パオパオだより

2018年12月15日(土)

名護から奥武島へ [沖縄]

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2018年11月07日(水)

重い荷物を一緒に負って [沖縄]

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埋め立て工事が進む米軍キャンプ・シュワブの沿岸部=9月16日

◎毎日新聞11月7日朝刊・記者の目

   普天間移設 菅官房長官の発言 
           正確な事実踏まえ説明を=三森輝久(熊本支局・元那覇支局)

 10月25日本紙オピニオン面「論点」に掲載された米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設を巡る菅義偉官房長官の言葉に暗たんたる気持ちになった。菅氏が移設の経緯を正しく説明していないからだ。

 20年以上ある歴史の中で移設計画は変容したが、菅氏はその過程にあった政府の不誠実な対応に言及していない。国民が菅氏の説明をそのまま信じれば「移設を巡り、沖縄の側が政府との合意を翻した」と誤解するだろう。県内移設を拒む沖縄の人々を「反日」などとおとしめるゆがんだ「沖縄ヘイト」にもつながりかねない危険な言説だ。

 菅氏は常々、移設について沖縄の人々に「丁寧に説明したい」と繰り返してきたが、2005年から5年間那覇支局に勤務して移設問題を追った記者として、国民に誤った認識が広がらないよう、丁寧に説明したい。

 菅氏は次のように語った。
 「22年前(1996年)のSACO(日米特別行動委員会)合意で普天間飛行場の全面返還が決まり、地元の市長と知事の同意を得て辺野古への移設を閣議決定したという経緯があるわけです」「これはもともと地元と話して決めたことじゃないですか。日米合意以来、沖縄や政府の関係者が努力を重ねてきた。辺野古の工事も、地元知事の埋め立て承認をいただいて決まったことをやってきたわけです」

 素直に読めば、日米合意を基に政府と沖縄が話し合って移設計画をつくり、政府はその計画に基づいて埋め立て工事を進めている―と受け取るのが普通だ。

 ■19年前閣議決定 現行計画と違う

 しかし、実際はそうではない。菅氏が言う「閣議決定した」計画は、V字形2本の滑走路を備えた現行計画ではなく、その前身、辺野古沖2.2キロの海上を埋め立てて滑走路を造る当初計画のこと。この二つは似て非なるものだ。

 当初計画の起点は、日米合意後の98年、稲嶺恵一氏の知事当選にある。稲嶺氏は「苦渋の選択」として「15年使用制限」「軍民共用空港」の条件付きで県内移設を容認し、99年11月、名護市の岸本健男市長(故人)に辺野古沖を移設場所として受け入れを要請した。岸本氏は同年12月27日、15年使用期限や基地使用協定締結など7項目を条件に容認。政府は翌28日、「使用期限については米国政府との話し合いで取り上げる」などとして7条件を受け入れた形で移設方針を閣議決定した。政府と沖縄県、名護市はその後協議を重ね、02年7月に辺野古沖移設計画をつくる。しかし、この計画は反対派の海上での阻止行動などで進まなかった。

 ■ほごにされた条件付き容認

 流れを変えたのは小泉純一郎政権だ。05年、世界規模で米軍配備の再編を進めていた米国と協議し、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ陸上部を造成し、あわせて沿岸部を埋め立てて1本の滑走路を整備する計画に変更した。この計画だと、反対派が入れないシュワブ陸上部から海の埋め立てができる。移設場所は当初計画より辺野古の集落に近くなった。この時、政府は沖縄県や名護市に相談せず、了解を得ないまま米政府と合意した。そして15年使用制限などの7条件も雲散霧消した。

 沖縄県からすると、苦渋の選択の末に条件付きで容認し、政府と協議して決めた移設計画を、基地固定化を防ぐためのの綱だった使用期限などの条件とともに一方的に破棄され、計画変更されたことになる。この経緯を那覇支局で取材していた私は、沖縄側のすさまじい怒りを今も覚えている。日米両政府の合意は当時、米軍再編中間報告と呼ばれたが、知事側近は地元を説得してつくった条件付き移設計画をほごにされ「何が中間報告だ」と言い捨て、別の側近は「こういうことに対する沖縄の怒りに、保守も革新もない」と語った。

