パオパオだより

2012年09月09日(日)

和田伸也選手、マラソン5位入賞 [時事]

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パラリンピック、男子マラソンで観覧車「ロンドン・アイ」を背景に力走する和田伸也(左)=9日、ロンドン

◎Yahooニュースより

 ロンドンパラリンピック最終日となる9日(現地時間)、男子マラソン(視覚障害)がロンドン市内の「ザ・マル」を発着点とするコースで行われ、岡村正広(千葉盲学校)が2時間28分51秒で日本人最高の4位でゴール。続く5位に2時間40分08秒で和田伸也(大阪府視覚障害者福祉協会)が、7位に2時間42分09秒で高橋勇市(アイ・ティ・フロンティア)が入り、出場した日本人3選手はいずれも入賞を果たした。
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 おめでとうございます。
 マラソンは全盲と弱視の区分けがなく、入賞はかなりきびしいとおっしゃっていた。でも、最後までがんばられたんですね。
 いつかぜひ、ロンドンパラリンピックのお話聞かせてくださいね。

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2012年09月08日(土)

和田伸也選手、胴メダル [時事]

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日吉ダムマラソンにて (2010年4月25日)

◎NHKオンラインニュースより

  「陸上男子 和田選手が銅メダル」 9月8日 4時39分

 ロンドンパラリンピック、陸上男子5000メートルの視覚障害のクラスで、和田伸也選手が銅メダルを獲得しました。

 パラリンピック初出場の35歳の和田選手は、7日、男子5000メートルの視覚障害のクラスに伴走者と一緒に出場しました。
 和田選手は、序盤は集団の後方につけていましたが、1周76秒のペースを守って徐々に順位を上げていきました。
 4位まで順位を上げた和田選手は、最後の1周で前を走っていたケニアの選手を抜いて、そのままゴールし、15分55秒26のタイムで、銅メダルを獲得しました。

 和田選手は「メダルを獲得できたのは、これまで一緒に伴走をしてくれた仲間のおかげです。8万人の大歓声の中で走ることができて、幸せです」と笑顔で話していました。
 金メダルは、チリのクリスティアン・バレンスエラ選手でタイムは15分26秒26でした。

■友人の勧めで陸上始める

 和田伸也選手は大阪出身の35歳。
 パラリンピックは今回が初出場です。
 病気のため視覚に障害があり陸上は友人の勧めで始めました。
 去年1月にニュージーランドで行われた国際大会ではマラソンで3位に入っていて、初のパラリンピックでのメダル獲得を目指していました。
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 うれしいニュース!

 日本時間深夜3時51分から行われたパラリンピック男子5000mで、和田伸也選手が胴メダルを獲得されました。おめでとうございます。

 和田選手は中途失明の全盲の選手です。
 賀茂川パートナーズの練習会にも何度も参加されている身近な選手です。

 2日連続で、次はフルマラソン。
 ライバル選手が多くてメダルは難しいかもしれませんが、この調子で一歩でも前へ!
 応援しています。
 みなさんも応援よろしくお願いします。

※ 男子マラソンは、日本時間9月9日16時スタートのようです。この時間、NHKで放送があるようですがライブ中継があるかどうか・・・。

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賀茂川パートナーズ練習会にて (2011年12月4日)

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銅メダルを獲得した和田選手(左)とメダルをもらえず手でメダルの形を作っておどける中田さん=ロンドンの五輪スタジアムで2012年9月7日、木葉健二撮影

◎毎日新聞9月8日夕刊

   和田「銅」 男子5000m
           伴走者 胸にはハートマーク

 大会第10日の7日夜(日本時間8日未明)、陸上男子5000メートル(視覚障害)決勝で、初出場した全盲の和田伸也選手(35)=大阪府視覚障害者福祉協会=が銅メダルに輝いた。伴走者の会社員、中田崇志さん(32)との二人三脚での力走。ゴール後、和田選手はあおむけに大の字になり、その上から中田さんが抱きついて祝福。「中田さんのお陰で理想的な展開ができた」。和田選手は笑顔でパートナーに感謝した。

