2013年08月27日(火)
○○で世界に反核を問う [時事]
◎毎日新聞8月26日夕刊・特集ワイド
今、平和を語る:直木賞作家・作詩家、なかにし礼さん
◇歌で世界に反核を問う
人としての倫理、取り戻せ
直木賞作家でヒットメーカーの作詩家、なかにし礼さん(74)は「核兵器に反対する歌」を用意している。旧満州(現中国東北部)で生まれ、6歳から8歳にかけて棄民を体験したという、なかにしさんに平和国家の在るべき姿を聞いた。
−−反核の歌の題名は「リメンバーヒロシマナガサキ」です。
なかにし 「リメンバーヒロシマ」でもなければ「リメンバーナガサキ」でもありません。「リメンバーヒロシマナガサキ」のフレーズによって初めて核兵器廃絶のアピールになり、思想になるのです。核兵器に反対することは、戦争に反対することであり、さらに突き詰めれば戦争の放棄を掲げた憲法9条を守る姿勢を通すことにつながります。東京電力福島第1原子力発電所の大事故によって安全神話が幻想であったことを知ってしまった以上、原発の再稼働と新設についても反対の立場をとらざるをえない。
−−反核を前面に打ち出されたのは。
なかにし 戦争に反対する小説は書いてきましたが、スローガンにはしていません。だから、そろそろ言うべきことを言っておこうと思っていたところに、オペラ歌手の佐藤しのぶさんが背中を押してくれたのです。アメリカのオバマ大統領のノーベル平和賞受賞が決まった2カ月後、正確には2009年12月16日のことでした。彼女から、核兵器に反対する歌を書いてほしい、と頼まれたのです。思想を明確にしている歌なので、メーカーやスポンサーなどから圧力がかかって歌手生命に影響することになるかもしれない、と懸念を伝えました。すると彼女は、歌手として、人間としての責任を果たしたいと強い決意を示したのです。こうして歌作りにかかりました。人間に倫理観があれば、誰かがやらねばならない仕事だから、これは私にとって使命なのです。
−−楽曲も決まり録音も済ませていたところ、11年3月11日に東日本大震災が起き、福島第1原発では放射性物質が放出される大事故となりました。それでCDの発売を延期しました。
なかにし 日本は福島の原発事故で原爆を落とされた被害者の立場から、放射性物質をまき散らす加害者の立場にいると思ったのです。しかし今は、こう考えます。日本人こそが、核の恐ろしさと悲しみと罪の意識を知っているのだから、核をなくすために世界に向けて訴えなくてはならない。つまり「リメンバーヒロシマナガサキ」を歌うことが、世界に向けて取るべき態度だと思い至ったのです。
−−今後の予定は。
なかにし 素晴らしい楽曲で、平和を愛する心が楽譜の一つ一つに息づいています。海外向けも用意して、10月ごろに公表する予定です。特定の政治運動に加担することなく、歌が自由に独り歩きし、気に入ってくれた世界中の若者に口ずさんでほしいのです。
−−なかにしさんを駆り立てた倫理について。
なかにし 人間が生きていくうえで最も大事だと思うのですが、残念ながら今の日本では、倫理という言葉が死んでいます。たとえば、原発は倫理の問題としてばかりでなく、今や人間はもちろん自然界の生命全体の命をおびやかす存在となっております。原発ゼロをめざすのが当然でしょう。それが可能なのに、やろうとしない。そこに倫理観の欠如があるのです。
また憲法というのは時代の大きな変わり目に成立したり改正したりするものです。今は変えたいと思う人々の都合が先行している。今やまさに戦後民主主義は危機的状況にあります。なんとしても第9条は守り抜かなければなりません。
−−ところで満州では過酷な体験をされました。<死体はみんな、汽車の窓から捨てるのである。軍人も民間人も子供も赤ん坊も、死体に区別はなかった>(エッセー「翔べ! わが想いよ」=文春文庫)。自伝的小説「赤い月」(文春文庫)には次の一文があります。<ソ連軍が参戦するや、居留民を置き去りにしていち早く逃げた関東軍と軍属や満鉄。敗戦後、外地の居留民は現地に定着せしめるべしと言った外務省。引揚げ費用を出さなかった日本政府のことなどをいやがうえにも思い出した。そして残留孤児の問題。日本という国は国家自体がすでに悲しむ心を失ってしまっているのではないかと公平は思った>(公平は著者の分身)
なかにし 1906(明治39)年にアメリカで排日の移民問題が発生した時、移民たちは日本国に見捨てられた。以来、国が私たちを守ってこなかった事実は、歴史が示しているではないですか。満州はみんな棄民にされ、沖縄は切り捨てられました。福島では大勢の人たちが避難している。今も昔も「悲しむ心」が権力側には欠けているのです。「悲しむ心」を失った権力者を厳しくとがめる勇気を持ちたいものです。
−−国家とは。
なかにし 国民一人一人によって成り立っているものであり、国民から政府がその運営をまかされているにすぎない。政府イコール国家だと、政府は言いたがりますが、不遜ですね。政府は国家を運営する巨大な事務局にすぎないのです。国家とか国益という言葉を持ち出す人には警戒したい。
−−この国の針路について。
なかにし 誇りを持てと言われても、正しい歴史認識を持とうとしない国の国民は誇りを持てません。この点は、アウシュビッツの懺悔(ざんげ)を続けているドイツとは大違いです。
戦争を放棄した世界でも特殊な国。いいじゃないですか。特殊であることにこそ、日本人は誇りを持つべきです。間違っても、戦争のできる普通の国になろうとしてはならないと思います。<聞き手・専門編集委員 広岩近広>=次回は9月30日掲載予定
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リメンバーヒロシマナガサキ
作詩・なかにし礼
リメンバー
この地球を宇宙から眺めたら
美しい青い星だ
国境は引かれていない
今もどこかで 戦争は続いている
悲しみと山のような
屍(しかばね)が折り重なって
戦争と核兵器のない
平和の実現を願うものは集まれ!
