2016年11月27日(日)
第37回瀬戸内海タートルフルマラソン [ランニング・出張販売]
一日中雨の天気予報。
小豆島は、5月の「オリーブマラソン」と11月の「瀬戸内海タートル」と年に2回、今まで50回以上来ているはず。小豆島は雨がすごくめずらしく、この2大会当日が一日中雨という予報は初めてだと思う。
その天気予報が当たりました。一日中やむことのない雨。一日中カッパを着たまま。土山マラソンでいただいたスタッフ用キャップが、こんなところで役立つとは思いませんでした。
朝5時50分起き。
いつもはコンビニに寄ってから会場入りするのだが、昨日の晩ごはんの残りのおにぎりがあり、私が買ったパンもある。
宿泊先が土庄港の近くだったので、会場の町役場まではすぐ。
雨が降る中、自前の簡易テントを前に出させてもらい商品を並べて行った。
私は今年で3年連続申し込みに遅れ、また走れない。
でも今日の雨模様を見ていたら、「走りたいなあ」という気持ちにはならない。これでよかったのかも。
9時半に最初の種目「フル」がスタート。
天気予報では一度も雨はやむことはない。
走り続けられる人は平気だろうが、途中歩いてしまいそうな人にとっては最悪の天気。どうか無理のないように・・・。
フルのスタートの10分後に「ハーフ」のスタート。
こちらには知り合いがたくさん出ているので、ウロウロしながら探してみた。
岡山の海部さん発見。お隣のでっかい方は娘婿さんだそうだ。寒さに強そう。
桑田・村松ペア発見。
桑田さんが雨にも全然めげておられなかったので安心した。
毎年この「ハーフ」の参加者が一番多い。
雨のレースの伴走もかなりむずかしそうだが、ベテラン村松さんなら何も心配することはないでしょう。
ウルトラランナー・貝畑和子さん発見。超久しぶりにお会いします。
ハーフのランナーの伴走を務めてられた。
ハーフの10分後スタートの「10km」に出られる滋賀の小川さん。
73歳でランシャツランパン姿とは・・・。
私と同じで暑がりなんかなあ。
3種目ともスタートしてぐるっと回って、またスタート地点近くに戻ってくる。
ここに待っていたら、もう一度応援ができる。
小川さん発見。
何やら様子がおかしい。
「チップつけるの忘れてしもた。」
やらかしましたね。
私もだいぶ前に一度やらかしました。スタート地点で気づいて、あわてて付けに返ったことも何回かある。シューズに着けるチップは面倒なので、全部ナンバーカードについてるタイプにてくれたらいいのに。
あたたかいにゅうめんのサービス。
今年はちょっとお汁がからかった。
でもタコ入りでおいしかった。
ウインドブレーカーの上にカッパ。
カッパは安もんなので、だんだん雨がしみてきて寒かった。
展示しているウエアの下でにゅうめんを食べるますみさん。
ネコちぐらに入っているネコちゃんみたいやねえ。
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10kmがスターとして1時間がたったので、小川さんを探しに行った。
1時間17分くらいでゴール。
体調が悪いとお聞きしていた割には元気そうだった。
私が途中で声をかけたら、「早う戻って商売せんな」と言い返してはったくらいですから。
ハーフのランナーがゴールするころ、この日一番きつい雨。ちょっと応援にはよう行かんかった。
ゴール後の桑田・村松ペア発見。さっそくにゅうめんをいただいてはりました。
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フルのスタートから4時間ほどになり、走友・三宅文彦さんが帰ってくるころ。
ゴール前にのひと踏ん張りをしてもらおうと探しに行った。
ゴールまであと2kmのところまで走って行き、しばらく待ったが現れず。
「もっと速くゴールしやはったんかもな」と思い、戻ることにした。
残り1kmのところに立派なお寺があった。
せっかくなんで見学。
「小豆島霊場第五十三番 喜多山不動院 本覚寺」(ホームページより)