 現行計画に地元同意があったとすれば、中間報告案を現行計画に修正した06年の政府と名護市の協議だろう。だが、当時の島袋吉和市長は岸本元市長の7条件を無視して容認したため支持市議の離反を招き、次期市長選での落選につながった。地元の納得を得たとは言えない合意だった。稲嶺知事も計画を容認しないまま退任している。

 埋め立て承認は13年、次の知事だった仲井真弘多氏多によるものだが仲井真氏はその3年前の知事選で「県外移設」を公約に当選し、埋め立てを承認するまで現行計画を容認するとはただの一度も言わなかった。県民の信任はなかったのだ。

 政府が沖縄との合意や条件をご破算にした経緯があるにもかかわらず、菅氏は「論点」で一切語らず「地元と話して決めたこと」を「やってきた」ことにした。玉城デニー沖縄県知事が辺野古移設に反対する現状に照らせば、政府と協議して決めた計画を、今になって沖縄が態度を翻したをと誤解されかねない。

 沖縄の人々が訴えているのは、米軍基地という重い荷物を、本土も一緒に負ってほしい、なぜ沖縄だけに負わせるのかという、根本的な疑問である。政府は正確な事実経過の上に立って説明を尽くし、その疑問に向き合わなければならない。
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 県内移設を拒む沖縄の人々を「反日」などとおとしめるゆがんだ「沖縄ヘイト」人よ、せめてこれくらいの記事を読んでから発言せーよ。

 今日の毎日新聞の「記者の目」はよかった。どこかでコピーできるかと探してみたが、この記事は有料記事らしい。
 全文2056文字中、非公開の残り1746文字をポチポチと打ち込みましたがなー。多くの人に読んでもらいたいなあ。

 それにしても、菅官房長官!
 自分にとって都合の悪いことはできるだけ隠して、うまいことごまかしたらええと思っている腹黒人間・・・。
 おっ?
 それって・・・。
 わしや、わしや。

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【今日のきく】

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 水曜恒例、17時間バイト帰りの深夜お散歩。
 「腹黒パオパオ」と「背黒きく」のツーショットを撮ろうと思ったが、きくはあっちを向いてしまった。背黒も写ってませんね。

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 これが、きれいな「きくの背黒」。

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2018年09月30日(日)

デニーさん、よかった! [沖縄]

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2013年おきなわマラソン

 ヨメさんが見つけてくれたネットの開票速報は、まず離島から。そこで、自民系が強いと思っていた久米島が2200対1500でデニーさんがリード。それと支持政党別投票先で、公明党支持者の32%がデニーさんに投票。

 この2点でデニーさんが勝てるかもしれないと思った。
 その数分後にデニーさんに当確。

 私の分析、「沖縄の創価学会員の20〜30%が上からの指令に逆らってデニーさんに投票すれば、デニーさんに勝ち目はある」は正しかった。
 
 デニーさん、うちの娘が住む名護市に新米軍基地を絶対に作らせないでください。
 ああよかった、よかった。ほっとした。

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カチャーシーを踊り当選を喜ぶ玉城デニー氏(中央)=2018年9月30日午後9時35分、那覇市

■玉城氏39万票で過去最多 沖縄県知事選 得票数確定

当396632 玉城デニー 無新
 316458 佐喜真 淳 無新
  3638 兼島  俊 無新
  3482 渡口 初美 無新

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2018年09月27日(木)

良心に従って [沖縄]

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創価学会の三色旗を持って、玉城デニー氏の街頭演説を聴きに来た野原善正さん=2018年9月13日午後6時39分、那覇市の県庁前、伊東聖撮影

