2019年01月14日(月)
きくはなんでオッサンに [わんこ・にゃんこ]
夕べ、きくはヨメさんといっしょに寝た。
明け方目が覚めて私の部屋に来ようとしたが、戸が閉まっていたので入れなかった。
今日いつものように団地内の野菜自販機で野菜を買い、ヨメさんといっしょに帰ってきた。私は先に帰り、家の前で待機。
「きくちゃん、オッサンやで」と言うと、トコトコトコとこちらに近づいてきた。
「いや、なに、きくちゃん、オッサンやったら呼ばれたら行くんか」とヨメさん。「私が呼んでも無視するくせに・・・。」
「なあー、きくちゃん。きくちゃんはほんまはオッサンのことが好きやもんなあ。」
きくはうなずいていた。(???)
子どもが二人とも離れて行ってしまったせいで、きくちゃんの取り合いが激しい。
きくちゃんは、ほんまはどう思ってるんやろう。
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2019年01月13日(日)
第45回武庫川新春ロードレース [ランニング・出張販売]
自分では全部歩いたつもり。しかし、ヨメさんは「全部走っとる」と言う。キロ7分弱で、地面から5cmくらいしか足が上がってないのに。
恥骨炎のほうはロキソニンで封鎖。ところが320gのゲルカヤノで走ったせいか、今までにできたところのないところに水ぶくれができてつぶれてしまった。
こんなに長い時間走ったのも久しぶりだったので、終盤「ふーっ」と行きかけた。速く走った方がよっぽど楽。
ハーフのゴールは2時間22分14秒。もちろん自己ワースト更新。
去年より48分も遅く、部門順位も去年の6位から63位へ。
でも、2時間半近く動き続けることができると分ってよかった。これで、来週の「名護ハーフ」は真樹といっしょに走ることができる。
真樹ががんばって、中学生の時以来となる自己記録更新の2時間半くらいで走ってくれたらいいんですけど・・・。
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去年と同じく6時20分発で7時半着。
車をテントのすぐ横に停めて置けるようになったので、出店準備が段取りよくできるようになった。
参加者合計が2000人を切っているということで、主催者側は盛り上がりに欠けるのではないかと心配されていた。
ところがかつてなかったような好天気。いつもは朝早い時間は人影まばらなのに、例年よりもにぎわっていた。たぶん、天気が悪いと参加をやめられる方が多くなる。その点今年は好天気で暖かく、「やめ率」が低かったと思われる。
そんな時、うちの出店テント裏で「ここは自転車専用道路じゃー」と怒鳴りながら疾走するサイクリストあり。
「なにそれ。自転車専用道路って、人が横切ったら怒鳴られる道路なん?」
朝からイヤな気分になったが、これは他山の石としなくてはならない。
私はランナーの代表と言うつもりはないが、私が走りながらしてしまった失態は「ランナーって、みんなあんなひどいんか」と思われる可能性はある。
一人の怒鳴り散らしサイクリストのおかげで、すべてのサイクリストのイメージがダウンしてしまうことは十分考えられる。
「しかし、前にも同じようなことが・・・。ひょっとして同じ人?」
9時15分ころ、「3kmに参加のみなさんは、9時20分までにスタート地点にお並びください」のアナウンス。
「あれ、3kmのスタートって10時とちごたっけ。」
そう思ってヨメさんのナンバーカードを見てみると、「あっ、ちゃんと9時30分て書いてあるわ。」
スタート時刻は、あらかじめ確認しておかなくてはいけませんね。
ヨメさんは大急ぎでシューズにチップを付け、ナンバーカードを付けてスタート地点へ。
「分厚い靴下しか履いてきてへんし、これで走らんなん・・・」
「ゆっくりゆっくり行ったらええやん。」
ということで、スタート前の写真。
もっこり、もっこり。
スタートゴール地点が、「京都キャロット」の出店テントのすぐ前なので便利。
パッと写真を撮ってすぐ店に戻り、20分ほどたってからまたゴール前へ。
しっかりいい写真が撮れた。
ヨメさんの3kmは22分52秒。
今日も心臓が心配だったが、なんとか持ちこたえたらしい。
お疲れさまでした。
10時10分に10kmの部がスタート。
ここには、京都走ろう会でお世話になっている岩井さんが出場。応援に行かなくては。
写真を撮ろうと、ずっと目を凝らしていた。ところが最後まで見つけることができなかった。全選手が通過したので、「見逃してしもたんやなあ」と思い戻ることにした。
その時「藤井さん!」と呼ぶ声。
「あれれ、岩井さん・・・。」
あわててシャッターを切った。
イリュージョン!
