2010年02月12日(金)
バンクーバーオリンピック [時事]
新しいカテゴリーを追加しました。「時事」。
世の中の動きには鈍感な私ですが、ことオリンピックに関しては例外。
東京オリンピックが小3、メキシコが中1。この2つの大会で、すっかりオリンピックファンになってしまった。だから、私の生涯で一番残念だった事件は、「モスクワオリンピックボイコット」です。
さて、明日からバンクーバーオリンピックが開幕。
テレビでは、上村愛子選手のCMがくり返し流されている。このCMを見て、北京オリンピック前の野口みずき選手のCMを思い出したのは私だけでしょうか。
野口選手はとても出場できる状態ではなかったのに、ぎりぎりまでそれを発表できなかった。なにがしかの「しがらみ」があったのは明らか。テレビCMをジャンジャン流すとろくなことがない。
上村選手にもそんなに期待してあげないほうがいいような気がします。
もう一人話題の人、スノーボードの國母選手。
服装や態度が悪いと言うことで、選手団の記者会見出席見合わせ。そのあとの会見でも、質問に対して「ちっ!」と対応。
そんなにおもしろくないのなら、無理してオリンピックなんか出んでもいいのにと思った。自分の出たい大会を選び、好きなように行動すればいいのに。
自分ではそれなりにかっこいいと思っているのかも知れんけど、私から見れば「金持ちのアホボンのたわごと」にしか見えんわな。気の毒に。
でも、出場するからにはメダル目指してがんばってね。その結果次第やね、君への評価は。
さて、本題。
ランナーのはしくれのみなさん。冬季オリンピックでは、フィギュアでもスピードスケートでもモーグルでもジャンプでもなくクロスカントリースキーを応援しましょう。見てたらけっこうおもしろいですよ。
日本選手はほとんど話題にも上りませんが、ひょっとしたらひょっとするかも。
私の期待の選手は・・・。
◆恩田 祐一(おんだ・ゆういち)1980年6月24日、新潟・妙高市生まれ。29歳。近大出身。
06年トリノ五輪代表(個人スプリント準々決勝敗退、26位)。
09年3月W杯の個人スプリント(クラシカル)で日本距離男子最高に並ぶ4位入賞。
180センチ、78キロ。
◎この選手は、以前「血液ドーピング」の疑いで話題になったことがある。血液中の赤血球が異常に多いので、何度も抜き打ち検査などをされたらしい。ところが、それは先天的な体質であることが証明された。距離競技をするために生まれてきたような選手である。
私はちょうど恩田選手の正反対。
20数年前、私が「びわ湖トライアスロン」を完走したとき、あるお医者さんが完走者の分析をされていた。完走者の最大酸素摂取量を表にして発表されていたのだが、一人だけ一般の平均値さえ下回っていた者がいた。
「それは、私です。」
でもきっと、私には恩田選手のように先天的な何かの力が備わっていたのでは・・・。
という理由で応援しています。
■夏見 円(なつみ・まどか) 1978年7月2日、北海道・網走市生まれ。31歳。
8歳からクロスカントリースキーを始める。中学2年全国中学10位。高校2年インターハイ優勝。
1997/1998シーズンワールドカップデビュー。
2002ソルトレイクシティーオリンピック・スプリント16位。
2006トリノオリンピック・チームスプリント8位。
2007世界選手権札幌・スプリント5位。
2007/2008ストックホルムワールドカップ・スプリント3位。ワールドカップ日本人初の表彰台へのぼる。
<北海道から世界を目指すクロスカントリースキーヤー>
170cm、58kg。