◎朝日新聞9月25日朝刊

   沖縄 創価学会員の反旗
        自公連携でも「辺野古移設おかしい」

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設の是非が争点となっている沖縄県知事選。公明党は、移設を推し進める安倍政権に近い佐喜真(さきま)淳氏(54)を全面支援する。だが、支持母体・創価学会員の中には「移設反対」の意見もあり、党の方針に反旗を翻す人もいる。

 告示日の13日、那覇市。「辺野古反対」を貫いた翁長雄志(おながたけし)知事の後継候補・玉城デニー氏(58)の街頭演説を、青、黄、赤の創価学会の三色旗を手に聴き入る男性がいた。浦添市の会社員野原善正さん(58)。「おかしいと感じている学会員が自分の行動を見て声を上げられるよう、あえて三色旗を持ってきた」

 24歳で創価学会に入り、熱心に活動してきた。だが安倍政権が2014年7月、集団的自衛権の行使を認める閣議決定をし、公明も容認したことに「おかしい」と感じて公明支持をやめた。学会員の集まりなどのたびに異議を唱え、学会にも抗議したが、相手にされなかった。

 沖縄戦の経験から、沖縄の創価学会は伝統的に反戦意識が強いと言われてきた。辺野古移設について、公明県本部は今も「反対」を掲げる。前回知事選では自民が推薦した「移設推進」の仲井真弘多氏を推さず、公明は「自主投票」とした。

 だが当選した翁長氏が政権と激しく対立すると、県本部は徐々に自民に接近する。2月の名護市長選では、移設を事実上容認する新顔を党として推薦し、勝利した。今回の知事選は「自公連携」を強化。県本部は佐喜真氏と政策協定を結んだが、辺野古移設に触れていない。

 野原さんは言う。「学会も公明党も平和を希求しているはず。辺野古に基地を造ること自体がおかしいのに、学会員を集票マシンとして利用している」

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「公明党は自主投票にすべきだ」と訴える創価学会員の住友ヒサ子さん(左)ら=2018年9月22日、那覇市おもろまち、伊藤和行撮影

 22日の玉城氏の集会では、那覇市出身の住友ヒサ子さん(65)=東京都新宿区=も三色旗を掲げ、「今の公明党は平和思想に反する。真実を見抜いて投票しましょう」と呼びかけた。県内に住む親戚に玉城氏支持を訴えているという。「辺野古反対と言っておきながら、佐喜真さんに投票するなんてあり得ない」

 ただ、公明県議はこうした反発を「ごく少数」と言う。「大半の学会員は、国と対立しすぎた翁長氏に疑問を持ち、党の方針を理解してくれている」。県内の公明票は7万〜8万とされる。

 那覇市の会社員知念昌光さん(75)は10日、恩納村の学会施設で創価学会の原田稔会長の話を聞いた。原田会長は平和の尊さを訴えつつ「佐喜真さんを応援しよう」と話したという。知念さんも生活の向上を訴える佐喜真氏を支持する。

 辺野古反対。翁長氏の「イデオロギーよりアイデンティティー」という言葉に共感した。だが「普天間が返還されれば、実質的には基地の縮小だ」と自分に言い聞かせているという。(伊東聖、山下龍一、伊藤和行)
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■自公連立政権(ウィキペディアより一部抜粋)

 自公連立政権(じこうれんりつせいけん)は、日本の政権の一つ。
 1999年(平成11年)10月5日から2009年(平成21年)9月16日まで、及び2012年(平成24年)12月26日から現在も継続中の自由民主党と公明党による連立政権である。

     ◇     ◇     ◇

自民党は1998年(平成10年)7月の第18回参議院議員通常選挙で前回の改選前の61から45に大幅に議席を減らした。この選挙の敗北の責任を取り橋本龍太郎内閣が総辞職し、同月30日に小渕恵三内閣が成立した。8月中旬、元首相の竹下登は創価学会会長の秋谷栄之助と密かに会談を行い、創価学会の協力を取り付けた[1]。

