2017年05月17日(水)
老化か? [雑感]
今日は寮1(二条)17時間。
朝、シューちゃんに会えると思っていたのに会えなかった。
6時45分ころ、非常階段のカギを開けに行くと、下の道にシューちゃんと飼い主さん。南のほうから戻ってくるところだった。上から「シューちゃん!」と呼びかけたかったところだが、このしわがれ声ではねえ・・・。残念!
シューちゃんの飼い主さん(女性)は、いつも大きなビニール袋を持って散歩しておられる。○ンコ袋にしては大きすぎひんかと思っていたら、今日やっと分かった。散歩中にゴミを拾ってられた。えらいわ。そんな人に飼われているから、シューちゃんは犬柄もよく長生きなんですね。うちのきくもそう言われたいなあ。
このごろずっと体がだるい。何もしていないのに疲れている。朝起きた時からスッキリしていない。
これが手術の影響ならまだいいのだが、手術をきっかけに一挙に老け込んだような気がしてならない。
頭がぼけてきたのはしょうがないとしても、手術前までは走る方は健在。この歳になっても、まだ毎年5km20分は切っていたし、フルも3時間40分で走れたらそんなに「老人」でもない。
でも今はとても無理なような気がする。おもろない。ワクワク感が全然ない。
毎日薬を飲み続け、ほどほどに生きていく余生ってどうなんでしょうね。バーンと爆発する方がおもしろいような・・・。爆発してみたいねえ。
ぜいたくでしょうか。
ヤクルト・由規投手、2083日ぶりの巨人戦勝利。
苦労人大松選手、フェンス最上段に当たる2点2塁打。もうちょいでホームラン。
今日はこれでいいや。
老けんようにきーつけよーっと。
ちょっと寝て、明日また朝が早い。
シャキンと起きられたらなあ・・・。
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【今日のきく】
ペロペロペロ・・・。
ちょっとしか残ってへんなあ。
ペロペロペロ・・・。
舌、長いやろー。
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2017年05月16日(火)
がん共済と医療共済 [病院]
今日は朝から、また鞍馬口医療センターへ。
京大病院への紹介状をもらうのと、保険金請求のための入院手術証明書をもらいに。
その続きで市原野農協へ行き、がん共済と医療共済の保険金請求の手続きをしてきた。
この保険は、父がずっとかけ続けてくれていたものを引き継いだもの。農協の共済保険は他社と比べると割高で、両方合わせて月12000円ほどの掛け金(掛け捨て)を払い続けるのはきつかった。年間にしたら約14万ですから。
それでもこのおかげで、一回目の入院手術代も何とかなったし、今回の二回目の分も何とか払えそう。おとちゃんのおかげです。(実際には入院手術のほかに、通院の分もけっこうかかっているのだが・・・。)
ただしこれらの保険は、手術にはたくさん保険金が支払われるのだが、私が次に入院する「アイソトープ治療」には適用されないだろう。一日数千円の入院費用のみの支払いに終わると思われる。実際は莫大な費用が掛かる治療なのに。
そんな治療にも適用される保険にしとけよって話だったんでしょうね。もう遅い!