本覚寺は、ギネスブック認定の土渕海峡の西の端、土庄港より湾を挟んだ丘の上にあり、とても眺めの良いお寺です。
境内にはイチョウやサクラなどが植えられていて、季節を感じる事ができます。
全国的にも珍しい五大力明王をご本尊とし、インドの、ネール元首相など10万人の髪の毛の刺繍で造られた世界で唯一の仏様である一髪観音が奉られています。
この一髪観音が奉られている観音堂は、常は鍵をかけておりますので、ご参拝の折にはお声掛けをいただければと思います。
雨の中ゴールしたランナーは、少しでも早く帰りたい。体が冷え切ってしまっているので、お店をのぞく余裕ある人はいない。ハーフまでならまだましだが、フルをゴールした人はもうまったく見に来られなかった。
早く片づけてしまいたかったが、午後3時ゴール閉鎖で、会場内車両進入は3時半から。とりあえずすぐ積めるようにだけ整理し、3時半に車を入れて積み込んだら20分ほどで終了。
4時半のフェリーも間に合う早さだったが、父の誕生日プレゼントも買わんなんかったので「マルナカ」さんへ。ちょっとだけ買い物をし、土庄港へ。
5時半発のフェリーはびっくりするほどガラガラ。
車は5台くらいだけ。みなさん、早う帰らはったんですね。
これでは後半売れへんはずやわ。
まあ上手にテントを張って、シートも張って、商品がぬれへんようにできたのがまだ幸いやったかな。今年降ったら、もう当分雨はないやろう。そう思っとこ。
西宮が事故渋滞と表示が出ていたので、三木SAで夕食。
小川さんの奥さんからいただいたサンドイッチを食べたので、そんなにお腹は減っていなかったが急いでも仕方ない。
家に着いたのは10時10分。
いつもならきゅんきゆん言いながら出てくるきくが、ぬぽーと出てきた。
夕方まで廉が世話をしてくれていたので、そのあと安心して寝てたみたい。きくの平穏が保たれて、廉ちゃんに感謝です。
さて、来年はどうなることやら・・・。
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2016年11月26日(土)
第37回瀬戸内海タートルフルマラソン・前日受付 [ランニング・出張販売]
今日はヨメさんが模試のため、私一人で前日受付の出店。 12時40分土庄港着で、一人で商品を並べ、だいたい全部出し終わるのに2時間ほどかかった。
いつも声をかけてくださる岡山の海部さんが、「ひとりでようがんばって出したなあ」とほめてくださった。そうなんです。私なりにものすごがんばったんですよ。
朝7時、自宅出発。
新岡山港まで約220km。スムーズにいけば10時半発のフェリーに間に合うかもと思ったが、毎度おなじみ宝塚トンネルの渋滞でわずかに間に合わず。
フェリー乗り場でゆっくりうどんを食べ、11時半発のフェリーへ。
一人でフェリーに乗るのも初めてやねえ。
何もすることがなかったので、家から持ってきた新聞を読んでいた。
12時40分、土庄港到着。
ここのフェリーターミナルが前日受付場所なので楽。
そうそう、この大会もいつのまにかナンバーカード先送りになったようで、「受付」ではなく「参加賞引換」になっていた。
雨さえ降っていなければ広々と並べられる。
真ん中に通路を確保して、駐車場側にシューズ、ターミナル側にウェアを並べた。これで見やすくなっていると思う。
落ち着いたところで、1枚自撮り。
去年は寒かったが、今年は雨が降る前のせいかそれほど寒くはない。
4時ごろ着のフェリーで、すごくたくさんの方が見に来てくださった。
この時がピーク。覚えとかなあかんね。
出港する船とカラーテープ。いいですね。
沖縄・西表島の船浮を思い出す。
岡山のウルトラランナー・村松達也さんがご来店。また、伴走役をされるそうだ。
村松さんとは、1991年の「別府熊本140kmレース」で一度ご一緒させてもらっただけの仲。それなのにずっと覚えてくださっていて、見つければ声をかけてきてくださる。
知る人ぞ知るウルトラマラソン界の超エリートの村松さんと、ウルトラ16回連続関門収容という情けない記録を持つパオパオ。この同い年の二人の会話が弾む弾む。
