パオパオだより

2013年12月03日(火)

にゃーと鳴くきくちゃん [わんこ・にゃんこ]

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 関空に着いたのが午後2時20分ころ。
 そこからいつもの京都アクセスきっぷで阪急・烏丸駅。地下鉄と京都バスを乗り継いで、自宅到着は5時20分。那覇から関空が2時間で、関空から自宅が3時間とはねえ。

 急いで「京都キャロット」へ。
 ちょうどお客様が2組来られていて、ヨメさんは大いそがし。きくちゃんはずっとほっておかれたようだ。

 「にゃー、にゃー。」

 「きくちゃん、ネコになったんか。」

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 土曜から廉も沖縄に来たので、この4日間、きくはヨメさんとべったり。きくもヨメさんもたいへんだったようだ。

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 「明日はいっぱい遊ぼうな。」

 ヨメさんも疲れて、目のあたりがおかしくなっていた。
 あんまり仕事の役には立たへんけど、せめてきくちゃんの相手くらいはせんとね。

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2013年12月02日(月)

第29回NAHAマラソン・続き [ランニング]

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 前日宿泊は、ゆいレール・安里駅近くの沖縄ホテル。沖縄で一番古いホテルとか。
 でもそのおかげで、3人寝られる和室があった。私は和室に寝られてよかったのだが、廉と真樹は布団と布団が近すぎて私のいびきに困っていたらしい。

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 ホテルの門の前で、「さあがんばるぞ」の記念撮影。
 なぜか、二人ともいつもより足が長く見える。

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 朝ゆっくりしすぎて予定のゆいレールにも乗り遅れ、会場に着いたのは8時半。

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 私は陸連登録のBブロック、真樹は半分より後ろのHブロック。橋を渡ったところで、廉は真樹に付き添い後ろへ。私はずっと前へ。
 陸連登録の部はすごく少なかった。
 「へへへ、これならストレスなく最初からバンバン飛ばせるぞー!」
 「もう、入れません。一番後ろに回ってください。」
 「一番うしろー!!!」

 もうしょうがない。真樹に電話するも出ず。廉に電話すると3回目くらいにやっと出てくれた。
 「真樹、並べたか―?」 
 「うん、ちょうどHブロックのとこが開いてて、そこに入れた。」
 「パオパオのとこはあかんかったわ。もうこうなったら真樹のとこまで行って、見つけていっしょにゆっくり走るわ。」

 Hブロックまで下がると、何とか中に入れた。しかし、廉と連絡を取り続けていたのだが真樹には会えずじまい。

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 そして、スタートの9時。 
 すぐ近くにいるはずだが、すごい人ごみで真樹を見つけることはできない。前が詰まっていて、走るにも走れない。

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 スタートラインがどこだったのか分からなかったが、那覇市長さんやMAXが手を振ってくださっていたところでしょうね。ここまで、たしか16分くらい。

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 スタートから少し行くと国際通り。
 なじみの通りなのですごく気持ちよく走れるのだが、道幅が狭く前のランナーを抜くのは無理。

 このあたりは、ずっと真樹を探しながらのキョロキョロラン。

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 でもこんなかわいいワンちゃんが。
 それまでくつろいでいたのだが、私がかまうとビビってしっぽタレタレになってしまった。
 「さくら・メス・13歳」

 この先5km、47分18秒。
 自分ではかなりゆっくりのつもりだったが、スタートの16分を引くと31分。ここで完全に真樹と離れてしまったようだ。

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 10km、1時間23分58秒(36分40秒)。
 このあたり計算できてませんでしたが、ずっとキロ7分ちょっとで走ってたんですね。

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 「つばくろう!」

 いったん通り過ぎてしまったが、ヤクルトファンとしては「これは写真を撮らなあかん」と思い直し逆走。写真は撮れたけど、ヤクルトはもらいに行けなかった。

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 上り坂で横を見ると、二人の若者が苗植えをしている。
 「それはなんの苗ですかー。」
 「キャベツです。」
 「ありがとう。」

 15km、1時間57分11秒(33分13秒)。
 前が少しすいてきたのでスピードアップしたつもりが、わずかにこの程度(キロ6分半)。いわゆる「スローペースにはまってしまった」というやつです。スローからハイに一挙に上げることなどできません。

