パオパオだより

2012年08月24日(金)

ぬちがふう [時事]

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◎京都新聞8月18日朝刊・天眼より

   「ぬちがふう(命果報)」     瀬戸内寂聴

 ぬちがふう。チンプンカンプンのこの単語は、沖縄のことばで「命あらばこそ」「死なないでよかったね」という意味だとか。

 そういう題のついた映画のDVDがある日、突然、朴寿南(パクスナム)さんから送られてきた。寿南さんと私は50余年来の友人だが、会ったのは数回に満たない。彼女は日本で生まれ育った韓国人で、その出生の運命だけで、一方的におそいかかる理不尽で苦難の人生を歩まなければならなかった。彼女の名が世に知られたのは、高校生と23歳の女性が殺された小松川事件(1958年)で被告の韓国人李珍宇(イジス)とたびたび面会して往復書簡を交わし、それが出版されてベストセラーになってからだった。その「罪と死と愛と」という本を読んだ私が手紙を出したことから私たちの交際は始まった。李珍宇は後、絞首刑になった。当時の寿南さんは雨にぬれた白芙蓉のように嫋嫋とした美女だった。

 「子供の頃、ひどいいじめに苦しんで、もし魔女がいて日本人にしてくれるなら、声でも足でも何でもあげると思った」と告げられた時、思わず手をとって泣いてしまった。
 私が出家して寂庵を結んでから、突然元従軍慰安婦だったという韓国の女性を3人つれて訪ねてきた。すでに中年の寿南さんは別人のように太っていて頬もふくよかになっていた。元慰安婦たちは、こもごもに、日本軍に拉致され、慰安婦にされてしまった経緯をよどみなく語ってくれた。私は恥じ入りうなだれてあやまるしかなかった。

 76歳になっても美しく色っぽい寿南さんは、今や記録映画の監督になっていた。その映画は、大平洋戦争の沖縄戦で、島民と、強制動員された朝鮮人軍属が、日本軍の盾にされ、むごい犠牲を強いられた理不尽極まりない差別の実態を明らかにしていく。執念の証言者探しをし、70人にも及ぶ人の真実の声を寿南さん自身が聴き手になって、120時間にも及ぶ収録テープを回している。証言者たちは、寿南さんに向き合うと、魔法にかかったように素直になり、絶対死ぬまで秘し通そうとしてきたつらい経験や見聞のすべてを語りつづけてしまうのだった。聴き手の無限のやさしさと真摯さが語り手の心の扉を自然に開かせるのだろう。語り終わった人の顔は一様にほっとした明るさと和やかさに表情がやわらぐのは、観る者に言いようのない感動を呼びおこす。

 無理を重ねた寿南さんが、足元も弱く、目はほとんど見えなくなったという。娘の麻衣さんという杖がなければ、何の行動も不可能になっている。それでも華やかさの残る美しい顔を紅潮させ、これからも歴史の闇に光をあて嘘をあばいてゆくという。真実はこうして誰かの情熱と努力によって、必ずいつの日にか取り出され、この世に伝えられていくのだろう。ぬちがふう。命あればこそ、この映画にめぐりあえたということである。
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◎毎日新聞8月22日朝刊

   「慰安婦強制、証拠ない」
        橋下市長が持論を展開

 大阪市の橋下徹市長は21日、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸について「従軍慰安婦という日韓の課題が根っこにある」と指摘した上で、「慰安婦が軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられた証拠はない」と述べ、強制連行はなかったとの認識を示した。市役所で記者団に述べた。

 橋下市長は「韓国の言い分を全部否定しているわけではない」と前置きし、「証拠があったというのであれば韓国の皆さんに出してもらいたい」と述べた。

 また、尖閣諸島の問題にも絡め、「領土問題はしっかり国民の認識に落とし込む教育をしないといけない。一時的に火が付いたことで物事を進めたら危険な状態になる」と述べ、近現代史教育を充実させる必要があるとの持論を展開した。【茶谷亮】
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 戦争体験を語れる人が少なくなっている。終戦時に20歳だった人が今87歳。そのとき10歳の人でも77歳だ。中国戦線に4年送られていた私の父は、今年12月で91歳になる。
 「戦争体験を語れる人が、みんな亡くなるのを待っている人がある」と聞いたことがある。「証拠を出せ」と言う人は、そんな人たちの仲間だろうか。

 映画「ぬちがふう」、ぜひ見たい。橋下さん、いっしょに見に行きませんか。

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2012年08月08日(水)

オスプレイはタカ派? [時事]

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◎毎日新聞7月7日朝刊

ニュースの匠 : 米のオスプレイ配備問題=鳥越俊太郎

 ◇沖縄だけではない

 先日「方丈記」を読んでいて気がついた。ええ、あの鴨長明さんが書いた

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

 という書き出しで始まるドキュメンタリーの傑作ですね。文中終わりに近い部分にこういう記述があります。

 「みさごは荒磯にゐる。すなはち人を恐るるが故なり」

 この“みさご”の英語名が実はオスプレイなんです。私も人から聞いて知ったんですけどね。今、日本の巷(ちまた)を騒がすオスプレイ、正式には「垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ」です。「方丈記」の書かれた鎌倉時代、みさごは人を恐れて荒磯にいたのに、現代のみさごは人を恐れさせています。

 開発段階から墜落事故が多く、4回の事故で30人が死亡。「未亡人製造機」というあだ名がつけられたというやっかいなシロモノなんです。今年もモロッコとフロリダでもう2回も墜落事故を起こしています。

