2017年07月17日(月)
百井・ヒノコ供養ラン [ランニング]
「生後1カ月未満の赤ちゃん、さわってもたー。」
「授乳中のおかあさんまで、さわってもたー。」
今日は、5年前の6月に亡くなった林幸博君(中学時代の同級生)の供養のつもりで百井・ヒノコへ。
そこで思いもかけない出来事が・・・。
朝ごはんはこんなもの。
だんだん備蓄食料がなくなってきた。
納豆と煮豆のみ。
みそ汁の素やお漬物がなくなってしまったのが痛い。
別所のご近所犬・メイを訪問。
「たっ、倒れとる!」
なにかー?
一応「ウー」と唸っとこー。
口を半分ずつ開けて唸るところがかわいい。
メイは年寄りのイメージがあるけど、うちのきくより3つほど上なだけ。
まだまだだいじょうぶやでー。しっかり長生きしてやー。
かねてから、百井の幸博君のご供養に行っていないのが気になっていた。
中学3年間、雨の日も雪の日も山道を越えて通ってくれていた。車の通れない険しい道を。計算すると約千日ですか。
私ら別所のもんはその大変さを理解せず、夏休みのクラブの練習に来ないことをなじっていた。逆の立場やったらどうやったんやろう。
今さらやけど、申し訳なかったと思う。
せめて幸博君の供養はその道を通って・・・。
旧農協前から和佐谷へ。
いきなり急坂。
道が二つに分かれていた。
こっちやったような・・・。
私らは年に数回しか百井に行っていなかったし、それも46年も前のことなので記憶はあやふや。
途中からどう考えてもまちがっていると思った。でも、引返すのはイヤだったのでそのまま。とにかく、この山越えたらいいんでしょう。
尾根まで上がると歩きやすい道があった。
ふりかえると別所下の町あたりが見えた。
手前が「庄七」、一番奥の赤い屋根はターコ姉夫婦の家。
残念ながら、うちの家は木に隠れて見えなかった。
前が開けてきたと思ったら、広い道路。
これは花背峠からつながっている道やないですか。予定の和佐谷峠よりだいぶ南に出てしまったようだ。
広い道を進んでいくとありました、和佐谷峠。
標高は808mらしいので、花背峠より上。
一応記念写真を。
さすがに汗だくだく。これでいいんです。
下りは道に迷うこともなく順調。
遭難する可能性もないことはないので、ケイタイを持ってきたが圏外。
着きましたー、百井キャンプ場。
今日は祝日なので、お客様も何組かおられた。
うちから3.5km、47分。
でも、ここから百井の在所までけっこうある。
私が分校教師時代(24〜26歳)に住んでいた職員住宅。
たぶん中はボロボロでしょうね。
お隣が幸博君の実家だが、まずは旧百井分校まで。
分校前到着。
4.7km、55分。
花背第一中学校からでは、4km、50分。
走れるところは走ったからこの時間。
中学生がカバンを持って歩けば、1時間はかかったそうだ。それに雨や雪が加わると・・・。
校庭の垣根の剪定をされていた方が声をかけて来られた。
「こうじ君やなあ。」
それは幸博君のお兄さんの忠夫さんだった。
「はい。幸博君の供養と思って別所から和佐谷通って走ってきました。」
「そうか、それはそれは。」
「ヒノコの養鶏場、やってはりますよね。」
「ああ、やってるよ。」
「今は息子さんがいやはるんですよね。」
「そうや。」
「ワンちゃんは?」
「おるのはおるけど、前にいたのは全部死んでしもたわ。今はちがうやつ。」
「そうですかー。とりあえず行って見せてもらいますわ。」
「はい、気を付けて。」
百井分校からヒノコまで2kmくらいと思っていたら、もっと遠かった。
ただ、ほとんど平坦で広い道だったので走りやすかった。
ヒノコ到着。
7.47km、1時間12分58秒。
峠越えが含まれるので、キロ9分46秒ペース。
息子さんにお断りして、中を見せてもらった。
あっ、これが新顔。
おとなしそう。
もう一ぴき。よう似たワンちゃん。
おっとっとっと、犬小屋の下の隙間からぞろぞろと・・・。
まだ生まれて1か月もたっていないそうだ。
おっちゃんには、近づいたら・・・。
ええい、もうええやろ。
さわったんねー。
授乳中のおかあさん(エス)にも「ごくろうさん」ゆうとかな。
ちょっとだけなでさせてもらった。
もうええやろ。
(これが今日のオチです。)
これで少しは幸博君の供養になったかな。
さあ、帰りはまたしんどいぞー。
百井の一番北の岸沖さんちにもかわいいワンちゃん。
ヒノコにいたワンちゃんによく似た白い犬が3びき。
そうそう、ヒノコの2ひきは両方メス。子犬たちの父親は不明とのこと。百井と言えど、飼い犬は皆つないである。