大柄な岩井さんが、私の目の前に突然現れた。天から降ってきたか地面から湧き出てきたとしか思えなかった。
ハーフの方が来られるまではヒマなので、この間に腹ごしらえ。
お隣のテントで、「ぶっかけカレーうどん」(500円)を二人分。おいしかったが、ちょっとからからった。
10kmのゴール前へ。
知り合いの中では、山本ヒデさんが一番にゴール。
次に、古くからの走友・仲井さん。
ゴール後、うちで一番高い部類に入るシューズを買って行ってくださった。どうもありがとうございました。
毎年、この大会だけは必ず出るとおっしゃっていた一(はじめ)さん。
一さんは私と同い年。年の初めにそういう大会があると、この一年が占えそうでいいですね。
私も、この大会にそんな思いを込めているところがあります。
だいぶ間があり、遠くに岩井さん発見。
今度は落ち着いて、いいアングルで撮れました。
ゴールまで岩井さんに付いて行こうと思ったが、やっぱり無理。岩井さんはキロ6分半を切るペースで、私はキロ7分ですから。
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さて、このあとは私のウオーキング挑戦。
阪神・武庫川駅近くのトイレへ。この分も入れると、全部で4kmほどのウォーミングアップ。
いつもは寒くてたまらんのに、今年はちょっと動くと汗が出る。こんなに暖かくなるとは思っていなかったので、ランパン系は持って来ていない。今日は半そでTシャツと長トレパンで。
さすがにハーフは1007人のエントリー。好天気なので「やめ率」はかなり低そう。900人くらいはいるのでは。
私はぜんぶ歩くつもりなので、最後尾へ。
そこに一さん。
一さんと握手させてもらったら力がわいてきた。同い年はなんかよろしいねえ。
ハーフは12時スタート。
スタートラインまで約50秒。
そこからの1kmが6分33秒。周りにつられず、いいペースで進めている。
4kmまで行かないところでトップ集団と対面。
「速い!」
上流側の第1折り返し(5km)で32分53秒。
スタートラインまでの50秒を除くと、キロ6分25秒ペース。
私の8km過ぎ、第2折り返しから北上してきた中嶋さんに対面。えーと、ここは彼女の12km地点? 私の1.5倍のスピードってことですね。
スタート地点に戻って10km、1時間06分01秒(33分07秒)。
この5kmはキロ6分38秒ペース。順調です。
うちの出店テントに向かって「ますみちゃーん!」と呼ぶと、ちょうどお客様がなく、こちらに来てくれた。
「ますみちゃん、写真撮って。」
「何にも歩いてへんやん。」
「いや、自分では歩いてるつもりなんやけど。両足は浮いてへんやろ。」
「浮いてる。」
「そんなことないと思うんやけどなあ・・・。」
ちょっとコースを外れてしゃべっていたので、この1kmは初めて7分を超えた。
スタート地点を過ぎて、南側に550mのところが第2折り返し。ここがちょうど中間点になる。
そして再びスタートラインを超えると残り10kmになる。
この北上コースに入ったあたりから、右足の裏がジンジンと痛んできた。これは明らかに水ぶくれ。こんなに痛いということは、すでにつぶれているのかもしれない。
15km、1時間40分16秒(34分14秒)。
この5kmはキロ6分50秒ペース。
さすがにだいぶペースが落ちてきた。
2度目の第1折り変し。
あと5km。
この先にトイレがあったので用足し。そのため、この先1kmは7分11秒かかった。
「思っていたより暑くなり、それほどほしくもなかったのに無理してポカリや水を飲む。」
これは「沖縄100K」でやってしまった失敗。体がそれをおぼえていたのか、今日も似たような状態に。最後の5kmは頭がボーっとしだして吐き気もきつかった。今後、この対策も考えなあかんね。
