2008年06月14日(土)
西湖でおもう家族のこと [家族]
今年もSAIKOロードレースの季節になった。
毎年6月第3日曜なので、ちょうど梅雨の入り。今まで一日中雨だったり、降ったりやんだりのことも多かった。
初めてこの大会に出店させてもらったのは、まだ子どもが生まれる前。そのころは、「青木ヶ原樹海・さわやかレース」という大会名だった。
20年ほど前のことなので、もちろんランニング用品店はうち一軒だけ。というより、物品販売のテント自体がうちだけだった。のどかでいい大会でした。
今は様変わり。うちを含め5軒のランニング用品店。食べ物系のテントもかなり多くなった。現在、5000人規模の大会になっています。
朝京都を出発し新名神を走行中、石井慧選手のお母さんから私の携帯に電話あり。近くにとめられそうな場所がなかったので、ヨメさんに代わりに出てもらった。
?先日のお餞別のお礼、?パスポートのコピーがOK、?私のブログ(石井慧選手関連)をプリントアウトしたものを楽しく読ませてもらった、という内容のお電話だった。
石井慧選手のお母さんは、京都の高校の先生。お父さんは大阪の高校の先生である。お二人ともまだ40代。オリンピック代表選手のご両親としては、若い方だろう。
ご両親の出会いや、慧君の小さい時のことなども聞いてみたい気もする。おばあちゃんと妹との5人家族は、どんなふんいきだったのだろう。
「家族のため」とは絶対言わない(と思われる)石井慧選手。私は大好きです。
SAIKOロードレース会場で、なつかしい人に会った。 月刊誌「ランナーズ」社員の船津さん。ずっと広告部なので、もう何年のお付き合いになるのだろう。「ランナーズ」の中では数少ない関西出身なので、うちも何かとお世話になっている。もう、40代になられたそうだ。
この大会には、「サロメチール」の宣伝に、メーカーさんの応援として来られているらしい。ほぼ毎週末同じような仕事があり、家族サービスはまったくできていないとのこと。お子さんと遊ぶひまもなかなかないらしい。うちみたいに、子どももいっしょに連れてこられたらよかったのにね。
奥様と小学生の男の子との3人家族。仕事から帰ったお父さんは、奥さんや息子にどんな言葉をかけるのかな。そして、奥さんと息子さんは・・・。
前日受付が終わりそうな6時前、急に予想外の通り雨。大あわての後片づけだったが、船津さんが手伝ってくれはって大助かり。全部片づけ終わるまで付き合ってくださった。こんな気のいい人だから、きっと家族も大切にしておられるでしょう。
夜、ヨメさんが家に電話。
私たちが出張販売に行っている時は、子どもたちだけで晩ごはん。まだ自分たちではよう作らんから、たいてい出前。寿司かピザ。
でも、この2パターンにもあきてきたようで、今回初めて中華屋さんの出前を取った。歩いて行っても5分くらいのところにあるお店だが、どうしても家で食べたいらしい。しかし、近所に同じ「藤井」さんがおられ、最初出前はそっちに行ってしまったそうだ。出前の人から、「注文していないと言われたんですが・・・」と電話がかかってきたらしい。腹へってる時に、これはつらかったやろなあ。
けっこうおもろい経験してるやん。
頼りないけど、うちにはりっぱな番犬「きく」もいるし。これからも、4人と1ぴき、仲よく助け合っていきましよう。特に、きくちゃん、よろしくお願いします。(出張販売から帰ってきて一番喜んでくれるのは、「きく」ちゃんです。なーんでかな。)
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2008年06月13日(金)
駅前が封鎖されて、通れません! [雑感]
今住んでいるところは、叡山電車の「二軒茶屋」駅と「精華大学前」駅のちょうど中間あたりである。そのため、洛北中学校に通う子は、どちらの駅を使うか微妙なところである。
うちの娘は、去年はほとんど「二軒茶屋」駅を使っていたが、この4月からは「精華大学前」駅を使っている。ついていくといやがられるが、きくの散歩を兼ねているので、私も毎日駅前を通る。
その「精華大学前」駅に通じる道に、先週、異変があった。
鉄パイプのバリケードに黄色ビニルテープがぐるぐる巻き。
「駅前が封鎖されて、通れません!」 (工事でも始まるんかな?)
