2018年08月10日(金)
廉、27歳! [家族]
病院から家に戻って、すぐ廉にメール。
◇ ◇ ◇
パオパオです。
今日退院して、ついさっき家に着きました。
これから支度して、3日間別所に幽閉です。
誕生日おめでとうございます。27歳ですね。
また、きくちゃんかまいに帰って来てね。
◇ ◇ ◇
廉は今、東京に単身赴任中。あと1年半以上も。
長いこと会っていないので、最近の廉の写真がない。
上の写真は、去年の10月1日、「廉→真樹→パオパオ」で出たトライアスロン駅伝のときのもの。
「こんないい顔で笑うときもあるんやなあ」とヨメさんが感心していたお気に入りの写真。
パオパオが全然経験したこともないようなつらい目にも合っているのかもしれないが、しっかりね。廉には彩ちゃんが付いてるからね。
27歳と言えば、パオパオが21歳のますみさんに初めて出会ったときですね。廉とはえらいちがいで、当時のパオパオはふわふわ漂ってましたねー。うーん、今もか!
夜に廉から返信。
ちゃんと彩ちゃんが東京に。
ふたり、いい顔で笑っているかなあ・・・。
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退院から隠遁 [病院]
午前11時ごろ、無事京大病院を退院いたしました。
気にしていてくださっていたみなさん、ありがとうございました。
去年と同じく、退院後3日間はできるだけ人と接触しないようにと言われている。
・人との添い寝禁止。
・5歳以下の子ども、妊婦との接触禁止。
・5歳以上の子どもとは1m以上離れる
・家族とはできるだけ離れる。長時間一緒に過ごさない。
・用便後は2回流す。
・寝るときは一人部屋で。
・入浴は家族の最後で、入浴後はすぐに浴槽などを洗浄。
・衣類の洗濯は家族のものとは別に。
こんないっぱいのことを、普段いいかげんな私が全部守れるはずがない。
また去年と同じく、いなかの家に帰って3日間隠遁生活。これなら何とかできそう。
愛妻、愛犬とは会えないが、あと3日のしんぼうです。(妻も犬もなんとも思ってへんかったりして・・・。かえってのびのび?)
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毎朝6時過ぎに目覚めていたのに、退院日の今日に限って寝過ごし。「ふじいさーん」と呼ぶインターホンの声で起こされた。
とは言っても、どんな看護師さんかまったく分からない。初日準備室にいたときに来られたお二人の看護師さんとは対面したが、そのあとの方は声だけ。出ていくときに通ったナースステーションにおられたのかもしれないが、けっきょく分からずじまいだった。
7時に起こされ、部屋内のごみの処理。ゴミではない物もすべて処分しなければならないのがつらかった。
加賀乙彦著「高山右近」、めちゃくちゃよかった。334ページもあるので中途半端で処分かと思っていたが、しっかり読めた。早く読み過ぎて2回目の半分まで読んだ。
そんなに読むと愛着がわく。古本屋で105円で買った本なのに、まだまだ何回も読みたくなった。
内緒で持ち出したろか知らんとも思ったが、それはやめておいた。せっかくの治療が水の泡になっては、元も子もない。
最後のシャワーを浴び、それまで履いていたパンツと靴下、使ったタオルとバスタオル、せっけんとシャンプーも廃棄。まあこれで、ゴムの伸びたパンツとふっるいバスタオルがたくさん処分できたので良しとしよう。
ナースステーション前のパントリーで朝食。
その時ちょうど、夜勤の方と昼勤の方の引継ぎをやっておられた。
そして、そのあとシンチ検査へ。
1年前にも同じ事をしたのだが、もうすっかり忘れていた。
機械が鼻すれすれのところまで来たり、目の前をグルングルン回ったり。全部で45分くらいなので耐えられるが、普通こんなことされたら気がおかしくなりますね。
これで、放射性ヨードがしっかりと甲状腺由来の細胞に届いたかどうかが分かるそうだ。
「全部焼き尽してくれよー!」
退院後の説明というのが楽しみだった。去年、すごくかわいくて感じのいい看護師さんだったので。「最後にいっちゃんええのを出してくるあたり、京大病院もやるねえ」と思っていた。
しかししかし、今年は男性。イケメンで女性の受けはいいだろうが、オッサン的には最低。話は半分くらいしか聞いていない。去年はいっぱい質問もさせてもらったのだが、今年はそんな気も起らなかった。