この「アイソトープ治療」も一回で済んだら万々歳なんやけど、そうはうまいこと行かんにゃろねえ。ああ、いやになる。
昨日、ブログ「今日も”LOOKING GOOD!”」の更新が1ヶ月以上途絶えていた有田さんにメール。心配していたが、ただヒザの故障で走れていないだけのことということらしい。有田さんのブログは「自分が参加したフルマラソン大会のレポート」に徹しておられるので、ほかのことは書かれない。私のような何のジャンルかよう分からんブログとはちがう。
それはそれで安心した。早く治して、また楽しいレポート書いてくださいね。
「ランナーズ9の会」のTシャツの追加注文をお願いされていた。2月に見積もりを上げてもらっていたのだが、会には伝えず放置したままだった。それも昨日やっとメールした。
今後は私の病気のこともあって責任が持てないので、どなたかに係を代わってもらえるようにお願いした。
また、ガードマンの会社のM課長にもメール。「声が出ないので、当分復帰は難しい。治療も継続中」と。本心は、行けるならものなら週1回でも行きたい。お金もないし。
でも、このしわがれ声では仕事にならん。急にフラッとくる可能性もありそうだし・・・。当分自重。
あと、連絡しとかなあかんとこってなかったかいなあ。
このごろ物忘れがひどいもんで・・・。
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【RUN】
ご近所のおうちが解体されていた。
走る時間はあるのに、なぜか気が乗らない。
楽しく走れたのは、先週の京都走ろう会例会くらい。
なんでかなあ。
でもそんなこと言ってられん。
4時すぎから、また十王堂橋往復5kmコースへ。
今まで3回ひかれかけた「魔の交差点」。
横断歩道のある見通しのいい交差点なので、普通に渡ろうとして、左の細い道から出てくる車にひかれかける。そちらには家は少ないので、ナンバープレートを控えて置いたらすぐ容疑者は分かりそう。
私にはその一角の住民が、常識のない人たちの集まりとしか思えない。あまりにひどい。
ヨメさんにそのことを言うと、「一回ひかれたらええのに」とか言う。「そうでもせんと、なおらんで」と。そんなにうまいことひかれますかいな。
うちらへんはいなかなもんで、一日車をとめても400円。
5分19、5分08、5分12、5分11、4分59で25分50秒。
最後の1km、ちょっとだけがんばった。
スピードを抑制するために長ジャージで走ったが、この程度のスピードならあんまり関係ないな。短いやつで走ったらよかった。
明日は早朝から17時間バイトで夜12時前に帰り、次の日は朝6時半に家を出て24時間バイト。これで、水木連続2日走れない。(今週はバイト日が変則。)金曜日も朝帰りやし、走る元気が残っているかどうか。
なかなか波に乗れませんなあ。
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【今日のきく】
病院から帰ると、きくが家にいてビックリ。
出社拒否らしい。
どうしたんかなあ、具合でも悪いんかなあと心配。
よくよく観察したが、けっきょく何かをすねていただけやったみたい。
何か分らんけど・・・。
「心配させんなよ!」
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2017年05月15日(月)
沖縄復帰・葵祭・あんも [雑感]
◎琉球新報5月14日
沖縄の負担度、本土の209倍
15日で沖縄が日本に復帰して45年の節目を迎える。復帰を機に、米軍基地の負担から解放されると多くの県民は期待したが、今もなお広大な米軍基地が横たわり続けている。米軍に起因する事件・事故も後を絶たず、何人もの県民が尊厳や命を奪われてきた。一方、復帰後沖縄に駐屯し始めた自衛隊は近年「島嶼(とうしょ)防衛」を理由に存在感を高めている。政府は多くの県民の民意を無視し、名護市辺野古への新基地建設も強行した。「基地なき島」を望んだ県民の思いとは裏腹に沖縄は、国防の最前線としての負担を強いられ続けている。
県内の米軍基地の面積は2017年1月時点で1万8822ヘクタール。復帰時の2万8660ヘクタールから約34%の返還にとどまる。返還面積の最大は昨年末(16年12月)の北部訓練場の過半(約4千ヘクタール)。一度に返された面積としては最大で、これが全体の返還面積を一気に押し上げた。
日米両政府は、これらの数字を引用し「沖縄の負担軽減」とアピールする。しかしもともと県内の米軍基地の多くは県民から「銃剣とブルドーザー」で無理やり奪い取った土地だ。さらに多くの基地の返還は代替施設の建設(移設)や既存基地の統合・機能強化がセットになっている。返還面積の数字ほどの負担軽減感があるとは言い難い。
東村と国頭村にまたがる米軍北部訓練場には、昨年末の過半返還の条件として、新たにヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)が東村高江の集落を囲む形で6カ所建設された。一方、伊江島補助飛行場では、強襲揚陸艦の甲板を模した着陸帯「LHDデッキ」の拡張工事が進み、海兵隊ステルス戦闘機F35と垂直離着陸輸送機オスプレイの離着陸訓練という負担が加わる。国土面積のわずか0・6%である沖縄に在日米軍専用施設の7割超が集中し、過度に負担を強いる構図は変わっていない。
人口当たりの米軍負担率も本土とは桁違いの高さだ。日本に駐留する米兵数を人口千人当たりで割った場合、本土在住者は米兵0・086人を負担しているが、沖縄は県民千人当たり17・99人を負担し、負担率は約209倍となる。
米軍の日々の訓練も県民の暮らしを脅かし続けている。午後10時以降の夜間飛行の常態化や嘉手納基地への外来機飛来、パラシュート降下訓練やつり下げ訓練があり、部品落下事故や流弾事故も相次いでいる。米軍が「運用上の必要性」を盾に、わが物顔で沖縄の陸、空、海を動き回る状況は、復帰後45年を経ても改善されていない。
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※また新聞記事のコピーですけど、すごく分かりやすいのでぜひ読んでくださいね。
病院の診察室前のロビーでテレビを見ていた。
NHKの「あさイチ」。
「なんで南沙織の残念な息子が出てるんやろう」と不思議だった。私の高校生時代、アイドルと言えば天地真理と南沙織。そんなに人気があったのに、息子はちと残念な印象。
しばらく見ていてやっと分かった。「ばあちゃんが、ばあちゃんが」と何度も言っていたのは、南沙織のお母さんのこと。
正直、南沙織の息子にはいい印象はなかったが、まあ一生懸命沖縄の基地問題をレポートしていた。がんばれ!
