2025年05月29日(木)
同い年が亡くなるとこたえる [雑感]
古くからの走友のTさんが亡くなられた。
特別仲が良かったわけではないが、私と同い年だったのでそれなりに意識していた。それに、ある人から言われて思い出したのだが、Tさんも私も先生だった(Tさんは中学校、私は小学校)。Tさんは定年まで勤めあげられたが、私は35歳で退職。もう34年も前のことでした。
教師としての交流は全くなかったが、ランナーとしてはずっとのお付き合い。若い時は京都ランナーズで、中年以降は京都走ろう会でよく一緒に走った。
京都走ろう会例会のときには、北出さん、私、Tさんの同い年3人でよくしゃべっていた。同い年というだけで、なにか不思議な安心感があった。
私が同い年のランナーを意識していたように、Tさんも私のことを気にかけてくださっていたように思う。
誰に対しても冷たい態度しか取れない私だが、さすがに同い年(それもランナー)が亡くなるとこたえる。
足の具合がちょっとましになってきて、「さあがんばろう」と思っていたやさきに心がくじけそうになっている。
私の同い年のランナー、北出吉弘さん、村松達也さん、久保井洋次さん、門祐輔さん、官浪伸次さん、矢瀧玲子さん、太田君子さん・・・(ほかにもたくさんおられるのだが、今思い出せない)。
お笑いの「バッテリーズ」のエースの言葉、「もう誰も死なんといて―」。
いや、「私より先には死なんといて―」かな。
今日も大学の警備員のバイト。
今日は一日中、Tさんのことを考えてていたように思う。
私は誰かのために何かをできるような人間ではないが、今日一日重い心でTさんのことを思い出していたことが「故人をしのぶ」ということだったんでしょうね。
大学の前に咲いているかわいい花。ちゃんと札があって「シモツケ」と書いてあった。
シモツケの花言葉は「努力」。それは、私にはひとかけらもなかったもので、たぶんこの先もない。
でも、なにか同い年ランナーに喜んでもらえることはないか考えてみよう。
みなさん、どうか私より長生きしてくださいね。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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