今年10月には、地元で70kmのトレイルランを主催され、来年以降も続けていかれるそうだ。出れるもんなら出てみたいけど・・・、無理かなあ・・・。
曇り空だったので、日が暮れるのが早い。
もう5時過ぎから片付け始めた。
6時半にはすべて積み込み。
出すときはまだ元気だったが、さすがに一人で片付けるのはつらかった。
「参加賞引換」も6時までだったので、ターミナル内もひっそりしていた。
ヨメさんが乗ってくるフェリーまでまだだいぶ時間があったので、先に宿まで。
今年はいつも泊めていただいていたところがいっぱいで、素泊まりの宿しか取れなかった。でも、港のすぐ近くなので便利。
車を宿の駐車場に置き、ちょっと休けいしてから港へ。
ヨメさんは7時15分着のフェリーに、余裕で間に合ったそうだ。あわてずにすんでよかったね。
せっかくなんで、ターミナル前のいつもの「赤犬」と記念撮影。
そのまま、宿のおばちゃんに教えてもらった居酒屋へ。
港のすぐ近くだが、ちょっと奥まったところなのでお客さんは少なかった。
メニューは豊富だが、時々「今日はないのよー」というものもある。
そら、島やからしょうがないわねえ。
立派な古民家風の建物で、落ち着いた雰囲気でよかった。
タコのから揚げ、うまかったー。
食べ終わって、すぐ近くのコンビニでデザートを買って宿に帰った。
最初泊まっている人がほとんどいないのかと思っていたら、若い人が次々とやってきた。素泊まりにしてはちょっと割高な気がしたが、若い人はお料理付きよりこんなとこのほうがいいのか知らんと思った。
家のビデオの調子が悪く、「路地の声 父の声〜中上健次を探して〜」を12時まで見てしまった。見てよかった。もっともっと中上作品を読もうと思った。
明日は走らんから、睡眠時間短くても平気です。雨の予報やけど、販売のほうをがんばらんとね。
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2016年11月25日(金)
高校駅伝男子復路ラン [ランニング]
今日は寮の管理代行のバイトから朝帰り。
午後は明日からの出張販売の準備。そのため、午前中に走っておかなくてはならない。
予定していた通り、今日は高駅伝男子の復路(4区〜7区)を走る。
まずは、3区から4区への中継所である国際会館前へ。家から約2.7km、14分40秒。
こないだは試走に来ていた高校生がいたが、今日は誰もいなかった。
9時半、国際会館前をスタート。
スピードを出しすぎないように、ロングタイツをはき上着を着て。
今日も月曜の「顔面滑り込み」の時とはちがうシューズ、ちがうウェアで。
9時30分、国際会館前の第3中継所をスタート。
高校男子4区は3区のちょうど反対の約8.1km。
白川通の跨線橋。
ここを上って下りたら、あとはほとんど下り。
そのちょうど中間あたりが造形大。
きれいなトイレがあるので、3区4区の応援をされる方は覚えておかれるといいでしょう。
こういうポスターは撮っておかないと・・・。
別の意味で、こういう看板も撮っておかないと・・・。
丸太町橋を渡ると、あと数百メートル。
河原町丸太町の交差点を超えたところが第4中継所。
8.1km、44分35秒。(キロ5分30秒ペース。)
烏丸丸太町から烏丸通を北上。ゆるやかな上り。
東側の歩道とちがい、西側の歩道はかなり広い。
足腰の守護神をしっかり拝んで・・・。
5区3kmは16分19秒。
ここから紫明通、堀川通、北大路通と6区の最初はジグザグ。
北大路通西行きの上り坂はけっこうきつい。
時々左大文字が見えるので、それを励みにしながら・・・。
北野中学前で5km、27分17秒。
ここらあたりから最終7区。
嵐電・西大路三条駅を通過。
五条通を右折すると、ゴールまであと2kmほど。
この先が、先日の「顔面滑り込み」現場。
ここここ、血まみれの顔で「水を使わせてください」と飛び込んだ車屋さん。その節は、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。
ここですわー!