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 前に「超デカすいか」発見。
 写真を撮らせてもらったあと、周りにおられた「小すいか」さんに話を聞いた。このすいか軍団は全国バラバラのランナーの集まりで、年1回NAHAマラソンで集結されるらしい。そんな集まりもおもしろいですね。

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 18kmすぎ、後ろから「ふじいさーん」と呼ぶ声。
 「太田さんに藤浦さん、来てはったんですか。でも、ようボクが分かりましたね。」
 「そら、分かるわいな。そんなはよう行かんと、待ってえな。」
 「またへん! 前に並ぶ予定が、おそ行ったもんでだいぶ後ろスタートになってしもて。そやしもっともっと前行かんとあかんのです。」
 「そうやったん。」

 「京都鴨川ゆっくりラン」の矢瀧さんが来られることはブログを見て知っていたが、実行委員長・太田さんが来られていることは知らなかった。こんなところで、よく見つけてくださったもんです。

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 20km、2時間27分54分(30分43秒)。
 かなりがんばったつもりが、最後までキロ5分台には突入できなかった。

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 ハーフ地点、2時間33分54秒。
 第1関門(21.3km)は、2時間35分くらい。

 「おう、なんてこったい! 目標からちょうど1時間遅れ!」

 自分の目標にはほど遠く、真樹のサポートもしてやれず、ここまでは最低な結果だった。あとは、何とか真樹を見つけ出し残りのサポートをすること。1時間半ほど待つ予定が、残り40分ほどになってしまった。

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 藤浦さんが通過。
 太田さんは見つけられず。

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 視覚障害のあるランナーさんも通過。
 しかし、真樹は現れない。

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 「もう、あかんかも・・・」と思った3時間13分すぎ・・・。
 「いたー! すべりこんだー!」

 真樹がすごくいい顔で走りこんできた。満面の笑顔。
 だれも頼る者がおらず、じぶんなりにレースを組み立てたようだ。20km地点では「もう、第1関門突破はムリ!」と思ったらしい。しかしそこからの下りでがんばり、2分弱のギリギリで関門突破。

 「なんか、もうゴールできたみたいな満足感」と真樹。
 「そうかもなあ。」

 自分一人でレースを組みたて、関門規制突破をめざして時計を見ながら走ったのは初めて。自分なりに、すごい満足感があったようだ。よかったね。

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 「もう、走れへん。」
 「走らんでええやん。歩いてでいいし、行けるところまで行こう。」

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 真樹は、腰と肩が痛いと言っていた。
 「肩が痛い」って?
 それは肩に力が入りすぎるパオパオのランニングフォームの遺伝か。

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 私らの後ろには、「もう走れません」のゾンビの群れ。

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 7年前、真樹が小6の時に来た「ひめゆりの塔」前。

 25km地点、4時間00分28秒。
 私はこの5km、1時間32分34秒。もちろん、真樹を待っていた40分を含めてですけど。

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 あー、ついに来ました収容車。
 ついさっきまで後ろにゾンビがいっぱいいたはずなのに―。知らない間に、後ろは人影まばら。

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 「糸満市古波蔵」、これは見覚えのある地名。そう、今年3月に泊めていただいたペンション「南の楽園」さん。ワンちゃんを見に行こう。

 「いたー、口黒3びき。でも、お母さん犬がおらん。」」

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 みんな、恐がって恐がって。

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 ペンションの奥様も、物音を聞いて出てこられた。
 お母さん犬は10月に死んでしまったそうだ。残念!

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 私的には、「南の楽園」のワンちゃんに会えたのでかなり満足。

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 玉城さんに名前を教えてもらった「トックリキワタ」の花の前でパチリ。

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 とにかく、今年2月の「おきなわマラソン」の29kmは超えようとひたすら前へ。

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 「やったー!」

 5時間14分ほどかかったけれど、何とか30km突破。
 フルマラソン完走までの道のりは遠いが、これからも一歩一歩。

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 ここが真樹のゴール。
 さっそく、かあちゃんに電話。だいぶ長い時間しゃべっていた。かあちゃんにもパオパオにも頼らずここまで来れたのはえらい。
 次は廉に電話。廉はどこにも行かず、ずっと会場で待ってくれていたようだ。せっかくの沖縄旅行なのにごめんね。

