2012年04月28日(土)
三重マスターズ陸上競技記録会 [ランニング]
1500m、5分23秒15。
もう2012年度だが、2011年度のしめくくりのレースのつもりで走ったのでいい結果が出てよかった。今日の結果は、この先に展望が開けるものだった。
朝5時45分起床。
いつものようにお茶漬けさらさら。
6時半前に自宅出発。ゴールデンウィーク初日なので渋滞があるかも。そう思いちょっと早めに家を出た。
銀閣寺近くのガソリンスタンドで給油。そのとき、ETCカードを忘れてきたことに気づく。急いでとんぼ返り。30分近くのロスタイム。しかし、渋滞は京都東IC〜大津まで。それだけでよかった。
会場の三重県総合陸上競技場(伊勢市)には、8時45分に着いた。
今日の三重マスターズ記録会は、「南勢地区陸上競技記録会」の中に組み込まれている。これはいい方法だと思う。2つの大会を合体させれば、役員さんの手間が省けて効率がいい。
受付を済ませてトラックを見ると、「一般高校男子5000mW」の最中だった。このとき、気温はすでに20℃を超えていたと思われる。
急いでウォーミングアップ。この裏には立派なサブトラックもあったのだが、中高生で大混雑。私は、競技場の周囲を使うことにした。いろいろとやってみて、全部で3kmくらい。
9時55分、スタート地点でコール。
ちょっと早めに行って、すぐ近くのトイレで何度も顔を洗い体をぬらしておいた。
日程がうまくこなせているようで、10時10分のスタート予定よりちょっと早めのスタート。
最初から飛ばす。最初の300mは、ちょうど60秒くらい。しっかり足が動いてる。「よし!」
400m 1分22秒
800m 2分49秒 (1分27秒)
1200m 4分19秒 (1分30秒)
1500m 5分23秒 (1分03秒)
課題だった「1100m通過4分切り」も余裕だった。これで、普通の記録会に出ても1周抜かれることはない。
実は、最初の300mのときの記録計時板はしっかりと見たのだが、そのあとは計時板も腕時計もほとんど見る余裕がなかった。でもそんなにスピードは落ちていないはずなので、5分30秒は切れただろうと思いながらゴールした。私の時計で5分22秒。「やったね!」という感じ。
これで、真樹の元同級生のあーちゃん(高3女子)の記録まで約5秒。がぜんやる気がわいてきた。あーちゃんの800mのベストは2分40秒だし、こちらも私のベストからあと5秒。5月19日の大阪マスターズでは800、1500を申し込んであるので、どちらかでも上まわりたいなあ・・・。
10時過ぎには22、3度あったと思うが、1500mなら何とか走りきれる。今日も5000mは棄権したが、5000m本気レースは涼しくなる秋まで封印。当分は、800m、1500mをがんばろう。
あとは、三重の森田亨さんの応援。私の1500mの次に一般高校男子100mがあり、続いてマスターズ男子100m。
去年5月の大阪マスターズで声をかけてきてくださってから、ちょこちょこメールを送ってくださっている。森田さんにとっては、今シーズン初のレースだそうだ。
あまりうまく撮れませんでした。
走るほうだけじゃなく、写真の腕も磨かなくては・・・。
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2012年04月27日(金)
松島先生! [沖縄]
◎京都新聞4月27日朝刊・私論公論
■ 松島泰勝(まつしまやすかつ)・龍谷大経済学部教授 1963年琉球・石垣島生まれ。在グアム日本総領事館、在パラオ日本大使館勤務などを経て2009年から現職。NPO法人「ゆいまーる琉球の自治」代表。著書に「沖縄島嶼経済史」「琉球の『自治』」「ミクロネシア」「琉球独立への道」など。
沖縄「復帰」40年
琉球人の怒り 受け止めよ
今年、琉球人が日本国民になって40年になる。「復帰」後、沖縄は内政・外交面では日本国、軍事面では日米両国による支配体制下におかれてきた。沖縄は形式上、「県」という一自治体である。しかし1879年の琉球併合で琉球人の領土が奪われ、今も沖縄限定の特別法があり、長期間、過重に米軍基地が押し付けられてきた。「県」成立の根拠法である沖縄返還協定は密約に基づき、その成立過程に当事者である琉球人、琉球政府は参加できなかった。「復帰」とは「元の状態に戻ること」を意味するが、沖縄の元の状態は日本ではなく、琉球国である。沖縄は「日本固有の領土」でもない。
