パオパオだより

2010年02月19日(金)

真樹へ [家族]

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私がかいた真樹の似顔絵

      真樹へ

 「真樹」という名前は、「真っすぐな木」のように育ってほしくてつけました。
 ずっと真っすぐにとはいかなかったけれど、たくさんの人の力をお借りして、やっと中学校卒業の日を迎えることができたね。

 これから先も、どんなことがあってもくさるな!
 自分が決めた目標に向かって、少しずつでも進んでいこう。

 ひとまかせではなく、楽しいことは自分の力で見つけよう。
 真樹はそれができる。ぜったいできる。
 そう信じています。

 冬の沖縄にひっそりと咲いていたひまわりのように、人々の心をほっこりさせてくれる存在であってほしい。いつまでも。

     2010年2月

                    父より

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 今日、生まれてから今までの写真といっしょに、「親からおくる言葉」を学校に持って行った。
 私には書くなと言っていたが、真樹が寝ている間に写真の横に忍ばせておいた。
 このごろ真樹は私のこのブログも読んでいないようだし、当日あけてビックリになったらいいのになあ。



※「冬の沖縄のひまわり」

 去年2月7日、真樹といっしょに行った「とかしき島マラソン」で真樹が見つけた。
 「ひまわりが咲いてる!」
 それは会場である渡嘉敷小中学校のグランドの片隅に、背は低く花の部分も小さかったがしっかりと咲いていた。花に気付き、それがきれいと思える気持ちがあるのならだいじょうぶ。そのあとの3kmもしっかり走ったし・・・。

 今年1年ぶりに訪れた渡嘉敷小中学校には、またその元気なひまわりが咲いていた。

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真樹の制服のリボンをつけたきくちゃん

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2010年02月18日(木)

中野勇人さん、ご来店 [私の好きな人]

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 「赤胴鈴之助・・・、さるとびエッちゃん・・・、クレクレタコラ・・・、レインボーマン・・・」

 1962年、寅年生まれの二人の話ははずんだ。

 私が勝手に「世界一すごい人」と呼んでいる中野勇人さん。東京でのJR不採用問題解決への「2・16中央集会」の帰りに、京都に寄ってくださった。私のお勧めシューズ「サロマレーサーST」を、「京都キャロット」までお買い求めに来てくださったのだ。
 中野さんは、以前「サロマLSD9」を買われたのだが、硬い感じがして使えなかったそうだ。それ以来、柔らかい感じがするアディダスのシューズを愛用しておられた。しかし、私のブログの記事を見られて、「サロマレーサーST」をはいてみようと思われたそうだ。
 「こんな遠くまで来ていただいて、ありがとうございます。」 (このシューズが足に合えばいいのですが・・・。)

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 せっかく来ていただいたので、お昼をいっしょに食べに行った。

 上賀茂橋東詰上ルの「きらきらひかる」。
 オーナーさんが大原で作られた野菜を使った定食を注文。
 まあ京都らしい、お皿にちょびっとだけ。
 たぶん、中野さんはもの足らんかったやろうね。

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 ええかげん人間である私の爆笑ギャグ(?)は、まじめな中野さんにはすべて不発に終わった。

 ?店に遅れてヨメさんがかけつけた時。
 「あっ、これがうちのかわいいヨメです。何のおもてなしもできませんけど、このかわいい顔でかんべんしてください。」
 「・・・」 (ここ、つっこむとこやろー。)

 ?「この人が走りに行って夜遅くまで帰ってこーへんときは、ポックリ死んでくれてたらうれしいのになあと何べんおもたことか」とヨメさん。
 「でも、25年ちかくいっしょにいるということは、何か一つ二ついいところがあるから・・・」 (そんなまじめにフォローしてもろたら、かえってつらくないかい。)

 ?「うちのヨメさんね、ボクの口から出まかせの、財産がいっぱいあるという言葉に目がくらんで結婚したんですわ。そんで、結婚したら財産なんてないことがわかってガックリ。」
 これは真顔で聞いておられて、絶句。 (これこそ爆笑パターンなんですけど・・・。)