 30km地点でしばらく待つと、収容バスが来た。この地点で待っていたランナーは少なかったので、この1台に全員が乗れた。
 ところがその先にもたくさんのランナーが。一番多かったのは第2関門(33.2km地点)。バス2台分でもあふれるくらい。先に進めば進むほどバスには乗せてもらえないというつらさ。「あこでバス待っといてよかったなあ。」
 ゴール地点にはちょうどゴール制限の3時15分ころ到着。ところが、そこでは降ろしてもらえず会場の周りを一周。けっきょく、その30分後くらいにやっと降ろしてもらった。

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 バスを降りて、比嘉さんたちの「21世紀の森ランクラブ」の溜まり場へ。その途中、ハーフ地点で会う約束をしていた小橋川さんが私を見つけてくださった。

 「すいませーん、小橋川さん。朝ゆくっりしすぎて前に並べなかったんですよ。後ろからスタートしたんで、ハーフ地点は予定より1時間遅れの2時間35分でした。」
 「そうだったんですか。ハーフ地点で探してみたんですが・・・。」

 廉にも「6月23日にパオパオを助けてくれた人」と紹介し、私、真樹、小橋川さんの3人で記念写真。

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 真樹をずっと待ち続けてくれた廉との記念写真。
 真樹が30kmまで行けたのは、廉が沖縄に来てくれて応援してくれたことも大きい。

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 比嘉さんが用意してきてくださったお料理を、私たちにも食べるようにすすめてくださった。でもせっかくホテルを連泊予約してあったので、帰ってゆっくりさせてもらうことにした。

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 ホテルのお風呂に入ったあと、3人でゆんたく。
 ここにかあちゃんがいたらもっと楽しかったのにね。お仕事ご苦労様です。いつかまた、きくちゃんも含めたみんなで旅行できたらいいのにね。

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2013年12月01日(日)

第29回NAHAマラソン [ランニング]

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 廉も応援に来てくれた「NAHAマラソン」。

 真樹はよくがんばりましたが、30km。何とか今年2月の「おきなわマラソン」の29kmは超えました。
 私は・・・。
 笑ってしまいます。ハーフ地点1時間25分切りどころか、ふにゃふにゃふにゃ・・・。

(注)くわしくは、のちほど。

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2013年11月30日(土)

NAHAマラソン前日 [ランニング]

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 今日はお昼過ぎに名護を出て、NAHAマラソンの受付に。
 比嘉さんたち名護のランナーは、当日朝早く出かけるとおっしゃっていた。受付は那覇のお友だちにでもお願いしてあるんでしょうか。泊まるとなると予約や費用もたいへんだし、なにかいい方法があればいいんですが・・・。

 私たちは受付の後、午後4時ごろ到着予定の廉を空港までお迎え。そこから沖縄ホテルへ。3人泊まれる和室が比較的安くでとれた。
 「パオパオと廉ちゃんと3人で泊まるのん、初めてやなー」と真樹。
 いびきうるさくせんように、要注意。

 真樹と廉は、夜7時から「スペック」を映画館で見る予定。その時間までに晩ごはんを食べておかないと。今日は炭水化物を多めにとらなくては。

 明日、私は陸連登録の部なのでかなり前からスタート。ハーフ地点までバンバン飛ばす。現在絶好調ではないが、1時間35分は切っておきたい。
 そして、そこで真樹を待つ。真樹の目標はハーフ地点3時間。つまり、私はここで1時間25分ほど待つことになりそうだ。
 走友・小橋川誠さんにはメールをしておいたので、なんとしてでも見つけ出し写真を撮らねば。あと、比嘉さんのダンナさんと・・・、雄也さんは私より前だろうし・・・。「みかた残酷」の久保井さん、「鴨川ゆっくり」の矢瀧さんも見つけられたらいいんですが・・・。
 真樹と合流したあとは、33.2kmの第2関門通過をめざす。もしハーフを3時間で通過できておれば、12kmを2時間やから行けるはず。この関門を越えて35kmまで行くと、私がいつもお借りしている「ゴーヤレンタカー」さんがある。ここまで行けたらなー・・・。
 今年2月の「おきなわマラソン」が29kmだったので、真樹の目標としてはここらがいい線。

 「しっかり走りましょう。」
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【RUN】

 午前中時間があったので、ちょっとだけ走りに。

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 めざすは、名護市陸上競技場。
 真樹のアパートから1kmくらい。

