2015年10月01日(木)
東京の空気は3万円 [雑感]
私の予想がすべて的中し、今日はヤクルトの優勝がかかった試合になった。バイトも休まさせてもらい、チケットも1塁側のいい席をリザーブ。仮に負けて優勝決定とならずとも、その可能性のある試合が見られただけでも幸せである。
そんなワクワクした気持ちで京都を出発した。最初は昼行高速バスで行き、夜行高速バスで帰ってくる予定だった。しかし腰の状態がよくないので、行きは新幹線帰りは夜行バスということにした。
12時36分の新幹線で東京へ。JR信濃町駅に着いたは3時半。開門が4時半なのでちょっと早すぎたかなとも思ったが、まあいいか。
ヤクルトグッズショップはスルーし・・・。
少し雨が降ったみたいで水たまりがあった。しかし、このころはやんでいたので試合はできそう。
「いやま、すごい行列。こんなん並ぶのんかなんし、開門されてから入るか」と思った。
その行列の横を歩いていると、球場のかわいい女性職員さんが立っておられた。
「2番入口って、どこに並べばいいんですか?」
「あのー、今日は中止になったんですよ。」
「えー、中止!? 京都から来たのにー。」
「そうなんですか。ごめんなさい。明日に順延なんです。」
「明日は来れないんですよ。」
「ほんとうにごめんなさい。」
その列の最後尾では、「雨降ってないからできるでしょー」と球場職員さんに抗議している人もいた。
その様子を写真に撮っていると、私の横にいた若者が「荒れてますね」と話しかけてきた。ヤクルトファンやからおとなしいけど、阪神ファンやったらこんなもんではすまどーと思いつつ。
「今降ってへんからね。気持ちは分かるわ。今日しか来れん人も多いやろうし。」
「そうですよね。」
「私も京都からわざわざ来たんですよ。」
「僕は仙台からです。」
「仙台? 負けたなー。でも仙台やったら、ヤクルトファン少ないでしょ。」
「はい。元々は近鉄ファンで,近鉄がなくなって楽天になって楽天ファンだったんですけど、2008年に修学旅行で神宮のヤクルトのゲームを見て、それ以来ヤクルトファンです。」
「そうなん。それはうれしいなあ。京都もヤクルトファンってほとんどいませんよ。阪神ばっかりで。
それにしても、優勝が決まるかも知れない試合なんてめったに見られないのにね。やってほしかったね。京都を出たときは降ってなくて、途中からちょっときつく降ってきたんやけど、東京に近づくとやんできて、これは試合あるぞーって喜んでたんですけどねえ・・・。」
「そうですよね。僕も仙台を出たときは降ってなくて、高速を運転してきて栃木あたりできつい雨になって、東京に入るとやんだんで試合はあると思ってました。」
「えー、車で来たんかいな。そらたいへんやわ。」
「車は近くのホテルに置いてきたんですけどね。」
「えっと、お歳は?」
「22です。」
「ということは大学生?」
「はい。」
「そしたら、明日もなんとかなるんちゃうん。」
「明日はバイト先の先輩の送別会があって・・・。」
「それははずせないですね。」
「はずせないです。」
「またどこかでお会いできたらいいですね。お名前は?」
「○くちりょうまです。」
「藤井です。それではまた・・・。」
○くち君はトボトボとホテルへ帰っていった。
4時前、ヨメさんにメール。
「中止ですわーんわん」
「とっとと帰るか、一生帰らんかどっちかにし」と返事。
「夜行バス、キャンセルしました。新幹線で帰ります。ごはん残しておいてもらえるでしょうか。」
「わかりました。」
案内図を見て思ったんやけど、新国立競技場はやめて新神宮球場作ったらどう。もちろんドームで。晴れた日は旧神宮球場、雨の日は新神宮ドーム球場っていいアイデアやと思うけど・・・。
街灯につるされたフラッグを写真に撮り・・・。
あとは京都に帰るだけ。
新幹線往復代だけで27820円。もろもろ含めると、3万円を大きくオーバー。ガードマンのバイトの4日分以上。「あーあ。」
東京の空気を1時間吸って3万円。ああ、高かった。
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2015年09月26日(土)
三色 [雑感]
今日は午前中に出張販売の用意。キャラバンへの商品積み込み。シューズ担当の私は1時間くらいで終了。
昨日の夜、ヨメさんに念入りにお灸をしてもらった。そのおかげで、かがむのもたいへんということはない。だいぶましになった。ただし、走るのは無理。
