2008年06月10日(火)
高石ともやさん [私の好きな人]
みかた残酷マラソンで高石ともやさんがゴールした時、私の背中に付けた応援メッセージの「のぼり」をあらためて見てもらいに行った。
「ともやさん、さっき三宅誠孝さんにもゆってたんですけど、『ガンに負けるな』はちょっとあかんかったかなあ。『負けるな』じゃなくて、『ガンと引き分けよう』くらいがよかったですかねえ。」
「そうそう、勝とうなんて思ったらダメ。『引き分け』、いいねえ。」
「サッカーでよう言いますやん。『アウェイは引き分けで十分』って。ガンはアウェイやと思わなあかんのかもね。走りながらね、そんなこと考えとったんですわ。」
これは言ってもいいのかな。
奥様のてるえさんは、抗がん治療の体力をつけるため、できるだけウォーキングをするようにしておられる。歩いておなかをすかせないと、食事がすすまないからだ。
今はまだ走れないけれど、ウォーキングは続ける。そして、うまくいけば、ホノルルの10kmウォーキングに挑戦。
12月のホノルルまであと半年。しっかりした目標を持ってお二人で歩いてほしい。
ともやさんが言っておられた。
「奥さんがガンになってから、二人でゆっくり話しながら歩くことが多くなってね。いっぱいいろんなことを話しましたよ。」
そう語られる姿に、なぜか悲壮感がない。と言うより、楽しそうに聞こえる。三宅誠孝さんといい、奥様のてるえさんといい、高石ともやさんのそばにいるとガン細胞が縮んで行くのかなあ。
大会が終わろうとしている時、わざわざうちのテントにあいさつに来られた。
「久しぶりに走れてよかった。ほんとによかった。新コースになった3年前、直前に足を痛めて走れなくなって、それ以来だからね。」
本来なら、私の後ろを走るような人ではない。まだ本調子ではないようだが、あのコースを走りきれたことが心の底からうれしかったようだ。
話は変わり、マラソン解説者の話題になった。
「増田明美さんと、金哲彦さんはいい。絶対人をけなさない。どんなランナーもいいところを見つけてほめている。どうしてそうなのと聞いたら、『どのランナーにも、家族がいてテレビを見てるでしょ』って。」
これって私のモットーの「ほめ生かし」といっしょ?
と言うか、私の「ほめ生かし」は、高石ともやさんの歌のパクリ?
知らん間に影響受けとったんかなあ。でもええことは、どんどん影響受けたらええやんなあ。
高石ともやさんは、「陽気にいこう!」
私の場合は、「お気楽に生き延びよう!」
やっぱり、だいぶちごたな。
「ともやさん! ボク、今日走りながら考えてたんですけど・・・。
今度の2016年のオリンピック、東京になったら、最終聖火ランナーどうですか。ボク、絶対ええと思うんですけど。そんで、火ついたあとコンサートやらはったらよろしいやん。(もちろん、ともやさんの横には元気な奥様が。)」
ともやさんはそれを聞き、ただ「えー」と言って笑っておられるだけだった。
8年後のオリンピックも、みんなで笑って楽しみましよう。
その時、私はちょうど60歳。ともやさんは、74歳。奥様や三宅誠孝さんは何歳やろう。そろそろ私も、ともやさんの前を走らせてもらえるころかなあ。
「みんなみんな、生き延びたんぞー。」
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2008年06月09日(月)
谷山荘 [宿情報]
みかた残酷マラソンの前日の宿泊は、以前は会場から近い所にしていた。しかし、翌日9時スタートの割には夜更かしする人が多く、うちのように早く寝付きたいものには困りものだった。
昨年、たまたま宿泊予約が遅れ、会場から最も遠いと思われる「谷山荘」さんくらいしか空いてなかった。大会要項に付いていた地図を見ると、おじろスキー場の中。
去年は前日販売の後片付けが終わったのが遅かったので、あたりはもう薄暗くなっていた。
おじろスキー場は、4年前までの残酷マラソンの旧コースで通っていた。そういや、スキー場の中に民宿ぽいのがあったな。
それはわかっていたのだが、急坂を登っても登ってもなかなか着かなかった。やっと着いた建物に入り聞いてみると、「谷山荘」はまだその一つ上の建物だった。そこからもっときついコンクリートの急坂が・・・。うーん、「みかた残酷民宿?」
ところが入らせてもらって、びっくり。去年は私たちのほかには2組が泊まられているだけだった。あー、静か。
それに、料理がすごかった。新鮮なお刺身に、よく冷えた細いそば。あげたてサクサク天ぷらもあり。それプラスめっちゃおいしい焼肉。全部は食べきれなかった。
もちろんスキー場の中なので、夜は物音ひとつしない。ぐっすり眠れました。
私たちが一年前まで住んでいた花脊別所町は、夜は家の前を流れる川の音だけ。引っ越してきた静市市原町も、閑静な住宅地で、夜は100mほど離れた所を通る叡山電車の「ゴットンゴットン」だけ。だから、やかましいところでは寝られません。
今年も迷わず、「谷山荘」さんにお世話になりました。
今年はもう道がよく分かっていたので、余裕で到着。今年は、私たちのほかは一名だけでした。
その後は、去年どおり。また、全部食べきれなかった。もったいない。(子どもらがついて来てくれてたらなあ・・・。)
今年は、小さな子のはしゃぐ声が。ここの若夫婦さんのお子さんだった。5歳のいっぺい君と、3歳のはるなちゃん。これまた、この二人がかえらしかえらし。
小柄で美人なお母さんにお聞きすると、普段は下の家におられ、お客さんがある時上がってこられるそうだ。夏は中高生の合宿がびっしり詰まっており、二人の子もここから保育園に通っているとのこと。
いっぺいくんの同年は20人もおり、にぎやからしい。小代小学校は安泰かな?
