2009年11月04日(水)
学ちゃんと牧子さんの結婚式・披露宴編 [家族]
披露宴も終わりに近づいたころ、列席者から数名くじ引きでお祝いの言葉を述べることになった。その最終くじで・・・。
「藤井廣司さん、お願いします。」
私の横に座っていた姉(通称・ター子おばさん)は、「いやっ、こうじおっさんやてー。だいじょうぶ?」(末の弟は、いくつになっても心配。)
その反対側のとなりに座っていた私の父は、ニヤニヤ。
「こら、おじいさんの期待にこたえておもろいこと言わんなん!」
そう決意して(たいそうか?)、立ち上がった。
新郎の叔父です。
学ちゃんとの思い出といえば・・・。
うちは今、スポーツ用品店をやってるんですが、ヨメさんのほうが社長でして・・・。ヨメさんが出産の時は人手が足りなくて、学ちゃんに手伝いに来てもらったことがありました。
そのとき、まだ学ちゃんは高校生か大学生くらいで、たぶん初めてのバイトやったと思うんですが・・・。はっきり言って、すっごい口からでまかせみたいな応対ぶりで・・・(ドッカーンと爆笑)。
私はぶきっちょなほうなんで、学ちゃんの口からでまかせを横から見ていて、「すごいなー。こんなふうにゆったら、売り上げものびるんやなあー」と感心して見ていました。
えー、うちは結婚して24年目なんですが、「毎日が離婚の危機」という状態でして・・・(またまた、ドッカーンと爆笑)。えらそうなことは何も言えないんですが・・・。
最近、「人は何のために生きるのか」ということをよく考えます。
それは、「自分を必要としてくれる人に尽くすために生きる」のではないでしょうか。そう思って生きていきたいと思っています。
話が飛びますが・・・。
今日私が着てきたスーツは、私の叔父・田村進というんですが、その叔父からもらったものなんです。
私と学ちゃんも叔父と甥の関係ですが、叔父としてあげられるものは何もないです。でも、今私は、平和を守る憲法9条だけは守っていきたいと思っています。それだけは、若い人たちにも引き継いでいってもらいたいです。
今日は、ほんとうにおめでとうございます。
「糸」
何故巡り会うのかを 私たちは何も知らない
いつ巡り会うのかを 私たちはいつも知らない
どこにいたの? 生きてきたの? 遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織り成す布は いつか誰かを 温めうるかもしれない
何故生きてゆくのかを 迷った日のあとのささくれ
夢追いかけ走って 転んだ日のあとの ささくれ
こんな糸が 何になるの? 心もとなくて 震えてた風の中
縦の糸は あなた 横の糸は私
織り成す布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない
縦の糸は あなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出会えることを 人は幸せと呼びます
一番最後、新郎・学ちゃんの父・惠藤弘さんの言葉は泣けた。
とつとつと語られる思い出話。
「九九が全然覚えられず、親二人ががりで夜まで特訓し、全部言えたときは抱き合って喜びました・・・。」
弘さんの右目からは大粒の涙が・・・。聞いている者もみな笑い泣き。
12時集合ですべてが終わったのが5時前。
しかし、笑いあり涙ありのいい結婚式と披露宴だった。ほかの人のお手本になるような、みんなを幸せにしてくれる会だった。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 4 )
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コメント
まっちゃん、うちのヨメさんに言わせると、「パオパオだより」をのぞいている人のほとんどはランニングに役立つ情報が得られると思って見ている人。そして、見てはガックリきている人がほとんど・・・らしい。私は、毎日2000人もの人をだまし続けているペテン師? いやー、それはそれであこがれてしまう・・・。
中島みゆきの「重き荷を負いて」、さっそくYouTubeで聞きました。
「がんばってから死にたいな がんばってから死にたいな
はいあがれはいあがれと 自分を呼びながら 呼びながら」
こんなマジメな生き方、しんどないかい。
自分自身今まで何かをがんばったという経験がなく、たぶんこの先もがんばらないまま死んでいく予定の私には「うーん」という感じもあります。私の場合はこうですね。
「持ってるもん全部出してから死にたいな 出し惜しみせんと出してから死にたいな
しぼり出せしぼり出せと 自分にまじないをかけ まじないをかけ」
やっぱり私はアホですばい!
