パオパオだより

2012年02月10日(金)

雲ヶ畑小最後の大文字駅伝 [学校]

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◎京都新聞2月10日朝刊

 雲ヶ畑小“ラストラン”
  本年度末で休校 大文字駅伝に波多野君

 京都市内で12日に行われる市小学校「大文字駅伝」に、本年度末で休校となる同市北区の雲ヶ畑小代表で6年の波多野遵君(11)が出場する。小規模校連合「フレンズ」の一員として、1区を走る予定だ。創立138年で学校の歩みが止まる直前の大会に、「見ている人たちが、雲ヶ畑のことを覚えていてくれるような走りをしたい」と闘志を燃やす。

 同小児童は4年1人と6年3人の計4人。波多野君は同級生2人と練習に励んできた。特に、本年度は4月当初から平日に駅伝の朝練習を実施。各自がペースを決め校庭を走ったり、雪や雨の日は体育館で縄跳びをして心肺機能を鍛えるなど頑張ってきた。
 6年の3人は、1年生のころから同じクラスで学び、励まし合いながら成長してきた。波多野君は「2人を追い越そうと思い練習して早くなれた。2人の分まででしっかり走りたい」と、学びやへの思いと仲間への感謝を胸に念願の都大路に挑む。(中西英明)
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 うちの廉は8年前、真樹は5年前、「フレンズ」から大文字駅伝に出場させてもらった。ともに、今は廃校となってしまった別所小学校の代表として出場した。廉はきつね坂を上る4区、真樹は10区アンカーだった。
 雲ヶ畑は私の教師生活最後の赴任地。また、真樹が中3のとき1年間お世話になった学校でもある(雲ヶ畑は小中併設校)。
 これは応援に行かなくては。真樹は、残念ながら模試のため応援にいけない。その分、私が派手な応援しようっと。

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2011年09月29日(木)

高校体育祭2011 [学校]

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 「あっ、笑ってるやん!」 
 真樹が、走っている自分の写真を見てそう言った。
 「必死やったから、絶対変な顔やと思ってたけど、よかったー。」

 そう、そうゆうのんが「成長」ってこととちゃうの。
 真樹が笑顔で走っているのを見ると、こっちまでうれしくなる。

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 今日は、真樹の高校の体育祭。
 学校には小さなグランドしかないので、会場は北区の紫野グラウンド。
 真樹が出る「台風の目」は、10時20分から。それに間に合うように家を出た。

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 午前の最後は、「クラス対抗リレー」。
 真樹のクラスを応援しなくては・・・。

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 女子4人組チームは残念ながら・・・。

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 午後の真樹の出番は、「綱引き」から。

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 笑ってるように見えますが、真剣!

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 途中、人数調整のため抜けることも。

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 場所を交代して・・・。

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 やっぱり笑っているように見えますが、本気!
 
 何とか1勝ゲット!

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 グランドのすみでは、学校の食堂が出張販売。これは助かります。
 ヨメさんにジュースを買って来てもらった。

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 このかっこうは、ちょっと勘ちがいしているような・・・。

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 次は「二人三脚」。
 白ハチマキのUちゃんと組んで、3位!

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 最後の最後は、「クラス対抗混合リレー」。
 男女4人ずつ計8名が100mずつのリレー。

 真樹はその第1走者(大外第6コース)。

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 大外スタートはきつかった・・・、けどがんばった。

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 なんとか、なんとか同着5位くらいでバトンリレー。
 ホッとしました。

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 総合成績は、真樹のクラスは2年の6組中5位。
 でも、笑顔で家に帰ってきたから、もうゆうことなし。
 日に焼けたほっぺたが、ヨッパライのようだった。
 まあ、めでたしめでたしというところです。

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【RUN】

 夕方、練習最短コースの3km。
 行き8分16秒、帰り8分20秒で16分36秒。
 やっぱり左足が全然上らない。やっと右アキレス腱がましになってきたと思ったら、今度は左のおしりですか。
 「あいおわ治療院」の高橋大輔似の先生によると、肩甲骨や腕の動きを意識して、バランスのいい走りを心がけなくてはよくならないらしい。むずしそうやけど、やってみよう。

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2011年09月09日(金)

高校文化祭 [学校]