最後に、お支払の時にまたびっくり。安すぎるー。これはひょっとして、残酷マラソン応援価格?
坂道の運転が不安でない人は、ぜひ「谷山荘」へ。
でも、また来年うちも泊まるので、マラソンの前日はお静かに。
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2008年06月08日(日)
第16回みかた残酷マラソン全国大会 [ランニング・出張販売]
今回の大会レポートは、トップの写真で悩んだ。
高石ともやさんにするべきか、雷(らい)ちゃんにするべきか。
そうとう悩んだが、やっぱり残酷マラソン初完走の雷(らい)ちゃんの「勝ち!」 (ともやさん、ごめんなさい。)
いつもどおり朝早く宿を出、会場で出店の準備をした。
当日受付が始まる7時ごろから、人出も多くなってきた。人とともに、気になるワンちゃんもチラホラ。
気になって気になってしょうがない。「仕事にならんがなー。」
もう、店はヨメさんにまかしてっと。犬あそび犬あそび。
最初に見つけたのは、ファンタちゃん。名前がかわいいし、見た目ソフトバンク犬。まだまだやんちゃなわかぞう系。
次に見つけたのは、うちが出店している場所のすぐ近くにつながれていたワンちゃん。毛がぼあぼあ。(このワンちゃんが、この後大活躍するとは夢にも思わんかった。)飼い主さんはアップをされているようで、その間かしこく待っていた。レースに出てはる間はどうすんにゃろと心配。
その次は、ぼあぼあ君の反対側につながれていたべっぴんさん。鼻が長く、お上品。あなたは、外人さん? 飼い主のご夫婦に、すごくかわいがられていた。
スタート前に、こんないいワンちゃんがいっぱい吸えるなんて! 今日は絶対に楽に走れる。ただ、ドーピング検査にひっかかるかも。(雑種の吸いすぎに注意しましょう。・・・意味不明。)
このレースに、私ははっきりとしたテーマを持っていた。
ガンと長く付き合っておられる高石てるえさん(ともやさんの奥様)と三宅誠孝さん(ともやさんのマネージャー、元京都市会議員)を励ます。そして、このお二人を励ますことによって高石ともやさんも励ます。
でも、迷惑もしれないので、出場チームの紹介をされていたともやさんのところへことわりに行った。
「迷惑じゃないですか。」
「いやあ、ぜんぜん。」
よかった。これでお二人への応援メッセージを書いたのぼりをはためかせ走り続けることができる。
メッセージは次のとおり。
「ガンに負けるな高石てるえさん(三宅誠孝さん)」
「陽気にいこう高石てるえさん(三宅誠孝さん)」
今まで何百回レースに出たかわからないが、こんなんつけて(背負って)レースに出るのは初めて。さて、どうなることやら。
スタート地点には、太平サブローさんと月亭はち光さんが。
サブローさんは余裕だったが、はち光さんはちょっとびびってはった。まあ、あの体型ではね。(お二人とも招待選手ではないところが、ある意味すごい。)
スタート直前、長く実行委員をされていて最近亡くなられた元スタッフに対して、みんなで「ありがとう」のコール。この声、天国まで届いたかな。
今年は、高石ともやさんも久しぶりに走られるそうだし、楽しみ。
スタートしてしばらくゆるやかな下りなので、のぼりはほとんど気にならなかった。少し風もあったので、けっこうのぼりがはためいている。ええぞ。
4km付近で、実行委員長久保井さんに抜かれた。実行委員長が必ずレースに出ている大会って、ほかにあります?
