2019年04月24日(水)
振り返るな「平成」 [時事]
◎毎日新聞4月24日朝刊
平成1000万句の喜怒哀楽
毎日新聞で平成3(1991)年から始まった「仲畑流万能川柳(万柳)」。投稿された句は1000万超、掲載された句は十数万句に上り、平成の社会や日常生活の喜怒哀楽を映し出してきた。選者でコピーライターの仲畑貴志さん(71)は「『モノ・カネ=幸せ』ではないことに人々が気付いたのが平成だった」と語る。【千脇康平】
平成を振り返り、仲畑さんがまず触れたのはインターネットやスマートフォンなどITの急速な発展だ。90…
(以下、有料記事なので省略。)
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いろいろあった「平成」・・・と一瞬思ったが、よく考えてみると、自分の人生の区切りと「平成」はなんの関係もなかった。
平成元年は西暦1989年。
私は雲ケ畑小学校に赴任2年目で、修学旅行の下見に行っているときに昭和天皇崩御のニュースを聞いた。
その翌日に「へーせー」という元号になった。「へーせー」って、なんと力の抜ける言葉やと思った。
万能川柳の中から一句選ぶなら・・・。
「戦争の放棄を放棄するのかな」
平成は、日本が「絶対に戦争しない国」から「戦争する国」に転換した時代と言ってよい。できれば、「令和」は「また戦争しない国」に戻った時代になってほしい。
「平成」が終わり「令和」が始まる年に何があるのか。何もない。
強いて言えば、私の老化スビードが急加速した年かなあ。
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【今日のきく】
また、17時間バイト帰りの深夜散歩。
「今日は雨やし、行けへんなー」と思っていたら、家に着いた頃に小やみになった。
ベッドからムックリ起き上がり、飛び出してきたきくとお散歩。
こんなに喜んでもらえると、疲れて帰って来てもほっこりできる。
きくに感謝せなあかんね。
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2019年04月23日(火)
リリカって・・・ [病院]
「須藤凜々花って、今どうしてんのかなあ」と私。
「さあー、干されてんのんちゃうん」とヨメさん。
「干されるも何も、結婚して引退したんやろう。」
「さあ・・・。」
AKB総選挙生放送中に結婚宣言した須藤凜々花は立派なもんや。(去年の4月に、本当に結婚したらしい。)
でも、その「リリカ」じゃなくて・・・。
小西真奈美似医師に処方してもらった「リリカカプセル25mg」。
「効きませんよ」と言われただけあって、効きませんなあ。
まあ、ロキソニンとええ勝負かなあ。
早う一週間たって「リリカカプセル75mg」になったら、効くような気がする。
ジジイは、きっつい薬でないとあきませんにゃわ。
「凜々花ー!!!」
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今日は、約4年ぶりの歯医者さん。
先週の水曜、寮の夕食を食べているとき、いやに噛みにくかった。おかしいなあと思って左のほほを触ってみると、「えらい腫れてますがなー」。
鏡を見てビックリ!
顔の左側が江夏。
江夏の解説の悪口ゆってたから、タタリかー。
その時は3時間ほどしたら治まってきたのだが、前から気になっていた歯もあったので、歯医者さんに行くことにした。
4年前にインプラントをしてもらった「アリスデンタルクリニック」さんへ。
まずは、「耳の下の腫れは、歯とは関係ないです。歯の痛みから腫れたとしたら、3時間くらいでひくことはないです。」
私が気にしていた歯も、虫歯ではなく、かぶせものの不具合なだけ。ちょっと拍子抜け。その代わりに、ちがうところの虫歯が見つかった。
「歯間ブラシ、しておられませんねー」と厳しい指摘。
「これからきちんとします」。
そう言ってはみたものの、さて・・・。
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【RUN】
頚椎症、アキレス腱炎がひどいけど、ちょっとは走らんとねえ。体重がどんどん増加している。自己最高の64kg台に到達している。危険水域やねえ。
いつもの十王堂橋往復5km。
走り出したら、アキレス腱炎のほうはあまり気にならなかった。
しかし、右腕が痛くてしっかり振れない。これでバランスの悪いフォームになり、左アキレス腱に負担がかかっていると思われる。
5km、28分30秒。
心配していた割には、まあまあ走れた速く走れた。
あとはバランスですね。
お風呂前の体重測定では、前日比1kg減。効果てきめんやねえ。走らな!
