2008年06月23日(月)
「族譜(チョッポ)」 [演劇]
6月21日午前中、関大千里丘キャンパス内を走った後いったん市原の家に帰り、昼ごはんを食べてまたすぐ出かけた。京都市呉竹文化センター(丹波橋)で上演される、「族譜」を見るためだ。
私の今までの人生で一回しか演劇を見たことがなかったのに、今年に入りもう二回目。
きっかけは、新聞記事。(6月12日、京都新聞)
「創氏改名」テーマ
劇「族譜」関西公演 京都は21日
植民地時代に朝鮮民族に対して日本式の姓名に改めるように推し進めた創氏改名をテーマにした劇「族譜」が16日、堺市民会館(堺区)を皮切りに、関西地区7カ所で上演される。
ソウル生まれの作家、梶山季之(1930〜1975)の原作で、日本が韓国を併合していた時代、創氏改名を受け入れるよう朝鮮人地主を説得する日本人青年が、地主から一族の家系図や出来事を記した「族譜」を見せられて断られ、苦悩していく物語。韓国では78年に映画化され、劇団「青年劇場」(東京)がジェームス三木さんの脚本・演出で一昨年に舞台化した。
ジェームス三木さんは「重いテーマだが、まずその事実を知ることが日韓の文化交流を深めることにつながる」と言う。公演予定は、・・・(略) 【池田知隆】
会場は満席。立ち見が出るほどだった。
年代層も、年配の方が多かったが若い人もおられた。さすが京都。歴史認識、差別や人権問題に対する姿勢も他府県とは違うと感じた。鑑賞中もすごい集中力で、客席の全員が舞台を凝視している感じがした。
一つだけ残念だったのは、自由席だったため後ろから3列目だったこと。私は視力がよくないから、もっと前の席を確保すべきだった。4月の「月のまぴろーま」は、前から6列目だったので役者さんのツバが飛ぶところまで見えた。息づかいまで感じられる距離だった。
演劇のいいところは、映画とちがい撮りなおしができないところ。ツバが飛んだり、いいまちがいをしたりするのもいい。1時間上演、15分休憩、1時間上演というのもパターンなのかな。
さて、内容は・・・。
重い。
日本人の本質を問われる内容と言ってもいいと思う。
韓国の歴史教科書で、過去の日本に対する怨みのような内容が書かれているらしいが、それが理解できない人はぜひこの劇を見てほしい。
何度も何度も、朝鮮の地主の「強制ではないですね。」と言う言葉が出てきた。強制ではないが実質強制と同じ。
あれっ? これって、今学校で強制されている日の丸・君が代といっしょやん。東京なんかひどいもんなあ。そうか、時の権力者は、いつの時代もこんな手を使うのか。
「逆の立場であれば、どうですか。」これも、何回も出てきた言葉だ。
「もし逆であれば・・・」
日本語の強制、天皇崇拝の強制、そして日本名の強制・・・。
「相手の立場になって考えてみること」。これは、今までの日本人がしっかりできていなかったことだと思う。ずっとずっと島に住み、鎖国をしていた影響が今も続いているのだろうか。
どんな目にあわされても絶対に名前を変えないという信念を押し通していた地主・薛鎮永(ソルヂニョン)。3人のかわいい孫たちが学校に通うことを拒否され、ついに改名届けを出してしまう。そしてその直後、井戸に身を投げ自殺。(この自殺の部分は実話だそうです。)
最後に薛鎮永(ソルヂニョン)の娘・玉順(オクスン)の強烈な言葉があった。
「やさしい日本人が、突然野蛮に豹変する時がある。それは、いつも『愛国心』という言葉をきっかけに。」
この言葉は、よく噛みしめなければならない。「愛国心」という言葉、今どんな場で出て来ています? こんなものを強制する時代が幸せであったかどうか、今までの歴史から学びましょう。
◎余談。
薛鎮永(ソルヂニョン)の娘・玉順(オクスン)役の女優さんが、すごく印象に残った。若々しく美しくて、そのよく通る声は、見ている人たちの胸を揺さぶった。
その時は、若手で実力のある女優さんがおられるのだなあと感心して見ていた。
家に帰ってから、プログラムなどで調べてびっくり。
その女優・佐藤尚子(たかこ)さんは、うちのヨメさんより一歳上。つまり、実年齢のちょうど半分くらいの結婚前の娘さんの役をやっておられたわけだ。(入団27年目の大ベテランさんでした。)