今まで何度も書いたがもう一度。
「東京に米軍基地を!」
普天間の代替地は東京に。それが唯一の解決策だ。
受益者負担の原則で、人口が最も多い東京に、米軍基地の恩恵も被害も受け入れていただきましょう。
私は国政選挙の一票の格差是正に反対。都会の人に選ばれた議員だらけになったら、米軍基地も原発も絶対に都会に設置されることはない。しわよせはすべていなかに。
「米軍基地・原発を東京に誘致する会」ってないのかな。
あれば、ぜひ会員になりたいと思う。
今日5月15日は葵祭。
上賀茂神社まで走って見に行こうかなと思ったが、その元気はなかった。
上賀茂小学校教師時代、一度だけ子どもたちを連れて見に行ったことがある。30年近く前のこと。
今は授業を勝手に変更して、教師一人で40人の子どもらを連れて行くことなど不可能なんでしょうね。
ああ、なつかしい。
あんもが死んで、今日で6年。
もうじき地獄であんもに会えるかなあと思ってたのに、先延ばしになったわ。
もうちょい待っててね。
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【今日のきく】
夕方のお散歩。
久しぶりにかわいいきくの写真が撮れた。
今日の夜もバス停まで、オバサンお迎え。
しっぽフリフリというより、おけつブリブリ。
ものすごくうれしそうにしていたので、オバサンに行くと思ったら・・・。
後ろにいた女子高生にアタック。女子高生はめっちゃビビッていた。
オバサン平謝り。
「きくちゃん、アンタにはオッサンが入っとるんか。ええかげんにしいや!」
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次の段階 [病院]
今日は退院後初の経過観察。
診察室に入るとI医師が、「179ですか」と。
私のバッグに貼ってある番号に反応してくださった。
「はい、宮古島のマラソン大会でもらった荷物入れです。その時のゼッケン番号です。」
3年前に真樹と走った「宮古島マラソン」。いい思い出なので、ゲン担ぎみたいに病院に行くときのカバン代わりに使っている。
そんな細かいところに気付かれる?医師。なかなかやりますなあ。
血液検査の結果は良好。カルシウムも安定して取り入れられているらしい。
摘出部分の病理検査の結果は、むむむ。
右甲状腺には、小さな乳頭癌が「いっぱーい」やて。
左リンパ節は除去した21節中5節に乳頭癌。
がんがんがんがん、がんがんがんがん、やかましいやっちゃ。
これで甲状腺全摘がほぼ完了。
これからずっと、甲状腺が出していたはずの薬を飲み続ける。今日、薬局で28日分を出してもらうと1830円。1か月分で2000円、年間24000円ですか。痛いねー。
入院手術費の100170円も払ってきた。痛いのは痛いが、本当にかかった費用は85万円以上。
私のモットーは「感謝も恩返しもしない生き方」だが、この75万円の借りは何らかの形で返したいと思う。もうこれ以上、無駄な医療費を使わないようにすることが一番だろうか。
収入なし、財産なしとなると、残る道は「献体」だけかなあ。しかし、それはちょっと・・・。
次の段階は、アイソトープ治療。いつも私が言っている「監禁部屋」。
I医師のお話では、鞍馬口医療センターは京都府立病院の系統なので府立病院を紹介するとおっしゃっていた。ところが今日は、「府立はいっぱいなようなので京大病院に紹介状を書きます」とのこと。
ふふーん、それはいっぱいじゃなくて、府立病院にいろいろな問題が起こったからかも・・・。新聞沙汰にもなったし・・・。
まあ私は選んだりできる立場でもないだろうし、I医師にお任せします。
今日また「アイソトープ治療」ブログを読んだ。なんぼ検索しても女の人ばっかり。男の甲状腺癌はめずらしく、いたとしてもブログを書くような人じゃないんでしょうね。