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 なんと、くしくも、中野さんは工業高校電気科卒。うちのヨメさんといっしょ。
 女子はクラスで1人だけだった。これもヨメさんといっしょ。
 クラブは剣道部だったそうだ。うちのヨメさんはフェンシング部。似ている。
 それぞれの父親が亡くなった時期もほぼ同じであった。

 北海道と京都。共通点は少ないと思っていたのにけっこうあった。同じ歳というだけで親近感がわくが、それ以上に話が合うという感じ。
 意外なところから意外な話題が広がっていく。きっと、ヨメさんも話していて楽しかっただろう。

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 私が初めて「サロマ100kmウルトラ」に出た年(17年前、寒い雨の大会)、中野さんも出ておられた。中野さんは、マラソン大会への出場経験もなくいきなり「サロマ」に出られたそうだ。それで11時間ちょっとで完走。ほんまに、「どうなっとんじゃー」と言いたい。

 お昼を食べたあと少し時間があったので、元美人バスガイド(?)こと、うちのヨメさんが大原を案内した。(私は用事があっていっしよに行けず。)
 しかし、ここでの写真は中野さんからNGが出た。「遊んでいるように思われるので・・・」
 あっ、このこと自体書いたらまずかったのかな。

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2010年02月17日(水)

クロスカントリースキー・女子スプリント [時事]

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 日本時間深夜3時すぎより、いよいよクロスカントリースキー・女子スプリント。
 2日前は「女子10kmフリー」を見るため、深夜3時まで起きていた。しかし、私の好きな夏見円選手は不出場。日本の2選手(福田修子選手、柏原理子選手)は全然テレビに映らなかった。
 4時すぎまで起きていたので、その日は睡眠3時間。夜中ねばった割には・・・。

 今日は、夏見円選手も出場するし、1.4kmの短時間勝負なのでテレビにも映るはず。
 これから寝て(今9時半)、夜中3時に起きようっと。

 ということで、今日はこれでおやすみなさい。

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◎今、深夜3時半すぎ。
 夏見円選手、予選22位で通過。(上位30位まで)
 さあ、次は準々決勝。

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◎今、深夜4時すぎ。
 恩田祐一選手、予選11位で通過。
 こちらも、準々決勝進出。

 次の放送は、早朝5時25分から。今寝たら、絶対起きられへん。
 しゃーないし、NHKで「カーリング」を見て時間つぶし。

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◎朝6時前。
 夏見円選手、準々決勝第4組6位敗退。残念!

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◎朝6時半。
 恩田祐一選手、準々決勝第1組4位敗退。
 ずっと先頭を引っぱっていたのになあ、残念!

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2010年02月16日(火)

1987年2月16日、JR不採用通知 [時事]

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 今日、やっと一冊の本を読み終えた。
 国鉄運転士だった佐久間忠夫さんの書かれた「人らしく生きよう 〜国鉄運転士の戦後60年〜 (2005年)」。
 先月古本屋さんで見つけ、ちょびちょび読んで、やっと最後まで。

 去年の12月、国鉄労働者のJR不採用問題をアピールするため「国会前54日間連続フルマラソン」を決行された中野勇人さん。その中野さんの「中野レポート」に、中野さんを励ましに来られていた佐久間忠夫さんの写真が掲載されていた。その記憶が、私の頭にかすかに残っていた。
 何ヶ月か前なら、古本屋さんでこの本を見ても何も感じなかっただろう。私もほかの人たちとほとんど同じ。
 「国労って、まだねばってはったんや。」という程度。

 難しい本だと読むのがたいへんだが、これなら読めそう。そう思って買ってきた。
 私が思った通り、戦後の国鉄からJRへの流れがわかりやすく書かれていた。国労の組合員としての活動もくわしく書かれていた。(佐久間忠夫さんは、国労闘争団の最高齢らしい。現在79歳。)