でも、近づいてよく見ると、人一人が通れる幅はあけてあった。
そして、そこには、大学名を入れた警告文。「自転車・バイクは入るな」、という内容。これは誰に向けたもの?
「精華大学前」駅は出入り口が2ヵ所あり、東側は大学に直通、西側はそれ以外の地域住民が使っている(その大半は洛中生)。今回半封鎖されたのは、この西側の出入り口に通じる道である。
これが天下の大学がやること?
たしかに、駅前には数台の放置自転車・バイクがある。でも、ほんの数台です。
うちの娘が言ってました。
「あの駅前の広い駐車場の何台か分を、自転車置き場にしたげたらいいんちゃうん。」
ええことゆうやん。
大学は教職員の駐車場は確保できても、地域住民の自転車置き場なんて頭の中にないようですね。
第一、あんな鉄パイプ、危ないって。夜はあんまり明るいところでもないし。
うちの近所には、目が不自由で盲導犬を連れて歩いておられる方もある。
車椅子の方は、絶対無理。ふたごの乳母車も通れない。大きな荷物を持った人は、どうしたらいいの。
京都精華大学は、全国唯一のマンガ学科があるユニークな大学で、大学運営にもその美的センスが生かされているものと思っていました。「鉄パイプにビニルテープぐるぐる巻き」はあまりにも無粋だとは思いませんか。
ごく一部の不届き者のせいで、毎日この駅を利用させていただいているうちの子らが不愉快な思いをしています。「さあ、これからだ」と張り切って学校に向かう時、毎日毎日この鉄パイプバリケードと警告文を見なければなりません。
4年後うちの子も大学受験生になりますが、問題解決にこういう方法しか取れない大学を受験しようと思うでしょうか。
私も、今まで持っていたいいイメージが、あの鉄パイプと警告文で一挙に吹っ飛んでしまいました。
これは、言わなあかん。うちの娘のためにも。でも、どこに、どうゆうふうに・・・。
それを思案しているうちに、昨日、鉄パイプのすきまがだいぶ広げられていた。
あー、これでましにはなった。誰か大学に言ってくれはったんや。自転車も十分通れる広さになったから、もうこの鉄パイプ自体が無意味です。いっそのこと、この鉄パイプもとりましょう。
こんなのどかな田園地帯に、鉄パイプは似合いません。そう思われませんか、精華大学さん。
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2008年06月12日(木)
石井慧選手へのお餞別 [石井慧選手関連]
やっと私のパスポートができ、そのコピーを石井慧選手のお母さんに送ることになった。
それといっしょに、私の中学のクラス会会計から出すお餞別も送らなければ。
5月22日のブログにも書いたが、表書きが「御餞別」では平凡すぎておもしろくない。その時、頭に浮かんだ言葉。「楽・リラックス・頭脳・生かせ!」
ええい、それを全部入れてしまえー。
「リラックスして 自分を生かす 京都市立花脊第一中学校
頭脳の柔道で 北京を楽しめ 」 中古賀クラス会出席者一同
もちろん中身は、中古賀先生からいただいた例の「金三封」。(わかりやすく言うと、「寸志」の横流しです。)
少しでも喜んでもらえたら、うれしいな。
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2008年06月11日(水)
「さよなら。いつかわかること」 [映画]
水曜は、うちの店の定休日。
やりたいことがいっぱいある。
まず、京都駅ビルの旅券事務所へパスポートの受け取り。証紙を買って5分ほど待ったら、もう番がまわってきた。そして、5分ほどのやり取りで渡してもらった。申請の時の待ち時間の長さに比べ、あまりにもあっけなかった。
「えっ、これでほんとにいいんですか。」と思わず言ってしまった。
その後、四条烏丸の京都シネマへ。
「さよなら。いつかわかること」のチケットを買い(私は会員なので1000円)、お昼を食べに地下へ。「COCON烏丸」の地下で食べるのは初めてだ。
お昼の割りに高いところが多かった。ラーメン屋さんがあったので入ったら、有名な「天天有」さんだった。ここなら、1,000円以下ですむ。
ラーメン並とライス小、デザート付きで850円。とんこつスープだったが、うすい感じがした。最近からい系のラーメンが多いので、ちょっと物足りなかった。
10分ほどで食べられたので、時間がない時には便利。