あーあー、この長方形のマンホールのふたみたいなやつにすべってしもたんやわ。
「ちょっとした段差があって」とか言っていたが、段差なんかありませんね。
こんなとこにつまずいているようでは、伴走不適格者です。最低1時間は集中できるように自己訓練しよう。
西京極運動公園到着。
ここからまだ競技場の中の分があるので、ほんまの勝負は残り500mですかね。
一応、噴水前でゴール。
21.07km、1時間55分33秒。
(赤信号ごとに時計をとめたので、実際は2時間以上かかっている。)
今日はとりあえずこけないように注意。
復路はほとんど下りなので、楽に走れた。
走っていて思ったんですが、こんないいコースをごく一部の選手だけに走らせるのはもったいない。交通規制の関係で厳しいかもしれないが、制限3時間の市民駅伝は実現不可能だろうか。
例えば、わが「京都走ろう会」の60以上だけでも十分完走可能。松本さん北出さん私が1区3区4区(約26.2km)をキロ4分ペースで走れば、残り4区間(16km)がもう少し遅くとも、全7区間42.195kmを2時間50分くらいでゴールできる。余裕やねえ。「全員60歳以上の部」というのがあれば入賞可能かも。
こんなおもしろそうな駅伝、実現してほしいなあ。
西京極から阪急で烏丸駅へ。
そこから地下鉄で国際会館駅へ。
帰り道も走って約2.7km、15分14秒。
あー、ええ練習になった。
家に帰ると、きくはいつも通り、廉のベッドでふて寝。
安心のふて寝ですわー。
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【今日のきく】
出張販売の荷物を積み込んでいるところを見守ってくれているきく。
「きくちゃんのごはん代稼ぐためにがんばってんにゃしなー」
「わかってますがなー。」
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2016年11月24日(木)
京都を世界トップレベルのがん治療拠点に [病院]
◎朝日新聞11月23日朝刊
■陽子線に加え中性子腺がん治療も
府立医大 最先端拠点に
京都を世界のトップレベルのがん治療拠点に―。府や半導体大手のロームなどは22日、中性子線を使うがん治療機器のの共同開発や、拠点となる建物を府立医大(上京区)敷地内に建設することで合意した。同大学では陽子線治療施設の建設も進んでおり、二つの最先端治療の提供をめざす。
府などが新たに実用化をめざすのは「ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)」。放射線治療の一種で、がん細胞だけに集まる専用のホウ素薬剤を患者の体内に点滴で入れ、中性子線によって核反応を起こしてがん細胞を壊す治療法だ。
今回の合意では、ロームなどが最新の半導体技術を使った中性子線を発生させる機器を実用化に向けて開発を進め、2、3年以内に同大学に新たに建設する研究・治療拠点とともに府に寄付。2020年度を目標に、同大学が臨床試験(治験)を始める。
開発費の見通しは立っていないが、ロームの負担は「数十億円規模になる」(府幹部)とみられる。山田啓二知事は「府は土地を提供するだけでなので、本来高額な治療だが、府民には安く提供したい」と歓迎する。
同大学では、陽子線治療や高精度放射線治療などができる全国初の施設を、精密小型モーター最大手・日本電産の創業者で会長兼社長の永守重信氏が約70億円をかけて寄付。来秋完成をめざして建設中だ。
