2008年08月16日(土)
北京天安門広場(石井慧選手応援ツアー3日目) [石井慧選手関連]
「藤井さん、ヤバイっす。7時49分です。」
ホテルで同部屋の渡辺さんの声で目覚めた。
「7時40分ロビー集合、8時ホテル出発。」と、前日言われていたのだ。
大急ぎで顔を洗い歯を磨き、服を着替えて1階におりた。なんとか、セーフ。私たちがビリではなかった。
前日夜は、北京ダックが食べられるお店で12時過ぎまで祝勝パーティー。(大盤振る舞いでした。)
ホテルに帰ってからも、一部屋に集まり祝勝歓談。
私はアルコールに弱いので、先に休ませてもらうつもりだった。そこに、同部屋の渡辺さんが戻ってきて、「慧君が来てますよ。」
その時、彼はラーメンを作ってもらって食べている最中で、残念ながら会うことはできなかった。
そこから戻ったのが夜中3時過ぎ。
寝過ごすのも無理もない。
ロビーでみなさんの顔を見ていると、本当に晴れやか。本来の目的である石井慧選手の応援がしっかりでき、また石井慧選手も最高の成績を残してくれた。これ以上言う事は何もない。
「もう、あとは帰るだけやね。」というふんいき。でもせっかくなので、天安門と故宮の見学に行く事になった。
天安門広場はだだっ広いというイメージだったので、近くまで来てみると案外狭いような気がした。
ここで、どうしても言わないといけない事。
「うちの今飼ってるねこ、天安門事件の年に拾ってきたんです。そやから、『あんも』っていう名前にしましてん。天安門事件から19年。いま、あんもは19歳です。分かりやすくていいでしょう。」
同部屋だった渡辺さんに聞いてもらった。
石井美智子さん、私、藤井豊栄さんの花背別所町出身の3人でいっしょに撮った写真がなかったので、天安門をバックにして渡辺さんに撮ってもらった。(今日のブログのトップ)
ここで少し説明すると・・・。
花背別所町は、総戸数約60。私たちが小さい時は、そのうち40軒くらいが藤井姓だった。だから、私と石井美智子さんの実家とは同姓だが親戚ではない。
本当にちょっとかすっている(お母さんたちと同郷、伯父さんの同級生)スキをついて、応援ツアーに便乗させてもらったわけだ。
特に自己紹介もしなかったので、石井先生の教え子さんたちは私のことをどういうふうに見ておられたのだろう。
私の応援は「屁のツッパリ」くらいにはなったのかな。(別所でもよくこの表現を使います。)
「ワタクシがー、故宮博物館のチケットを買ってきますので、待っていてクダサーイ。」
「陳さん、どれくらい時間かかるの?」
「チケット買うのに30分。中の見学が1時間30分くらいデース。」
「あっ、そらあかんわ。早めに空港行ってゆっくりした方がいいよね、みんな。」
それを聞いた陳さんは、唖然とされていた。
「北京にきて、故宮博物館を見ないなんて!」
口には出されなかったが、その唖然とされた顔にそう書いてありました。
ごめんね、陳さん。たぶん故宮博物館は中国が一番誇れる観光場所であり、陳さんのガイドとしての腕の見せ所でもあったんでしょうね。
もしお金がたまったら、今度は夫婦で観光に来ます。その時はガイドお願いします。
そこから、お茶購入組とお昼ご飯組に分かれた。私は、もちろんお昼ご飯組です。
若手の人たちがいい店を見つけてくれたので、そこに入った。北京の大衆食堂という感じ。とにかく安い。
高校生くらいの息子さん二人を連れてこられた泉さん。この二人の息子さんが何でもおいしそうによく食べる。いつもニコニコされているお父さんだが、これは普段の食費がたいへんやろうといらん心配したりして。
余談だが・・・。
最初に泉さんのお父さんを見たとき、てっきり20代だと思っていた。私の昔の友達とふんいきがそっくりで、いつもおもしろいことを言ってくれそうな人だった。よく見ると、すぐそばに大きな息子さん二人がおられてびっくり。実際は42歳だそうです。
楽しい旅行ができたのは、この人のおかげでもあります。
12人がたらふく食べてビールも飲んで。料理はほとんど7元(110円)前後。ビールが確か3元(50円)。
さて、ここのお支払いはいくらでしょう?
藤井豊栄さんのおごりです。ありがとうございました。
地元のOLさんも入ってこられた店だけあって、味もバッチリ。こうゆうお店をさがしてもらうには、若い人らの感に頼るにかぎるね。
ここから、まっすぐ北京空港へ。
空港でおもしろかったこと。
一番はしに、今まで中国では見たことがなかった自動販売機があった。
中国では珍しいせいか、販売機の横に係りの女性が立っている。お金を入れてコーラを買ったら、その女性が手持ちのお金からおつりを渡してくれた。
「これって、自動販売機?」
それともう一つ。
登場口に入るボディチェックのところで・・・。
私の少し前が、松本先生(8/14のブログのトップ写真の大きな後姿)と石井愛さん(石井慧選手の妹さん)。このお二人に探知機が反応し、その後、台の上に立たされて入念に調べられていた。
前に筋肉コチコチの人は、金属探知機に反応すると聞いた事があるが、あれ本当の話やったんやー。
まだ「元」が残っていたので、空港内のショップでも買い物をした。買い物といっても、また北京オリンピックオリジナルグッズだ。中国とのお金の値打ちの差に後ろめたさを感じながら・・・。
空港内を歩いている時、石井義彦氏が話しかけてこられた。「もう、ずっと前のことのようですね。」
昨日の試合のことだ。
的確に情報を収集し、常に先を見すえてそれを分析されている石井氏らしい言葉だった。この卓越した能力は、確実に息子さんである石井慧選手にも受け継がれている。今後がますます楽しみだ。
今回の応援ツアーも、窓口は奥さんの美智子さんだったが、北京での3日間は義彦氏頼みだった。私にもいろいろと気を使っていただき、本当に余計な手間をおかけしてしまった。
いつか何かでお返しができたらと思うが・・・。
今の私に思いつくことは、石井慧選手をいつまでも応援し続けることくらいでしょうか。
本当にお世話になりました。なかなかできないいい経験をさせていただきました。ありがとうございました。
今後の石井家ご家族の、ご健康とご活躍をお祈りします。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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