さて、いよいよ映画館へ。
チラシの作品紹介は以下のとおり。
「ホームセンターで働くスタンレー。家族はしっかりものの長女12歳のハイディと8歳のドーン。母親は陸軍軍曹としてイラクに赴任中だった。スタンレーは母親を恋しがる娘たちとうまく接することができず、ぎこちなく食卓を囲む日々を重ねている。ある日、戦場から妻の訃報が届く。その突然の死を幼い娘たちにどう伝えたらいいかわからないスタンレーは、衝動的にフロリダにある遊園地まで車で行くことにする。畑でロードレースごっこをし、ホテルのプールで遊び、ショッピングを楽しみながら、フロリダまでの距離と時間を共に過ごすことで、3人は徐々に絆を深めていく・・・。遊園地で至福の時を過ごした後、覚悟を決めたスタンレーは浜辺で娘たちと向き合ったー
100席ほどの部屋には、10人足らず。
あらすじは知っていたので、落ち着いて見ることができた。それでも、最後に父が子どもたちの母の死を告白する場面では、涙が止まらない。
泣いたらすっきりして何も残らないので、泣いたらダメ。それは分かっていても、子どもがからむともうあかん。
お父さん役のジョン・キューザック、うますぎる。
とここまで思って、はたと気づいた。
この作品は、きれいすぎる。戦争の悲惨さを訴えるというよりは、母の死を子どもたちに告げる父のつらさをえがいた作品と言った方がよい。
この作品から、大義名分のないイラク戦争に思いがはせるだろうか。戦死したアメリカ人の何倍ものイラク人が亡くなっていることも、今はもう忘れ去られている。
実際にイラク戦争で母親を亡くした家族は、この映画のようにその後結束できるのだろうか。そうであってほしいと思うが、現実はもっともっともっと厳しいのでは。
子役の二人も、デビュー作とは思えないくらいうまかった。でも見ている人は、そこで終わらずもっと奥深いところまで考えてほしい。現実に残された子たちの、心の傷がどんなものかを。
泣いてさっぱりしたらダメ! 今もイラクでたくさんの人々が戦争で亡くなっています。
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2008年06月10日(火)
高石ともやさん [私の好きな人]
みかた残酷マラソンで高石ともやさんがゴールした時、私の背中に付けた応援メッセージの「のぼり」をあらためて見てもらいに行った。
「ともやさん、さっき三宅誠孝さんにもゆってたんですけど、『ガンに負けるな』はちょっとあかんかったかなあ。『負けるな』じゃなくて、『ガンと引き分けよう』くらいがよかったですかねえ。」
「そうそう、勝とうなんて思ったらダメ。『引き分け』、いいねえ。」
「サッカーでよう言いますやん。『アウェイは引き分けで十分』って。ガンはアウェイやと思わなあかんのかもね。走りながらね、そんなこと考えとったんですわ。」
これは言ってもいいのかな。
奥様のてるえさんは、抗がん治療の体力をつけるため、できるだけウォーキングをするようにしておられる。歩いておなかをすかせないと、食事がすすまないからだ。
今はまだ走れないけれど、ウォーキングは続ける。そして、うまくいけば、ホノルルの10kmウォーキングに挑戦。
12月のホノルルまであと半年。しっかりした目標を持ってお二人で歩いてほしい。
ともやさんが言っておられた。
「奥さんがガンになってから、二人でゆっくり話しながら歩くことが多くなってね。いっぱいいろんなことを話しましたよ。」
そう語られる姿に、なぜか悲壮感がない。と言うより、楽しそうに聞こえる。三宅誠孝さんといい、奥様のてるえさんといい、高石ともやさんのそばにいるとガン細胞が縮んで行くのかなあ。
大会が終わろうとしている時、わざわざうちのテントにあいさつに来られた。
「久しぶりに走れてよかった。ほんとによかった。新コースになった3年前、直前に足を痛めて走れなくなって、それ以来だからね。」
本来なら、私の後ろを走るような人ではない。まだ本調子ではないようだが、あのコースを走りきれたことが心の底からうれしかったようだ。
話は変わり、マラソン解説者の話題になった。
「増田明美さんと、金哲彦さんはいい。絶対人をけなさない。どんなランナーもいいところを見つけてほめている。どうしてそうなのと聞いたら、『どのランナーにも、家族がいてテレビを見てるでしょ』って。」
これって私のモットーの「ほめ生かし」といっしょ?