ヨメさんが作ってくれた三色スパゲティを食べ、痛み止めの薬を飲んで、「駒ヶ根」へGO! 痛み止めの薬は急激に眠たくなるらしい。だいじょうぶか知らん。
明日は奇跡的に痛みがひいたらレースに出るが、無理はせんとこ。京都まで帰る運転もあることやし・・・。
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2015年09月25日(金)
支援多 [雑感]
今日は昨日に続きお休み。
午前中に、2ヶ月以上ごぶさたしていた「あいおわ治療院」へ。久しぶりに、高橋大輔似の先生の「バッキンバッキン」をやってもらった。めちゃくちゃ痛かったけど、すごく効くような気がした。
午後はトヨタへ。
シエンタの6ヶ月点検(正確には8年6ヶ月点検)。来年3月末には車検の時期を迎える。シエンタがモデルチェンジしたので買い換えようかとも思っていたが、シエンタの丸くてかわいいイメージがなくなってしまった。私のお気に入りのデザインの旧シエンタ、まだまだ乗り続けられますかねえ。
8年半前といえば、私たち家族が10年近く住んでいたいなかから出てきたとき。地元の学校が統合でなくなり、廉が高校、真樹が中学に入学するのを機に引っ越すことにした。そのとき私は51、ヨメさんは45、きくちゃんは2歳。
ちょうどそのとき車を買い替える時期だったので、思い切ってシエンタにした。
シエンタは一番にデザインが気に入って買ったのだが、その名前もよかった。支援が多い「支援多」って、不安だらけのうちの家族にぴったりやんと思って。
プレートナンバーの「1616」は島倉千代子さんの「人生いろいろ」から、と言うより小泉首相の「人生いろいろ、会社もいろいろ」から取った。勤務実態のない会社から給料をもらっていたことを追及され、植木等みたいな答弁をした。あんな人をなめた人が一国の首相だったんですねえ・・・。
7人乗りのシエンタは、私の父の誕生日会のときに役に立った。うちの家族4人と姉夫婦と父でちょうど7人。それに、廉が大学の陸上部で活躍していたときは部員の大会への送迎で役立った。もうこれから、そんなにたくさんの人を車に乗せることもない。
来年の春には、廉が就職して家を出て行く予定。真樹はもうすでに家を出て沖縄でがんばっているし・・・。私らの支援が必要なんは、もうきくちゃんだけか。
今後は、「どんどんボケていく私に支援を!」と言わなあかんね。
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【RUN】
今日は十分時間があったので、スピード練習を・・・。
あきません。たぶんぎっくり腰です。かがむのもたいへん。あさって、「駒ヶ根高原マラソン」の5kmで入賞狙わなあかんのに。
晩にヨメさんにお灸をしてもらった。これで楽になったら、ヨメさんのお勉強も値打ちなんやけど・・・。
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【今日のきく】
「オッサンといっしょに、野菜買いに行って来ましたわー。」
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2015年09月24日(木)
獲らぬ燕の羽算用・2 [雑感]
今日も勝ちましたわー、ヤクルト。
山田哲人は2打席連続ホームラン。こんな日に見に行きたかったなあ。
巨人も勝ったけど、それはほぼ関係なし。なんたって2ゲーム差ですから(実質3ゲーム差)。
今日、廉と「今のヤクルトに足りないもの」について語り合った。二人の意見が合致。「代打やな、代打。」
ヤクルトは、中心となる打者も投手も充実している。ただ、代打要員がいない。すぐに思いつくのは田中浩康くらい。今年限りで引退に追い込まれた中日の和田一浩、獲れませんかねえ・・・。ええ仕事しまっせー。
それはさておき・・・。
10月1日の神宮での対阪神戦。私的には、この日がヤクルトの優勝決定の日なんですが・・・。高速バスで行く計画を立てているんですが、どうなんでしょう。それまでに優勝が決まってしまったら、10月1日は「へーみたいな試合」になってまうし。
私の予想ではこの日の先発予定は館山でしたが、新聞では館山は9月29日の神宮での対広島戦に中5日で先発するらしい。ということは、10月1日は小川ですか。
うーん、神宮行きますかね。夜行バスで朝帰りして、そのあとすぐガードマンの仕事に行けるかなあ。
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【RUN】