「病は気から、やもんなあ・・・。」
去年とちがい、会計は一般とは別のところだった。癌患者は待たせたら気の毒ということになったのかなあ。あっという間に請求書を出してくださった。
入院5日分 677552→63832円
タイロゲン注射1本分 106780→32030円
合計95862円。いたたたた・・・。(でも、実費になると78万円なんですね。)
できるだけ人に1m以内に近づかないようにと言われているので、もちろん車で迎えに来てもらうわけには行かない。自力で帰る。
でもその前に腹ごしらえ。
去年と同じく、「らんたん」のラーメン。
丸1年たっているのに、何も変わっていない。
ホッとする。
今年は、シャーシューメン並(850円)と麦飯小(120円)にした。
去年見つけた「きくちゃんねぎ」。
なんと、今年もありました。
ちょっと、泣けてきた。
初めて乗った「市バス65番」。
東大路を高野まで、高野交差点を左折して下鴨高木町まで。生協の横を右折して北上。北山通りを右折して修学院駅前。白川通に突き当たって左折。あとは宝が池交差点を左折して国際会館前へ。なんちゅう複雑なコースやねん。
国際開館前からは京産大行きのバスで地球研前まで。乗り継ぎがうまくいったのに、病院前から家まで50分くらいかかった。バスは疲れるわ。
家に着くと、ヨメさんがお昼ごはんを用意して置いて行ってくれていた。しかし、ラーメンを食べてしまったのでもう食べられない。晩ごはん用に持って帰ったらいいとの書置きがあったが、お皿などまためんどくさいことになるのでやめておいた。
忙しい中、せっかくヨメさんが用意してくれたのに申し訳なかった。
どこかから缶詰をいっぱいいただいたとのこと。これはありがたい。3日間の隠遁生活にはうってつけ。でもこれだけでは足りないのでお買い物に出かけた。
スーパーから出てくると大雨。でもこれでだいぶ涼しくなった。
家に帰って隠遁生活の準備。あれやこれや揃えるのがたいへんだった。「退院して、その続きに隠遁とはねえ」とか思いつつ・・・。
ぐずぐずしていたので、いなかの家に着いたのは午後6時過ぎ。
さあ、これから3日間は強化合宿のつもりで・・・。って、何を強化するんですかね。
月〜金と病院だったので、体がなまっている。
どこも痛いわけではないので、退院したらすぐ走らなければ。
ゆっくり気持ちよく走れるのは、花脊峠往復8km。
峠までの上りは、キロ6分半くらいのペースで。
さすがに、足が全然動かない。それに、あちこちが痛む。
8月12日は別所にいるけど、人との接触禁止。
9月23日は予定がないが、ヨメさんは鍼灸院を休めないという。
10月28日は諏訪湖マラソンに出張販売。
今年も全×ですかねえ。
峠まで3.93km、26分15秒。
いつもならここで少し休けいするのだが、もう暗くなってきたので折り返して続けて下り。
別所大橋の手前で、「こうじさん、だいじょうぶですか」と車から声をかけてくださる方あり。メイママさんじゃないですか。
私のブログをしっかり見てくださっているメイママさんは、ちゃんと1m以上離れたところから声をかけてくださっていた。さすが!
家に到着、3.83km(なぜか100m短い)22分24秒。
往復で7.77km、48分39秒。
あちこちそうじをした後、1年ぶりのいなかでの食事。
缶詰があってよかった。今日は焼き鳥の缶詰。
あとはモズクと野菜とインスタントみそ汁。
これで十分ですね。
1年ぶりに入るいなかの家のおふろ。
広くて、足をビューンと伸ばせる。
ほんまにええ気分。
広いおふろに入れるだけで、長生きできそうな気がする。
あとは、いつもとちがう布団でぐっすり寝られるかどうかが問題やね。
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2018年08月09日(木)
うちのヨード制限食一覧 [病院]
去年もヨメさんがたいへんだったヨード制限食。
今年は胆のう炎が解消したので少しはましになるかと思ったが、やっぱりヨメさんはたいへんだった。(8月1日は寮1の夕食「トマトソーススパゲティ」、8月3日は寮2の夕食に昆布だしが使ってあったのでコンビニで調達。)