スタート地点で演奏してくれていたブラバンが、30分後に別の地点でまた演奏。これは、イリュージョン。
晴れてよかった。
降水確率70パーやったのに、60、50、40と下がり、ついにかんかん照りの天気に。演奏も暑くてたいへんやろう。ありがとうね。
暑いけど、さらっとしてる。風がちょっとあるのがうれしい。
一番きつかったのは、11km手前のキャンプ場。ここは歩かず、ちょびちょびでも走る。しかし、なぜか歩いている人が抜けない。背負ったのぼりも元気なくたれ下っていた。
子どもやおばあちゃんが、「こいのぼりー、がんばれー」と言ってくれるのがうれしい。こいのぼりだけでなく、のぼりのメッセージも読んでね。
おっちゃんは、今日はこのために走ってます。
途中、枝にひっかかること一回、横断幕にひっかかること三回。それでも、のぼりもこいのぼりも取れることなくゴールにたどりついた。うちの店の前でヨメさんにカメラを渡し、ちょっと戻ってパチリ。
横風が吹いた時はちょっとつらかったけど、ほとんど影響なかったな。
おばあさんらが「重くてたいへん」て言ってはったけど、全然重くないです。
ゴールは、2時間32分07秒。
去年にくらべ、13分遅れ。こんなん、誤差の範囲やね。
高石てるえさん、三宅誠孝さんへのメッセージは、あまり読んでもらえなかったみたい。予想外になびき過ぎた。
でも、おばあちゃんらがこいのぼり見て喜んでくれはったからいいか。気持ち気持ち。
ゴール前で、三宅誠孝さん発見。
ゴール後、応援メッセージののぼりを見てもらった。
「ああー、これは選挙演説用やなあ。」なつかしむような、喜んでもらえてるような、ひかえめでビミョーな表情だった。
でも、顔色はよく自然な笑顔。これは、だいじょうぶ。とても、余命が去年の8月までと宣告された人とは思えない。
そうこうしているうちに、こんどは高石ともやさんがゴール。私より後ろを走っておられたんや。
私を真ん中に、高石ともやさんと三宅誠孝さんの三人でパチリ。尊敬できるお二人との写真。この写真は、私の宝物にします。
次は高石てるえさん、いっしょに写真撮りましょうね。ゆっくりでいいですから、必ず戻って来てください。いつまでもいつまでも待っていますよ。
そしてその後、今日のメインイベント?
きたー。雷(らい)ちゃんとそのお供。しっかり走っているのにはびっくり。
ちゃんとナンバーカードもつけてるし。ええなー。二人とも胸を張って走ってる。
うちのきくも走ってくれんかなー。雷(らい)ちゃんなみにほっそりしてくれんと無理やわなあ。
一番よかったのは、二人とも笑って走ってるとこや。
その後しばらくして、実行委員長久保井さんの娘さんがゴールへ。(現在高1。クロカンスキーをがんばってやっています。)
ほかにも1000人以上の人たちが、さまざまな思いを持ってゴール。(ほとんどの人が笑っています。)
うまく言えませんが、この大会にはほかの大会にない何かがあります。
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2008年06月07日(土)
「超」がない!? [石井慧選手関連]
みかた残酷マラソン(兵庫県香美町)に行くため、ふるさと別所を通った。
先日、石井慧選手のお母さんに電話した時、「別所に横断幕出してくれはったらしい。」と喜んでおられた。これはしっかり見てこなあかんと思い、注意して見ていた。
ありました。お母さんの親戚の「きじろ」のガレージに、立派な横断幕が。(ちなみに、お母さんの実家の呼び名は「へいじ」です。)
うん?
よーく見てみると、「100kg超級」の「超」がない!