これも、舞台ならではの醍醐味ですよね。
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2008年06月22日(日)
京都ランナーズ例会(6月第4日曜) [ランニング]
今日のトップ写真は、迷わずアンパンマン。・・・じゃなくて、杉原さん。
前に撮らせてもらった写真(3月23日のブログ)は「鬼瓦」風に写っていたので、今度こそ杉原らしくアンパンマンぽく・・・、成功です。
もうすぐG8外相会議(でしたっけ)が、京都御所内の迎賓館で行われるため、あちこちにおまわりさんが。
スタート前にやんでいた雨も、ポツポツ降り出してきた。やはりいつもより参加者は少なく、10数人というところか。
この時期は蒸し暑くて息苦しく、とても走る気にならないが、今日のようなポツポツ雨くらいが一番走りやすい。
今日の私のテーマは、 「アンパンマン杉原さんに、勝つ!」
現在、京都ランナーズ例会で、一周(4.1km)10秒差くらいで2連敗中。体重差が20kgあることを考えると、実質ボロ負けということだ。
なんとか1周目杉原さんに食らい付き、その勢いで2周目もとばし、そこそこのタイムでゴール。とまたまた、取らぬ狸の皮算用。
今日は、先発の3分後、残りがスタートする時差スタート。
先発がスタートするころ、ぎりぎりに来た小学生が気後れしてしまって「もうやめとこ」と言っていた。そんなん、全然だいじょうぶ。「ちょっと、待ってー」のひと言で、何ぼでも待ったげるよ。ねえ、担当役員さん。
さあ、スタート。
私の「先発隊、はよ行ってや。」の声とともに、杉原さんがすーと前に。
「きのうね、初代さんとおんなじレース走ってね。あの人も杉原さんみたいな体型やけど、早いねー。」
「あの人は速いですよ。僕、ミニ初代って言われてるんです。」
確かに、後ろから見ると、初代さんの背中の方が広い。
杉原さんのフォームはやわらかい。私の肩に力の入ったフォームとはえらいちがい。追いつきはするのだが追い抜けない。
最後の寺町通りに入り、後600mで何とかと思っていたら、その横を二人いっぺんに抜いていく彗星が。
ああ、また醒泉ランナーズのバンビちゃん。
私らの3分後にスタートしたはずやのに、もう追いついたんかい。
このへんから、杉原さんがスピードアップ。
ゴールは、やっぱり離されてしまった。見事3連敗。
「杉原さん、にっこり!」
石にもたれて「ハーハー」ゆってたはずやのに、カメラに向かってほんとににっこり。いい写真が撮れました。
2周目、前には誰も見えず後ろから来る気配もない。
雨が急にきつくなってきた。ちょっと、ちゅらい。
2周目の最後、寺町通りに入り後わずか。
と思ったら、川橋さんがすいすいすいと抜いていく。フォームチェックをすると、やや前傾。私と同い年だが、走る後姿は、私より若い。
川橋さんの後姿を追いかけながらゴールかと思ってたら、ゴール直前、もう一人に抜かれた。
「いい目標になりました。ありがとうございます。」
京都ランナーズの吉川さんでした。
川橋さんも吉川さんも3分後にスタートしたのに、すごい。(私のゴールタイムは、38分28秒。)
「いつもブログ読まさせてもらってます。毎日あれだけ書かれるの大変でしょう。」と吉川さん。
「いや、書くことは割りと思いつくんですけど、字を打つのに時間がかかってねえ。なにしろ今年の2月まで、パソコンさわったことなかったんですから。」
「もた、読まさせてもらいます。」
醒泉ランナーズの2人が残っていたので、写真を撮らせてもらった。
鍛治さんは、16分07秒。
富田さんは、17分34秒。
はやっ!
どうか無理しないでね。走ることがきらいにならないでね。いつまでもにこやかに走り続けようね。
例会終了後、「例会運営」のミーティング。
役員さん、いつもお世話になっています。特に今日のように雨降りだと、担当役員さんはたいへんだ。(この後、富田会長さんは、例会に使ったすべての物をタオルで拭かれるそうです。)気持ちよく走らせてもらって、ほんとうにありがとうございます。
結局1周目、杉原さん19分18秒。私19分28秒。また10秒差でした。(さて、次回対決は?)