夕方時間があったので、超久しぶりの5kmコースへ。
どれくらいで走れるかまったく見当もつかなかったが、いつも通り、走り出すとだんだん調子が出てきた。ゴールは26分59秒。まあまあですやん。
明日はスピード練習しょうかなあ。
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【今日のきく】
今日は一日雨。
きくはじゃじゃ降りの雨は苦手だが、パラパラ雨は好きみたい。
張り切ってまっせー。
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2015年09月23日(水)
獲らぬ燕の羽算用 [雑感]
ヤクルトファン以外のみなさん、すいませんねえ。今日で、ヤクルトの優勝がほぼ決定です。
今日ヤクルトが広島に勝ち、巨人が阪神に勝ったので、広島と阪神の優勝は考えにくくなりました。唯一巨人が2ゲーム差の2位で、まだ優勝の可能性があるように思われるかもしれません。しかし、はっきり言ってもう無理です。
ヤクルトが残り8試合、巨人が残り7試合です。今のヤクルトの勢いから行くと最低でも4勝4敗。それを巨人が上回るためには、残り6勝1敗で行かなくてはならない。これはきついでしょう。仮にヤクルトが5勝3敗で行くと、巨人は残り全部勝たないと上回れない。それ無理でしょ。
一応、ヤクルトの今後の日程と私が考えた先発投手を書いておきます。
9月24日(木) DeNA(神宮) 小川(決定)
25日(金)
26日(土) 巨人(東京D) 石山
27日(日) 巨人(東京D) 石川
28日(月) 中日(神宮) 山中
29日(火) 広島(神宮) 杉浦
30日(水)
10月 1日(木) 阪神(神宮) 館山
2日(金)
3日(土) 広島(マツダ) 小川
4日(日) 巨人(東京D) 石川
石川、小川、館山の3本柱の5試合で3勝2敗。その残りの3試合でなんとか1勝でトータル4勝4敗。行けますね。ヤクルト優勝ですね。ひひひ・・・。
「山田哲人とは『親戚みたいなもんや』って言っていいよ」と、哲人のおばあちゃんの妹(小豆島の料理旅館「ちどり」のおかみさん)のお墨付きをいただいている。応援に行きたいなあ
とりあえずは今度の土日の対巨人2連戦。ここでヤクルトが1勝したらほぼ決まり。2連勝したら巨人の息の根も止まる。ただし、ここは「駒ヶ根高原マラソン」への出張販売でどうにもならん。
10月1日の神宮で優勝決定かなあ・・・。高速バスで見に行こうかなあ・・・。
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2015年06月01日(月)
泣いてしまう記事 [雑感]
◎朝日新聞5月27日朝刊
【記憶の食】朝食にじんわり親心
今回の「記憶の食」のテーマは「朝食の思い出」。ご飯派の方からは、朝食の定番、卵かけご飯にまつわるエピソードをたくさんいただきました。食パンをもち網にのせてコンロで焼いてくれる母親の姿を思い出す方もいます。
■あこがれた卵かけご飯
囲炉裏を囲んで、朝餉(あさげ)が始まった。両親、兄、姉たち。ごはんとみそ汁、おひたしがつく程度だった。
埼玉県春日部市の飽田(あくた)ユリ子さん(69)は鹿児島県の現・出水市で育った。家は農家で葉タバコやスイカ、米を作っていたが、裕福ではなかった。
質素な朝食。でも2歳年上の姉の静子さんだけは、違った。茶わんに盛られたご飯の上に、生卵がかけてあった。近くの農家が放し飼いで育てた鶏の赤玉は黄身がとても黄色くおいしそうだった。「もしかしたら、きょうは私のおわんにも……」と期待する日もあったが、卵がかかっていることは一度もなかった。
姉は生後まもなく、脊髄(せきずい)の難病を患い、小学校にも通えない時期もあった。両親は病気を治そうと、姉を連れて病院を転々。手術や2年間の入院などで医療費はかさみ、田畑を切り売りして、しのいだ。
昭和20年代、卵は貴重品だった。ユリ子さんは「家族全員には食べさせられないが、せめて病弱の姉だけは、という親心でしょう」。
大人になったとき、ユリ子さんは母から言われた。「あんたは、一言も『卵を食べたい』と言ったことなかったねえ」。食べたくなかったといえば、ウソになる。でも、子ども心にも言える雰囲気ではなかったと思う。
42歳で病死した姉に聞けるなら聞いてみたい。「姉ちゃん、あのときの卵かけご飯、おいしかったですか」
茨城県筑西市の古川正子さん(66)も卵料理を食べると、「卵かけご飯」を思い出す。