 中野勇人さんのことも書かれていた。
 映画『人らしく生きようー国労冬物語』百か所上映運動について書かれているところ。

 初めて闘争団の子どもたちが表舞台に登場した時だ。やっぱり家族の話はいい。(略)いつも言うことだけど、子どもたちの話を聞いていて俺自身がジーンと来たよ。
 2002年10月22日の東京の南部地域大集会でも全動労争議団の渡部さんの奥さんと北見闘争団中野の息子の話が良かった。(P.238)

 俺が参加した50回目の上映会が山形映画祭。(略)
 そこで初めて北見闘争団の中野勇人に会った。わざわざ四国からタオルをもって来て売っていた。映画祭で少し余ったので、「山形大学に行って売ろう」という話になって学生2人と俺と中野の4人で次の日に出かけた。(略)
 その時、中野はえらいなあと思うことがあった。オルグが終わって「山形はソバがうまいから」ってソバ屋に入った時のこと。中野が学生らに「いつもお世話になっています」って4人分のソバ代を払ったんだ。当時は争議団というと、“ごちそうさん”が、俺も含めて当たり前と言われたこともあったから、こいつはなかなか細かいところに神経が回る奴だ、こんな闘争団員は珍しい。大したもんだという印象を持ったよ。これは四国に行って身に付けたのかな。それが『人らしく生きようパート2』につながり、今年の1047キロマラソンの画期的な運動に続いていると思う。(P.264)

 今、中野さんは常駐先である徳島から上京されている。「2・16中央集会」参加のためだ。
 だいたい、この「2・16」自体が何の日かさっぱりわからなかった。国鉄職員がJRに採用されるか否かの運命の日だったんですね。

※下に、要請文を掲載します。 

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(要請文)

JR不採用問題 解決へ!
2・16中央集会への参加のお願い

 国鉄の分割・民営化からまもなく24年を迎えようとしています。JRに不採用となった国鉄労働者1047名とその家族は、あまりにも長く厳しい生活と闘いを強いられてきました。すでに国労闘争団員の平均年齢は56歳、全動労争議団の平均年齢は63歳になっています。また、解決を見ることなく他界した被解雇者は59名(2010・1・18現在)を数え、病床に臥せっている闘争団員・争議団員も多数います。文字通り家族共々塗炭の苦しみにあえいでおり、この問題の解決は一刻の猶予も許されない状況になっています。
この間、鉄建公団訴訟東京高裁控訴審で南裁判長は、解決に向けた当事者間の裁判外での話し合いを提案し、それを受けて当時の冬柴国土交通大臣は、この提案について「お受けしてその努力はすべきだ」と述べ、同様に金子国土交通大臣は、同控訴審結審日に「当事者それぞれがこの判決を真摯に受け止めて、誠心誠意、事に当たられることを期待いたします。」とコメントしました。

 こうした中、2009年3月25日東京高裁第17民事部は「不当労働行為」があったことを明確に認める等の判決を言い渡すと共に、南裁判長は「この判決を機に1047名問題が早期に解決されることを望みます」との異例のコメントを付け加えました。2009年2月16日、星陵会館で開催した集会で当時の民主党鳩山幹事長(現総理大臣)は「23年が24年とならないうちに、解決になれるように私どもとしても全力を尽くして参りたいと思います。」と述べて頂き、苦闘の中にある原告や家族に改めて勇気と希望を与えていただきました。

  また、2009年11月26日開催した「JR不採用問題の解決に向けた11・26集会」でも、民主党を始めとする政権与党の各代表者と、野党の出席を得て、「連立与党の一つの政党として、内閣・政権に対しても解決を図れるような状況を作り出すために尽力をして参りたい」「23年が24年にならないように各党力を合わせてやるべき」等との力強い決意を頂きました。

  ILO(国際労働機関)も、日本政府に対して「政治的・人道的見地の精神に立った話し合いを全ての関係当事者との間で推進するよう勧める」との「勧告・報告」を出しています。
さらに、内閣総理大臣・国土交通大臣・厚生労働大臣等に対する「JR不採用事件の早期解決を求める地方議会の意見書」は北海道議会・東京都議会・福岡県議会をはじめ、全国で831自治体、1227本(2010・1・18現在)以上の地方議会で意見書が採択されています。