20km、2時間14分17秒(34分00秒)。
この5kmはキロ6分48秒。大崩れはしませんでした。
やっと残り1km。
ゴールは2時間22分台ですね。
ゴールが見えたときはうれしかった。
今日は暖かかったらよかったものの、ウオーキングで2時間20分はきつかった。
ゴール、2時間22分14秒(7分56秒)。
私のGPS腕時計の計測では21.26km。
最後尾からスタートして寄道したりしているので、正確な距離であると思われる。
ペース 6分41秒
カロリー865
平均心拍138
最大心拍183
ピッチ 165
ストライドはやっぱり90cmですね。これはランニングではなくウオーキングやと思うんですが・・・。
今年は好天気だったため、いい記録が出た方が多かったようだ。そうゆうときは、「記念にシューズとかウエアでも買って帰ろう」という方も多くなる。
「天気によって売り上げが影響する」というのには、そういう要素もあるんです。
私がゴールして20分ほどあと(2時間45分)にゴール関門。いつもはゴールしてもしばらくはゆっくりしていられるのに、今年はあっという間に後片付けの時間。
去年の私のタイム(1時間34分)よりも速くゴールされていた中嶋さんが、わざわざ話に来てくださった。
「わざとゆっくり走ることの難しさ」で意見がピッタリ合った。「普段走っていて痛くならないようなところが痛くなる」とか、「ペースランナーの仕事は我々は無理」とか。
また都道府県対抗女子駅伝の見どころについても意見が合致して、もううれしいったらありゃしない。これで、疲れも痛みも吹っ飛んだ。
中嶋さん、ジジイの話し相手をありがとうございました。
会場を出たのは4時20分ごろ。
4時半、また尼崎の「ザ・めしや」へ。
昼夜兼用ですね。
二人とも鍋を食べたのだが、ライン登録で鍋が100円引き。登録はヨメさんだけなので、ヨメさんの分だけの値引きかと思ったら私の分も。二人で200円引きで、1900円ちょっとのお支払い。だいぶお得な気分にしてもらいました。
家に着いたのは6時50分。
今日は、きくちゃんも待ちかねていたみたい。首が変な方向に・・・。
去年の最低売り上げよりは少しだけ持ち直した。
やっぱり天気ですねえ・・・。
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2019年01月12日(土)
「チマチョゴリ」 [演劇]
◎朝日新聞1月9日夕刊・葦−夕べに考える−
門出の一人芝居「チマチョゴリ」 中野晃(論説委員)
大阪朝鮮高級学校に通う姜河那(カンハナ)さん(18)には、ふたつの「制服」がある。校内で着用する民族服のチマ・チョゴリと登下校時に着替えるブレザーなどだ。
「チョゴリは朝鮮学校生のあかし。そのままで通学したいですが、怖さも感じます」。姜さんの言葉に、はっとした。
1990年代、北朝鮮の核開発疑惑などが浮上するたび、無関係の朝鮮学校生が各地で登下校中に暴行されたり、制服を刃物で切り裂かれたりした。99年ごろから通学用の「第二制服」が導入されて約20年。社会の排他的な空気はよどみ、朝鮮学校生が感じる「怖さ」は増す。
姜さんは幼い頃から、母が主宰する在日コリアン劇団の公演で日韓の舞台に立った。韓国で難関の国立芸術系大学に合格し、春にはソウルでの生活が始まる。
「演じることで社会を変える」俳優になるのが夢。旅立ちを前に、母の体験もこめた一人芝居に地元で挑み、訴える。
「堂々とチマ・チョゴリが着たい」
公演は11、12日の計3回、東大阪市立荒本人権文化センターで。問い合わせは「劇団タルオルム」へ。
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昨日から今日の朝にかけて、寮2の24時間バイト。