 最終コーナー手前で2人はスパート。「(差が)詰まってる、詰まってる。今並んだ」。中田さんの声に押され、和田選手がケニア選手を抜き去った。「ケニア選手の息遣いが横に聞こえ、いけると思った」。15分55秒26の日本新でゴールした。

 和田選手は大阪府寝屋川市出身。高校2年で網膜色素変性症を発症し20歳で全盲になった。陸上を始めたのは06年で、当初は運動不足解消のためだった。知人の紹介で伴走者がいる視覚障害者のための陸上クラブに入会。1年後の07年には京都の福知山マラソンを完走。翌年の同大会では3時間を切るタイムで、頭角を現した。

 中田さんとの出会いは09年秋。和田選手の速さについていける伴走者がいなくなっていた。長距離のランニングと自転車で競うデュアスロンの日本代表の中田さんを協会が紹介した。和田選手は京都、中田さんは東京。2人は年に数回、合宿をするようになり、この7〜8月には北海道などで4回。中田さんは現地の天候や各国選手などの情報などを集めては和田選手に伝えた。そんな2人に互いの所属クラブは資金のカンパを募って100万円を集め、後押しした。「数百人の代表として伴走者を務めている」。中田さんはそんな思いで走った。

 表彰式。今大会から完走した伴走者にもメダルが授与されることになった。だが、複数の伴走者を登録していた場合はもらえないという規定がある。中田さんは完走したが、中田さんの負傷に備えて交代要員にもう一人登録していたため、対象外に。だがそんな中田さんに、和田選手が首からさげたメダルを差し出し、2人でともに手にし、その重さをかみしめていた。【ロンドン和田浩幸】


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2012年08月24日(金)

ぬちがふう [時事]

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◎京都新聞8月18日朝刊・天眼より

   「ぬちがふう(命果報)」     瀬戸内寂聴

 ぬちがふう。チンプンカンプンのこの単語は、沖縄のことばで「命あらばこそ」「死なないでよかったね」という意味だとか。

 そういう題のついた映画のDVDがある日、突然、朴寿南(パクスナム)さんから送られてきた。寿南さんと私は50余年来の友人だが、会ったのは数回に満たない。彼女は日本で生まれ育った韓国人で、その出生の運命だけで、一方的におそいかかる理不尽で苦難の人生を歩まなければならなかった。彼女の名が世に知られたのは、高校生と23歳の女性が殺された小松川事件(1958年)で被告の韓国人李珍宇(イジス)とたびたび面会して往復書簡を交わし、それが出版されてベストセラーになってからだった。その「罪と死と愛と」という本を読んだ私が手紙を出したことから私たちの交際は始まった。李珍宇は後、絞首刑になった。当時の寿南さんは雨にぬれた白芙蓉のように嫋嫋とした美女だった。

 「子供の頃、ひどいいじめに苦しんで、もし魔女がいて日本人にしてくれるなら、声でも足でも何でもあげると思った」と告げられた時、思わず手をとって泣いてしまった。
 私が出家して寂庵を結んでから、突然元従軍慰安婦だったという韓国の女性を3人つれて訪ねてきた。すでに中年の寿南さんは別人のように太っていて頬もふくよかになっていた。元慰安婦たちは、こもごもに、日本軍に拉致され、慰安婦にされてしまった経緯をよどみなく語ってくれた。私は恥じ入りうなだれてあやまるしかなかった。