1972年以降の「復帰」体制の特徴は次の通りである。?日本国による沖縄統合化の深化?琉球人の生命や生活よりも、日本人のそれを重んじ、基地負担を押し続ける差別体制?政治的、軍事的、経済的利益が沖縄から日本に流れる仕組み、つまり植民地体制。「復帰」体制の中で、日本政府から一括交付金を含む振興開発資金がどれだけ与えられても、沖縄は日本政府に依存させられ、日本の企業や移住者による支配がさらに進むだけである。
沖縄の経済は基地に依存しているのであろうか。軍関係受取は2008年度に約2084億円であり、県民総所得の5.27%でしかない。うち日本政府は、軍用地料、軍雇用員所得、そして米軍への財・サービス提供の合計約1465億円を支出している。軍関係受取の約7割を日本政府が提供し、沖縄の基地経済を下支えしているのである。日本の大手の建設会社は基地内改修工事のほとんどを受注し、利益を日本に還流している。
基地は経済活動に必要な平地を占拠し、市場経済の発展を阻害している。基地よりも基地跡地のほうが大きな経済効果を与えている。基地により逸失利益が増大し、環境的、社会的、身体的なコストや被害が生み出され、住民に不安で危険な生活を余儀なくさせている。基地は琉球人にとって抑止力ではなく、日常的な暴力の発生源である。
振興開発と基地は「アメとムチ」の関係といわれる。振興開発はアメとされるが、インフラやハコモノの維持管理費は自治体の大きな負担となり、財政赤字要因になっている。特に1990年代半ばから膨大な振興開発資金が投じられた沖縄の基地所在市町村は、今、高い失業率や生活保護率、商店街の衰退、法人税収の伸び悩み、人口減少等の問題を抱えている。沖縄県全体の経済も従属度を増している。地域に発展をもたららさず、基地を固定化させるための振興開発は「ムチ」でしかない。カネで基地を沖縄に負担させられる時代は終わった。自国の安全に米軍が必要と言うなら、日本の他府県が基地を引き受けるべきだと主張する琉球人が増えている。
琉球人は国際法で保障された人民の自己決定権を行使し、住民投票で新たな政治的地位を決定し、独自な政府や議会を設立する権利を持っている。日米両国と沖縄との支配ー従属関係を変えるという脱植民地化を進め、日本との新たな関係性が実現しない限り、普天間基地移設問題も解決しないであろう。40年間、屈辱の生活を強いられてきた琉球人は「沖縄差別」と日本人に直接言えるようになった。日本国民という枠組みによる沖縄差別減り怒りを、日本人は自分の問題としてどう受け止めるかが問われている。
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2008年11月3日、滋賀沖縄県人会の催しで松島先生の講演があった。今日の記事は、そのときのお話とほぼ同じ内容である。
講演のあと、松島先生と個人的にお話させていただくことができた。沖縄に関する知識に乏しい私の質問に、松島先生はていねいに答えてくださった。そのとき、この先生のゼミに入れるなら、今からでも大学に行きたいなあと思った。
今回の記事の「沖縄は『日本固有の領土』でもない」はすごい。これは、石原東京都知事を意識した発言でしょうか。
松島先生に興味のある方は、ぜひ先生のブログ「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」をのぞいてみてください。
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【RUN】
午前中にレース前の最後の調整。
まず3km、13分32秒。
1kmジョグのあと、1000mタイムトライアル。今日は昨日と反対で追い風。足の動きもまずまずで、気持ちよくゴール。タイムは3分38秒。
このままのペースであと500m押して行ければ、1500m5分27秒。あきらめかけていたけれど、やっぱり明日は5分30秒切りをめざします。