 米政府はこのやっかいなみさごをあろうことか、「住宅街の真ん中に基地がある」と言われる沖縄・普天間飛行場に24機も配備しようとしています。しかもこの配備行為は日米安保条約上の事前協議事項にはあたらないとして、米政府は「10月に配備する」と有無を言わせぬ通告をしてきました。

 情けないのは日本政府−野田政権。本来なら日本国民の声の代弁者として米政府に「NO!」と言うべきところを、森本敏防衛相を沖縄に派遣、地元説得を試みたが、地元からはモーレツな反発を受けてしまいました。特に痛烈なパンチを繰り出したのは沖縄県の仲井真弘多知事。「事故が起きたら(在沖縄米軍基地の)即時閉鎖撤去だ!」

 沖縄県の知事で「基地の閉鎖撤去」まで言及した人は最近では記憶にない。沖縄の人たちの怒りがどれだけ深いか、これで分かろうというものです。

 しかし、実はコトは沖縄だけの問題ではないんです。米政府=米軍は日本列島で6ルートの試験飛行を計画しています。

 実戦を想定した上でのテストフライトでしょうから、低空飛行もやるし、垂直離陸から水平飛行への転換行動もあるでしょう。日本の空のどこで何が起きるか分からないのが、今回のみさごの実情。みさごは荒磯(米国)にいればいいんです。
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 「方丈記・第四段」    鴨長明

 おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども*、今すでに五年を経たり。仮のいほりも、やゝふるさととなりて、軒に朽葉ふかく、土居に苔むせり。おのづから、ことの便りに都を聞けば、この山にこもり居てのち、やむごとなき人のかくれ給へるもあまた聞こゆ*。まして、その数ならぬたぐひ、尽くしてこれを知るべからず。たびたび炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ*。たゞ仮りのいほりのみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。一身をやどすに不足なし。かむなは小さき貝を好む*。これ事しれるによりてなり。みさごは荒磯に居る*。すなはち、人をおそるゝがゆゑなり。われまたかくのごとし。事をしり、世をしれれば、願はず、わしらず*、たゞしづかなるを望とし、うれへ無きをたのしみとす。惣て、世の人のすみかをつくるならひ、必ずしも、事のためにせず。或は妻子・眷属の為につくり、或は親昵・朋友の為につくる*。或は主君・師匠、および財宝・牛馬の為にさへ、これをつくる。
 われ、今、身の為にむすべり。人の為につくらず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべき奴もなし。縦*、ひろくつくれりとも、誰を宿し、誰を据ゑん。
 夫、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねむごろなるを先とす。必ずしも、なさけあると、すなほなるとをば不愛。只、糸竹・花月を友とせんにはしかじ*。人の奴たるものは、賞罰はなはだしく、恩顧あつきをさきとす*。更に、はぐくみあはれむと、安くしづかなるとをば願はず。只、わが身を奴婢とするにはしかず。いかゞ奴婢とするとならば、若、なすべき事あれば、すなはちおのが身をつかふ。たゆからずしもあらねど*、人をしたがへ、人をかへりみるよりやすし。若、ありくべき事あれば、みづからあゆむ。苦しといへども、馬・鞍・牛・車と、心をなやますにはしかず。今、一身をわかちて、二の用をなす。手の奴、足の乗物、よくわが心にかなへり。身、心のくるしみを知れれば*、苦しむ時は休めつ、まめなれば使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず。物うしとても、心を動かす事なし。いかにいはむや、つねにありき、つねに働くは、養性なるべし。なんぞ、いたづらに休み居らん。人をなやます、罪業なり*。いかゞ、他の力を借るべき。衣食のたぐひ、又、おなじ。藤の衣、麻のふすま、得るにしたがひて、肌をかくし、野辺のおはぎ*、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじはらざれば、すがたを恥づる悔いもなし。糧ともしければ、おろそかなる報をあまくす*。
 惣て、かやうの楽しみ、富める人に対していふにはあらず。只、わが身ひとつにとりて、むかしと今とをなぞらふるばかりなり。

流布本による追加

 夫、三界は只心ひとつなり*。心若やすからずは、象馬七珍もよしなく*、宮殿・楼閣も望みなし。今、さびしきすまひ、一間のいほり、みづからこれを愛す。おのづから、都に出でて、身の乞となれる事を恥づといへども、帰りてこゝに居る時は、他の俗塵に馳する事をあはれむ*。若、人このいへる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林をねがふ。鳥にあらざれば、其心を知らず。閑居の気味も又おなじ。住まずして、誰かさとらむ*。

(*マークは脚注ですが省略しました。)