後片づけの時、冨田会長、木村事務局長と少ししゃべった。雨の時、もう少し雨のしのげる場所があれば助かる。梨木神社前あたりに、大屋根のある休憩場を作っていただけたらうれしい。
京都迎賓館建設にどんだけお金を使い、今もその維持費になんぼ使ってんのか知らんけど、われら庶民が喜ぶもんも作ってください。
冨田会長も言っておられたが、京都はほんとに走れる場所が少ない。北の方では、鴨川かこの御所くらい。それにしては、ランナージョガーのためには予算はまったく使われていませんよね。
土地さえちょっと貸してくれはったら、建物くらいはみんなから募金してもらって何とかすんのにね。でも、元天皇さんが住んではった場所を庶民に貸すということ自体が、無理な話なんかなあ。
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2008年06月21日(土)
第29回大島謙吉記念健康マラソン [ランニング]
第31回総合関関戦に伴う大島謙吉記念健康マラソン。学生だけが楽しむのではなく、地域の方にも楽しんでもらいたいという趣旨で始まったらしい。(それ、大事!)関西大学千里山キャンパス内を走るコースということで、楽しみにしていた。
京都からすぐ近くの大学であるのに、関大に行ったことは今まで一度もなかった。私の大学受験の選択肢に関大はなかったのかな。・・・なかったな。
朝、家の近くからのバスに一本乗り遅れたため、関大キャンパスに着いたのは受け付け時間を過ぎた10時ごろだった。でも、同じ電車に京都ランナーズの初代さんが乗っておられたので、たぶん大丈夫だろうと思っていた。受付は体育館前で、関大の学生さんがすごく親切に対応されていた。
受け付けを終えベンチにすわっていると、すずめがちゅんちゅん。のどかなキャンパス風景だ。
スタート地点のグランドに行くと、かなりの人。500人近くはいそう。
前半分は学生さん、後ろ半分が一般の参加者という感じ。
私はいつもの黄色のランシャツランパンで参加したのだが、こんな本格的なかっこうの参加者はちょっと見当たらなかった。それでも一般参加でこられている方は、皆かなりのベテランランナーに見えた。
競技の注意などをしておられたのは、関西大学の伴義孝先生。(体育の先生だそうです。)
諸注意の後、大島謙吉氏についての説明があった。
関西大学卒業後、第10回ロサンゼルスオリンピック(1932年)三段跳びで銅メダル。東京オリンピック(1964年)日本選手団団長を務める。その後、オリンピック平和賞を受賞。
伴先生は、「私は、大島先生の弟子です。」とおっしゃっていた。
ブログで紹介させてくださいと言ったら、喜んでおられた。
先導は自転車部。最後部には、関大の体育の先生が自転車でつかれる。スタート直後の坂には、関大チアリーダー部がスタンバイ。
元気な大学生とこうして少しでも関われることが、すごくうれしい。
コースは、大学キャンパス内ということで、いろんなところを走らせてもらった。緑が多い気持ちのいい大学だと感じた。
写真を撮りながら走っていると、横をすっと抜いていくアンパンマン・・・じゃなくて初代さんでした。
私よりだいぶ体重がありそうなのに、あの軽快な走りはナニ!? 「こんな大会がもっとあったらいいのにね。」と話しかけたが、さすがに初代さんもしんどそう。
後2kmくらいかなと思っていたころ、目の前にゴールの横断幕が。
「あれー」と思いながらゴール。17分39秒。これは、たぶん3.5kmくらいやね。5kmって書いてあったけど、まっいいか。
関関戦のおかげでいろんな大学生があちこちに見られ、これもおもしろかった。
本当にユニークなこの大会。いつまでも続けてもらいたい。
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2008年06月20日(金)
駅前鉄パイプバリケード、消滅!? [雑感]
「あれっ!」
昨日の朝8時前、「精華大学前」駅西口を通ると、あの鉄パイプがなくなっていた。
「あー、すっきり。」
前の日、ヨメさんが、私の「鉄パイプ」関連ブログを京都精華大学環境施設課にFAXしたらしい。
それが直接の原因ではないかもしれないが、私のブログもちょっとは役に立ったかな。
10時前、2回目のきくの散歩に行った時・・・、「あーあ、これではあかんぞー。」
前に鉄パイプバリケードがしてあった向かいに、大量の自転車が。昨日の16台よりは少なくなったが、今日も9台。ここが、新自転車置き場になってしまった。
精華大学さんは、結局何がしたかったのかなあ。
自分とこの敷地から自転車が出て行ってくれたら、それで満足なんかなあ。
今自転車がとめてある場所は、車同士が離合する所。長代川沿いの散歩道とも合流する場所なので、小さい子やお年寄りも通る。どうか、あの自転車が倒れませんように。
たぶん、「地域に開かれた大学、地域に愛される大学」を目指しておられると思うが、先を読めない硬直した頭を露呈しちゃたね。この2週間は、いったい何やったんやろう。
今度何かアクションを起こされる時は、貴校の学生の叡智を集め、「さすが、精華大」と言われるようにしてくださいね。「生きて働く大学」でないと、意味ないでしょう。
うちの「きく」も、ふしぎそうに大学の方を見ていました。
私は、今もまったく理解できません。どなたの発案で、何のために、あの鉄パイプバリケードを設置されたんですか。
