パオパオだより

2010年12月07日(火)

日本酒「九条」 [平和]

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 12月5日は、私の父・藤井善一の誕生日。89歳になった。
 明日の夜、恒例の誕生会をする。
 何かお祝いをと思ったが・・・。

 そうそう、「ねっとわーく京都」に佐々木酒造さんの日本酒「九条」の広告が出てたっけ。

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 問合せ先に電話してみると、佐々木酒造さんではなく「ねっとわーく京都」の事務所だった。
 「父の誕生日のお祝いに、日本酒『九条』をあげようと思ってるんですけど・・・。」
 「藤井さん、お父さんの誕生日のお祝いなら、こちらからプレゼントさせてもらいます。」

 私の父については、「ねっとわーく京都」の10月号にも書かせてもらった。父の戦争体験を、孫である私の息子と息子の所属する大学陸上部のメンバーに話したこと。その記事には父の写真も載せてもらったので、編集人さんにも親しみを持っていただいたのかもしれない。
 また、私の兄が退職まで長年市職労に所属しており、「ねっとわーく京都」とのつながりも深いのも関係しているのかもしれない。(兄は今も「ねっとわーく京都」を定期購読している。)

 いずれにしても大変うれしいお言葉。お祝い事なので、気持ちよく受け取らせていただくことにした。
 私にできることは、「ねっとわーく京都」の連載記事をよりしっかり書くこと。そして、今以上にたくさんの方々に読んでもらえるよう努力することですね。
 本当にありがとうございました。

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 さて、その日本酒「九条」だが・・・。
 私がほしいと思った「吟醸あらばしり 1.8L」は直接佐々木酒造さんに行かないとないとのこと。一度行ってみたかったのでちょうどよかった。

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 丸太町智恵光院の北側をちょっと東に入ったところ。まあ、京都の人以外ならたどり着けないでしょう。京都らしい狭い道路に面したところに佐々木酒造さんはありました。

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 「ああ、ここが俳優・佐々木蔵ノ介さんの実家かー」などとしげしげ眺めてから、「ごめんくださーい。」
 「ねっとわーく京都」さんのほうから電話を入れてもらっていたので、すぐに日本酒「九条」を渡していただいた。

 お礼のごあいさつに伺わなければ。
 そのあとすぐ、「ねっとわーく京都」の事務所のある寺町夷川へ。

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ねっとわーく京都・最新号

 事務所には、いつもお世話になっている宮内さん、丸山さんがおられた。ご両名とも、私はお会いするのは初めて。
 ゆっくりお話してみたかったが、車で来ていたためお礼だけ言って帰ってきた。

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 ついでなんで、最新号に載っていた広告もご紹介。

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 明日、父が喜んでくれればいいのだが・・・。

※佐々木酒造さんのホームページがすごくおもしろい。佐々木蔵ノ介さんの弟さんが跡継ぎをしておられます。(蔵ノ介さんは佐々木家の次男。)ぜひ、のぞいてみてください。→佐々木酒造株式会社

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2010年09月02日(木)

「攻められたら死ぬ」 [平和]

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叡電・京都精華大前駅付近の黒猫ちゃん

◎毎日新聞8月30日夕刊より

 今、平和を語る:作家・日本ペンクラブ会長、阿刀田高さん

 ◇「攻められたら死ぬ」が9条精神−−阿刀田高さん(75)

  社団法人・日本ペンクラブは今秋、創立75年を迎える。平和を希求し、表現の自由に対するあらゆる弾圧に反対してきた。阿刀田高会長(75)は「ゆるやかな反体制派」を自任し、平和と表現の自由を守るには覚悟がいると語る。26年ぶり3度目の国際ペン東京大会を前に、阿刀田会長に聞いた。<聞き手・広岩近広>

 ◇平和と表現の自由、覚悟して守れ
 −−まず、「ゆるやかな反体制」とは。

 阿刀田 現在、日本ペンクラブには約2000人の会員がいますが、皆が同じ方向を向いているわけではありません。いろいろな考え方を持っていて当然ですし、国際的な活動も反体制ばかりではやっていけない。しかし、いまの世の中を考えると、そうそう体制にべったりというわけにもまいりません。日本ペンクラブは良心と良識にかけて「ゆるやかな反体制」を維持しますが、時と場合によっては「厳しい反体制」の旗を掲げます。

