2010年11月04日(木)
2010京都丹波ロードレース・続き [ランニング・出張販売]
ハーフをゴールされたランナーが、次々と「京都キャロット」のテントに来てくださる。中には、うちのヨメさんと真樹の途中経過情報を私に報告してくださる方もあった。みなさんからの情報をつなぎ合わせると、ハーフの中間点はなんとか越えたことが分かった。ただ待っているだけで何もできない私にはありがたい情報だった。
去年の5月の「鯖街道」で声をかけていただいてから、賀茂川パートナーズの斉藤さんとはよくお話させてもらうようになった。大会などでお会いした時には必ず声をかけさせてもらっている。今日は、斉藤さんご夫婦のほうから私を見つけ話しかけてこられた。
「藤井さん、こんにちは。」
「あっ、斉藤さん。今日はハーフですか。どれくらいで行かはったんですか。」
「1時間44分です。」
「おー、すごいすごい。調子上げてはんのんちゃいます?」
「いえいえ。実は、9月の『村岡ダブルフル』でえらいことやらかしてしもて・・・。」
「えー、どうしやはったんですか。」
「持って行ったシューズが、両方左足やったんですわ。」
「ありゃー、それでどうしやはったん?」
「応援に来てくれてた人がランニングシューズはいてはったんで貸してもらいました。でも、それ私より1センチ小さいシューズやったんですけどね。」
「それで最後まで走れたんですか。」
「マメだらけになりましたけど、何とか。11時間27分でゴールしました。」
「スッゲー! やりましたね。それ、ボクのブログに書かせてもらいますわ。もうちょっとくわしく・・・。」
「くわしくは、『賀茂川パートナーズ』のホームページにレポートしてるんで、見てください。」
「分かりました。適当にふくらませて書かせてもらいますわー。」
「来年は、また『鯖街道』に出ようと思ってるんです。」
「いやー、『鯖街道』、いいですね。また、あの背中につけた針金みたいなやつにつかまって走らはるんですよね。」
「そうそう。」
「ボクね、斉藤さんの『鯖街道』を走ってはる姿が、今までで一番感動したレースですわ。」
「そうですか。」
「また、しっかり走りましょう。」
「はい。」
※よろしかったら、去年の『鯖街道』の様子を見てください。
このあとも、ほんとに何人だったか思い出せないほどたくさんの方が店に寄っていってくださった。その中の代表ということで、一番若い中村智明さんに登場していただきましょう。
中村さんは、ハーフ29歳以下の部に出場。1時間17分で7位。6位までが表彰なので一歩届かず。残念! でも、レベル高すぎ。
たぶんうちの廉が出ていたとしたら、中村さんと同じくらいのタイムだったと思う。入賞微妙ライン。それでも、できるだけ高いレベルの中でもまれて行ってほしい。
中村さん、今度ぜひうちの息子と対決を!