■現代語訳

 そもそも、ここに住み始めた頃には、ほんの暫くと思っていたのだが、すでに5年を経過した。仮の庵といいながら、ここももはやふるさととなってきて、軒には朽ちた木の葉がつもり、土台には苔も生えた。事のついでに都の事を聞くと、私がこの山に入ってからも、多くの高貴のお方が死んだ。まして、そういう身分でない人々は数を尽くして知ることを得ない。度々の火事によって消失した家々もまた幾許であったことであろう。ただこういう仮の庵こそ、何事もなく安心だ。狭いとはいえ、夜寝る場所が無いわけではない。昼に座る場所も無いわけではない。一身が住まうに何の不足も無い。ヤドカリはできるだけ小さい貝を好むという。これは、変事があることを恐れてのことだ。ミサゴは荒磯にいる。これは、人が怖いからだ。私もまたこれに同じ。物事を知り、世の無常を知れば、無益な願いは持たず、右往左往はせず、ただ閑静をのみ望み、悩みの無いことを楽しむ。
 すべて、世人が家を作るのは、必ずしも、自分のためにするのではない。場合によっては、妻子や眷属のために作ったり、或いは親しい者や友人のために作る。また或いは、主君や師匠のために作り、財宝や牛馬のためにも作ったりする。
 私は、いま、自分のためにだけ庵を結んでいる。人のために作ったのではない。なぜかといえば、この無常の世にあって、家族もなく、仕えてくれる使用人もいない。だから、広く作っても宿す人がいない、住まわせる人が居ない。

 そもそも、人の交友というものは富んでいるものを優遇し、親しい者を優先する。必ずしも、情が厚いとか、正直などを好むわけではない。だから、楽器や自然を友として生きるのが一番だ。従者は、恩賞を沢山くれる人やよく面倒を見てくれる人を重んじる。優しくいたわってくれるとか、心安い人とかを願うのではない。だから、従者を持つのではなく、自分自らが自分の従者となるのが一番だ。
 どのようにして自分自身を従者とするかといえば、やるべきことがあったらすべからく自分の体を使ってやる。くたびれことがあっても、他人を従えて、人に気を配るよりこの方が気が軽い。もし、歩くことが必要であれば、自分から歩く。歩くことは、苦しいといっても馬だ、鞍だ、牛だ、牛車だと悩むよりはましだ。
 いま、体を二つの用に用いる。手という従者、足という乗り物、これらは私の言うことをよく聞いてくれる。体は、心が苦しいときには休ませる。気分が満ちているときには、これを使う。使うといっても、酷使するのではない。だから、物事が憂鬱だといっても、心が動揺することは無い。まして、常に体を動かし、常に働くのは、かえって体を養生することになる。どうして、無益に休む必要があろうか。人を苦しめるのは罪業なのだ。これは他者の力によって解決するものではないのだ。
 衣食についてもまた同様だ。ふじごろも、あさぶすまは、そのまま着る。野のよめなや木の実、これらによって命をつなぐ。人と会わないのだからおのれの姿の貧しさを恥じるまでもない。食べ物が少ないのは自分の努力が足りないのだから、これは甘受するしかない。
 すべてこのような楽しみを、くだくだと豊かな人に向かって言うのではない。ただ、私の一身上に起こったくさぐさを、昔と今とについて語ったまでだ。

 それ、三界はただ心一つ。心が安穏でないのであれば、どんな宝も意味がなく、宮殿楼閣もなんの希望にもならない。いま、私はこのさびしい住まい、方丈の住まいをこよなく愛している。時として、都に出て、おのれの身の貧しさを恥じることがあるといっても、ここに帰ってくれば、人々が俗塵に心を乱していることを憐れにさえ思う。
 もし、こういう私の言を疑うのなら、魚や鳥のことを思え。魚は水に飽きることはない。そんなことは魚でなければ分からない。鳥は林を恋する。そんなことは鳥でなければ分からない。閑居もまた同じ。住まずして、これが分かるはずがない。

■鴨 長明(かも の ちょうめい、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日(1216年7月26日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家である。俗名はかものながあきら。禰宜・鴨長継の次男。位階は従五位下。

〔経歴〕 賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として京都で生まれた。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。
 出家の後、建暦2年(1212年)に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』(1216年以前)、歌集として『鴨長明集』(養和元年 1181年)といった作品がある。『千載和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に25首が入集している。

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 時事問題というのにはちょっと古い記事の引用ですが・・・。
 いまだというか、これからずっと問題になり続けそうな「オスプレイ配備問題」。この鳥越さんの記事が載っていたのは、もう1ヶ月も前のこと。
 二、三日前、ヨメさんに「オスプレイって、タカの仲間なんやてー」と話したら、そこから鴨長明の「方丈記」の話になった。

 「オスプレイって、日本では『ミサゴ』ゆうんやて。『方丈記』にも出てくるらしいわ。」
 「へー、調べてみよう。」
 「ほんで、鴨長明って、いったい何もんやねん。」
 「随筆家、歌人やろ。」
 「えー、そんなんで食うていけるんか。」
 「なんか、下鴨神社のえらいさんの次男らしいで。ええしのぼんぼんやん。」
 「ええしのぼんぼんて・・・、そのひと言でしまいかい!」

 でも、ヨメさんが「方丈記」の中の「ミサゴ」が出てくる段をくわしく解説してくれたので、一つ賢くなった。鴨長明、ええこと書いとるやん。
 時事問題が時事問題に終わらず、話が広がっていくのはいいことですね。
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【RUN】

 今日は、夕方6時から最短3kmコース。
 ひょっとしたら、ぎりぎり30℃を切っていたかもしれない。
 京都では30℃以下なら、「すずしおすなあ」と言う(・・・ほんまか?)