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【今日のきく】
哀愁の見返り美犬。
いつもの野菜自販機帰り。
オバサンにかまってもらって大喜び。
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2019年04月22日(月)
水? 脳脊髄液? [病院]
今日は鞍馬口医療センター・整形外科。
日に日に悪化している頚椎症、なんとかしてくれい。
先日他の病院で撮ってもらった頚椎の画像を持って、小西真奈美似医師に今後の治療方針を乞う。
「痛みやしびれがどんどん悪化しています。右の首と肩に釘が刺さったような痛みが続いています。右手全体がしびれて、お箸もうまく使えなくなりました。」
そう言うと、まずは握力測定。
しかし、前回より数値がアップしていた。こういういい加減な体なんですよね、私の体は。
そのあと、画像の分析。
「この頚椎の4番目、5番目、6番目の間がかなり狭まっていますね。脊髄神経の周りに白く見えているのが水です。この水が神経を守っているんです。でも、この狭まっているところには水がないでしょう。だから神経を圧迫して、痛みやしびれが出てきているんです。」
「(水?)」とは思ったが、「そうなんですか!」とこたえておいた。
家に帰って、その「水」の件をヨメさんに聞く。
「それは脳脊髄液」とのこと。
それくらいやったら、そう言ってもらったらなんとなく理解できたのになあ。
「こんなじいさんにむずかしい言葉を使っても分からんやろう」と思われたんかなあ。
今日の結論。
「神経性の痛みを和らげる『リリカ』という薬を出しましょう。この薬は最初からきついのは出せませんから、最初にお出しする分は効かないと思います。一週間後からきついのに変えますから、それで様子を見ていきましょう。」
はー、これでは薬を飲んでいるときはましになっても根本はそのままやん。今のこの痛みが消えるんやったら、手術でもなんでもしてもらっていいんですけどねえ・・・。
いやいやいや、それ以前に首の下の方が右に湾曲してますねえ。
なに、これ?
えーと、ヨメさんに左からシバかれたことあったっけ?
いやいやいや・・・。
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2019年04月21日(日)
第14回宍粟市さつきマラソン [ランニング・出張販売]
頚椎症によって私の右手に力が入らないため、一人で鉄製の重いテントの支柱を運ぶ眞寿美さん。
うーん、肉体労働者はつらいねー。
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私は4時50分起き。
ヨメさんは4時すぎに起き、きくの散歩をして、おにぎりを作ってくれていた。
5時すぎに出発し、7時前に会場前到着。今年も、会場向いのDさんの土地をお借りして開店。
私は今年はレースにエントリーしていないし、雨が降る心配もなかったので、余裕たっぷりで出店準備ができた。
分りやすい場所なので、朝早くから毎年おなじみのお客様がたくさんのぞきに来てくださった。それに、「○○を忘れたー」とあわててお買い求めに来てくださる方も多かった。
「ゆめさき舎」のまっちゃんが、レースには出ないのにわざわざ来てくださった。
「走る気が全然起こらんときは、どうしたらいいんでしょう。」
「走る気が起こらん時は、走らんことやね。走らな死ぬわけじゃなし。
ボクも走れんようになったけど、それは肉体的な原因やからねえ。一難去ってまた一難で、病院との縁が切れませんわ。松本さんのは精神的な原因でしょう。それはきついと思います。」
「ここに来たら、走る元気がもらえるかなあと思って・・・。」
「いっつもゆうてるでしょう。元気はタダではあげん。有料です。」
「はー、そうでした・・・。」
