2010年08月30日(月)
臓器移植とあんもちゃん [雑感]
※今日は、カテゴリー「屁理屈のサーカス」の部類に入る記事です。(そんなカテゴリーありませんが・・・。)マジメな方は気がおかしくなる可能性がありますので、読まないでください。
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今日、いつものように京都キャロット通販事務所の2階にあんものえさやりに行った。ちょっと前まで、階段の下まで降りてきて「はよくれーニャー」と鳴いていたのに。このごろ弱っているのか夏バテしているのか、私が上に上がるまで動かない。
今日はビビッた。私が完全に上ってしまっても、あんもは動かない。「まさか!」
その一瞬の後、あんもの体かピクッと動いた。そして、やにわに立ち上がった。「あー、よかった。」
あんもはもう21歳。いつお迎えが来てもおかしくない。でも、できることならもっともっと長生きしてほしい。
昨日、神鍋マラソンからの帰り道の夫婦の会話。
「ついに、本人の意思表示がなくても臓器移植できるようになったな」とヨメさん。
「そやな。これで、日本も臓器売買の道が開けてきたんかな」と私。
「それはないやろ。それにしても脳死の人って多いんやな。」
「というより、ほとんどが脳死で即死の人が少ないんとちゃう。」
「そうか。そう思うと恐ろしいなあ。まあ、アンタが死んだら臓器どころか何もかも使ってもらうし・・・。」
「うーん。前までな、タダで臓器提供なんて絶対いややと思ってたんや。そやけどな、もし臓器提供した人に自分の遺書読んでもらえるんやったら、提供してもええかなと思うようになった。『ありがたいと思うんやったら、野良犬や野良猫を助ける運動をしてはるとこに寄付してください』てな。
どこの誰かわからん人の命を助けたいとは全然思わんけど、どこの誰かわからん犬や猫の命は助けたいわ。」
「ほんまやほんまや。でも、お金をもらうことは禁止されてるはずやし、それはでけへんのんちゃう。」
「まあ厳密にはそうやろけど、その人の良心に訴えるちゅうのはええんちゃうん。」
「それができるんやったら、私も臓器提供する。」
さあ、これでうちの夫婦の臓器提供に関する意思表示はできた。
「野良犬野良猫を救う目的に合致する場合のみ、臓器提供に合意。」
実は、こわくてこわくて臓器提供に関する新聞記事が読めていない。たぶんヨメさんもそうだと思う。そんな無知識夫婦が出した結論がこれ。
あんもちゃんを見ていると、21年前にヨメさんが拾ってきたころを思い出す。猫の21歳は人間でいうと100歳くらいのはずだが、今もあのころと同じかわいらしさ。
ヨメさんは、もし地獄に落ちたとしても、「あんもの糸(?)」に救われるやろう。私は確実地獄落ちだが、今のとこ誰にも救ってもらえるあてはない。それなら犬猫のために誰かに臓器提供して、その人の寄付で救われた犬猫のうちの誰かに救ってもらおうっと・・・。甘いかな?