 JR不採用問題は今、解決へ向けて大きな局面を迎えています。
 私たちはこれまでの到達点を踏まえ、この好機を逃さず、当事者の要求である「雇用・年金・解決金」を勝ち取り「路頭に迷わない解決」を実現するために、「JR不採用問題 解決へ! 2・16中央集会」を開催することにしました。貴団体をはじめ、多くの皆さんに呼び掛けて頂き、圧倒的な結集で集会を成功させるためにご協力をお願い申し上げます。

2010年1月



名 称  「JR不採用問題 解決へ! 2・16中央集会」

日 時  2010年2月16日(火) 18時開場 18時30分開会

場 所  日比谷野外音楽堂 (東京都千代田区日比谷公園1?3)

主 催  4者・4団体

国鉄労働組合、全日本建設交運一般労働組合、国鉄闘争支援中央共闘会議、国鉄闘争に勝利する共闘会議
国労闘争団全国連絡会議、鉄建公団訴訟原告団、鉄道運輸機構訴訟原告団、全動労争議団鉄道運輸機構訴訟原告団
 

(注)今晩、「人らしく生きようラン」をしようと思っています。そのことを、あとでちょっと付け足す予定です。
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 「人らしく生きようラン」

 気温2℃、雪がちらほら。そんな暗闇に向かって走り出すには何か理由が要る。
 今日2月16日は、国鉄労働者に対してJR不採用が通知された日。東京では大集会が開かれている。東京に行くわけにはいかないが、遠く京都からでも何かエールを送りたい。

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自宅前 (8時42分)

 私は国鉄・JRとは特別な関わりもないが、今日は「人らしく生きよう」の著者・佐久間忠夫さんに敬意を表し、「人らしく生きようラン」と銘打って走ることにした。

 行き先は、やはりゆかりのJRの駅。
 カーナビで調べたら、「円町駅」まで9.8km、「二城駅」まで9.5km。これは、近い「二条駅」に決定。それでも往復19kmか。 

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御薗橋

 雪がちらついていたせいか、人影なし。
 せっかく付けてきた「国労応援」ゼッケンを見てくれる人も見当たらず。 

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堀川今出川

 ただ、バス停でバスを待つ人、交差点で信号待ちの人は、(ヒマなせいか)しげしげと見てくれていた。

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清明神社

 陰陽師で有名な「清明神社」。
 私自身は何の願い事もないので、一応、「真樹が楽しく受験できますように」とお願いしておいた。

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二条城

 二条城前で1時間弱。
 まだ9時半ごろだというのに、走る人の姿なし。ほんとにマラソンブーム?

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鈴木邦一商店

 二条駅前(御池通)の「鈴木邦一商店」。
 よかったー、ありました。
 私が大学1回生のとき(36年前)、ストーブの煙突付けのバイトに行ったところ。あれはおもろかった。
 芸大とか女子高の煙突付けがいい経験になった。なかなか入れへんところやから。
 いっちゃんすごかったんは、命綱をつけて窓から乗り出して作業したことやね。

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二条駅

 二条駅到着は、9時48分。スタートより1時間5分。
 下りの9.5kmが1時間5分もかかったら、帰りが思いやられる。

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二条駅改札

 こんな小さな駅だと、国労の方もおられないのかな。
 妙にひっそりしている。

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門ゆうすけ候補事務所 (堀川下立売下ル)

 帰りは、堀川通の西側を通る。
 出ました「門さん悦ちゃんポスター」。4月の京都府知事選前まで、もうしばらくこのポスターが見られるわけ。
 「あれ、うちの姪ですねん!」

 おっ! よく見たらポスター縦バージョン。これ新しいレイアウトですね。また、もらってこーっと。

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堀川商店街

 堀川商店街には、私が教師を辞めた直後、配達の仕事で行っていた「堀萬」というお店があったはず。
 写真に撮ろうと思って、一軒一軒じろじろ見ながら走ったのだが見つからず。なくなったんかなあ。