12時をちょっとすぎたころ、ヨメさんが帰ってきた。
「おー、もう帰ってきたん? ゴールした?」
「するかいな。バスや!」
いや、ほんまにゴールしたんやと一瞬思ってしまいましたわ。
「真樹は?」
「真樹もいっしょ。第3関門(14.2km)でアウト。そこからバス。」
「そっかー・・・。よう走ったなあ。」
ヨメさんは元気あまりすぎのようにも見えた。。やっぱり、3日ほど前にひいた風邪が完全に治ってなかったのが影響しているみたい。「やる気はあるけど体がついてこん」みたいな・・・。
少し遅れて戻ってきた真樹の顔は、ちょっと放心状態のようにも見えた。それでも、今まで見たことのないようなやっぱり毒素が抜けたようないい表情をしていた。
「ずうっとパトカーの前走ってた。自転車の人が横にずっと付いてくれはって、いろいろしゃべってくれはった。最後のほうでパオパオの友だちっていう人が来やはって、いっしょに走ってくれはったわ。」
「ほうかー・・・。」
いろいろしゃべるということは、決してイヤなことばっかりとちごたんやね。よかった。
「二人とも、今日の結果を次につなげようぜ!」
ランニング用品店がうちを含めて4店舗。子どもも入れて2800人の大会らしいので、4店舗も出るとまあ商売にはならない。
でも、うちの場合は家族二人が走らせてもらったということで、大変有意義な大会になった。
後片づけの時には真樹も手伝ってくれたし、早く帰ることができた。この3人で出張販売に来たのは、去年4月の「日本平」以来、1年半ぶり。これも、たまにはいいね。真樹よ、またたのんます。
朝は花背・京北まわりで来たのだが、帰りはお買い物もしたかったので亀岡まわりで。亀岡の「しまむら」でお買い物。帰り道の五条通りに回転寿司があったので、食べて帰ることにした。
ところが、ヨメさんと真樹はお疲れで全然食べられず。私は入ったとたん目に留まったマグロをいただいた。お皿を見てビックリ仰天、560円。
「あー、ここは皿の色を見てから食べる店やったー・・・。」
ヨメさんと真樹が収容バスで戻ってきた12時過ぎ、廉は千葉県で「全国スポーツ祭典陸上」の10000mに出場していた。目指すは自己記録34分48秒を更新することだったが、残念ながらそれはならなかった。しかし、35分26秒07で3位入賞。銅メダルをもらって帰ってきた。
「おめでとう。陸上大会初の表彰台!」
今日は私以外の家族3人がそれぞれよくがんばった。
こら、パオパオも負けてられん。
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2010年11月03日(水)
2010京都丹波ロードレース [ランニング・出張販売]
「『ますみさーん』と呼んで、どつかれませんか?」
「だいじょうぶです。名前で呼んでもらったほうが喜ぶと思いますわ。」
最近このブログにたびたび登場してもらっている三重のハットリさんが、またまたやってくださいました。超ファインプレーを。
ヨメさんと真樹がハーフのレースをスタートして40分後、うちのテントにハットリさんがひょっこりと顔を出された。
「あれっ、何キロに出てられたんですか。」
「いえ、ここは申し込んでないです。朝早く福知山マラソンのコースを試走してきて、帰りに藤井さんのご家族を応援しようと思って・・・。」
「いやー、それはそれは。」
「今どのあたりでしょうね。」
「第1関門(4.5kmを30分)は何とか越えてくれていると思うんですけど・・・。」
「見つかるところまで走ってきます。」
なななんと・・・。
ハットリさんは、そこからうちのヨメさんを探すラン。そして、見つけてから並走。そのあと、その少し後ろを走っていた真樹のところまで下がってまた並走。
ヨメさんと真樹は第3関門(14.2km)で引っかかってしまい、収容バスで帰還。しかし、ハットリさんはそこから一人帰還ラン。
すいませんねえ。福知山マラソン試走でお疲れだったでしょうに。
今日お聞きすると、ハットリさんのお歳はうちのヨメさんよりちょっと若いだけ。私はてっきり30代だと思っていた。
それに、マラソンを始められて1年ほどとか。「おーい、それでウルトラサブ10狙いかい!」
ほんまに、いろいろな意味で奇特な方とお知り合いになれました。これからもお世話になります。どうかよろしくお願いします。