政権運営に行き詰った自民党はまず自由党との連立協議に入り、1998年(平成10年)11月、自自連立の基本合意が首相小渕恵三と小沢一郎自由党代表の間で取り交わされた。同年11月7日、旧公明党系の「新党平和」・「黎明クラブ」・「公明」が合流し、「公明党」を再結成。この際、代表の神崎武法は「自民党の補完勢力にはならない。自公連携、自公連立は考えていない」との考えを表明していた[1]。

詳細は「公明党#沿革」を参照

自民党はこうした不安に配慮した。自民党にとっては、自由党との連立のみでは参議院の過半数には足りず、過半数、さらには安定多数を確保するためには、公明党の議席が必要だった。1998年(平成10年)11月、自民・公明両党は、公明党が主張した地域振興券を補正予算案に盛り込むことで合意。1999年(平成11年)3月には問題発言などで公明党が辞任を求めていた法相の中村正三郎を事実上更迭した。他方、公明党は11月15日投開票の沖縄県知事選挙で従来行っていた革新候補(大田昌秀)の支持を取りやめ、表向き「大田昌秀氏支持を基軸に自主投票」としつつ、実質的に保守(自民)候補の稲嶺恵一を支援し、稲嶺が当選した。

1999年(平成11年)1月14日、自民党と自由党の連立政権が発足。公明党もいまだ名目上は野党ながら、周辺事態法、国旗・国歌法、通信傍受法、住民基本台帳法改正など、政府・与党の重要法案に次々と協力し、与党入りの足場固めをした。同年10月5日、自民党の小渕内閣との自自連立に正式参加。自自公連立政権が誕生した。これ以降森内閣(森喜朗首相)・小泉内閣(小泉純一郎首相)・第1次安倍内閣(安倍晋三首相)・福田康夫内閣(福田康夫首相)・麻生内閣(麻生太郎首相)、そして、自民党が政権を奪還した第2次安倍内閣(→改造)・第3次安倍内閣(→1次改造→2次改造→3次改造)・第4次安倍内閣(安倍晋三首相)においても公明党は自民党との連立政権を維持した。

■公明党の立場

公明党は連立政権内で国務大臣ポストを1人分充てられることが慣例となっている。
公明党は「政権のブレーキ役」を自任する一方、特定秘密保護法の成立などを見ても、自民党が主張する政策・法案の成立に大きく協力しており、「自民党の補完勢力」になっているとの指摘がある[6]。
自公連立政権誕生以来、公明党は自民党と対立しても最後は自民党の主張を大筋で受け入れることが多いため、「下駄の雪」と言われることもあるが、これについて公明党代表の山口那津男は、「公明党の役割を下駄に例えれば、鼻緒の役目を負っていると思う。鼻緒が切れれば、下駄は使い物にならない。単なる下駄の雪というのは極めて実態を見ない言い方だ」と反論している[7][8]。
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 今さら公明党や創価学会を批判してもしょうがない。
 あの党や教団は「自民党にへばりつくしかない」、そういうところなんでしょう。

 「信者は洗脳されているもの」と考えて何の不思議もない。ただ、その中に冷静に判断する力を取り戻しておられる方もある。
 県内の公明票7〜8万のうちの「ごく少数」とはどれくらいなのだろう。もしそれが2〜3%なら2000票前後。この程度なら、デニーさんの負け。
 しかし、もしそれが20〜30%なら20000票前後。このあたりが勝負の別れ目のような気がする。

 信者の前に、人間としての良心に賭ける。
 どうか、辺野古に100年以上固定されるという巨大要塞を容認するような知事候補には投票しないでください。
 お願いです!