「おとうさんは、どこー?」
百井もお年寄りが多いはずなのに、休耕田は少ない。
別所とちがって谷が東西に伸びているので田畑は南向き。すごく日当たりがいい。きっといいお米や野菜がとれるのだと思う。
百井分校まで2.88km、19分25秒。
お向かいの鶏料理「とり幸」さん。
幸博君のお兄さんの忠夫さんがやっておられる。
夏は涼しくていいですよ。私らも、第1回の中学校クラス会をここでやらせてもらった(2008年5月18日)。
すごくいいところです。みなさまも、ぜひ。
中学のクラス会
中学のクラス会・続き
中学のクラス会・総括
こんな上等系のワンちゃんを飼ってはるところもあるんや。
「ちょっといっぷく」ですって。いい感じです。
でも、毎日やっておられるわけではないようです。
「百井夢農場」かー。
この活動で田畑が守られているのかなあ。
在所の一番端にある思子淵神社。
「ますみちゃんの合格、・・・」
今の一番の願いはこれ。もちろん、その他いっぱいお願いしときましたけど・・・。
百井キャンプ場の立派な管理棟。
この入り口にも「関係者以外立入禁止」の看板が。
別所側から来るときもあちこちに「立入禁止」の表示があった。
今はやりの「トレイルラン」。
ロードレースは警察に道路使用許可を申請するのだが、すべて私道を通るトレイルランはどうなっているのだろう。
「山の持ち主」というと、一つの山を一人が所有しているように勘違いされている方が多い。全然そんなことないんですよ。例えばうちの山は滝谷というところの奥にあるんですが、そこに行くまで何軒分もの他人の土地を通らなくてはならない。山は数百メートルごとに持ち主が変わる。その持ち主同士は山仕事仲間なのでほぼ問題ないが、そこに遊び半分のランナーが我が物顔で走っていくことを持ち主はどう感じられるだろう。
人気のあったウルトラマラソンが終了というニュースをいくつか聞いた。その一番の理由が、参加ランナーのマナーの悪さという話もよく聞く。
「山道は自由に使っていい」と思っている主催者や参加者が増えると、いずれトレイルランもウルトラマラソンと同じように問題になっていくように思えてならない。
たぶん数10キロに及ぶトレイルランを実施しようとすると、それにかかわる地権者は100人を超えるのではないか。うちの山に行く500mほどの間に5軒分ほどの他人の土地を通らなくてはならないのだから。
本来はその地権者全員の許可を取らないと、トレイルラン大会など実施してはいけないでしょう。このへんの問題、どう解決して行ったらいいんでしょうね。
もし私が咎められたら、「別所のもんですねん。父は藤井善一です」と言えばOK。
ここらで「別所の善一さん」を知らん方はもぐりです。
和佐谷峠までは迷わず行けるはずだったのに、またちがうところに入ってしまった。体が南に傾いているんでしょうか。また少し南に。
でも来た時に分かっているので、落ち着いて少し北へ。
ここ、ここ。
ここからは、花背山の家のオリエンテーリングコースに沿って下りていくことにしよう。これなら迷わんでしょう。
「このえぐられた溝に、はまる子がぎょうさんいるやろなあ」と思っていたら、私が滑ってはまった。やっぱり、こういうところはトレイル用のシューズでないとあかん。
川か道か分からんようなコース。
なかなかええオリエンテーリングコースです。
花背山の家の野鳥の森。
この先ずっとネットが張り巡らされていた。本当に入ってほしくないところは、ここまでせなあかんのですね。
この写真、上っていくように見えるが、実際は急な下り坂。
ここを下りきると学校が見える。
花背第一中学校前到着。
ヒノコから6.71km、1時間06分47秒。
百井分校から3.83km、47分22秒。
道に迷った分が少なかったので、来た時より距離も少なく時間もかからなかった。それでもそうとうしんどかったけど・・・。
学校前あたりから夕立。
残り600mくらいでビチャビチャになった。
でもこれで、汗といっしょに出たはずの体内残留放射能が流されたはず。夕立もまたうれし。
ビチャビチャ記念に一枚。
はよ、シャワーせんなん。
山道でドロドロになったシューズも、夕立できれいになった。
夕立もまたまたうれし。
家まで7.37km、1時間10分48秒。9分36秒ペース。
往復で14.84km。
走っていた時間は合計2時間23分。
よう走った。もうクタクタ。
ほんまにもう食べるもんがない。
納豆、きゅうり、トマト・・・精進料理か!
