2020年11月01日(日)
第1回金岡陸上競技場タイムトライアル [私の陸上競技]
先週は3000mの目標が達成できたので、お昼はちょっとしたごほうびバージョン。
今日は5000mの目標達成ならず。当然昼飯抜き。
21分台には15秒も届かず。現実はきびしーい!
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9時受付開始ということだったので、家を7時20分に出発。
カーナビに「金岡公園」と入れると、8時30分に着。
「あれ、堺ってこんなに近かったっけ?」
カーナビをよく見てみると、「東大阪市」。
「なんちゅうこっちゃー、ややこしいとこにおんなじ名前の公園作んなよー。」
堺市の金岡公園は、そこから25kmほど先。
けっきょく、本物の金岡公園に着いたのは9時10分すぎ。でも、スタートが10時50分なので余裕はある。
受付はけっこう混んでいた。
メガホンで声をかけておられるのが、主催のデンソーシステムの本田さん。
参加申込でちょっとトラブってしまって、ご迷惑をおかけした。その時に配慮してもらったので、お礼だけ言いに行っておいた。
私の受付が終わって、車に帰ろうとしたとき「キャロットさん」と呼ぶ声。なんと、古くからの走友・吉川晋治さん。きっちりマスクしてたのに、なんですぐに私と分かったのかなあ。
鴨川を走っているときにすれちがったことは何度かあったが、こんな感じでお会いするのは超久しぶり。
「藤井さんに会えてよかった」と言ってくださったのがすごくうれしかった。
スタート前にアップジョグ。
前来た時にはなかった1kmジョギングコースが設定してあった。これはありがたい。途中100mごとに表示もあって、いい練習コースだと思った。
10時から1500m。
吉川さんは、1500と5000にダブルエントリー。
写真撮りに行こ―。
1500はあっという間。
スピード勝負なのでかなりきつそう。
予想していたより気温も上がり、給水所が用意されていた。
吉川さんは5分28秒。速い!
年齢は私の5つ下やそうです。
ここからまた時間があったので、もう一度アップジョグへ。
10時50分、5000mがスタート。
スタート直前に、吉川さんとのツーショットを撮ってもらった。
また、「お体だいじょうぶなんですか」と声をかけてきてくださった方もあった。私は面識がなかったのだが、京都キャロット出張販売の時のお客様で、私のこのブログもしっかり見てくださっている方のようだった。ほんとうにありがたいこと。
今回は、最初から最後まで平均的にキロ4分20秒〜25秒で行く作戦。
最初の1000m、4分16秒。落ち着いていていい感じ。
2000m、8分44秒(4分27秒)。早くも落ち込み過ぎ。
3000m、13分16秒(4分31秒)。想定タイムをオーバー。挽回せねば。
4000m、17分49秒(4分32秒)。あかん、疲れた。ラストスパート!
5000m、22分13秒(4分23秒)。
正式タイムは22分14秒。ダメダメダメ。
木曜日に一人で走った時より9秒速いだけ。無惨!
トラックの外側をゆっくりダウンジョグしていると、役員さんのお一人が声をかけてきてくださった。
「すごくがんばってられましたね。」
「あきませんわ。来月で65歳なんです。目標のタイムに届きませんでした。」
「スピード感のある走りでしたよ。」
「えっ、そうでした? ありがとうございます。」
こんなひと言がすごい励みになる。
「知らんおじいさんが走ってるのを見ておもしろいか」としか言えない人とはえらいちがい。
完走証をもらいに行くと、22分14秒で40位。
5000mは49名のエントリーだったが数名欠場。ということは、私の後ろに5名ほどでしょうか。
今日は整体系のテントも出ていた。
ちょっとみてもらいたかったけど、それよりも自分の結果がショックで・・・。
競技場の出入り口前で記念写真。
うれしくないのに笑ってる。
11時40分から10000m。
私のレース前に声をかけてくださった方が出られるはずなので、応援しに行った。
すると、スタート地点で応援されていた女性が声をかけて来られた。
「さっき(5000m)、出てられましたよね。」
「はい、思ってたタイムが出ませんでしたけど・・・。」
「私もエントリーしてたんですけど、故障してるんでやめておきました。9月20日にはトラック10000mのレースに出てたんですけどね。このごろトレイルも走ってるので、それでちょっと故障してしまって。」
「あっ、トレイルね。私も『峨山道トレイルラン』に出たあと恥骨骨折になって、長いこと大変でした。」