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【今日のきく】

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 今日は寮1に17時間。
 家に帰ると、またヨメさんはお疲れで就寝の模様。
 代わりにきくちゃんがお散歩のサービス。
 これって、サービスなんかなあ・・・。

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2018年09月21日(金)

沖縄だけに押し付け [沖縄]

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政治学者・白井聡さん

◎朝日新聞9月19日朝刊

   戦後の日本 あり方を問う
      ドキュメンタリー映画「国家主義の誘惑」監督・出演者に聞く


 沖縄や憲法、天皇制、日米関係のあり方を問うドキュメンタリー映画「国家主義の誘惑」が、全国で上映されている。沖縄県知事選や自民党総裁選を控え、映画を制作した渡辺謙一さん(67)と、映画に出演した政治学者の白井聡さん(41)に聞いた。
 ――映画で「戦後日本は海兵隊としてのアメリカはないことにして、ディズニーランドとしてのアメリカだけを享受し消費する体制を作った」という白井さんのコメントが印象的です。
 白井 米国の両義性を本土の日本人が実感していたのはベトナム戦争までで、今は沖縄だけに押しつけている。沖縄は「構成的外部」。平和国家・日本の外にあるように見えて、実は戦後体制を成り立たせるのに不可欠。この平和国家は、米国の戦争のお手伝いを一生懸命やっている。この矛盾が押し込められている場所が沖縄だ。
 渡辺 映画でミュージシャンの喜納昌吉(きなしょうきち)さんが「沖縄の本土復帰は美しかったけれども、実際は憲法9条の恩恵も受けていない」と言う。なぜ今、辺野古が問題なのか。なぜ沖縄だけが中央政権に対して反旗を翻しているのかが問われている。
 白井 「海兵隊としてのアメリカ」に、本土側も直面せざるをえなくなってきた。最近、対日貿易赤字をめぐり、トランプ大統領が「真珠湾を忘れていないぞ」と安倍晋三首相に迫ったと報じられ、日本の外交当局は「米国の大統領が日本に不満を持つはずがない」と必死に打ち消しているようだが、第三者的に見れば滑稽の極みだ。
 ――近著「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)で、「対米従属」の問題を掘り下げていますね。
 白井 戦前は天皇が日本国民を愛してくれたように、戦後は米国が日本を愛してくれるという幻想のもとに、天皇の上に米国が載った形で「国体」が再編された。沖縄の占領状態を長期間継続させることを天皇が米側にひそかに依頼したとされる1947年の「沖縄メッセージ」も重要な要素として含まれる。
 ――「戦後の国体」はいつまで続くのでしょうか。
 白井 1868年の明治維新から1945年の敗戦までが77年。それから2022年までが同じく77年。「国体」が形成され、いったんは相対的に安定し、そのあと崩壊して社会全体をぶちこわす。このプロセスが二度繰り返されるとすれば、その過程の終わりとして考えることができるのではないか。
 渡辺 日米関係だけで物事は考えられない。地政学的にロシアや中国とも関係してくる。米ロ中という軍事大国のすきまにある島国が日本。競り合うのではなく、生き延びるために個性を強める方が大事だろう。そもそも同盟は対等であるはずなのに日米は対等でなく、戦後も別の形で不平等が継続している。明治人は不平等条約解消になぜあれほどこだわったのか、歴史をさかのぼって考えてほしい。(聞き手 核と人類取材センター・田井中雅人)
     ◇
 映画は第七芸術劇場(06・6302・2073)などで上映中。
     ◇
 わたなべ・けんいち 1951年生まれ。映像作家、映画監督。「天皇と軍隊」など多数。
 しらい・さとし 1977年生まれ。京都精華大学専任講師。著書に「永続敗戦論 戦後日本の核心」など。

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監督・渡辺謙一さん

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 「大変な思いをしている沖縄を自分が語れるか…。内地だと皮膚感覚で問題を感じられない。無知を恥じているんですよ。中に入ってみると、相当な苦しみがあるんですよね」とおっしゃった樹木希林さんはえらいと思う。
 