これではまた体重が減ってしまうがな。
今日で3日間の「いなか隔離生活」も終了。
入院の時期と合わせると、今晩から8日ぶりの一家団欒。一家ゆうても、ヨメさんときくちゃんだけやけど・・・。
うっとおしがらずに仲良くしてね。
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【今日のきく】
5時15分、「京都キャロット」着。
ヨメさんは、もう学校に出かけて行ったあとだった。
店はバイトさんに任せ、きくを連れて家へ。
車で迎えに行ったので、きくは何の違和感もなく私を受け入れてくれた。
夜7時、8日ぶりのきく散歩。
7時と言ってもまだまだ明るい。
喜んでくれたのはよかったのだが、すぐに立ち止まる。
「きくちゃん、どしたん?」
そうかと思えば、急に走り出したりもする。
「きくちゃん、情緒不安定か?」
一番困ったのは、バス通りの真ん中で固まってしまったこと。
「きくちゃん、車にひかれるちゅうねん!」
今までよりだいぶ遠回りのお散歩になった。
でも8日ぶりやし、その分のサービスということにしとこ。
こういう時きくは急に狂暴になったりするのだが、今回はそれはなし。ほんまに情緒が不安定なだけみたい。自分が入ってみたい溝に顔を突っ込んだりして・・・。
「家に帰らん」ゆうてダダこねたらどうしようと心配だったが、案外すんなりと帰った。
明日からは、今まで通りに戻してやー。
久しぶりに、地下鉄・国際会館駅までヨメさんのお迎え。
そのあと、こんな遅がけからスーパーに買い物。
10時から、8日ぶりの夫婦そろっての晩ごはん。
ヨメさんは、ちゃちゃっとおいしいみそ汁を作ってくれた。
「ますみちゃんと食べたら、何でもおいしいなあ。」
「・・・。」
お刺身なんか何日ぶりやろう。
お腹いっぱいになって体重を測ったら、58.1kg。
まだまだやねえ。
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2017年07月16日(日)
京都走ろう会例会〜汗出しラン〜 [ランニング]
「〇〇さんは、まだ外で子どもをつくる可能性ありますね。1m以内に近づかんといてください。影響あるかもしれんし。」
「なんでやなー。外じゃなくて家でつくるがなー。」
「おっとっと、そっちかーい!」
こんなスマートな切り返しは予想外。
「もちろん、家でもあかんのですよ」と言うのもあほらしい。(〇〇さんは私より年上。)
私にとっての主要メンバーは、私のブログを見てくださっているで気が楽。
小さい子も妊婦さんも来られてなかったので、気兼ねなく「汗出しラン」に勤しませてもらった。
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朝7時半起き。
夜は涼しく、ぐっすり寝られた。
昨日の残りのごはんを食べて、コーヒーを飲んでからいなかの家を出発。
京都走ろう会のゼッケンを取りに家に寄る。
きくちゃんがしっぽを振ってお出迎え。
ヨメさんは相変わらず試験勉強中。
明日は祝日なのに、明日からテストだそうだ。
「びわの実、食べた?」と聞くと、「食べた、おいしかった」とのこと。
来年はちゃんと袋がけとかしたらもっといいのが取れるかも。今年は大きいのは皆アリにやられてしまっていた。
「おちゃんぽやろ、おちゃんぽやろ」ときくが私に迫ってくる。
「きくちゃんごめん。明日まで待って。明日いっぱいおちゃんぽ行くから。」
後ろ髪ひかれる思いで家を出て、鴨川・出雲路橋へ。
「退院しやはったとこやのに、走ってだいじょうぶなんですか。」
「お医者さんは、かまへんゆうてはりましたよ。」
「ほんまに?」
こんな会話が多かった。
今日の準備運動は、私より一回り以上年上の八田さん。
「八田さん、病院で身長測ったらまた縮んでましたわ。」
「藤井さん、それは姿勢が悪いからやで。姿勢治さなあかん。それとな、頭の毛がなくなった分、けっこう身長低くなりますよ。」
「おっ、その話もーらい。ブログに書かせてもらおう。」
たしかに。
私は若い時、髪の毛ふさふさ。私の勝手な言い分によると、47歳の時手術を受けるのに丸坊主にして以来髪の毛が薄くなってきた。今脳天にはほぼ髪の毛がないので、これだけで5ミリくらいは損してるはず。
今日は、出雲路橋の上からスタートの合図をしてくださるようだ。
これなら5kmのスタート地点から見えるので、分かりやすくていい。