 76歳になっても美しく色っぽい寿南さんは、今や記録映画の監督になっていた。その映画は、大平洋戦争の沖縄戦で、島民と、強制動員された朝鮮人軍属が、日本軍の盾にされ、むごい犠牲を強いられた理不尽極まりない差別の実態を明らかにしていく。執念の証言者探しをし、70人にも及ぶ人の真実の声を寿南さん自身が聴き手になって、120時間にも及ぶ収録テープを回している。証言者たちは、寿南さんに向き合うと、魔法にかかったように素直になり、絶対死ぬまで秘し通そうとしてきたつらい経験や見聞のすべてを語りつづけてしまうのだった。聴き手の無限のやさしさと真摯さが語り手の心の扉を自然に開かせるのだろう。語り終わった人の顔は一様にほっとした明るさと和やかさに表情がやわらぐのは、観る者に言いようのない感動を呼びおこす。

 無理を重ねた寿南さんが、足元も弱く、目はほとんど見えなくなったという。娘の麻衣さんという杖がなければ、何の行動も不可能になっている。それでも華やかさの残る美しい顔を紅潮させ、これからも歴史の闇に光をあて嘘をあばいてゆくという。真実はこうして誰かの情熱と努力によって、必ずいつの日にか取り出され、この世に伝えられていくのだろう。ぬちがふう。命あればこそ、この映画にめぐりあえたということである。
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◎毎日新聞8月22日朝刊

   「慰安婦強制、証拠ない」
        橋下市長が持論を展開

 大阪市の橋下徹市長は21日、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸について「従軍慰安婦という日韓の課題が根っこにある」と指摘した上で、「慰安婦が軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられた証拠はない」と述べ、強制連行はなかったとの認識を示した。市役所で記者団に述べた。

 橋下市長は「韓国の言い分を全部否定しているわけではない」と前置きし、「証拠があったというのであれば韓国の皆さんに出してもらいたい」と述べた。

 また、尖閣諸島の問題にも絡め、「領土問題はしっかり国民の認識に落とし込む教育をしないといけない。一時的に火が付いたことで物事を進めたら危険な状態になる」と述べ、近現代史教育を充実させる必要があるとの持論を展開した。【茶谷亮】
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 戦争体験を語れる人が少なくなっている。終戦時に20歳だった人が今87歳。そのとき10歳の人でも77歳だ。中国戦線に4年送られていた私の父は、今年12月で91歳になる。
 「戦争体験を語れる人が、みんな亡くなるのを待っている人がある」と聞いたことがある。「証拠を出せ」と言う人は、そんな人たちの仲間だろうか。

 映画「ぬちがふう」、ぜひ見たい。橋下さん、いっしょに見に行きませんか。

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2012年08月08日(水)

オスプレイはタカ派? [時事]

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◎毎日新聞7月7日朝刊

ニュースの匠 : 米のオスプレイ配備問題=鳥越俊太郎

 ◇沖縄だけではない

 先日「方丈記」を読んでいて気がついた。ええ、あの鴨長明さんが書いた

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

 という書き出しで始まるドキュメンタリーの傑作ですね。文中終わりに近い部分にこういう記述があります。

 「みさごは荒磯にゐる。すなはち人を恐るるが故なり」

 この“みさご”の英語名が実はオスプレイなんです。私も人から聞いて知ったんですけどね。今、日本の巷(ちまた)を騒がすオスプレイ、正式には「垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ」です。「方丈記」の書かれた鎌倉時代、みさごは人を恐れて荒磯にいたのに、現代のみさごは人を恐れさせています。

 開発段階から墜落事故が多く、4回の事故で30人が死亡。「未亡人製造機」というあだ名がつけられたというやっかいなシロモノなんです。今年もモロッコとフロリダでもう2回も墜落事故を起こしています。

 米政府はこのやっかいなみさごをあろうことか、「住宅街の真ん中に基地がある」と言われる沖縄・普天間飛行場に24機も配備しようとしています。しかもこの配備行為は日米安保条約上の事前協議事項にはあたらないとして、米政府は「10月に配備する」と有無を言わせぬ通告をしてきました。