◎今日朝10時、また駅前を通ったが、自転車は12台。昨日とほとんど同じ風景だったので、写真は撮らなかった。
でもよく考えてみると、警告文対照者はわずか20名足らず。不特定多数ではなく、特定少数である。
多大な迷惑をこうむっていると言うのなら、多くの人に影響を及ぼす鉄パイプバリケードと警告文ではなく、対象者との直接対話でよかったのでは。話し合えば、自転車で来るのをやめる人もいたかもしれない。また逆にやむをえない事情で乗ってきている人がいるのなら、それくらいのスペースくらい確保してあげればと思う。それが、生きた人間の解決策じゃないですか。
学校にいる人々は学内にしか目が行かず、学校の近辺でさまざまな人が生活していることを忘れてしまいがちである。この道を、盲導犬を連れて歩く人、乳母車を押して歩く人などが通ることはご存知なんでしょうか。
鉄パイプバリケードが設置される以前は、ここには1台の自転車もとめてなかったのです。
京都精華大学の責任ある方、どうか元のすっきりした駅前に戻してください。よろしくお願いします。
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2008年06月19日(木)
父の日のプレゼント [家族]
6月15日、夜8時過ぎに京都の我が家に戻った。
さすがに富士山の裏(山梨県西湖)から京都は遠い。
家に着き、子どもが取ってくれていたお寿司を食べ、風呂に入り、そろそろ寝ようかという時・・・。
「パオパオ、父の日のプレゼント。」
なんと、それは真樹ではなく、廉だった。
いつもなら真樹が忘れず渡してくれて、廉はうやむやのうちに・・・、というパターンが多かったのに。
薄いバイオレットの半そでカッターシャツ。わざわざ3900円の値札が付けてあった。(実際はいくらやったんやろう。)
廉、知らん間に腕あげたな。
ちょっと小さいような気もしたが、猫背にならないようにいい姿勢をしていたらぴったりだった。
昨日、初めてお出かけの時に着ていった。
お昼、一条山の裏にある「小川屋」さんにおそばを食べにいった。
ヨメさんが、いつも言う。
「父親らしいこと、なーんもしてへんのに、感謝しいや。」
分かってるって。
「廉、ありがとう。」
これもうれしかったけど、紫野高校サッカー部に入って初めて公式戦出してもらったって。休まずコツコツがんばったおかげやなあ。よかったなあ。いい「父の日のプレゼント」や。
これからも、コツコツ、ねっ!
6月15日の夜も、私の専属トレーナー(またの名をイケメン整体師)RENのマッサージを受けながら、気持ちよく大いびきをかいて寝てしまったパオパオでした。
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2008年06月18日(水)
よりちゃん、泣かしたろ [学校]
中学のクラス会から、ちょうど1ヶ月。
そろそろ区切りをつけよう。
住所がわかっている同級生には、クラス会の報告をしなければ。
私が一番気になっているのは、「よりちゃん」。
いなか(花背別所町)唯一の料理旅館「小谷屋」の長男である。
今回のクラス会に、一番来たくて来れなかったのが「よりちゃん」だと思う。
どうゆう道を歩んだのかはよく知らない。しかし、一時、北海道の定山渓温泉と石川県羽咋市で板前をしていたことは聞いた。
クラス会の前、「小谷屋」のおばさんによりちゃんの携帯電話の番号を教えてもらい電話した。心配していたほどのこともなく、私には明るい声に聞こえた。ただ、何度も何度も「会いたいなあ」と言っていたのが印象的だった。
今は、富山県で板前ではない仕事をしているらしい。
その後、ブルガリアの中古賀先生にも、よりちゃんに電話するよう頼んだ。後で中古賀先生に聞くと、「ちょっと泣きかけとったで。」とのこと。「クラス会に来たいけど、来れへん事情があるんやろなあ。」
昨日、いなかに帰る用事があり、「小谷屋」さんにも寄ってみた。「田子の月」のめずらしいお菓子(例の「富士山頂」)を持っていったら、喜んでくれはった。
「頼定(よりさだ)は、クラス会、来んかったか。」
「はい。来てもらえへんかったけど、電話でぎょうさんしゃべれたし、よかったですわ。中古賀先生とも電話でしゃべれたみたいですし・・・。」
「そうかー。また、声かけたってな。」
よりちゃんと言えば・・・。
よりちゃんを動物に例えると、絶対に「カメ」。
なにをやっても、ゆっくりというイメージだった。ところが、水泳だけは「もうええやろ」と言うまで泳ぎ続けられる体力があった。
当時の野球部でも補欠で、試合には出してもらえなかったが、練習試合で超特大ファールを打った時はみんなびっくりした。(けっこう見せ場は作ってくれた。)
よりちゃん!
ファールでもええから、一発かましてくれ。
2年後に、必ず2回目のクラス会するから、その時には絶対に来てくれよ。名古屋の「ゆきちゃん」は必ず行くってゆってくれてるし。
そやそや、ゆきちゃんが送ってくれたお菓子、よりちゃんにも送ったろ。
泣くどー。よりちゃん、泣くどー。
よりちゃん、泣かしたんね。
でも、笑かしたろ系の私が、「泣かしたろ」は似合わんかな。
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