恒例、朝日・日経の2週間分のチェックをしていた。
その時私の目に留まったのが、「門出の一人芝居」の見出し。
「チマチョゴリか・・・。」
現在朝鮮高級学校3年のカン・ハナさんが演じる。そしてこの春ソウルの大学に進学され、たぶん当分日本には戻られないだろう。
ここまで読んで、「こら、行かな!」と思った。
今日は明日の「武庫川新春ロードレース」出店の荷物積み込みをしなくてはならないのだが、13時からの公演の分なら何とか行けそう。
うちから会場である東大阪までを調べると、バス・地下鉄・近鉄を乗り継いで1時間50分くらい。車で行くと1時間10分くらい。近くにコインパーキングがあるかどうかは分らなかったが、車で行くことにした。
10時40分くらいに家を出て、第二京阪を通って東大阪市へ。実際、1時間10分で到着。お昼ごはんを食べる時間があったので、近くのラーメン屋さんへ。
会場の「東大阪市立荒本人権文化センター」に戻ったのは12時半ころ。
受付に行くと、ほとんどの方が事前予約で、当日受付はほとんどおられなかった。(私が当日1番で、そのあと2名のみ。)
「事前予約の方が先に入場されて、当日受付の方はそのあとの入場になります。もしかしたら座れなくて立ち見になるかもしれませんが・・・。」
「(股関節炎で立ち見はきついなーと思いつつ)、あっ、全然だいじょうぶですよー。」
事前予約の方々が次々と。受付をされている方たちのお知り合いの方が多い。私のように京都からの参加なんて異色のようですね。
ひと通り入場されたあと、「当日受付の方、どうぞ―」と招き入れられたところは一番前のかぶりつき。地べたに小さなざぶとんが敷いてある。
「おっ、これは意外といい場所かも・・・。」
◇ ◇ ◇
会場でいただいたチラシより
「劇団タルオルム 一人芝居 『チマチョゴリ』」
作・演出/金民樹 出演/姜河那
私の名前はカン ハナ。朝鮮学校に通う高校3年生。―――――――――――私たちには、制服が2着あります。
母から聞いた、昔本当にあった話や、近所に暮らす在日コリアンのおばさんの話など、チマチョゴリにまつわるエピソードを織りまぜながら、18の少女の想いを綴る、小さな小さな一人芝居
■劇団タルオルム
日本語と朝鮮韓国語で芝居をするバイリンガル劇団。大阪を拠点に活動しながらも、日本全国にある朝鮮学校や、日本学校での公演を精力的に行っている。韓国国内での招聘公演も多数。主に在日コリアンのルーツを辿る作品や、伝統文化の歌や楽器を取り入れた作品を創作している。
◇ ◇ ◇
午後1時、まず最初に主催者からのごあいさつがあった。あとで、カン ハナさんのお母さんがこの劇団の主催者であることが分かった。あの方がお母さんだったのだろうか。
そして、一人芝居「チマチョゴリ」が始まった。
暗闇から出てきてスポットライトを浴びたカン ハナさんは、チラシの何倍もかわいくて美人。しかし、「63歳のジジイが、18歳の女子高校生を凝視していいものだろうか」という気持ちになった。凝視はできない。沖縄で言う「すーみー(チラ見)」ですね。
内容については、もう何も言うことなし。素晴らしかった。どう素晴らしかったかは、見てもらうしかない。
高3の子が一生懸命演じているだけでも◯。それが自分や自分の家族に深くかかわるテーマであることも◯。
ええもん見せてもらいましたわー。
ただ誤解してほしくないのは、アマチュアががんばっていたという評価ではない。きっちり観劇料を取るプロとしていい評価を与えたい。
私なりに考えた評価の観点は、「感情表現の上げ下げ」と「間の取り方」。このどちらも高い点があげられると思う。
公演後のアンケートに、「ソウルの大学に進学されたら、あまり日本に戻られることないかもしれませんが、戻られてまた演じられるときには必ず見に来ます」書いておいた。
その日を待ってます!