◎前に新聞記事でこの選手を知った時、美人でビックリ。ワールドカップ3位の実績もすごい。生映像で見たいけど、クロカンスキーは日本時間の夜中なんですよねー。
(女子10kmフリー→16日深夜、男女スプリント→18日深夜、男女パシュート→21日早朝、団体スプリント→23日深夜、女子30kmリレー→28日早朝。)
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2010年02月11日(木)
15年前、真樹が生まれて [家族]
来月、真樹が中学校を卒業する。
卒業関連行事で使うので、生まれてから今までの写真を持ってきてほしいとのこと。これはうれしい依頼です。
真樹とヨメさんは、いなかの家まで写真を探しに帰った。
私は、真樹が3歳まで住んでいた京都キャロット通販事務所で写真探し。1996年、97年ころの写真がいっぱい出てきた。
真樹が生まれた1994年、家族が4人になり、犬が1ぴき(エリちゃん)、猫8ひき(キャロちゃん、チョンちゃん、ルビコ、パティコ、ネーモちゃん、チビンタ、コメちゃん、あんも)。にぎやかだった。
エリちゃんは2004年に、ネコちゃんたちもその前後に次々と亡くなり、今は20歳のあんもだけ。(2005年にきくちゃんが来ましたけど。)
15年半前に生まれた真樹も、あと1ヶ月で中学校を卒業。もう、そんなに月日が流れたんですね。
写真がいっぱいありすぎて、整理するのがたいへん。どうしても、一枚一枚じっくり見てしまいますから。
※ なぜか、写真のスキャンがうまくできませんでした。
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2010年02月10日(水)
とかしき島のTシャツ [沖縄]
とかしき島のヤンママ・岸本亜泉さん制作のTシャツ(2500円)。
写真は黒っぽく写ってしまいましたが、実際はこげ茶です。
文字の部分も白っぽく写っていますが、実際はピンクに近い色です。
文もなかなか味がありますなあ。
前には、とかしき島の象徴・くじらが。
かわいいです。
今日、「渡嘉敷島、岸本亜泉」で検索してみたら、彼女のブログに行き当たりました。
「オカ〜ン時々★遊書人日記」
今日の記事「京都繋がり」で、私たち夫婦のことも書いてくださっていました。
ぜひ、見てください。
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2010年02月09日(火)
第5回9の日平和ラン [ランニング]
今日は9の日、
平和を願いながら、「ランナーズ9の会」のユニフォームを着て9.9km走る日。
明るいうちに走りたかったのだが、けっきょくまた夜になってしまった。
新しいコースを開拓するヒマがなく、いつもの「自宅〜ノートルダム女学院」往復コース。
今日はこの時期にしては暖かい。しかし、寒かったときよりさらに人が少ない。
宝ヶ池プリンスホテル前も人影なし。
宝ヶ池トンネルのオレンジの照明が、けっこう好き。
きつね坂から京都タワーが見える。
ここを下りきって、ノートルダムで5km。34分16秒。ほぼキロ7分ペース。これならおなかもゴロゴロならない。
焼肉の「南山」。
ここは、私の高校時代の同級生・孫貞愛さんのお父さんのお店。彼女は、今で言ったら「辻ちゃん」みたいな小さくてかわいい人だった。
自宅到着は、1時間08分51秒。帰りは、34分41秒。これも、ほぼキロ7分ペース。ええ感じ。
ただ、人にほとんど会わなかったのがなあ・・・。「憲法9条のアピール」としては、ほとんど効果なし。やっぱり明るい時に走らないとね。
しかし、大きな発見もあった。
「サロマレーサーST」はでこぼこ道にも強い!
