2009年11月08日(日)
第19回南紀日置川リバーサイドマラソン [ランニング・出張販売]
9km付近で見た、雑種犬3頭飼いのおうち。うらやましーい。
写真を撮りに近寄ったら、ほえられまくった。
しかし写真をよーく見てみると、雑種というより猟犬のように見えんこともない。まあ、とにかくうらやましい。
今年は大会会場である日置小学校の体育館建て替え工事のため、イベント広場が道路を挟んだお向かいの日置保育園になった。(これは、売り上げが落ち込むパターンです。)
でも、保育園のまん前に子どもたちを見守ってくれるお地蔵さんも立ってくれてはるこっちゃし。
受付は、例年通り小学校グランド。
会場が分散してしまったせいか、人がすごく少ないような感じがした。
熊野高校生による和太鼓。ギャラリーが少なくて、ちょっと気の毒。
9時20分からは、バンビの部1km。就学前の子と親によるペアのレース。
9時35分からは、ファミリーの部2km。小1〜小3の子と親のぺアのレース。
9年前、廉が小3の時、優勝させてもらいました。
このレースは見ごたえがある。
スタート直後ポーンと飛び出したグリーンのTシャツの男の子。親らしき人は近くには見当たらない。この子がどれくらいで帰ってくるか、楽しみになった。
およそ8分後、帰ってきましたグリーンTシャツ君。それも、お父さんと弟を従えて・・・。全体の3番目。
もしかしたら、お父さんと二人で出ていたら優勝していたかもしれない。でも、この3人で走っている姿は、「めちゃくちゃかっこよかったぞー」。
さて、10時からは、私も出場するハーフ。
今年も、花村さんは視覚障害ランナーの伴走です。去年とはちがったお相手ですが、全く心配なさそう。こういう方が伴走してくれると心強いにちがいない。
スタート前にゲストの早狩実紀さんのごあいさつがあったが、撮りそこねた。
スタートしてすぐに思ったこと。
暑い! 暑すぎる!
最初の給水は、9km地点付近らしい。今まで何んとも思わなかったが、今年はきつい。のど、からから。
それでも5kmは、24分24秒。
川の上流に向かって走っているのだから上り坂のはずだが、この暑さでこのタイムならまずまず。
大会会場の放送で、「紀伊半島最後の清流・日置川」と何度も言われていた。確かにきれい。四万十川に似ている。
人家が少なく、護岸工事やダムを造らなかったら川の水はきれいなんですね。
10kmは、安居橋(あごばし)のちょうど真ん中らへん。
49分48秒。まあ、けっこうな上り坂もあったし、こんなもんかな。
折り返して、もう一度安居橋。
かわいいワンちゃん発見!
ごんちゃん・オス、ほえまくられて歳を聞くのを忘れました。
ひろたさんと花村さんペア。
私と1kmちょっと離れているだけなので、かなり速い。
15kmは、1時間15分30秒。
あれー、帰りは下り坂のはずやのにタイム落ち込んどる。
そうや、去年はいなか時代のご近所さん、そうへい君のことを思いながら走ったんやったなあ。
そのそうへい君も、今や中2。私のような変なおっちゃんがかまうような歳でもなくなったなあ。もう、自分でいろいろなことを切り開いていく力がついてきてるんやろなあ。
「紀伊日置」駅には、電車が。
ここらあたりから、ちょっとしんどくなってきた。
「ランナーズ9の会」のまっちゃんが、しんどくなったらいつも聞く曲、中島みゆきの「重き荷を負いて」。
「がんばってから死にたいな がんばってから死にたいな」
なるほど。これは、「がん・ばっ・て・から・死に・たい・な・(休み)」の8分の8拍子になっている。
でも、私なら、こうやねえ。
「がん・ばる・ふり・して・生き・て・行く・(休み)
がん・ばる・ふり・して・生き・て・行く・(休み)」
待てよ、こんなんもありか?