今日も5kmに20名ほど。
これだけ参加してくださると、一人ポツンと走るということにならないのでいい。
私の今日の目標は、「とにかくいっぱい汗を出す」こと。
それで、体内残留放射能がどんどん出て行ってくれたら・・・。
スタートしてすぐ、松本さんと一日ゼッケンの若者が飛び出す。
しばらくして、北出さんが私を追い抜く。
こうして私は4番手として力走。
「汗出ろ、汗出ろ、汗出ろ・・・。」
葵橋を渡り出雲路橋東詰も超えて北上中、対岸から「パオパオさーん!」と大きな応援。
松山会長だった。ありがとうございます。はっきりと聞こえましたよ。
北山大橋を渡り南下中、また松山会長。
この暑い中、動きながらの応援ありがとうごさいます。
最後の北大路橋をくぐり、残り500mほど。
ここらへんで、後ろから来たポップさんと石川君に抜かれた。とてもついてはいけない。あっという間に離されて、そのまま6番目にゴール。
4分18秒
8分50秒(4分32秒)
13分21秒(4分31秒)
17分45秒(4分24秒)
22分11秒(4分26秒)
無理なくいいペースで走れた。
2週間前の例会よりも速く走れたし、満足。
肝心の汗出しは、もひとつかな。
元々あんまり汗が出る方じゃないんですよね。
あとは、いつもどおりダウンジョグを兼ねて仲間の応援に。
ゼッケンつけたままだったので、ややこしいかと思ってグランド横から戻った。
かわいい花がぼうぼうで歩けませんやん。
本部に戻ると、みなさん歓談中。このおしゃべりがいいんですよね。
私は今日はそれは自重。気になる人のタイムだけ見せてもらった。
1位 一日ゼッケンの若者 20分00秒
2位 松本さん 20分10秒
3位 北出さん 20分21秒
6位 パオパオ 22分11秒
松本さんや北出さんをライバルと言うにはあつかましすぎる。
5kmで2分差かー・・・。
いつもは誰かを捕まえてツーショット写真を撮ってもらうのだが、もちろんそれも自重。
トイレ前で自撮りしときました。
今日は黄色の上下で。ポップさんのいい標的になったでしょう。
最近停めているコインパーキングは下鴨側。
でっかいお屋敷の横やなあと思っていたら、ワコール・塚本さんのお宅でした。
鴨川に下りると、賀茂川パートナーズの三木さんが走って来られた。
「三木さーん、キャロットで―す!」
「ああ・・・。」
この時間まで走ってられるということは、たしか9時半にスタートされているので1時間半以上。タフですねえ。
そうそう、今日は千尋さんには会えませんでした。残念。
アップジョグの時にも探したが、その時はネコちゃんが見つけられなかった。念のため、もう一回・・・。
おったー。ええ顔して寝とる。
ごめん、起こしてしもたね。
またねー。
家に帰ると、ヨメさんときくちゃんは店に行ったようで留守。
シャワーだけ浴びてから、1週間ぶりの体重計。
57.8kg。
ごはん前ならこんなもんか。
病院で運動せずに食事完食だったので、体重増えてるかもと思ったがそうはならなかった。今は、もうちょいあってもいいように思う。何食べたら増えるかなあ。
いなかの家に帰り、ワンタンメンの昼食。
私はいなかもんなんで、「ワンタン」が何かずっと知らなかった。「ワンタンメン」と言うのは「寿がきやラーメン」と同じように商品名だと思っていた。「ワンタン」が入っているラーメンを「ワンタンメン」と言うのを知ったのは大人になってから。
この何も具の入っていない「ワンタンメン」を食べ、汁を全部飲んで喉がカラカラになるのがいいんですよねえ。
京都走ろう会の吉田康彦さんが、「藤井さん、はよ帰って寝とかな」と。
たしかに疲れたので、ちょっとお昼寝。
いなかの私の部屋は、天井が三角で開放感がある。
雨の音で目が覚めた。けっこう降っている。
2階から下を見下ろすと、こんな感じ。
いい家でしょう。落ち着きますにゃわ。
たまってた新聞を読んだり、ブログを書いていたりしていると夜になってしまった。
夕食は、ヨメさんが非常食用にとってあったカレーをもらってきた。缶詰ももう終わって、買い物をしたら高くついてしまうので。
なーんか10分くらいで食べ終わってしまった。食事のときは、やっぱりヨメさんとしゃべりながらゆっくり食べるようにせなあかんね。
夜は「ねっとわーく京都」の原稿書き。
6月23日の「一人沖縄平和ラン」のことを書いたので、スラスラと書けた。
明日で退院後3日間も過ぎ、元の生活に戻れる。ヨメさんときくちゃんにしっかりコミュニケーションを取らねば。