 途中で遊んでいる2ひきのネコちゃん見っけ。

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 こんなかわいいワンちゃんも。

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 土曜日なので、中学生や高校生がたくさん。

 1kmジョグのあとにゆっくりめの3000m。13分19秒。
 1kmジョグを挟んで1000m。3分36秒。
 たくさんの子が見てくれているような気がして、かなりがんばれた。
 このあと、ダウンジョグ1km。

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 陸上教室のようなものが行われていたようだ。

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 帰りもかわいいワンちゃん見っけ。

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 これで全部で9kmほど。

 1000mが思っていた以上に走れたので、明日はハーフ地点1時間35分は切れそう。

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2013年11月29日(金)

アガラサー [沖縄]

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 「アガラサーって、なにさー?」と真樹。
 「うーん、なんやろなあ。『だからさー』みたいなもんかな。」???

 今日の夕方、名護に到着。
 真樹のアパートの近くの「スーパーかねひで」が、昨日リニューアルオープン。さっそく私もビールを買いに行った。
 そこで見つけた迷彩色のお菓子。これは買って食べなあかん。こんな色鮮やかなカステラなんぞ見たことがない。

 「沖縄の匂いがするわー」と真樹。
 「そやなー、このきつさがええねんで。」

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 今日は朝からバタバタバタバタ。
 「あいおわ治療院」に行って、銀行にお金をおろしに行ったらもう10時。駐車場にいたネコちゃんをかまうヒマもなかった。まあご立派なネコちゃんやったのに。

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 家に帰ったら10時10分。
 「準備、20分でせんならん。」

 バタバタバタバタ。
 大あわてで家を出た。

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 ヨメさんが、きく付きで送ってくれた。
 いっつもすいません。

 地下鉄・四条駅から阪急・烏丸駅へ。ここで関空アクセスきっぷを買おうと思ったら、「改札、無人でカギがかかってますがなー。」
 「無人の場合はインターホンで」と書いてあったが、それがどこか分からない。やっと見つけて呼び出したが、こちらが急いでいることを理解していない。
 やっと駅員さんが二人、ゆっくりと歩いてこられた。
 「関空アクセスきっぷがほしいんです。あと2分しかないので急いでください。」
 そう言うと、やっとあわててくださった。でもあわてすぎ。改札室のカギが合わない。別の駅員さんのカギでやっとあいた。
 1200円を渡し、ひったくるようにきっぷをもらいホームへ。ところがところが、目の前で扉が閉まる。
 「あー、どうしてくれんねん! 飛行機乗れへんかったら、どうすんねん!」

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 ドキドキしながら乗り継ぎ関空へ。
 何とか間に合った。というか、毎度のごとくジェットスターは遅れ、空港では時間の余裕があったくらい。

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 名護に着いたのは6時前。
 名護の街をきれいに撮ろうとしたが失敗。運転しながらは無茶ですね。(よいオッサンは、マネしないでね。)

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 真樹のところに着くと、もう晩ごはんを作っていた。
 「いやー、ありがたいわー。お昼空港でサンドイッチ食べただけやし、めっちゃ腹へっとってん。」
 「今日はいい肉の日(11.29)やから、お肉食べんとあかんにゃでー」と真樹。だからハンバーグにしたらしい。

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 うまうま。
 こんなおいしいハンバーグ、ちゃちゃと作れるようになったんやねえ。

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 真樹は7時から部活へ。
 私は比嘉増美さんからの頼まれものがあったので、真樹のアパートで待機。比嘉さんはこのあと忘年会ということで、素敵な黒いドレスで登場。アパートの駐車場でいっぱいお話しさせてもらった。
 稲嶺名護市長ともランニングのお仲間で、何年か前に「たたらぎダム湖マラソン」に来られた時もごいっしょされていたそうだ。それは知りませんでした。稲嶺市長はNAHAマラソンもずっと出られていたが、来年1月に選挙があるので今回は出られないだろうとのこと。
 いやー、それにしてもフルマラソンを走られる市長さんて、かっこいいじゃないですか。今年の「久志20kmロードレース」も走っておられたし。来年のNAHAマラソンで、ぜひごいっしょさせていただきたいものです。もちろん、名護市長さんとして・・・。