福島県郡山市に住んでいた正子さん。6歳のときに父親が病死し、母が田畑での仕事と家事を1人で担い、4人のきょうだいを育てた。
朝食の「おかず」は生卵。だが、2歳年下の妹と1個を半分こだった。卵をかき混ぜた正子さんは、いつも妹に「先に卵かけていいよ」とおわんを渡した。先に白身の多い部分が、おわんから出ることを知っていたからだ。その後、黄身の多い部分を自分のご飯にかけて食べていた。「今はかわいそうなことをしたと思っています」。妹とは旅行にも行く仲良しだが、「このことは話していません」と笑う。
高級品だった卵。「価格の優等生」と言われるようになったのは、昭和40年以降、生産性が向上したためだ。
■忘れ得ぬ父のコーヒー
京都府宇治市の塚田有里さん(47)は、幼い頃に父親が朝食とともにだしてくれたコーヒーの味が忘れられない。
塚田さんは養蚕の指導員をしていた父、多紀男さん(79)と主婦の母、兄とともに愛媛県大洲市で暮らしていた。だが、塚田さんが5歳の時、まだ30代だった母が心臓まひで突然亡くなった。
まもなく父は小学生の兄と塚田さんを連れて近くに引っ越した。引っ越して最初の朝食は、母が生前に作っていたメニューと同じごはんとみそ汁。だが翌朝、トーストと一緒に、お客さん用のカップで薄茶色の飲み物が出てきた。
「泥水みたい……」。でも、父や兄は飲んでいる。その姿を横目に、おそるおそる一口。「おいしいっ」
ミルク入りのコーヒーだった。思い返しても、それほどたっぷり砂糖やミルクが入っていたわけではない。「ちょっと苦かったんですが、それでもすごくおいしくって」
それ以来、朝食はほろ苦いコーヒーとトースト。小学校に入る頃まで続いた。
塚田さんは就職で関西に来て夫(48)と結婚し、長女(17)が生まれた。長女が5歳の頃は牛乳やジュースを飲ませた。「どうしてあのころ、5歳児にコーヒーだったんだろう」。10年近く前に家族で愛媛に帰省した際、父に尋ねてみた。
父は言った。「何か食べささんと、と必死じゃった」。ごはんとみそ汁を毎朝用意するのは「こたわんけん(無理だから)、簡単なパンとコーヒーにしたがよ」。
父の精いっぱいが、じんわりしみた。
大阪府羽曳野市の主婦、西原敬子さん(52)が、今も時折思い出すのは、食パンをじっくりとあぶる母、善子さん(83)の姿だ。
幼稚園に通い始めた頃、朝は何となく心細かった。そんな時、母が弱火のガスコンロにもち網を置き、食パンをのせた。トースターなんて家になかったころだ。マーガリンを塗り砂糖をふってくれた。
それから、週に2日ほど、トーストが出てきた。一方で、父には必ずごはんとみそ汁。父母は履物の工場を営み、弟や妹もいた。今から思えば、朝はものすごく忙しかっただろう……。
パンをあぶってくれる母の姿を思い出すたび、胸の奥がきゅっとなる。「自分も子ども2人を育ててきたが、どれほどあたたかい心を注いでくれたのか、と思う。母には勝てません」
(浅野真、石村裕輔)
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寮の管理代行のバイト先には朝日新聞がある。
前の寮長寮母さんは一週間分くらい残して下さっていたので、それをじっくり読むのが楽しみだった。ところが新しい寮長寮母さんはすぐに処分しておられるようだ。最近はだいたい3日分くらいしか残っていない。
私がいつも楽しみにしているのは「記憶の食」シリーズ。このシリーズでは毎回読みながら泣けてしまう。おととい行ったときには、なんとかこの記事が載っている日の新聞が残っていた。よかった。
今回は古川正子さんが秀逸。
小さい時、生卵を妹と半分こするときずっこしをした話。そのことを66歳になった今も、「話していません」とは・・・。泣けてくる。
66と言えば、うちのにーちゃんと同い年。まさかうちのにーちゃんは7歳も年下の私に、「今も言えない」ようなことはしてへんわなあ。
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【今日のきく】
夜の散歩に出ると、「パンパンパーン! ボンボーン!」
きくはびびって、「なになになに・・・。」
かなり近くで花火の打ち上げ。
「にげろー!」
大きな音が恐いきくは大急ぎで家へ。もちろん、○ンコは出ていない。
明日の朝の散歩までしんぼうせなしゃーないな。
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