パオパオだより

2012年08月08日(水)

オスプレイはタカ派? [時事]

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◎毎日新聞7月7日朝刊

ニュースの匠 : 米のオスプレイ配備問題=鳥越俊太郎

 ◇沖縄だけではない

 先日「方丈記」を読んでいて気がついた。ええ、あの鴨長明さんが書いた

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

 という書き出しで始まるドキュメンタリーの傑作ですね。文中終わりに近い部分にこういう記述があります。

 「みさごは荒磯にゐる。すなはち人を恐るるが故なり」

 この“みさご”の英語名が実はオスプレイなんです。私も人から聞いて知ったんですけどね。今、日本の巷(ちまた)を騒がすオスプレイ、正式には「垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ」です。「方丈記」の書かれた鎌倉時代、みさごは人を恐れて荒磯にいたのに、現代のみさごは人を恐れさせています。

 開発段階から墜落事故が多く、4回の事故で30人が死亡。「未亡人製造機」というあだ名がつけられたというやっかいなシロモノなんです。今年もモロッコとフロリダでもう2回も墜落事故を起こしています。

 米政府はこのやっかいなみさごをあろうことか、「住宅街の真ん中に基地がある」と言われる沖縄・普天間飛行場に24機も配備しようとしています。しかもこの配備行為は日米安保条約上の事前協議事項にはあたらないとして、米政府は「10月に配備する」と有無を言わせぬ通告をしてきました。

 情けないのは日本政府−野田政権。本来なら日本国民の声の代弁者として米政府に「NO!」と言うべきところを、森本敏防衛相を沖縄に派遣、地元説得を試みたが、地元からはモーレツな反発を受けてしまいました。特に痛烈なパンチを繰り出したのは沖縄県の仲井真弘多知事。「事故が起きたら(在沖縄米軍基地の)即時閉鎖撤去だ!」

 沖縄県の知事で「基地の閉鎖撤去」まで言及した人は最近では記憶にない。沖縄の人たちの怒りがどれだけ深いか、これで分かろうというものです。

 しかし、実はコトは沖縄だけの問題ではないんです。米政府=米軍は日本列島で6ルートの試験飛行を計画しています。

 実戦を想定した上でのテストフライトでしょうから、低空飛行もやるし、垂直離陸から水平飛行への転換行動もあるでしょう。日本の空のどこで何が起きるか分からないのが、今回のみさごの実情。みさごは荒磯(米国)にいればいいんです。
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 「方丈記・第四段」    鴨長明

 おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども*、今すでに五年を経たり。仮のいほりも、やゝふるさととなりて、軒に朽葉ふかく、土居に苔むせり。おのづから、ことの便りに都を聞けば、この山にこもり居てのち、やむごとなき人のかくれ給へるもあまた聞こゆ*。まして、その数ならぬたぐひ、尽くしてこれを知るべからず。たびたび炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ*。たゞ仮りのいほりのみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。一身をやどすに不足なし。かむなは小さき貝を好む*。これ事しれるによりてなり。みさごは荒磯に居る*。すなはち、人をおそるゝがゆゑなり。われまたかくのごとし。事をしり、世をしれれば、願はず、わしらず*、たゞしづかなるを望とし、うれへ無きをたのしみとす。惣て、世の人のすみかをつくるならひ、必ずしも、事のためにせず。或は妻子・眷属の為につくり、或は親昵・朋友の為につくる*。或は主君・師匠、および財宝・牛馬の為にさへ、これをつくる。
 われ、今、身の為にむすべり。人の為につくらず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべき奴もなし。縦*、ひろくつくれりとも、誰を宿し、誰を据ゑん。
 夫、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねむごろなるを先とす。必ずしも、なさけあると、すなほなるとをば不愛。只、糸竹・花月を友とせんにはしかじ*。人の奴たるものは、賞罰はなはだしく、恩顧あつきをさきとす*。更に、はぐくみあはれむと、安くしづかなるとをば願はず。只、わが身を奴婢とするにはしかず。いかゞ奴婢とするとならば、若、なすべき事あれば、すなはちおのが身をつかふ。たゆからずしもあらねど*、人をしたがへ、人をかへりみるよりやすし。若、ありくべき事あれば、みづからあゆむ。苦しといへども、馬・鞍・牛・車と、心をなやますにはしかず。今、一身をわかちて、二の用をなす。手の奴、足の乗物、よくわが心にかなへり。身、心のくるしみを知れれば*、苦しむ時は休めつ、まめなれば使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず。物うしとても、心を動かす事なし。いかにいはむや、つねにありき、つねに働くは、養性なるべし。なんぞ、いたづらに休み居らん。人をなやます、罪業なり*。いかゞ、他の力を借るべき。衣食のたぐひ、又、おなじ。藤の衣、麻のふすま、得るにしたがひて、肌をかくし、野辺のおはぎ*、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじはらざれば、すがたを恥づる悔いもなし。糧ともしければ、おろそかなる報をあまくす*。
 惣て、かやうの楽しみ、富める人に対していふにはあらず。只、わが身ひとつにとりて、むかしと今とをなぞらふるばかりなり。