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2019年01月11日(金)
28年目の29回忌 [家族]
今年は母の命日の「母供養ラン」ができない。
今日は、早朝から寮2の管理代行のバイト。明日の朝まで寮に缶詰。
せめて少しは思い出話を。
1991年1月11日の明け方、私の母は亡くなりました。
1925年(大正14年)3月生まれなので、65歳でした。私が今63歳なので、あと2年で追いつくということですね。
当時私は35歳。小学校の先生になって12年。結婚して6年。やっと子どもを育てていく気になって、そのちょっと前にヨメさんの妊娠が分かったばかりの頃でした。
母はまだまだ生きるものと勝手に思い込んでいましたが、最後はあっけなかった。そのあと残された父が、「泣いてたまるか」という感じで一人踏ん張っている姿ばかりが思い出されます。
その姿を見ていて、「愛情」について考えさせられました。父と母、二人が結婚できて、40数年いっしょに暮せたことは幸せだったにちがいない。
私は父のようなまねはできないし、うちの夫婦も父と母のようにはなれていない。もう結婚して33年が過ぎたんですが・・・。
「こうじばっかり甘やかして・・・」と私が小さい時、よく姉や兄が言っていました。
そら、4人兄弟の末っ子やから親は甘やかすやろう。上の子から見たらそれが顕著でも、末っ子は何の意識もない。まあ、大事にされて当たり前てな調子ですかな。
愛を与えるほうは力が入っていても、もらうほうはほぼ何も感じとらんちゅうのが世の常でしょう。
母の教えの最たるものは、「なにくそ、がんばれ!」ですね。
その反動か、私は「絶対にがんばらない人間」に育ってしまいました。「一番嫌いな言葉は『努力』です」と言って、よくヒンシュクを買っていました。
たいそうなと思われるかもしれませんが、ほんとうに努力した経験がない。唯一の例外は眞寿美さんと結婚するとき。人生で一度だけがんばって、両親に話をしました。
ヨメさん曰く、「がんばらんでよかったのにー。」
なんちゅうことゆうんじゃい!
天国のおかちゃんよ、ヨメさんに雷落としたって落としたって。
早う、愛妻と愛犬が待つ我が家に帰りたいわー。
(実態は迷惑がられとるだけやけど、妻からも犬からも。)
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2019年01月10日(木)
薬物依存 [病院]
12月27日(木)以来の整形外科受診。
この間、症状が悪化したのに薬がなくて苦しんだ。年末年始のややこしい時期に突入という意識がまったくなかった。
しかし、2週間ぶりにお会いする小西真奈美似のK医師が一段とお美しくなっておられたのがよかった。年末年始お休みで、ちょっとゆったりできたのでしょうか。ジジイの視点は、自分の症状回復より美人医師ウォッチ。
呆れてものが言えんでしょ。
今日はまず最初にリハビリ室へ。
ガッチリタイプの理学療法士のHさんから、「その後どうですか」と聞かれた。
「あのあと痛みが治まっていくと思ってたら、12月30日にいなかの餅つきに行きまして、その時冷えたのか翌日から痛みがぶり返しました。」
「餅つきって、どちらで。」
「鞍馬の奥に花脊ってとこがあるんですけど、そこが私の実家なんです。97歳の父を喜ばすために、一族みんなでやってますねん。今年は41人集まったらしいです。」
「すごいですね。私も実家が京北町で、餅をつきに帰りました。50kg。」
「私はついてないんですけどね。たぶん零下やったと思うんですよ。そこに3時間ほどいましたから。それでまた痛みが出てきたんかなあと思ってるんですけど・・・。」
私が「痛む場所が恥骨あたりに変ってきた」と言うと、あちこち押したり引いたりして「確かにそうですね」と。