しかし、まっちゃんは私としゃべる前にヨメさんにお味噌を献上していた。押さえるとこはちゃんと押さえてはる。さすがです。
日本一おいしいお味噌、どうもありがとうございました。
そして、身をひるがえして去っていくまっちゃん。
ずっと走り続けてきた人が、走る気が起こらなくなるというのは実は大ごとなのかも。
10時、ハーフがスタート。
朝は曇り空で涼しかったのに、だんだん晴れて来て気温が上がってきた。この大会は制限時間が過ぎても道路の端を走らせてくれていたのに、今年からそれはできなくなったらしい。こんなに暑いのに、2時間半制限はきついですね。
ヨメさんは、ピカチュウの着ぐるみで声援を送る。
スタート直後の場所なので、あまり目立たなかったかも。
地元のカメラマン・佐古井さん登場。
「今年は首の具合が悪くて走りません」と言ったら、残念がってくださった。私の写真も撮ってほしかったなあ。
10時10分に、5kmがスタート。
この中には知り合いは見つけられなかった。
10時20分、10kmがスタート。
朝日啓介さんが出ておられるはずなので、しっかりと見つけなければ。
ヨメさんがスタート位置から見て右側、私が左側に立って朝日さんを見つけることにした。
朝日さんは右側を通過(真ん中の青いキャップ)。
ピカチュウの応援を喜んでくださったらしい。
私もちょっとジョギング。
少し走ると、もう5kmのトップが帰ってきた。
予報よりだいぶ気温が上がった。
5kmはほとんど影響はないと思うが、ハーフは後半きつくなる。
行きが上りで帰りが下りなので、そのへんは走りやすいといえるのだが・・・。
いったん戻って、朝日さんが戻ってくる11時20分くらいに再度コースへ。
そしたら、元気に帰ってこられました。
いつもの若々しいきれいなランニングフォーム。
ゴール前に先回りしてパチリ。
ゴール後も息も乱れることがなく、私に話しかけて来られた。
今日は、朝日さんの応援がしっかりできてよかった。
ヨメさんは、同世代のカッパちゃんの応援。
元気なカッパちゃんは、こいのぼり付き。
また、「香住」や「みかた」にも出られるんでしょうか。
12時30分、ハーフスタートから2時間半が関門制限。
20.7kmに当たる地点に、黄色い壁が。
多くのランナーがこの壁に防げられ、横道に導かれた。ああ、無情。
朝日さんがご来店。
またシューズを買っていってくださった。いつもありがとうございます。
つい先日、4代目のペースメーカーを埋め込まれたとのこと。
「あと1、2年持つのでいいですよって言ったのに、13年も持つのを入れられたらしい」と笑いながらおっしゃっていた。
「13年たってもまだ95じゃないですか。うちの父は97でまだしっかり生きてますよ。」
「ブログを見させてもらってますから、よく知ってます。」
ああ、ここにも私のブログの愛読者がお一人。
ありがたやー、ありがたやー。
お日様ガンガンの中での後片付け。
私の右手に力が入らないので、その代わりにヨメさん大活躍。
売り上げも、去年よりちょっとだけ多かったようだ。それも、ヨメさんのお客様への対応がよかったからでしょう。
ここ何年か毎年寄っている、高速IC前のお寿司屋さん。
初めて注文した「しそうし巻き」。
「しそ」と「うし(牛肉)」が巻いてあるので、この名前。
これがすごくおいしかった。
私は「えびづくし」。
ヨメさんは「コロッケ」。
お腹いっぱい食べて、コーヒーも飲んで2500円くらいだった。
満足、満足。
帰りの加西SAでペッパー君発見。
ヨメさんの声が低すぎるのか、ペッパー君が反応してくれなかった。
ペッパー君と記念撮影。
ペッパー君、いい顔してるやん。
帰りも右の首肩腕が痛くて仕方なかったが、途中でたびたびヨメさんにマッサージをしてもらい無事帰還。
夕方6時20分、帰ってすぐにヨメさんはきくのお散歩。きくちゃんに始まってきくちゃんで終わる一日ですね。