今日の主な目的は、ヨメさんと真樹のハーフマラソンのレース。私はおとなしくお店番。
ヨメさんは来年6月に出場しようと思っている「サロマ50km」への一つのステップとして。真樹は、いつの日か走ると心に決めているフルマラソンへ心をつなぐために。
ところが、ヨメさんが大きなミステイク。
去年の要項の、ゴール制限2時間50分を見て申し込み。ところが今年は京都府警の指導があったらしく、20分短縮の2時間30分になっていた。それは二人とも、「ムッリー!」
急遽、当面の目標が「第1関門突破」に変わってしまった。あれまー。
さすが地元京都の開催大会だけあって、朝から次々とあいさつしてくださる方があった。(書ききれないので省略させていただきます。)
そんな中でも・・・。
うちのテントに入ってきて、自分の顔を手で隠している人あり。
「なんちゅうあやしいやっちゃー。」
「ばあ」と出てきた顔は、ああなつかしや杉原さん。しばらく京都ランナーズの例会に顔を出していないので、お会いするのは本当に久しぶりだった。以前は、このブログにも「アンパンマン1号」として何度も登場してもらったお友だちです。
今日は奥様とお子さん(ちひろちゃん)といっしょ。レースのほうは、奥様がハーフを走られるらしい。お父ちゃんは子守りですね。
仲のいいご家族3人の写真を、頼んで撮らせてもらった。
(あとでお聞きすると、奥様は2時間27分で完走。立派です。)
さて、うちのきれいどころ二人。
こうなると、完走よりも「ファッション!」
いかにかっこよく見えるか、ということが重要になってくる。
さて、うちのヨメさん、どうでしょう。
真樹は写真に入るのを嫌がっていたが、「店の宣伝やから」。かあちゃんのがんばりのおかげで家族みんながごはんを食べることができている、ということはみんな分かってる。こういうときは「イヤ」とは言えません。
関門規制はきついけど、走ってたら絶対おもしろいことあるって。何か見つけて帰ってきてや。
ヨメさんと真樹がスタート地点に向かったあと、「先生、先生!」と呼ぶ声。私のことを「先生」と呼ぶ人は・・・。
まちがいない。私の最後の教え子の一人・ともちゃん。確か4年前のこの大会でも会ったんやったね。あの時お腹が大きくて・・・。ダンナさんの応援に来てたんや。今や二児の母。しっかりしとるわい。
(あとで、ゴールされたダンナさんといっしょにもう一回来てくれた。ダンナさんは、ハーフ1時間44分。この4年でだいぶ速くなっている。)
スタート直後の写真が撮れないかと、坂を猛ダッシュで上っていった。
人が多すぎてよく分からない。
「えー、もう終わりやしー」と思ったら、なすびが走ってきた。「しゃーないし、代わりになすびでも撮っとこ。」
結局、ヨメさんも真樹もどこにいるのかさっぱり分からなかった。あとは帰ってくるのを待つだけやね。
スタートから1時間50分ほどたったとき、賀茂川パートナーズの斉藤さんご夫妻と伴走のみゅうみゅうさんがご来店。
ここで、斉藤さんと久しぶりに長話をすることに。ここは長くなるので、明日くわしく書くことにします。気になる方は、賀茂川パートナーズのホームページの掲示板「トータスさんの村岡リポート」へ。
私は眠くなってきたのでもう寝ます。
(注)もうちょっとだけ、続きます。
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2010年11月02日(火)
落選者の弁 [雑感]
えー、わたくし、ペンネーム・ミズスマシヒーローは、このたびの「P社小説大賞」に見事に落選してしまいました。これは、すべて私の不徳の致すところであります。文学賞最高賞金額2000万円に目がくらみ、「ひょっとしたら・・・」と思い応募させていただきましたが、残念な結果に終わりました。
さて、大賞を受賞されました「さいとうなにがし」さん、おめでとうございます。あなたは、わたくしのペンネームとそっくりな芸名で俳優をされていたそうですね。今回のこの小説大賞には本名で応募されたとか。そして、大賞の賞金2000万円も受け取りを辞退されるそうですね。ああ、意味分からん!
2000万円なんてほしくないっていう意味?
それとも、なんか後ろめたいことでも・・・。
まあ、私のようにお金目当てで応募した者から言わせてもらえば、賞金の2000万円はしっかり受け取ってほしいです。そんな大金を受け取らないなんて、どうかしてるぜ!