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2013年11月28日(木)

秘密保護法案にNOを! [時事]

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プラカードを手に特定秘密保護法案への反対を訴える岸野さん(27日午後3時、京都市東山区・四条大橋東詰)

◎京都新聞11月28日朝刊

   秘密保護法案反対 京から
          監視社会の恐怖訴え   紛争地取材、写真家の僧侶

 「まだ諦めていません。法案にNOを」。強行採決で衆院を通過し、27日に参院で審議入りした特定秘密保護法案に反対するため、世界の紛争地を取材してきた写真家の僧侶が、京都市内の繁華街で訴えを続けている。

■繁華街でプラカード「言論の自由奪うな」

 左京区の専修寺副住職の岸野亮哉(りょうさい)さん(38)。紅葉が見頃を迎え、人出でにぎわう東山区の四条大橋東詰に23日から立っている。プラカードを手に「この姿を撮影してツイッターやフェイスブックで広めてください」と声をからす。

 岸野さんは、スリランカやイラク、ミャンマーなどの紛争地に十数回入った。そこでは市民が自由にものを言えない監視社会が広がっていた。記者への不当な拘束、過度な規制による盗聴を気にしながらの取材。それでも現地の人々は「ありのままを伝えてほしい」と、危険を顧みず協力してくれた。「言論の自由が奪われた国で、事実を伝えることがどれほど貴重で、どれほど困難なことか」

 特定秘密保護法案は情報を漏らした公務員だけでなく、それを「教唆」や「扇動」した市民も処罰すると規定している。「秘密漏えいを防ぐだけなら現行法で対応可能なのに、なぜ市民まで処罰の対象にするのか」と岸野さん。「外敵から国を守るために必要というが、紛争地で聞いた言葉と全く同じだ」と危機感を募らせる。

 戦前の日本では、多くの仏教教団が戦争に協力し、反戦を唱えた僧侶は僧籍を剥奪された。「あの過った歴史を絶対に繰り返してはならない。平和な世に生まれた僧侶の信念として、法案に反対したい」と、今日も立つ。
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 岸野さんといえば、私が入らせてもらっている「静市九条の会」にもお話に来てもらった方だ。「九条の会」の集まりはたいてい日曜で、「京都キャロット」の出張販売と重なる。だから、その時も出席できなかったけれど。

 「平和な世に生まれた僧侶の信念として・・・」
 京都には、岸野さんのようなお坊さんがまだまだたくさんおられる。自分が今できることを探し、それを実行しておられる姿はすばらしい。

 先日、義兄が少し話してくれた。
 「こないだ地下鉄・北山駅前で、秘密保護法案反対のビラ配りしたんや。ところが消費税増税反対のビラとは大ちがいで、ほとんど誰も受けとってくれへんねん。まだ法案通ってへんのに、もう『そういうことにはかかわらんほうがええ』ちゅう空気になっとる。今反対しいひんかったら、ほんまにこんなビラを読むことさえできんようになるかもしれんのに・・・。」
 「とりあえず、あなたが投票した議員さんに秘密保護法の説明してもらってくださいってゆうてんねん。そんなことをしてもらうために議員になってもうたんかちゅうことやな。ちゃんと説明できん議員には、次は絶対入れたらあかん。」
 少しずつだが、ビラを受け取ったり、話を聞いてくれる人が増えてきているらしい。

 どの世論調査でも秘密保護法案反対が圧倒的に多いのに、国会では逆に圧倒的多数で通過してしまう。これでいいはずがない。私もなにかしなくては・・・。
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【RUN】

 今日も昼前からバイト。
 よって、私の苦手な朝練。朝練と言っても、9時過ぎからですけど・・・。

 もうすぐ12月。街路樹の葉っぱももうだいぶ落ちてしまった。
 「今年もあと1か月か…。」

 十王堂橋往復5km。26分13秒。
 やっぱり、肩が気になるなあ。
 1kmプラスして、今日は6km。

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【今日のきく】

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 私が走りに出るとき、きくが廉の部屋からのそっと出てきた。
 「オバサンには散歩につれて行ってもうたけど、オッサンはないんか。」
 「あー、分かった分かった。帰ってきたら行くから。」

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 走って帰ってきたら、家を出る時刻までもう30分ほどしかない。
 「いそげー!」