柔道100kg級日本代表は、鈴木桂治選手やし。日程もちがうし。別所の人ら、「テレビで応援しようと思ったら出てへんどー」、ということになってしまうがな。
こらあかんで。
さっそく私の父の家に寄り聞いてみると、「あらー、かっちゃんが作ったんや。」とのこと。
うちの本家「かんろく」の藤井克己さん。現別所自治会長さんです。(私のまたいとこ、72歳くらい。)
せっかくきばって作ってくれはったのに、肝心の階級まちがえてたらあかんがな。
「おじいさん、克己のおっちゃんに『超』入れるようにゆうといて。」 「おう、わかった。」
だいじようぶかなあ、ちょっと心配。
私としては、「へいじの美智子の子!」とか、「益(えき)さんの孫!」とかいう説明も入れてほしかったけど、それは老人会でうちの父がひろめてくれるやろう。
なにしろ、別所ゆかりの人がオリンピック代表なんて初めてのことなもんで・・・。ちょっと、浮足立ってんのかも。 スカタン多いかもしれんけど、かんにんしてね。
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2008年06月06日(金)
勝手にエール、高石てるえさん、三宅誠孝さん [私の好きな人]
あさって6月8日は、みかた残酷マラソン。
この大会は、前夜祭で高石ともやさんのコンサートがある。久しぶりに、あの笑顔を見ることができる。あの歌声と笑顔から力をもらった人は、きっとたくさんいる。
今度は、こちらがその何分の一かでもお返しがしたい。
私のブログでも書いたが、高石ともやさんの奥様てるえさん(3/18のブログ)、親友の三宅誠孝さん(4/13のブログ)がガンとたたかっておられる。くわしくはお聞きしていないが、お二人とももうガンと診断されてから長い。
このおふたりとは、同じ大会を何回もいっしょに走った。今は少し無理なようだが、強靭な生命力で必ず大会に返ってこられると信じている。
あさっては、このお二人+高石ともやさんのために走る。ちょっと迷惑かもしれないけれど、勝手にエール!
「陽気にいこう! 高石てるえさん、三宅誠孝さん!」
(注)ただいま、応援のぼり製作中。それを背中につけて走る予定です。
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2008年06月05日(木)
「サラエボの花」 [映画]
今週末より、京都シネマ(四条烏丸)で シリーズ「戦争と女性」VOL.1が上映される。
「さよなら。いつかわかること」 2007・アメリカ
「Womem in Strugglー目線ー」 2004・パレスチナ
「ひめゆり」 2006・日本
「ナメムの家」 1995・韓国
この中で「ひめゆり」は今年1月に見たばかりなので、残りの3本をぜひ見たい。
今週末からは、世間で話題になった「靖国 YASUKUNI」も上映される。しかし、私はこの映画にはさほど興味はない。
一昨年8月15日、私は、時の首相小泉氏が参拝された後の靖国神社を見学する機会があった。短時間ではあるが、その異様な空気はしっかり見てきたつもりだ。
みなさんにも、実際に8月15日に靖国を見てこられることをおすすめします。
実は、今年に入ってから見た映画で、このブログに感想が書けていない映画が1本だけある。
それは、「サラエボの花」。
1月16日、京都シネマで、「ひめゆり」をヨメさんといっしょに見た。 その後お昼ごはんを食べ、ヨメさんは「2本見るのはしんどい。」と言って帰ってしまった。そのあと私一人で見たのが、この「サラエボの花」である。
「京都シネマ通信」での紹介は、以下の通り。
シングルマザーであるエスマは、12歳になる娘サラと2人暮らし。多感な時期を迎え、自身の父のことを知りたいというサラの強い願いに、娘への愛ゆえにひた隠しにしていた壮絶な過去を明らかにするエスマ。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ・グルヴァヴィッツァ地区は、十余年前に起こったボスニア紛争により、歴史上類をみない民間人へのレイプと言う悲惨な事件が起こった街。当時10代だったボスニア出身のジェバニッチ監督は、強くそしてつつましく生きる家族の愛と再生を丁寧に描いている。サッカー前日本代表監督イビチャ・オシム氏の母国でもあり、彼もこの作品に熱いメッセージを寄せている。
まず私は、「旧ユーゴスラビアはどこか?」、から始まる。 (イタリアの海を挟んだ東? ギリシャの北? ブルガリアの西?)
1984年冬季オリンピックが開催された都市なのに、日本人にはほとんどなじみがない。(84年は、若き黒岩彰、橋本聖子が初代表。スピードスケート男子500の北沢が日本唯一のメダル。)
1992年から95年まで続いたボスニア内戦では、死者20万人、難民・避難民が200万人発生。(内戦前の人口は、430万人。) オリンピックのメインスタジアムであったところは破壊され、現在は内戦で亡くなった人々の墓地になっているらしい。
わずか10数年前のヨーロッパで、戦争に名を借りた集団レイプが行われていたとは。なんということだ。
うちの二人の子は、91年生まれと94年生まれ。この映画の「サラ」と同世代である。そう思って見ていたら、つらくなった。
ちょっとテーマが重すぎて、コメントがむずかしい。だから、ブログに書けなかった。こんな私たちにもできること、それは厳しい現実から目をそらさず、少しでも知ろうと努力することだ。
そして、ただ一つだけ確実に言えること。
「これが戦争だ。」
「加害者」側であるセルビア人女優ミリャナ・カラノビッチ、奥深い表情がすごい。彼女に出演依頼した女性監督ヤスミラ・ジュバニッチ(32)、脱帽です。
シリーズ「戦争と女性」、見に行くぞー!
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