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清明神社

 帰りは清明神社の境内まで入ってみた。

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清明神社

 なかなか不気味。

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清明神社

 これは、「一条戻り橋」を再現したものらしい。

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上賀茂神社

 背中の写真も撮っておきたかったので、上賀茂神社まで戻ったところでセルフタイマー撮影。
 10時37分、ひと気のない神社の駐車場で、フラッシュをたくあやしいオッサン! それは、私です。

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ゴルフ場前

 道路の電柱になにをしているのかと観察すると、電柱をチェンソーのような機械で切っていた。コンクリート製の電柱やのに、切れるんかなあ。

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自宅前 (10時58分)

 11時前、やっと自宅到着。2時間14分(往復19km)。
 帰りの9.5kmが1時間9分やから、意外としっかり走りました。

 国労闘争団のみなさん、私はこれからも京都で勝手に応援させてもらいます。
 これからさきもずっと、「人らしく生きよう!」

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2010年02月15日(月)

松野明美さん [私の好きな人]

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 今日の「徹子の部屋」のゲストは松野明美さんだった。
 この番組を見ることはめったにないのだが、松野明美さんの話を聞いてみたかったので見ることにした。
 松野明美さんを知らない人のために、公式サイトよりプロフィールを。

■プロフィール

松野 明美 (まつの・あけみ)

 1968年、熊本県生まれ。
 駆け足が遅く、いじめられっ子でおとなしい性格だったが、小学校5年生のときに出場した町内陸上大会で優勝。1位でゴールしたときの両親の笑顔がうれしくて、マラソンに目覚め、「いちばんを目指す人生」が始まる。

 高校卒業後、ニコニコドーに入社し、陸上部に所属。
 1987年、全日本実業団対抗女子駅伝に初出場し、12人をごぼう抜きする。これにより一躍注目のランナーとなる。
 1988年、ソウル・オリンピック1万メートル競技に出場。人の2倍、3倍、それでもだめなら4倍の猛練習をし、数々の記録を残す。

 引退後、結婚し、2002年、長男・輝仁(きらと)が誕生。翌年、次男・健太郎がダウン症という障がいを持って生まれる。
 「明るく元気な松野明美」のイメージが崩れてはいけないと健太郎を一生隠そうと決心するが、日々の成長や笑顔が、著者の心を少しずつ変化させる。
 健太郎の子育てを通じて、「人生は人との競争じゃない、いちばんじゃなくてもいい」と気づかされる。
 現在は、自身のマラソンや子育ての経験をもとに、講演、タレント、ゲストランナーなど幅広く活動をする。

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 松野明美さんと言えば、現役ランナー時代、兵庫県の「但東シルクロードマラソン」にゲストランナーとして来られていた時にちょこっとお見かけした。そのときは今の姿からは想像もできないようなナイーブな少女だった。
 オリンピック女子マラソン代表選考の前の、「私を選んでください」会見。あれは強烈に印象に残っている。
 しかし、もっと強烈だったのは、現役引退直前、「走り方が分からなくなった」と言っておられたこと。「歩くことはできるんですけど、走ろうとしても足が前に出ないんです」とおっしゃっていた。
 何が原因なのかよくわからなかったが、「はー、オリンピックにまで出た人でも、こんなことになるんや」と衝撃を受けた。

 そんな彼女も結婚し、いまや二児の母。
 最初の子の出産には24時間もかかったそうだ。そして、次の年の出産は6時間。しかし、その子が障害を持って生まれてくる。

 私は障害のある子に関する知識がほとんどなく、ましてやダウン症についてはまったく知らない。だから、この件のコメントは控えます。
 ただ、今日の番組内で心に残った松野明美さんの言葉がありました。

 健太郎が生まれダウン症だとわかったとき、ある人から、「障害のある子は、親を選んで生まれてくる」と言われた。でも、「どうして私なんだ。どうして、ほかの親のところに生まれなかったんだ」と、子どもに向かって何百回と言いました。

 「何百回も・・・」と今言える松野明美さん。その松野さんの書かれた本も読みたい。

 「いちばんじゃなくて、いいんだね。」 著者:松野明美
  定価:1,400円(税込) 発行:株式会社アスコム 発売日:2月12日(金)

