パオパオだより

2016年07月22日(金)

東村高江の住民も軽んじられている [時事]

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◎朝日新聞6月22日夕刊

   「基地の押しつけやめろ」叫ぶ住民 沖縄ヘリパッド移設

 「基地の押しつけはやめろ」。早朝の森に怒号が飛び交った。米軍北部訓練場(沖縄県東村など)のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)移設工事に反対して座り込みを続ける住民らと、移動させようとする警察の機動隊。東村高江の現場は、22日早朝から騒然とした雰囲気に包まれた。

 訓練場内の移設予定地に通じる進入口周辺には、暗いうちから移設に反対する住民のほか、平和団体や環境保護団体のメンバーが各地から集まった。進入口沿いの県道70号には、工事再開を妨げようと約200メートルにわたって100台以上の車がとめられた。

 午前5時半、約100人の機動隊員が現場に到着し、道に座り込んだり、寝転んだりする反対派の手足を抱え、離れた場所へ強制的に運び出した。「やんばる(沖縄本島北部)の森を壊すのに手を貸すのか」「オスプレイパッド反対」などの怒号や悲鳴が上がる。県警は、とめられた車のタイヤの下に機材をはめて移動させた。

 車両の上に陣取る人たちを降ろす際には、激しいもみ合いに。体調不良を訴え、駆けつけた救急隊員に現場で手当てを受ける女性もいた。道路脇ののり面の上から「オスプレイが飛び回り、子どもが夜に眠れない状況になっている」と拡声機で訴える人の姿もあった。強い日差しが照りつけるなか、けがなどで数人が救急搬送されたこともあり、反対派は午前11時ごろから現場を離れていった。

 高江に住む住民の安次嶺(あしみね)現達さん(57)は「(米軍輸送機)オスプレイの着陸帯が高江に次々に造られたら生活できないから反対しているだけ。強引に何の説明もなく住民を排除して絶対に許せない」と憤った。

 21日夜から駆けつけた桃原功・宜野湾市議は、2012年秋にオスプレイが米軍普天間飛行場(宜野湾市)に配備されたときも抗議したが、今回と同様に機動隊に排除されたという。「なぜ沖縄だけ、こんな光景が繰り返されるのか」とうつむいた。

 政府は普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画を「唯一の解決策」としているが、「普天間もヘリパッドも、沖縄の中で移しても政府が繰り返す『負担軽減』にはならない。解決につながらないことをなぜ理解しようとしないのか」と話した。(奥村智司)
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 今日は朝7時から寮2(出町)に24時間。
 寮1(二条)はこのごろ新聞をためてくれていない。そのため、こちらの寮の朝日新聞を読むということになる。今日の記事は「あー、ついに」という思いになった。

 名護市辺野古の位置がやっと本土の人にも認識されてきた。かくいう私も、正確にその位置を認識したのは4年前のこと。
 しかし、沖縄にはまだまだ「米軍基地問題」で大問題になっているところがある。一番が辺野古とするなら、二番はこの高江ということになるだろう。本土から派遣された機動隊が座り込みを続ける人々を排除していく。それを見てなんとも思わない人は、「第二の加害者」と言っていいと思う。

 私が高江の座り込み現場を訪れたのは2013年11月17日。もう3年近く前になるんですね。その3日後の11月20日に「高江ヘリパット座り込み」 という題でブログを書いた。よかったら見てください。

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2016年05月04日(水)

「心が平和や」 [時事]

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◎毎日新聞5月4日朝刊・水説

   連休がつらい子たち=中村秀明 

 楽しいはずの大型連休が、困窮家庭の子にはつらいのだという。大阪社会保障推進協議会の事務局長で、シングルマザーを支援する寺内順子さんの話だ。

 旅行や遊びに行けないからではない。「学校の給食がなくて、おなかがすくんです。連休も働かなくてはいけない親も多い。今年のように日の並びがいいと、なおさら」

 寺内さんはそんな子どもたちと、兵庫県内の一軒家に泊まり込む「キャンプ」を予定している。これまでのキャンプで、三度三度おなかいっぱいのご飯を食べて「ぼく、なんか心が平和や」とほほえむ子や、荒っぽい言動が消えて甘えだす子を見てきた。「食べ物には大きな力がある」というのが実感だ。

 福岡県も子どもの貧困対策として「食の力」に期待する。コンビニエンスストアから売れ残った弁当やおにぎりなどを分けてもらい、支援団体などを通じて学習支援の場で、子どもに提供する。