確かに、応募の1285作品をP社社員13人で審査したというのですから、ちょっとどうかなあとも思います。また、ここ何年も大賞該当者なしというのもどうかなあという感じです。
審査した人すべてが、「さいとうなにがし」さんが有名イケメン俳優であったということは知らなかったと報道されています。でもねえ・・・。
賞のほとんどが、その会社のPRまたは利潤のために行われていることを考えると、ふむふむ。どこのだれだかわからない人に受賞してもらうより、話題性のある人のほうがいいに決まっていますよね。これは、ある意味、インサイダー取引と言ってもいいような・・・。
賞レースに美談は似合わないような気がします。
どこかのワイドショーのコメンテイターが言っていたように、「本当に実力を評価してほしかったと言うのなら、この時点で顔を出すのはどうなんでしょう」。
あっ、2000万円がいらないのなら、この小説大賞応募の第2位の人に譲るというのはどうでしよう。「Good idea」でしょう。
わたくし、第2位に入っているような気がしてしょうがないのですが・・・。
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【参考資料】
「真実は小説より…?感動“ヒロ”イン水嶋、秘密だらけ」 夕刊フジ 11月2日(火)16時57分
ポプラ社小説大賞を処女作「KAGEROU」で受賞した俳優の水嶋ヒロ(26)。日本一高い賞金2000万円を「多くの作品が生まれるために使ってほしい」と辞退したが、肝心の作品は、いったいいつ読めるのか−。
水嶋は芸名を伏せて、齋藤智(さとし)のペンネームで応募。1285作品から選ばれ、本名の齋藤智裕(ともひろ)として賞を受けた。
「報道を受けて書店、取り次ぎから『いつ発売されるんだ』と問い合わせが相次いでいる」
1日の発表会見で同社の坂井宏先代表取締役は、手応えを明かした。イケメン俳優の小説家転身第1作。文学賞としては歴史が浅く、認知度は低いとはいえ、話題性は十分で、今後のドラマ化、映画化など期待がふくらむところだ。
いったいどんなストーリーなのか。さっそく読みたいものだが、刊行予定については、「全く未定。急げば年内に間に合わないこともないが、担当編集者がじっくり手を入れることも考えると、いつ刊行されるか見通しが立たない」と同社。
それどころか、本の内容についても、なぜかトップシークレット扱い。 坂井代表は「自殺しようとした人を止めたが、それが人助けにつながらず…。SFとファンタジー、社会派が交じったような作品」とさわりを紹介しただけで、作品の一部抜粋はおろか、あらすじも“封印”とは、何とも不可思議。
さすがに、会見終了後には、文芸担当記者らが主催者に詰め寄り、「きちんと納得のいく説明をしてほしい」と迫った。明かされたのは、小説は「400字詰め原稿用紙338枚分」で、応募書類の職業欄は「空白だった」ということぐらい。
ベテラン文芸記者は「発表時点で受賞作を公表しない例は珍しくないし、新人を対象にした太宰治賞も公開されるまで期間がある。ただ、小説の内容まで箝口令が敷かれる理由が分からない。よほど外部に見せられない事情があるのか」と話す。
水嶋は、「小説のメインテーマでもある『命』をメッセージの軸にすえ、ひとりでも多くの方に大切なメッセージを届けたい」とコメント。
突然の発表→賞金辞退→発売日未定、というミステリーの結末は、どんでん返しが待っている?!