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 8時半にバイト終了。急いで家に帰り、着替え。
 ヨメさんと廉を車に乗せて、家を出たのは8時40分。
 高校に到着したのは8時57分。ヨメさんと廉を降ろし、私は御所の駐車場へ。
 急いで講堂に向かったが、アウト。講堂は9時ちょうどに鍵がかけられた。仕方なく、テレビで見られる213号教室へ。たぶん、二人はぎりぎりセーフやったんやろうな。

 教室に入ると、真樹のクラスの演劇はもうだいぶ進んでいたようだ。
 真樹の姿はすぐに分かった。声もはっきりして聞き取りやすかった。ほかの子たちも自分の役割をしっかり演じていた。

 真樹は、朝4時ごろに起き、ヨメさんに学校の近くまで送ってもらった。本番当日の早朝に、最後の仕上げ練習をするとのことだった。あとで聞いたのだが、朝5時半集合だったのにクラスの全員が来ていたそうだ。やるときゃやるねー。

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 演劇が終わり、校舎前で全員写真を撮ってもらっている2年5組。みんな「やりきった感満々」の笑みでした。

 私は真樹から「写真を撮るな」ときつく言われていたので、人が入っているのはこの写真のみ。ソフトフォーカス加工をしたので、これは公開してもいいでしょう。最前列真ん中へんに真樹がいます。

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 写真撮影のあと、真樹のクラスメイト、うちでの通称「みずぽんちゃん」を紹介してもらった。小さくてかわいくて、廉の大学陸上部の「みずぽん」さんと似ているということで勝手にこう呼んでいた。
 めったに来ない真樹の高校に家族そろって来れたので、「みずぽんちゃん」の書道部の展示も見に行った。上の写真は、そこで販売されていたハンカチを買っているところ。

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 真樹は、家族全員が見に来てくれてちょっとうれしかったようだ。
 クラスの演劇に出ることにしたのも、家族が喜んでくれるからとか。
 いろいろなことを考えて、自分で判断して行動できるようになってきたね。ええぞー。

 次は月末の体育祭やね。
 また見に行くから、しっかりがんばって!

※ 真樹のブログ「にょんにっき」、復活後続いています。見てくださいね。(このブログのリンク集からどうぞ→)

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2011年03月16日(水)

雲ヶ畑中学校卒業式・続き [学校]

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 雲ヶ畑中学校最後の卒業生の2人は、真樹の高校とはちがう高校に進学する。真樹も、これからはもう雲ヶ畑に行くことはほとんどなくなるかもしれない。でも、この先もずうっと真樹と仲良くしてやってね。
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【何を今さら5km20分切りメモ】

 今日は朝から雪が降ったりやんだり。昨日はポカポカ陽気で最高気温は19℃。ところが、今日の最高気温の予想は7℃。体がおかしくなるほど寒い。

 夕方6時過ぎ、雪が降る中、いつもの5kmコースへ。雪対策に、ウィンドブレーカー上下、キャップ、グローブも身に着けて。ゆっくり目に走ったので、暑くはならなかった。
 26分19秒(12分46秒+13分32秒)。

 これだけで終わるわけにはなー・・・。
 今週末には名古屋まで遠征し、トラックの3000mと5000mに挑戦。走るからにはいいタイムをたたき出したい。

 1kmスロージョグをはさんで、 今日は久しぶりに「300m上り坂ダッシュ」を1本、75秒。もうちょっとやりたかったけど、ここはぐっとしんぼうして明日に。

 最後にまた1kmスロージョグをプラスして、今日の合計7.6km。
 明日はタイムトライアルしょうっと。

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2011年03月15日(火)

雲ヶ畑中学校卒業式 [学校]

◎京都新聞3月15日夕刊

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述べ卒業の言葉をる雲ケ畑中の卒業生 (15日午前10時50分、京都市北区・雲ケ畑小中学校)

 「京滋の中学校で卒業式」

 京都府内や滋賀県内の多くの中学校で15日、卒業式が行われた。今春から休校になる京都市北区の雲ケ畑中では、卒業生2人がともに学んできた小学生や保護者、地域の人に見守られ、学舎を巣立った。

 府内の公立中学校ではこの春、約2万200人が卒業する。式は11日から始まり、この日は京都市や向日市、長岡京市、福知山市、舞鶴市などの115校で行われた。県内では一部を除く93校で卒業式があった。