1kmスロージョグをプラスで、今日は6km。
廉に、「足がパンパンやったけど、1000m3分38秒で行けたわー」と言ったら、「ふつうに速いやん」とほめられた。うれしー。
でも、ゴール後、久しぶりに気持ちの悪い変なセキが出て止まらなかった。それだけ限界近くまで力が出せたということだろうか。
もう2012年度に入っているが、私的には明日が2011年度最後のつもりのレース。がんばるぜー。
こんなかっこうで練習しています。
このあと散髪に行ってすっきりしてきました。
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2012年04月26日(木)
「はよ帰ろー」 [家族]
きくはヨメさんの一の子分である。家でボーっと寝ていても、ヨメさんが出かけるとなると飛び起きて追いかける。
今日木曜日は、ヨメさんが「京都キャロット・産大前店」に出る日。いつもどおり、きくもお供で付いていった。
ところがきくはいつものことなのだが、自分で付いてきたことも忘れ、「はよ帰ろ、はよ帰ろ」攻撃。「ええかげんにしいや!」とヨメさんに怒られているにちがいない。
4時ごろ、学校から帰った真樹を連れて店へ。
きくは、しっぽぶんぶんぶん。
「よう助けに来てくれた。はよ帰ろー。」
「ほれほれ、お腹も見せるし、なにしてもいいよ。そやし、はよ帰ろー。」
ということで、仕方なくつれて帰ることに。
ああ、このパターン、いったい何回目。「帰ろ、帰ろ」ゆうくらいやったら、初めから来んかったらええのに・・・。まるでちっちゃい子とおんなじ・・・。
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【RUN】
あさっての三重マスターズ記録会は、5000mはやめて1500m1本をがんばることにした。1500mは10時10分スタートなので、まだそんなに暑くはなっていないだろう。あとは、パンパンになってしまった足がどこまで回復するか・・・。
今日は、朝、1000mタイムトライアルをしてみた。
まず、3kmを14分51秒。1kmスロージョグのあと、いつもの緩やかな下り1000m。やはり、足が思うように動かない。それに、向かい風。
「これでは4分は切れてへんやろなあ」と思いながら時計を見ると、なんと3分54秒。そこそこ走れてますがなー。これなら、1500m6分超えという恥ずかしい結果は免れそうだ。ちょっとほっとした。
夕方、もう一度3km。14分16秒。
太ももの側面(外側)が突っ張って痛い。でも、1500mならなんとかがんばれるでしょう。
最後も1kmスロージョグをプラス。今日は、朝6km夕方4kmで合計10km。
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2012年04月25日(水)
第28回勝手に国労応援ラン [ランニング]
毎月最終水曜日は、勝手に国労応援ラン。そう決めておくと続けられるものだ。
今日は、今まで一度も行ったことのない「丹波口」駅に行くことにした。自宅からバスと地下鉄で烏丸五条へ。
11時半、五条通りを西に向かってスタート。
堀川五条の横断橋。京都では珍しい。
この横断橋をうまく使えば、「京都マラソン」の交通規制を少なくできるのにね。
JR丹波口駅。
烏丸五条から約1.9km、10分半。
駅中はどことも似たようなもん。
真西に京都卸売市場。
ということは、この駅は貨物が多かったんでしょうか。
ここにも横断橋。
やっぱり「京都マラソン」は五条通りを清水さんまで走らせるべきですね。
細い千本通りを北上。ここは初めて通るところ。
やがて二条駅へ。
千本丸太町上がったところのだし巻きやさん。
いっぺん買って帰ろと思ってるんですが・・・。
今の足の状態では、ここから家まで全部走って帰るのは無理と判断。5.5km、約36分走ったところでバスでワープ決定。
「千本中立売」バス停から「上賀茂神社行き」に乗る。
上賀茂神社までおよそ5km分、走っていたらまた30分以上かかっているところ(バスで20分)。
ここから家までは3km弱。これならだいじょうぶ。
家に向かって再スタート。