 情けないのは日本政府−野田政権。本来なら日本国民の声の代弁者として米政府に「NO!」と言うべきところを、森本敏防衛相を沖縄に派遣、地元説得を試みたが、地元からはモーレツな反発を受けてしまいました。特に痛烈なパンチを繰り出したのは沖縄県の仲井真弘多知事。「事故が起きたら(在沖縄米軍基地の)即時閉鎖撤去だ!」

 沖縄県の知事で「基地の閉鎖撤去」まで言及した人は最近では記憶にない。沖縄の人たちの怒りがどれだけ深いか、これで分かろうというものです。

 しかし、実はコトは沖縄だけの問題ではないんです。米政府=米軍は日本列島で6ルートの試験飛行を計画しています。

 実戦を想定した上でのテストフライトでしょうから、低空飛行もやるし、垂直離陸から水平飛行への転換行動もあるでしょう。日本の空のどこで何が起きるか分からないのが、今回のみさごの実情。みさごは荒磯(米国)にいればいいんです。
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 「方丈記・第四段」    鴨長明

 おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども*、今すでに五年を経たり。仮のいほりも、やゝふるさととなりて、軒に朽葉ふかく、土居に苔むせり。おのづから、ことの便りに都を聞けば、この山にこもり居てのち、やむごとなき人のかくれ給へるもあまた聞こゆ*。まして、その数ならぬたぐひ、尽くしてこれを知るべからず。たびたび炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ*。たゞ仮りのいほりのみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。一身をやどすに不足なし。かむなは小さき貝を好む*。これ事しれるによりてなり。みさごは荒磯に居る*。すなはち、人をおそるゝがゆゑなり。われまたかくのごとし。事をしり、世をしれれば、願はず、わしらず*、たゞしづかなるを望とし、うれへ無きをたのしみとす。惣て、世の人のすみかをつくるならひ、必ずしも、事のためにせず。或は妻子・眷属の為につくり、或は親昵・朋友の為につくる*。或は主君・師匠、および財宝・牛馬の為にさへ、これをつくる。
 われ、今、身の為にむすべり。人の為につくらず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべき奴もなし。縦*、ひろくつくれりとも、誰を宿し、誰を据ゑん。
 夫、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねむごろなるを先とす。必ずしも、なさけあると、すなほなるとをば不愛。只、糸竹・花月を友とせんにはしかじ*。人の奴たるものは、賞罰はなはだしく、恩顧あつきをさきとす*。更に、はぐくみあはれむと、安くしづかなるとをば願はず。只、わが身を奴婢とするにはしかず。いかゞ奴婢とするとならば、若、なすべき事あれば、すなはちおのが身をつかふ。たゆからずしもあらねど*、人をしたがへ、人をかへりみるよりやすし。若、ありくべき事あれば、みづからあゆむ。苦しといへども、馬・鞍・牛・車と、心をなやますにはしかず。今、一身をわかちて、二の用をなす。手の奴、足の乗物、よくわが心にかなへり。身、心のくるしみを知れれば*、苦しむ時は休めつ、まめなれば使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず。物うしとても、心を動かす事なし。いかにいはむや、つねにありき、つねに働くは、養性なるべし。なんぞ、いたづらに休み居らん。人をなやます、罪業なり*。いかゞ、他の力を借るべき。衣食のたぐひ、又、おなじ。藤の衣、麻のふすま、得るにしたがひて、肌をかくし、野辺のおはぎ*、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじはらざれば、すがたを恥づる悔いもなし。糧ともしければ、おろそかなる報をあまくす*。
 惣て、かやうの楽しみ、富める人に対していふにはあらず。只、わが身ひとつにとりて、むかしと今とをなぞらふるばかりなり。

流布本による追加

 夫、三界は只心ひとつなり*。心若やすからずは、象馬七珍もよしなく*、宮殿・楼閣も望みなし。今、さびしきすまひ、一間のいほり、みづからこれを愛す。おのづから、都に出でて、身の乞となれる事を恥づといへども、帰りてこゝに居る時は、他の俗塵に馳する事をあはれむ*。若、人このいへる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林をねがふ。鳥にあらざれば、其心を知らず。閑居の気味も又おなじ。住まずして、誰かさとらむ*。

