パオパオだより

2017年08月30日(水)

「狂人三歩手前」 [書評]

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 「狂人三歩手前」 中島義道著 新潮社 2006年 184ページ

■内容(「BOOK」データベースより)

「生きていく理由はないと思う。いかに懸命に生きても、いずれ死んでしまうのだから」。日本も人類も滅びて一向に構わない。世間の偽善ゴッコには参加したくもない…。いっぽう妻と喧嘩して首を締められたり、路上ミュージシャンに酒を奢ったり、桜の巨木を見て涙を流したりの日々。「常識に囚われず、しかも滑稽である」そんな「風狂」の人でありたいと願う哲学者の反社会的思索の軌跡。

■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

中島/義道
1946(昭和21)年福岡県生れ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学大学院基礎総合科学哲学博士課程修了。現在、電気通信大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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 今日は寮1(二条)17時間。
 いつもならマイパソコンに入り浸っているのだが、月末になり通信速度が低下。今月は寮の管理代行のバイト回数が多かったので、ポケットWifiを使いすぎたみたい。
 波型がオレンジになったらランがウォークに、赤になったらほぼ停滞ということです。

 やることがないので久しぶりの読書。
 7月に入院していた時に途中まで読んだ「狂人三歩手前」の続きを読んだ。(隔離部屋に持ち込んだら廃棄処分だったが、持ち込まなかったので命拾いして戻ってきた。)

 私が今まで読みふけった小説は、カフカ、倉橋由美子、富岡多恵子。
 小説以外では、竹内久美子、中島義道、香山リカ。
 読みだしたら読み続けるのはだれしも同じで、カフカと倉橋由美子はほぼ全作品を読んだ。富岡多恵子も半分近く。後者三名は出版書が多すぎて、全部とはとても言えないがかなり読んでいる。


 中島義道氏の「どうせ死んでしまう」理論は徹底している。氏のどの本にもたいてい書いてあるので、ここではくわしくは説明しない。その理論は、ただただお見事と思うばかり。
 「どうせみんな死んでしまう。人生とは生きる気力がくなくるほど残酷な修羅場である。しかし、絶対に死んではならない。生きている不幸を骨の髄まで自覚せよ、しかし死んではならない。この自覚のもとにどう生きればいいのか、私はいかなる回答も示していない。」(123ページ)
 ほぼむちゃくちゃだが納得できる。
 私の場合は、「どうせ死んでしまうのだから、生きているうちに他人に迷惑かけまくって楽しく生きよう」と思っている。
 
 今回もその理論ばっかりかと思っていたがちがった。
 こんな箇所があった。
     ◇     ◇     ◇
 相当の時間を費やして、孤独、対話、偏食、仕事、不幸等々固定したテーマで書き続け、そして脱稿すると、そこに書いたものすべては過去のこととして、決定的に私の身から脱落していく。書いてしまったことによって、私の心理状態も世の中の見え方も書く前とは画然と異なり、世界は相貌を変えるのだ。だが、理不尽なことに、そんなころ、読者ははじめて私の書いたものに接する。そして、しばしば感動して「先生、まったく同じ意見です」という手紙をよこす。だが、すでにそのとき私は、―あのアキレスと亀のように―少し「先に」動いているのだ。こうして、読者は永遠に私に追いつけないのである。
 おわかりであろうか? 私の最所の本の読者は、私のすぐ「後ろ」にいるからこそ、そしてそれは私がたったいま抜け出てきた場所であるからこそ、私にとって重要なのに、読者が提議するのはいつでも、私がすでに書くことによってある程度解決してしまった問い、そうでないまでも一段落つけてしまった問いにすぎない。(77ページ)
     ◇     ◇     ◇

 これと似たことのように思うのだが、自分にも思い当たる節がある。
 今見終わった映画の話をするのがイヤ。もう見終わって、自分の中で完結してしまっているのに、何をほじくりだせというのか。私の興味は、まだ見ていない映画のほうに向く。