 売れ残りとはいえ、店頭に置く期限が過ぎただけで消費期限は来ていない。コンビニには各団体が引き取りに行く。福岡県は、学習支援の場13カ所の助成金計260万円を予算化した。居場所づくりも兼ねて手料理を出す「子ども食堂」が各地に広がっているが、頻度は月に2回程度。福岡県は、日常的に子どもを支援しようと考えた。

 この対策は賛否を呼んだ。

 毎日新聞西部本社発行の夕刊は、困窮家庭の子どもたちへの偏見やいじめを助長したり、子どもたちの誇りを傷つけたりしないかと問いかけた。学習支援に携わる人の「今日、明日食べるものにも困る絶対的貧困下の子どもにとっては一つの手段になる」との声を紹介しつつ、「効率ではなく、こどもとその家族の尊厳を守ることが最優先。『ない』よりマシの考えはよくない」との意見を載せた。

 困窮する子は、それだけで傷つき孤立している。ならば食事一つにも、いやさまざまな力を持つ食だからこその心配りが大切かもしれない。

 寺内さんは「自治体が危機感を持ち、新しい試みをやるのはとりあえずいいことだ」と言い、「やってみて子どもの反応や課題を知り、臨機応変に対応してほしい」と話す。そして、できあいの物であっても、ご飯はお茶わん、おかずはお皿にと付け加えた。「それだけで、子どもは大事にされていると感じる」と。

 「心が平和や」。そんな言葉をすべての子が口にできるために何が求められるのか、賛否を超えて、私たちも考えたい。(論説委員)
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 三度三度おなかいっぱいのご飯を食べて「ぼく、なんか心が平和や」とほほえむ子や、荒っぽい言動が消えて甘えだす子を見てきた。「食べ物には大きな力がある」というのが実感だ。
     ◇     ◇     ◇

 これや、これや。
 世界平和を実現させるためには、「すべての人におなかいっぱいのごはん!」です。決して武力で平和はつくれません。

 私が小学校教師を目指した理由は、「毎日給食が食べられるから」。これが一番うける答えです。もちろん理由はそれだけではないけれど、正直けっこう大きな比重を占めていました。

 60歳になった今も「めしめしめしめしって、あんたの頭の中は食べることしかないんかいな!」とよくヨメさんに怒られていますが、今の生活の6割くらいが「めしめしめしめし」かなあ・・・。
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 2週間前にも寮の裏で会った「しゅうちやん」。
 そのときは私を恐がって後ずさりしていたのに、今日「しゅうちゃん」と呼んだらピョンピョンはねてくれた。

 「喜んでくれてるんでしょうか。」
 「喜んでますよ。」

 飼い主さんにそう言ってもらって、朝から気分がよかった。
 水曜朝の6時20分くらいに寮に着いたら、「しゅうちゃん」に会えるんやわ。
 私はかわいい雑種犬に会えたら、「こころが平和や」。

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 たしか、だいぶお年より犬だったはず。
 次に会えたら、くわしく聞いてみよう。

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2016年04月28日(木)

誰でも変人になれると保証するのが憲法だ [時事]

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久しぶりにいい新聞記事を見つけた。
 どこかから丸ごと取れないかとさがしてみたがなかった。仕方ない。ポツポツと手打ちで・・・。

◎京都新聞4月28日朝刊 

 憲法考 第1部 萎縮する表現 (1)「公」の圧力

   「面倒に関わりたくない」

 安保法の審議で国会が紛糾した昨年、全国の大学で法の違憲性を訴える有志の会が結成された。強行採決で国会が幕引きした3ヵ月後、ある地方議会で追及が始まった。
 「即時活動停止を求めたい」。
 昨年12月の津市議会本議会。保守系市議が語気を強めた。追求したのは私立三重短期大の教員が有志の会をつくり、法の廃止を求める市民団体の事務局を学内において短大の電話番号などを連絡先ににした行為。市議は、公立私立を問わず学校や、公務員に対して政治的中立と政治活動禁止を定めた教育基本法す人事院規則違反と述べた。「教授は罷免や」。議場にやじが飛んだ。
 有志の会を呼び掛けた一人で、研究室に市民団体の事務局を置いたのが三重短大教授の三宅裕一郎(43)。9条と安全保障を専門にする憲法学者だ。培った知見を基に「安保法=違憲」と考え、平和主義尊重を訴える集会で法の矛盾や市民生活への影響を訴えた。
 学長の東福寺寺一郎は、教員の活動は研究活動の一環で、憲法が保障する学問の自由に照らして政治的中立に抵触しないと報告した。すると3月議会で別の市議が学長の不信任動議を提出。市も教員の活動や施設利用を調査する委員会の設置を決めた。市議たちの言葉は激しさを増した。「団体に呼ばれて同じ主張を講演したのは団体の支持そのもの」「拡声器で法反対を主張するのが市民や学生の求める教職員なのか」