(*マークは脚注ですが省略しました。)


■現代語訳

 そもそも、ここに住み始めた頃には、ほんの暫くと思っていたのだが、すでに5年を経過した。仮の庵といいながら、ここももはやふるさととなってきて、軒には朽ちた木の葉がつもり、土台には苔も生えた。事のついでに都の事を聞くと、私がこの山に入ってからも、多くの高貴のお方が死んだ。まして、そういう身分でない人々は数を尽くして知ることを得ない。度々の火事によって消失した家々もまた幾許であったことであろう。ただこういう仮の庵こそ、何事もなく安心だ。狭いとはいえ、夜寝る場所が無いわけではない。昼に座る場所も無いわけではない。一身が住まうに何の不足も無い。ヤドカリはできるだけ小さい貝を好むという。これは、変事があることを恐れてのことだ。ミサゴは荒磯にいる。これは、人が怖いからだ。私もまたこれに同じ。物事を知り、世の無常を知れば、無益な願いは持たず、右往左往はせず、ただ閑静をのみ望み、悩みの無いことを楽しむ。
 すべて、世人が家を作るのは、必ずしも、自分のためにするのではない。場合によっては、妻子や眷属のために作ったり、或いは親しい者や友人のために作る。また或いは、主君や師匠のために作り、財宝や牛馬のためにも作ったりする。
 私は、いま、自分のためにだけ庵を結んでいる。人のために作ったのではない。なぜかといえば、この無常の世にあって、家族もなく、仕えてくれる使用人もいない。だから、広く作っても宿す人がいない、住まわせる人が居ない。

 そもそも、人の交友というものは富んでいるものを優遇し、親しい者を優先する。必ずしも、情が厚いとか、正直などを好むわけではない。だから、楽器や自然を友として生きるのが一番だ。従者は、恩賞を沢山くれる人やよく面倒を見てくれる人を重んじる。優しくいたわってくれるとか、心安い人とかを願うのではない。だから、従者を持つのではなく、自分自らが自分の従者となるのが一番だ。
 どのようにして自分自身を従者とするかといえば、やるべきことがあったらすべからく自分の体を使ってやる。くたびれことがあっても、他人を従えて、人に気を配るよりこの方が気が軽い。もし、歩くことが必要であれば、自分から歩く。歩くことは、苦しいといっても馬だ、鞍だ、牛だ、牛車だと悩むよりはましだ。
 いま、体を二つの用に用いる。手という従者、足という乗り物、これらは私の言うことをよく聞いてくれる。体は、心が苦しいときには休ませる。気分が満ちているときには、これを使う。使うといっても、酷使するのではない。だから、物事が憂鬱だといっても、心が動揺することは無い。まして、常に体を動かし、常に働くのは、かえって体を養生することになる。どうして、無益に休む必要があろうか。人を苦しめるのは罪業なのだ。これは他者の力によって解決するものではないのだ。
 衣食についてもまた同様だ。ふじごろも、あさぶすまは、そのまま着る。野のよめなや木の実、これらによって命をつなぐ。人と会わないのだからおのれの姿の貧しさを恥じるまでもない。食べ物が少ないのは自分の努力が足りないのだから、これは甘受するしかない。
 すべてこのような楽しみを、くだくだと豊かな人に向かって言うのではない。ただ、私の一身上に起こったくさぐさを、昔と今とについて語ったまでだ。