目で確認できるがんに対するピンポイント攻撃が得意な「陽子線」と、広く転移していたり正常な細胞と入り交じったりして切除が難しいがんに効果が見込まれる「中性子線」。症状によって二つの最先端治療を使い分けることができるようになる。府の担当者は「京都を、世界トップレベルのがん治療拠点にしたい」と意気込む。
■ローム、機器を小型化
BNCTをめぐっては、大阪医科大や筑波大、国立がん研究センターなどが実用化に向けた研究や準備を進めている。原則1回の治療で済み、副作用も少ないというメリットがあるため、開発競争が激しい。
これまで治療できる施設は原子炉を持つ研究機関に限られていた。だが最近は、中性子を生み出す全長5〜6メートル、重量も数十トンの加速器と呼ばれる機器が開発され、比較的取り組みやすくなったという。
今回、ロームなどが開発した機器は、さらなる小型化に成功している。全長50センチ前後、重さは50キロ以内。複数の機器を並べて様々な方向から中性子線を集中的に当てることもできるようになった。
また、これまでのBNCTでは治療できる範囲が体表から6センチ程度だったのが、25センチほどまで広がり、治療能力の向上が見込まれるという。小型化により、将来各地の病院にも普及しやすくなる。
同大学の吉川敏一学長は「膵臓がん、胆嚢・胆管がんは見つかったときにはすでに転移していることが多い。それを治療する協力なツールになる」と期待する。
(岡本智)
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今日は寮2(出町)24時間。
また、朝日と日経を読みふけっていた。
これはうれしいニュースかな。
甲状腺がんにも使えるんでしょうか。
ただし、高額ちゅうのがねえ・・・。
オプジーボよりは安いんやろか。
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2016年11月23日(水)
今日の顔面 [雑感]
顔面滑り込みからの復活。
この治り具合を毎日写真に撮ったらおもしろいやろなあと思ったが、なんせ元々の顔がおもしろくない。「今日の顔面」シリーズ化は断念。
今日は寮1(二条)17時間。
傷だらけの顔は中上健次にも引けを取らないと思ったが、寮生をビビらせるわけにはいかない。マスクをしておとなしく。これでほとんど分かりませんよね。
ところが、料理長の○本さんは鋭い。
いきなり、「どうしたん?」
「走ってて、こけたんです。」
「ほんまか、だれかと殴り合いのけんかになったんちゃうん?」
「いやいや、この歳でそれはないですわ。ヨメさんにしばかれたちゅうんが一番うけますけど・・・。」
「しばかれたんとちごて、かまれたんちゃいますか。」
「ほんま、ほんま。」
ケガして痛かったちゅうてんのに、人の顔で楽しんでくれますわー。
12時前、家に帰ればうれしい干し柿。
「干し柿は愛の証」、ますみちゃんありがとう。
近所の野菜自動販売機で150円やそうです。「安い!」
入院中の一時帰宅の時に走った「京都鴨川ゆっくりラン」の完走証が送られてきた。
おもしろかったなあ。
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「日輪の翼」 [書評]
◎朝日新聞テレビ欄11月21日・フォーカスオン!