「深北大学ACの方に声をかけておられましたけど、お知り合いですか。」
「はい。」
「あの方、私のレースのスタート前に応援してくださったんです。」
「そうでしたか。京都キャロットさんて、神鍋でいつもお店を出しておられましたよね。毎年、そこでシューズを買うのを楽しみにしてたんですよ。おまけもいただけるのがうれしくて。私はいつもスポーツようかんをいただいてました。」
「えー、そうだったんですか。それはありがとうございました。」
私に声をかけてくださったお二人は、出張販売の時のお客様でした。お二人のお名前(岩本さんと高橋さん)を教えていただいたので、もうこれからは「走友」です。
10000mは長いので、またダウンジョグへ。
陸上競技場の北には野球用のグランドもあり、その横には感じのいい土の道が伸びていた。
行き止まりまで行ってUターン。
これで2km以上走ることができた。
戻ってくると、10000mのレースの終盤。
岩本さん、終盤も乱れないきれいなフォームです。
10000mは400mトラックを25周。
若い時は何度か出たけど、今はもう無理。たぶん、単調なグルグルに耐えられない。
10000mは25名のエントリーだったが、速い人からどんどんゴールされていくので次第にさびしくなる。これもつらい。
岩本さん、最後の1周へ。
ラスト100mもしっかり。
44分ちょっとでゴール。
ご本人的には、このタイムはどうだったんでしょう。
私の5000mのペースよりも速いペースで10000mを走られたわけです。
ゴールされてお仲間としゃべっておられるときに、「お疲れさまでした」とひと言。「写真撮らせてもらったんで、ブログにアップしときます。見てください。」
そのお応えが、「お体くれぐれもお気をつけて」です。泣けます。私、人にそんなこと言ったこともないので。ありがたい、ありがたい。
ちょうどお昼時になったが、レース前におにぎりを食べたので、今日はお昼抜きにすることにした。まあ、浮かれてたらあかんていうこと。
今まで順調に来ていたのに、最終戦でつまづいた。
まあ原因を探せばいろいろ出てくるとは思うが、一番は「やる気」がどうだっかということ。会場までの道をまちがってる時点で失格といえば失格。
1月17日に「第2回金岡公園陸上競技場タイムライアル」やらはんにゃてー。うーん、ちゃんとフォロー大会を用意してはるがなー。これは出んことには。
「次こそ、5000m21分台を!」
来るとき道をまちがい、インターチェンジの出口をまちがったので、高速代が1200円ちょっと。帰りも、まちがいついでに半分下の道で。これなら高速代が節約できて、そんなに時間もかからない。金岡公園駐車場も1時間100円なので、今回は400円。
この程度の出費なら、また来れますね。
午後2時半、自宅着。
ヨメさんは、鍼灸の施術中。
きくちゃんはぐっすり。
「みーちゃん」と呼んだら、「呼ぶくらいやったら、食べるもんくれー」と怒っていた。
「なんで怒られなあかんねん!」
このごろ、どんどん態度が大きくなって・・・。
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2020年10月31日(土)
最高心拍 [ランニング]
今日はレース前日なので、1000m全力1本。
でもせっかくなんで、こないだから気になっていた心拍数をくわしく見てみることにした。
午後6時、まずは静市交番往復3km。
ゆっくりキロ7分ペース。
平均心拍146−最高心拍171。
町内1kmウォーキング、12分くらい。
平均110ー最高144。
さあ1000m。
よく足が動いた。
「これは4分切り確実!」と思いつつゴール。
時計を見てビックリ、4分06秒。
全然あかんやん。先週より13秒も遅い。
平均152ー最高169。
最後にダウンジョグ3km、23分くらい。
平均142ー最高162。
今日は安定してたのかなあ。一度も200は超えませんでした。
歩いた時はさすがに低くなったが、速く走ってもゆっくり走っても心拍数は変わらん。
それは、ええのか悪いのか。
分らん。
1000TTが悪すぎて、ちょっとショック。
明日のトラック5000mは、最初押さえて、徐々にスピードアップするという作戦で。キロ4分20秒〜4分25秒を死守しよう。
「めざせ、5km21分台!」
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【今日のきくみー】
うちの前の道路の小さくてかわいい花と。