きくちゃん、お留守番ご苦労様でした。
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2019年04月20日(土)
第112回勝手に国労応援ラン [ランニング]
今日、元国労の中野勇人さんにメール。
◇ ◇ ◇
ご無沙汰しています。京都の藤井です。
高知市議選、明日投票日ですね。
応援に行きたかったのですが、今回は無理でした。ごめんなさい。
明日当選を決めて、4年後の再選選挙の時には必ず応援に行きます。
いい結果が出ることを、京都から祈っています。
またいっしょに走ってくださいね。
しっかりねー。
◇ ◇ ◇
中野さんに初めてお会いしたのは、「国会前54日連続フルマラソンアピール行動」・46日目 。
あれから、もうすぐ10年ですか。
北海道北見市から徳島に行かれ、そのあと高知へ。
そして、ついに高知市議に立候補。
高知市に知っている人がいたら宣伝するんですけど。
「マラソンなんぼでも走れる元気な人ですよー」って。
私にできることは、中野さんの当選を願って走ることくらいです。
ほんとうに、またいっしょに走りましょうね。
誘ってくださいね。
お昼にうどんを食べ、そのあと走りに。
頚椎症、アキレス腱炎がひどくて、一週間ランは休んでいた。
今日、こわごわの再開。「中野さんを応援」という理由があってよかった。
いつもの叡電線路沿いを東へ。
今日はぽかぽか日和。
地下鉄・国際会館駅前の岩倉橋を左折。
ここまで約2.7km、16分。
首の痛み、アキレス腱の痛みはまし。でも、これはロキソニンのせいでしょうね。
叡電・岩倉駅前まで来ると、ちょうど出町柳行きの電車が到着。
ここを左折して、西へ西へと進むと我が家に帰れる。
自宅到着、5.64km、34分35秒。
キロ6分08秒ペース。
これくらいの距離をこれくらいのペースで走るのなら問題なし。
当分、こんな感じで行きましょうかねえ。
町内をダウンジョグしていると、いつものおうちのいつものひさし部分にいつもの黒猫ちゃん。
人間も犬も猫も、平和に暮らせる世の中にしていきましょうねえ。
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【今日のきく】
今日は、私の24時間バイト帰りの朝散歩。
7時前なのに、お日様ガンガン。
昼過ぎにちょっと走って帰ってきたら、こんなすこやかな寝相のきくちゃん。
かわいすぎる。
物音に気付いて、「お散歩ですよね」と私に迫る。
「夜にいっぱい行ったるから、お昼はなし。」
夜のお散歩やと思って楽しみにしてたら、店に連れていかれて、オバサンに襲われた―。
「宍粟市さつきマラソン」の出張販売の荷物が積み終わったのは9時すぎ。
私らもきくちゃんもお腹ペコペコ。
明日はレースには申し込んでないので、販売をしっかりしましょう。
たくさん売れたらいいんですが・・・。
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2019年04月19日(金)
ショーケン [私の好きな人]
◎朝日新聞2019年4月11日31面
寂聴 残された日々 46 ショーケンとの再会
切れぬ悪縁 次はあの世で
ショーケンこと萩原健一さんが三月二十六日に亡くなって、早くも二週間が過ぎた。その間、私はショーケンの追悼文を書きかけては胸に迫ってきて、涙があふれ書けなくなってしまう。仕方がないので、彼と一緒に仕事をした雑誌を繰り返し読んで気をまぎらわせている。
ショーケンは生前、私とつきっている間、いつも私のことを「おかあさん」と呼んでいた。毎朝早く電話がかかり、疳高い声で「おかあさん、お早よう」と呼びかける。「うるさいなあ、まだ寝てるよ」「もう六時すぎたよ。年寄りのくせにいつまで眠るの。あんまり眠ると、早く呆けるってよ」