「痛かったら言ってください」と言って、私の足を広げて行かれた。
「イテテテテ、そこ痛いです」と言ったら、「ここは単に体が硬いだけー」と言われた。二人で大笑い。リハビリ室で大笑いは不謹慎だったでしょうか。
このあと整形外科へ。
また痛みがぶり返してきたと言うと、ベッドに寝かされ、下腹部のあちこちを押された。
「イテテテテ・・・(そんなきつう押さんでもええやろがー)。」
「ここまで痛みが長引くと心配ですので、MRI撮っておきましょう。2週間後が空いていますので。」
「前は鼠径部が痛かったんですけど、今は恥骨のあたりが痛むんです。恥骨炎ですかねえ。」
「骨の炎症というより、その周りの炎症ですね。」
「そうですか(たぶん、これを「恥骨結合炎」と言うんやろうね)。」
「痛み止めの薬、出しておきましょう。」
「ロキソニンって、続けて飲むのはあんまりよくないって聞きましたけど・・・。」
「痛みがないのに飲み続けるのは良くないですけど、痛みが続く場合は飲んでください。痛みが引かないと、ストレッチもできないでしょう。」
ほんまその通り。今まで間引きして飲んでいたけど、これからは痛みが続くときは飲み続けよう。「くしゃみで股間爆発」はつらすぎる。
薬物依存になったらあかんけど、今は痛み止めの薬に頼らなしょうがないですね。
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【RUN】
病院から帰って、すぐにロキソニン服用。
午後3時過ぎ、「だいぶ薬が効いてきた。早歩きできるかな」と外へ。
初めは恐る恐るだったが、次第に歩けるようになった。
自宅から団地内を通ってセブンイレブンへ。そこからバス通りをぐるっと回って帰ってくると1kmになる。これが11分ちょっと。
家に戻ると、きくのおざぶにデカ猫。
きくは午後は出社拒否しているので、すぐ近くで寝ているのに気づかず。
「ざぶとん、とられとんでー。」
せっかくなんでGPS腕時計を取って来て、さっきのコースを2周。
2km、21分09秒。
ペース 10分35秒
カロリー148
平均心拍127
最大心拍154
ピッチ 125
ここから計算したストライドは76cm。小股歩きですね。
痛みが出なかったので、今度はもう少し速く。北稜高校前踏切往復2km。
2km、12分54秒。
ペース 6分57秒
カロリー125
平均心拍151
最大心拍171
ピッチ 161
ストライドは90cm
今はこのあたりが限界。
しかしキロ7分で進めたら、ハーフは2時間28分。真樹といっしょに走るのなら、まだ余裕があるくらい。よしよし。
デカ猫は、堂々と寝たまま。
「いつでも来たらええねんで。きくは気づいてへんから。」
ウオーキングの困るところは、体が全然温まらないこと。
私は暑がりで、ちょっと走ったらグローブなどもうっとおしくなる方なのだが、ウオーキングはあかん。さぶさぶや。今日は、前に廉に買ってもらった分厚い手袋までしてウオーキング。
早う薄着になってバンバン走りたいなあ・・・。
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【今日のきく】
ウオーキング中にお腹ゴロゴロ。
家に帰ってトイレに入っていると、ドアの隙間に手を入れてシラーっとのぞき込む・・・、きくちゃんかーい。
きくちゃん、オッサンよりこのデカ猫を気にせえよ。
よその家の縁側でリラックスしとるなあ。
きくの夜散歩。
おっ、いつものネコだまりにかわいいネコちゃん。
オッサンが立ち止まって写真を撮っていても、気にせずスタスタ進んでいくきくちゃんでした。
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2019年01月09日(水)