きくが動き回って、なかなかいいのが撮れなかった。
みーちゃん、子猫みたい。
安心しきって寝ています。
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2020年10月30日(金)
第130回勝手に国労応援ラン [ランニング]
もう30日。あと2日で11月。
今日はJR・京都駅へ。
柊野別れで2km。
時計を押すのをミスしていたので、ここでリセット。
その先から鴨川河川敷へ。
いい天気だったのに、人は少なかった。
雨がポツポツ。
東の空に虹。
散歩されている方も、みなさん虹の方を見られていた。
北大路橋を過ぎたところで5km、34分40秒。
出雲路橋を過ぎたところで、映画の撮影。
「すいません、しばらくお待ちください。」
「だいぶかかります?」
「いえ、もうすぐ終わります。」
と言われたものの、終わりそうな感じでもなかったので、上の道へ。
荒神橋西詰の喫茶リバーバンクの跡地になにか建つみたい。
丸太町橋を過ぎてだいぶ行ったところに、感じのいい道があった。
わずか200mほどだったが、鴨川河川敷を全部こんなふうにしたらいいのに。
三条大橋を過ぎたところで9km。
もう走り始めて1時間を超えた。
雨がかなりきつくなって、頭はビチャビチャ。
10km、1時間9分41秒。ずっとキロ7分ペース。
五条から先の右岸には河川敷がない。
仕方ないので、ここから上へ。
河原町七条を右折すると、京都タワーが見えてきた。
もうちょっとやー。
着きましたー、京都駅。
12.2km、1時間25分50秒。
昨日もヨメさんに話していたのだが、キロ7分ペースで走っているのに最高心拍が212。これはどう考えても高すぎる。私はほんとうは長距離に向いてないんですかねえ。
京都タワーの写真を撮ってから地下へ。
帰りは地下鉄とバスで。
雨で体がだいぶ冷えてしまった。
背中の「いらんちゃ 米軍基地!」、誰か見てくれはったかなあ。
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私のこのブログは、右横に過去の写真が3枚表示される。
先日、そこに元国労・中野勇人さんと四国八十八か所ピースランをしたときのものが出てきた。
ずいぶん前のような気がしたが、見直してみると3年前。
歳をとると、ちょっと前のことがどんどん遠くになって行くんですかねえ。
四国八十八カ所ピースラン兼第89回勝手に国労応援ラン
四国八十八カ所ピースラン・続き
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【今日のきくみー】
きくとみーがシンクロ。
おんなじかっこうでおもしろい。
きくのいいおさんぽ場が見つかった。
ここなら垣根に囲まれているので、ほったらかしにしておける。
夜ストーブをつけたら、すぐにみーちゃん登場。
「こら、ええわー」ゆうてます。
だいぶ寒がりみたい。
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2020年10月29日(木)
三線+5000m [私の陸上競技]
今日は三線教室。
イオンモール京都五条で、午後1時半から3時半。
こうなると、すぐ近くの西京極に行ってトラックを走らんとね。
以前は2時間の三線教室が、2時間のレース並みにしんどかった。でも今はへたっびな私のぺ−スに合わせて進めてくださっているので、前ほど疲れない。
行かな、行かな、トラック走りに行かな。
三線+トラック、これもバイアスロンですよね。
イオンモール京都五条の駐車場に車を置いて、西京極陸上競技場のサブトラックまで。約1.9km、12分ほど。
まだ団体さんが来ていないので、ガランとしていた。
これは走りやすい。
気温もかなり低くなり、がんばって走れそう。
今日の目標は、5km22分30秒。
次の日曜に21分台を出すためには、今日これくらいで走っておかないと話にならない。
1周400mを走ってみると、1分44秒。このペースで最後まで行けると、21分40秒なんですけどね。
200mつなぎジョグのあと、もう1回400mと思って走り出したが、「ええい、このまま行ってしまえ!」
今日は超久しぶりのトラック5000mだったので、最初はちょっと抑えめで。できるだけ平均ペースで最後まで粘る作戦。
1000m 4分27秒
2000m 9分00秒(4分32秒)
3000m 13分32秒(4分31秒)
4000m 18分01秒(4分28秒)
5000m 22分23秒(4分21秒)
よっしゃー!