 少子化から休校する雲ケ畑中では、生徒は卒業する2人だけ。式には同じ校舎で過ごした雲ケ畑小の全校児童5人も出席した。

 坂本滋校長から卒業証書を受け取った高橋真美さんと波多野里菜さんは「(高校で)何十人のクラスで学ぶことに不安もあるが、雲ケ畑中で培ったことを心の支えに自分の足で生きていく」と力強く応えた。
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 ひゃー、新聞には惜しいところで真樹の姿が切れとったのに、京都新聞のホームページの写真ではすべり込みセーフで写ってるやん。右端ぎりぎりに。
 これは、明日、真樹にゆうたらんなん。喜びよんでー。

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 かわいいかわいい2人の後輩から「まきちゃん、まきちゃん」と慕ってもらって、真樹もまんざらでもなさそう。
 この雲ヶ畑中最後の卒業生となる2人といっしょに学んだ直近の先輩たちが、ほとんど来ていなかった。そのため、中3の1年間だけいっしょだった真樹が、まるで先輩代表かのような状態だったらしい。式が終わった後も、この3人でずっとおしゃべりをし続けていた。

 その姿を見ながらあらためて思った。いろいろとご迷惑をおかけしたが、中3の1年間は本当にいい学校にお世話になった。

 その中学校が、この3月で休校となる。また、併設されている小学校も1年後の来年3月末には休校になるそうだ。
 真樹は、小学校卒業とともに母校をなくし(別所小学校閉校)、昨年卒業した中学校もこれでなくなるということになる(雲ヶ畑中学校休校)。なんともやりきれない気持ち。
 すごく仲のよかった1年後輩の2人の卒業を見届けることが、自分なりの役目だと思って今日は出かけてきたのかもしれない。

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 学校に着いたのは、卒業式が始まる10時の7、8分前。
 もうみなさん講堂に入られていたようで、外はひっそりしていた。
 真樹は、「一人でよう入らんわー、どうしょー」と言っていたが、そこに地域の方がちょうど式に出席しようとしてやってこられた。真樹はそのご夫婦といっしょに講堂へ。私は初めから式には出席するつもりはなかったので、そのあたりを散歩でもしようかと思っていた。

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 雲ヶ畑中学校に併設されている雲ヶ畑小学校は、私の小学校教師としての最後の赴任地。私が32歳から35歳までの3年間お世話になった学校である。 

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 あれからちょうど20年。
 学校も地域の様子も、あのころとほとんど変ってはいない。

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 学校で変ったものといえば、校門横にある石碑くらいだろうか。「ハロー 畑の子」という歌の歌詞が書かれたものだった。

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 校門前の掲示板には学校だよりが。
 休校の後の学校がどう扱われていくのか、休校による地域への影響はどうなのかなど、不安は次々とわきあがってくるだろう。
 私や私の子どもたちの母校がなくなってしまった地域を見ても、その先は決して明るくはないことは確かだと思う。

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 校庭でボーとしていると、郵便配達員さんが。
 「あれっ、藤井さん、何でこちらに?」
 「いや、扇田さんこそ・・・。ここら、配達してはるんですか。」

 扇田さんは、「京都キャロット」の通販の荷物の出荷で利用しているゆうパックの集荷係さん。いつも夕方6時に来ていただいているのだが、午前中は雲ヶ畑や真弓などを配達で回っておられるそうだ。

 「実は、うちの娘、去年この中学校卒業しましてん。」
 「えっ! そうなんですか。」
 「中3の1年間だけなんですけど、ここにお世話になったんですわ。」
 「ということは、男の子と女の子が一人ずついた学年ですね。」
 「いやー、よう知ってはりますやん。そこに寄せてもうたんですわ。」
 
 お互いにひょんなところで顔を会わせたので、そこからけっこう長い立ち話になった。

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 11時をだいぶ過ぎて、式が終わり中の人たちがが出てこられた。
 その中になつかしい顔。私の最後の教え子・ちいちゃんのお父さん。
 「藤井先生、お久しぶりです。」
 「いや、こちらこそ。」
 「お父さん、もう退職されたんでしたっけ。」 
 「いえいえ、まだ1年あります。」
 「あっ、すんません。意外と若かったんや。」
 「はは」と、なつかしいかわいい笑顔。
 実は私はこのとき、ちいちゃんのお父さんの髪の毛がふさふさなのにショックを受けていた。20年前に見ていたあの柔らかそうだった髪の毛なら、きっとズボッといっているにちがいないと予想していたのに・・・。