今日コンビニに寄ったら、沖縄のオリオンビールが売ってあった。これで治療もひと段落だし、退院祝いということで約1か月ぶりのビール。(6月23日、真樹についでもらって飲んで以来。)そうへいさんからもらった鳥取のおみやげもすごくおいしかった。
今日も三線の練習がでけへんかったし、明日は絶対にやろう。
明日も走るでー。
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2017年07月15日(土)
静かな生活 [雑感]
いなかの我が家は静か。
両隣は、昼間は人がいるが夜間は無人。裏に父もお世話になっている老健ホームがあるが、こちらも静か。
うちにいて一番大きな音は、家の前を流れる川の音。川向に国道477号が通っているが、夜はほとんど通る車はない。
窓を開けていると寒い(川からの冷気)ので全部締め切って寝た。ぐっすり寝て、起きたのは7時半ごろ。
「きょうのわんこ、見やんなん」と思って、テレビがないことに気付く。
私の部屋の窓を開けると、すぐ下にびわの木。
「ヨメさんに、びわの葉っぱと実を持って行ったろー。」
ゴミ出しの曜日を忘れたので、ゴミ出し場所までお散歩。
これがちゃんと歩けない。
ブランクがあってもすぐに走れるようになるのに、歩くほうがむずかしい。走るのは、もう体内リズムのようなものが確立できていてそれをすぐに呼び出せる。
それに対して、近くでもすぐ車で行ったりするので歩くのが苦手。なーんか変ですね。
お昼前、みき江姉とターコ姉が訪ねてきた。
みき江姉は父のお見舞いに来たらしい。
「こうじが11年前にPTAだよりに書いてたおじいさんの戦争の時の話なあ、ちょっとまとめて使わせてもらおうと思ってんねん。本人の了解を得なあかんし、使っていいか聞きに来てん。」
「プロの文筆家はつらいね。どうぞどうぞ、つこてやー。」
「11年前の文と今書いてる文と比べたら、やっぱりだいぶ変わってきてるな。」
「そやろ、成長してるやろ。」
みき江姉は呆れていた。横で話を聞いていたターコ姉はもっと呆れていたかも。
ターコ姉が「私も見たい」と言うので、11号まで出したPTAだよりを全部持って行った。(姉夫婦の家まで、うちから200m。)
今ごろ、「なんじゃー、このPTAだより! こうじのやりたい放題やんかー」とか思って読んでいるでしょうね。
お昼は、家から持ってきたラーメン。
具になるものを買って行こうと思っていたが、一人分の具ちゅうのはむずかしい。けっきょく、具なしラーメン。
こちらに来てみると、たりないものがけっこうあった。
しゃもじ、台所用スポンジ、しょうゆ、単3電池など。
びわの葉っぱも持って行きたかったので、峠を越えて一度下界へ降りることにした。
店にいるものと思い直行すると、バイトさんのみ。
家に帰ると、ヨメさんは試験勉強中。
きくちゃんはうれしそうに出てきてくれた。
「きくちゃん、こわないん? 前やったら、しばらく会わんと恐がって逃げ回ってたのになあ。」
「暑すぎて、それどころやないみたい。」
私も暑すぎて、ヨメさんにびわの葉っぱを渡し、要るものをちゃいちゃいとつかんで早々に引き上げた。びわの葉はよろこんでもらえたようでよかった。
町内にある野菜の販売機で、割れトマト(200円)ときゅうり(100円)を購入。
それを持って、またいなかへ。
明日は京都走ろう会例会に行くつもり。
朝寝坊できないので、時計の電池も買ってきた。
退寮した寮生にもらった電波掛時計。T君、ありがとね。今も役に立ってるよー。
こんなええ環境の中にいるんやし、今日も走らな。
昨日は南向いて花背峠往復8kmやったし、今日は北向いて大布施・八桝往復10kmやな。
スタートして300mで兄夫婦と父の家。
ちょうど前の畑に兄がいたので声をかけた。
それから20分以上も話し込んでしまった。
兄は私と正反対で超真面目。別所の将来を考えて、何か打つ手がないかとあれやこれや考えてくれている。協力できることは精一杯したいという気はあるが、なんせ末っ子は力なしなもんで・・・。
うちの山がある滝谷口。
「樹木葬ってええなあ」と思っていたが、うちの山には樹木がいっぱい。ここに灰まいてもらおかー。
ただし、夏はマムシと蜂で大変やし、冬は雪で来れへんし、「死にどきは、春か秋ですなあ」と勝手に思っとっても、誰もまいてくれんか。
