2018年06月09日(土)
田中泯 × 中村達也@京都美山・ゆるり [演劇]
2018年6月8日/6月9日 田中泯(ダンス)+中村達也(ドラムス)京都公演のご案内!
芒の植え付け/踊り場・叩き場
田中泯meets中村達也
地球のいのち、芽生え、悦び、讃歌を謳うことを願い、<土>を耕し<種>を蒔く。農民のように、その<産土の場>に<種>を蒔く。
いのちの捧げものとしての情動は、<うぶすな神>となって、時に迦陵頻伽となって火の輪をくぐり、時に竜神となって海原を走る。<息する惑星>を取り戻すために。
身体という森羅万象を抱えて土に向かい、<踊り>と<農業>を同義語とする田中泯と、巨と微を行き交い、<時空>を呼び起こすドラマー中村達也の<身体パフォーマンスと演奏>の10年続くプロジェクトであり、2018年度の新たな京都版プロジェクト!
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肩書きについて|about BUTOH
★田中泯の関する全ての肩書き表記についてのご理解とご協力をお願い申し上げます
田中泯は長いキャリアの中で、主に1980年代〜90年代 暗黒舞踏の創設者である土方巽に敬意を表し「舞踏公演」と銘打ったパフォーマンスを行ったことは過去に多数ございます。しかしながら、土方巽の死後 国内外問わず急速な発展を遂げてきた一つのジャンルとしてカテゴライズされた舞踏に一切の関心をもってはおりません。残念ながらこれらのことを発言し続けてきたにもかかわらず、誤った表記として『BUTHO舞踏家(ぶとうか)』または最近では『俳優』の表記もございます。近年では 本人の希望により、表記が必要な場合はすべて『ダンサー』、もしくは「舞踊家」とさせて頂いただいております。よろしくお願い申し上げます。Madada Inc.
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今日、私は寮の管理代行のバイトから朝帰り。
また、きくちゃんがしっぽブンブンでお出迎え。
家にも上がらず、そのままお散歩へ。
美山で舞踊を見るので、家を11時には出発したい。
そのため急いで商品の積み込みなのだが、例によって例のごとく、きくちゃんのじゃまし。
何とか11時ちょっとすぎに出発。
きくも、車に乗って出張に行くのに慣れてきたようだ。
かやぶき民家を改造した「ゆるり」さんに到着すると、車と人があふれていた。
駐車場はもう一杯だったので、3kmほど離れた旧鶴ケ丘小学校へ。
その臨時駐車場から会場まで車で送ってくださったのは、地元の下中さん(35歳くらいの男性)。
「今車を停めさせてもらったのは、小学校ですよね。」
「そうですけど、3年前に統合で休校になりました。」
「そうなんですか。たくさん子どもさんがおられるように見えましたけど。」
「私も子どもが3人いるんですけど、5校が1校に統合してそこに通っています。」
「5校が1校? ということは、だいぶ遠くまで通わんならんですね。」
ヨメさんが、自分らの子も統合を機に転校したことなどを話した。
美山は162号線で京都市に出るので、「花脊別所」と言ってもあまり詳しくは知っておられなかった。
「美山と言えば、私の時代には北星中学校という中学校がありましたけど・・・。」
「とっくの昔になくなりました。ひょっとして、60ちょっとくらいですか。」
「62です。」
「私の父が61で、北星中学校出身です。」
1992年4月,美山町立北星中学校、美山町立八ヶ峰中学校の2校を統合し、美山町立美山中学校開校(北星中学校の校地を使用)。
なるほど、これで下中さんのお父さんが北星中学校出身で、下中さんが美山中学校出身ということか。
「よく北星中学校を知ってられましたね。」
「名前がかっこいいから覚えてたんです。」
こういう時、私の雑記憶が役立つ。小学校から会場まで車で10分もかからなかったが、下中さんと話せてよかった。
まずは昼食。
「ゆるり」さんは、ふだんはちょっと高めのお食事処。しかし、今日は特別メニュー(1000円)で3種類の昼食を用意してくださっていた。
会場は30人規模と書いてあったのだが、私らが到着した1時ころですでに50人は超えていた。そのため、残っていたのはジビエカレーのみ。
鹿の肉が入っているカレーらしいが、カレーに入れたらどの肉もそう変わらん。
いい景色を見ながらおいしくいただいた。
あれよあれよという間に人が増え、確実に100人は超えていた。
天気はよかったのだが、風があり、Tシャツ1枚の私は寒くて仕方なかった。
予定では、2時30分から2時60〜70分。
一人舞踊を延々と1時間というのが想像もつかなかった。
2時30分、ドラムの中村達也さんが出て来られ、静かに演奏が始まった。
そしてその5分後くらい、外の池があるの右手から、着物を着た田中泯さんが登場。静かな静かな舞踊が始まった。
ドラムと舞踊が見事にマッチして、静かな動きではあるが見入ってしまった。
この間、写真を撮ってはいけないと思いおとなしくしていた。
しかし、田中泯さんが池のほうに出られてから会場の雰囲気は一変。
あの静かな動きだった田中泯さんが、樋から流れでる水を頭に浴び「踊り狂う」。
そこで歓声が上がり、一斉に観客のカメラが動き出した。
「これは撮ってもいいんですね」と判断し、私も撮影させてもらうことにした。
水をかぶった田中泯さんは別人になった。
つつじの花壇に顔を突っ込んだりして、大暴れ。
ずぶぬれになった田中泯さんは、家に入られてから、床に滑って倒れられた。これは舞踊ではなく、本気倒れだと思う。
最初の静かな動きが1時間続くのかと思っていたので、後半の展開は目を見張った。
最後のほうに、「うごごがうぎがー」みたいな呪文のような言葉が。あれがどういう意味だったかが気になる。何をおっしゃっていたんでしょうね。
一番最後に、観客席にいた小さな男の子が呼びだされドラムをたたいた。ドラマーの中村達也さんと同じ名字だったので、息子さんかと思った。でもそうではなかった。すごい子が見に来ていたものだ。
田中泯さんは、錦戸亮主演の映画「羊の木」に元やくざの役で出られていた。その時にすごくいい印象が残っていた。
京都新聞にこの公演の紹介記事が出ていた。「みかた残酷」の行きしに立ち寄れる場所・時間だったので、軽い気持ちで予約していた。しかし、思っていた以上に値打ちがあった。
また機会があれば見に行きたい。
運転手だけ、また小学校まで送ってもらった。
きくちゃんは、2時間ほど待ちぼうけ。
中途半端な時間に待たされた経験がないので、なぜ待たされているのか分からなかったようだ。
4時ごろ、会場を後にして「みかた」へ。
ほんとうは出店の準備をしに行きたかったのだが、もうだいぶ遅くなってしまったので直接宿へ。
毎年お世話になっているハチ北スキー場前の「さかえ」さん。
きくちゃんの晩ごはんをやって、かしこう寝とくよう言い聞かせて。
きくちゃんは、そんなことよりとにかくごはん。ひとの話はいいかげんにしか聞いていない。私といっしょ。
夕食はすき焼きか鴨鍋が選べた。
私はすき焼きがいいと言っていたのだが、ヨメさんは鴨鍋でお願いしていた。夜はだいぶ冷え込んでいたので、この選択は正解だった。おいしい鴨鍋、ありがとうございました。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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