 −−厳しい事例は。

 阿刀田 一例をあげると、03年に当時の小泉純一郎首相が自衛隊をイラクに派遣したときです。自衛隊についての考え方は、会員のなかで種々の意見があると思います。ですが、自衛隊をイラク駐留の多国籍軍に参加させるとなると多くの会員が許し難く思い、ひとつのコンセンサスが得られると考えました。そこで日本ペンクラブとして、憲法の不戦原則に背くので断固として反対する、との声明を出したのです。

 国家にとって重要な問題が持ち上がったとき、文学者は意見の対立を乗り越えて、つまり小異を捨て大同につくと申しますか、そういう行動をとるのがこの団体だと思っています。

 −−このとき日本ペンクラブが45人の会員に呼びかけて緊急出版した「それでも私は戦争に反対します」(平凡社)に、阿刀田さんは短編「神々は笑う」を寄せられました。自衛隊が軍隊になり、ついには徴兵制度が始まったという近未来はリアルでした。

 阿刀田 軍隊は戦争する組織ですから、戦場で死ぬこともあります。そうなったら日本では志願兵なんて出てきませんよ。おのずと徴兵制が敷かれます。徴兵制になったら、貧しい人や恵まれない人たちが兵隊にとられる。いつの時代でも変わりません。

 私は10歳のときに長岡大空襲に遭い、強いと教えられた日本の軍隊が国を守ってくれないことを思い知らされました。広島、長崎の惨禍も防ぐことができなかった。だから軍隊を持てば国を守れると言われても、どこまで信頼したらいいのかと思ってしまう。

 −−一方で、軍備を持つ国から攻め込まれたらどうするのか、と必ず問われます。

 阿刀田 私の答えは決まっています。そのときは死ぬんです、とはっきり申し上げております。

 実は私たちの世代は戦時下の子ども時代、国家のために死ぬんだと教えられました。だから、やれ本土決戦だと竹やりを持つようになると、敵国が攻めてきたら死ぬ覚悟でした。しかし戦争が終わって日本国憲法が施行されたとき、戦争の放棄をうたい軍隊を持たないというのだから、なんと素晴らしい決心だろうと感動した覚えがあります。

 私は、人を殺すくらいならば、自分が死ぬ道を選びたい。特別な倫理ではなく、同じ倫理観の持ち主はきっといるはずです。だから私は命がけで平和を守り、それでも攻撃を受けたら、丸腰で死ぬんだと覚悟を決めています。攻められたら死ぬんです、という覚悟が憲法9条の精神だと思います。私たちはこうした憲法を保持し、培ってきた。だから、この65年間戦争しないでやってきたのです。

 といっても誰しも死にたくはありません。将来のある若者を死なせたくはない。だから、そういうことにならないように、外交努力はもちろん、ありとあらゆる努力をする、やり尽くすのです。平和を守るには並々ならぬ覚悟がいります。命がけでなくてはならない。それを実行するのが政治です。

 −−昨今の政治は力がなくなったようです。

 阿刀田 政治家の言葉が貧しくなっていますね。言葉の後ろに覚悟や信念がない。言葉は覚悟を伴わなければ、いい言葉になりません。消費税の問題にしても、いまちゃんとやらねば国家存亡の問題になると、本当に信じて、本当に考えて発言したなら、国民は聞き耳を立てるはずです。腰が引けた調子でやっているもんだから、ダメなんですよ。言葉は熟慮したうえで、覚悟をもって発してほしい。要は覚悟の問題なのです。

 −−ところで阿刀田さんはわが国の表現の自由度は5段階で3と指摘しています。

 阿刀田 最近の例でいえば、ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」の上映自粛です。内容に賛否両論のある映画とはいえ、一部の団体の抗議を受けて上映中止に至ったのは残念です。過去にも同様の抗議行動により、映画の上映や講演会が開けなかったケースがあります。自分の考えと異なる意見にも耳を傾け、発言する機会を保障できる社会でなくてはいけません。

 表現の自由に対する覚悟が薄い、民度がゆるいからだと思います。表現の自由がいかに大切であるかわかっていないのではないでしょうか。弊害的なことには、すぐ目がいくのですがね。表現の自由を、民衆がいかに大切にしているか、その意識の甘さにおいて日本は世界からあまり評価されていません。

 −−「環境と文学」を主題にした国際ペン東京大会が9月23日から早稲田大・大隈講堂などで開かれます。日本ペンクラブは「日本の環境文学100選」に原爆文学の井伏鱒二「黒い雨」を選びました。