 3km、15分13秒。これにいつもの1kmプラス。
 両足のアキレス腱付近が痛い。このごろ薄い系のシューズで走ることが多いからだろうか。
 ちょっと気をつけなければ。

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2012年05月05日(土)

「強制になるということでないことが望ましいですね」 [時事]

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◎京都新聞5月5日朝刊 ・一刀政断

  内心の自由を尊重せよ
      橋下市長の憲法観に懸念          西川孝純(共同通信特別編集委員)

 サンフランシスコ平和条約が発効して60年。日本が主権を回復し、国際社会に復帰してから還暦の節目を迎えたことになる。
 1952年4月28日、昭和天皇は日本の独立に当たり「風さゆるみ冬は過ぎてまちにまちし八重桜咲く春となりけり」という歌を詠まれた。苦難に満ちた占領からの解放を国民とともに喜びたいというお気持ちがにじんでいる。
 3日は憲法記念日だった。平和条約と同時に発効した日米安保条約(60年に改定)と新憲法の下、わが国の平和は維持され、経済と民主主義は大きな発展を遂げた。先人の努力を尊び、さらに発展させる責務がわれわれにはある。
 しばらく後景に退いていた憲法改正問題が政治テーマに浮上してきた。主権回復60年で「国のかたち」を再考すべきだという主張や、東日本大震災を機に緊急事態法必要性を指摘する声が高まったことが要因として挙げられる。
 自民党がまとめた改憲原案では自衛軍保持や緊急事態条項の新設、国旗国歌の尊重規定を明記。たちあがれ日本も自主憲法制定を掲げ、みんなの党は道州制の導入などで憲法見直しの必要性を訴えている。
 改憲に拍車を掛けているのが国政進出をにらむ大阪維新の会だ。「維新八策」では首相公選制や参院廃止、その前提として憲法改正要件の緩和を打ちだした。個人・地域・国家の「自立」を強調し、国家統治の在り方を根本的に問い直そうとしている。
 維新の会率いる橋下徹大阪市長は今、最も気になる政治家の一人だ。政界再編の鍵を握り、次期衆院選後の政権枠組みで大きな役割を演じる可能性がある。
 それだけに橋下氏の憲法観と政治理念は厳しく点検したい。懸念がいくつかある。一つは市職員に業務命令で回答を求めた組合・政治活動アンケート。街頭演説を聞くことを含めて政治家を応援する活動への参加の有無や、誘われた相手まで答えさせるのは憲法19条が保障する思想・良心の自由を脅かすものだ。
 労働組合の救済申し立てを受けた大阪府労働委員会は調査凍結を指示し、回収済みアンケートは先日、破棄された。橋下氏は市特別顧問に任せていたと人ごとのようにコメントしたが、組合敵視は度が過ぎる。
 懸念の二つ目は君が代の強制だ。今年3月 、大阪府立和泉高の卒業式で教職員の口元を監視して君が代斉唱を教頭らと確認した校長は、橋下氏の友人である民間人校長だった。
 この「口パク騒動」の直後、筆者は母校の高校卒業式に出席する機会があった。教職員の動向が気になったが、厳粛な雰囲気の中で一同と別方向に視線を向けることはできなかった。生徒にとって大切な思い出となる入学式や卒業式で監視の目が光るようでは教育の場でなくなる。
 府立学校教職員に起立斉唱を義務付けた全国初の君が代起立条例が施行されたのは、橋下氏が府知事だった昨年6月。口元監視を橋下氏は「すばらしいマネジメント」と評価したという。式典を物理的に妨害するような行為は許されないが、管理と規則の強化で教職員を締め付けて教育効果は上がるのか。
 2004年秋の園遊会で、東京都教育委員を務めていた棋士の米長邦雄氏(現日本将棋連盟会長)が「日本中の学校に国旗を揚げ、国家を斉唱させるのが私の仕事でございます」と述べたのに対し、天皇陛下はこう発言された。「強制になるということでないことが望ましいですね」
 維新八策では天皇元首制を打ち出す構えだが、橋下市長は陛下のお気持ちをどう受け止めているのか。
 君が代の起立斉唱の校長命令に従わなかった教職員の裁判で、最高裁は停職などの行きすぎた処分に歯止めをかける判決を出した。市長選の圧勝は有権者の白紙委任ではない。改憲議論は結構だが、基本的人権は侵してはならない。
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 もう、あきた。
 一部の熱狂的な信者は別として、たいがいの人は「君が代口元チェック問題」と「捏造リスト問題」を機に見方が変わってきたのではないだろうか。
 第一今のあの人の姿を見て、現大阪市長とか前大阪府知事と言ってもピンと来ない。国政進出を狙っている野望家にしか見えない。 
 政治家は人々を幸せにするのが仕事だと思っていた。でも、あの人の姿はどうもそうは見えない。あらゆる手段を使って、自分の価値観を他に押し付ける(強制する)ことに生きがいを見出している人もあるようだ。
 「いったい、なにがしたいん?」

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2012年04月05日(木)

茨木市長選挙(2) [時事]

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今日の自宅前

◎YOMIURI ONRINEより

 活性化・行財政改革が争点 市議補選も

 茨木市長選が告示

 1日告示された茨木市長選には、前市議の木本保平氏(67)、前市議の山下慶喜氏(59)(社民党推薦)、前市議の桂睦子氏(43)、医師の吉野宏一氏(44)の新人4人が、いずれも無所属で立候補し、中心市街地の活性化や行財政改革などについて訴えた。茨木市議補選(欠員1)も告示され、いずれも新人で、自民1人、共産1人、無所属2人の計4人が立候補。8日の投開票に向けて舌戦が繰り広げられる。3月31日現在の有権者数は21万9759人。期日前投票は2日〜7日の午前8時30分〜午後8時、市役所南館1階で行われる。