※あんもの写真ばっかりやったら、きくがひがむし。1枚だけ、琉球ミニシェパード・きくの写真を。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 10 )
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コメント
みきさん、ゼファー750さん、コメントありがとうございます。
さっき広島の「聖湖マラソン」から帰ったばかりです。また今回も事故渋滞で、山口島根との県境の北広島町からタダでも500km近くの運転が、時間にして1.3倍くらいになってしまいました。もう、クタクタです。だから2人まとめてのお返事でかんにんしてね。
毒嫁ますみさんはそれなりに私のことを心配してくれていたのか、今日の帰り道、「こうじさんのブログに、みきさんとゼファー750さんからコメント入ってんでー」と教えてくれました。それは、ケイタイで分かるらしいです。
そのあとの私の頭に浮かんだこと。
みきさんは、「もう今後一切関係なしにしてください」かな。
ゼファー750さんは、「一度会っただけで『友人』づらしないでください」かな。
などなど、ビビリンチョ弱もんオッサンが考えるのはそんなことばかりです。でも、家に帰ってきて読ませてもらったら、その反対のような内容で、「ホッ」。
みきさんとは、最初にみきさんのほうから話しかけてくださるという貴重な出会いであるのに、このあと顔を会わせにくくなるともったいない。(私のモットーは、「粘り強い対話」です。だから、あまり恐縮しないでください。)
ゼファー750さんとは、「神奈川反核平和マラソン」での街角への心からの呼びかけに敬服していただけなのに、自分勝手に「友人」づらはまずかったかなあとか。
私は小さいときからよく「いちびり」とか「ちょか」と言われていました。(関東のゼファー750さんには何のことかさっぱり分からないでしょうね。) 人に絶対ほめてもらえると思ってウキウキでやったことが結果的に大失敗。こっぴどく叱られたことが何度あったか知れません。その時のショックたら・・・。
今回も、またその悪いくせが出てしまったかなとも思ったり・・・。でも、小さいときからそうであったように、なんか知らん、いつの間にかまたニヤニヤしている。それがむかつく人にはまたむかついて・・・。まあ、そういう人間なんです。
でも、今回の私のちょかで不愉快になられた方もあれば、これを機に臓器移植に関心を持たれた方もあったかもしれない。アクセス数4000の中には、いろいろな方がおられるでしょう。だから、おもしろいんですよね。
まず私は、ここに貼り付けたくてたまらないとおっしゃっているゼファー750さんのブログ「田舎に暮らしたい!」の「薬害・医療」の記事を全部読むことから始めます。ただし、むずかしい言葉がいっぱい入っていて、読むのが大変。そんなときは、こう思いましょう。
「私は元々かしこいのに、こんなことしてたらますますかしこくなってしまう!」
またまた反感をかうような言葉! (わざとです、へへへ・・・。)
みきさん、ゼファー750さん、ぜひまたコメントをお願いします。私のこのブログは、アクセス数の多さに比べコメントが極端に少ないんです。なんででしょう?
じつは書きたい事がいっぱいあります。
自分のブログの「薬害・医療」の書庫の全ての
記載をコピペしてこのコメント欄に貼ってしまいたい気持ちもあります。
(それってただの嫌がらせ)
そのね・・・
臓器移植ってそんなに素晴らしいことなのかな?
人類が「出来る」って言う事と
それをやることで人間が幸せになるかって言う事は
別問題なのではないかなあ?
例えば原子力発電所のように・・・。
病気って必ず治療しなければいけないのだろうか??
病気と一緒に生きて行ったっていいのではないか?
癌は必ず治療しないといけないのかな?
何もしないのと比較して平均して3ヶ月予後が延びる
事が一番確からしい辛い治療を、通算6ヶ月間
無菌室に閉じ込められて病気と戦うのは幸せなの??
臓器移植は必ず成功するの???????
「医者に『お子さんはもう臓器移植以外に助かる方法はありません』と言われて」こういうことを言う
おばかがいる事も確かだがこの発言は科学的には
正しいの??
ダブルブラインドの2重盲検試験でもあるの????
あったら知りたいもんだ。
全ての臓器移植が同列に論じられるものでもありません。
全ての病気を徹底的に治療するってのは
(医学としては、研究者としては面白いんだろうけど)
人間的なんだろうか?
それってヒトラーの優勢思想に近いきな臭さを感じる。
段々エスカレーとしていって、遺伝子診断になって、
胎児のうちにダウン症やキンジスの子は排除して、
世の中に障碍者はほとんど見なくなって・・・
いま、今を生きているダウンやキンジスの子は
肩身が狭くなって・・
私たちは生きていてはいけないのかってなって・・・。
臓器移植って言う医学・研究は良いことだろう。
だからそれに賛同するなら自分の体を差し出したら良い。
人類の未来にあたしは貢献するんだって信じて。
臓器移植って治療はどうだろう??
