パオパオだより

2018年12月01日(土)

村松流走法 [ランニング]

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 「沖縄100K」まであと2週間。もう仕上げの時期。
 そろそろ村松流走法の練習をしなければ。

 世界的に有名なウルトラランナーである村松達也さんは、以前は「初めから歩きを挟むラン」を実行されていた。27年前にその話を聞いた私は、「それはいい」と思いつつ真似をすることはできなかった。
 やっと今ごろその走法を練習し、少しずつ身に着くようになってきた。

 私の場合は、最初5km走って5分歩き。次は10km地点まで走り5分歩き、その次は15km地点まで走り5分歩き。この繰り返し。今年の「沖縄100K」も、できる限りこのパターンで走り続けたい。

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 まずは東北部クリーンセンター往復5km、34分24秒。
 キロ7分近くでゆっくりと。

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 次に十王堂橋往復5km。
 ここでまず5分歩き。470mくらい。
 これで、この1kmは8分44秒。

 あとの4kmはキロ6分40秒くらいで行き、5km35分22秒。

 自宅前に戻って、5分歩き。また470mくらい。
 あとは町内をぐるぐる。
 8分37、6分45、6分57で3km22分20秒。

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 5kmラン
 0.5kmウォーク+4.5kmラン
 0.5kmウォーク+2.5kmラン
 これで13km1時間32分08秒。平均にするとキロ7分05秒。
 ちょっと速すぎる。

 4.5kmをキロ7分で走り、0.5kmを5分で歩く。これで5km36分半。5km40分まではだいじょうぶなので、前半はできる限りこのペースで行きたい。
 後半崩れても、平均5km40分を超えないようにがんばれば100km800分(13時間20分)。
 今年はここらあたりを目標にしたいなあ。

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【今日のきく】

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 また出社拒否のきく。
 ゴソゴソと音がすると思って見に行くと、廉のベッドを掘っていた。

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 私のお昼はあんかけうどん。
 きくは「なんで人間だけ昼ごはんがあるんかなあ」とうらやましいみたい。

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 「ごめんねー」と言いながら、私はパクパク。

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 「あー、やってられん。寝とこー」という感じなんでしょうかねえ。

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2018年11月30日(金)

八瀬大原静原ラン [ランニング]

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 今日は、ちょっと長めの距離をゆっくりと。
 いつもと同じところはおもしろくないので、八瀬大原静原を左回りに。

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 ふつうは岩倉から上高野の花園橋まで行って、そこから川沿いに北上する。しかし最短距離で行きたかったので、叡電の線路を横切ったりして近道。
 高級マンション(?)の「八瀬離宮」前で5km、31分15秒。

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 付近の山は紅葉がきれいだった。

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 ここらあたりもたくさんの倒木。9月4日の台風にやられたものと思われる。

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 「土井のしば漬け」前から分かれ道を左に。

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 大原記念病院前で10km、1時間03分51秒(32分35秒)。

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 江文神社前を左折して江文峠へ。
 ここからの上り坂はけっこうしんどかった。

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 江文峠にある金毘羅大権現前で記念撮影。
 上着を着ていたのは最初の2kmだけ。あとはずっと腰に巻いて。こんなことなら、初めから着て来なくてよかったかな。

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 静原の山もえらいことになっている。

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 静原御旅町の静原神社で15km、1時間35分18秒(31分26秒)。

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 自宅前で20kmにちょっと足りなく、町内1ブロックをぐるっと回って20km、2時間07分15秒(31分56秒)。

 楽しく楽に走れました。
 昨日擦りむいた足の甲はちょっと痛かったけど・・・。

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 玄関を開ければ、きくが「ふぁーあああ・・・」。
 「オッサンは走ってばっかりかー。ちょっとはきくもかまわんかい!」と言いたいんでしょうね。

 「これから、いっぱいお散歩に行ったるから。」
 「よし、よし。」

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2018年11月29日(木)

第107回勝手に国労応援ラン [ランニング]

