2011年03月11日(金)
91点! [家族]
※ 地震の被害にあわれた方々には、心からお見舞い申し上げます。
今日は、真樹のテスト答案返却日。
3教科の答案をもらったらすぐ帰れるということだったので、車で送り迎えをしてやった。
「社会、91点やったわ。」
「えー、91点! 先生、採点まちがいしてはらへんかー。」
「なんでやな。」
たぶん、真樹が高校に入ってからの最高点。
テストの前日、即効一夜漬け特訓をパオパオとした甲斐があった。・・・と言うより、出題範囲が真樹の大好きな沖縄に関することだったので、冷静に答えられたということですね。
まあたとえ一夜漬けでも、何やかや言いながら沖縄のことを話し合ったのはおもしろかった。
こんな勉強でよかったら、これからもなんぼでも付き合うでー。
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【何を今さら5km20分切りメモ】
6時半過ぎ、いつものコーナン往復5km。
走り出したとき、「あれっ!」
体が軽い。なんか、背が高くなったような感じ。足がスムーズに出る。
急きょ、タイムトライアルに。
折り返しまでの2.5km、11分40秒。ええぞー。
後半2.5km、11分44秒。ようねばった。
5km、23分24秒。
1kmジョグをプラスして合計6km。
篠山マラソンのダメージはまったくないように感じる。
心配された「能登和倉マララン」は予定通り実施されるそうです。さあこれからは、「長距離スプリント」に針路変更!
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2011年03月01日(火)
サンマルクで誕生日 [家族]
パオ 「これからの1年でいろんなことやってしまわなな。」
ヨメ 「なにをー?」
パオ 「人だましたり・・・とかさ。」
廉 「結婚詐欺? 無理、無理。されるほうやったらあるかもね。」
ヨメ 「はー。(と、深いため息)」
黙って聞いていた真樹は何を思う・・・。
久しぶりに家族4人そろっての外食。
ますみさんの○○歳の誕生祝い。
かわいい服は、真樹からのプレゼント。似合ってる。
全部食べ終わって、廉に撮ってもらった1枚。
来年もまた、こんな食事会ができますように・・・。
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【何を今さら5km20分切りメモ】
夕方6時半、今日もまたまたいつもの5km。
26分29秒(13分12秒+13分16秒)。
1kmジョグプラスで、今日も6km。
ちょっと練習がマンネリ。ちがうメニューを考えねば・・・。
ランニングの話ではないんですが・・・。
今日、うちの黒猫あんも(21歳)が、階段の真ん中あたりから転げ落ちた。今までも1段踏み外すようなことはあったのだが、それは前のめり。今日は背中側に転落して、7段目くらいから一番下まで落ちてしまった。
そのあとすぐ起き上がって、缶詰やカリカリをバクバク食べていたのでだいじょうぶだとは思うが心配は心配。足腰はかなり弱っているようだ。歳ですからねえ。
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2011年02月25日(金)
ひな・たち [家族]
「パオパオー、かわいいし写真撮っとく?」
うちのひな1号・真樹が私に言った。「かわいい」のは自分のことではなく、ひなあられ。
今、何とか「伊江島マラソン」に付いてきてもらえないか交渉中。その前にまず旅行資金の工面ですか。
「あんもなでんのなんか、10年ぶりくらいやわー。」
今日もまた、うちのひな2号・あんもが下におりてきた。ヨメさんはこわごわだったが、あんもの背中をなでてみた。
私が毎日あんもの食事中のすきを見てなでているだけのことはある。ちょこっとカリカリをあげるとなでさせてくれる。でも安心してはいけない。きげんをそこねると、「シャー!」と威嚇。
あんもとヨメさんのツーショットを撮るのはやめておいた。それであんものきげんをそこねてしまったら、元も子もないし・・・。
「ふぇんふぇんふぇんふぇんふぇーん・・・」
うちのひな3号・きくはよくしゃべる。私にはまったく分からないのだが、ヨメさんはほとんど分かるらしい。
「オッサンのあほー・・・。はよ、あそばんかい!」とか?