■木本 保平(きもと やすひら) 67 無所属新

<市職員の給料カット>

 木本候補は、地域政党・大阪維新の会の府議や自民党の松浪健太衆院議員(比例近畿)、倉田哲郎・箕面市長らが応援に駆けつける中、市役所近くの茨木神社で出陣式に臨んだ。

 「市役所のための政治ではなく、市民のための政治を必ずやってみせる」と第一声。市職員の給料10%削減や職員数を見直すとし、「公務員改革をする。給料を減らし、浮いた財源で茨木を元気にする。地域経済を活性化させ、税収を増やす」と述べた。

 この日は、終日、市内各地を選挙カーで回った。夜は北部の2か所で個人演説会を行った。

■山下 慶喜(やました けいき)59 無所属新

<震災がれき搬入反対>

 山下候補は、スポーツウエアに運動靴姿で、阪急茨木市駅西口前に登場。社民党の服部良一衆院議員(比例近畿)らとともに選挙カーに上がった。

 第一声では32年の市議としての経験を強調。脱原発や市民目線の市政を掲げ、「公約の7割は議会で質問したこと。実現のために選挙を戦い抜きたい」と力を込めた。福島第一原発事故で放射能汚染された震災がれきについて、「茨木に持ち込ませない」とした。

 支持者6人と走って同駅前を出発。午前は市中心部をランニングで巡り、午後は選挙カーで大型商業施設などを回った。

■桂  睦子(かつら むつこ)43 無所属新

<市民力・地域力生かす>

 桂候補は、阪急茨木市駅西口前で野村宣一市長や民主党の大谷信盛衆院議員(大阪9区)らと並び、第一声を上げた。

 「『住んでよかった』と思える茨木を、若さと行動力で市民の皆さんとつくりたい」と強調。公約には市長報酬30%カットや退職金半減に加え、小学校区単位の市長タウンミーティング開催を掲げている。市の税収が落ち込む現状を指摘したうえで、「市民力、地域力が必要だ。市民の力をコーディネートする市役所に作り替えたい」と訴えた。

 選挙カーで市内を一巡し、夕方から街頭演説や個人演説会を行った。

■吉野 宏一(よしの こういち)44 無所属新

<全市民の命を大切に>

 吉野候補は、JR茨木駅西口前で、医師として治療した元患者らの応援を受け、マイクを握った。

 「駅前再開発をこのまま放置すれば、大手企業の工場が撤退していくだろう。茨木の未来に向けて再構築しなければならない」と主張。公約には、医師不足の解消や看護師の育成など医療の充実や、独り暮らしの高齢者の食事に対応する給食センターの設置などを挙げている。「子どもからお年寄りまで市民の命を大切にする街づくりに取り組む」と述べた。

 この後、スポーツウエアに着替え、自転車で住宅地や商店街を巡った。

(2012年4月2日 読売新聞)
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 山下候補の「支持者6人と走って・・・」の支持者とは、「ランナーズ9の会」の仲間です。
 行きたかったなあ・・・。


【RUN】

 いつも同じコースであきてきた。
 今日は久しぶりに、上り坂ダッシュ。
 パス通りから横に入る道。京大上賀茂試験地入り口まで300m。300m上って折り返し300m下る。上りは全力、下りは足を痛めないようにゆっくりと。これを連続5本。

 1分24秒+1分38秒
 1分17秒+1分46秒
 1分16秒+1分51秒
 1分15秒+1分52秒
 1分12秒+1分54秒

 小雨が降っていたが、気分が変わって気持ちよく走れた。
 前後に2kmずつアップジョグとダウンジョグをしたので、今日は合計7km。なかなか値打ちのある練習だった。

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2012年04月04日(水)

茨木市長選挙 [時事]

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今日の北山 (鞍馬方面)、雪が・・・

◎Yahoo!ニュースより

 選挙:茨木市長選 候補者の横顔 /大阪
            毎日新聞 4月3日(火)15時23分配信

 新人4人が争っている茨木市長選。各候補は市内を駆け巡り、それぞれのビジョンを訴えている。市政のかじ取り役を目指すその横顔を紹介する。【高橋隆輔】(届け出順)

 ◇柔道6段、得意技は内股−−木本保平候補(67)=無新
 市議11期、議長経験3回のベテラン。家では小学5年の孫に「ボス」と呼ばせている。
 26歳の時、市議補選に立候補。当初はさほど思いは強くなかった政治家の道に踏み出した。「自分の考えをきちんと持とう」と奮起し、当選後は「そんなことも知らないのか」と言われるのが悔しく、研さんを重ねた。台風などの災害があると、地域をこまめに回り要望を集めては市役所へとつないだ。
 高校、大学で柔道に励み、今年1月には6段になって紅白帯を締められるように。得意技は「きれいに行かず、ケンケンしながら投げる『ケンケン内股』です」と笑った。

 ◇フルマラソン完走41回−−山下慶喜候補(59)=無新
 「日本国憲法が定める地方自治体の役割や平和への思いを実現したい」。市議として9期、護憲を掲げて活動してきた。高校時代、ベトナム戦争や沖縄問題に関心を寄せたことがその原点という。
 活動を報告するブログは毎日更新。ツイッターも使いこなし、絶えず幅広い情報発信を心がけている。
 趣味は走ること。「考え事をしながら走るとストレス解消になり、出会いもある」。昨年12月には、41回目のフルマラソン完走を果たした。「反原発」ののぼりを掲げたり、ビラを配ったり、政治活動と組み合わせる工夫も凝らしながら、毎月約200キロ走る。