思っていたよりアウトソールがぶ厚いようだ。夜道で足元が見えず走りにくかったのだが、小さなでこぼこはみんな吸収してくれた。それでいてあの軽さ(約270g)は、「絶対に買い!」
いいと思いますよ、みなさん。
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2010年02月08日(月)
ますみさん写真集・沖縄旅行編 [家族]
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2010年02月07日(日)
嘉手納小学校学芸会 [沖縄・学校]
朝、レンタカーで嘉手納小学校へ向かった。
嘉手納小学校には、以前鳩間小中学校におられた古我知先生がおられる。古我知先生とは、2006年の鳩間小中の運動会の時と、2008年の「やまねこマラソン」(西表島)の時に少しだけお話させてもらった。
当時、真樹が同じような小規模校で年配の先生に囲まれていたので、若くておもしろそうな古我知先生をうらやましそうに見ていたことを覚えている。
嘉手納小学校の学芸会が、「とかしき島マラソン」の翌日という日程だったのでおじゃまさせていだたくことにした。
【嘉手納小学校・学校概要より】
嘉手納町は那覇から約20kmのところ(北)にあり、町全体の83%が東洋最大の米軍基地「嘉手納基地」でしめられ、狭い面積に多くの人が集中して生活しています。
学級数23(特別支援学級2)
在籍数705 (昨年度データ)
古我知先生はおいそがしいだろうと思い、校舎正面玄関におられた女性の先生に名刺とお土産をことづけさせてもらった。
「古我知先生は舞台係なので、すぐ分かるところにいると思います。お声をかけていただいたら・・・」
大きな講堂の壁にプログラムが掲示されていた。
児童数から見ると各学年3〜4学級あるが、出し物は学年で1つ。1、3、5年が音楽、2、4、6年が劇である。
舞台そでにおられる古我知先生をすぐ見つけることができた。
しばらくして、こちらに向かって手を振っておられたが、まさか私に向かってではないと思っていた。しかし、学年出し物の入れ替わりの時に、わざわざ私のすわっているところまで来てくださってお礼を言ってくださった。
「今日は、遠いところありがとうございます。」
「ちょうど昨日に渡嘉敷島でマラソンがありまして、日程がうまく合ったんで見に来させてもらいました。」
「この後はまた鳩間ですか?」
「いえ、今回はちょっと余裕がなくて行けないんです。」
「おひとりで?」
「いや、ヨメさんとふたりで来たんですけど、今ヨメさん、ホテルでエステとかゆってました。」
「そうなんですか・・・、ハハハ・・・」
人なつっこそうな古我知先生の笑顔が見られて、本当によかった。これだけでも来た甲斐があった。
一、(1年) 「はじめのあいさつ」
二、(1年) 「レッツエンジョイ ダンシングタイム」
三、(2年) 「スイミー」
四、(5年) 「未来へ残そう美しい宝物」
五、(4年) 「浦島太郎」(英語劇)
六、学校長あいさつ (久場明子校長)
七、(3年)「ひびかせ! レッツミュージック」
八、(6年)「ナビー小と蛇(ナビーグァーとジャー)」
九、(6年)「おわりのあいさつ」
9時に始まり、すべてが終わったのが11時40分ごろ。
700人規模の小学校の学芸会としては、見事にコンパクトにまとめられていた。各学年3〜4クラスあるはずなのに、学年ごとの一体感・連帯感がすごく感じられた。お見事です。
ただ、ちょっと立派すぎて・・・。
私が沖縄の学校を見学させていただいたのは、鳩間小中(2006年6月、10月、2007年3月)、船浮小中(2006年10月、2007年3月、2008年2月)、平久保小(2008年2月)。三校とも、超小規模校だった。船浮小中では学習発表会も見せていただいた。
そして縁あって、今回やや大きな規模の小学校の学芸会を見せてもらうことができた。
1年から6年までどの学年もすばらしい発表で、非の打ちどころがないと言ってもいい内容であったと思う。途中で自分たちの決意のような発表もあったが、はきはきとした立派な誓いの言葉だった。
でも、私は・・・。
鳩間や船浮や平久保にあったほっこりするようなところ、「あそび」の部分とでも言うんでしょうか、それがほしかったなあと感じました。よい子ちゃんばかりが目立って、やんちゃな子や失敗してしまう子が見当たらなかった。
確かに、この短い割り当て時間の中にピッシリはめ込むためには「あそび」の時間など無理。先生方のご苦労も容易に想像できます。
ただの無責任な一旅行者の感想と聞き流してもらってけっこうですが、やっぱり私は小さな小さな学校が好き。そこで苦労苦心工夫して行われる運動会や学芸会が大好きです。
今ある大規模な学校を小さくせよとは言いませんが、どうか「安易な学校統合」だけはやめていただきたい。
そんなふうないろいろなことを、あらためて考えさせられる学芸会でした。
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