流布本による追加

 夫、三界は只心ひとつなり*。心若やすからずは、象馬七珍もよしなく*、宮殿・楼閣も望みなし。今、さびしきすまひ、一間のいほり、みづからこれを愛す。おのづから、都に出でて、身の乞となれる事を恥づといへども、帰りてこゝに居る時は、他の俗塵に馳する事をあはれむ*。若、人このいへる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林をねがふ。鳥にあらざれば、其心を知らず。閑居の気味も又おなじ。住まずして、誰かさとらむ*。

(*マークは脚注ですが省略しました。)


■現代語訳

 そもそも、ここに住み始めた頃には、ほんの暫くと思っていたのだが、すでに5年を経過した。仮の庵といいながら、ここももはやふるさととなってきて、軒には朽ちた木の葉がつもり、土台には苔も生えた。事のついでに都の事を聞くと、私がこの山に入ってからも、多くの高貴のお方が死んだ。まして、そういう身分でない人々は数を尽くして知ることを得ない。度々の火事によって消失した家々もまた幾許であったことであろう。ただこういう仮の庵こそ、何事もなく安心だ。狭いとはいえ、夜寝る場所が無いわけではない。昼に座る場所も無いわけではない。一身が住まうに何の不足も無い。ヤドカリはできるだけ小さい貝を好むという。これは、変事があることを恐れてのことだ。ミサゴは荒磯にいる。これは、人が怖いからだ。私もまたこれに同じ。物事を知り、世の無常を知れば、無益な願いは持たず、右往左往はせず、ただ閑静をのみ望み、悩みの無いことを楽しむ。
 すべて、世人が家を作るのは、必ずしも、自分のためにするのではない。場合によっては、妻子や眷属のために作ったり、或いは親しい者や友人のために作る。また或いは、主君や師匠のために作り、財宝や牛馬のためにも作ったりする。
 私は、いま、自分のためにだけ庵を結んでいる。人のために作ったのではない。なぜかといえば、この無常の世にあって、家族もなく、仕えてくれる使用人もいない。だから、広く作っても宿す人がいない、住まわせる人が居ない。

 そもそも、人の交友というものは富んでいるものを優遇し、親しい者を優先する。必ずしも、情が厚いとか、正直などを好むわけではない。だから、楽器や自然を友として生きるのが一番だ。従者は、恩賞を沢山くれる人やよく面倒を見てくれる人を重んじる。優しくいたわってくれるとか、心安い人とかを願うのではない。だから、従者を持つのではなく、自分自らが自分の従者となるのが一番だ。
 どのようにして自分自身を従者とするかといえば、やるべきことがあったらすべからく自分の体を使ってやる。くたびれことがあっても、他人を従えて、人に気を配るよりこの方が気が軽い。もし、歩くことが必要であれば、自分から歩く。歩くことは、苦しいといっても馬だ、鞍だ、牛だ、牛車だと悩むよりはましだ。
 いま、体を二つの用に用いる。手という従者、足という乗り物、これらは私の言うことをよく聞いてくれる。体は、心が苦しいときには休ませる。気分が満ちているときには、これを使う。使うといっても、酷使するのではない。だから、物事が憂鬱だといっても、心が動揺することは無い。まして、常に体を動かし、常に働くのは、かえって体を養生することになる。どうして、無益に休む必要があろうか。人を苦しめるのは罪業なのだ。これは他者の力によって解決するものではないのだ。
 衣食についてもまた同様だ。ふじごろも、あさぶすまは、そのまま着る。野のよめなや木の実、これらによって命をつなぐ。人と会わないのだからおのれの姿の貧しさを恥じるまでもない。食べ物が少ないのは自分の努力が足りないのだから、これは甘受するしかない。
 すべてこのような楽しみを、くだくだと豊かな人に向かって言うのではない。ただ、私の一身上に起こったくさぐさを、昔と今とについて語ったまでだ。