 ◇趣味はクラシックバレエ−−桂睦子候補(43)=無新
 市長選は04年以来二度目。「市民の満足度、幸せ度ナンバーワンのまちをつくりたい」と再挑戦を決意した。
 8年前、当選すれば全国最年少の女性市長と注目された。有志が手弁当でもり立ててくれ、思い出すと今でも目に涙が浮かぶという。同時に「訴えが伝わらなかったつらさはあるが、いい経験になった」と振り返る。政治理念は「市民が力をつけること」。政治判断も、市民の意見に耳を傾けて結論を出したいと考えている。
 かつては新体操選手。中学の全国大会で優勝し、五輪出場も目指したという。今はクラシックバレエを趣味として続けている。

 ◇空手3段、タフさに自信−−吉野宏一候補(44)=無新
 「茨木の救急患者の30%しか市内で受け入れられていない。安全・安心のまちづくりのため変えたい」。医師としての思いが出馬へと突き動かした。
 神戸出身だが、場所を探して茨木で整形外科を開業。すると、市内で大病院が十分機能していないことに気づいた。「男としてほっとけない」。自らリーダー気質という血が騒いだ。09年衆院選にも立候補したが、涙をのんだ。
 178センチ、90キロの堂々たる体格。空手は3段で、高校時代はラグビー部で主将。今でもトレーニングを欠かさず、ベンチプレスは145キロを上げる。「タフさには自信があります」と胸を張る。

4月3日朝刊
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◎Yahoo!ニュースより
 
 選挙:茨木市長選/茨木市議補選 告示 市長選、新人4氏が激突 教育や開発、改革の形が争点 /大阪
            毎日新聞 4月2日(月)12時28分配信

 任期満了に伴う茨木市長選が1日告示され、元市議の木本保平氏(67)=大阪維新の会いばらき支部、みんなの党府第9支部推薦▽元市議の山下慶喜氏(59)=社民推薦▽元市議の桂睦子氏(43)▽医師の吉野宏一氏(44)−−の無所属4人が立候補した。現職引退を受け、新しい市政や改革のあり方などが争点。候補者は街頭で支持を呼びかけた。投開票は8日。

 ◇木本保平候補
 木本氏は出陣式で「市役所のためではなく、市民のために政治をしたい」と述べ、市職員数と給与の削減を掲げた。さらに、教育行政を巡って「教育委員会に積極的に関わり、正しい歴史認識を教える教科書を選定したい」と声を上げた。

 ◇山下慶喜候補
 山下氏は平和と個人の多様性を尊重する公約「レインボープロジェクト」を掲げ、教育現場への競争原理の導入に反対した。東日本大震災への対応では「市民の生命を守る立場から、放射能に汚染されたがれきを持ってこない」と約束した。

 ◇桂睦子候補
 桂氏は「党派や組織を超えて発言できる成熟した茨木にしたい。どんな団体や市民にも耳を傾けられるトップになりたい」と主張。市役所については「市民力や地域力、NPOをコーディネートできる役所につくり替える」と力を込めた。

 ◇吉野宏一候補
 吉野氏は「阪急とJR駅前の再開発が進んでいない。放置しておくと大企業が撤退してしまう。再開発をしっかりやっていく」と公約した。救急患者の受け入れ態勢の充実や、子どものグラウンド利用無料化、高齢者施策なども訴えた。

 木本氏の辞職に伴う市議補選(改選数1)も告示され、自民1人、共産1人、無所属2人の新人4人が立候補した。市長選と同日の投開票。
 期日前投票は2〜7日の午前8時半〜午後8時、市役所南館1階交流コーナー。投票は8日午前7時〜午後8時で、午後9時10分から市民体育館で開票される。先月31日現在の選挙人名簿登録者数は21万9759人(男10万6143人、女11万3616人)。【熊谷豪、遠藤浩二】
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 ◆立候補者(届け出順)
 ◇市長選
木本保平(きもと・やすひら) 67 無新
 維新副支部長▽市柔道連盟会長[歴]ビル管理会社社長▽市議長▽自民党茨木支部長▽関西大
山下慶喜(やました・けいき) 59 無新
 [元]市議▽新社会党大阪府本部委員長[歴]衆院議員秘書▽公民館役員▽同志社大=[社]
桂睦子(かつら・むつこ) 43 無新
 [元]市議[歴]「虹と緑の500人リスト」全国共同代表▽服飾メーカー社員▽大阪体育大中退
吉野宏一(よしの・こういち) 44 無新
 医師[歴]スカイ整形外科クリニック代表▽茨木商議所会員▽市医師会会員▽金沢医大

 ◇市議補選(改選数1−4)
大嶺さやか 40 共新 党茨木暮らしの相談室長・市委員
長谷川浩  49 無新 維新副支部長▽セミナー講師
中森朝雄  70 無新 薬剤師[歴]中学校教諭▽労組役員
辻由起子  38 自新 子育てセミナー講師[歴]倉庫会社員

4月2日朝刊
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 公職選挙法がどうなっているのかよく知りませんが、ニュースをそっくりそのまま転載するのは問題ありませんよね。

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2012年03月26日(月)

敗者の自己責任? [時事]