「京都キャロット・産大前店」を通過し右折すると比叡山が見える。あと300mほど。
自宅到着、約2.8km、18分。
前半の分と合わせて、今日は8.3km。
また中途半端な応援ランになってしまったけれど、今はこれくらいが限界です。
※ 元国労闘争団・中野勇人さんは、毎月16日に「国鉄闘争 人らしく生きよう<政府の約束不履行は許さない!>」と国会前アピールランを続けておられます。朝10時、第2議員会館前スタートです。
時間のある方、ぜひ応援ランをお願いします。( くわしくは、私のブログのリンク集から→)
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2012年04月24日(火)
第2回京都一周トレイルラン・まとめ [ランニング]
スタート前、心配だったこと。
1.ウェアとシューズ。
2.足の故障。
3.道に迷う。
高低差のあるトレイルランは、途中の温度差も大きい。今回は雨が降らなかったのでよかったが、雨のときはさらにしっかりとした準備が必要。私は背中に背負うのが苦手なので荷物はあまり持たない。今回もウエストバックにいろいろなものを入れていったが、結果として使ったのはデジカメだけだった。でも、こんなに長時間のレースだと軽い上着(またはアームウォーマーなど)は持って行くべきですね。
トレイルランは、平地のアスファルトを走るレースとは使う筋肉もちがう。ぬかるんだ下りで滑るまいと踏ん張った走りをした結果、太もも、ふくらはぎがパンパン。しばらく速くは走れそうもない。ただ、これは時間がたてば次第によくなっていきそう。
何回か滑ってこけてしまったが、ちょっとお尻を打った程度でだいじょうぶ。大ケガをしてもおかしくない箇所が多くあったが、みなさん上手に走られたようだ。
第1回大会(嵐山〜鞍馬)のレポートを見ると、道に迷った人が多かったようだ。私は京都の人間だが、大文字山は銀閣寺側から上ったことがあるだけ。比叡山はケーブルで上ったことはあるが、歩いて上ったことは一度もない。32kmの全コース、なんとなく知っているつもりだったが、ほとんどすべてが初めて通る道だった。
そのため、もちろんコース図と説明書を持ってレースに臨んだ。でも、結果としてそれらは一度も見なくてよかった。今回のコースは山の好きな方にはよく知られたコースのようで、私のようにまったく知らないランナーのほうがめずらしかったのかもしれない。みなさんが走る方向についていったら迷わずゴールできました。
今回のトレイルランは、なじみのところばかり通れたのですごく楽しかった。ただ、私にはちょっと長すぎた。走り終わったあとのダメージが大きすぎる。もうちょっとだけ短めのトレイルランがあるといいんですけど・・・。
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【RUN】
朝9時半、「走れるんやろかー」と思いながら最短3kmコースへ。なんとか17分29秒。これで精一杯。
ゆっくりゆっくりジョグを1kmプラスして4km。
夕方、もう一度3kmコースへ。
朝よりは速く走ろうとがんばったが、17分04秒。このあとも超スロージョグ1kmをプラス。
今週の土曜、三重マスターズの記録会に申し込んでいる。暑くなる前の最後のチャレンジのつもりで、5000mと1500mに申し込んだ。でも、この足の状態では・・・。どうしましょう。
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2012年04月23日(月)
第2回京都一周トレイルラン・続き [ランニング]
比叡山中を走る私。セルフタイマーで撮ってみました。
大文字山を走っているときは気温も高く、自分もしっかり走れていたのでTシャツでも暑いくらい。ところが比叡山は坂もきつく、だんだん走れなくなってきた。その上、標高が高くなるにつれ霧の中・・・、というよリ雲の中。腕にさぶいぼ。ほとんどの方が長そでだったのがやっと分かった。私は暑がりなので、こんなときこそアームウォーマーの用意ですね。一つ、かしこなった。
第1チェックポイントで声をかけてくださったのは、石川の上野谷龍治さん。元気いっぱいで、こちらも元気になりました。