 ダウン症の息子と母の、笑って泣けて元気になれる、感動の物語。

 「人生は勝ってこそ意味がある。いちばん以外は、価値がない」という思いで松野明美は走ってきたが、息子がダウン症という障がいを持って生まれたことで「人生に負けた」と感じるようになる。
 「明るく元気な松野明美」のイメージが崩れてはいけないと息子を一生隠そうと決心するが、日々の成長や笑顔が、著者の心を少しずつ変化させる。
 息子の子育てを通じて、「人生は人との競争じゃない、いちばんじゃなくてもいい」と気づかされる。

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 来週には、ドキュメンタリー番組も放送される。これも、見よう。

 ●2月22日(月)19:00〜19:54
 「ドキュメンタリ宣言」(テレビ朝日系)

 健ちゃん ヨーイドン!
〜松野明美 ダウン症のわが子を抱いて〜


 元マラソンランナーでタレントの松野明美さん。
 テレビで見せる、底抜けの明るさ。その陰で誰にもいえない「秘密」がありました。
 次男の健太郎くん(6歳)ダウン症です。しかも、重い心臓病を患って生まれてきました。
 かつて、松野さんは最愛の息子の存在をひた隠しにしてきました。
「明るいイメージの私が崩れてしまうと。。。」

 他の園児に比べて体はひと回り小さく、言葉もまだ話せません。それでも、よく笑い、遊び、次第に成長していく健太郎くん。
 そんな健太郎くんの入園を機に、松野さんには一つの決意がありました。それは秋に開かれるマラソン大会に親子で出場すること。距離は数キロ程度ですが、体力が不足し歩くこともままならない健太郎くんにとっては、無謀とも思える挑戦です。

 マラソン大会へ向けて、親子で練習に取り組む日々。
 走り方さえ知らない健太郎くんのために松野さんが考えた、独自のトレーニング方法とは!?
 走る距離が徐々に延びて、喜び合う親子!しかし、そんな二人を新たな病魔が襲う…。
 ついに訪れるマラソン大会当日。幾多の試練を乗り越えてスタートラインに立った親子には、誰もが想像しなかった“奇跡”が待っていました。健太郎君が初めて言葉を口に!!

 番組では、マラソン大会までの8カ月に完全密着。生後間もない健太郎くんが、重度の心臓病と闘う当時の入院映像、松野さんの献身的な看護の映像も随所に織り交ぜていきます。
 果たして、マラソンを通じて伝えたい母のメッセージは、ダウン症の我が子へ届くのか!?

 「健ちゃん、ヨーイドン!」。
 ダウン症の息子と歩む、笑いと涙の日々です。


※今日の「徹子の部屋」では、松野明美さんが完全に主導権を握っていた。あの黒柳さんが入り込む余地がないくらい、松野明美さんのトークは炸裂していた。
 黒柳徹子さんも、あんなふうに「ふんふん」と聞き上手な司会もできるんや。新しい発見です。

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2010年02月14日(日)

第24回京都市小学生大文字駅伝 [家族]

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 「りくー、りくー、・・・」
 それからあとは何も言えない。
 名前を大きな声で呼ぶのが精一杯。「がんばれ」なんてとても言えない。

 私の姉の孫が、上賀茂小学校の7区のメンバーとして出場していた。
 ずっと小さいというイメージで見ていたのだが、今日のしっかりとした足取りを見てその考えが変わった。決して小さくもなく、ランニングフォームもきれいな立派な小6に育っていた。知らん間にね。

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 今日はバレンタインデー。
 朝、ヨメさんと真樹からチョコをもらう。

 大文字駅伝のスタートが10時45分だったので、10時半に家を出た。

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 北山大橋でヨメさんをおろし、車を北大路ビブレの駐車場へ。
 姉の孫「りく」が走る7区は、北山通りの植物園北口が中継所。

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 そこへ行くまでに、3区の選手の応援。
 ちょうど、前に「京都キャロット・北山店」があったところ(現在、ブライダル関係の店になっています)。