「まっ・ちゃん・ぜっ・たい・早・死に・よ・(ホレ)
「まっ・ちゃん・ぜっ・たい・早・死に・よ・(ホイ)」
長生きしてほしい人ほど過労死とかやからね。
まっちゃん、まっちゃんを必要としている障害のある人たちのためにも、「死んだらあかんでー」。
でも、ニヤニヤしながらブツブツ言って走っている変なオッサンは、気持ち悪かったやろなー。
20km、1時間41分19秒。
下り坂のはずなのに、やや失速気味。
ゴールは、1時間46分52秒。
キロ5分は切りたかったなあ。でも、先週の「土山」より13分も縮められたんやからいいか。(ただし、去年の「日置川」より8分も遅い。)
11月の第2週だというのに、暑すぎた。
たぶん、25℃くらいいってるんやろなあ。
ゴール前の坂にかわいいワンちゃんがいた。その時は写真を撮れなかったのだが、ゴールしたあとコースを戻ってみた。
いましたー、あのワンちゃん。それもご主人が戻ってこられて大喜び。すっごいいい写真が撮れました。
今日は暑すぎて、イベント広場の食べ物屋さんもさっぱりだったみたい。
ヨメさんはオムライス(500円)、私はラーメン(600円)をいただきました。
後片づけをしている時、うれしいことが・・・。
「いつも、ブログを楽しみにしています。」
若い男性ランナーが、そう話しかけてこられた。聞いてみると、大阪から来られた方だそうだ。お名前も聞いておけばよかった。
来る時は4時間。しかし、帰りは事故などもあり6時間半もかかった。
いつも助手席で寝てしまうヨメさんは、めずらしくずっとおきていた。いろいろと話もした。その中の秀逸を・・・。
「おじいさん(私の父)、もうちょっとおどしとかなあかん。『あんたの息子、いつでも捨てたんでー。あんたの息子、私に捨てられたら生きて行けへんでー』てな。」
「そんな、もうじき88やっちゅうのに、おどさんでも・・・」
「いや、おじいさんはわかっとらん。自分の息子は立派な息子やとかんちがいしとる。ほんまに、ようゆうて聞かさな・・・」
おー、毒ヨメ本領発揮。
くたくたになってやっと家にたどり着いたら、かわいいかわいいきくちゃんが「きゅんきゅんきゅん」。今日はピンクのぼんぼり付きでお出迎え。(真樹のしわざ)
きくちゃんの大サービスで、長運転の疲れもちょっとはとれました。
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2009年11月07日(土)
国民宿舎「ひらみ」 [宿情報]
南紀日置川リバーサイドマラソンへの出店は、今年で11回目。
最初に来た時は、廉が小2、真樹はまだ保育園年長だった。
最初のころは日置川町内に泊まっていたが、最近は白浜町椿の国民宿舎「ひらみ」さんにお世話になっている。
ここは、とても家庭的な温かさのあるお宿。2年前までは、私の大好きな雑種犬もいた。(残念なことに、雷にびっくりして脱走し死んじゃったそうだ。)
この日は、宿のご主人の娘さんがお子さんたちを連れてこられていた。まだ小さい子たちばかり3人。一番下の女の子はまだお乳を飲んでいる赤ちゃんだった。
時々聞こえる「あーん、あーん」という泣き声。
「よー、泣いとるなあ。」
「元気でよろしい。」
自分たちも乳飲み子を連れて出張販売に来ていた経験がなが長いので、赤ちゃんの泣き声には特別な思いがある。
赤ちゃんの泣き声が響き渡る宿。そんなお宿も味わい深い。
椿温泉は、ぬる目のお湯にゆっくり長くつかるのがいいらしい。お肌がつるつるになります。
国道からだいぶ脇に入ったところなので、車もほとんど通らず静か。落ち着いたいいところです。
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2009年11月06日(金)
「あれ、私の姪ですねん」・第2弾 [家族]
◎京都民報 11月1日より
「熱い志をもってたたかう門先生」
民主府政の会の知事候補・門ゆうすけさんのポスターに登場、している中村悦子さん(25)=京都市右京区=に聞きました。
看護師になって3年目になります。小学生時代に看護師として生き生きと働く姉の姿を見て、「かっこいい仕事。私も看護師になりたい」とあこがれていました。