 阿刀田 私たちは、表現の自由、平和の維持、環境の改善、文芸の発展の4本柱を目標に掲げて活動しています。東京大会では自然環境をとりあげますが、原爆は顕著な自然破壊です。「黒い雨」は市民の生活を描きながら原爆の被害を訴えています。井上ひさしさんの戯曲「父と暮らせば」もそうですが、原爆を日常の感情で描いた文学作品は味わいが深いですね。

 −−最後に、この国を担う世代にメッセージを。

 阿刀田 もともと貧乏な国でしたから、日本人は資源を使わずに、どうしたら心が豊かになるかを考えるくせをもっています。俳句や茶道にみられるように日本文化はシンプルなのです。今一度、おカネをむやみやたらと使わずに、抑制のきいた生活に戻るべきでしょう。人間は理性を持たないとダメです。(専門編集委員)

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 ■人物略歴

 ◇あとうだ・たかし
 1935年東京生まれ。早稲田大学文学部卒。国立国会図書館勤務を経て作家に。79年に「来訪者」で日本推理作家協会賞、「ナポレオン狂」で直木賞を、95年に「新トロイア物語」で吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。03年に紫綬褒章を受章、09年に旭日中綬章を受勲。07年から日本ペンクラブ会長を務める。近著の「闇彦」(新潮社)は国際ペン東京大会の記念として特別書き下ろし。

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きくに向かってふいています

 どえらい記事を見つけてしまった。
 なんて、分かりやすい!

 聞き手ーー軍備を持つ国から攻め込まれたらどうするのか、と必ず問われます。
 阿刀田ーー私の答えは決まっています。そのときは死ぬんです、とはっきり申し上げております。
 私は、人を殺すくらいならば、自分が死ぬ道を選びたい。特別な倫理ではなく、同じ倫理観の持ち主はきっといるはずです。だから私は命がけで平和を守り、それでも攻撃を受けたら、丸腰で死ぬんだと覚悟を決めています。攻められたら死ぬんです、という覚悟が憲法9条の精神だと思います。私たちはこうした憲法を保持し、培ってきた。だから、この65年間戦争しないでやってきたのです。


 そうか、日本はどんなことがあろうと絶対に戦争しない国なんです。戦争をしないためにありとあやゆる手を尽くす国なんです。そして、万策尽き、攻められた時はみんな死ぬ国なんです。
 いざとなったらこわくてこわくて、そんな覚悟は決められないだろうが、そういう国であるということは世界中に広めて行きたい。

 

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2010年08月06日(金)

中野高級ホテル [平和]

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中野さんがうちのヨメさんのおみやげにくださった「タコ」

 初めから夜はアルコールを注入する予定だったので、中野さんのお言葉に甘えて、中野さんのおうちでの宿泊を予定させてもらっていた。
 映画「人らしく生きよう・パート2」でそのおうちが少し写ってはいたが、どんなところかまったくイメージがわいてこなかった。

 案内されたおうちは、一軒家の二階。
 一階のあけにくいドアから入ると、階段にはたくさんのシューズ。その時、一瞬、二階に何人か住んであおられるのかと思った。しかし、よく見るとそれらはほとんどがランニングシューズ。二階部分全体を、中野さん一人で使っておられるのだった。

 二階に上ると、細かくは仕切られているが3部屋続き。それとは別に、キッチン、バス、トイレ。おっと、これは高級ホテル並み。言わば、「3K」ですか。

 いや待てよ、「3K」と言えば・・・。
 「きつい」「汚い」「危険」な労働。

 私は中野さんの「5K」を思いついた。
   か なしいです
   き ついです
   く るしいです
   け っ!
   こ んなくらしがいつまで・・・

 でも、こんな「5K」も考えられる。
   か いこはふとう、でも
   き ぼうはすてない
   く にがあいてでもひるまず
   け んぽうのせいしんがうしろだて
   こ ようされるひまではくじけない

 中野さんが23年前国鉄を解雇される前、「国労をやめて生き延びろ」という周りの声が多かったそうだ。しかし、中野さんは「ここで自分の信ずる道を捨ててしまえば、この先同じような場面に出くわすたびに自分をごまかしながら生きていかなくてはならない」と思われた。そんな生き方はできないと決断され、その後いばらの道を歩まれることになる。