今年は出汁をとるために、「しいたけの柄」を大量に買ってきた。これで、私の食事に外せないおいしい汁を毎回つくってくれた。何やかやといそがしい中、ほんとうにありがとうね。
このヨード制限食も、今年で終わりにできたらいいのにね。
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2018年08月08日(水)
かしこいきくちゃん写真集 [わんこ・にゃんこ]
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2018年08月07日(火)
「瞑想にふけってください」 [病院]
いよいよ今日の午後、準備室から治療室へ移動。
去年は、この先に行くとき「ルビコン川を渡る」くらいの気持ちだった。鞍馬口医療センターのI医師にビビらせてもらっていたので。
私は、てっきりカギのかかった部屋に監禁されるものだと思いこんでいた。実際は部屋にカギはかかっておらず、前の廊下までは移動自由だった。
ただし、「絶対にすのこのところを越えて戻ってはいけない」。また、「何か異常事態が起こっても、医師も看護師もすぐに助けには行けない」とも言われた。
まあ、それだけ体中から強い放射能が出ているということ。なんぼ聞いても、この治療もよう分かりませんが。
職務上知りえた情報を外部に漏らすのはダメでしょうが、自分の治療上知りえた情報は漏らしてもいいことにしましょう。
手前2部屋が準備室。(地図では上の部分。)
今日、そこから廊下のすのこを越え、お隣の治療室へ。
ここに持ち込んだものは原則すべて捨てる。
下着、タオル、石鹸・シャンプー・歯磨き、食料(ジュース・果物・お菓子など)、コップ、お箸、スプーン、本、新聞・・・。
昨日の看護師さんからの説明の時、「携帯電話は持ち込まれますよね。パウチのようにして、充電器もぐるぐる巻きにするので、退院のときにすぐに持って帰れないかもしれませんがお部屋には持って入れます。ごくまれに、持ち込まないという方もおられますが・・・。」
「持ち込みません!」
「えっ、いいんですか。ご家族と連絡取りあったりされないんですか。」
「しません。去年も持ち込みませんでした。」
「新聞とか、前もって言ってくださったら買ってきて届けますが・・・。」
「だいじょうぶです。たった3日間のことなんで。」
「はい、分かりました。瞑想にふけってください。」
お隣の病室内が、廊下の小さな窓からチラッと見える。外のカーテンを全部閉められていた。昨日もそうだった。
男の甲状腺低分化癌患者は極めて少ない。以前、ここの男女別予約表を見せてもらったが、男は何か月かに1組(2人)という割合。その分、深刻な患者さんが多いのかもしれない。
私の病室は、カーテン全開。
昨日の「おケツ注射2本目」はこの病室で受けた。
「カーテン開けっ放しでもだいじょうぶですよ」と言ってズルッと。
「いえいえ、それはちょっと・・・」と言いながら、担当の女医さんがあわててカーテンを閉められていた。
こんな状況、ほかの患者さんからしたら「なにニタニタしとんねー!」と怒られるかも。
時々人も通られるので、窓から外を見ていると少しは気もまぎれるんですが・・・。
朝ごはんをしっかり食べ、マグミットという下剤を飲まされているのでそちらのほうもしっかりと。
朝の飲み物は4種類から選べたのだが、私はもちろん「ヤクルト・ジョア」。
たのむでー、ヤクルト。今日勝って連敗止めてくれよー。パソコン持ち込めへんから、途中経過が見られへんけど。夜のスポーツニュースをしっかり見ようっと。
あとは、持ち込むものとそうでない物との仕分け。
100円ショップでいろいろとそろえたのでそんなに費用はかかっていない。それでも最終的に捨てるとなるともったいない。
コーヒーやお茶も本当にいるだけの数にして、残りは退院後いなかに3日間の分に残しておいた。
今回の持ち込み書籍はこれ。
「高山右近」 加賀乙彦著 講談社 1999年9月初版 334ページ
ついこないだ、オウム事件の死刑囚13人が死刑執行された。
それに関してヨメさんと話しているときに、「加賀乙彦さんも死刑執行に大反対やったんやで」と言っていた。
それで、病院に行く日の朝に選んだのがこの本。そうとう前に古本屋で105円(定価1900円+税)で買って放置したままだった。
ええ機会や。