リメンバーヒロシマナガサキ
過ちは繰り返さない
リメンバーヒロシマナガサキ
人間に叡智(えいち)と愛があるなら
遠くとも核なき世界を
めざして手をつなぎ
みんな歩き始めよう!
リメンバーヒロシマナガサキ
沈黙にさよならしよう
リメンバーヒロシマナガサキ
行動と勇気で生まれかわろう
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■人物略歴
◇なかにし・れい
1938年中国黒竜江省(旧満州)牡丹江市生まれ。立教大学文学部仏文科を卒業と同時に作詩家として活動を始め、日本レコード大賞、ゴールデンアロー音楽賞など多くの音楽賞を受賞。2000年に「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞、近著は「生きる力 心でがんに克(か)つ」(講談社)。著書多数。サンデー毎日でエッセー「花咲く大地に接吻(くちづけ)を」を連載中。
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「アンタのやってることは、何の足しにもならん。」
これがうちのヨメさんの口癖だ。
「今までなーんにもしてこんかったくせに、今さら平和がどうたらこうたら・・・。若いときから続けてるんならまだしも、あきれてものが言えんわ。
それに、『京都キャロット』にそんな変なもんが関わってると思われたら商売にも影響する。どうしてもしたかったら、すべての縁を切ってからにして。」
えー、これを解説しますと・・・。
「○○運動というたぐいは、生活に余裕のある人がすること。アンタみたいに仕事のでけへん人間は、そんなことより1円でも稼ぐことを考えるべし。」
なかなかいいとこ突いてます。
ただし、私はなかにし礼さんが歌を通して反核平和を訴えたかったのと同じように、走ってそれがしたかっただけ。それぞれがそれぞれの得意分野をうまく使えば、平和運動もまた楽しい。
第一、なかにし礼さんのような著名人なら影響力は大きいが、名もなきパオパオごときが「平和・憲法九条」ののぼりを背負って走ったくらいで誰が何を思うものか。まあ、「ご苦労さんなこっちゃ」くらいで終わりでしょう。
今日、奥様を亡くされ悲しみにふけられているだろう走友・Tさんに手紙を出した。「気が向いたら、いっしょに走りませんか」と。
私がだれかを励ましたいと思うとき、何ができるか。いくら考えても、走ることくらいしか思いつかない。いや、走ることならいくらでも・・・。
私が走ることで少しでも喜んでくださる方があれば、何とかしてこれからも走り続けたい。
頼むし、「すべての縁」は切らんといて〜〜〜。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 4 )
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コメント
とおりすがりさん、再びコメントありがとうございます。
「自分の家庭の平和も守れんもんが、何が『反核平和』じゃー」というのもうちのヨメさんの口癖です。まあそのとおりだとは思いますが・・・。
でも、「国が戦争状態になっても一個人の家庭の平和が守れる」ともとうてい思えません。今の日本は、かなりその状態に近づいているのではないでしょうか。私が政治に興味を持って45年ほどですが、今までで最悪の状態のように思います。
「家族の理解」が得られればうれしいですけど、ちょっとでも心のどこかにかすってくれればそれでいいです。
いつもヘラヘラしている私が、それなりに真剣に取り組んでいることを全否定する家族ではないと思っています。批判も含めて、そこからみんなで平和について考えていけたらいいです。
うちの子どもらは、「ちょっと空回りやけど、よう続けているなー」くらいには思っていてくれているんじゃないでしょうか。
ご批判大歓迎ですので、ぜひまたご意見お聞かせください。
あの〜、決してパオパオさんの平和運動が自己満足だと指摘してるわけではなく、ブログを拝見したかぎり、ご家族の理解が得られていないようなので、自己満足に終わらないことを願うというだけです。
結局、なんやかんや言いながら、ご家族仲良くやっておられるようなので、「大きなお世話」と前置きしました。
個人的に、社会や法ありきの人ではなく、人があってこその社会や法だということを言いたかっただけです。そのために、まず、一番身近な家族を大切にするということなんですけど、まあ、こじつけといえばこじつけかもしれませんね。
とおりすがりさん、コメントありがとうございます。
ご指摘のとおり、私がやっていることは「ひとりよがりの自己満足」以外の何ものでもありません。でも、自分でもできそうなことを真剣に考えた結果でもあります。
コメントの後半部分がよく理解できないのですが、「家族の平和や幸せをぼくは第一に考えています」とおっしゃっていることも「ひとりよがりの自己満足」であったりはしないでしょうか。
むずかしいことはよく分かりませんが、私は憲法9条をまもることが家族の平和や幸せにつながると思っています。そんな考えは甘いですかね。
とにかく、憲法9条に批判的な方に簡単に言い負かされないように、もっと日本国憲法のことを勉強していきます。
また、いろいろと教えてください。
反戦・反核・平和運動、大切なことだと思います。
アメリカの軍産複合体に支配された世の中で、ぼくたちに何ができるかよくわかりませんが、反戦・反核を訴えて広島まで行脚したこともあります。
歳を重ねてからは、平和を実現できる可能性のある政治家に1票を投じるようにしています。
パオパオさんがおっしゃるように平和運動の形はひとそれぞれ。いろんな形があっていいと思います。ただし、社会があって人がいるのではなく、人がいてこその社会だと思っていますので、まずは、社会の最小単位である家族の平和や幸せをぼくは第一に考えています。
大きなお世話ですが、パオパオさんの平和運動がひとりよがりの自己満足に終わらないこと祈っています。