「オバチャンこわいー・・・。何でもゆうことききます」とか?
「私の写真は載せたらアカン!」
うちのひな4号・ますみさんは、顔はかわいいのに根性は○○。
以上。
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【何を今さら5km20分切りメモ】
夜7時前、いつもの5km。
腰の具合があまりよくないので、今日もゆっくり目。
26分58秒(13分18秒+13分39秒)。
1kmダウンで、合計6km。
昨日の「篠山ねえ・・・」の続き。
まっちゃんにその話をしたら、「合流するところまで真剣に走って、そこから折り返しに向かわずにゼッケンはずして走って帰ってきたら」と提案。おー、それもいいかも。それやと30kmくらいに短縮できるんかなあ・・・。
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2011年02月22日(火)
ビューティ・コロシアム 「うちの中で一番のふたえは」 [家族]
「うちの中で一番のふたえはパオパオやん」と真樹。
「なんでえー」と私。
「パオパオ、ふたえやって。なあ、かあちゃん」と廉。
「知らんわ! パオパオの顔なんか、見とうもない。ああ、きしょくわる!」とヨメさん。
「ふたえなんてゆわれたん、はじめてやわー。」
でも、子どもら二人がそうゆうてくれてるんやから、これからは「うちの中では一番のふたえのパオパオです」って言おう。
テレビ番組「ビューテイ・コロシアム」を見ていてのうちの家族の会話。
まあ、最後は「今日のブログの題、『うちの中で一番のふたえは』にしょうっと」という私の言葉で終わり。それだけですけど・・・。
上の写真は、今日書いた履歴書に貼ったもの。写真自体は、1月12日に免許更新のときに撮ってもらったもの。写りがまあまあだったので、コピーして使わせてもらった。
「履歴書って?」と不審に思われる方もあるでしょう。
実は、今日はアルバイトの面接日だったんです。
「55のオッサンが、アルバイト?」
さらに不審に思われる方もあるでしょう。しかし、話せば長くなるのでそこらは省略。
面接に来ていたのは3人。その中では、私が一番よく働きそうに見えたんですけどねえ・・・。採用されへんかったらショックやなあ。
でも、3人の中で私が一番あやしそうでもありました。ヘラヘラしてて・・・。ひっひっひー。
ついでに、私のしょうもない学歴と職歴も披露しときましょう。
「家事手伝いじゃなくて、家業手伝いやろう」とヨメさんに叱られたけど、書き直すのんめんどくさいしそのまま。
それにしても、字がきたなくなってしもた。前は父親譲りのしっかりした字を書いてたのに・・・。
「おとちゃん、泣くで。」
「もう、とっくに泣いとる。」
「失礼しました!」
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【何を今さら5km20分切りメモ】
今日は400mダッシュ。
うちの近くの新しい道を車で測ってみた。地球研前から頼光橋がちょうど400m。ゆるやかな下りなので、ダッシュの練習には最適。
1kmジョグのあと、(下り400mダッシュ+上り400mジョグ)×5本。
82秒、85秒、83秒、83秒、82秒。
これではあかんな。
廉の5000mは今16分10秒。これは、400mを78秒弱のペース。ということは、廉の5000mにトラック1周も付いて行けんちゅうことかーい! ああ、なさけなや。とりあえず400mダッシュの当面の目標は、この78秒やね。
1kmダウンジョグをしている時、左のおケツがしみしみと痛い。家に帰って廉に報告。
「400mダッシュをアスファルトでやるときついな。おケツがいとうていとうて・・・。」
「そやろ、それ、『ケツわれる』ゆうねん。」
「そっかー。でもな、これからがんばって体重減らしてな、62kgになったらソーテイもらうねん。」
「ソーティ? 足にはあんまりようないんちゃうか。」