路地の声 父の声〜中上健次を探して〜 Eテレ 26日夜11時
オバたちの語りの強さ
作家・中上健次(1946〜92)は故郷の和歌山県新宮市の被差別部落を「路地」と呼び、そこで繰り広げられる濃密な人々の営みを、「枯木灘」や「千年の愉楽」といった作品で描いた。その路地の生の「声」が、このほど見つかった。
家族が保管していたカセットテープの中に、中上が36ログイン前の続き年前に路地の老婆5人に聞き取りをした様子が収められていた。26日夜11時からのETV特集「路地の声 父の声〜中上健次を探して〜」(Eテレ)で、それを聞くことが出来る。
路地で、老婆は「オバ」と呼ばれる。同和対策事業で路地が解体されていく中、オバたちの「生」を記録したいという思いが中上にはあった。塩田純プロデューサーは「女郎として売られ、14歳で私生児を産んだというような過酷な身の上話と、その中でも助け合って生きる豊かな共同性が記録されている」と話す。まさに中上文学の世界だが、作品としては、この聞き取りは「日輪の翼」に生かされているという。
中上作品の魅力の一つは、会話で駆使される方言にある。それだけに、オバたちの語りそのものも気になる。「過酷な時代を生き抜いた文字なき人の語りの強さがある」と塩田さん。
番組では、中上の長女で作家の中上紀さん=写真=が、オバたちの遺族や関係者を訪ねる。作家の星野智幸さんや、「日輪の翼」を舞台化したやなぎみわさんとの対話も交え、中上がどのように文学世界を作り出したか読み解く。
「中上文学を知らない人でも、かつて路地という世界があり、そこで生きた人たちが、どれほど豊かで強い言葉を持っていたかを感じてほしい」と塩田さんは話す。
(滝沢文那)
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入院中に読んだ「日輪の翼」の書評が書けていない。
そらそうやすやすとは書けんわ、被差別部落の「オバ」たちの物語やから。
今度の土曜は小豆島に出張やし、その日には見られんけどビデオとっとこ。それ見てからやね、書評を書くのは。
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2016年11月22日(火)
高校駅伝男子往路ラン [ランニング]
昨日、図らずも中断してしまった高校駅伝コースラン。
顔面滑り込みで手足も傷だらけになったが、なんとか1区10kmは走り切った。
一晩寝ると、もっと顔が腫れるかと思ったが案外ましだった。バタッと倒れたのではなく、「すべった」のが大事に至らなかった理由のようだ。
ということで、今日は昨日の往路の残り、2区(3km)3区(約8.1km)を走る。
昨日こけたシューズはげんが悪いので、今日は軽量「アディゼロタクミ・センブースト」で。
本当は、今日は東京に出向き、中野勇人さんの「国会前アピールラン・ファイナル」に参加したかった。しかしあの中野さんのことだから、またなにか企画されるだろうし、その時に参加させてもらいますね。
今日も、まずは地下鉄・国際会館駅まで。
今、国際会館の横に新しい建物を建てているようで、その警備に緑のガードマン。あれは、我が社のガードマンにちがいない。帰りにあいさつに行こうっと。
国際会館駅まで約2.8km、15分38秒。
9時35分、地下鉄鞍馬口駅到着(260円)。
私の前に高校生が3人。
「どこの高校?」と聞くと、「九州学院です。」
同志社大の立派な校舎を眺めながら、烏丸通を南下。
ここも伴走練習にいいかと思ったが、烏丸通の狭い歩道がネックです。前にも書いたが、烏丸通南行き車道は1車線にして、その分広い歩道にしたらどうでしょう。ランナーは喜びますよ。
丸太町通の歩道は広いが、今日はたくさんの観光客が歩いておられた。
2区から3区への中継所で16分46秒。
丸太町橋を渡り・・・。
熊野神社前を左折して東大路通へ。
京大病院前には「全快地蔵」。
入念に拝んどきました。
京大西部講堂前を通過。
百万遍を右折し、今出川通を東へ。
途中に地蔵さんの集団。
こんなたくさん集まっているところを初めて見た。
銀閣寺前で大文字山を拝んで左折。
ここから白川通を北上。
京都造形大学前を通過。
この季節、イチョウの落ち葉がすごい。
見ていてきれいなのだが、伴走する場合は滑るので要注意。
かわいいネコちゃん2ひき発見。
3歳くらいの男の子とお母さんがネコをなでていた。
いい風景でした。
修学院の叡電跨線橋。
ここは練習できない。
私の前にまた高校生。
茨城・水城高校の子たちでした。
宝が池通に入ると、あとはまっすぐ。
3区から4区への中継所。ここで1時間02分41秒。
GPS腕時計では11.07kmだったが、ここは陸連公認コース。私の時計が正確に計測できなかったようだ。
我が社のガードマンにあいさつに。
私が黒い雪だるまといっていた○脇さんだった。
やさしいやさしい○脇さんは、私の顔を見て「どうしたん?」とびっくりされていた。おどかしてすいません。
ここからの帰りも走って。
約2.8km、15分29秒。
今日はアクシデントなく走れたので、気分良く自撮り。
11.1km+駅往復5.6kmで、合計16.7km.