今日読んだブログでは、「放射性ヨウ素のカプセルを飲んだ後はつわりのよう」で何も食べられないとか。無理に食べても戻すとか。マヨネーズをつけたら何とか食べられるとか。
ああ「つわり」なんてどうしても分からんし、胆のう炎の最大の敵はマヨネーズやし。そんなことを考えるだけで憂鬱になる。
まあそれよりも一番ビビるのは、「アイソトープ治療」は一回で終わらないことが多いという事実。
「何べん監禁されたら治るんじゃー」とうなりたくなってしまうでしょうね。
体から出る放射能にやられるため、パソコンは持ち込めないみたい。
そら、退屈やぞー。
さて、次の段階はどうなっていくんでしょう。不安!
検査から診察、そのあと次の病院の予約まで間、けっこう待ち時間があった。
病院の南側の公園は、公のものではなく、病院の私有地だそうだ。だから、時計が8時間も遅れているのに誰もなおさないのだろうか。その公園で、今日の診察のことを思い出していた。
「傷口のテープにかぶれてしまったので、もう貼っていません。」
「もう、いいでしょう。」
「口を大きく開いたとき、左下が大きく開かないんですけど・・・。」
「あ・い・う・え・おって、言ってみてください。」
「あ・い・う・え・お。」
「うーん、だいじょうぶです。気にするほどではありません。」
「首が左に曲げにくいんですが・・・。」
「手術の時に左の胸鎖乳突筋をグイッと引っ張ってますから、しばらくは首が動かしにくくなります。だんだん動くようになりますから・・・。」
「先週の火曜日にしんどくなって、熱を測ったら38℃だったんです。」
「えー・・・、それはどういうことでしょうね。ちょっと考えにくい・・・。その時来ていただいてたらよかったのに、今言われても・・・。」
「もう熱もないので、だいじょうぶだと思います。」
このやりとりをあとでヨメさんに話すと、「この歳で生きとるだけでもありがたいと思えちゅうことやろう」と。
ありがたいと思おうっと。
公演の横を、ものすごくゆっくり散歩するかわいいワンちゃん発見。写真を撮らせてもらおうかなあと思ってちょっと尾行。
するとそのワンちゃん、ちょっとした段差でコテンと転んでしまう。そしてすぐ起き上がれない。飼い主さんは助けるでもなく、じっと立ち上がるのを待っておられる。
ワンちゃんは、「起き上がるのってどうやったっけ」みたいにおもむろに起き上がる。しかし、またちょっとした段差でコテン。その繰り返しだった。
あのお散歩は時間かかるやろうなあと思った。ワンちゃんと飼い主さんの間にすごくいい空気が漂っていて、声はかけられずじまいだった。
病院にはあまり来たくはないが、このワンちゃんにはまた会いたいです。
病院の北側の紫明通りの中州には、緑豊かな公園がある。
入院中にここまで来られていたら、少しは気も晴れたかもしれない。しかし、今回は手術後の7日間はほとんど寝たきりだった。
次の入院は「監禁の孤独」にどこまで耐えられるか。
歳食うてから、次々と試練が襲ってきますなあ・・・。
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2017年05月14日(日)
第39回鯖江つつじマラソン〜静かな応援〜 [ランニング・出張販売]
「藤井さん、名簿に名前載っとったなー。でも、絶対に走ったらあかんでー。」
朝一番、私にとっては走りの神様とも言える松本一之さんからそう言われた。
この言葉でストンと落ちた。「やめておこう」と。
実は走る用意は万全。昨日5km走をしたのも、「鯖江走ったろ」という魂胆があったから。ランシャツランパンもシューズも持ってきたし。あとは、どうヨメさんの目をかすめてスタートするか。そればかり考えていた。