 また、ゴールの感動というのがない。途中は山あり谷ありで泣きそうになることもしばしばだったが、ゴールにそれはない。ゴールで完結してしまっているから。
 1986年の「第2回びわ湖トライアスロン」は、スイム3.8+バイク180+ラン42.195。そのゴールには、まだ新婚のますみさんが待ってくれていた。私は普通にゴールし、ますみさんが迎えてくれた。
 「写真撮れへんかったわー・・・。」
 「えっー!」
 この私の反応をヨメさんはずっと恨みに思っている。一日中待ってあげていたのにと。

 最近もあった。
 2014年6月23日、沖縄慰霊の日の「一人沖縄平和ラン」(那覇〜名護)。
 前年はみゆきビーチ前で途中断念だったが、2回目でやっと目標の名護市役所にゴール。たくさんの方が伴走してくださり、ゴール地点には北山高校駅伝部関連で知り合った玉城さんが待っていてくださった。
 ゴールした時、私は玉城さんにお礼も言わず、伴走してくれた仲間としゃべっていた。もう完走してしまった「一人沖縄平和ラン」のことではなく、次に出る予定のレースの話などをしていたように思う。
 その時、玉城さんが「ここがゴールじゃなかったんですか」とおっしゃったのを覚えている。今から思えば、「私は無視か?」ときっと半分腹を立てておられたんだと思う。
 今まで何回かお会いしたうちで、あの時が一番おきれいだったのに。それで、お礼を言うのがちょっと恥ずかしかったんでしょうか。そういうことにしときましょう。

 これに似たようなことは、今まで何度もある。ひどい人間です。
 これは、中島氏がおっしゃってることとまたちがうのかな。

画像(180x135)・拡大画像(320x240)

玉城さん (2014.6.23)

 また、こんな箇所もあった。
     ◇     ◇     ◇
 彼は、こんなに自分を理解してもらいたいと全身で叫び声をあげる。だが、いざ彼を理解する人、理解しようとする人が眼前に現れると、一目散にその人から逃走しようとするのだ。なぜなら、理解されることは負担であるから。理解され続けることは草臥れることだから。さらにさらに理解されようと必死になることだから。あげくの果ては、理解されたいがゆえに相手に合わせて演技している自分を見出して、自己嫌悪に陥ることは目に見えている。つまり、彼を理解する人は、理解することによって彼の「自己」を奪うのである。彼を「がらんどう」にするのである。(155ページ)
     ◇     ◇     ◇

 20代前半、ものすごく好きになった人がいた。相手も真剣につきあってくれていた。
 そんなある日、「引っ越そうと思ってるんだけど、この先二人で住むのなら広い目の所を借りた方がいいね」と言われた。それを聞いて、私はなぜか噴き出しそうになってしまった。(相手に悟られないように必死にこらえましたけど。)
 その時の感情が自分でも分からなかったのだが、「理解されることがイヤ」だったのだろうか。なぜ?
 「自己」を奪われ、「がらんどう」になるのは本望だったような気がするのに・・・。
 ここから話がトントンと進み・・・ではなく正反対で、ここから私の様子がおかしくなってしまった。彼女は「(私に)ふられた」と言っていたが、私にはそんな気はさらさらもなく・・・。自己分析もしっかりできてもいないのに、いっちょ前に人を好きになったらあかんちゅうことやったんでしょうかねえ。


 「狂人三歩手前」というタイトルから、かなりの期待を込めて読み進んだが、意外とまともでビックリ。私は「良識あるヘンタイ」を目指しているのだが、中島氏は「良識ある狂人」に成り下がっているかもと心配だ。もっと危ないところにいてほしい人だ。

 もう10年以上も前の出版だが、自分のことと照らし合わせながら読めたのでおもしろかった。まだ、買ったままで眠っている本があるはず。死ぬ前に読んでしまわねば。

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