明日あさっては寮の管理代行のバイトで走れないので、金曜に復路コースを走りたいなあ。
家に帰ると、きくちゃんがぼーぜんと寝ていた。
「オッサンも顔にワセリンぬってるから、えらい汗かいたわ。ぼーぜんやわ、ぼーぜん。」
とか言っても完全無視のきくちゃんでした。
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君のためにも座る [時事]
◎沖縄タイムス11月19日
機動隊員よ、君のためにも座る 大阪の沖縄出身女性
沖縄県の米軍北部訓練場ヘリパッド建設への抗議現場で起きた大阪府警機動隊員による「土人」などの差別発言は、松井一郎府知事の擁護や鶴保庸介沖縄担当相の「差別と断定できない」発言でさらに波紋を広げた。発言から18日で1カ月。大阪で沖縄の基地問題を訴えている人は何を思うのか。
「ほんまに許されへん」。訓練場メインゲート前で10月下旬、大阪の女性3人が府知事や建設を強行する安倍政権に怒った。手作りの横断幕に、「戦争につながる基地建設阻止のために座り込むことは、あなたたち機動隊員も守ることになる」と伝えるため、胸元に「君のために座る」と書いた白いエプロンを着た。
その一人、芳沢あきこさん(66)は宮古島出身。「基地のない平和で豊かな沖縄をめざす会」共同代表として駅前でビラを配ると、「棄民」「国に帰ってやれ」「沖縄が交付金をもらわなかったら支援してやる」と言われた。そのたびに沖縄への無理解を実感するが、今回の発言を「公務員が公務中に侮蔑的な発言をした。国民誰にでも起こりうる問題でもある」と強調する。
ある日、発言を問題にしたビラを受け取った女性に「お気持ちはよく分かります」と言われた。女性は生活保護費受給者。役所などで不快な言葉を浴びた経験を語った。芳沢さんは「虐げられている側や弱者には分かるんだ」と感じた。
沖縄で起こる問題を「私にも関係あるん?」と思ってもらうため、ビラの見出しも工夫。今回の発言は「公務員が公務中に国民を侮辱」。宮古や石垣の自衛隊配備問題では「日本全国が軍事要塞(ようさい)化」と書いた。
自身の講演会で、今回の発言を「当事者感覚で受け止めた」のは当初、参加者約70人中1人。だが「誰にでも起こり得ること」だと説明すると理解者は増えた。
「沖縄だけの問題」で終わらせてはいけない−。常にその思いがある。(北部報道部・伊集竜太郎)
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2010年5月、「沖縄」という映画が教文センターで上映された。その上映後に会場前でビラを配っておられたのが芳沢あきこさん。芳沢さんは「基地のない平和で豊かな沖縄をめざす会」の代表。
そこで立ち話をさせてもらい、そのあとずっと「OKINAWA」という会誌を送っていただいている。(立ち話の内容は、映画「沖縄」の記事中にくわしく書いています。)
芳沢さんのブログもリンクさせてもらっていたのだが、現在休止中かどこかへ移動してしまったのか見られない。ちゃんとお聞きするか、探しておかないとダメでしたね。
今日、沖縄関連のニュースを検索していてひっかかった。
「大阪の沖縄出身女性」でピンときた。たどってみると、やっぱり芳沢さんだった。
「君のために座る」、いいですね。きっと「君たち」の中の誰かの心に響いていると思います。
私も何かしなければ。
とりあえず、最近お支払いを忘れている年会費を納めます。
もちろん、「沖縄100km」は「平和・憲法九条」ののぼりを背負って走りますよ。それぞれが、自分のできる範囲でがんばりましょう。
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