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 でも、きくはゆっくりゆっくり。

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 ぐるっと回って帰ろうとすると・・・。

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 「こんなちょっとの散歩ではやってられん。ガウガウ!」

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 笑ってるように見えますが、「もっと、あそばんかい!」と怒ってる顔です。
 「あー、かわいい。」

 

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天皇の政治利用 [時事]

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「昭和天皇と違って、今上天皇は揶揄の対象にもならない。親近感に支えられた権威だからです」     =早坂元興撮影

◎朝日新聞11月27日朝刊・今こそ政治を話そう

   内なる天皇制     映画監督・作家、森達也さん

 戦後約70年が経ち、天皇陛下に対する私たちの意識は変わったと思っていたが、違った。久々に耳にした「不敬」は、私たちは変わったというよりは、天皇についてただ考えなく、語らなくなっているだけなのだと教えてくれる。だから語ってもらおう。かつて憲法1条=天皇をテーマにドキュメンタリーを撮ろうとした、森達也さんに。

 ――園遊会で山本太郎参院議員が天皇陛下に手紙を渡した件は、参院議長が厳重注意し、落着しました。

 「『常識を欠くもので、極めて遺憾』と。しかし常識というのはとても恣意(しい)的な言葉です。何のルールを侵したのか明示されないまま、ペナルティーが与えられる。極めて日本的なやり方ですっきりしませんね。そもそも手紙を渡すことがどうして『政治利用』になるのでしょう。強いて言うなら『政治利用未遂』だし、それ以前に、利用するとかされるとか、それこそ天皇に失礼じゃないですか。僕だったら『私はモノじゃない』と言いたくなります」

 「騒動後に社会とメディアにあふれた言葉は『政治利用』だけではなく、『非礼』や『失礼』、そして『不敬』でした。この国の『内なる天皇制』はこれほどに強固だったのかと感じ入りました」

 ――どういうことですか。

 「大学の授業で、学生たちに山本さんの行為をどう思うかを聞くと、一様に『失礼だ』『不敬だ』との答えが返ってきました。その表情は真剣です。『天皇がとても困っているように見えた』とか『手紙を片手で渡すなど失礼だ』などと発言する学生もいました。でも『例えば学生が学長に、あるいは社員が社長に手紙を渡すことは非礼なのか?』と聞くと『それは違います』と。『ではなぜ天皇に対しては非礼になるのか?』と重ねて聞けば、『確かになぜでしょうね』ときょとんとしている。彼らは平成生まれです。なのに天皇はタブーに囲まれた特権的な存在だという意識をいつの間にか内面化している。これが『内なる天皇制』です。今の若い世代は権威に従順で空気に感染しやすいので、自然とそうなってしまったのでしょう」

 ――とはいえ歴史を踏まえれば、天皇の政治利用は許されません。

 「そうですね。しかし天皇制の歴史は、時の政治権力に利用され続けてきた歴史ともいえる。その究極がアジア太平洋戦争です。政治利用のリスクを本当に退けたいなら、戦後、天皇制を手放すべきでした。しかしアメリカは日本の占領統治を円滑に進めるために、天皇制を残したほうがいいと考えた。そのために昭和天皇は戦争に積極的ではなく、軍部に利用されただけだという『物語』を強調しました。その副産物がA級戦犯で、天皇制を守るためにA級戦犯に責任を背負わせた。だから昭和天皇も今上天皇も、A級戦犯が合祀(ごうし)されて以来、靖国神社を訪れたことはありません」

 「ところが自民党の歴代首相は靖国神社参拝に意欲を見せ、その一方で改憲して天皇を国家元首にしようと。これほど倒錯した政治利用はありませんが、自民党も国民も気づいていない。そのレベルで戦後を過ごしてきたからこそ、山本さんの件では表層的な批判が宙を舞い、『内なる天皇制』や皇室タブーがさらに強化され、本質的な議論がますますしづらくなったと思います」

 「今年4月に政府が主催した『主権回復の日』を祝う式典への天皇、皇后の出席が政治利用だと指摘されました。天皇、皇后が退席する際、会場から『天皇陛下万歳』の声がかかり、安倍晋三首相や麻生太郎副総理も万歳したことも批判された。でも話はそこにとどまりません。その後にアップされた政府のインターネットテレビの動画をみると、なぜか『天皇陛下』の音声だけが消えています。数秒間無音になって、唐突に『万歳』が聞こえてくる。意図的かどうかは別にして、これこそ非礼でしょう。少なくとも万歳三唱の際の天皇の表情は、山本さんから手紙を渡された時よりも困惑しているように僕には見えました」