さて、じょうだんはさておき、本題へ。(小説大賞に応募などしておりません。)
私、本名(?)パオパオは、「丹後100kmウルトラマラソン」のブログコンテストに応募させていただきました。主催者様から「応募されたらどうでしょう」というメールをいただいたときは、あまり乗り気ではなかったのです。でも、応募されているブログを見せていただくと、「おっ、これならいける」と思ってしまいました。
31人の一番最後に応募。受賞は5名ですから、6倍の競争率。それでも、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と思っていました。それは、私の妻が「このレベルならだいじょうぶ。こんなことくらいで家族に貢献してもらわな、アンタは何の値打ちもないぞー」と言っていたからです。私の妻は、旅行券20000円分にお金を足して、家族旅行に行く計画を立てていました。
しかし、見事に落選。あーあ。
私の妻の分析によると、私の応募したブログには主催者様へのヨイショが入っていない。これは致命的らしい。でも、私はスポーツドリンク系は苦手だし、ウソは書けんわなあ。
でも、私の分析はちょっとちがう。「P社小説大賞」受賞者じゃないが、こちらのブログコンテストにも有名人が応募されており見事受賞。その方はこの大会にお仕事で来られていた方。それって、インサイダー取引のようなものではないのでしょうか。その人を落選させるのは、主催者としてもしにくかったのではとかんぐってしまいます。
ほとんどこの方の受賞が約束されていたとすると、30人で4個の席を争うことになります。競争率7.5倍です。これではねえ。
「P社小説大賞」のニュースを聞き、くやしかったブログコンテストの結果を思い出してしまったパオパオでした。
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2010年11月01日(月)
「あんものかわいい写真ないの?」 [わんこ・にゃんこ]
「パオパオー、あんものかわいい写真ない?」
真樹が、高校の友だちからかわいい飼い猫の写真を見せられたそうだ。
「うちもネコ飼ってるねん」と言ったものの、あんものかわいい写真を持っていない。毎日いろいろな写真を撮りまくっているパオパオなら、あんものかわいい写真を持っているにちがいない。そう思って私を頼ってきた。
今まで撮ったあんもの写真を、あらためて見なおしてみた。どれもこれもかわいい。
しかし、これを人様にお見せするとたいてい「ちょっとこわい」と言われてしまう。
「黒豹みたい・・・。」
なんにもこわいことなんてないのに。
あんもは毎日毎日かわいい声でなく。「みゃー、はようごはんちょうだい。」
そのあと私がちょっかいを出すと、目にも留まらぬ早業のネコパンチ。あれは時速にすると軽く150kmは超えている。こちらもすばやく手を引っ込めているつもりだが、ほぼ百発百中。私の指からは血がたらーりー。
でも、毎日毎日笑うことがある。
私に必殺ネコパンチを2、3発食らわしたあと、さっと身を翻す。その時必ずと言っていいほど、踊り場に置いてある黒いかごに頭をぶつける。もうおぼえたらいいのに・・・。これ、わらけるでしょ。かわいいでしよ。
真樹に持って行ってもらおうと、またあらためてあんもの写真を撮ってみたが、あんまり代わり映えなし。うちの家族にとっては「かっこいい黒木メイサ」のようなネコちゃんでも、人様が見たらやっぱり「こわい黒豹」なんでしょうかねえ。
今日も「あいおわ治療院」さんに行った。くしゃみばかりして鼻水ズルズルだったので、受付のおねえさんに「かぜですか?」と聞かれた。
「いえ、たぶんアレルギーやと思います。」
「だったら、犬やネコは飼えないですね。」
「それが、飼ってるんですわー。」
「どちらですか。」
「犬とネコ、両方です。」
「えっ、・・・。」
どんなにくしゃみが出て鼻水ズルズルでも、犬もネコもやめらめましぇん!中毒です。
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2010年10月31日(日)