合格、合格。
次の日曜も、最初を抑える作戦で行こう。
トラックを一周して、そのあと競技場などの外周を一周。
これで1.6kmくらい。
東の空に、満月に近いお月さんが出ていた。
競技場の外周もたくさんの陸上部員が走っていた。決して走りやすい路面ではないと思うのだが。
イオンモール京都五条まで約1.9km。
これで、今日は全部で11km。
あんなに痛かった左腰が、今はほとんど気にならない。いったいどういうことなんでしょう。
トラックは次で一区切りなので、精一杯力を出したい。
しっかり走ろうぜ!
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2020年10月28日(水)
きくをチラ見ラン [ランニング]
今日の午後、ヨメさんはお出かけ。
私がきくちゃん見守り係。
庭で機嫌よく歩いていたのだが、いつの間にかペタッと寝込んでいた。
「きくちゃん、庭は冷たいしおうちの中で寝ようか。」
家に入れたら、自分で寝間に歩いて行った。
でも、これで安心したらあかん。
急に起き出してウロウロして、コードに引っ掛かって動けんようになったりする。
ちょっと走りに行こうと思ったのだが、きくが心配なので、ちょっと走ってはチラ見、ちょっと走ってはチラ見することにした。
月火と左腰が激痛。
痛み止めを飲み続けていたが、今日起きたらかなりましになっていた。ところが、今度は腹痛。場所からいうと胆のうのあったところ・・・、もう取ってないのにー。
スピードを抑制するために厚着で。
今日は走れるだけでいいということで。
走り出したら、お腹の痛みは気にならなくなった。
緑の小屋があるところで折り返し。
家に帰って3km、18分47秒。
すぐにきくちゃんチラ見。
おー、1ミリも動いてへんね。
ヨメさんからは、「寝返りうたせたって」と言われているのだが・・・。
次は北側へ。
きつい坂を上って市原野保育園前。
静市交番のちょっと先折り返し。
家に帰って3km、19分06分。
もうちょい走ってもええかなあ。
町内1kmコースをちょっと速めに。
1km、5分10秒。
きくをチラ見してから、1kmゆっくりつなぎ。
また1km、今度は4分40秒。
痛みが出ず、いい感じで走れた。
最後にまた町内1kmをゆっくりと。
私が捕まえたミケちゃんがいたので、写真に撮ろうとしたら逃げられてしまった。
その代わりというか、キジの親子を発見。
子猫、もらってもらわんとまた増えてしまうがなー。
エサをやっておられる方、そのへん分かってはるんかなあ。
おかあさん猫らしき猫も、手術はしてないみたいやし。
ああ、どうしましょ。
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※昨日の私のブログの記事を受けてだと思うのだが、「日本がなんど沖縄を踏みにじってきたか、数えてみた」という記事を紹介してくださった方がある。
こういうのって、すごくうれしい。
すごく読みやすい記事だった。
沖縄が好きな人に(好きじゃない人にも)、ぜひ読んでもらいたい。
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2020年10月27日(火)
「粛々じいさん」を忘れない [沖縄]
◎東京新聞Web 2020年10月22日 05時50分
<ふたつの戦後〜菅首相と翁長前知事〜(中)>
翁長氏「米軍最高権力者と重なる」
上から目線の「粛々」使う菅氏に抵抗の弁説30分
「『粛々』という言葉を使う官房長官の姿が、米軍軍政下の最高権力者キャラウェイ高等弁務官と重なる。上から目線の『粛々』という言葉を使うほど、県民の心は離れ、怒りは増幅し、辺野古(へのこ)の新基地は絶対に建設することはできない」
◆「日本の政治の墜落」
沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は2015年4月、那覇市のホテルで菅義偉官房長官と就任後初の会談に臨み、県民の思いをぶつけた。戦後の歴史、過重な基地負担を強いられてきた実情。菅氏が「関係法令に基づき、辺野古を埋め立て、環境に配慮しながら工事を粛々と進めている」と従来の政府方針を説明したのに対し「粛々」の表現に抵抗感を覚えていた翁長氏の弁説は30分近く続いた。「沖縄が自ら基地を提供したことはない。県民に大変な苦しみを与えて、沖縄が負担しろということ自体が日本の政治の堕落ではないか」
沖縄は1972年5月の日本復帰まで米国の施政権下にあり、米陸軍将官が「高等弁務官」として絶対的な権限を持って統治。復帰運動が激化した60年代前半の弁務官が、翁長氏が菅氏に重ね合わせたキャラウェイ氏だ。63年に那覇市で「沖縄の自治は神話にすぎない」と演説し、住民の反発を強めた歴史がある