     ■     ■

 ――原発反対の一点で支持され、国会議員になった山本さんが、その原発問題について天皇に「直訴」する。戦後の民主主義とはいったいなんだったのでしょうか。

 「民主主義や主権在民という言葉がむなしく響きます。結局は与えられたままになっているということです。その理由の一つは、やはり天皇制にあると思います。統治者と被統治者という緊張関係があるからこそ、被統治者の権利への意識が覚醒し、民主主義は実体化する。しかし日本では、天皇制がその緊張関係に対する緩衝材のような役割を果たしてきました。為政者にとってはとても都合の良いシステムです」

 ――山本さんの弁明は「この胸の内を、苦悩を、理解してくれるのはこの方しか居ない、との身勝手な敬愛の念と想(おも)いが溢(あふ)れ、お手紙をしたためてしまいました」でした。

 「まるで一昔前の恋文ですね。でも考えてみれば、山本さんほど直情径行ではないにせよ、天皇に対する信頼がいま、僕も含め、左派リベラルの間で深まっていると思います」

 「きっかけのひとつが、2001年の天皇誕生日に先立って記者会見し『桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています』と語ったことです。さらに10年にも、やはり桓武天皇に触れながら『多くの国から渡来人が移住し、我が国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました』と。最初の発言は小泉政権下。日韓関係が冷え込んでいました。2度目の発言は、尖閣諸島沖で中国漁船による衝突問題が起きた1カ月後です」

 「04年の園遊会では、当時東京都教育委員だった棋士の米長邦雄氏が『日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事』と発言したのに対して、『やはり、強制になるということではないことが望ましい』と応じた。快哉(かいさい)を叫んだ左は多かったと思います。明らかに天皇は一定の意思を示していて、追い詰められるばかりの左にとって最後の希望のような存在になってしまっている。倒錯しています。でも白状すると、その心性は僕にもあります」

     ■     ■

 ――権力や権威に常に懐疑の目を向けてきた森さんが、天皇にそんな思いを抱いているとは意外です。

 「直感でしかないけれど、人格高潔で信頼できる方だと好感を持っています。そしてそういう自分の心情も含めて、危なっかしいなあとも思います。天皇への依存感情が生まれているわけですから。戦後約70年かけて、また戻ってきちゃったなと」

 「政治家も官僚も経営者も私利私欲でしか動いてないが、天皇だけは違う。真に国民のことを考えてくれている。そんな国民からの高い好感と信頼が今の天皇の権威になっていると思います。昭和天皇は遠い存在でした。遠くて見えないことが、権威の源泉になっていた。しかし今上天皇からは肉声が聞こえるし、表情もうかがえる。だから右だけではなく左も自分たちに都合よく天皇の言動を解釈し、もてはやす。いわば平成の神格化です。天皇は本来、ここまで近しい存在になってはいけなかったのかもしれませんね」

 「そもそも人間は象徴にはなり得ません。ひとりひとり個性があるからです。表情や発言に感情がにじんでしまうことがある。寿命があるから代替わりもする。象徴天皇制は、どんなキャラクターの人が天皇になるかによってその相貌(そうぼう)が変わる、実はとても不安定な制度です」

 「天皇が『現人神(あらひとがみ)』のままでは占領統治がうまくいかないと考えたアメリカの意向を受け、昭和天皇は『人間宣言』をし、象徴天皇となった。ここで捩(よじ)れてしまったのです」

     ■     ■

 ――ただ、天皇への思い入れが薄い若い世代が増えれば、状況はずいぶん変わってくるでしょう。

 「僕もそう思っていましたが、今回、それは違うと気づいた。老若男女を問わず日本人は好きなんですね、『万世一系』という大きな物語が。日本は世界に例をみない特別な国なんだという、インスタントな自己肯定感を与えてくれますから」

