パオパオだより

2023年11月28日(火)

武豊と福永祐一 [競馬]

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ともに日本競馬を引っ張ってきた福永との思い出を振り返った武豊

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特別だった武豊の背中を追いかけ続けた福永

◎UMATOKU 2023年2月21日

 武豊騎手から福永祐一騎手へ「ジョッキーとしてこれだけの実績と経験があるわけだから、今までにないような調教師になるかもしれない」


 今週末のサウジアラビアでの騎乗で27年間の現役生活にピリオドを打つ福永祐一騎手(46)=栗東・フリー=への惜別メッセージ「餞〜HANAMUKE〜」を、今日から3回にわたって掲載する。第1回は武豊騎手(53)=栗東・フリー=。日本競馬のレジェンドは数々の名勝負を演じ、ともに日本競馬を引っ張ってきた福永に対し、愛情あふれる言葉を並べた。

 戦友であり盟友。しかし、中身は真逆。「ジョッキーにもしタイプがあるとしたら、俺とは全然タイプが違うと思う。理論派と感覚派」。武豊にとって、ともに日本競馬をけん引してきた福永は、自らの対極にいる存在だ。

 現在はトップジョッキーに上り詰めた福永だが、かつては思い悩む姿も見せていた。「感覚みたいなところで俺にはもう勝てないと思って、違う自分に合ったところを伸ばしにかかったのが30歳ぐらいかな。そっからグンと行ったような気がする」。その言葉通り、福永は34歳の10年から22年まで、13年連続で年間100勝を達成。飛躍の裏に、武豊と対照的な“理論”の追究があった。

 持ち前のクレバーさを生かし、いずれ調教師の道に進むことは予想していた。ジョッキールームで教材を広げる姿も見てきた。実際に受験すると知ったのは昨年の夏頃。本人から直接、報告を受けた。「来年ぐらいかなと思っていたから、今年?って。年間100勝してる人が転身するってないからね」。想定外の引き際だった。

 多くの名勝負を演じ、JRAでのG1ではワンツーフィニッシュが6度。すぐに思い浮かべたのが、キズナで勝った13年日本ダービーだ。残り50メートルでエピファネイアと福永が抜け出した瞬間に外からとらえ、悲願のダービー初制覇を阻止。「あの後にダービーを3勝。エピファネイアがあってだと思うので、俺のおかげ」とおどけた。

 しばらく悩んだ後、もう二つ特別なレースを挙げた。05年にエアメサイアと挑んだオークス、秋華賞だ。オークスはこれ以上なくスムーズに運んだが、福永のシーザリオが大外から強襲。「俺は完璧に乗ったんだけど、いやそれでも負けるかって感じだった」。武豊に火が付いた。秋華賞は、早めに先頭に立った福永とラインクラフトをゴール前で豪快に差し切った。「逆転したのはめちゃくちゃうれしかったね」。実家が近所で、お年玉をあげる相手だった祐一少年は、自身を追って騎手になり、いつしか真剣勝負の相手に変わっていた。

 すでに国内騎乗は終了。小倉、東京で最終騎乗セレモニーを済ませ、帰国後も引退式(4日、阪神)が控える福永に、「はよ辞めろ(笑い)。AKBか! さよならコンサートみたいな、何回すんねん」とジョークを飛ばした。「ジョッキーとしてこれだけの実績と経験があるわけだから、今までにないような調教師になるかもしれない」。しんみりするつもりはない。ユタカらしい愛情たっぷりに、門出を祝う。(水納 愛美)

 【福永から武豊へ「自分がこの道に入ったきっかけ」】

 福永にとって、第一線を走り続ける武豊は常に特別な存在だった。

 「競馬を一般的なものにしてくれた最大の功労者。自分がこの道に入ったきっかけでもある」

 若手時代は多くの時間を一緒に過ごした。だが、憧れの存在を脅かすほどの成績は残せないまま。伸び悩みを感じていた30代前半に、プロ野球・ソフトバンク前監督で通算224勝左腕の工藤公康氏にこう声をかけられた。「かわいがられているうちは超えられない」。その言葉は心に響いた。

 「一番になりたくて飛び込んだ世界。それ以来、ユタカさんとは意識的に距離をとるようになった。自分の道は自分の足で歩いて行かないといけない、と。それからいろいろ取り組んで(11、13年に全国)リーディングを取れたりした」

 JRA歴代4位の2636勝。誰もが認める成功を収めても、第一人者の背中は遠いままだった。

 「自分も期待してもらったけど、あの域には至らなかった。華があって、業界全体を押し上げられるようなジョッキーを出していかないと」

 かなえられなかった分だけ、思いは強い。調教師として、これからは“第二の武豊”の育成にも注力していく。(吉村 達)

 ◆武 豊(たけ・ゆたか)1969年3月15日、京都府生まれ。53歳。87年3月にデビュー。07年7月に岡部幸雄の記録を超える歴代最多2944勝を挙げ、18年9月に史上初の4000勝を達成。通算4406勝で、重賞はG1・79勝を含む351勝(20日現在)。父は騎手で調教師だった邦彦さん(16年8月死去)。元騎手の幸四郎調教師は弟。
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 2023年の重大ニュースの上位に「福永祐一騎手引退」が入る。
 競馬を見るのが大好きで、2年前からちょっとだけ馬券も買っている。

 私もますみさんもなぜか福永祐一騎手のファンで、「迷ったときの福永」はうちの夫婦の合言葉。
 ただし、福永祐一騎手についてくわしいわけではない。お父さんが天才騎手・福永洋一で、祐一が幼い時に落馬事故で半身不随になったこと。奥さんが、元フジテレビの松尾翠さんであることくらいしか知らない。

 父・洋一はだれもが認める天才、しかし息子・祐一は天才ではなかった。ものすごい努力をして、ここまで上りつめた。
 そしてインタビューなどを聞いていると、いつも謙虚で誠実。そこにひかれるんでしょうね。

 一方の武豊。
 武豊も天才にまちがいない。でも、うちでは評価が高くない。
 なんかいい加減さを醸し出しているところが信用ならん感じで。
 ある番組の中で、「なんでこんな馬を買うかなあと思ったことも何度もあります」と言ったときにはずっこけた。それは「武豊がのっているしやろー」。
 私もついつい武豊騎乗の馬を買いがちだが、騎手別回収率はなんと20%台。平均回収率70%を誇る私としては、武豊騎手は最低ランクです。

 おとといのジャパンカップの放送に、福永調教師がゲストとして来ていた。
 シャンプーハットのこいちゃんが、「ジャパンカップを取ったら、ゆうちゃんに缶コーヒーをおごります」と言って笑われていた。
 福永祐一はそんなふうにいじってもらえるタイプ。
 きまじめなうちのますみさんにちょっと似てる。
 ちゃらんぽらんな私は、武豊にちょっと似てる?
 それはないかー。

 あっ、奥さんがかわいいのが共通点。
 でも、私は武豊の奥さんより福永祐一の奥さんの方がええなあ。

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