 それ、三界はただ心一つ。心が安穏でないのであれば、どんな宝も意味がなく、宮殿楼閣もなんの希望にもならない。いま、私はこのさびしい住まい、方丈の住まいをこよなく愛している。時として、都に出て、おのれの身の貧しさを恥じることがあるといっても、ここに帰ってくれば、人々が俗塵に心を乱していることを憐れにさえ思う。
 もし、こういう私の言を疑うのなら、魚や鳥のことを思え。魚は水に飽きることはない。そんなことは魚でなければ分からない。鳥は林を恋する。そんなことは鳥でなければ分からない。閑居もまた同じ。住まずして、これが分かるはずがない。

■鴨 長明(かも の ちょうめい、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日(1216年7月26日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家である。俗名はかものながあきら。禰宜・鴨長継の次男。位階は従五位下。

〔経歴〕 賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として京都で生まれた。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。
 出家の後、建暦2年(1212年)に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』(1216年以前)、歌集として『鴨長明集』(養和元年 1181年)といった作品がある。『千載和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に25首が入集している。

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 時事問題というのにはちょっと古い記事の引用ですが・・・。
 いまだというか、これからずっと問題になり続けそうな「オスプレイ配備問題」。この鳥越さんの記事が載っていたのは、もう1ヶ月も前のこと。
 二、三日前、ヨメさんに「オスプレイって、タカの仲間なんやてー」と話したら、そこから鴨長明の「方丈記」の話になった。

 「オスプレイって、日本では『ミサゴ』ゆうんやて。『方丈記』にも出てくるらしいわ。」
 「へー、調べてみよう。」
 「ほんで、鴨長明って、いったい何もんやねん。」
 「随筆家、歌人やろ。」
 「えー、そんなんで食うていけるんか。」
 「なんか、下鴨神社のえらいさんの次男らしいで。ええしのぼんぼんやん。」
 「ええしのぼんぼんて・・・、そのひと言でしまいかい!」

 でも、ヨメさんが「方丈記」の中の「ミサゴ」が出てくる段をくわしく解説してくれたので、一つ賢くなった。鴨長明、ええこと書いとるやん。
 時事問題が時事問題に終わらず、話が広がっていくのはいいことですね。
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【RUN】

 今日は、夕方6時から最短3kmコース。
 ひょっとしたら、ぎりぎり30℃を切っていたかもしれない。
 京都では30℃以下なら、「すずしおすなあ」と言う(・・・ほんまか?)

 3km、15分13秒。これにいつもの1kmプラス。
 両足のアキレス腱付近が痛い。このごろ薄い系のシューズで走ることが多いからだろうか。
 ちょっと気をつけなければ。

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2012年05月05日(土)

「強制になるということでないことが望ましいですね」 [時事]

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◎京都新聞5月5日朝刊 ・一刀政断

  内心の自由を尊重せよ
      橋下市長の憲法観に懸念          西川孝純(共同通信特別編集委員)