あっ、それから前にも言ってたんですかが、私の父の米寿のお祝いの品、なんか作っていただくことはできないでしょうか。うちの父は、私が持っていくものだったら何でも喜んでくれます。相談にのってくださいね。
62000ヒット、凄すぎます。(5日のブログへのコメントをこんなところで・・・)中島みゆきさんの「糸」っていい曲ですよね。これは彼女が姪の結婚式で初めて披露した曲です。パオパオさん機会があればみゆきさんの「重き荷を負いて」(アルバム「ららばいSINGER」)という曲を聞いてみてください。私はいつもその曲を聴きながら走っています。後半きっと粘れます。(あっ、それ送ります)
みきさん、本来であればマジメなみきさんとちゃらんぽらんの私とでは「水と油」。全く話にもならない仲であったと思います。みきさんを見ていると、今までカンカンに怒らせてしまった過去の友人を思い出します。でも、お互いブログを書いているせいで、今はわりと冷静に物事を考えられますね。「アウフヘーベン」(止揚)の精神です。
「他人に甘えてる感じ」は、私の本性をピッタリ言い当てています。
ヨメさんに言わせると、「50過ぎの甘えたのオッサンてか、きっしょく悪いちゅーねん!」。
でも、ほぼ何の役にも立っていない私が大きな顔をして生きているのは、唯一甘えてもいい父親が健在であるからだと思います。そういう意味でも、もうすぐ88歳の父親にはまだまだ長生きしてほしい。(おとちゃん死んだら、どうしょ・・・。)
私の父は農家の長男に生まれ、責任感は人一倍強い人間として過ごしてきました。だから、私のようないいかげんな人間のむちゃくちゃぶりを楽しんで見ているようなところがあります。
私はみきさんとは正反対で、世の中のすべての人が味方であるというような甘やかされた育て方をされました。それはいまだに抜けず、こちらに向かって険しい顔をしている人にも、「またまた、わざと怖い顔したりして・・・」と思い、ニヤニヤ顔を返したりしてしまいます。その私の顔を見て、カチンときた人も過去にはありました。
だから、私は「優しくて愛情あふれる方」では全然ないのです。強いて言うなら、「ニヤニヤ顔のひっつきむし」かな。(あっ、ヨメさんからは「寄生虫」とか、「緑の血が流れるバッタ系人間」とか言われています。うまい!)
話が変な方向に行ってしまいましたが・・・。
私の甥の学ちゃんは、顔があやしくて大好き。でもまわりの話を聞いていると、気が良すぎてうまくいかない一面もあるらしい。私のいいかげんさを引き継いでくれているのかと思ったら、そうでもないみたい。みんな、しっかり生きていくのにたいへんなんやー。
そんな学ちゃんは私より20歳ほど年下ですが、すきあらば「甘えたろー」とねらっています。いくつになっても懲りんオッサンじゃー。
ちなみに、私のブログのブログ名は、最初、「地球に甘えて」にしようと思っていました。(ええかげんにせい!)
学さん、ご結婚おめでとうございます。
なかなかのイケメンですね〜 お嫁さんもかわいい!
(お会いしたこともない方にいきなりこんなコメント失礼しました)
パオパオさんの祝辞の中のお言葉、
「人は何のために生きるのか」
「自分を必要としてくれる人に尽くすために生きる」
を読んで、ああそういう意味だったのか〜と思いました。
私のブログの「何のために学校に行くのか」という内容の記事にパオパオさんがくださった
「誰かが待っていてくれてるかもしれないから」
というコメント。
私はそれを読んだ時、ちょっと違うなあと思いました。
「誰かが待っていてくれることを期待して行くなんて、なんか他力本願というか、他人に甘えてる感じやなあ・・・」
それで、「ちょっと違う」とのお返事を書きました。
これは私が意味を取り違えていたのですね。
パオパオさんが意味されていたのは
「何のために生きるのか」の答えと同じようなことだったのですね。・・・たぶん。
合ってるかしら?
でもやっぱり私は違うなあ。(←結局同意してないのかい!? すみません)
この記事も含め「パオパオだより」を読んでいてよく感じることなのですが、パオパオさんは本当に優しくて愛情溢れる方だなあと思います。
マザー・テレサのイメージかな。
私なんか、
「たとえこの世に自分の味方が誰ひとりいなくても、私は私、他人は他人」
と思って今まで生きてきましたから。
「人のために尽くす」なんてとんでもない! ←「鉄の女」と呼ばれる所以です。
私はサッチャー元首相?
こんな私ですが、「パオパオだより」はいつも興味深く楽しく読ませていただいてます。