   「中立」が一人歩き

 有志の会メンバーが市民向け学習会を開くたび、短大に「公共財産で政治活動をしてもいいのか」などと電話がかかる。教員30人の内26人が有志の会に賛同したが、市議の追及後、「面倒に関わりたくない」という雰囲気が出始めたと三宅は感じている。何より大学人の政治的発言への偏見が市民や学生に広がるのを懸念する。「社会科学の領域に無色透明の言説と実学的貢献だけが求められるなら、政府の見解しか残らなくなる。なのに『中立』の言葉が一人歩きして特定の言論を制約するマジックワードになっている」
 表現への介入、異論に対する不寛容がコトバの萎縮を広げている。自民党はテレビ局に「公平中立な」選挙報道の要請を強め、総務省の高市早苗は局の電波停止にまで言及した。安保法論議が高まった昨年来、兵庫県姫路市の広場や立教大など各地で政権を批判する集会への会場使用拒否が出始めた。気に入らない意見を集中攻撃する「炎上」がネットにあふれ、近年はイルカ漁や靖国神社を取り上げた映画の中止が相次いだ。
 自民党が4年前に公表した改憲草案は、表現の自由の制約要件を、現憲法の「公共の福祉」に代えて「公益及び公の秩序」とした。「公益」に対しては、恣意的な解釈によって今より表現規制が可能になる危険性を多くの法律家が指摘する。

   権力に好都合

 「僕も違法行為ということになるんでしょうか」
 京都大で安保法反対の有志の会を立ち上げた一人で京大人分科学研究所准教授の藤原辰史(39)は苦笑する。三宅同様、法の違憲性を問う市民集会に参加し、法反対を訴える。会結成の動機の一つは作家百田尚樹の「沖縄2紙はつぶさないといけない」発言だった。「優れた言論や芸術は現実を越えようとするカウンター(抵抗)にある。後世に残る表現は御用学者や御用芸術家から生まれない」
 藤原の専門は農業史。特にナチスドイツの食料事情を研究してきた。近著「ナチスのキッチン」は、食料時給や兵士養成を目的に残飯利用などを国民に強要した食料政策を追跡した。
 ごみ箱まであさって順守を確かめるやり方に市民の多くがナチス党員に文句を言ったが、不平をこぼす人への弾圧はまれだった。半面、ナチスは社会的な意見表明を徹底的に取り締まった結果、無関心が社会を覆い、ドイツは粛々と第2次大戦に突入した。「日本もかつて検閲があったが、検閲より恐ろしいのが自己検閲。自分に関係ないならリスク負うより黙っておく自制が権力に最も好都合だ。今は威嚇を使って自分で自分の言葉を刈り込ませる」

   “臆病者”を守る

 京都大学教授毛利透(49)はなぜ民主主義に表現の自由が不可欠か問い続ける憲法学者だ。誰も聞いていない街頭演説、捨てられるビラを配る行為は無意味にも見える。ナノに、政党紙配布事件最高裁判決が「精神的自由は民主主義を基礎付ける重要な権利」「(公務員の政治行為禁止は)必要やむ終えない限度に範囲が画されるべき」と明確に述べたように、なぜ憲法学説は表現の自由に優越的地位を与えるのか。その説明に毛利が重視するのが「萎縮効果論」だ。
 毛利は政治哲学者アーレントの論を援用する。政治的意見を公にする人は、見返りもないのに社会の矛盾に耐えられず異議を申し立てる“変人”。脅されれば引っ込む臆病でもある。だが臆病者こそ真の勇気を持てる。多分この勇気があっても世界は変わらない。でもそれがないと世界が変わることはない。
 民主主義の根幹は臆病者同士でより良い社会を目指して議論をする不断の営みにある。だが、「公益」に酔ってあるべき社会の“かたち”が前もって決められる恐れがある点に改憲草案の問題点を見る。
 「臆病者の勇気をくじいてはならない。誰でも変人になれると保障するのが憲法だ」
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 あー、ポツポツ手打ち終了。
 きっとへんな変換してるんでしょうね。

 「誰でも変態になれると保障するのが憲法だ」なーんてね。

 これは誤変換ではなく、私の思いです。

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2016年01月28日(木)

何のための米軍基地 [時事]