オウム事件とは何の関係もないけど、高槻のキリシタン大名・高山右近は気になっていたし、この3日間で一気に読んでしまおう。パソコンを使っていた時間を読書に回せるんやから、334ぺージ、がんばったらいけるでしょう。
■加賀 乙彦(かが おとひこ、男性、1929年4月22日 - )は、日本の小説家、精神科医(専門は犯罪心理学)。本名は小木 貞孝(こぎ さだたか)。本名でも著作がある。
室生犀星とは7親等の血縁。娘はQVCジャパンショッピングナビゲーターの加賀真帆。自宅は東京都文京区本郷にある。
オウム真理教事件において、弁護士に依頼され松本智津夫に接見し、訴訟能力はなく治療すべきであると結論づけた。
死刑囚の苦しみを描いた『宣告』が代表作で、死刑廃止論者と見られている。
■高山 右近(たかやま うこん)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。代表的なキリシタン大名として知られる。カトリック教会の福者。
父は摂津国人・高山友照、母は洗礼名マリア。同じく摂津国人の中川清秀は従兄弟とされる。
昼食はオムレツ。
ヨメさんの話によると、「タマゴは安くて栄養があるので、使いやすい」とのこと。病院食にもよく出るし、胆のう炎になる前の我が家でもよく食卓に出ていた。
もうなんぼでも食べられますよーん。私の大好きな「茶わん蒸し」も解禁のはずだが、これは手間がかかってめんどくさいらしい。
退院祝いに・・・、いや、12月の私の誕生日祝いのときでいいし「茶わん蒸しを食わせてくれ―!」
荷物の仕分け終了。
治療室用貸パジャマに着替え、これですべてが完了。
さあ、「ルビコンすのこ」を渡ろう。
これから瞑想にふける3日間。
みなさま、さようなら。
(注) 明日とあさってはパソコンが持ち込めませんので、新しい記事は書けません。前もって用意した特別記事を、ヨメさんにアップしてもらう予定です。
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2018年08月06日(月)
ニセ患者疑惑 [病院]
今日から京大病院に入院。
朝、ヨメさんに病院まで送ってもらった。
きくちゃんも来てくれるかなあと期待したが、ちょっと遠いからね。夕べ、久しぶりにちょっとだけいっしよに寝てもらったしよかった。
オッサンが帰ってくるまで、オバサンのゆうことよう聞いてかしこー待っててな。うまくいけば金曜退院だが、そのあと3日間はできるだけ人と接触しないようにと言われているし・・・。
きくは犬やけど人並みや。
3日間というと土日月かー。来週の月曜の夜に会えたらいいな。
1年ぶりの北病棟、アイソトープ(RI)治療室。
私はどこも痛くもなく入院してきているので、医師や看護師との受け答えもかなりフレンドリー。病室とは思えない和やかな雰囲気だった。
「これはちょっと問題かなあ。」
不謹慎と言えば不謹慎。
同時期に隣り部屋に入院された男性は、かなり深刻な状況に見えた。私みたいなヘラヘラした者が隣にいたら、イライラしやはらへんやろか。「ニセ患者疑惑」をかけられても仕方がないような・・・。
ヨード系食品は持ち込めないが、果物は全部OK。今年も、モモ、スモモ、ブドウ2種といっぱい買ってきた。
医師や看護師は去年とは総替わりという感じ。ただし、古い古い病棟は以前のまま。いろいろな説明を受けたが、何も変わったところはなかった。
一つだけ、シャワー室に浴槽があったのが鉄板でおおわれていた。去年「浴槽は使わないでください」と言われていたのに、私が毎日入っていたのがばれたんでしょうか。まさか。
午後3時に「おケツに注射」2本目。ズルッと出したおケツの左側にブスッ! 昨日よりさらに痛かった。
明日放射性ヨードを飲んだあと、体内残留放射能をできるだけ早く減らすために、水を一日1.5〜2リットル飲むように言われている。でもこんなエアコンのきいた病室で、そら無理じゃ。どんなに暑くなっても水分はいらない方なのに。
お茶やコーヒーなら何杯でも飲めるほうなので、病院内のコンビニでお茶パックやコーヒーパックを買ってきた。(コーヒーパックは家から持ってきたつもりが忘れてきた。)
もう胆のうがないので、なんでも食べられる。
そう思って楽しみにしていたしょっぱなの昼食は「チキンライス」。ガックリ!