京都マラソンコース前半視察 [雑用]
京都マラソンのコース案が発表されたので、さっそく半分でも走ってみようかと思ったがあいにくの雨。仕方ないので、車でまわることにした。
ほとんどの写真が、車の中から一瞬ワイパーを止めて撮ったもの。すごく見にくいですが、どうかお付き合いください。
(コース図に写真番号A〜Yを入れました。あわせて見てください。クリックで大きくなります。)
まずはスタート地点に予定されている西京極陸上競技場。
この一帯はサブトラック、野球場、体育館なども含めかなり広いので、15000人の収容には問題ないだろう。ただし、今日のように雨になると大混乱が予想される。雨がしのげる場所は少ない。
それからゴール地点が平安神宮ということで、15000人分の荷物を輸送しなくてはならない。マラソンで交通規制をかけている街中をどう輸送するつもりだろう。また、当然サイフを持って走るわけにもいかないので、貴重品も預かってもらわねばならない。それはどうするんでしょう。
スタート直後に五条通りへ。
ここは東に少し進むだけなので、両側4車線を完全規制(車両通行止め)してほしい。
光華女子学園を過ぎた葛野大路五条交差点を左折(北上)。
光華女子学園と言えば、廉が中学校スキー部の時、大会参加や合宿で何度もお世話になった。当時は、女子校の合宿に廉一人で乗り込むというすごいことをやっていた。なんといっても、京都府でクロカンスキーをやっていた男子中学生は廉一人だけだったから。
葛野大路も両側4車線を完全規制してほしい。
そうでないと、15000人がバラけられない。
葛野大路四条交差点を左折(西行き)。
京都外大前を通る。ここらはまだ片側2車線あるところなので、できれば両側4車線全部を規制してもらいたい。
四条通も途中から片側1車線になる。
ここまででバラけていたらいいが、道路幅が狭くなったところでランナーの渋滞がおこる可能性もある。
松尾橋手前を右折(北上)。ここらで、約5km。
いよいよ桂川左岸道路へ。
桂川左岸道路。
ここで景色ががらっと変る。
ここまではかわりばえのしない退屈な景色。しかし、ここから前がぐんと広くなり、遠くに山(愛宕山?)も見える。きっと気持ちよく走れると思う。
かの有名な渡月橋。
この橋を左前に見ながらゆっくりと・・・。
でも残念ながら橋のたもとまでは行けません。そのちょっと手前を右折。
嵐電(らんでん)とJRをまたぐ高架橋。
ここがこのコースで初めての上り坂。
高架橋を下りきると丸太町通りとの交差点。
ここは交通規制による大渋滞が予想される。
ここをもう少し進むと右折。広沢、宇多野方面へ。
広沢池で、約10km。
ここらは風致地区なので、新しい建物は一切なし。田んぼや畑もたくさんある。「ほんとにここは京都?」と思わず言いたくなってしまう。
意外に広い広沢池。
ここに、大きな鯉がいっぱいいるらしい。
この通りには人家が少ないので、レース当日は車両全面通行止めにすべきでしょう。
こんな竹林の中も走ります。
ただし、けっこうな上り坂。完走が目標の人は、ここらは歩くのもいいかも。
福王子交差点手前もかなりきつい上り坂。
ここは、高雄や周山に帰る国道162号と交差する。ここを規制すると、影響のある人が多く出てくるような気がするが・・・。
出たー、仁和寺山門。
これは値打ち。
ほかにも有名なお寺の前をたくさん通りますが、この仁和寺が記念撮影のベストスポットです。(龍安寺、金閣寺などはは本当に前を通るだけという感じです。)
記念写真を撮られる時は、できるだけ門から離れられると人物背景ともにきれいに撮れます。
北大路通りに出ると、ちょっとだけ高校駅伝のコースと重なる。
北大路通りを左折(北上)。
ここらで15kmくらいかな。
時間に余裕のあるランナーは、今宮さんのあぶり餅を食べていきましょう。
今宮神社から上野街道を北上。
御薗橋通りに出るまではちょっと退屈。途中にあるのは「大宮交通公園」くらい。
御薗橋手前を右折(南下)。
京都以外の方、京都市バスはうす緑です。まあ、変な色ですね。