恥骨結合炎? [病院]
ずっと股関節炎だと思っていたが、痛みが鼠径部から恥骨結合部に移ってきた。今は鼠径部はほとんど痛くない。恥骨前部分に集中。これはどうも「恥骨結合炎」というものらしい。(また、極まれな2%の部位に入ってしまったか・・・。)
ロキソニンを飲んでいるときは痛みがましなのだが、それでもくしゃみをすると「股間前で爆弾炸裂」くらいの痛み。この痛さは、だれにも分かってもらえないでしょうね。
くしゃみが出そうになると、鼻を揉んで食い止めたり、抑えきれずに出てしまうときはお股を押さえる。
「おっ、これは『カズダンス』のポーズやん!」
これは、恥骨結合炎で悩んでいる人に教えたげなあかん。
「カズダンスのポーズで、くしゃみの時の痛みがましになるよー。」
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◎恥骨炎(恥骨結合炎)の症状と原因
■恥骨炎(恥骨結合炎)とは?
恥骨結合炎とは、左右の恥骨を結合する軟骨円板の運動ストレスによる炎症であり、スポーツによって発生することが多い障害です。 左右にある恥骨を結合させる軟骨円板の炎症です。
「恥骨結合」は、左右2つの恥骨がクッション機能を果たす軟骨円板により結合し、ちょうど陰部付近にあたる体の中心に存在します。
ランニングやキック動作などを繰り返すことで、恥骨結合の軟骨円板に捻れや、また恥骨に付着している大内転筋、腹直筋、薄筋などの牽引力によるストレスがかかり、炎症が生じます。
サッカーやマラソンなど足をよく使うスポーツでは、軟骨・靭帯・腱に継続して負担がかかるので、痛みがでてきます。 恥骨結合炎が生じると、慢性化して治りにくくなる事もあります。(出典・神戸六甲道カイロプラクティック)
■恥骨炎(恥骨結合炎)の症状
最初は、軽い痛みがおなかや股のつけ根、内ももの筋肉に起こる。次第に股のつけ根、恥骨結合部に痛みをはっきりと感じるようになり、この部分の骨の表面を押すと激痛がある。運動時にも激しい痛みがあり、プレーを中止してしまうことが多い。
恥骨前面、内転筋に一致した運動痛、圧痛、時に鼠径部や大腿内側、腹部にまで放散する疼痛が特有です。慢性化すると鼠径部が常に痛みます。特に下肢を伸展して挙上、外転する動作で誘発されやすく、股関節の可動域制限、筋力低下が見られます。
サッカーのインサイドキックは、過剰な筋収縮、隣接関節の過剰な運動を誘発しやすい為、症状悪化の大きな原因になります。
■恥骨炎(恥骨結合炎)の原因
おもな原因は直接的な打撃による衝撃と継続的な負荷。具体的にはラクビーやサッカーなど接触・激突の多いスポーツで衝撃を受けた場合、あるいはランニングやキックなどによって恥骨の結合部に継続的に負荷がかかった場合に起こりやすくなっています。
症状は体を動かした時の痛みのほか、慢性化することによってそけい部や大腿内側や腹部に疼痛が発症する場合もあります。さらに筋力が低下したり、股関節の可動域が制限されてしまうといった問題も起こりえます。
▼恥骨炎(恥骨結合炎)の治療法
急性期例や発症後半年以内例では、保存療法が第1選択です。疼痛が強い場合は、約2週間のスポーツ休止が必要です。疼痛部位の局所安静(ランニング、キック禁止)、アイシング、時に温熱療法(ホットパック)、消炎鎮痛剤投与、ステロイドホルモンの局所注射(多用否)などが用いられますが、長期的には運動療法が奏功します。
初期のリハビリテーションは股関節の外転可動域訓練、筋力強化、内転筋のストレッチングから開始して水中歩行、エアロバイクによる免荷訓練、その後ジョギング、2ヵ月でボールキック練習を行います。疼痛が消失したからといって、いたずらな早期復帰はかえって再発を繰り返します。慢性化すると長期間(2〜3ヵ月以上)スポーツ休止を余儀なくされるので注意を要します。(出典・ザムスト)