しかしヨメさんの目はかすめられても、「走りの神様」の忠告は無視できない。
つけるはずだったナンバーカードと、お客様からいただいたおいしいアンパンとともに記念撮影。
ほんとうはゆっくりでも走りたかったなあ・・・。
朝4時55分、自宅出発。
静原から大原、あとは367→303→161→8と通って敦賀IC。90kmちょっとを1時間半。ほとんど信号がなく、早朝は車も通ってないので速い。これで高速料金がだいぶ浮かせた。
敦賀〜鯖江間は約40km、20数分、1420円(中型車)。
これで会場に6時50分に到着。
熱があれば運転も危なかったが、昨日早く寝て今日に備えたのがよかったようだ。
カンカン照りになる予報がはずれ、曇り空。
ランナーにとってはこのほうがうれしい。
いつも声をかけてきてくださる松本さんと山本ヒデさん。
「藤井さん、絶対に走ったらあかんでー」と松本さん。
「今日の5kmのメンバーやったら、藤井さん優勝狙えたのに」と山本さん。
お二人とも入賞圏内のランナーにくわしく、今日は早い人が10kmの部に集中したようだ。ちなみに、松本さん、山本さん、私の同い年最強と呼ぶ北出さんも10kmにエントリー。私が5kmの部の優勝が狙えたということは、私より速いこの3人はもっと可能性が高かったということ。惜しいことをしましたね。
受付に行き、参加賞のタオルをもらってきた。
10km男子60歳以上の部は164人、5km男子60歳以上の部は104人だった。
自分が走れないときは、せめて知り合いの応援を。
しかし、声がほとんど出ない。会う人ごとに「今日は無言の応援をします」と言っておいた。
9時35分、ハーフの部がスタート。
この大会は、なぜかメインのハーフに年代別表彰がない。男子だと644人がいっしょくた。また、女子にいたっては全種目年代別表彰なし。ハーフ78人、10km177人、5km173人は厳しいですね。
ハーフの部で応援するのは、三重の林さん。
今日も朝にごあいさつに来てくださった。肉離れを繰り返していて、しっかり走れる状態ではないらしい。
私にとって、林さんは走友という以上の存在と言っていい。ここにくわしくは書けないが、人に言いにくいような話もよくしてくださる。私も私が考えられる限りの返答をしようと心がけている。そういう貴重な存在です。
10月の「全日本マスターズ」もお仕事の都合で出場されないそうだ。今年は和歌山開催なので出ようと思っていたが、林さんが出ないのなら私も考え直そう。
ハーフのスタート後に少し時間があるので、いったんテントへ。
そこにおいしいおいしいたい焼きが。
いつもお世話になっています、小川さんご夫妻。
私らのことを身内のようにかわいがってくださっている。
「小川さん、応援に行きますわ。声でーへんし、写真だけでも撮らせてもらいます。」
「あー、そらえらいこっちゃ。」
10時05分、私が出るはずだった5kmの部がスタート。
小川さん見っけ!
「おがわさーん!」と叫んだが、もちろんそのしわがれ声は届かず。
その10分後の10時15分、10kmの部がスタート。
さあ、北出さん、松本さん、山本さんを探さなくては。
松本さんは見つけられたけど、北出さん、山本さんは見つからず。
おっと、最後尾近く。速歩ランナーさんじゃありませんか。
去年よりは暑さもましなようなのでよかったですね。
それにしても、このいでたちで10kmはきつそう。
しっかりね。
ちょっと休けいしたあと、復路の応援へ。
「おがわさーん!」
「藤井さんがどこで待っとるか分からんから、歩けへんかったわー。」
これはきっといいことだったんですよね。
ハーフのトップ。
ダントツ。
来た、北出さん。
私の知り合い3人の中ではトップ
それほど差もなく松本さん。