よりによって、私の苦手なメニューですがな。
バチ当ったか―。
夕食はタイのちり蒸し。
これはうまかった。
入院して、「病院食が楽しみ」って言ってるのもお気楽すぎるか。
日々の生活に四苦八苦しているヨメさんに申し訳ない。
今回の入院で今年4回目。支払いの限度額が設定されているとは言え、年に4回はきつい。バイトも休んでいるし。
でも、今回でこの治療が一区切りとなる可能性もある。そうなってくれるとありがたいのですが・・・。
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2018年08月05日(日)
ズルッと! [病院]
午後3時に京大病院。
例のおケツに注射1本目。
「例の」と言ってもなんのこっちゃらですよね。
アイソトープ治療は、放射性ヨードを飲む前2週間はヨード制限食。
それに加えて、本当はチラージンなどの薬も止めなければならない。しかしそれでは体への負担が大きすぎるということで、タイロゲンという薬品を筋肉注射することによってそれが避けられるようになった。(このあたり、素人には何べん聞いても理解できませんが。)
放射性ヨードを飲む前々日に1本、前日にもう1本。私は火曜日に飲むので、日曜に1本、入院した月曜にもう1本となる。
京大病院の駐車場が、患者無料から一律1000円になってしまった。とてもこんなぼったくり駐車場にはとめられない。
私のバイト先の寮2がまあまあ近くなので、車を置かせてもらい、そこから暑い中を歩いて行った。約12分。
1年前のことはほとんど覚えていない。
注射してもらったのは地下だったような気がしたのだが、救急外来の処置室だった。
担当医師が来られ、「お尻の右側に注射しますね」とおっしゃった。
「ズルッとおろしたらいいですか。」
「はい、ズルッと!」
この答えに、こちらがズルッと来そうになった。
もうそら、ズルッと半ズボンとパンツをおろしましたがな。
けっこう痛い注射やったなあ・・・。
だいぶ待ったけど、注射はあっという間に終わり。
救急の出入り口から出てきた。
帰りは京大前をブラブラと。
「京大タテカン」はどうなったかと楽しみにしていたが、すべてなくなり殺風景になっていた。
これで満足?
そんなことを思っている心貧しい人たちのズボンを、ズルっとおろしてやりたくなりますなあ。(小学生か!)
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午後5時、北大路駅近くの「Bike Laboratory」さんへ。
今年の「京都丹波トライアスロン」では、去年の「ラブトライアスロン」のタイムを上回りたい。私のスイムは時間内完泳も危ぶまれるレベル。ランは去年より距離が0.5km短いので、そこそこ行けそう。問題はバイクです。
時間の比率で行くと、バイクはスイムとランを足したのと同じくらい。つまり全体の50%以上を占める。ということは、バイクに一番力を入れるのが効率的ということ。
楠本店長にいろいろと相談に乗ってもらい、タダでもらった私の自転車を少しでもスピードアップできることを考えてもらった。
まずはトークリップ。ペダルにシューズを固定するもの。これを付けると、踏み込む力だけでなく、それに持ちあげる力も加わるのでかなりスピードアップが狙える。
それにハンドルグリップ。私のはかなり古くて、この夏の暑さで溶けてネバネバになっていた。これも新しく握りやすいものに交換。
そのほか細かいレーステクニックも教えてもらった。本当に頼りになります。
いろいろ教えてもらったことを生かせるようにがんばります。
ハンドルグリップ、かっこいい!
トークリップは慣れるまで転倒に気を付けなければ。
すぐにシューズは抜けませんから。
両方合わせて、部品代のみ工賃なしの3200円にしてくださった。なんと、良心的な!
とりあえずは、平均時速25kmを普通に超えられるように。退院後はしっかり練習しよう。
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京都走ろう会例会〜走る時間よりしゃべる時間が長い〜 [ランニング]
今日の例会は、真夏なので10kmがない。
私が5kmを走っていた時間は23分。そのあとおしゃべりしていた時間はそれ以上。ほとんどの方が、「ラン<おしゃべり」だったと思います。でも、それが京都走ろう会のいいところですね。
私、Dさん、Yさんの三者対談になった。
私「Yさん、すごいじゃないですか。5km18分台ですって。」
Yさん「Sさんが昨日3000mを10分半くらいで走られたと聞いて、今日の5kmはがんばらないとと思いまして。」
Dさん「だいぶ学生時代の感覚が戻ってきたんとちゃいますか。」
Yさん「いやー、最後のもうひと踏ん張りが効かなくなってますねー。藤井さんも陸上経験者でしょう。」
私「全然。なんにも。今まで全部自己流で、人のゆわはることはまったく聞いてません。ただし、Dさんの話だけは聞いてますけどね。」
Yさん「すごいスピード系に見えますけど。太ももやふくらはぎの筋肉がすごいです。」