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 遠出するのがおっくうで、今回もJR京都駅へ。
 一応、「ランナーズ9の会」Tシャツの上に「いらんちゃ 米軍基地!」ジャンバーを着て。

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 3時20分、自宅スタート。
 京都精華大越しに比叡山が見える。

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 京都駅への一番の近道はどこでしょうね。
 とりあえずは、圓通寺の裏を通って深泥池へ。

 深泥池方面にはめったに行かないのだが、またもや姉に遭遇。

 「よう会うなあ。」
 「どこ行くん?」
 「マラソンの練習。今年、もちつきあるんかな。」
 「どうやろなあ・・・。」
 「にいちゃんに聞かなあかんな。」

 ここらでまだ2kmなのだが、もう暑くなってきてジャンバーを脱いで腰に巻く。

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 葵橋に出て、そこから河原町通を南下。

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 府立病院(京都府立医科大学付属病院)前通過。

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 河原町御池から南は人だらけなので、ここを右折。

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 京都市役所は工事中のようです。

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 寺町京極を南下することにしよう。

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 ここも人が多く、走りにくい。
 途中からもう一筋西の御幸町通へ。

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 そこからもう一つ西の高倉通へ。

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 東本願寺の飛地境内地である渉成園。

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 そこから東本願寺へ。

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 京都タワーが見えると、その先が京都駅。

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 自宅より11km、1時間06分30秒。
 キロ6分ペースでずっと走れたということ。

 ここから地下鉄に乗って帰ってもよかったのだが、せっかくなんでもうちょっと走ろう。

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 塩小路通を東へ。
 ここが「崇仁新町屋台村」。もっと広いところだと思っていたが、こじんまりしていた。

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 塩小路橋到着。
 河川敷に下りかけて気づいた。たしか、西側はつながっていないところがあった。

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 塩小路橋を渡っているとき、JRの電車が上下とも通過。
 あわてて写真に撮ったけど、よく分かりませんね。

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 鴨川の東側河川敷へ。

 足がシューズに擦れて痛くなってきたので、目標を河合橋に。
 そこまで走って、叡電・出町柳駅から電車に乗って帰る。

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 河川敷は北風が吹き、ちょっと走りずらかった。

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 河川敷もあちこち紅葉していてきれい。

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 叡電・出町柳駅到着。
 5.73km、35分半。
 帰りはキロ6分10秒ペース。北風に負けず、よく走りました。

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 10分ほど待って「市原行き」が発車。

 京都精華大前駅で降りて、自宅まで0.5km。
 これで全部で約16.8km。

 今日はお気に入りのソックスが見つからず、いつもは履いていないソックスで走った。そのため足の甲がすれて、赤くはれていた。ソックスの選択も大事ですね。

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2018年11月28日(水)

ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃー [私の好きな人]

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<大阪マラソン>ゴールし石田靖(左)に涙ながらに抱きつく末成由美 

◎スポニチアネックス 11/25(日) 16:56配信

   【大阪マラソン】71歳・末成由美が初マラソン完走 終了間際に…「これでビールが飲めるわ!」

 「第8回大阪マラソン」が25日、大阪城公園スタート、大阪・南港のインテックス大阪前をゴールに開催され、吉本新喜劇の末成由美が71歳にしての初マラソンを完走した。

 6時間49分52秒と競技終了間際のゴールに、沿道で応援していたギャラリーも大騒ぎ。関係者が差し出した車いすも拒否し、ゴール後もしっかりした足取りでゴール後のイベントにも参加した。

 今大会に出場しようと決めたのは今夏。家でルームランナーを使ってのウオーキングは日課にしていたが、ランニング経験はほぼゼロ。1キロ走から始め10月に13・5キロ走ったのが最長でレースに挑んだ。この日も2キロ過ぎから左足ふくらはぎに違和感を覚えたが、沿道に駆けつけた後輩芸人やファンの声援に後押しされ「完走しないと意味ない。“くっそー!”って気持ちよ」と、根性で走りきった。