良いことばかりではない。
失敗する事も多い。
うまく行ってもその後の医療の継続が・・・
免疫抑制剤を飲み続け、癌にかかりやすく
〈人工的にエイズにしてるようなものだから)
感染症に弱く・・・。
うまく行っている人のことばかりばら色に報道されて
失敗した人のことは報道されない。
それってパブリックバイアスって言うんだけど・・。
中にはわざわざ移植手術を受けてほぼ成功だったにも
かかわらず自殺されてしまった方も知っている。
もう一度
ヒポクラテスの誓いをよく読んでみたら・・・
きっと違う道もあることがわかる。
今の医学ってそんなに素晴らしいことばかりではない。
いいぞいいぞって言われている事ほど
金にまみれて、経済誘導されて、大資本の
儲け主義にさらされている事の方が多い。
特にクスリから医学を眺めているとそう思う。
やはり自分のブログに書き溜めてきた事を
ここに全部写してしまいたい衝動に駆られた。
しつこい書き込みすみません。
改めて、お詫びいたします。
私のコメントの中の数々の不適切な表現で、パオパオさんとご家族にご迷惑をおかけし、大変申し訳なく思っています。
パオパオさんの返信コメントを読んで、お互いの意図するところと受け取り方とに大きなずれがあることがわかりました。
私が書いたものについても「そこはそういう意味で書いたのではありません」と釈明したい所は多々ありますが、言い訳がましいのでそれはもうやめておきます。
誤解を招いたところも私の表現が不適切だからで、私が悪いと思います。
私の文章表現が下手なのは認めます。
これだけお伝えしておきます。
パオパオさんに「死んでくれ」なんて夢にも思ってません。
「・・・せないかんのか?」などの上から目線の言い回しも含め、不特定の誰かに対する意見のつもりでした。
これらをパオパオさんがご自分に対する言葉と受け取られたのなら、お怒りになるのは当然です。
これらも私の表現の仕方が悪かったせいです。
重ね重ね申し訳ありません。
パオパオさんのこの記事の内容の真意を少し理解できた(?)上で改めて読み直すと、記事中のご夫婦の会話の内容はなかなかユーモラスで良いと思います。
私の感想をひと言で表現するなら、息子さんのご感想と同様、
「同意はできないけれど、お気持ちはわかります」
となります。
あまりしつこく書き込みするとまるでストーカーのようなので、この辺にしておきます。
本当にこの度は申し訳ありませんでした。
深く深くお詫びいたします。
ほらね、みきさん。
長い長いコメントを入れるような人を、世間では「マジメな人」と言うんじゃないでしょうか。
お互いの思いちがいが多々あったようで・・・。
「どういう立場で・・・」の部分は、私とみきさんの関係について言ったものです。このブログを初めて見られた方は、「いったいだれなんやろう、医療関係者?『心配している』と書いてあるし身内?」とか思われた方もあると思います。答えは、「走友」でいいですよね。「何で走友がこんな長い長いコメントとを?」と思われる方にはどう答えたらいいんでしょうね。
「頭ごなしに・・・」の部分は、私の文章をそのまま引用された後に、「そんなこと言う人がいたら、私なら 『あんたの臓器なんか要らんから死んでくれ!』 と言います。」と書かれているところがショックだったからです。
うちのヨメさんは、これでもかというくらいに私のことをぼろくそに言いますが、今のところ「死んでくれ」とだけは言いません。自分にとって0点の夫であっても、子どもらにとっては、まだこの先いつか必要なときがあるかもと思っているからかもしれません。
私に置き換えて考えてみると、88歳の父が私と同じような文章を書いたとして、それに対して「死んでくれ!」と言われたら、私は泣きます。(うちの子らはこの部分をどう思うやろう。)
その後に続く「一緒か!?」「せないかんのか!?」という表現は、私には怒りの表現のように感じられます。もしそれがあなたの意図に反するのなら、ご自分の真意が伝わりやすい表現にされたほうがいいように思うのですが・・・。(もちろん、私もひとにえらそうなことは言えません。文章表現はヘタです。)
ついでなんでもう一つだけ。