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◎毎日新聞3月26日夕刊

 今、平和を語る:哲学者・東大大学院教授、高橋哲哉さん

 戦前の教育は国家主義の柱をなした。戦後の教育はその反省からスタートした。しかし国旗・国歌法の制定、教育基本法の改定など近年の政府は教育への管理を強めている。東京、大阪をはじめ地方公共団体でも顕著になってきた。教育現場に何が起きているのか、この国に何が起きようとしているのか。哲学者で東京大大学院教授の高橋哲哉さん(55)に聞いた。<聞き手・広岩近広>

 ◇競争と管理は教育の自殺 お上の幻想で子ども不在

 −−橋下徹大阪市長が代表を務める「大阪維新の会」が原案を作成した大阪府と大阪市のいわゆる教育基本条例案(府は可決)は、教職員の処分を厳格化しています。

 高橋 教育の管理を強める動きは、歴史的には国旗・国歌の強制にみられるように、かなり前から起きています。現在の状況は、東京、大阪という東西の中心地で、それも首長が先頭にたって、こうした流れを強く推し進めているといえます。

 大阪の条例案は、教師の処分に関する内容が微に入り細をうがっています。だが、子どもに関する記述がほとんどありません。子どもたちは今、どうなっているのか、教育を考えるためにはそこから始めるべきだと思います。統計的には引きこもりや不登校が相変わらず多く、その根本原因は解明されていません。条例案には、そうした問題を考えようとする姿勢が見られず、教職員の管理を強めれば教育がよくなるという幻想に囚(とら)われているように見えます。

 −−大阪市の条例案は「教育理念」として<他人への依存や責任転嫁をせず、互いに競い合い自己の判断と責任で道を切り開く人材を育てること>など6項目をあげました。

 高橋 いずれも「人材」の言葉を使っています。この言い方に潜んでいるのは、国や社会が設計した人間に仕立てあげようという意図です。前文では、子どもたちが十分に自己の人格を完成、実現されているとは言い難いと大阪市の教育の現状を示したうえで、時宜にかなった教育内容を実現しないと国際競争から取り残されるのは自明だと強調しています。しかし、やみくもに競争を煽(あお)りたてるのでは、ますます人格空疎で、勝ち負け以外の価値を知らず、世界に通用しない人間ができあがってしまうでしょう。

 −−学校を息苦しくしているのは競争と管理だと指摘し、共著「とめよう! 戦争への教育」(学習の友社)で書かれました。<競争は新自由主義という思想に基づくものですし、管理は新国家主義といえると思います。競争と管理は、いまの権力者たち、為政者たちが「国家戦略」として採用している思想−新自由主義と新国家主義−を教育現場に持ち込んだものです>

 高橋 1990年代のグローバル化の流れに呼応し、とにかく競争に勝たねばならないという価値観を教育現場に押しつけました。弱い者が淘汰(とうた)されていくのは敗者の自己責任で、全体が発展するためにはやむを得ないという論理です。同時に、多少なりとも自由が認められていた教育現場の管理が強められました。服務規律の徹底、愛国心や忠誠心を教える新国家主義が、弱肉強食を正当化する新自由主義とセットになっているのです。2006年の教育基本法の改定もこの流れでした。

 −−いわゆる「日の丸・君が代」を強制している自治体では、教育委員会が出す職務命令を校長が教職員に徹底します。著書「教育と国家」(講談社現代新書)で苦言を呈されました。<上命下服のシステムは全体主義国家の特徴そのものですから、こうしたシステムのもとで教育された子どもたちは、自分の頭で考え、自分の理性でものごとを判断することができなくなってしまう。「お上」の命令であればその内容如何(いかん)にかかわらずそれに従うような教育の場で、自分の頭で考え、自分の理性でものごとを判断できる子どもたちが育つとは思えません>

 高橋 さらに言えば、こうした教育環境では、自由な精神をもつ人は教師になりたがらなくなってしまいます。学校教育自体が小さくなると、子どもたちからクリエーティブな力は生まれてきません。これは少し強く言うなら、教育の自殺行為だと思います。

 −−あるべき教育とは。

 高橋 本来の教育は、基礎的な学力を身につけると同時に、困難があっても絶望せずに生きていけるだけの自己肯定感を養うことにあると思います。仮に失敗しても、挫折しても、それでも自信を失うことなく、新たなチャレンジに向かっていける、そういう人格のベースを養うこと。

 そのためには教師ともパーソナルな交流が必要でしょうし、人間的な信頼関係をはぐくむような教育現場が何より求められます。競争と管理がまかり通る教育現場では、そうした人格をつくることは不可能です。

 −−かつては戦争に駆り立てるための「国民精神」を形成する装置として教育が使われた面があります。

 高橋 戦時中の「一億玉砕」という国家命令に従うような「精神」ではなく、グローバル化に伴う大競争のなかで、日本が勝ち残っていくために必要かつ十分なだけの「精神」だと思います。この種の「精神」をつくるためには労働運動や市民運動をマイナー化し、社会的な異分子をあぶりだす管理と監視のシステムを強化することが重要だと、為政者は考えるはずです。教育の効用を知っているのです。

 −−為政者はいつの時代にあっても、<国家批判や社会批判を「不遜な言動」として「自ら慎む」ような従順な国民>「『心』と戦争」(晶文社)をつくりたいのでしょうか。この先々に見えるものは。