ここから、鴨川右岸道路(加茂街道)。
鴨川のユリカモメを見ながらゆっくりと・・・。
北山大橋側へ左折(東行き)。
右手の植物園を見ながら北山通りを東へ。
ノートルダム女学院の先を左折。宝ヶ池方面へ。
ここから上る狐坂は、ふだんは車しか通れないところ。振り返れば京の街が見渡せる。ゆっくり走りたいところです。
宝ヶ池トンネルを抜けると、もう中間点。
このゴルフ練習場あたりが中間点のようです。
雨でなければ、目の前に比叡山がくっきり見える。
「さあ、後半」と思えるいい場所であると思います。
次は、車ではなく実際に走ってみたいです。
コース前半のポイントは、広沢池から金閣寺に続く道。
かなりグネグネで、アップダウンも小刻みにある。ここで力を使い果たしてしまわないように注意が必要。試走できる方は、ここだけでも一度走っておかれるほうがいいと思います。
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2010年10月30日(土)
三途の川をクロールで [雑感]
◎京都新聞10月25日朝刊「こまど」欄より
「三途の川をクロールで」 菊田たきえ
狭い小川しか流れていない山間で育った。当時は学校にプールなどなく泳ぎには無縁で、カナヅチでも不便を感じなかったが、人生の終焉を控え、三途の川を渡る心配が頭をもたげてきた。冥土でおぼれるのはさぞ苦しかろうと、一年発起し水泳のレッスンを受けることにした。
これが思った以上に困難きわまりない。「力を抜け」と指示されるとガチガチに力が入る。「手を丸く回転させる」と言われると、足に意識がいかない。「三つ子の魂百まで」とは的を射ており、何事も柔軟性のある間に覚える必要性を痛感する。
横で泳いでいる人を見ると、イルカのように水に同化されている。一方、私は水と格闘しヘロヘロに疲れ、体は石のよう。
三途の川は深いのか、浅いのか。実際ターンして帰った人はいないので想像もつかない。不用品は処分したし、身辺の整理もついた。しかし、クロールで息継ぎのできない私の冥土への道程は遠い。頑張るしかない。 (大津市・74歳・無職)
もう、言うことなし。
明日の「土山マラソン」が中止になり、ほんとなら今日は準備でてんてこまいなのだがヒマだった。こんなときは、たまっている新聞の再読。
「ほー、こんなん載ってたんやー。」
まるで自分のことみたい。
山の学校で育ち、中学時代にやっとできたプールはなんと10m。高校体育の水泳の授業はだいぶずる休み。
そんな私が、20代後半にトライアスロンに挑戦。ハワイアイアンマンレースの予選となった「第1回びわ湖トライアスロン」はフル(水泳3.8km、自転車180km、マラソン42.195km)。
自転車、マラソンはどうってことなかったが、水泳は平泳ぎで50m泳いだのがそれまでの最高。
「へたしたら、溺れ死ぬどー。」
水泳教室に通い、クロールの特訓をした。その時の状況が、「こまど」欄に投稿された菊田たきえさんとそっくり。
けっきょくクロールは本番に間に合わず、平泳ぎで3.8km。何とか制限時間2時間30分には間にあった。時間内に泳ぎきり、自転車のスタートを切った時こみ上げるものがあった。
「これで、このレースの完走、いただきやー。」
うれしくてうれしくて、自分のことで泣きそうになったのは後にも先にもこのとき一度きり。あれほど苦手だった水泳で、平泳ぎとはいえ3.8kmを溺れず2時間30分以内で泳ぎきれたことが、私の人生の唯一の誇りです。(もちろん、全コース完走もゲットしました。)
でも、菊田たきえさんによると、三途の川はゆっくり平泳ぎで泳いでいるようではダメらしい。私の水泳への苦手意識は強烈で、今でも溺れる夢はしょっちゅう見る。
「三途の川で溺れ死ぬのはいや!」
「もう、死んどるちゅうねん!」
とにかく、私も菊田たきえさんを見習って楽しく冥土への道を迎えたい。がんばるしかない。
「んっ、何を?」
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