2010年12月22日(水)
「うまれる」 [映画]
◎シネマトゥデイより
チェック:子どもたちの胎内記憶、妊娠、出産、そして出産と隣り合わせにある不妊や流産、死産、堕胎などの映像を通し、生まれてきた意味や家族のあり方を問い掛けるドキュメンタリー。カナダで映画制作の修行を積み、その際に手掛けた短編映画が各映画祭で評価を集めた豪田トモが監督・企画・撮影を担当。歌手として、俳優として、そして父として活躍中のつるの剛士がナレーションを務める。命の誕生をめぐる、感動エピソードに注目だ。
ストーリー:両親の不仲や虐待の経験から、親になることに戸惑う夫婦。出産予定日にわが子を失った夫婦。子どもを望んだものの、授からない人生を受け入れた夫婦。完治しない障害を持つ子を育てる夫婦。そんな4組の家族が織り成す笑いと涙と愛のドラマを通し、生きることの意味や大切さを問い掛けていく。
-------------------------------------------------------------------------------
「ますみちゃん、妊娠してへん?」
「なんでやねん!」
「『うまれる』っていう映画な、妊娠中の女の人といっしよに見に行ったら二人で2000円なんやてー。そうゆう割引があるらしいわ。」
「へー。」
「つるの剛士がナレーションやし、真樹にもちょっとゆうてみたんやけどなあ、パオパオと映画は行かんわなあ。」(真樹はつるの剛士ファン。)
ドキュメンタリー映画は、「見て終わり」とはならない。この映画も、見ながらいろいろなことを考えた。
みなさんいろいろなものを背負って生きてこられ、これから先もいろいろなものを背負って生きていかなくてはいけない。妊娠・出産はただごとではない。この映画に出てこられたご夫婦4組が、それぞれどんな問題に直面されていたかは映画を見てください。
「私一人の力で生んで、私一人の力で育ててきた」と言うのはうちのヨメさんの口ぐせ。まあ、そう言われるのも仕方ない。でも、100対0っていうことはないやろうと前から思っていた。99対1か98対2くらいは・・・。
しかし、今日の映画を見て思った。
「100対0でまちがいありません!」
私はマジメなことが大嫌い。自分の子どものことさえ、そんなにマジメには考えていないかもしれない。
結婚した当初、二人で生活できることだけでもうれしかったので子どものことはほとんど考えていなかった。私のようないいかげんな人間が、「父親」などになるのはおかしいと思っていた。(映画の中のある男性も、似たようなことを言っておられた。)結婚して5年が過ぎても子どもをつくらなかったのは、そういうこともある。
それと、子どもを育てていくということに対してしっかりとした心構えだけは必要と思っていた。映画の中でも出てきた「万が一」という言葉。映画では、お母さんの身に万が一という意味で使っておられたが、うちの場合は子どもの身に万が一という意味で。具体的には、どんな状態で生まれてきたとしても絶対に逃げ出さず育てていけるかという覚悟。うちの夫婦がそう覚悟できるまで5年かかったと言ってもいいのかもしれない。
また、これは普通の例と正反対かもしれないが・・・。
教師という仕事を辞める覚悟ができたときと父親になる覚悟ができたのが同時。このまま自分の信念を押し殺して上からの言いなりのリモコン教師を続けていけば、とても生まれてくる子に胸をはれない。本気でそう思った。
でも、今日映画を見ていて思い出したのだが、その時の私は35歳。それはまあいいとして、ヨメさんは私の6歳下なので当時まだ29歳。初めての子を生む前に、夫が「公務員を辞める」と言ってよくそれを許してくれたものだ。
そして、1991年8月に生まれたのが廉。1994年8月に生まれたのが真樹。
うーん、自分の胸に手を当てて思い出してみても、やっぱり100対0でまちがいない!
私がしたのは結局覚悟だけで、実践としては何もせず。
ただ、「万が一の子が生まれても・・・」という気持ちにはうそはない。
今自分の子たちに願うこと。
親のことなんかどう思おうと自由。ただ、親がつけた名前には誇りを持って生きてほしい。
廉は「清廉潔白」の廉。真樹は「真っすぐな樹」の真樹。いい名前ですよね。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.kyoto-carrot.com/tb.php?ID=1077
コメント
ゼファー750さん、コメントありがとうございます。
いつも、さらりとしたコメントを入れてくださるのでうれしいです。でも、(爆)って・・・。そんなにおもしろいかなあ・・・。私にあるのは、「バランス感覚」ではなく「まとまらないぞ感覚」だと思います。
「あずさ」が木の種類だとは知りませんでした。よく考えれば木へんなので当たり前ですか。
あずささんはたぶんうちの子らよりだいぶ年上だとは思いますが、名前の由来の話は何度もされたのでしょうか。「どんなに曲がっていても」がいいですね。そこを強調して話してあげてほしいです。
実は、うちの最初の子の名前で一番にひらめいたのが、「斜太(しゃーた)」。人生を斜めに太く生き抜いてほしい、と思って・・・。もちろんヨメさんに、「アホか! 」と言われました。
その次に思いついたのが、新美南吉の「うた時計」に出てくる少年、廉です。これはヨメさんも賛成してくれました。
名前に関してはなかなかいいアイデアが浮かびます。その中でもなんと言っても一番は、黒猫「あんも」。「てんあんもん事件」の年に拾ってきたから「あんも」です。
あっ、また自分のことばっかり・・・。
ところであずささんはマラソンとかは?
ふふっ!!(*^_^*)ははっ(^^♪
(爆)
「マジメな事が大嫌い」な、ぱおぱおさんが
まっすぐな名前をつける。
そこらへんのバランス感覚が、オイラがパオさんの
ブログに訪れる一番の理由だわね。
ちなみにうちの娘は「あずさ」
あずさの木はまっすぐには伸びない。
曲がる。でも折れない。毛利元就の3本の矢のように。
和弓は今はグラスファイバーが主流。
そのちょっと前は竹弓だった。
竹弓はその90%は四国産だったなあ。
四万十川のあたりではたくさん作っていたはず。
竹弓の前は本当の和弓は「梓弓」
これはその殆どが長野県で作られていた。
多分、文献はないが証拠もないが
那須与一が屋島の戦いで引いたのが梓弓!!
日本一優秀な弓は長野県でこさえてたらしい。
(この部分は長野県人の勝手な思い込み)
上高地から流れてくる梓川のあずさもちょっと
含まれている。
どんなに曲がってもいい。
折れさえしなければ。
自然を愛する子になってくれたらなあ。
そんなトコだったかな、父の覚悟は。