そのすぐあとに山本さん。
いつもこの大会でお会いします、滋賀の玉木さん。
あとはハーフの林さんを探さなくては。
残り3km地点あたりで「ふじいさん!」の声。
林さんが私を見つけてくれた。
しんどそうだがしっかりとした足取り。
これは近道をして、ゴール前の写真も撮ってあげよう。
麦畑を横切って、陸上競技場へ。
走った走った。けっこうな速さで。
余裕を持って競技場到着。
林さんの前のランナーの特徴ある人を覚えていたので、到着してもゆっくり観察することができた。ゲートを超えて入ってきた林さんの姿もしっかりと撮影。
向こう上面、ラスト200m。
やっとたどり着いたゴール。
心配していた肉離れも、今日はだいじょうぶだったらしい。
早く治してくださいね。
林さんとしゃべっていると、「あらっ!」と。
私はてっきりfukikoさんだと勘違い。
「いつもネコちゃんのブログ見させてもらってます。」
「あっ、それは妹。」
「失礼しました、お姉さんのほうでしたか。そっくりなもんで・・・。」
fukikoさんのおねえさんは、去年の土山マラソンで初めてお話しさせていただき、ダンナさんとは「沖縄100キロ」でいっしょに走らせてもらった。おねえさんはRECSのお仕事で来られていたようだ。
「それじゃまた、どこかの大会でお会いできますね。」
いつも枯らしてしまうツツジの苗。
今年ももらったので、今度こそ枯らさないように。
他府県からの参加者名簿をチェックされていたが、「もらいに来ておられる率」が高くてビックリ。Tシャツやタオルより、こういう参加賞のほうが喜ばれるのかも。
記録速報が出ていたので見に行った。
1位 19分32秒
2位 19分50秒
3位 19分55秒
4位 20分16秒
うーん、確かに、入院手術がなかったら優勝狙えたね。ただし、狙うだけやけど。
去年19分49秒で5位やから、折り返しまでトップで行って、後半3人に抜かれ結果は4位というところがいいとこですかね。
それより、今日出場強行していたらどうやったんやろう。
今年の10位入賞で22分04秒。
10位の人とデッドヒートで救急車行きちゅうのが落ちやったんかなあ・・・。
(11位の23分13秒まではかからなかったと思うので。)
12時すぎから後片付け。
片付け始めたころ、「藤井さん、体調はどうですか」と聞いてこられる方あり。どうもレースに参加された人ではないらしい。
よくよくお聞きしてみると、「パオパオだより」の愛読者さん。以前はずっとこの大会にも出ておられたが、ここ1年半はまったく走っておられないとか。私のことが心配で、わざわざ顔を出してくださったようだ。そして、シューズを買って行ってくださった。「今は走っていない」とおっしゃっていたのに。
うちの夫婦間では、「京都キャロット」で買い物をして応援してくださる方を「佐古井流」と呼んでいる。「香住」で私の病状を知った宍粟市の佐古井さんが、そのあとほぼ無言で商品を買っていってくださった。ヨメさんは、「あれがほんまの応援や。かっこええわ」と痛く感心していた。静かな応援というところでしょうか。
今日の「佐古井流」は、福井市の高木さん。私より5歳ほど上の元ランナーさん。ご自分では「もう走れません」とおっしゃっていたが、ぜひ来年走ってください。私もそれまでには元気になりますから。
商品が以前ほどないせいか、1時間ほどで片づけ終わり、1時すぎに会場発。
前半は売れ行きが芳しくなかったが、後半も暑さがましだったせいか多くのお客様が来てくださった。これでまあまあ。明日の入院手術費の支払いも何とかなりそう。よかった。
お昼ごはんはいつもの南条SA。
レストランはすいていたが値段高すぎ。
フードコートの席を確保し、私は「ざるセット」、ヨメさんは「台湾」。
「台湾」って、なに?