しかし、働き出した当初は深夜勤などで生活リズムが狂い、体力的にも精神的にも疲れ、辞めたいと思うくらいつらかったです。でも、1人の患者さんに寄り添う「症例患者」の研修に取り組んで、「ありがとう」「がんばって」と声をかけてもらい、患者さんが信頼してくれた時、やりがいのある仕事だなと思いました。
深刻な看護師不足で看護師の仕事量・拘束時間が増え、患者さんの満足する看護・援助はできていません。京都府の看護師不足問題を解消するためにも門ゆうすけ先生にぜひ知事になってもらいたいです。
「困っている人を助けて」
門先生とは今年の9月に熊本で行われた「水俣大検診」で初めて会いました。勉強になるからと熊本に派遣された私ですが、水俣病は教科書のの中の出来事という感覚で、ほとんど知識はありませんでした。
検診に訪れた人たちを見てショックを受けました。しびれを訴えたり、目をつぶったら平衡感覚をなくす40代の人たちがいて、「この公害はまだ終わっていないんだ」と実感しました。門先生は患者さんに対してとても穏やかに、優しく接しますが、とても熱い志を持った人です。水俣病最後の患者さんがいなくなるまでたたかう先生です。
いま、貧困が広がり、困っている人たちがたくさんいます。門先生には弱者に手を差し伸べる、人といのちを大切にする府政に転換してほしい。私も精一杯がんばりたいと思っています。
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えっちゃん、えらいなあ。しっかりしとるわ。藤井家グループの誉れやね。
あの例のポスターが張り出される前の日に、ひっそりと結婚したんやってね。なんか、ちっちゃくていつもニコニコしていたえっちゃんらしいなあ。
「こうじおっさん」としては、えっちゃんの結婚式見てみたかったなあ。でも、そんなん見たらまた泣いてしまうかも・・・。
今、「こうじおっさん」にできること。
それは、えっちゃんが尊敬する門さんが京都府知事になれるよう、なんか運動することやね。今まで選挙運動ってしたことがないけど、なんぞしまっせー。
えっちゃんのかわいい笑顔が、もっともっとかわいくなれますように。そのためにも、選挙、いっしょにがんばりましょね。
門さんのチラシに、上のような記事発見!
京都府在住のランナーのみなさん、これを見ただけでも応援したくなりません?
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2009年11月05日(木)
祝! 62000アクセス [ブログ]
10月の「パオパオだより」のアクセス数が、62002。
「だから、なに?」と言われたらつらいが、一応これで1日の平均アクセス数が2000突破。ランニング用品店の役立たず夫のブログとしては、大健闘ではないでしょうか。
前も書いたけど、1アクセス1円でももらえたらなあ。1日のごはん代くらいにはなるのになあ・・・。
次にめざすは月間90000(1日3000)。
調子に乗ってたら、またヨメさんに、「ムダ!」って怒られんのかなあ・・・。
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2009年11月04日(水)
学ちゃんと牧子さんの結婚式・披露宴編 [家族]
披露宴も終わりに近づいたころ、列席者から数名くじ引きでお祝いの言葉を述べることになった。その最終くじで・・・。
「藤井廣司さん、お願いします。」
私の横に座っていた姉(通称・ター子おばさん)は、「いやっ、こうじおっさんやてー。だいじょうぶ?」(末の弟は、いくつになっても心配。)
その反対側のとなりに座っていた私の父は、ニヤニヤ。
「こら、おじいさんの期待にこたえておもろいこと言わんなん!」
そう決意して(たいそうか?)、立ち上がった。
新郎の叔父です。
学ちゃんとの思い出といえば・・・。
うちは今、スポーツ用品店をやってるんですが、ヨメさんのほうが社長でして・・・。ヨメさんが出産の時は人手が足りなくて、学ちゃんに手伝いに来てもらったことがありました。
そのとき、まだ学ちゃんは高校生か大学生くらいで、たぶん初めてのバイトやったと思うんですが・・・。はっきり言って、すっごい口からでまかせみたいな応対ぶりで・・・(ドッカーンと爆笑)。