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 「りく」の小学校(ナンバーカード「1」)も、いい位置をキープしている。

 中継所に向かう時、学ちゃん夫婦にあった。学ちゃんは、「りく」の叔父さんで私の甥。
 「こうじさん、社長が向こうで待ってはったし。」
 「ああ、ありがとう。」
 うちのヨメさんのことを、ちゃんと「社長」と呼ぶところはさすが。わかってらっしゃる。

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 中継所には、うちの「社長」と私の兄夫婦。兄夫婦は、ビブレ北側の自宅から歩いてきたようだ。

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 7区を走る選手たち。
 ナンバーカードの若い順に整列していた。

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 「りく」を写真に撮ろうとしたら、ちょうどシューズひもをしめなおし。
 でも、中継直前にこういうことに気がつくのは落ち着いている証拠。

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 中継所での応援はは兄夫婦に任せ、私ら夫婦は鴨川へ。

 200mほど西に行くと、学ちゃん夫婦が待機してくれていた。
 「学ちゃんの奥さんて、カーリングのマリリンにも似てるやんなあ。」
 「うん? カーリング?」と言いながら、二人でほうきはきのポーズをしてくれていた。ええ夫婦です。

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 私らは鴨川の北山大橋と北大路橋の中間あたりへ。
 これで、中継所が私の兄夫婦、序盤が学ちゃん夫婦、中盤が私ら夫婦、終盤に「りく」の両親と祖父が配置できたはず。磐石の応援態勢です。

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 「いっぺん走ってみたい、白バイの後ろ」

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 うちのヨメさんがゆってた。
 「自分の子が通り過ぎたら帰ってしまう人が多いけど、もったいないなあ。ひとりひとりを見ていたら、自然と応援したくなってしまうのになあ。」

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 「来たでー、ゼッケン1番。」
 ああ、前の選手と重なって写真が撮りにくい。

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 「りくー、りくー、・・・」
 聞こえたかな。
 ちょっとは力になれたかな。

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 「フレンズー、・・・」

 うちの廉は6年前4区、真樹は3年前10区、「フレンズ(小規模校連合)」で出場させてもらった。

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 鴨川の飛び石を渡って対岸へ。
 こりゃ近道、便利!

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 鴨さんの団体が・・・。

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 ヨメさんがちんすこうを持っていたので、鴨に向かって放り投げた。

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 ビブレの貸会場では、「北区保育園絵画展」が催されていた。
 廉が3年真樹が1年お世話になった「上賀茂保育園」の子の絵も展示されていた。やっぱりよろしいなあ、この保育園は。ひとりひとりの個性を大事にしてくれてはる。

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 夕方、11日ぶりに「江文峠越え10kmラン」。「りく」の力走に触発されたなあ。
 今日から来年の「とかしき島マラソン」に向けて再スタート。この1年でさらに3分縮めて、このコース42分をめざす。
 基準となる第1回目の今日は、56分04秒。もっとゆっくりでもよかったのに。
 1年であと14分短縮かー。ムチャな目標のようやけど、決してそんなことはない。
 「できる!」

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真樹の同級生・あーちゃんにもらったチョコ

 夜7時から、地元「京都テレビ」で「大文字駅伝」の放送を家族みんなで見た。廉と真樹も出場経験者なので、いろいろと話がはずんだ。

 「りく」の小学校は15位だったようだ。
 フレンズは完走49チーム中、またもや最下位。(廉の年はめずらしく後ろから3番、真樹の年は最下位。それ以外の年もほとんど最下位。)

 うちの家族の意見をまとめると、「タイムの早い学校が出るのではなく、出たい子がみんな出られる大会に工夫して変えて行ってほしい」です。

 私が気になっているのは、養護学校(今は「特別支援学校」と言うんですね)が頭から除外されていること。あそこも同じ京都市小学校のはず。予選タイムで選考する今の方式では、あの子たちは未来永劫出場できない。
 この点を主催者サイドはどう思っておられるのでしょう。「特別支援学校」と言うからには、「大文字駅伝」出場に対する特別支援も行ってもらいたい。
 ぜひ、ご一考を。

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