 寝る前に、中野さんの部屋にあった数々の写真を見せていただいた。
 去年の「国会前54日間連続フルマラソンアピール行動」の前にも、「1047kmキャラバン」などさまざまな行動を起こされていた。そのほとんどが中野さんの得意なランニングがらみ。
 「今までこれだけすごいランニングの実績を残されているのに、私ら一般ランナーにほとんど知られてないのが残念ですね。『JR不採用問題』をおいといて、ランニングの部分だけを取り上げても、ランナーなら関心を持ったと思うんですけど・・・。それを見たうちの何人かは、『なんで、ここまでやらはんにゃろう』と思って調べると思いますわ。そういう意味で、マスコミの姿勢ってどうなんやろうと疑問に思います。」
 「組合活動に対するマスコミの目は、決してあたたかいものではないですから・・・。」
 「ボクは、組合活動や平和運動って弱い者を助ける活動やと思ってるんですけど、それを白い目で見る人ってどうかしてますよね。私らの親の世代ならそういう教育を受けてきたからある程度は仕方ないと思いますけど、私らの下の世代くらいからまた反動化しているようで・・・。」
 「そうなってきたのも、社会や教育の力が大きいでしょう。」

 話している途中で気がついた。 
 ずっと話し続けているは私。中野さんはほとんど聞き役。中野さんは私の7歳下だが、7歳上のどうしようもないオッチャンの話をしっかりと聞いてくれている。
 もう一つ気がついた。
 私は今まで、生マジメな人を茶化してカンカンに怒らせてしまったことが何度もある。(そういうどうしようもないタイプの人間なんです。)中野さんは、その生マジメな人間。でも、カンカンに怒らない。フシギでしたねえ。
 マジメ・不マジメは本来強烈に反発しあうものであるのに、中野・藤井は今後も意外と長持ちするのかも・・・。そんなことを思いながら眠りについた。
 「ここは、中野高級ホテル・・・、むにゃむにゃ・・・。」

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※ 上の写真は、泊めていただいた翌朝、中野さんが顔を洗いに行ったスキに盗撮した中野部屋。これは、「高級ホテル」と言うより「アジト」ですね。(「アジト」って、死語ですか?)

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2010年08月05日(木)

第23回反核平和の火リレー(徳島)・続き [平和]

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 JR阿波池田駅前の「へそっこ公園」にゴール。
 いったん中野さんのおうちにおじゃまし、シャワーを浴び着替え。再び、イベント会場になっているへそっこ公園へ。

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 会場では、アンパンマンショーや手話入りの合唱、琴の演奏などが行われていた。

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 私と中野さんが焼きソバをあてにビールを飲んでいると、今村さんという女性が「ご一緒させてください」と入ってこられた。私は私の横の席を勧めたのだが、なぜか中野さんの横に。
 中野さんいわく、「中野後援会会員ナンバー0番の今村さんです。」
 「ふむふむ・・・。」

 だいたい、国労北見闘争団の中野さんがなぜ四国徳島の三好市池田におられるのか。これさえも、いまだに理解できていない。その中野さんが、三好市役所の地下にある市職労の今村さんとどういう仲なのか。これも分かっているようで分からない。

 「藤井さん、では交流会ということで・・・。ちょっと、行きますか。」
 よっしゃー、こういうときに遠慮せず何でも聞かにゃー。

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 「今日、わざわざ京都から徳島まで来たのは、反核平和を訴えるためでもなく、酷暑の中を走るためでもないんです。一番の目的は、中野さんのしっぽをつかむことです。」
 そんな私の自己紹介を、今村さんは半分あきれて半分興味深く見ていてくださった。
 「あっ、中野さんの『イメージダウン作戦』でしょう。ブログ、見せてもらってます。」

 中野さんは、国労北見闘争団から四国に派遣されている。私はてっきり、四国におられる国労の仲間を応援するために来ておられるのだと思い込んでいた。しかし、実際はそんなに特化した活動ではなくもっともっと広く大きな活動のようだ。その拠点にされているのが三好市市職労であるようだ。
 7年前中野さんがこの地に来られたとき、初めに仲良くさせてもらわねばと思ったのがこの今村さんだそうだ。当時はまだ町村合併前の池田町時代で、今村さんは労組の「書記」という立場の方であったらしい。