 私も同じ。
 ただ沖縄が好きというだけで、知ったかぶりをしてはいけない。
 しかし、沖縄が他府県と明らかにちがうのは米軍基地の多さ。それすら分かっていない本土の人間は情けない。
 私は、高校の授業に「沖縄学」を入れてほしいと思っている思っている。まずは、現状を知ること。そこからですね。
 
 ウーマンラッシュアワーの村本さんもえらいと思っている。沖縄の現状を知り、自分なりに感じたことを発信されている。こういう人は応援したい。
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ライブで漫才などについて語る村本大輔さん=3日、那覇市牧志の桜坂劇場

◎琉球新報2018年1月4日

   ウーマン村本が沖縄で明かした 「THE MANZAI」沖縄ネタの裏話

 お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんが3日夜、単独ライブ「ウーマンラッシュアワー村本の大演説〜時は来た…すべての戌どもに村本が吠えて噛みつく2018in沖縄…」を那覇市の桜坂劇場で開いた。現代日本の風刺や漫才への思いを語り、会場の約300人は笑い、拍手を送った。

 ライブの冒頭、自身が出演した討論番組で、大学教授から「無知を恥じなさい」と叱責(しっせき)された一幕を紹介。村本さんは「無知であるからこそいろいろ知ることができる」と反論し、こぶしを突き上げた。

 昨年末に全国放送の番組で、被災地や沖縄を漫才のネタにしたことや周囲の反応などにも触れた。「(沖縄などをネタにして)『重い』などと言われたが、漫才は社会で『空気』のような存在の人に色を付ける役割がある。辺野古にいる人々にもお笑いで色を付けたい」と思いを語った。

 宜野湾市からライブに訪れた木村浩子さん(80)は「自分の言いたいことを全部言ってくれてよかったし、おもしろかった」と話した。

■村本大輔さん一問一答/簡単にレッテル貼るな

 お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんと県内報道各社の主な質疑応答は次の通り。

 ―沖縄と本土の意識のギャップを埋めたい。どう考えるか。

 「(ニュースで)辺野古とかで座り込みをしている人たちが(警察に)捕まえられている映像を見た。なぜこんなことになるのかと(疑問に)思った。なぜ基地を置くのか。なぜ沖縄にいっぱい集中しているのか」

 「僕は基地賛成でも反対でもないけど、もし賛成、反対どちらでも泣いている人がいたら、同じ日本なら『どうしたの』『教えてよ』ぐらいは言えよと思う」

 ―漫才で基地問題を発信するのに勇気が必要だったか。

 「勇気というよりも、下手に語ったと思われる失礼さや、傷つけたらどうしようという方が強かったかもしれない。思ったことは漫才で言いたいと思った」

 「無関心な人を傷つけたいんじゃない。沖縄の若い無関心の人に言いたい。無関心、無知は恥じゃない。無知は最大の武器だと思う。無知はこれからまだ知らない本を読める楽しさがいっぱいある。自分は思い込んでいないという思い込みが一番怖い」

 「(「THE MANZAI」のネタについては)ケーキに問題を混ぜて食べさせてあげないと(視聴者が)口に入れてくれない。僕が知っている範囲で分かりやすくかみ砕いた。ちょっとの角度が広いものになる。漫才のすごいところだ」

 ―辺野古で座り込む人々の話を聞いて何を感じた。

 「それぞれの思いを背負っていることが分かった。(座り込み運動を)『金をもらっている朝鮮人がバイトで行っている』と決めつけた方が簡単に語りやすい。例えば1人、地元のばあさんがいたらその声までレッテルを貼ってしまう。でも、ベッド、ソファの上でネットだけで情報を見て、親指一つで世の中を決めつけている人間が、差別にさらされながらあそこ(辺野古)で自分の思いを語っている人間を否定する権利なんて何一つない」

 「フランスでは革命があった。ストライキやデモが当たり前。日本では声を上げると『やばいやつだ』というレッテルを貼られる。簡単にレッテルを貼るな。辺野古(基地建設)に賛成している人とはまだ話していないから話したい」