そういうショーケンは毎朝五時から一時間半も歩きつづけている。自慢のスタイルを保つためだそうだが、毎朝の電話で彼が私に伝えたいのは、二人の女性の噂話をしたいためであった。二人ともショーケンの熱烈なファンで、ひたすらショーケンと一緒に歩きたいために、毎朝やってくるという。一緒に歩くのは他にも男女十人くらいがいるらしい。
ショーケンが私に話したのは、その中の二人の女性のことだけで、一人は人妻だが、自分はそっちの方が好きだけれど、夫と別れてこないと相手にはできない話を早朝から聞かされても、腹も立てないのだから、私もいい加減阿呆になっている。
◇ ◇ ◇
そもそものつきあいの始めは、ショーケンが大麻事件で逮捕された後、世間で騒がれて居場所がなくなった時、ふとした縁で、京都の私の寂庵へ頼ってきて、かくまったのが縁であった。新幹線の三時間、トイレに身をひそめてやってきたという。おどおどして、目を伏せたきりで見るも哀れな姿だった。夕方だったので先ず夕食をすすめたら、すき焼きの前で泣きだしてしまった。
「いただきてもいいのでしょうか」「どうぞ、とにかくたくさん食べて精をつけなきゃ」泣きながらすき焼きを食べていたショーケンの姿を、ありありと想いだす。あの世では、誰とすき焼きを食べていることか!
長いつきあいの中で、彼の恋人とか、妻と呼ばれた女性に巡り逢ったが、ほとんどの人は、私に「早くショーケンと縁をお切りなさい。ろくなことありませんよ」という。縁を切るも何も私とショーケンとは、あかあさんと息子の関係を一度もふみ誤ったことがないので、別れようもない。ただ長い歳月に、気まぐれなショーケンは、何度も私との音信を断ち、全くつきあいのとだえたことも幾度となくあった。
◇ ◇ ◇
寂庵は尼寺なので、ショーケンのような危険な男を置くわけにはいかず、私の判断で、近くの禅寺の天龍寺へ預けることにした。平田精耕管長が雲水と共に預かってやると言って下さったので、法衣一切を買い整え、寂庵え頭を剃って、天龍寺へ私が送りこんだ。法衣を身につけたとたん、ショーケンは一見見事な雲水になりきるのは、さすがの役者だった。
ところが天龍寺で、ショーケンは、ありとあらゆる悪いことをしてくれたが、寺では一旦預かった以上は一切寺の責任だといって一事も私に伝えなかった。以来、私は天龍寺に頭が上がらない。
不貞で不良のショーケンとの悪縁は、現在の夫人との結婚までつづいいたが、突然の死で、この世の縁は一旦切れた。しかし、すでに九十七歳を目の前にした私は程なくあの世の入り口で「おかあさん!おそかったね!」と手を振って迎えてくれるショーケンに再会することだろう。
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◎大人のミュージックカレンダー 2015年7月26日
テンプターズ、傷だらけの天使、ショーケン! 執筆者:小野善太郎
私は「萩原健一」とは言わないな〜。「ショーケン」一辺倒。
ショーケンがザ・テンプターズの一員として世に出たのは1967年10 月25日、17歳の時。
グループ・サウンズ(GS)の2本柱はザ・タイガースのジュリー(沢田研二)とショーケンだったが、ジュリーより2歳(も)若い。
デビューはタイガースから8か月あまりも遅れたとはいえ、優等生的な印象のジュリーでは満足し得ない女性ファンの渇望は、その間にデビューした幾多のグループをスルーした後、ついにショーケンと出逢ったことで一気に満たされて、翌1968年にこそGSブームは爆発的に全開。
1968年1月に発足した『オリジナル・コンフィデンス(オリコン)』のチャートで、以降1位を獲得したGSの曲は、タイガースの「花の首飾り」と「シー・シー・シー」、そしてテンプターズの「エメラルドの伝説」の3曲のみというのも象徴的で、かのビートルズに対峙するローリング・ストーンズの感があったが、ストーンズのミック・ジャガーとショーケンは、あらま、同じ7月26日生まれ!