 サンフランシスコ平和条約が発効して60年。日本が主権を回復し、国際社会に復帰してから還暦の節目を迎えたことになる。
 1952年4月28日、昭和天皇は日本の独立に当たり「風さゆるみ冬は過ぎてまちにまちし八重桜咲く春となりけり」という歌を詠まれた。苦難に満ちた占領からの解放を国民とともに喜びたいというお気持ちがにじんでいる。
 3日は憲法記念日だった。平和条約と同時に発効した日米安保条約(60年に改定)と新憲法の下、わが国の平和は維持され、経済と民主主義は大きな発展を遂げた。先人の努力を尊び、さらに発展させる責務がわれわれにはある。
 しばらく後景に退いていた憲法改正問題が政治テーマに浮上してきた。主権回復60年で「国のかたち」を再考すべきだという主張や、東日本大震災を機に緊急事態法必要性を指摘する声が高まったことが要因として挙げられる。
 自民党がまとめた改憲原案では自衛軍保持や緊急事態条項の新設、国旗国歌の尊重規定を明記。たちあがれ日本も自主憲法制定を掲げ、みんなの党は道州制の導入などで憲法見直しの必要性を訴えている。
 改憲に拍車を掛けているのが国政進出をにらむ大阪維新の会だ。「維新八策」では首相公選制や参院廃止、その前提として憲法改正要件の緩和を打ちだした。個人・地域・国家の「自立」を強調し、国家統治の在り方を根本的に問い直そうとしている。
 維新の会率いる橋下徹大阪市長は今、最も気になる政治家の一人だ。政界再編の鍵を握り、次期衆院選後の政権枠組みで大きな役割を演じる可能性がある。
 それだけに橋下氏の憲法観と政治理念は厳しく点検したい。懸念がいくつかある。一つは市職員に業務命令で回答を求めた組合・政治活動アンケート。街頭演説を聞くことを含めて政治家を応援する活動への参加の有無や、誘われた相手まで答えさせるのは憲法19条が保障する思想・良心の自由を脅かすものだ。
 労働組合の救済申し立てを受けた大阪府労働委員会は調査凍結を指示し、回収済みアンケートは先日、破棄された。橋下氏は市特別顧問に任せていたと人ごとのようにコメントしたが、組合敵視は度が過ぎる。
 懸念の二つ目は君が代の強制だ。今年3月 、大阪府立和泉高の卒業式で教職員の口元を監視して君が代斉唱を教頭らと確認した校長は、橋下氏の友人である民間人校長だった。
 この「口パク騒動」の直後、筆者は母校の高校卒業式に出席する機会があった。教職員の動向が気になったが、厳粛な雰囲気の中で一同と別方向に視線を向けることはできなかった。生徒にとって大切な思い出となる入学式や卒業式で監視の目が光るようでは教育の場でなくなる。
 府立学校教職員に起立斉唱を義務付けた全国初の君が代起立条例が施行されたのは、橋下氏が府知事だった昨年6月。口元監視を橋下氏は「すばらしいマネジメント」と評価したという。式典を物理的に妨害するような行為は許されないが、管理と規則の強化で教職員を締め付けて教育効果は上がるのか。
 2004年秋の園遊会で、東京都教育委員を務めていた棋士の米長邦雄氏(現日本将棋連盟会長)が「日本中の学校に国旗を揚げ、国家を斉唱させるのが私の仕事でございます」と述べたのに対し、天皇陛下はこう発言された。「強制になるということでないことが望ましいですね」
 維新八策では天皇元首制を打ち出す構えだが、橋下市長は陛下のお気持ちをどう受け止めているのか。
 君が代の起立斉唱の校長命令に従わなかった教職員の裁判で、最高裁は停職などの行きすぎた処分に歯止めをかける判決を出した。市長選の圧勝は有権者の白紙委任ではない。改憲議論は結構だが、基本的人権は侵してはならない。
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 もう、あきた。
 一部の熱狂的な信者は別として、たいがいの人は「君が代口元チェック問題」と「捏造リスト問題」を機に見方が変わってきたのではないだろうか。
 第一今のあの人の姿を見て、現大阪市長とか前大阪府知事と言ってもピンと来ない。国政進出を狙っている野望家にしか見えない。 
 政治家は人々を幸せにするのが仕事だと思っていた。でも、あの人の姿はどうもそうは見えない。あらゆる手段を使って、自分の価値観を他に押し付ける(強制する)ことに生きがいを見出している人もあるようだ。
 「いったい、なにがしたいん?」

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2012年04月05日(木)

茨木市長選挙(2) [時事]

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今日の自宅前

◎YOMIURI ONRINEより

 活性化・行財政改革が争点 市議補選も

 茨木市長選が告示

 1日告示された茨木市長選には、前市議の木本保平氏(67)、前市議の山下慶喜氏(59)(社民党推薦)、前市議の桂睦子氏(43)、医師の吉野宏一氏(44)の新人4人が、いずれも無所属で立候補し、中心市街地の活性化や行財政改革などについて訴えた。茨木市議補選(欠員1)も告示され、いずれも新人で、自民1人、共産1人、無所属2人の計4人が立候補。8日の投開票に向けて舌戦が繰り広げられる。3月31日現在の有権者数は21万9759人。期日前投票は2日〜7日の午前8時30分〜午後8時、市役所南館1階で行われる。