私はぶきっちょなほうなんで、学ちゃんの口からでまかせを横から見ていて、「すごいなー。こんなふうにゆったら、売り上げものびるんやなあー」と感心して見ていました。
えー、うちは結婚して24年目なんですが、「毎日が離婚の危機」という状態でして・・・(またまた、ドッカーンと爆笑)。えらそうなことは何も言えないんですが・・・。
最近、「人は何のために生きるのか」ということをよく考えます。
それは、「自分を必要としてくれる人に尽くすために生きる」のではないでしょうか。そう思って生きていきたいと思っています。
話が飛びますが・・・。
今日私が着てきたスーツは、私の叔父・田村進というんですが、その叔父からもらったものなんです。
私と学ちゃんも叔父と甥の関係ですが、叔父としてあげられるものは何もないです。でも、今私は、平和を守る憲法9条だけは守っていきたいと思っています。それだけは、若い人たちにも引き継いでいってもらいたいです。
今日は、ほんとうにおめでとうございます。
「糸」
何故巡り会うのかを 私たちは何も知らない
いつ巡り会うのかを 私たちはいつも知らない
どこにいたの? 生きてきたの? 遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織り成す布は いつか誰かを 温めうるかもしれない
何故生きてゆくのかを 迷った日のあとのささくれ
夢追いかけ走って 転んだ日のあとの ささくれ
こんな糸が 何になるの? 心もとなくて 震えてた風の中
縦の糸は あなた 横の糸は私
織り成す布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない
縦の糸は あなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出会えることを 人は幸せと呼びます
一番最後、新郎・学ちゃんの父・惠藤弘さんの言葉は泣けた。
とつとつと語られる思い出話。
「九九が全然覚えられず、親二人ががりで夜まで特訓し、全部言えたときは抱き合って喜びました・・・。」
弘さんの右目からは大粒の涙が・・・。聞いている者もみな笑い泣き。
12時集合ですべてが終わったのが5時前。
しかし、笑いあり涙ありのいい結婚式と披露宴だった。ほかの人のお手本になるような、みんなを幸せにしてくれる会だった。
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2009年11月03日(火)
学ちゃんと牧子さんの結婚式・挙式編 [家族]
「この写真な、今日のブログのトップに使うし、見てなー。」
「あっ、ブログ、いつも見せてもらってます。」と牧子さん。
「いやー、うれし。」
私の甥・学ちゃんの結婚式。
結婚相手の牧子さんが私のブログを見てくださっていたなんて・・・。こんなにうれしいことはない。
牧子さん、うちの真樹とちょっと名前がかぶってるけど、これからも末永くよろしくお願いします。
新郎新婦入場のあと、「賛美歌312番」。
「いつくしみ深き 友なるイエスは・・・」
なぜか、涙がこぼれそうに。
待て待て、新郎の叔父がこんな場面で泣いていたら、変。
気持ちを落ち着けて少し上を向いたら、ギリギリのところで涙はとどまってくれた。
教会での結婚式は久しぶり・・・。
どころか、自分自身の結婚式以来24年ぶりでした。
身も心も清められたような思い・・・。
「オリジナリティ・意外性・非日常」
私の求めているものがすべて詰まっていました。
かっこいい学ちゃんときれいな牧子さん。
祝福するみんなの上空に向けて、「ロケット」が発射された。
このあと、別室で親族紹介と記念写真。
私は、惠藤家の一番最後に自己紹介させてもらった。(私は、学ちゃんの母・みき江の弟。)
今日は、今年の8月以来、父と私たち4兄弟が勢ぞろいした。おめでたいことで集まれるのは、ほんとうにうれしいことである。
心にジーンとくるいい結婚式でした。
学ちゃんと牧子さんの笑顔を見ているだけで、こっちまで幸せな気分になれました。ありがとう。
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