家から2.5kmくらいのところに、犬の訓練所。私の一つ下の喜代春君がやっている。
今日もたくさんのワンちゃんが吠えまくっていた。それでも、周りに家がないところなので全然だいじょうぶ。犬も人もストレスがなくていいね。
大布施のドン付き、開花橋で4.5kmほど。
広河原向きにあと500m走ろう。
そうそう、駐在所のワンちゃん見やな。
「あれっ? 駐在所だよりに載ってた写真見たらコーギーに見えたのに、ちゃうやん。由緒正しき雑種犬やん。ああうれしー。」
「いろはちゃーん」と呼んだら、私が恐いようで吠えて吠えて吠えて・・・。
消防の駐在所を超えたところで5kmになりそう。
おお、かわいいワンちゃんとこでちょうど5km。27分36秒。5分半ペース。
ここで折り返し。
開花橋から京北側を望む。
この先の温度計を見ると28℃。もう6時半だというのにこの暑さ。
上り坂をふうふう言いながら、やっと別所へ。
北の一番かかりのおうちは木村さんち。
いましたー、クーちゃん。
「クーちゃん、ごめんな。今日はさわったりでけへんにゃわ。ほんまにごめんな。」
「事情があんにゃったら、しやーないがな」と聞き分けのあるクーちゃんでした。
兄はもう畑仕事を終えて、家に入ったようだ。
帰りの5kmは、31分13秒。6分15秒ペース。
後ろ姿ジャンプ自撮りに挑戦したが、あまりうまくは行かなかった。ちょっとは浮いているはずですが・・・。
ダウンジョグで花背山の家まで。
入り口近くに大きなねむの木があるんですね。今まで気付きませんでした。
今日の夕食は、制限食用に買っておいたやきとり缶詰。あとは煮豆とトマト・きゅうり、それときゅうりのどぼ漬け。まあまあ安上り。
夜8時で、気温25℃、湿度67%はきつい。
別所としてはあり得へんような気候。
でも、街中に比べたらずっとまし。今日も安眠できそう。
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2017年07月14日(金)
退院すれども近寄れず [病院]
今日のお昼、京大病院を無事退院いたしました。
退出可能限界というのが決められていて、放射性ヨードの体内残留量が30マイクロシーベルト以下なら退院できるらしい。私は10マイクロシーベルト。優等生ですか。
「1日2リットル以上の水分を取って、ドンドン尿や汗で出してください」と言われ、がんばって飲みましたがな。元々マラソンとかでも水を飲まへんほうやのに。起きてるときは1時間に1回くらいトイレに行っていた。ああ、その甲斐があった。
「退院後の生活の注意点」を説明してくださった看護師さんは、今回のピカイチ。
「一番心配なんは、飼ってる犬に近づいてもええんかどうかゆうことなんです。それを先生に質問したら、すっごい困らはって・・・。人間のことはスラスラ説明してはった先生が、なんやあいまいな返事で・・・。」
「そうでしょうね。犬への影響は研究されてないと思います。何かあったら大変ですから、用心するに越したことはないと思いますよ。ワンちゃんは喜んでひっついてきますもんね。」
「そうでしょう!」
実は、うちのきくは私のことを下に見ているので、「喜んでひっついてくる」ということはめったにない。でも、そう言ってもらえるとうれしいじゃないですか。
家が別の所にもう一軒あるのでそこに行こうと思っていると話したら、「3日間はそうされるほうがいいと思います」と言われた。
【最も気を付けること】
・5才以下の子ども、妊婦さんとは1m以内に近づいたり濃厚な接触は8日間は避ける。
・5才以上の子どもと1m以内に近づくことも4日間は避ける。
【帰宅後3日間】
・家族と一緒に過ごす場合、できるだけ離れる。
・用便後は2回流す。
・寝るときはひとりで。
・入浴は家族の最後にして、すぐに浴槽などを洗浄。
・十分に水分を摂取。
・衣類などの洗濯は他の家族のものと別に行う。
・旅行・移動は必要最小限。
・人混みには行かない。
・職場は休む。
【投与後数カ月から1年間】
・治療者カードを3ヶ月間携帯(火災報知器が作動したり、セキュリティチェックでひっかかる場合がある)。
・交通事故や医学的な緊急事態に巻き込まれたときは、治療者カードを提示。
・女性は1年以内の妊娠、授乳をしない。
・男性は半年間は避妊。
これに付け加えられたことがショックだった。
「1年間は赤ちゃんに接触しない」
万一、廉や真樹に1年以内に赤ちゃんができたとしたら、さわったらあかーん!