■木本 保平(きもと やすひら) 67 無所属新

<市職員の給料カット>

 木本候補は、地域政党・大阪維新の会の府議や自民党の松浪健太衆院議員(比例近畿)、倉田哲郎・箕面市長らが応援に駆けつける中、市役所近くの茨木神社で出陣式に臨んだ。

 「市役所のための政治ではなく、市民のための政治を必ずやってみせる」と第一声。市職員の給料10%削減や職員数を見直すとし、「公務員改革をする。給料を減らし、浮いた財源で茨木を元気にする。地域経済を活性化させ、税収を増やす」と述べた。

 この日は、終日、市内各地を選挙カーで回った。夜は北部の2か所で個人演説会を行った。

■山下 慶喜(やました けいき)59 無所属新

<震災がれき搬入反対>

 山下候補は、スポーツウエアに運動靴姿で、阪急茨木市駅西口前に登場。社民党の服部良一衆院議員(比例近畿)らとともに選挙カーに上がった。

 第一声では32年の市議としての経験を強調。脱原発や市民目線の市政を掲げ、「公約の7割は議会で質問したこと。実現のために選挙を戦い抜きたい」と力を込めた。福島第一原発事故で放射能汚染された震災がれきについて、「茨木に持ち込ませない」とした。

 支持者6人と走って同駅前を出発。午前は市中心部をランニングで巡り、午後は選挙カーで大型商業施設などを回った。

■桂  睦子(かつら むつこ)43 無所属新

<市民力・地域力生かす>

 桂候補は、阪急茨木市駅西口前で野村宣一市長や民主党の大谷信盛衆院議員(大阪9区)らと並び、第一声を上げた。

 「『住んでよかった』と思える茨木を、若さと行動力で市民の皆さんとつくりたい」と強調。公約には市長報酬30%カットや退職金半減に加え、小学校区単位の市長タウンミーティング開催を掲げている。市の税収が落ち込む現状を指摘したうえで、「市民力、地域力が必要だ。市民の力をコーディネートする市役所に作り替えたい」と訴えた。

 選挙カーで市内を一巡し、夕方から街頭演説や個人演説会を行った。

■吉野 宏一(よしの こういち)44 無所属新

<全市民の命を大切に>

 吉野候補は、JR茨木駅西口前で、医師として治療した元患者らの応援を受け、マイクを握った。

 「駅前再開発をこのまま放置すれば、大手企業の工場が撤退していくだろう。茨木の未来に向けて再構築しなければならない」と主張。公約には、医師不足の解消や看護師の育成など医療の充実や、独り暮らしの高齢者の食事に対応する給食センターの設置などを挙げている。「子どもからお年寄りまで市民の命を大切にする街づくりに取り組む」と述べた。

 この後、スポーツウエアに着替え、自転車で住宅地や商店街を巡った。

(2012年4月2日 読売新聞)
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 山下候補の「支持者6人と走って・・・」の支持者とは、「ランナーズ9の会」の仲間です。
 行きたかったなあ・・・。


【RUN】

 いつも同じコースであきてきた。
 今日は久しぶりに、上り坂ダッシュ。
 パス通りから横に入る道。京大上賀茂試験地入り口まで300m。300m上って折り返し300m下る。上りは全力、下りは足を痛めないようにゆっくりと。これを連続5本。

 1分24秒+1分38秒
 1分17秒+1分46秒
 1分16秒+1分51秒
 1分15秒+1分52秒
 1分12秒+1分54秒

 小雨が降っていたが、気分が変わって気持ちよく走れた。
 前後に2kmずつアップジョグとダウンジョグをしたので、今日は合計7km。なかなか値打ちのある練習だった。

画像(240x320)・拡大画像(480x640)

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