 「ちいちゃん、元気にしてはりますよね。」
 「・・・、まあどうにかこうにか・・・。」
 
 少し間があってこたえられたのが少し気になった。
 そのあと、ちいちゃんにメール。

 「今、雲ヶ畑中学校の卒業式に来ています。さっき、ちいちゃんのお父さんとちょっとしゃべりました。お父さん、はげてへんね。予想がはずれた。」

 この私のお気楽なメールに対するちいちゃんからの返事は夕方に来た。その内容はもちろん非公開。
 私にとってはかなりショックな内容も含まれているメールだったが、ちいちゃんはしっかり生きている。私の「5km20分切りメモ」を楽しみに見てくれているらしい。いろいろと大変やのに、ありがとね。

 私はいつもいつもヨメさんから言われている。
 「何の苦労もせんとのうのうと生きてるのは、世の中でアンタだけ。みんなそれぞれ大変なことを背負ったり乗り越えたりして生きて行っているのに・・・。」
 ああ、ほんまにその通り。
 卒業式の話が変な方向に行ってしまったが、私の大事な大事な最後の教え子のことを思う一日にもなりました。

(注) 卒業式のことについては、明日に続きます。
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【何を今さら5km20分切りメモ】

 日曜から体が重く、月曜は完全休養。
 今日も雨がパラつているし、よっほど走るのはやめようかと思ったが・・・。ちいちゃんが「楽しみにしてる」って言うもんで・・・。

 夜7時より、最近では最短の3km。北稜高校の先の緑の農具小屋のあるところを往復。
 17分06秒。これでもけっこうしんどかった。

 まあ、今日はこれくらいでかんにんしたろ(???)。

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2011年01月08日(土)

学校が大好き [学校]

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昨日すねていたきく

◎毎日新聞1月8日朝刊 「新教育の森」欄より

 「不適切な授業 なぜ多発」に全国からお便り

 ◇先生取り巻く問題、指摘と提案の数々
 昨年11月に、このページで「不適切な授業」をしてしまう先生の実態と背景を取り上げ、ご意見を募集したところ、全国からお便りをいただいた。先生の資質や家庭教育の重要さ、多忙な教員の現状など、体験を交えて指摘された方もいた。一部を紹介する。【まとめ・澤圭一郎】

 ◇先生への敬意を家庭で教えなければ
 不適切な授業をしてしまう先生が、その理由を問われると「子供たちの関心を引きたかった」と説明するケースが多い。親しみを持たれたいと考える先生が、行き過ぎた指導や授業をしてしまうのかもしれない。しかし、「教師と生徒の立ち位置は違う」と指摘する投書もあった。

 大阪府高槻市の主婦、森佳奈子さん(41)は、幼稚園や小学校で読み聞かせをしている。その中で「おふざけが過ぎて羽目を外す子供もいますが、そういう時は大人として毅然(きぜん)とした態度で接します」という。「それで子供たちが私に対して距離を置くかというとまったく逆。一種の畏れを抱きつつも慕ってくれる。信頼を得ていると感じます。家庭で先生に対しての敬意を教えることが必要」という結論だ。

 ◇資質審査できないものか
 資質や経験を問題視する意見もあった。東京都品川区のピアノ奏者、本田成子さん(59)は、自身の子供がかかわった教員の問題を書き、「国が何らかの方法で、適性のような基準を設けたらどうか」と、教員の資質審査ができないものかと問いかける。

 愛知県豊田市の主婦(40)は「先生になる前に多様な子供とかかわるべきだ」とした上で、「人の話に注意を向けたり、聞き続けることが難しい子や席に座り続けることができない子、発達障害の症状がある子供たちを理解できずに、行き過ぎた発言や授業をしているケースもあるのでは」という見方だ。

 先生の多忙さや環境に遠因を求める意見も多かった。

 横浜市に住む国際救急法研究所理事長の宇田川規夫さん(64)は「戦後の教育行政は、教育にはなじまない目標管理体制がとられ、それが給与にも及ぶ仕組みになっている。報告書作りに追われ、管理だけを考える校長、安易に文句を言う親などとのあつれきが教員を襲い、学校がバラバラにされている」と書く。さらに「相談するゆとりもない中で、若い教員が試行錯誤することも許されず、孤立し、過労にさいなまれている実態」に原因があると見る。