「意見を言う鉾先を間違ってますね。」という部分。「鉾先」というのは、意図的に特定のものを攻撃する時に使う言葉でしょう。私も本当に知らず知らずのうちに多くの人を傷つけることはあるかもしれませんが、今回は、「こんなことができたらいいのになあ」という私個人の希望を書いただけです。できれば臓器提供する相手に自分ことをちょっとは知ってもらいたいし、逆に私が誰かから臓器提供をしてもらう場合はその人のことを知りたいと思います。それは、今の日本では許されていないんですよね。
人それぞれ臓器提供の壁があると思いますが、私がその壁を越えられるとしたら前に書いたようなことになります。条件つき臓器提供は、今後もタブーとして議論の対象にもならないのでしょうか。それが不謹慎と言われれば、もうそれでおしまいですが。
私はむちゃくちゃ変な意見であっても口に出して言ってみたいし、ほかの人からも言ってもらうほうがありがたいと思うタイプです。そんな人間は、普通は相手にもしてもらえへんのかな。
私もみきさんも無関係な第三者のご意見が聞けると一番いいと思うんですが・・・。(誰かコメント入れてくれんかなあ。)
先コメに、「この記事へのコメントはこれで終わりにしておきます」と書きましたが、ちょっと書き忘れたことがあるので再コメさせていただきました。
最初の私のコメントで、パオパオさんだけでなく奥様にまで不愉快にさせてしまったこと、大変申し訳なく、深くお詫びします。
先コメに、「私はブログなどで自分の考えを発信するとき気を付けていること→世の中にはいろいろな考え方があり・・・自分の考えが絶対正しいという妄想に陥ってはいけない」と書きましたが、もうひとつ気を付けていることがあります。
それは「自分の言動で他人に不快感を与えたり傷付けたりしないように」ということ。
日本は言論の自由が保障されている国。自由に自分の考えを発すれば良いと思いますが、言葉が暴力になってしまっては絶対にいけませんね。
私は、このブログの記事を読んだ人の中に臓器移植を必要としている人や移植を受けた人、またその家族などがおられた場合、読んで心を傷付けられている人もいるのではないか? と心配して最初のコメントを書きました。そのコメントの末尾部分にそう書いています。
でも、余計なお世話でしたね。
そのコメントがパオパオさんや奥様を傷付けたとしたらこれはもう本末転倒ですね。
ここからは私の個人的な意見。
ゼファーさんのブログも読みました。
臓器移植の問題はとても複雑ですね。
もっと倫理上の議論を徹底的にやるべきなのに、それより医療技術のほうが先に進んでしまっていることが恐ろしいと思います。
こういった問題については専門家任せにせず、一般市民も素人なりにどんどん意見を発していったほうがいいと思います。
でもそれは、法をつくる国、医療関係者、臓器提供の仲介をする団体などに対して発するべきではないかな。
問題なのは臓器移植のあり方、システム、方法であって、移植を受ける患者本人やその家族には責任はないしその人たちに対してなんだかんだ言うのはおかしい。
そういうことが、私が最初のコメントで一番言いたかったことなのです。
医療技術が発達して、脳死の問題が発生し、臓器移植で助かる命と犠牲になる命がある。
考えれば考えるほど恐ろしくて、私自身はなかなか自分の意見を安易に述べる勇気がありません。
臓器移植などしなくても治療できる医療技術が確立すればいいなあ・・とだけは言えるかな・・・
昨日もたまたまワンコ散歩仲間と、動物実験のことが話題になりました。
私たちが日常使っている医薬品や化粧品、石鹸やシャンプーなどの日用品。これらの製造過程で様々な動物実験が行われ、多くの犬やうさぎなどが犠牲になっているそうです。
恐ろしいです。
たしかに「マジメな人は読まないでください」と書いてありますが・・・
私は自分ではそんなに”マジメ人間”とは思っていないので読ませていただきました。
パオパオさんの返信コメントを読んで大変残念に思いました。
私はこの記事を何度も読み返した上で、コメントもよくよく考えて書いたつもりですが、
「どういう立場から怒られているのか・・・」とか、
「頭ごなしに押さえつけても・・・」とか、
そういうふうに受け取られてしまってたのかあ、とびっくりしました。
大きな誤解です。
言葉のやりとりって難しいですね。
私は別に怒っていないし、押さえつけたつもりは全くなかったのですが・・・
私は自分もブログを書いていることもあり、自分の勝手な考えを好きなように発信していますが、いつもこれだけは気を付けていることがあります。