それは「台湾うどん」でした。
二人で1660円。これでお昼代もだいぶ節約。
帰りも同じルートで高速代節約。
さすがに帰りは少し車が多く、家に着いたのは4時半ころ。
まあそれでもこんなに早く帰れるのだから楽な方。
「佐古井流」的な人がもっと増えてくれんもんかなあ・・・。
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【今日のきく】
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2017年05月13日(土)
ドレミファ [病院]
明日は「鯖江つつじマラソン」。
「香住」以来3週間ぶりの出張販売。
よく考えてみると、「香住」と「鯖江」の両方に行こうと思えば、私の入院手術の月またぎは仕方なかった。なんとしてもしっかり販売をがんばって、余計な支払い35000円分を稼がなくては。
そのために、一から積み込み。できるだけ重い荷物など持たないようにと言われているが、手術からもう16日目。いまさら傷口が開くことはないだろう。
手術跡のことを傷口と言ってもいいのだろうか。
ほんとうは傷口保護のためにテープをはらなくてはならない。ところが私はかぶれやすく、テープをはり始めて2日目くらいにカイカイになってしまった。
このテープというのは、傷口保護という意味もあるが、傷口を人目から隠すという意味もあると思う。だから、本人が気にしないのならはらなくてもいいかと思った。
今は傷口が丸見え。首つり自殺に失敗した人の首みたいになっている。でも、私の首をしげしげとみる人もいないので、これで良しとしましょう。
それより困るのは息苦しさ。
真下を向くと、ほぼ窒息状態。いつもアゴを上げて呼吸しなくてはならない。
声も出ない。絞り出せば出るが、すごく疲れる。
試しに「ド・レ・ミ・ファ・・・」と歌ってみた。もう「ファ」が危うい。「ソ」はまったく出ない。元々カラオケに行かないから問題はないが、「歌え」と言われても歌える歌がなくなってしまった。口笛はふけるので、これからは口笛オンリーですね。
私らが車に荷物を積み込んでいる間、ずっとうらめしそうに見ていたきくちゃん。
1ミリも動かず、ずっとね。
明日もできるだけ早く帰ってくるし、かしこうお留守番しといてね。
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【RUN】
私は24時間バイトから朝帰り。
お昼前に雨が上がり、すぐにきくのお散歩。朝はじゃじゃぶりで行けへんかったから。
その続きで走りに行こう。
いつもは玄関先からいきなりスタートするのだが、今日は慎重に1kmウォーミングアップ。
そして、私の基本中の基本の十王堂橋往復5kmコースへ。
まだ若干「雲の上を走ってる感」があったが、気にすな気にすな。
5分04、5分08、5分22、5分07、5分09で25分52秒。
そこそこ速く走れたが、たったの5kmなのにゴール後がかなりしんどい。
慎重に慎重にクーリングダウン。
こんな状態から、再び5km20分切りまで持っていけるんでしょうか。
たぶん、無理したら「うっ」となって息ができんようになるんやろうなあ。
慎重に慎重に・・・。
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【今日のきく】
ほったらかされて、「おもんなー」という表情のきくちゃん。
オッサンオバサンの二人ひきのお散歩で「うれしいうれしい」という表情のきくちゃん。(ちゃんと前向いてえなー。)
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2017年05月12日(金)
絞り出す声 [雑用]
今日は寮2(出町)24時間。
こちらでは、寮長寮母さん以外誰も私が手術あけだということを知らない。みなさん普通にしゃべって来られ、私の絞り出している声をおかしいとも思われない。自分ではすごい変な声のように思うのに・・・。
それに加えて、今日は来客が多かった。それも無愛想にできないお客様ばかり。絞り出し絞り出し、必死で応対した。
電話も多かった。
電話はまだ落ち着いてしゃべれたので、絞り出す感はなかったもしれない。それでも次から次とかかってくると、疲れましたわ。
今日は割と元気だったのに、晩ごはんを食べると、急に脱力感。
最終見回りは、南館の5階までと北館の3階までを全部歩いて回る。いつもならあっという間に終わるのに、今日はえらい長く感じた。
でもまあ何事なく今日も終わる。
あとは少し寝て、6時前に起きてあちこちのカギを開けて照明をつけたら終わり。
喉が疲れた。
はよ、寝よ。
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「ナビィの恋」 [映画]
◎第3回京都国際映画祭リポートより(2016年10月)
映画祭2日目の10月14日(金)。京都府中京区のシネマコンプレックス「二条TOHOシネマズ」(ショッピングセンター「BiVi二条」内)にて、「沖縄国際映画祭連携企画」として17年前に大ヒットを記録した沖縄映画『ナビィの恋』の上映と舞台挨拶が行われました。左から本作の監督・中江裕司さんと、司会のガレッジセール・ゴリさん。