比叡山登山口まではしばらくアスファルト。
住宅地を通り、バプテスト教会の横から山道に。
アスファルトから一転、ぐちゃぐちゃな道に。
倒木の下をくぐり・・・。
沢を飛び越え・・・。
下界を見下ろし・・・。
やっとロープウェイのところまで。駅のところにランナーがたくさん入っていった。それはトイレを借りている人だけではなく、そこから叡電・八瀬比叡山口駅へ下りる人もいたようだ。
かなり前に閉鎖された比叡山スキー場。もちろん今は草ボーボー。
ここが第2チェックポイント。11時17分、約15.5km。
全体の半分弱のところで2時間35分。これは、ゴールは5時間20分くらいですかね。
ここで声をかけてくださったのは、京都の松山茂さん。
「前に、丹後ウルトラでも写真撮ってもらいました。」
ということは、私と同じようなレベルのランナーということでしょうか。
このあたりから急に冷えてきた。走っていないと寒くてたまらない。
スキー場からちょっと進むと、もう延暦寺。
延暦寺がこんな近くだとは知らなかった。
延暦寺の寺域は、ジョギングスピード指定区間(1km8分程度のスピードで)。
いいことですね。ここは、この荘厳な雰囲気をたっぷり味わいながら進まなければ。
ここは・・・、しっかり説明を見てこなかったので・・・、延暦寺の中の一つの塔です。
この先から、とても走ることなど無理な急な上り坂。
完全に雲の中を走って(歩いて)います。
寒くて寒くて・・・。
上りはいくらきつくても、ゆっくりと上って行けばいい。しかし、ぬかるんでいる下りは危険。滑らないように足に力を入れて下っていくので、次第に足はパンパンに。
やっと見えました、大原の里。
大原戸寺町の第3チェックポイント。12時50分、約25km地点。
あと7kmということは、山道とはいえ1時間10分ほどあれば行けるはず。ゴールは2時ごろですね。
エイドでは、ビールのつまみにいいようなものがたくさん出ていた。たこ焼き型のしょうゆ味のお菓子がうまかった。中ががらんどうなので、いくつもパクパクと食べられた。
次にめざすは江文峠。
大原は、洛北高校時代の同級生の家や大原小学校百井分校勤務時代の教え子の家がたくさんある。第二のふるさとのようなところ。
律呂川(高野川の上流)の川岸の桜は満開。
足はよろよろになってきたが、もう少しだと思うと走れるものだ。
私の練習コースである江文峠。
もちろん、ここでは拝んでおきました。「夫婦円満、家庭円満・・・。」
江文峠から静原へ下りるのに、こんないい道があるとは知らなかった。
「めっちゃええ感じの道やん! 走りやすー。」
静原から鞍馬へ向かう坂。
「壁じゃー、壁。」
あと数百メートル。
なにやら応援の声が聞こえてくる。
見えました、ゴール。
鞍馬街道沿いの駐車場「豊嶋」さん。
多くの方が私たちのほうを見つめてくださっています。
私のゴールは、5時間12分39秒。
体は元気だが、足がパンパン。
「記録証は、ゴールして30分後になります」とのこと。多くの方が荷物を受け取り、鞍馬温泉に向かわれていた。私は家がすぐなので、温泉はやめて記録証が出るのを待っていた。その様子を見ていると、順位が確定しないだけで記録証自体はすぐに出るようだった。順位などどうでもいいので、記録証を出してもらった。
もらってびっくり、私が取ったタイムとまったく同じ。あとで調べてみると、記録計測は田中千洋さんのダンナさんがやっておられる「アスレック」さん。さすがです。信頼が置けます。
鞍馬駅から叡電で帰ろうと、山門前を通ると「多聞堂」さんの和菓子が目にとまった。
「あまいもん、食いてえー。」
家へのおみやげのつもりで、8個も買ってしまった。
駅前では、比叡山頂ケーブル駅でリタイアされ荷物を引取りに来られたランナーともお話することができた。私と同じで、暑くなると思い薄着でスタートされたのが誤算だったようだ。
叡電は満員で座ることはできなかった。しかし、二軒茶屋は鞍馬から4つめなので10分ほど。家からこんな近くがゴールだとすごく楽。鞍馬ゴール(またはスタート)のトレイルランがもっともっとあればうれしい。
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