 「これでビールが飲めるわ!」。風邪をひいても熱が出ても毎日のようにビールを飲むという末成が、レース前1週間禁酒。「ゴールした瞬間?うわ、これでビールが飲めるわ!と思たね」。スタート前はいつもより気合が入っていたという化粧も、すっかり落ちていたが肌はピカピカ。最後も周囲を笑わせるほど元気だった。
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 設楽悠太の2時間6分11秒のマラソン日本記録を、大迫傑が2時間5分50秒に更新。今年のマラソン界の話題はこれで打ち止めかと思われていたが、ある意味大記録が生まれた。

 71歳の吉本新喜劇団員の末成由美さんが、大阪マラソンを6時間49分52秒で完走。「やってくれよったなあ」と、もうただただビックリするばかり。

 私にとっては、設楽・大迫より末成由美さんのほうが上。
 末成由美さんは元々好きだったが、今回のマラソン完走でますます好きになってしまった。
 こんな快挙が見られて、癌告知2年で死なんかってよかったと思った。(たいそうか?)

 関西以外の人は、末成由美さん知らんにゃろなあ。
 「ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃー 」ってなんのこと、ちゅう感じやろなあ。みなさんに見ていただきたいなあ、あの素晴らしいギャグを。

 ちなみに、私の一番好きな末成由美さんのギャグは、「アホちぃゃ〜う?」です。
 よう使わせてもらってます。

 あっ、それから、末成由美さんとうちのますみさんとは同じ3月1日生まれでした(15歳ちがい)。共通点あるかなあ・・・・

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2018年11月27日(火)

1.5か100 [ランニング]

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 さて・・・。
 もうすぐ12月。2018年もあと少し。

 私にとって12月は、「亀岡1.5km」からの「沖縄100km」。
 「短いのか長いのか、どっちがしたいねん!」とよく言われる。
 その答えは、「どっちもよー。」

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 まあ100kmのほうは、今までの貯金で何とかなるんじゃないでしょうか。
 それより、やっぱり1.5km。2年連続で、「同い年最強」の北出さんに惜敗している。そろそろいわしたらんとなあ・・・。

2016 1位 北出 5分37秒
     2位 藤井 5分41秒

2017 1位 S  5分42秒
     2位 A  5分48秒
     3位 北出 5分49秒
     4位 藤井 5分51秒

 もうちょいがんばったら、何とかなりそうな・・・。

 今日はストレッチパンツというのを履いてい、宝が池のコンクリトラックへ。
     

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 北稜高校のイルミネーションが始まった。
 バス通りからしっかり見えるので、値打ちがある。

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 コンクリトラック到着。
 3km、17分17秒。

 今日はしばらくしていないスピード練習。
 1000m、4分16秒。おそっ! 
 300m歩きを挟んで1000m、4分06秒。まあまあやね。
 また300m歩きを挟んで1500m、6分13秒。いいんじゃないでしょうか。

 相変わらず左のお尻が痛く、左足が上がらない。なんとかなりませんかねえ。

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 今日は「レンブースト」で走ったのだが、コンクリを底の薄いシューズで走るときつい。
 やり過ぎないように注意。

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 帰りも北稜高校前でパチリ。

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 帰りの3kmは、19分24秒。

 今日は3+1.3+1.3+1.7+3で10.3km。

 これで100kmの練習にもなってませんかねえ。
 なってませんわねえ。

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【今日のきく】

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 朝帰りからのお散歩。
 本道は7時までの勤務なのだが、引き継ぎが早く終われば早く帰らせてもらえる。昨日は何の問題もなかったので、6時40分くらいにバイト先を出発。

 15分くらいで家に到着。即「きく散歩」。
 まだ7時前。

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 これからどんどん寒くなっていくけど、それでも「朝散歩しよう」と誘ってくるのかしらん。

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 私は朝帰りの日はずっとダラダラしてしまう。
 それを見てか、きくもダラダラ。出社拒否。

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 オバサンの説得にも応じない。

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 夕方やっと出社。
 勤務は1時間ちょっと。
 重役待遇です。