可動性、安定性、協調性の問題を評価し、それを修正するアスレチックリハビリテーションを行います。マッサージ、筋力訓練、協調運動訓練などが基本です。詳しくはスポーツ医にご相談ください。
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今日は寮1の管理代行17時間。
朝方すごい吹雪だったので、表に出て写真を撮ってみたが、雪は写りませんね。
股間の痛みは痛み止めの薬を飲めば治まるが、やめるとぶり返す。
おかしいと思ったのが12月19日で、今日でちょうど3週間。この間の痛みのレベルを思い出してみた。
痛み
12月16日(日) 0 「沖縄100Kウルトラ」に出場、86km関門収容。
17日(月) 0 名護でゆっくり。
18日(火) 0 沖縄から京都へ。
19日(水) 5 寮1のバイト。朝から鼠径部がおかしく、次第に痛みが増す。
20日(木) 10 痛みマックス。整形外科受診、ロキソニン処方。
21日(金) 7 薬がよく効く。
22日(土) 6 出張販売の荷物積み込み。
23日(日) 5 「万博クロスカントリー」販売。
24日(月) 4 「鴨川ゆっくりラン」。ウオーキングするかと思ったがやめた。
25日(火) 3 年賀状作り。
26日(水) 3 寮1のバイト。
27日(木) 2 整形外科受診、リハビリ開始、薬終了。
28日(金) 2 寮2の24時間バイト。
29日(土) 1 私は朝帰り。廉彩夫婦、真樹が帰省。
30日(日) 2 いなかで餅つき。
31日(月) 5 プチ家族旅行。痛み再発。
1月 1日(火) 8 ロキソニンがないので、イブ服用。
2日(水) 5 出張販売の荷物積み込み。ちょっと痛みがましに。
3日(木) 9 「新年走ろう会」4kmウオーキング。夜に痛みマックス。
4日(金) 6 薬屋さんでロキソニン購入し服用。
5日(土) 5 寮1のバイト。
6日(日) 4 「京都走ろう会」3.1kmウオーキング。
7日(月) 10 薬をやめたらてき面。痛みマックス。ヨメ「痛ストレッチ」。
8日(火) 5 薬を飲んだら楽に。9kmウオーキング。「痛ストレッチ」。
9日(水) 7 寮1のバイト。今日も薬なし。
走暦37年になる私だが、股関節周辺の痛みは初めて。
直接の原因は12月16日の「沖縄100Kウルトラマラソン」。
しかし、その2か月前の10月14日の「峨山道トレイルラン」。あの時、本来は得意であるはずの下りが、足腰が痛くて全然走れなかった。そのころからおかしかったんですね。
もっともっと原因を追究すると、ズバリ「老化」。
ヨメさんから、「自分の歳考えや、としー」と言われた。その通り。
去年「沖縄100K」を制限時間内完走できたもんやから、もっとできると勘違いしてしもたんやね。
63のジジイやから、そら筋力も落ちとるわな。そこからいろんな歪みもくるわな。
小西真奈美似医師が言われた通り、今からでも「筋力付けて体重落としたら」何とかなりますかねえ・・・。
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【今日のきく】
今日もバイトから帰ってきたのは夜12時前。
玄関を開けると、廉の部屋で寝ていたきくがガバッと起き上がった。私は家にも上がらず、そのまま「きく散歩」へ。
またいっしょに写真撮ったけど、きくはまともに前を向いてくれんのよねー。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 1 )
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