それは、「世の中にはいろいろな考え方があり、どれが正しいとか、間違っているとかいう絶対的な基準はない。だから自分の考えが絶対正しいという妄想に陥ってはいけない」
ということです。
私は人との会話の中でも、自分と違う考え方の人がいても、「ふ〜ん、私の考えは違うけど、そういう考え方もあるのか〜」と、いつも聞いています。
頭ごなしに押さえつけたことなど一度もありません。
私の前回のコメントには
「もしも私の息子が重病になって、医者に『お子さんはもう臓器移植以外に助かる方法はありません』と言われて、たまたまこのブログを読んだら・・・
と想定して・・・・・」
と書いています。
そういう立場の人がこのブログを読む可能性もあると思ったからです。
もちろん「想定」なので、そういう人の本当の気持ちは計り知れません。私のような者がそんな「想定」をしたことが間違いだったのかもしれませんが。
いずれにしても、前回のコメントでは、私の伝えたいことがパオパオさんには全く伝わらず、とんでもない誤解を招いてしまったようで、残念としか言いようがありません。
私のコメントの内容が言葉足らずだったのだとすれば、お詫びします。
まだ色々伝えたいことはたくさんあるのですが、たぶんまた誤解が誤解を招いて言葉だけが独り歩きしていってしまいそうな予感がするので、この記事への私のコメントはこれで終わりにしておきます。
みきさん、お久しぶりです。
「マジメな人は読まないでください」と注意書きしておいたのに・・・、あーあ。
ただし、今回は、私に似合わずマジメに書いた記事です。正直に言いますが、私の記事にどういう立場から怒られているのか理解できていません。
細かな部分を深追いするのはやめておいて・・・。
私は、どのような運動も「内輪だけで盛り上がっていてはダメ」だと思っています。枝葉末節にこだわり、自分たちの考えと相容れないと判断しどんどん他を排除していく。どんなにいい理念を持っていても、そんな団体の運動は広がっていかないと思います。
(私の場合も含め)、悪意からではなく無知から出た発言については頭ごなしに押さえつけても意味がないのでは。そこからは何の広がりも生まれてはこないでしょう。
私の口癖は、「そう思う人もあるやろうし、思わへん人もあるやろうな」です。みきさんと同じ意見の方もたくさんおられるでしょうけど、そうでない方も少しはおられるかもしれない・・・とは思われませんか。
「あんたの臓器なんか要らんから死んでくれ!」という方がほとんどかもしれないけど、「犬や猫を救いたいと思いながら、結局何もできずに死んだ人の臓器やけどもらおっと」という方もおられるかもしれません。
「動いている心臓を脳死の体から取り出す」というのがこわくてこわくて考えたくもなかったのですが、それが犬猫の役に立つなら・・・。私の場合はそういうふうにしか考えられません。
みきさんにはどうしても理解していただけないようですが、私のブログを読んだ息子は、「その内容に同意はできないが、パオパオがそう書く気持ちは分かる」ということです。
あっ、それから、ヨメさんにはきつくきつく「私のことを書くな」と言われていたのを忘れていました。「アンタのブログのおかげで、私まで変なふうに思われたらかなわん」と言われました。私は自他ともに認める「ヘンタイ」ですが、ヨメさんはまったく無関係です。そこらは、ご理解ください。
実は、この記事を書こうと思ったきっかけは、日ごろことごとく反発するヨメさんが、私の言葉に「ほんまやほんまや」と言ってくれたからです。まあ、こんなこと何年ぶりでしょう。
うれしくて思わず書いた記事が、自分ではほのぼの系かなと思っていたら、知らぬところで人を怒らせていたとは・・・。ブログはむずかしいですね。でも、私はこれからもあまりむずかしく考えず、このブログを続けていこうと思っています。1日4000人ほどの人が読んでくださっているのですから。それなりに支持してもらえているのでは、と思っています。
ここで話はがらっと変わり・・・。
私たち夫婦に子どもができたのは結婚してから6年目。なぜだと思います。それは、結婚当初は障害を持って生まれた子を育てる自信がなかったからです。そういう立場のお父さんが、その子から離れて行ってしまう例もたくさん見てきました。私自身も「絶対だいじょうぶ」とは、よう言いませんでした。