ところが、翌1969年3月にタイガースから加橋かつみが脱退したあたりを境に、GSブームは下り坂に転じる。
そして、タイガースもテンプターズも解散を余儀なくされた1971年初頭、一時代を築いた超人気者だったからこそ、これからの道のりは厳しそうと思えたように、最後の裏技的にジュリーとショーケンが組んだ新バンドPYGが直ぐに立ち行かなくなったのも当然と納得したものだ。
しかし、むしろストーリーはそこから始まったのだった。
ジュリーはPYGの音楽的母体の井上(堯之)バンドを伴ったソロ歌手として1972年には「許されない愛」のヒットで初めてNHK『紅白歌合戦』にも出演、翌1973年には「危険なふたり」で日本歌謡大賞も受賞して、タイガース時代を大きく乗り超えて行く。
一方、ショーケンは役者の道へと進み、1972年にスタートしたTVドラマ『太陽にほえろ!』でブレイク。
石原裕次郎やベテランの芸達者たちに囲まれて、時に浮きまくりながらも、既存の役者では絶対に表現出来なかった同時代的感覚をヴィヴィッドに発散し続け、新たな人気が高まる中、あっけなくカッコ悪く死ぬという、通常あり得ないドラマの幕切れも衝撃的。
だが、ジュリーが太陽ならば、ショーケンは暗闇で月のように光源を反射する映画のスクリーンでこそ私には輝いて見えた。
特に1974年、従来の若者像とは真逆の、明るい将来など信じられない心象を演じ切った神代辰巳監督の『青春の蹉跌』で、定評ある老舗の『キネマ旬報』主演男優賞を、前年の深作欣二監督作品『仁義なき戦い』での菅原文太に続いて受賞。
そして、神代や深作らを監督として招いた、映画みたいなTVドラマ『傷だらけの天使』では、相棒役の水谷豊とのコンビで、カッコ良いんだかカッコ悪いんだか分からんカッコ良さ、というようなシラケの1970年代を体現する存在として、その水谷豊や松田優作らの、孤高の先駆となった。
もはや歌手ではないように見えたが、ジュリーが井上バンドの演奏で唄っていたのと同じく、実はショーケンもまた、出演するTVドラマや映画を担当することになった井上バンドの音楽を背に受けながら、全身で唄っていたと思えてならない。
演技する歌手ではなく、唄う役者でもなく、演技を唄う。それがショーケンなのだ。
ともあれ、ショーケンも今日で65歳かあ。今そこにいる(だけで)奇蹟、てな気もする。
ま、暴力的行為はアカンがのう、今や日本映画界絶滅種の’危ない’大物役者として、ヌルい世間に映画で物申していただきたいと思うのは見果てぬ夢なのか。
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ショーケンが好きやった。
グループサウンズ時代のショーケンが。
「グループサウンズ」ってゆっても、今の若い人にはチンプンカンプンやろね。
「だいたい5人くらいでガチャガチャやるやつ・・・」
これで分かってもらえますかね。
私が中1の時(1968年)、グループサウンズが絶頂期。
夜8時からの歌番組が週に3つもあった時代。そのどれもがグルーブサウンズをガンガンやっていた。
テンプターズが解散して、ショーケンは俳優としても成功した。でも、私はそのあたりをほとんど知らない。
テンプターズの時のショーケンが一番かっこよかった。あとの俳優時代はおまけかな。
最後の仕事は、NHKの夜のドラマではないだろうか。初老のオッサンたちがラグビーをし始めるやつ。
ちょっと見かけたけど、ショーケンの危うさが活かされていない内容だったので見るのをやめた。最後の仕事があれでは、気の毒やねえ。
ショーケンには、ショーケンにしかできない「かっこよくて危うい役」を、やってほしかったなあ・・・。
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