◆面会断られ続け
翁長氏は米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾市)の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設に反対し、14年11月の知事選で建設を容認した現職に大勝した。だが12月の就任後、上京するたびに安倍晋三首相や菅氏に要請した面会は「多忙」などを理由に断られ続け、4カ月後に実現したのが沖縄入りした菅氏との会談だった。会場のホテルはキャラウェイ氏が演説した米軍将校施設の跡地に立つ。
ようやく会談に応じたものの、菅氏は数カ月後の15年夏に開かれた新基地を巡る集中協議を通じ「辺野古移設は唯一の解決策」との原則を堅持。政権の大番頭として引けない立場だったとはいえ、翁長氏には訴えに耳を貸そうとしない「上から目線」に映った。
菅氏の政治姿勢を読み解くヒントは、民主党政権時代の12年に発刊された自著「政治家の覚悟」にある(今月発売の改訂版では削除)。普天間移設で「最低でも県外」と表明した鳩山由紀夫元首相らを批判。ルネサンス期のイタリアの政治思想家マキャベリの言葉「弱体な国家は常に優柔不断である。決断に手間取ることは常に有害である」を引用し「日本を『弱体な国家』にするわけにはいかない。マキャベリの言葉を胸に歩んでいく覚悟だ」との決意を示した。
◆菅氏、強い国家を意識
自民党は09年衆院選で野党に転落し、菅氏は12年の政権復帰とともに官房長官に就任した。3年間の苦渋の経験があったからこそ、強い国家を意識し、反対論には強行突破も辞さない姿勢につながっているように見える。
沖縄問題に限らず、政策や人事の決定に際し、たびたび菅氏は周辺にこう語る。「おれがやると言ったらやるんだよ」
=肩書などは当時
<ふたつの戦後〜菅首相と翁長前知事〜(上)>翁長氏「菅氏とは別の戦後を生きてきた」 似た経歴でも異なる原点 基地問題で対立
<ふたつの戦後〜菅首相と翁長前知事〜(下)>「県民同士が争う様子を笑って見ている」 翁長前知事、分断狙う政府に苦悩
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◎琉球新報Web News 2020年10月27日 11:28
「口先の『寄り添う」聞きたくない」 菅首相所信表明に沖縄県民が批判
菅義偉首相が26日の所信表明演説で「沖縄の皆さんの心に寄り添う」と強調したことについて、名護市辺野古の新基地建設に抗議の声を上げてきた市民からは「口先だけだ」などと批判が相次いだ。
「沖縄の心に寄り添う」というフレーズは、安倍晋三前首相も繰り返し用いてきたものだ。26日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で抗議の声を上げた県統一連の瀬長和男事務局長(57)は「口先だけの言葉は聞きたくない。沖縄戦の悲惨な体験や歴史をもう少し知れば、本当に『寄り添う』ことがどういうことか分かるはずだ」と不信感を募らせた。
那覇市の大城博子さん(69)は首相が辺野古の工事を「着実に進める」と語ったことに触れ「判で押したようなことしか言わない。どれだけの理由があり、そこまで辺野古にこだわるのか」と疑問視した。
宜野湾市の米軍普天間飛行場野嵩ゲート前では26日夜、ゴスペルを歌う集会が開かれた。駆け付けた市喜友名の池原順子さん(69)は「政府の姿勢は『寄り添う』とは真逆だ。沖縄のためを思うのであれば、今すぐ沖縄の人に土地や自治、人権を返してほしい」と憤った。
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菅さんのことを世間では「令和おじさん」と呼び、そう言われた本人も浮かれているらしい。
でも私は、「辺野古の工事を粛々と進める」との発言が頭から離れない。
「令和おじさん」ではなく「粛々じいさん」、いや憎しみを込めて「粛々ジジイ」と呼びたいくらい。
10月7日、総理大臣になって初めての玉城知事との会談がわずか5分。
「5分!」
ラーメンじゃあるまいし!
バカにするのもええかげんにせいと言いたい。
そして、所信表明では「沖縄のみなさんの心に寄り添って」と。
おらおらおらあー。
一応お上品が売りの私でも、もうしんぼうならん。
イージス・アショアは撤回したのに、なんで辺野古はやめられん。
やっぱり「沖縄差別」としか考えられん。
ドーンとやったれよ。
歴史に残る「辺野古新基地撤回」を!
そしたらもう、○○じいさんとか○○ジジイって言わへんしー・・・。
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