 それ、三界はただ心一つ。心が安穏でないのであれば、どんな宝も意味がなく、宮殿楼閣もなんの希望にもならない。いま、私はこのさびしい住まい、方丈の住まいをこよなく愛している。時として、都に出て、おのれの身の貧しさを恥じることがあるといっても、ここに帰ってくれば、人々が俗塵に心を乱していることを憐れにさえ思う。
 もし、こういう私の言を疑うのなら、魚や鳥のことを思え。魚は水に飽きることはない。そんなことは魚でなければ分からない。鳥は林を恋する。そんなことは鳥でなければ分からない。閑居もまた同じ。住まずして、これが分かるはずがない。

■鴨 長明(かも の ちょうめい、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日(1216年7月26日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家である。俗名はかものながあきら。禰宜・鴨長継の次男。位階は従五位下。

〔経歴〕 賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として京都で生まれた。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。
 出家の後、建暦2年(1212年)に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』(1216年以前)、歌集として『鴨長明集』(養和元年 1181年)といった作品がある。『千載和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に25首が入集している。

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 時事問題というのにはちょっと古い記事の引用ですが・・・。
 いまだというか、これからずっと問題になり続けそうな「オスプレイ配備問題」。この鳥越さんの記事が載っていたのは、もう1ヶ月も前のこと。
 二、三日前、ヨメさんに「オスプレイって、タカの仲間なんやてー」と話したら、そこから鴨長明の「方丈記」の話になった。

 「オスプレイって、日本では『ミサゴ』ゆうんやて。『方丈記』にも出てくるらしいわ。」
 「へー、調べてみよう。」
 「ほんで、鴨長明って、いったい何もんやねん。」
 「随筆家、歌人やろ。」
 「えー、そんなんで食うていけるんか。」
 「なんか、下鴨神社のえらいさんの次男らしいで。ええしのぼんぼんやん。」
 「ええしのぼんぼんて・・・、そのひと言でしまいかい!」

 でも、ヨメさんが「方丈記」の中の「ミサゴ」が出てくる段をくわしく解説してくれたので、一つ賢くなった。鴨長明、ええこと書いとるやん。
 時事問題が時事問題に終わらず、話が広がっていくのはいいことですね。
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【RUN】

 今日は、夕方6時から最短3kmコース。
 ひょっとしたら、ぎりぎり30℃を切っていたかもしれない。
 京都では30℃以下なら、「すずしおすなあ」と言う(・・・ほんまか?)

 3km、15分13秒。これにいつもの1kmプラス。
 両足のアキレス腱付近が痛い。このごろ薄い系のシューズで走ることが多いからだろうか。
 ちょっと気をつけなければ。

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コメント

 リュウさん、コメントありがとうございます。
 私のブログも全然「政治的」ではないので、安心して見てください。
 ただ気になるのは、配備先が沖縄ということ。そこは、この先うちの娘が住むことになるかもしれないところだと言うこと。なんてったって、大学の構内に米軍ヘリが墜落するようなところですから。心配で心配で・・・。いや、そうならないかもしれないし・・・。

 私は「オスプレイが鳥」ということより、「方丈記にはええことが書いてある」ということのほうが新しい発見でよかったです。このごろは、すぐネットで調べられるから便利です。今からでも、ちょっとは賢くなりたいし・・・。

パオパオ 2012年08月08日 22時21分 [削除]

政治的なことは普段マイブログには綴りませんが、
沖縄県知事が「事故が起きたら(在沖縄米軍基地の)即時
閉鎖撤去だ!」と言うたのは初めて知りました。

霞ヶ関官僚の外交交渉能力は領土問題にしても全く無いに
等しく思え、これでは十数年先も状況が変わらぬような
気がしています。市民のためにド真剣になってくれる首長、
江州の地でも誰かいませんかね。
オスプレイ、鳥の名でしたか。パオパオさんのブログみて
また一つ賢くなって??しまいました。

リュウ 2012年08月08日 21時46分 [削除]

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