「いやいや、ソーティはけるようになって、そこからさらに上をめざす・・・。」
次々と自分勝手な目標を設定して楽しんでいる私を見て、あきれている廉でした。
今日は合計6km。
フロ上りは、「みず!」
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2011年01月11日(火)
おかちゃんの思い出 [家族]
後列右から3人目が母、その隣りが父。
前列右端が姉(長女)みき江、その隣りが私、一人飛ばして兄優三、姉(次女)多鶴子。
私が2歳だとすると、父36歳、母32歳、みき江姉10歳、兄9歳、多鶴子姉6歳。
うちの家だけなのかうちのいなか全体がそうなのかわからないが、母親のことを「おかちゃん」と呼ぶ。(ここは「か」にアクセントをつける。サッカー監督の<お>かちゃんではない。)
うちのおかちゃんが死んで、今日でちょうど20年。命日は1月11日という1が3つ並ぶ日で覚えやすい。
私の母・俊子は、1925年(大正14年)北区小野郷生まれ。18歳で小学校教師になり、左京区久多小学校に赴任。そのあと、左京区別所小学校に転任。
そこで中国から帰国した藤井善一(私の父)と知り合い結婚、退職(22歳)。その後は、畑仕事山仕事をしながら4人の子を育て上げる。
母が亡くなったのは、1991年1月11日の早朝。そのとき65歳。胃がんだった。
おかちゃんの一番の思い出と言えば、「こうじ! こっちおいで・・・、バシン!」やね。この「バシン!」はほっぺたをしばかれる音。あのこわさは、今も忘れられん。ほっぺた、痛かったなあ。
でも、おとちゃん(父)のことを聞かれても、やっぱり怒られてこわかったことになるのでいっしょか。要するに、私は末っ子やから甘やかされてゆうこと聞かん子やっただけのことか。
「マザコン」という言葉がある。私はまぎれもなくマザコンですなあ。ただし、「コンプレックス」本来の意味「複雑なもの」という意味で。「マザコン」というのは母に対する劣等感ではなく、母に対する複雑な感情というのが本来の意味のはず。
単純より複雑のほうが、なんか賢そうでいいですやん。ああ、「マザー」なんてとんでもないから「おかコン(おかちゃんコンプレックス)」と言ったほうがいいかも。
母が亡くなったのが、1991年1月。小学校教師の退職願いを出したのがその少しあと。辞めようと思った理由はしっかりとあったのだが、辞めたら一番怒るであろう母が亡くなったのも大きかった。
当時私は35歳だったのだが、そんな歳にもなって母の落胆を恐れていたのだから、やっぱりマザコン。
ただ、私が教員採用試験に合格した時一番喜んでくれたのも母だった。母は、少しの間でも小学校教師をしていた自分のあと継ぎのように思ってくれていたんでしょう。
もし、母が天国から今の私を見ることができたらきっとこうです。
「こうじ! こっちおいで・・・、バシン!」
ウェーン・・・。
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2011年01月07日(金)
とよぞのおっさん・続き [家族]
胸のあたりに花を置き、豊三叔父さんの顔をのぞきこんだ瞬間涙がこみ上げてきた。
「あかん、あかん、ちがう、ちがう。」
叔父さんの奥さんと4人の子どもたち(娘3人、息子1人)がまだこらえているのに、甥である私ごときが先に泣いてどうする。そうは思ったが、もう耐え切れなかった。一歩二歩後ずさりして、人の影に入って泣かせてもらった。(ハンカチを持ってきていてよかった。)
20年前私の母が亡くなったとき、もっともっと話をしておけばよかったと後悔した。今度またまったく同じ後悔を・・・。
上品で物知りで、それでいていつも謙虚だった「とよぞのおっさん」。きっと、私のような者でも話を聞きに行けば喜んでくださっただろうに・・・。
◇ ◇ ◇
今日もまた、雪。いなかから出てきたうちの本家のおじさんは、「一晩で40cm積もった」と言ってはった。