4年連続でアイソトープ治療を受けておられる方もある。そろそろ解禁→入院治療→そろそろ解禁→入院治療のくり返し・・・。ということは、私がそうなったら永久に孫に近づけへんちゅうことか。
「退院すれども近寄れず」解禁は、いったいいつになるんでしょう・・・。
今日は治療室に持ち込んだものをすべて処分。
何か記録に残しておきたかったので、使い捨てカメラだけ持ち込ませてもらった。昨日の体内残留量測定の時に、このカメラも測ってもらえばよかったのだが忘れていた。ちゃんと撮れているかどうか分からん写真だが、これは今日持ち出せないのでだいぶ先に公開ということになる。まあ、すんだことやしどうでもええか。
ペットボトル500×6本、コーヒーパック×10、お茶パック×10、もも×2、すもも×8、ぶどう×2房。
ちょっと気持ち悪くなった時もあったが、「放射性ヨードは、早く出さないと体のあちこちに支障がある」と聞いていたので必死。食べ物系はほとんど捨てずに済んだので、まだ後ろめたさがなくてよかった。
シャワーを浴びて着替えると、やっと治療区域から脱出。
最後にRI診療棟に行き、シンチ撮像。
まあ簡単にゆうたら、放射性ヨードがしっかり癌細胞に食らいついとるかどうかを調べるヤツ。
「食らいつけよー!」
今からゆうても遅いか。
「機械が鼻すれすれのところまで来ますよー。こわかったら目をつぶってください。」
「なななんちゅう・・・。」
ほんまに鼻すれすれまで来よるがな。もうちょいで鼻つぶれて息止まるがな。
こっちは手足縛られとるちゅうねん!
スリルありすぎて疲れた。USJには行ったことないが、絶対にこっちのほうがドキドキハラハラ。全部で40分くらいだったらしいが、終わった時立ち上がれなかった。体フラフラ。無茶しよんで。
支払い手続きに行くと、高額医療の認定証を持ってきてから計算してくださるとのこと。入院前になんぼ探しても出て来ず、「一旦3割計算で払っていただきます」と言われていた。そんなややこしいことにならず助かった。
京大病院さん、しっかりしてはります。よかった。
通路に現在工事中のお知らせ。
「この工事のガードマンは〇〇〇です」と書いてほしかったなあ。緑の制服のわが社のガードマンが立っている。
暑い中、ご苦労様です。倒れんようにね。
アイソトープ治療病棟を出た人は、うどんを食べに行く人が多いらしい。昆布やカツオのだしが使ってあるうどんは、ヨード制限食にまともに引っかかる。つまり、この治療を受けた人は全員2週間はうどんを食べていない。
私は・・・。
うどんよりラーメン。ラーメンは胆のう炎に悪そうだが、今日くらい食いたいもん食わせよー。
京大病院の東向いの「らんたん」さん。
前はよう食べに来てたけど、うちの子らが小さい時に来て以来やから15年ぶりくらいかなあ。
じいさんばあさんと、その娘さんらしき人の3人でやっておられた。あのじいさんばあさんは、40年前にもおられたのだろうか。
「あんたらの30℃は実際は32℃やから。2℃はおかしなってるから」と娘さんらしき人がおっしゃっていた。たしかに。私も、昔ほど暑さを暑いとは思わなくなってきている。
タクシーのおっちゃんの、「鴨川の洪水の時は上流から牛が流れてきた」という話も興味深かった。
チャーシューメン・並(850円)を食べ終わるころ、汁の中にきくちゃん登場。こら、ヨメさんにメールせなあかん。
「線量基準以下なので、退院できました。3日間は要注意とのことなので、予定通り別所に帰ることにします。」
「店暇やし迎えに行きます。」
「人に近づいたらあかんので、迎えに来たらあきません。」
ありがたい申し出を断らなくてはならないこの辛さ。(車の中は、1m以内に長時間となる可能性が高い。)
京大病院からの帰りは、市バスで元田中まで行き、元田中から叡電で帰る方法をヨメさんが教えてくれていた。しかし、バスは人混みになる可能性があるので回避。
京阪・神宮丸太町駅まで歩いて、そこから出町柳。出町柳から叡電で京都精華大学前駅へ。
電車の中で、小さい子が近づくたびにドキドキした。「おっちゃんは、わけあってあなたに近づいたらあかんのです」とも言えへんし・・・。
京阪・出町柳駅には徳力富吉郎さんの版画が飾ってあった。この方も別所ゆかりの人なんですよ。
家に着くと、ヨメさんの忘れ物。それを届けに店へ。
きくはなんか調子が悪いらしい。そういう時はオッサンと「ガウガウごっこ」をすると元気になるのだが、残念ながら今はできない。
「あと3日待ってなー。」
まずは左京区役所へ。
「限度額適用認定証なくしましたー」と言ったら、係の方は困っておられた。それでもすぐに再発行してくださった。これで一つ片付いた。
今日金曜は4時にヨメさんときくが帰ってくるので、大あわてでいなかに帰る準備。ガガガといろんなものをつかまえて持ってきたが、あるもんでなんとかしよう。
いなかの家に着いたのは4時半すぎ。
気温はそれほどでもないのだが、いやに蒸し暑い。