 高橋 新自由主義と新国家主義の価値観をもつ政治家は、教育基本法を変えたことで、個人の育成から国家の方針に沿う国民をつくろうとしています。仮にですが−−自民党の改憲原案にあるように、憲法9条を変えて日本軍が米軍と一体化して武力行使を行うことが可能になれば、それこそ国のための自己犠牲を国民に要求してきます。そのための「精神教育」を押しつけ、表現の自由を含めてあらゆる分野の自由を圧迫する動きが強まるでしょうね。

 そういう「精神教育」であってはならないと、戦後は戦前と違う教育理念を掲げて出発しました。しかし大きく後退しているのが実情です。教育は社会を存立させる最も重要な役割を果たすのですから、教育現場で起きている問題を見すえていかねばならないと思います。(専門編集委員)

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■人物略歴

 ◇たかはし・てつや
 1956年、福島県生まれ。78年に東京大教養学部を卒業後、大学院などを経て、87年に東大教養学部助教授に就任。現在は大学院総合文化研究科教授。ベストセラー「靖国問題」(ちくま新書)など著書多数。近著に「犠牲のシステム 福島・沖縄」(集英社新書)「いのちと責任 対談高史明・高橋哲哉」(大月書店)がある。
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◎nikkansport.comより

 「橋下政治塾」君が代の起立斉唱で開講

 橋下徹大阪市長(42)が代表を務める大阪維新の会は24日、大阪市内で、全国から2000人を超える受講生を集め「維新政治塾」の開講式を開いた。塾長の橋下氏は、衆院解散に備えて「国の形を本気で変えるため、大勝負しないといけない」と宣言。君が代の起立斉唱からスタートするなど独自色全開で、今後は受講生の能力や資質を見極めて400人程度の精鋭を選抜し、次期衆院選を見据えた候補者養成を進めていく。

 金びょうぶを背に塾長の橋下氏は、次期衆院選の擁立候補でもある受講生へあいさつし、国政進出への本格的な第1歩を踏み出した。「今の日本は危機的な状況だ。国の形を本気で変えるため、大勝負しないといけない。国の体制を変えるのは選挙だ。来るべき大いくさに備え、しっかり準備していこう」。

 さらに橋下氏は「統治機構を変えて、決定できる民主主義を実践する政治集団を」「独裁、拙速との批判もあるが話し合いだけでは物事は進まない。価値観が合わないなら去ってもらって結構だ」「政治塾はカルチャースクールではない」などと熱弁。会場は新入社員の入社式のような緊張感が漂った。

 大阪市の君が代起立条例は市長の橋下氏の意向を受け2月末に施行されており、式は「代表の強い意向」(同会幹部)で、君が代の起立斉唱からスタートした。元経済企画庁長官で名誉塾長・堺屋太一氏のあいさつの途中、音声トラブルから約10分中断するハプニングもあった。橋下氏は「マイクの調子が悪い。(電力供給の)原発が必要ということか」と、関電の原発再稼働に反対している自身の立場を引き合いに、笑いを誘う一幕もあった。

 開講式は午前と午後、2回に分けて実施。今後は隔週で講義を開き、大阪都構想や、事実上の衆院選公約「維新八策」についても受講生らと協議を重ねる。講師役は堺屋氏らが務める予定。受講生の街頭演説やディベート能力も確かめ、衆院解散時期を見据えて、最終的に400人程度を選抜。かねて公言している「300人擁立、200議席獲得」を目標に掲げる。

 ただ、拡大一途の同会に対し、各党とも警戒感を強めるのは必至。橋下氏は、都構想実現に必要な地方自治法改正をめぐる国会審議や世論の動向を見極め、国政進出の是非を判断する意向だけに、選挙協力を視野に入れた連携の模索や、政策的な対立など駆け引きが激化しそうだ。

 [2012年3月25日9時6分 紙面から]
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 維新塾は政治家養成塾というより、右翼政治結社というのがふさわしいのではないだろうか。日の丸に向かって君が代斉唱。そのあとの橋下代表のありがたいお話は、「腕を組んでいた人はマナー違反」というもの。
 人の命より、ただの旗やただの歌が優先される世の中になったら恐ろしい。戦前戦中の奉安殿でもあるまいに・・・。

※奉安殿(ほうあんでん) [ 日本大百科全書(小学館) ]
 学校に下賜された「御真影(ごしんえい)」や教育勅語など勅語類を安置する建物。天皇・皇后の写真である「御真影」と勅語の諸学校への下賜は1890年(明治23)に始まるが、その下賜数がしだいに増加するとともにその管理規定も厳重となり、管理の不行き届きは学校長などの重大な責任問題とされるに至った。「御真影」などは当初校舎内の奉安所に安置されていたが、学校の火事に際して「御真影」を守って焼死する校長などが相次ぐなかで、校舎から離れた地点に堅固な奉安殿を建設し、「御真影」などを安置することが大正期から始まった。奉安殿の建設は1935年(昭和10)以降全国的に実施され、「御真影」はますます神格視された。敗戦後、「御真影」は焼却され奉安殿は取り壊された。 [ 執筆者:赤澤史朗 ]

 「弱い者が淘汰(とうた)されていくのは敗者の自己責任で、全体が発展するためにはやむを得ないという論理です。」って、これが政治家のすることですか。
 政治家をめざすのであれば、前長岡京市会議員・小原氏のように「ひとりもみすてない政治」をめざしてほしい。
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【RUN】

 今日も5km。
 行き13分18秒、帰り13分40秒で26分58秒。

 10kmが速くなるにはどんな練習がいいんかなあ。

画像(320x240)・拡大画像(640x480)

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