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2018年11月26日(月)

ウチナー(沖縄)とヤマト(本土) [時事]

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◎朝日新聞11月24日朝刊

   【平成とは あの時14】 沖縄と本土 広がる隔たり
                       
                       編集委員 真鍋弘樹(52)

 沖縄の負担軽減が目的だったにもかかわらず、当の県民の意思を押し潰して県内に新基地建設を強行する。米軍普天間飛行場の返還計画は、本来の目的を見失って迷走を続けた。この20年余で、日本本土と沖縄の隔たりは繕いがたいほどに広がった。

 ■基地移設交渉、元名護市長の執念
 自分の身をぎりぎりと削りながら政府と向き合っているのだろう。あの時、そう感じた。
 明らかに酒臭かった。名護市の故・岸本建男市長に、いわゆるぶら下がり取材をしていた時のことだ。
 沖縄でサミット(主要国首脳会議)が2000年に開催された翌年、当時も焦点は名護市の東海岸、辺野古だった。
 群青のサンゴ礁をつぶし、どんな工法で、どれほどの規模の新基地を造るのか。数カ月に一度、首相官邸で行われる早朝の会合に、地元市長として出席する。会議後、ICレコーダーを口元に近づけて質問をすると、ぷーんと酒がにおった。
 眠れない、と市長時代はいつもこぼしていた。そう妻の能子(たかこ)さん(70)に聞いたのは10年以上も後だった。若き日は市職員として基地反対の立場だった。そんな岸本氏が市長となり、1999年に基地受け入れを表明すると、反対派は「変節」と受け取った。
 その半面、交渉相手となった政府の担当者は、この市長に手を焼いていた。多くの振興策を国から引き出した上で、基地移設については軍民共用化や使用期限を区切ることを求め、しぶとく交渉を続けたからだ。
 国と地元、双方から疑いのまなざしを向けられ、その本音は家族にも明かさなかった。「政府も、夫のことを信じてはいなかったでしょう。孤立し、寂しかっただろうと思います」
 基地受け入れを決めてからは記者を遠ざけ、肉声を聞けるのは会見などに限られていた。その岸本市長と一度だけ、那覇支局の記者だった頃に酒を酌み交わしたことがある。
 どんな風の吹き回しか、その日は側近を通じて市長室に私を招き入れ、午後5時になるとロッカーから泡盛の一升瓶を取り出した。もう勤務時間を過ぎたからね、と言い訳をして、グラスに透明の液体を注ぐ。
 記事にはしないようにと念を押し、杯を傾けながら、こんな意味のことを言った。条件闘争を続けていれば、いずれは状況も変わり、基地が必要なくなるかもしれない――と。
 「父はずっと交渉を続けるつもりで、基地建設が決まったとは思っていなかったはずです」。息子で名護市議の洋平さん(45)は今、そう語る。「残したかったのは、ウチナーンチュ(沖縄人)の誇りだったのかもしれません」
 市長在任中に肝臓がんが見つかった。だが、岸本氏はそれを公表せず、2006年、退任の翌月に世を去った。享年62。
 「自分は基地容認市長だったと言われるのかな」。入院の直前、能子さんに、そうもらしたという。「夫がぶつかった相手は、日本政府でした」
 国家に立ち向かうとは、どういうことか。
 「コップに水が入っている。ほんの少しだけでいいから、ちょっと口をつけるだけ、と言われてコップを持ち上げると、無理やりぐいっと全部飲まされる」
 そんな例えを、沖縄県の金武(きん)町長だった吉田勝広さん(73)に聞いたことがある。キャンプ・ハンセンという巨大基地を抱えた町でやはり日本政府と基地移設の交渉をした。その彼は今、政策調整監として県知事を支えている。
 このページに広がる東シナ海の青い水面で、沖縄島最北端の辺戸岬と鹿児島県の与論島を分かつのが北緯27度線だ。奄美諸島が日本に返還された1953年から沖縄復帰の72年まで、米軍支配下の沖縄と日本を隔てた「国境」である。
 沖縄の人たちには、この線が今も大きく立ちはだかっているようにみえる。そこに生身でぶつかることの激烈さを、私は想像することしかできない。