結婚して5年、やっと夫婦二人とも「絶対だいじょうぶ」と思えるようになって、次の年に生まれたのが廉です。
今から思えばあのころは、私のゆうことに、よう「ほんまやほんまや」と言ってもらってたなあ。これから先、ヨメさんに「ほんまやほんまや」と言ってもらえることってあるかなあ・・・。
(このコメント自体が、またヨメさんにしかられるかも・・・。)
※私の友人で医療関係者でもあるゼファー750さんのブログ「田舎に暮らしたい!」(2008/4/18)は、もう読んでいただけましたでしょうか。まだでしたら、ぜひ読んでください。
「マジメな方は読まないでください」
と書いてあったので読ませていただきました。
私も臓器移植については自分自身が関わった経験もないし、「本人の意思表示のない臓器提供」の新聞記事もざっとしか読んでいなくて詳しいことはわかりません。
しかしこのブログ記事を読んで
んんんん????? と引っ掛かりました。
全国には臓器移植を必要としている患者さんたちがたくさんいて、家族の方などが「臓器移植」というキーワードでネット検索したらこのブログにヒットし読まれる可能性は十分あります。
そこで私は、「もしも私の息子が重病になって、医者に『お子さんはもう臓器移植以外に助かる方法はありません』と言われて、たまたまこのブログを読んだら・・・
と想定してもう一度読み返してみました。
当然、1%でも息子が助かる望みがあるのなら、どんな方法でも助けたいと思うのが親の心情でしょう。
しかし、適合する臓器提供者が簡単に見つかるはずはないし、運良く見つかったとしても手術するためには莫大な費用がかかるでしょう。
とても家族の力だけでは無理。必要なサポートを得るために、どれだけの人たちに頭を下げなければならないでしょうか。
大事な息子の命がかかっているのに、
「自分の遺書を読んでもらえるなら臓器提供してもええ」とか、
「ありがたいと思うんやったら、野良犬や野良猫を助ける運動をしてはるとこに寄付してください」とか、
そんなこと言う人がいたら、私なら
「あんたの臓器なんか要らんから死んでくれ!」
と言います。
私の息子の命の重さは野良犬や野良猫と一緒か!?
息子の命を救うために莫大な犠牲を払った上に、なんで野良犬や野良猫のために寄付せないかんのか!?
野良犬や野良猫を助けたいのなら、子供を誘拐して臓器売買してる人間から懲罰金をとってそれを犬猫救済金として使えばいい。
臓器移植の法律にはいろいろ問題があるでしょうけど、移植を受ける人には全く何の非もなく、いろいろ意見を言われる筋合いはないと思います。
いくら屁理屈のサーカスとはいえ、意見を言う鉾先を間違ってますね。
ご夫婦でどんな会話をされようと自由だと思いますが、不特定多数の人が読むブログにこのような事を書かれると、命がけで難病と闘っている人たちの心情を深く傷つけることになるのでは・・・と私は心配です。
ゼファー750さん、いつも読んでくださってありがとうございます。(「マジメな方は読まないで」と注意書きしておいたのに・・・。)
ブログ「田舎に暮らしたい!」の「臓器提供のための同意−倫理的義務の葛藤(2008/4/18)}の記事、読ませていただきました。
医療の世界は、一般人からは見えないとことがいっぱいあって複雑ですね。前から思っていたんですけど、臓器移植の手術1回分の経費で、今医療が受けられない子どもたち何人が救えるだろうか。「命の重さは同じ」というキャンペーンはむなしいですね。
私が「自分の臓器提供は絶対いや」と思ったのは、だいぶ前に京都映画サークルで見た映画で、臓器売買のために子どもが誘拐されている現実を知ったからです。
その映画は、話題になった「闇の子どもたち」ではありません。10年以上前の外国映画です。映画の最後に、実際にその子どもたちを守る運動をされている女性が出でこられ、私たち観客に向かって訴えておられました。
子どもが背後から黒いゴミ袋をかぶせられ連れ去られるシーンは衝撃でした。今も忘れられません。そんな現実もみなさんに知ってもらいたいですね。
http://blogs.yahoo.co.jp/yatuasagitarou/36750040.html
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