うちのあたりも2、3cmの積雪。しかし、葬儀場のある円町あたりはまったく積もっていなかった。
私は、昨日に引き続き立礼役。
昨日は、100円ショップの数珠とただ黒いだけの690円のドタ靴がばれないかとハラハラしていた。まあそれも2日目となるとちょっと余裕。
滞りなく式は進行し、あとは出棺を残すのみとなった。私はお山(火葬場)には行かないので、今日のお役目はこれにておしまいという感じだった。
◇ ◇ ◇
昨日は、いろいろなことを考えた。
家から円町まで一人で運転してきたのだが、その間ずっと豊三叔父さんの上品な語り口を思い出していた。自分が話されるだけでなく、人の話を聞くのもすごくうまい。人に自分の考えを押し付けたり、怒鳴ったり怒ったりしているのも見たことがない。
それは、退職されるまで長年ハイヤーやタクシーの仕事をされていたのと関係あるのかもしれない。いや逆か。そういう性格だったからこそ、その仕事が長く続けられたのかもしれない。
◇ ◇ ◇
豊三叔父さんに関する間接的なエピソード。
今から32年前、私の教師1年目のこと。そのとき担任していたクラスは、子ども一人だけ。学芸会の劇を一人ではやりようがないので、私もかつらをかぶり武士の役で出演した。
その学校はうちのいなかの隣りだったので、私の両親も見にきていた。そして、私の武士の姿を見た母がびっくりぎょうてん。「とよぞのおっさんに、そっくり!」本当に目を丸くして言っていた。
私は自分ではそんなに似ているという意識はなかったのだが、かっこいいと思っていた「とよぞのおっさん」にそっくりと言われていい気分だった。
この話、「とよぞのおっさん」本人にはしてへんかったなあ。残念!
◇ ◇ ◇
私の兄は、中学校の3年間、豊三叔父さんの家にお世話になりその地域の中学校に通わせてもらった。(いわゆる里親里子の関係です。)どういういきさつでそうなったのかは知らないが、当時はそういうこともめずらしくはなかったようだ。
兄は「とよぞのおっさん」のことをどう思っていたのだろう。自分の甥を預かった豊三叔父さんは、私の兄のことをどう思っていたのだろう。私には想像もつかない。
◇ ◇ ◇
昨日お通夜が終わったあと、食事の準備ができるまで少し間があった。
そのとき、私は飾られている叔父さんの写真を一人で見続けていた。遺影が何かを語りかけてくるということはない。こちらが一方的に話しかけるだけだ。
しかし、ずっと見続けていると写真の表情が変る錯覚に陥る。まわりを飾る花やろうそくも動き出すような・・・。
「とよぞのおっさん」は私のことを「こうじ」と呼んではったっけ?
いやいや、「こうじ君」と君付けで呼んではったように思う。
最後に会ったのは2年前のお墓参り。若いときに毎日あの道を通って山仕事に行かれた話をしてくれはりましたよね。そのときは、「こうじ君」とは呼んでくれはらへんかったけど・・・。
◇ ◇ ◇
叔父さんにお花を捧げたあと、なかなか涙が止まらなかった。しかし、叔父さんにとってただ一人の孫・Sちゃんが横で大泣きしている姿に気づいてやっと我に返った。
私の母が亡くなったとき、お通夜でもお葬式でも泣かなかった。なぜかしら現実味がなかった。しかし、亡くなって1週間くらいたってからだろうか、運転中に急に涙があふれ出して運転できなくなってしまった。
たぶん、叔父さんの奥さんと4人の子どもたちもそれと似たような状態なのかもしれない。本当に悲しいのは、もうちょっとたってから・・・。
◇ ◇ ◇
父は、最後のお別れにと無理してお山までついて行った。
自分の弟が自分より先に死んでしまうなんて・・・。
何年か前から、父は「出かけるというと、葬式ばっかり」と嘆いていた。ましてや、自分に最も近い肉親を送り出さなくてはならないとは・・・。
出棺の前、父も何度も何度も涙をぬぐっていた。
もしかしたら、その輪の中で一番泣いていたのは私の父だったかもしれない。
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