 まあ、それはさておき本題へ。
 「中野さんの弱みをつかもうといろいろ聞きまくってるんですけど、うまくいかなくて・・・。なんか、中野さんの悪事とかないですかねえ。」
 「それがね、徳島に来られてからの中野さんは品行方正で・・・。」
 「ボクは、スキャンダルとかが発覚したら終わりだと思ってるんで・・・。徳島に来て、悟りを開きましたから。この7年間、一度も怒ったことないですから」と、中野さんの割り込み。
 「おかしいでしょ。そんなことありえへんて。」
 「あっ、でもね、前に北海道に行かせてもらったとき、中野さんの古いお友達に会ったんです。そのお友達が私たちの話を聞いて、『信じられん。北海道にいたときの中野は気が短くてすぐカッカと来るやつだっだ。みんなだまされている』とおっしゃったんですよね。あっ、そうなんかと思ったりもして・・・。」
 「そっかー。やっぱり取材は北海道まで行かなあかんね。できたら、高校までおられた増毛まで行って同級生とかに聞かなあかんのかも。」
 「あっ、ひとつだけ思い出しました。中野さん、すごいスーツを持っておられるんですよ。見る角度によっていろいろな色に見える玉虫色のスーツ。あれを着ていかついサングラスをかけてこられることがあるんですけど、どう見てもアッチ系の人にしか見えなくて・・・。」
 「あっりゃー、そのへんうちのヨメさんといっしょですわ。そんなへんなかっこして、みんなから声をかけてもらおうという作戦ですわ。その手に乗ったらあきませんでー。
 うちのヨメさん、あの歳でミニスカート専門ですから。困ったもんでしょう。」
 「と言うことは、大屋政子さんみたいな・・・。」
 「そそそ、自分で『大屋政子2世』みたいなことゆうてます。」

 「奥さんには頭が上らない・・・。」
 「そうなんですよ。なんせ、ヨメさんの稼ぎでメシ食わしてもうてますし・・・。今日出てくるときも、『お願いやし帰って来んといて。吉野川にはまって溺れ死んで。生命保険ガッポリだけはきちんとしといて』ってゆうて送り出されたくらいですから。」
 「いえ、でも、いざとなったらきっとちがうと思いますよ。」
 「いや、それはない。あいつは本気でそう思とる。恐ろしいおなごじゃー。」
 「でも、あっちこち行かせてくださって、理解あるんじやないですか。」
 「とんでもない。『アンタのしていることはすべてムダ』と断言しているくらいですから。こうやって反核平和の活動も政治活動やからと言って、『京都キャロット』のホームページから私のブログへのリンク、ぶち切ったんですよ。何の説明もなしに突然ぶち切ったもんやから、『パオパオだより』がなくなったと言う人が続出して困りました。こんなん政治活動ってゆうたら、ほんまに政治活動やってはる人怒るでーってゆうたんですけど・・・。
 今日ね、走ってて出くわした小中学生がいたじゃないですか。こっちが手を振ったら手を振り返してくれた子もいましたよね。あの中の何人かが、『反核平和ってなんやろう。変なオッチャンが9の会と書いたのぼりを背負って走ってたけどなんやろう』と思ってくれたらめっけもん。その程度のことを、『政治活動』って目くじらたてるとはねえ。
 特定の政党を応援する活動ならいざ知らず、ボクがしたいのは『憲法9条を守る』、この1点だけ。ほかのことにはほとんど興味もないです。」
 「反核平和運動を色メガネで見る人は、オカルト集団を見るのとおんなじ目で見てしまうんでしょうね」と、中野さんの割り込み。

 ヨメさんに言わせると、『アンタのやっていることはアンタの葬式に来る人が増えるだけで、家族のためには何の役にも立ってへん』とゆうことらしい。
 葬式なんてしてもらおうなんて思ったこともないのにね。ボク死んだらね、できたら死体を野良犬のえさにしてもらえたらと思ってるんですけど。臨終の席では家族ではなくて雑種犬に見守られて息を引き取りたいなあ。」
 それまでほとんど黙って聞いていた中野さんも、さすがにこの言葉にはひいていた。「ヘッ、ヘンタイ!」と心の中で・・・。