Dさん「ほんまや、短距離系にも見えるわな。サッカー選手の足みたいや。」
Yさん「クロスカントリースキーの選手も太ももが太いですね。」
私「よっしゃー。これからは、サッカーやってましたとかクロカンスキーやってましたとか言おう。」
「高校の時はにせ料理部でした」と言うとうけるのだが、さすがに今日は自重。44年前の洛北高校の卒業アルバムの写真には、ちゃんと料理部の一員として写ってるんですけどねえ・・・。
(Dさん、Yさんのお名前は出してもいいですよね。私の2歳上の堂本さんと、40代でバリバリの山越さんです。)
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ヨメさんも誘ったが、店のセールの準備や鍼灸治療院の準備に時間がかかるということで私一人での参加。
いつもの下鴨側のコインパーキングに車を入れ、鴨川の左岸土手に出ると、目の前を北出さんが走り抜けていった。かなり早めに来て、ウォーミングアップランをされているようだ。
このくそ暑いのに、大勢の参加者。
松山会長の娘さんも来られていて、「こんなにたくさんの方が来られていてビックリしました」と。
「お年寄りはね、寒さに弱く、暑さに強いみたいですよ。冬の寒い時なんか走るのには適していると思うんですけど、京都走ろう会はすごく参加者は少ないですよ。私もそうですけど、歳とってきたら暑さをだんだん感じんようになるみたいでいすわ」と教えてあげた。
ちょっと、ぽかんとされてましたけど・・・。
準備運動のリードは新居さん。
今日はいつもより短め。
私も「早う走り始めて、さっさと終わって休みましょ」とみなさんに言っていた。
とにかく、日なたにいるだけで皮膚がひりひりする。
5kmは私を含めて16名でしょうか。
中村元会長も来られていたので、2枚目は端っこに入ってもらった。
対岸スタートの3.1kmと1.4kmも、5kmと同じくらいたくさんの人数。
スタートダッシュで、10mほどだけトップを走らせてもらった。
しかしすぐに山越さんと佐伯さんに抜かれ、600m地点くらいで北出さんにも抜かれ4番手。
走りながら北出さんの背中を撮ったら、ブレブレですやん。
かげろうみたいやね。
スタート前は少し風もあったのに、快晴無風。
なかなか目標が持ちにくい状況だった。
私の目標は「北出さんに出来るだけ離されないこと」。
北側の折り返しになる北山大橋で測ると、ちょうど1分差。
「残り1.6kmくらいのはずやから、2分差にはならんやろう。がんばろっと。」
途中の蛇口で給水しながら、そうとうがんばったつもり。
しかし、北出さんの背中が見えることはなかった。
ゴールは23分06秒。(4分14、4分38、4分54、4分42、4分37)
北出さんとは2分差に広がっていた。
ゴール後は、いつも通り仲間の応援へ。
暑い事が分かって参加されている方ばかりなので、暑さにへたっている人はいなかった。
みなさん、それなりに元気に走っておられるように見えた。なにより、なにより。
いつも嫌がらずに私の話を聞いてくださるNさんともおしゃべりした。
娘と「京都丹波トライアスロン」の短いやつに出るという話をすると、「私も来年出てみようかなあと思っているんです」と。いやまあ、これは盛り上がる。
調子に乗って、33年前の「びわ湖アイアンマン」にウエットスーツを2枚着て、スイム制限時間(3.8kmを2時間半)ギリギリセーフだったことなどを話した。
「高野のカナートができる前に、あこに『十字屋』があったんですよ。楽器のほうじゃなくて、サーフィンのほうの。水深3m以上あるびわ湖を泳ぐのがこわくてこわくて、最初は肩の出てるウエットスーツを買ったんです。でもそれだけでは不安で、長そでの上着をもう1枚買いたしました。今はウェットスーツが当たり前ですけど、当時はウェットスーツを着てる人なんかいなくてねえ・・・。その33年前のウェットスーツがまだ使えるんですよ。高いのん買っといてよかったです。」
しゃべるしゃべる、調子乗っちゃったジジイの話は終わらない。
よう考えたら、Nさん、たぶんカナートができる前の『十字屋』なんか知らはらへんやろうに。
Nさんも、3種目の中ではスイムが不安だそうだ。小学生の時は、足の立たないところで1kmの遠泳を平気でされていたというのに。
そんな人でも不安なんだから、もともと水泳が苦手な私の気持ちも分かってもらえます。うれしくてしゃべりすぎた。いつもすみませんね。
また、八幡のHさんはクーラーバッグにスイカを切って冷やしたものを持って来てくださった。八幡から京阪電車に乗ってですよ。
走り終わった後、みんなにすすめてくださった。私はスイカ前にねばって、けっきょく3切れもいただいた。いやしんぼうですみません。Hさん、本当にありがとうございました。またお願いしますね。
23分走って、30分以上おしゃべり。
でも、この長いおしゃべりが精神的なトレーニングとして効果があるのかも。
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