 「天皇制は、選民思想を誘発します。この国の近代化の原動力の一つは、他のアジア諸国への蔑視であり優越感で、敗戦後もその感情は持続しました。だからこそ原爆を二つ落とされ、首都は焼け野原になって無条件降伏をしたのに、二十数年後には世界第2位の経済大国になった。確かにこれはミラクルです。しかしGDP(国内総生産)は中国に抜かれ、近代化のシンボルである原発で事故が起き、日本は今後間違いなく、ダウンサイジングの時代に入ります。でも、認めたくないんですよ。アジアの中のワン・オブ・ゼムになってしまうことを。ひそかに醸成してきたアジアへの優越感情をどうにも中和できない。その『現実』と『感情』の軋(きし)みが今、ヘイトスピーチや、『万世一系』神話の主役である天皇への好感と期待として表れているのではないでしょうか」

 「結局、戦後約70年をかけてもなお、僕たちは天皇制とどう向き合うべきか、きちんとした答えを出せていない。山本さんの軽率な行動は図らずも、このことを明らかにしてくれました」(聞き手・高橋純子)

     *

 もりたつや 56年生まれ。明治大学特任教授。98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画「A」を発表。著書に「死刑」「A3」など。
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 昨日バイト先で見た朝日新聞・オピニオン欄に、興味深い記事があった。
 山本太郎参院議員の天皇陛下への手紙から始まる「政治利用」論争。正直、私自身はどう反応していいのやら戸惑っていた。私にとっては、「ホテルの食材偽装」も「天皇の政治利用」も同じくらいの遠さ。「そんなん、食べたこともないし、おうたこともないし・・・。」
 山本議員を処分するといっても、「どの法律で?」ということになる。これから新しい法律を作るにしても、どれも憲法違反になりそう。まさか、山本議員を罰するために憲法改正? それはないわな。

 森達也さんの分析については、何度か首をひねってしまう箇所もあったが概ねうなずけるものだった。
 4000字分ほどのインタビュー。朝日新聞デジタルは有料なので、「これを手打ちはしんどいなあ」と思っていた。「でもまるまる3時間ほどはヒマやし、やってみるかー」と思いながらも、一応どこかに出ていないか探してみた。ありましたー。( 無断でパクラせていただきました。)


 その記事にはこんな見出しもあった。

 若者に醸成された強いタブー意識 左派にも依存感情
 戦後70年経てなお答え出せぬ僕たち 「手紙」で見えた

 「若者に醸成された強いタブー意識」 
 今22歳の我が息子・廉もそんな感じのところがある。「山本太郎の字、めちゃくちゃ下手やったな」とコメント。「関心はそこ?」と思ってしまった。

 「左派にも依存感情」 
 私は左派ではないが、9年前の米長氏への天皇の言葉「強制になるということではないことが望ましい」は自分の心のお守りのように思っている。

 「戦後70年経てなお答え出せぬ僕たち」
 私の答えは、「皇室の民営化」です。小泉さんや橋下さんは「何でもかんでも民営化論者」なのに、「皇室の民営化」だけは一言も言わない。やはりタブーなんでしょうか。
 生まれながらに自分の運命が決められている「お世継ぎ」は、憲法で保障されている基本的人権があると言えるのか。最小限「皇室離脱の自由」くらいは認めるべきだと思う。
 ただし、日本国憲法第1章 天皇(第1条ー第8条)との関係がむずかしい。でも集団的自衛権の憲法解釈みたいに、コソコソとやる手もあるみたいだし・・・。
 独立採算性をとっているらしいイギリス王室は、どうなんでしょう。エリザベスさんの息子は、王室を継がないみたいなことも言われていますが。そもそも、エリザベスさんに手紙を渡すこと自体が失礼とも思えないし・・・。

 「『手紙』で見えた」
 私には、今までさんざん天皇を政治利用してきた議員が、「ポッと出の山本、お前はへっこんどれ」と言ってるように見えた。「わしらの既得特権領域に入ってくんな」という感じ。
 何もせん議員より、批判はあってもいろいろ動いてみる議員の方がましなような気がする。今回の「手紙問題」で、ふだんあまり考えることのない天皇制について考えた人は多かったのではないだろうか。

※ 「今上天皇」のことをずっと「こんじょうてんのう」だと思っていた。変換したら「根性天皇」になってしまった。正しい読み方が分かって「きんじょうてんのう」と打って変換したら、「金城天皇」。「おきなわか!」と突っ込みたくなってしまった。

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