 ◇書類作りに追われ孤立、過労にさいなまれている
 東京都杉並区の元教員の女性(79)も「子供に向き合う時間もないほど、形ばかりの会議が多く、誰のために書くのかわからない書類の多さ、追いまくられる学校にしてしまったのは教育行政のせいではないか」と憤る。

 ◇保護者も教師と共に育つつもりで
 大阪市の助産師、涌嶋嘉子さん(36)は、専門学校で教員をしていた経験から「教員は本当に多忙で、家に帰っても夜中まで授業の準備に追われていた」と振り返り、「小学校の先生は保護者の対応もある。保護者が学校に多くのことを求め過ぎている。しつけや道徳教育まで押しつけて、先生の目についたことに文句をつけるのでは、教師がつぶれてしまいます」という。報道されたケースは不適切だとした上で「保護者も教師を育て、共に育つつもりでつきあわないといけないと思います」という感想だ。

 ◇校長のリーダーシップで成果は上がる
 不適切な授業が公立校で多発する現状に対し、埼玉県所沢市の元日本教育大学院大教授、井口哲夫さん(57)は「教育公務員である公立教員は、サラリーマン化してしまいプロ教師としての研さんを放棄しているところに問題がある」と指摘。「公立校でも、校長が、教育理念を実現しようとする意志の強さを持ち、教員集団をまとめ上げるリーダーシップがあれば、目に見える成果が上がる」という。

 現役の先生からもメールをいただいた。埼玉県に住む高校の女性教諭(52)は、授業をバラエティー番組のように“面白く”することを難じつつ、「勉強が楽しくなる前には、単調な作業を我慢し集中力を身につけさせなくてはならない。それを乗り越えさせず、レベルの低い『おかしさ』だけで終わらせては生徒に申し訳ない」という。

 ◇背景まで踏み込んだ報道を
 また、報道にも注文がついた。茨城県つくば市の会社員、秋元靖史さん(47)は、埼玉県で起きた「セクハラサイコロ」を作った教員について「この教師は父母に非常に評判が良く、復帰を願う署名運動まで起きていると報じている新聞もある」とし、「いたずらにセンセーショナルな面のみ針小棒大に報じ、熱意ある教育現場の努力を無にすることは慎まないといけない」と、問題の事象だけでなく、教師の背景まで踏み込んだ報道が必要と指摘した。
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 「学校と私」欄より

 学校と私:先生に集会打ち切られ憤った=シンガー・ソングライター、中川ひろたかさん

 ◇絵本作家、シンガー・ソングライター、中川ひろたかさん

 はた目には楽しい学校生活だったと思うよ。クラスの人気者で、学級委員をみんなで決めるとたいていぼくが選ばれた。勉強もそこそこできた。

 でも大学中退まで、学校には何も期待していなかったし、先生にはどこか冷めていたと思う。良くされたと感じたのは小学1年の秋、給食の時間にうんこを漏らし、後始末をしてもらった時ぐらいかな。生意気かもしれないけど、少しも影響を受けたとは思わない。

 どうしてだろう。印象に残るのは中学の時、学校集会が先生たちに一方的に打ち切られたこと。確か「校則」についてだったかな。世は学生運動華やかなりしころ。意識の高い子もいて、議論は盛り上がった。でもぼくたちは、説明もなく学校から帰されてしまった。

 後で知ったのはその日放課後、学校でテレビ番組の収録があったということ。人気バンド「ザ・テンプターズ」のメンバーが卒業生だったことから撮影があったらしい。学校側は混乱を嫌ったんだろうね。ぼくは大人の一方的な圧力に小さく憤ったよ。まあ、先頭に立ってガンガン怒ったり、学生運動に目覚めたりしたわけじゃなく、実に中途半端だったけれど。

 そういえば小学校の時、担任の先生に何か質問をしたら、「勉強のしすぎで頭がおかしくなったんじゃない」と言われたこともあったね。

 学校で教わることがすべてじゃない。学校は子どもが友だちに会いに行くための場所。子どもは自分で面白いことを探せばいい−−。保育園に勤務したこともあるからか、そう思う。学校はその支援をすればいい。

 こう言うと怒られるかもしれないけど、いい先生の条件って、子どもに害をなさないことじゃないかな。大人にはしないような失礼なことは、子どもにもしない。それでいて「学校に毎日行きたい」と思わせられればいい。授業なんて、子どもの目の色が少しでも変われば御の字だよ。