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2018年06月24日(日)

今帰仁でまったり [沖縄]

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 私が寝ている間に、真樹が名護までパンを買いに行ってくれた。
 朝からかわいいパンが食べられて、ほっこり。

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 朝からがっついているのはぺんちゃん。

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 私が近くにいても、ほとんど気にしなくなった。

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 私は名護のJAへ。
 お目当ては、おいしいおいしいミニマンゴー。

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 いつもの年に比べると、大きなマンゴーはたくさんあったがミニマンゴーは少なかった。その中でも慎重に選んで買ってきた。

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 こんな暑い時期に交通量調査。
 炎天下で帽子もかぶらず・・・。だいじょうぶなんでしょうか。

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 お昼は、コンビニのざるそばとコーヒー牛乳にした。
 これを食べた後に体重を測ると57.0kg。ということは、昨日のゴール後は56kg台ですね。

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 バイト仲間のKさんとお掃除のKさん、それに家用の3つ買った。前はもうちょい安かったのに、ちょっと高くなってました。

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 家に帰ると、はんちゃんが変なところに隠れていた。

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 ぺんちゃんは私を気にずくつろいでいた。

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 真樹をバイト先のカフェまで迎えに行き、いったん家に帰る。

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 ぺんちゃん、真樹が抱っこしたら大暴れ。

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 はんちゃんは押し入れの隅でくつろいでいた。
 それにしても、顔と足が反対にねじれているような・・・。

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 真樹を本部町のコンビニまで送り、私はここらで夕食が食べられそうなところを探す。

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 ところが水族館に行く道から外れた旧中心部は、閑散としていた。

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 商店街のお店もほとんど閉まっており、広場でミニコンサートをやっておられたところも人影まばらだった。

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 ひっそりと歩いていたネコちゃん。

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 懐かしい感じの写真館が、以前の隆盛を物語っているようだった。

 ここには食べるところはない。
 仕方ないし戻ろう。

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 真樹の家の近くには食堂「マリー」さんがあるのだが、昨日今日と臨時休業。 
 一度も入ったことのないラーメン屋さんがあったので、そこに入ってみることにした。

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 まだできたばかりのお店のようで、メニュー表には「みそ・しょうゆ・塩」の3種類のラーメンが書いてあるだけだった。飲み物のメニュー表もなかったが、オリオンビールのポスターが貼ってあったので、ビ−ルはあるみたい。ただし、私はこの後名護に買い物に行く予定だったのでビールはやめておいた。
 チャーシューがたっぷり入ったしょうゆラーメン(600円)、おいしかった。

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 食べ終わった後、名護にお買い物。
 居間の敷物が冬物なので暑い。真樹が夏らしい涼しい敷物を欲しがっていた。
 それと、自転車の空気入れね。

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 買い物から帰ってくると、なんかはんぺんがにゃーにゃー鳴くと思ったら、晩ごはんをせがんでいるのだった。

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 おとなしいはんちゃんは、いつもぺんちゃんに自分の分も食べられてしまう。そうならないように気を付けてやるのが難しかった。

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 今日は、はんちゃんもまあまあ食べられたかな。

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 敷物を新しいのに変えると、ネコちゃんら大喜び。

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 すりすりすり・・・。

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 ごろんごろんごろん・・・。

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 「いや、はんちゃんも喜んでくれてるやん! よかった、よかった。」

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 2ひきで、新しい敷物の上を駆け回っていた。

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 爪ひっかけ遊びもしてたね。いろいろ工夫しますね。

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 10時までのバイトが終わり、真樹を迎えに。
 真樹も帰ってきたら、ネコちゃんらといっしよにごろんごろん。

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 はんちゃんはまた隠れてしまったね。

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 真樹が約束の一番高いビールを買ってくれた。
 今日は胃の調子も元に戻ったし、真樹との長い長いゆんたくを・・・。

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