 「娘さんと沖縄旅行されたんですよね。二人で行かれた目的は?」
 「うちの子ね、中学の時にいろいろとあって、もう人と競争するのはいやなんですて。それでね、日本で一番競争のイメージから遠いのは沖縄かなと思って。沖縄の大学なら行ってもいいかなあと今漠然と思っているみたいです。」
 「そうなんですか。」
 「沖縄の大学を出られてその大学の先生になられた方と話す機会を作ってくださったんです。そのあと、『真樹も沖縄の大学の先生になったら』って言ってみたんですよ。そしたら、「先生になるのだけは絶対イヤ!』ですって。この言葉はショックでした。」
 「そうですか・・・。でもね・・・。うちの子もずっとそう言ってたんですよ。大人になった今、絶対ならないって言ってた教師の仕事してますよ。」
 「いやまっ、そうなんですか。」
 「毎日夜遅くまで仕事があってたいへんみたいですけど・・・。」
 「へー、すごいですやん。そんなこともあるんですねえ。でも、あんまり気張りすぎんようにね。どんなに忙しくてつらいことが続いても、この部分だけは心から楽しめるぞーと言えるところを見つけてほしいです。そしたら、これからもずっとその仕事を続けていけると思いますよ。」
 おー、なんと、わずか12年で教職を「ケツワリ」してしまった私が、何を偉そうにアドバイスかい! 反省!

 中野さんをそっちのけにして、初対面の今村さんとしゃべりすぎた。
 このほかにも、池田町はタバコの栽培で栄えた町であることや、中野さんが家の前でファイティングポーズをとっているカマキリを見て驚かれた話(北海道にはカマキリはいないらしい)など、ためになる話もたくさん聞かせていただいた。
 聞き上手な方は、ほんとに感じがいい。自分のことばかりしゃべりがちな私は、今村さんの爪の垢でも煎じて飲まねば・・・。

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2010年08月04日(水)

第23回反核平和の火リレー(徳島) [平和]

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2010年07月16日(金)

【RUNNERS 9の会】オリジナル「平和せんべい」 [平和]

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 6月17日、茨木市会議員・山下けいきさんのお誘いを受けて「反核平和の火リレー」に参加してきた。その時、「ランナーズ9の会」の尼崎の酔うたろう君からオリジナル「平和せんべい」をいただいた。
 まあ、ビックリするでしょう。ランニングクラブオリジナルのせんべいがあるなんて。せんべいの説明書きは、至ってシンプル。
 「皆さんと力を合わせて、平和憲法を守っていきましょう。」
 呼びかけはシンプルでも、このせんべいを見ていると、あの手この手を使って憲法9条を守る仲間を増やしていこうという意気込みが感じられます。あらためて、「ランナーズ9の会」のすごさを認識しました。

 ところが、この少しあと、尼崎の酔うたろう君は同じ仲間だと思っていた団体から意外な応対をされたようだ。それは、6月20日の「京都反核平和マラソン」。
 「ランナーズ9の会」の掲示板での、尼崎の酔うたろう君と私とのやり取りの部分だけここに抜粋させていただいた。

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【Re:京都反核マラソンの報告】 尼崎の酔うたろう君

 神ちゃん
京都の「反核・平和マラソン」お疲れ様でした。
京都だけで7名もの「ランニングと平和を愛する仲間」が、集まられたことは立派ですね。
例年、「センモンシ」の取材があって、9ちゃんの挨拶で始まりましたね。
尼崎の酔うたろう君も非常に参加したかったのですが、主催者側から、『のぼり」を持って走る事は許可しない。』との通告があり、のぼりを「レースにおける杖=支え」と位置づけしている者として、参加を断念せざるを得ませんでした…。
京都の「反核・平和マラソン」への遠征は、終わってから仲間と風呂に入った後、ビアホール「ミュンヘン」での飲み会を楽しみにしていた者として、『のぼり」を持って走る事は許可しない。』の通告を受けたことは非常に残念です。

9ちゃん
その後、体調の方はどうですか。
来週の7月4日,11日と大阪と兵庫の「反核・平和マラソン」が開催されます。
両方とものぼりを持って走ることが許可されているので、尼崎の酔うたろう君は参加するつもりです。
練習していないので走れるかどうかは心配ですが…。

Date: 2010/06/28/09:41:14 [4607]


【Re:京都反核マラソンの報告】 パオパオ

 京都のパオパオです。
 毎年、「京都反核平和マラソン」は「SAIKOロードレース」と重なってしまい参加できていません。すいません。その代わりと言ってはなんですが、尼崎の酔うたろう君はじめ兵庫大阪勢が、助っ人として走っていただいているものばかりだと思っていました。
 兵庫や大阪で許可されているのぼりが、京都だけ不許可というのはちょっと納得できないですね。私も、これからできる限りのぼりを持って走ろうと思っていただけに残念です。
 この件についてくわしいいきさつをご存知な方がおられましたら、ぜひお教えください。