 ■「感情の根」語った翁長氏
 差別という言葉を沖縄の政治家が頻繁に口にするようになったのは、2010年ごろだと記憶している。
 「抑止力のために必要なら国民全体で考えるべきで、沖縄だけに押しつけているのは差別ではないか」
 辺野古への移設反対を掲げて名護市長となった稲嶺進氏も10年5月、鳩山由紀夫首相にそう問いかけている。「最低でも県外」と自ら言った公約を鳩山氏が覆し、「抑止力」を理由に普天間の移設先を辺野古へと戻した時のことだった。
 差別。沖縄の人たちがそう心に刻む感情の根を私に教えてくれたのは、翁長雄志・前知事である。
 同年、当時那覇市長だった翁長氏は、搭乗直前の那覇空港で、取材を依頼した私に休みなく語り続けた。
 「基地を他の地域に負わせるのは忍びないと考えるのが沖縄の人たちです。なのに本土にはそれに対する愛情がない。お金が欲しいのかと言う人すらいる。そこまでされて、なぜ日本を守らないといけないのか」
 「全国市長会で、少しでも基地を負担して下さいと提起しても、『申し訳ないが沖縄しかない』と言われる。見て見ぬふりです」
 本土の記者である私に、けんか腰で怒りをぶつけてきた。そんな語りだった。
 普天間飛行場を「最低でも県外」に移すという鳩山首相の公約に、沖縄の人々は希望を抱いた。だが、それに対して本土、沖縄の言葉でいう「ヤマト」の人たちは目をそらし、取り合おうとしなかった。これは、差別ではないのか、と。
 自民党県連の幹事長として、以前は基地の県内移設を進める側だった翁長氏は、こうも言った。「私は共産党とは考え方が違う。しかし、沖縄にもう基地はいらないということでは、保革は一致するんです」
 基地問題と言えば、沖縄でも「保守対革新」「右対左」のイデオロギー対立が背景にあった。だが平成の半ばに「ヤマト対沖縄」の構図がはっきりと浮かび上がる。沖縄に基地をとどめているのは、実は米国ではなく日本なのだと気づかせたのが鳩山政権だった。
 今年死去した新崎盛暉(あらさきもりてる)・元沖縄大学長は生前、取材にこう語っていた。「日米安保の構造そのものが沖縄を差別し、踏み台にして成り立っていることに県民も気付き始めた。沖縄はもう、後戻りできない」
 その思いは、世代を超えて引き継がれている。翁長氏の息子で那覇市議の雄治(たけはる)さん(31)はこう話す。
 「おやじは変わらずにまっすぐ歩いたのだと思う。オール沖縄とは、日本に対してウチナーンチュの心を表すということなんです」
 1995年の少女暴行事件を機に動き出した普天間返還が、最後は県民の代表たる知事の拒絶すら踏みつけて巨大基地建設へ邁進(まいしん)する。その根にあるのは間違いなく日本の意思である。
 ニューヨーク支局勤務時に取材したウォルター・モンデール元駐日大使(90)の証言がそれを裏付ける。95年に基地返還交渉の当事者だった元大使は、米国務省にこう証言している。
 「彼らは、我々を沖縄から追い出したくなかった」
 この発言について、元大使は私に、こう語った。「改善はして欲しいが、基地撤退は望まないと日本の指導者から聞いた。沖縄の基地問題は日本で決めるべき、日本の問題なのです」
 生身の人間として、日本という国家に立ち向かう。その覚悟とは、どんなものなのか。翁長氏が訪米した際、ワシントンで問うたことがある。翁長知事はたった一言、こう答えた。
 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ってね」
 知事在任中の今年8月、翁長氏は膵臓(すいぞう)がんで他界する。享年67。
 死の数日前に本人が後継指名した玉城デニー氏は、翌月の知事選で過去最多の票を得て圧勝した。沖縄とヤマトを隔てる見えない裂け目は、ますます広く、深くなっている。