いなかでもポケットWifiが使えるようになった。
治療室に入っていた3日分のいろいろなことをチェック。
一番気になるのはfukikoさんのブログ「猫と過ごす、こんな一日」。
さてーとー・・・。
せっかくいなかに来たんやから、走らんとね。
別所で走ると言えば花背峠往復8km。
監禁部屋で運動できなかったので走れるか心配だったが、ゆっくり行けばよろしい。
5時半ころスタート。
上の町の浄水場前の温度計は26℃。別所にしたら暑い。これに加えて湿度の高さ。すぐに汗が吹き出てきた。
こうして体内残留放射能を出すのはすごくいいことらしい。病院ではエアコンが効いていて、全然汗が出ませんでしたから。
もうすぐ峠というところで、後ろから追い付いてきた車。
「おっちゃん、どこまで走るん?」
姪(ターコ姉の三女)とその娘。街に出かけるようだった。
「峠まで。今日、京大病院退院してん。」
「そうなん。走ってだいじょうぶ?」
「汗出さなあかんねん。今、体から放射能出まくりやし、近寄ったらあかんでー。」
「はーい。」
峠の北向きは23℃だったが、南向きは25℃。
ここまで約4km、26分01秒。6分半ペース。
帰りはずっと下り。
曇っているのに汗は出る。よしよし。
うちの3軒手前、「庄七」にワンちゃん発見。
長いこと見てなかった「カイちゃん」やと思う。だいぶ前に見た時よりえらいごっつなってたけど・・・。
帰り4km、22分13秒。5分半ペース。
8km、しっかり走れました。
家のびわの木にたくさんの実がなっていた。ヨメさんはお灸に使う葉っぱをほしがっていた。おみやげに持って帰らんならん。
お墓参りの予定日を聞きに、兄の家へ。残念ながら留守。
その帰りにターコ姉夫婦の家へ。
「近寄ったらあかんで」と前置きして、少し離れて歓談。姉は私のブログを時々は見てくれているらしい。
家に帰ってすぐシャワー。
家を建てるときにこだわった広いお風呂。ゆったりとしていて気持ちいい。
シャワーのあとはすぐ掃除。たいへんやわ。
時計が止まり、テレビもない。
しかし、何もしなくていいので不便ではない。
制限食用に買っておいた焼肉缶詰と、帰り道のJA市原野で買った納豆とトマト、無人販売のどぼ漬けなどで夕食。これはこれでぜいたく。
三線の練習をしようと持ってきたが、今日はもう寝る。
また明日。
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2017年07月13日(木)
武庫川ミニ駅伝の写真 [ランニング]
※今ごろ監禁真っ最中。この記事は7月11日に書いています。
7月9日の武庫川ロード記録会。そのあとにあったミニ駅伝にも出場。
そのとき、走友・松本一之さんが居残りで私の写真を撮ってくださっていた。
松本さん、いい写真をいっぱいありがとうございました。
おかげさまで、申告とは2秒差の優勝ができました。
私が退院して元気なら、またいっしょに走ってくださいね。
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2017年07月12日(水)
悲しい思い出 [昔話]
※今ごろ監禁真っ最中。この記事は7月11日に書いています。
京大病院に関することでずっと忘れていたことがあった。
高校卒業後、私は立命館大の2部(夜間)に進学。それと同時に、京大正門前にある「ナカニシヤ書店」に就職した。今から43年ほど前の話。
仕事は、京大職員さんへの本の配達。私の配達区域は、医学部・病院だった。たいていは定期購読の医学雑誌などを配達する。「蛋白質・核酸・酵素」とかいう月刊誌もあったなあ。
たいていは決まったルートを順番に配達して行くだけ。まあそれさえまちがわなければ、誰にでもできるような仕事。
しかしある日、いつもとちがう方からの注文がありそ、その部屋を探すことになった。京大医学部の裏手あたりをウロウロしていると、檻に入れられたたくさんのワンちゃんが悲しそうに鳴いていた。いや、泣いていたといったほうがいい。
そのあと、やっと注文された方の部屋が見つかり入っていくと、檻の中にネコちゃん。体中にチューブかなにかがいっぱいつけてあった。
私が目の当たりにしたのは、まちがいなく「動物実験」。そのおかげで何人もの命が助かり、私が使う薬の研究にも貢献しているのかもしれない。それは分かっているのだが、18歳の犬猫好きの私には、厳しすぎる現実だった。
けっきょく、「ナカニシヤ書店」は3か月でやめてしまった。
今日お昼に、洗面所にヒゲをそりに行った。
その時に、「ひゅー、ひゅー」と悲しげな音。たぶんそれは風の音であったと思う。(そう思いたい。)でもその音で、43年前の悲しい記憶が一挙によみがえった。
もうここまでいろいろなことが進歩したんやし、もう動物実験はかんにんしてほしい。甘いでしょうか・・・。
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