 あっ、「サロマ」の帰りの女満別空港で、「東山のトミーさん」に会いましたよ。
 彼も私と同じく残念な結果でした。また、そのあたりをブログ「パオパオだより」にぼちぼち書いていきますので見てくださいね。 

Date: 2010/06/29/14:44:05 [4609]


【Re:京都反核マラソンの報告】 尼崎の酔うたろう君

 パオパオさん
「サロマ100kmマラソン」お疲れ様でした。
今朝、パオパオさんのブログを拝見させて頂き、懐かしい想いに浸っていました。
京都のトミーさん、「オオタイサン」さんも参加されていたのですね。

走りをやめて丁度、10年になります。
10年前の「サロマ100kmマラソン」までは、2大会連続で自分なりの最低の目標は達成してしていたのですが…。
今では、ゆっくりながら10kmを走りきるのに苦労しています。

京都の「反核・平和マラソン」でののぼりの件
9ちゃんと尼崎の酔うたろう君達は昨年まで、4年連続参加していました。
昨年は大阪のかわせみさん、スリーランドさん、尼崎の酔うたろう君のものと、3本ののぼりとともに「反核・平和の尊さ」を訴えました。
主催者を含めて真にその意味がわからない人には、単に「チンドンヤ」の仲間の集まりとしか映らなかったのでしょうね。
このような経緯のようです。

尼崎の酔うたろう君、陸連公認の「篠山マラソン」、「福知山マラソン」、「加古川マラソン」で各4回ずつ、北海道の「洞爺湖マラソン」で1回持って走りましたが、1回たりとも注意を受けたことはありません。

Date: 2010/06/29/18:02:11 [4611]


【Re:京都反核マラソンの報告】 パオパオ

 京都のパオパオです。
 以前、尼崎の酔うたろう君が言っておられましたよね。
 「いろいろな人がいていろいろな考えがあるが、『憲法9条を守って行きたい』というこの1点だけで協力し合える。」
 私は、尼崎の酔うたろう君とのお付き合いはまだ浅いのですが、あの言葉を聞いたとき信用できる人だと思いました。
 今まで続けて参加してくださっている方に対して、いちゃもんをつけて排除する主催者の考えが理解できません。
 私らがしていることは、ほんまにハナクソ程度の平和運動かも知れないけど、みんなふざけてやっているわけではない。それさえ理解できないような主催者は、平和運動の「へ」の字も理解できない人たちなのかも知れませんね。
 今日は、私に似合わず(?)、ちょっとむかついてしまいました。

Date: 2010/06/29/22:52:30 [4612]


【Re:京都反核マラソンの報告 】 尼崎の酔うたろう君

 いやいやーパオパオさん
以前、教職にあられた方らしく、「ハナクソ」、「ヘ」、「むかついて」という「3点セット」のお上品さですね。

まあー本当にいろいろな方がおられるようですよ。
それがゆえに、ごく当たり前のことである「憲法9条」の尊さも訴えなければならないのでしょうね。
尼崎の酔うたろう君、お上品ながら「むかついて」などいませんよ。

Date: 2010/06/30/17:45:56 [4614]
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 私の「ムカツキ」に対して、さすが尼崎の酔うたろう君、ユーモアで返しておられます。でも、今まで4年連続でそのスタイルで参加されていて、突然の「通告」はないでしょう。ましてや、隣接する兵庫、大阪の「反核平和マラソン」では問題なしなんですから・・・。

 私の「ハナクソ」という表現はまずかったかもしれないが、私らができることは、絶対に戦争をしない「憲法9条」を守るために考え付くことはすべてやること。「のぼり」を持って走ることは、その中の一つにすぎません。

 「その、『9の会』ってなんですか。」
 「よう、聞いてくれはりました。これはね、戦争を絶対にしない『憲法9条』を守っていきましょ、というランナーの集まりなんですよ。今、こうやってここを走れるのも、『憲法9条』があるおかげじゃないでしょうか・・・」というふうに話が広がっていけば、最高です。

 小さなちがいを乗り越えて、「憲法9条を守る」という一点で結集することはむずかしいのでしょうか。私はそうは思わない。
 「絶対に、できる!」

 ねえ、みなさん。

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「平和せんべい」の包装紙は、棟方志功?

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