 そうそう、この場を借りて言いたいことがあったんだ。学校の教室ってどうして、声や音が響きすぎるんだろう。仕事でおじゃますると、実に落ち着かない。みんな、情緒不安定にならないのかな。【聞き手・遠藤拓】

==============

 ■人物略歴

 ◇なかがわ・ひろたか
 1954年埼玉県生まれ。87年にバンドデビュー。代表作は「世界中のこどもたちが」。95年からは絵本も手がける。「D1だじゃれグランプリ」「A1あそびうたグランプリ」主宰。

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「帰らん!」と言い張るので一時置き去りに・・・

 今日は、私の「勘ちがい」シリーズということで・・・。(うん? そんなシリーズあったっけ?)

 「何? 55のオッサンが『学校大好き』って・・・。どうゆうこと?」
 そう思われるのも無理もない。
 23歳から12年間小学校教師をしていたとは言え、退職してから早20年。その年に生まれた長男はもうすぐ成人。

 私が学校が大好きな理由の一番は、やっぱり給食。だから、学校と言えばそれはイコール小学校になってしまう。
 私の小学生の時、給食はすぐ近所の「おハナさん」が作ってくださっていた。料理の腕は超一流。でも私は、ネギとタマネギとニンジンが嫌いだった。今もニンジンは苦手なまま。ごはんも全部は食べられなくて、いつも富雄ちゃん(同級生)に食べてもらっていた。
 そんな私でしたが、給食はやっぱり大好きだった。

 理由の二番は、そりゃ夏休みでしょう。今も「夏休み」という言葉を聞いただけで心が熱くなる。
 何で大人には夏休みがないんかなあ。いっそ、7月中旬から8月中旬まで日本中休みにしたらどやねん。

 そして最後に、学校にはおもしろいことがいっぱいつまっていた。いやなこともちょっとはあったけど、そんなもんみんな忘れた。おもしろかったことは今も覚えている。
 いっちゃん覚えてるんは、授業中に前に出て一発芸をしてみんなを笑わせてすっと席に戻ったことかな。あれはそうとうやりかましたな。小4の時。担任の先生困っとったなあ。

 学校大好き少年の念願かなって小学校教師になってはみたものの、どうしたらええか分からんことばっかり。そんな時の決まり文句は、「班で相談しなさい」。もちろんほったらかしではなく、ちゃんと話し合いは見守ってはいたけれど・・・。
 確かに経験の少ない若年教師一人の考えより、6人の少学生の話し合いのほうが明らかに上。これでなんぼ助けてもうたか分からん。

 学級崩壊が話題になっているけれど、私はそれ以前の「人間崩壊」。先生が人間崩壊していたら、クラスはまとまるぞー。
 小学生であってもしっかりとした考えを持った子が何人もいて、先生に頼れないと判断すると自分たちの力を最大限に発揮しようとする。みんな学校に楽しみに来ているのに、それをジャマすることだけはしたらアカン。それだけはいつも胆に命じていた。
 6人の班のメンバーは抽選で決めていたので崩壊する班が出てくるかもと思ったが、奇蹟的にそれもなかった。運がよかっただけなんかなあ。
 自分一人がよかったらいいという考えの子がいなかったのが、今思ったら不思議でたまらん。なんで、みんないっしょにと思ってたんやろう。前の担任がよっぽどよかったんかな。

 教師を辞めて20年になるのに、今も学校や教育についての新聞記事は気になる。今日の毎日新聞の「新教育の森」はおもしろかった。教育に関しても人の考えは様々。一番大事なのは、様々な意見があるというところからスタートすること。そこからアウフヘーベン(止揚)すること。(へへへー、哲学用語つこたったー。)

 「学校と私」の中川ひろたかさんの記事の後半部分にびっくり。常々私が思っていたこととあまりにも似ていて・・・。

 「学校で教わることがすべてじゃない。学校は子どもが友だちに会いに行くための場所。子どもは自分で面白いことを探せばいい−−。」

 「こう言うと怒られるかもしれないけど、いい先生の条件って、子どもに害をなさないことじゃないかな。大人にはしないような失礼なことは、子どもにもしない。それでいて「学校に毎日行きたい」と思わせられればいい。授業なんて、子どもの目の色が少しでも変われば御の字だよ。」

 ほんまにそう思います。

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夜にはきげんはなおっていた

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