と言うか、私の「ほめ生かし」は、高石ともやさんの歌のパクリ?
知らん間に影響受けとったんかなあ。でもええことは、どんどん影響受けたらええやんなあ。
高石ともやさんは、「陽気にいこう!」
私の場合は、「お気楽に生き延びよう!」
やっぱり、だいぶちごたな。
「ともやさん! ボク、今日走りながら考えてたんですけど・・・。
今度の2016年のオリンピック、東京になったら、最終聖火ランナーどうですか。ボク、絶対ええと思うんですけど。そんで、火ついたあとコンサートやらはったらよろしいやん。(もちろん、ともやさんの横には元気な奥様が。)」
ともやさんはそれを聞き、ただ「えー」と言って笑っておられるだけだった。
8年後のオリンピックも、みんなで笑って楽しみましよう。
その時、私はちょうど60歳。ともやさんは、74歳。奥様や三宅誠孝さんは何歳やろう。そろそろ私も、ともやさんの前を走らせてもらえるころかなあ。
「みんなみんな、生き延びたんぞー。」
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2008年06月09日(月)
谷山荘 [宿情報]
みかた残酷マラソンの前日の宿泊は、以前は会場から近い所にしていた。しかし、翌日9時スタートの割には夜更かしする人が多く、うちのように早く寝付きたいものには困りものだった。
昨年、たまたま宿泊予約が遅れ、会場から最も遠いと思われる「谷山荘」さんくらいしか空いてなかった。大会要項に付いていた地図を見ると、おじろスキー場の中。
去年は前日販売の後片付けが終わったのが遅かったので、あたりはもう薄暗くなっていた。
おじろスキー場は、4年前までの残酷マラソンの旧コースで通っていた。そういや、スキー場の中に民宿ぽいのがあったな。
それはわかっていたのだが、急坂を登っても登ってもなかなか着かなかった。やっと着いた建物に入り聞いてみると、「谷山荘」はまだその一つ上の建物だった。そこからもっときついコンクリートの急坂が・・・。うーん、「みかた残酷民宿?」
ところが入らせてもらって、びっくり。去年は私たちのほかには2組が泊まられているだけだった。あー、静か。
それに、料理がすごかった。新鮮なお刺身に、よく冷えた細いそば。あげたてサクサク天ぷらもあり。それプラスめっちゃおいしい焼肉。全部は食べきれなかった。
もちろんスキー場の中なので、夜は物音ひとつしない。ぐっすり眠れました。
私たちが一年前まで住んでいた花脊別所町は、夜は家の前を流れる川の音だけ。引っ越してきた静市市原町も、閑静な住宅地で、夜は100mほど離れた所を通る叡山電車の「ゴットンゴットン」だけ。だから、やかましいところでは寝られません。
今年も迷わず、「谷山荘」さんにお世話になりました。
今年はもう道がよく分かっていたので、余裕で到着。今年は、私たちのほかは一名だけでした。
その後は、去年どおり。また、全部食べきれなかった。もったいない。(子どもらがついて来てくれてたらなあ・・・。)
今年は、小さな子のはしゃぐ声が。ここの若夫婦さんのお子さんだった。5歳のいっぺい君と、3歳のはるなちゃん。これまた、この二人がかえらしかえらし。
小柄で美人なお母さんにお聞きすると、普段は下の家におられ、お客さんがある時上がってこられるそうだ。夏は中高生の合宿がびっしり詰まっており、二人の子もここから保育園に通っているとのこと。
いっぺいくんの同年は20人もおり、にぎやからしい。小代小学校は安泰かな?
最後に、お支払の時にまたびっくり。安すぎるー。これはひょっとして、残酷マラソン応援価格?
坂道の運転が不安でない人は、ぜひ「谷山荘」へ。
でも、また来年うちも泊まるので、マラソンの前日はお静かに。
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