 ■米軍駐留、一番に望んでいるのは日本 鳩山由紀夫・元首相
 普天間飛行場の「最低でも県外」という公約については、民主党のマニフェストに明記されていなかったものを私が踏み込みました。正確には「沖縄の民意があるなら」という言い方でしたが。沖縄を初めて訪れた時、他の地方とは違う重さを感じ、政治家としてできることはないかと考えたのです。
 加えて、常時駐留なき日米安保、つまり国難の時のみ米軍に協力を求める安全保障条約を以前から考えていました。外国の軍隊に頼り切るのは、真の意味での独立国ではありません。
 居心地がよく、思いやり予算で日本が経費を負担する沖縄の基地は、米軍も手放したくないでしょう。しかし、彼ら以上に「出て行かないで」と考えているのが日本です。少なくとも首相在任中、オバマ大統領から「普天間の移設先を辺野古に決めて欲しい」と直接言われたことは一度もなかった。
 私が辺野古やむなしと考える前提となった「基地の65カイリ以内に訓練場が必要」という米軍のマニュアルは存在しないことが明らかになっています。日本の官僚は偽りのペーパーで私をだました。つまり日本は、自発的に辺野古に新基地を造っているのです。
 首相辞任については、自身の公約を実現できなかったことで身を引くしかないと考えました。米国の圧力で辞めたのではありません。首相に協力せずに米国の意をくんで動く官僚が日本の側にいたからで、外国の圧力に屈するよりも情けない状況だと思います。このことには首相在任中に早く気づかなければいけなかったのですが、当時は早く移設案をまとめることばかり考えていました。反省しています。
 翁長知事には生前、お会いしたことがある。自分は那覇市長になることが夢で、それをすでにかなえたから無欲なんです、と話していた。沖縄のために無欲に尽くすことから、あの信念が生まれているのだと感じました。
     *
 1947年生まれ。自民党を離党し民主党を結党、2009年から翌年まで首相。12年に政界を引退。

 ■私と平成 編集委員・真鍋弘樹(52)
 約20年前から記者として沖縄に関わり続ける間、知り合った多くの人が亡くなった。大田昌秀元知事や辺野古に住む基地反対派のオジイら、国に体を張って向き合った人たちが次々とこの世を去った。
 普天間返還が新基地建設へといつの間にか姿を変え、沖縄の人々は希望と絶望の間を何度も行き来した。国というものが、組織と金と権力の全体重をかけて意思を押し通そうとする時、一人の人生はあまりに短く、もろい。
 米軍基地という異物を、一部の地域に押しつける。そのエゴと偽りを自覚し、自分の体感を広げて、どれだけ我がこととして考えることができるか。沖縄を報じることの意味を、いつも自分に言い聞かせている。これは「沖縄問題」ではなく、日本の問題なのだと。
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バイト先の中庭の紅葉

 寮2の管理代行は原則金曜日なのだが、今週金曜は月末締め日のため寮長寮母さんは休めない。そのため、今週は月曜に代行。

 またいつもの朝日・日経チェック。
 いい記事を見つけました。

 岸本健男・元名護市長、翁長雄志・前・沖縄知事、鳩山由紀夫・元首相の話。
 鳩山さんのは、「今ごろ何ゆうとるんじゃい!」って感じですが、岸本さんと翁長さんの話はしっかり読んでほしいと思う。

 もう「沖縄」の人たちの「人のよさ」に付け込んで、迷惑施設である「米軍基地」を押し付けるのはやめましょう。
 京都も丹後に米軍レーダー基地ができたが、米軍基地がない都道府県が沖縄の米軍基地引き取れよ。

 普天間だけでなく、沖縄のすべての米軍基地を撤去して、なんか困ることあるん?
 どっこも引き取らんにゃったら、京都にもう一つ増やしてもええがな。京都府も京都市も、政権側の知事と市長なんやから。
 役に立たんやっちゃなあ、山田知事と門川市長!

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