沖縄は粟国島を舞台に、ナビィおばぁが初恋の男性と老いらくの恋に落ちる異色の恋愛コメディー。沖縄では当時世界中で大ヒットを飛ばしていた『タイタニック』を超える動員を記録したことで有名です。ナビィに扮した沖縄芝居役者の平良とみさんは本作で一躍有名になり、その後2001年のNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」で全国区の顔となりました。
ゴリさんは前述の「ちゅらさん」でとみさんと共演し、2009年には監督作『南の島のフリムン』にも出演してもらったという仲。というわけで話の中心は、やはり平良とみさんのことに。
中江監督によると、『ナビィ〜』のきっかけは1992年に監督した3話オムニバスの『パイナップル・ツアーズ』までさかのぼります。
出演者の一人だったとみさんに「私は昔から老け役ばかりなので、恋する乙女の役がやりたい」と言われ、4年を費やし書きあげたのが『ナビィの恋』の脚本。ですが、いざ脚本を持っていったところ、「『私はそんなこと言った覚えがない』と出演を断られて困りました(笑)」とのこと。結局とみさんは出演を決意したそうですが、沖縄らしいノンビリしたエピソードに観客から笑いが起こりました。
また、ナビィの夫のおじぃ役を演じた沖縄民謡の名手・登川誠仁さん、通称“誠小(セイグヮー)”もなかなかに個性的だったそうで、出演交渉のために何度も自宅を訪ねるも、「『俺はいないと言え』と奥さんに言うご本人の声が聞こえてきて。その後も『今日は寒いから』とか理由にならない理由で断られ続けた末に、やっと会えました」と中江監督。ですが、いったん出演を決めると、撮影中は大好きなお酒を控えて芝居に集中したそうです。
『ナビィの恋』
【作品解説】
京都出身、沖縄在住の中江監督がベテラン沖縄芝居役者や島唄歌手を迎えて作り上げた、笑いと音楽に彩られた大恋愛映画。都会の喧騒に疲れ、沖縄に里帰りすることにした奈々子。港に着くと、祖父母の恵達おじぃとナビィおばぁが昔と変わらず優しい笑顔で出迎えてくれた。そんなある日、ナビィの初恋相手が60年ぶりに舞い戻り、島を揺るがす大事件が巻き起こる。
【製作】日本/1999/92 分
【監督】中江裕司【脚本】中江裕司、中江素子
【出演】平良とみ、登川誠仁、平良進、西田尚美、村上淳、嘉手苅林昌、大城美佐子、津波信一、川満聡
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見たい見たいとずっと思ってた「ナビィの恋」。
とは言っても、平良とみさんが出ている沖縄が舞台の映画で、中江監督が私の母校・洛北高校の5年下というだけの知識。
いやー、しかし実際に見てみるとこれは名作中の名作。
私のようにストーリーを知らずに見たほうがおもしろいと思う。
「悲運の二人」サンラ―とナビィは、実生活では夫婦かい!(平良進さんと平良とみさん。)
「恵達」オジイって・・・、NHK朝ドラ「ちゅらさん」でヒロイン・恵里の弟の名前やん。
恵達オジイが、稲嶺進名護市長に見えてしょうがなかったなあ。
白黒画面の若き日のナビィ役の女優さん、かわいかったなあ。真柴先生かと思いましたわー。
「アイシテルランド」のセッションもよかったー。これだけでも見る(聞く)価値あり。
まあ、私の映画評はこんなええかげんなもんです。
最後に、中江監督を検索してびっくり。
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(経歴)
京都府京都市出身。京都府立洛北高等学校から琉球大学農学部へ入学して以後、沖縄県で生活する。
学生時代から映画研究会で8ミリ作品を発表しており、自主映画の仲間とともにオムニバス映画『パイナップル・ツアーズ』を制作して商業映画デビュー。日本映画監督協会新人賞を受賞する。以降も、作品のほとんどは沖縄を舞台にしている。2000年に自ら監督・脚本を担当した映画『ナビィの恋』で芸術選奨新人賞、新藤兼人賞・金賞を受賞。
また、2005年5月には真喜屋力らと、那覇市の閉館した映画館を「桜坂劇場」として復活(劇場支配人は真喜屋)。劇場を運営する「株式会社クランク」の代表取締役社長をつとめ、体験ワークショップ「桜坂市民大学」等も開催している。 2010年には桜坂劇場内に、沖縄クラフトのセレクトショップ「ふくら舎」をオープン。沖縄の焼き物の工房から直接買い付けるバイヤーを担当。
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私が沖縄に行くたびに立ち寄っている「桜坂劇場」を復活させた人でしたか・・・。
いろいろな意味で、ありがとうございました。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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