりだからだ。
お墓そうじに行ってビックリした。ほとんど草が生えていない。墓の後ろの土が崩れていたので、鍬で整地。そのあとはひたすら墓石磨き。
墓石を磨きながら、祖父と祖母の命日を確認した。
祖父・駒夫、昭和45年9月10日。
祖母・ウメ、昭和53年7月25日。
おばあさんが亡くなった日のことはよく覚えている。洗濯ものを干している時に倒れ、長い間寝たきりになっていた。でもそれが中1の夏休みだったとは意外だった。私の記憶では、冬であったと思っていた。毎週毎週あるご詠歌が、寒い中で行われていたという記憶があった。実際は真夏だったのか・・・。記憶っていいかげんなもんですね。
おじいさんが亡くなったときの記憶はほとんどない。おふとんのすそで、おばあさんが泣いていたシーンだけ鮮明に覚えている。計算すると、私は4歳9ヶ月。5歳くらいなら、もうちょっと覚えていてもいいようなものだが・・・。やっぱり、あんまりかしこなかったか・・・。
おじいさんは、田んぼの水を見に行ってその場で倒れてしまったと聞いていた。でも、9月で田んぼの水っておかしいな。今やったら稲刈りの季節やで。父に聞いてみた。
「別所は寒いさけ、そのころでも水はっとったんやろ。」
おじいさんは田んぼの脇でうつ伏せのまま息を引き取った。検死の必要があったので、甚六のおっさん(親戚)がうちのおじいさんの横でおまわりさんを待ってくれていたそうだ。
その日、父はなんかの集金日で千本四条まで出て来ていた。帰ってきたら、「おとうさん、死なはったで」と言われ、びっくりしたそうだ。出かける前、元気にしゃべっていたはずなのに・・・。心臓マヒだったんでしょうか。
おじいさんについては、その生前の記憶もほとんどない。いつもニコニコしいた顔しか覚えていない。
うちの母に言わせると、「こま爺は争いが嫌いで、何でも賛成するし『賛成党』と言われていた」らしい。母にとっては、いい舅だったんじゃないでしょうか。私もその血を受け継いで行きたいと思っている。
父は、祖父の命日だけでなく、祖母の命日も正確に覚えていた。
昭和53年7月25日は、花背二中のグランドで消防団の査察があったらしい。当時、私の父は花背消防分団の分団長。責任ある仕事をずっと担っていた。
今日、父と話していて思った。「父はボケてはいない!」
私が死んでも、ここには埋めんといてね。あくまで石像ということで・・・。
ますみちゃんは、その石像の鼻の穴の中にでも入っとく?
「バシッ、ドコッ、ボスッ!」
おー、久しぶりの効果音。
おウメばあさんの写真を撮ってきた。
この写真ではも一つだが、実物はほんまに天皇陛下にそっくり。顔も似ているが、そのしぐさがめっちゃ似ていた。
今日、父にその話をしたら大笑いをしていた。でも、まんざらでもなさそうな気配もあった。
「おっきゃ(屋号・おけや)の顔は、皇族系かーい。」
「おばさーん! おう、こま爺の写真とって来るのん忘れたー!」
(うちの家では、おばあさんことを「おばさん」と呼んでいた。「おばさん」は、「お」ではなく「ば」にアクセント。)
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2011年07月28日(木)
おウメばあさん? [家族]

◎毎日新聞 7月27日(水)20時2分配信
<天皇、皇后両陛下>那須で福島からの被災者らにお見舞い
天皇、皇后両陛下は27日、栃木県那須町のホテルを訪れ、東日本大震災で福島県から避難している被災者らを見舞った。両陛下は26日から静養のため那須御用邸に滞在しているが、同町長らから話を聴くなど被災状況の把握に努めている。
ホテルでは14世帯27人と懇談。天皇陛下は、浪江町から避難している八橋清美さん(38)の長女で那須町立那須小4年、美優さん(10)に「お友達はできましたか」と問いかけ、美優さんは「はい」と小さな声で答えた。
美優さんは4月に同町に避難してから2度小学校を替わり、9月には福島市内の小学校に転校するという。清美さんは「娘もやっと落ち着くと思います。両陛下に声をかけられて勇気づけられました」と話した。
両陛下は時には被災者の手を握りながら見舞った。天皇陛下はホテルを去り際に「いい方向に向かうといいですね。みなさん、どうぞ、お元気でね」と被災者を励ました。
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テレビでこのニュースを見た時、ドキッとした。天皇陛下が、うちのおばあさんにそっくりだったから。
うちのおばあさんは、正真正銘、花背別称町の生まれ。中の町の「おけや」の出。私が12歳の時(43年前)亡くなった。まあ、天皇家とは何の関係もない。でも、似すぎてるんですよねえ。
私のふるさと京都市左京区花背別所町は、鞍馬から標高765mの花背峠を越えたところ。鞍馬から約10km山奥に入ったところである。この村がどのようにしてできていったのか、諸説あって定かではない。冬には1m以上の雪が積もり、どの作物を育てるのにも適さないこのような土地に、あえて住もうとした最初の人はどんな人だったのだろう。比叡山のお坊さんという説が有力だと聞いたことがあるが、比叡山は確か天台宗。うちのいなかは禅宗の曹洞宗だし・・・。
天皇家ゆかりの方が、わけあってうちのいなかに来られ・・・、というようなことは考えられないのだろうか。このあたりは、ブログ「晴徨雨読」を書いておられる物知り・じょんのび村村長さんに聞いてみよう。
まあ、日本中に天皇家の末裔伝説があるらしいので、いろいろ勝手に想像しても悪くはないですよね。
今、手元におばあさんの写真がないのが残念。今度いなかに帰ったら、さがしてこようっと。
代わりに、このブログの2009年8月15日の記事に使った写真を載せておきます。

真ん中の写真の一番右がおウメばあさん。と言っても小さすぎて分かりませんね。その息子(つまり私の父)も皇族ぽく見えません?
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