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◎毎日新聞1月27日夕刊

   「沖縄基地、引き取り」
          「押し付けていいの?」 大阪・福岡で運動

 米軍基地が集中する沖縄の現状を変えようと、「基地の引き取り」を呼びかける市民運動が大阪と福岡で始まった。世論調査では、米軍基地の根拠となる日米安全保障条約に多くの国民が支持を示す。一方で国内の米軍専用施設の74%(面積比)は沖縄県にあり、宜野湾市の米軍普天間飛行場も名護市辺野古への県内移設が進む。活動を始めたメンバーは問う。「日米安保条約は必要と考えるのに、基地を沖縄に押しつけたままでいいのですか」

 大阪で活動を始めたのは市民グループ「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」。昨年3月に発足した。呼びかけ人の大阪府高槻市の福祉施設職員、松本亜季さん(33)は2004年から辺野古移設の中止を求める運動を始めた。JR大阪駅前で署名を呼びかける活動は10年を超えて続いたが、政府の辺野古移設の方針は揺るがず、沖縄には新型輸送機オスプレイまで配備された。「活動は何の力にもなっていない」と、無力感が募っていた。

 沖縄の一部に基地の本土移設を求める声があることは知っていた。基地が移転すれば、米軍機の事故や騒音被害も一緒に移ってくる。これまで「そんな責任は自分に取れない」と思ってきたが、「背を向け続けることは沖縄に基地を押しつけ続けることになる」と考えるようになった。

 大阪に続き、昨年7月に結成されたのが「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」。九州大大学院生の里村和歌子さん(40)は「沖縄から『差別だ』という声が出ていることに対し、どう向き合えばいいのかと考えていたところに大阪の活動が耳に入った。福岡でも始めるしかないと思った」と話す。

 大阪のグループでは普天間飛行場の大阪への移設を求め、八尾空港や大阪市此花区の「夢洲(ゆめしま)」など9カ所を候補地として掲げる。今月11日には近鉄八尾駅前で「普天間基地の移設は辺野古ではなく、大阪に」と書かれたビラを配った。

 「なぜ八尾に?」「基地を分散しても解決にはならない」。通行人の多くが否定的な反応を示したが、「沖縄の人に基地を押しつけ続けるのは日本人として恥ずかしい」と理解を示す人もいた。

 毎日新聞と埼玉大が昨年実施した世論調査では、日米安保条約について「維持」や「強化」を求める回答が7割を占めた。松本さんは「日米安保を必要とするなら、本土でも応分の負担を引き受けなきゃいけない。多くの人が自らの問題として考えてほしい」と話す。【遠藤孝康】
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 前からずっと言い続けているが、「一票の格差」を主張する人は「一米軍基地の格差」も主張してもらわないと。
 米軍基地が日本国民を守るために設置されているとするならば、人口の集中している首都圏に配備をしていかなくては。人口140万ほどの沖縄に基地を集中してもしょうがないでしょう。
 日本政府が仮想敵国としているのは、北朝鮮・中国・ロシアでしょうか。それなら首都東京から1500km以上も離れている沖縄に、基地を集中している意味がない。

 普天間基地の移設先は、人口集中している首都圏です。
 天皇制を心のよりどころにしている右翼のみなさんは、「皇居を守るために、米軍基地を東京に」という主張をなんでせんのかなあ。

 今日は、また寮の管理代行のバイト。
 家から読めていない新聞を持っていき、隅々まで見ていたら心に残る記事に出くわした。
 ほんとうに米軍基地が必要なら、沖縄に集中しているのはどう考えてもおかしい。右翼のみなさん、そう思われませんか。いっしょに手を組んで、沖縄の米軍基地撤去の運動をしていきませんか。

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2015年09月18日(金)

愛によってのみ [時事]

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◎朝日新聞9月15日朝刊・THA HUFFINGTON POSTより

   東アジア連帯「愛によってのみ」
           羽衣国際大学教授 にしゃんたさん

 安倍晋三首相の戦後70年談話、中国の「抗日戦争勝利70周年」式典など、過去の戦争を巡る記憶は東アジアに新たな摩擦を生み出している。

 スリランカ出身で羽衣国際大学教授のにしゃんた氏は「『憎しみの連鎖を断とう』を終戦70周年の合言葉に− J.R.ジャヤワルダナ演説(9月6日)を記念して」(7日)で、母国スリランカ(当時はセイロン)の元大統領が、1951年のサンフランシスコ講和会議で演説した言葉を紹介した。「憎しみは憎しみによってではなく、ただ愛によってのみ消える」という、演説で引用したブッダの言葉を、東アジアの民衆で共有しようと訴える。

 ぎくしゃくした関係が続く東アジア各国の指導者を「国家の枠組みに分かれて戦おうと民衆を煽(あお)っているようにも見える」と批判するにしゃんた氏は、民間の交流に期待を寄せる。国家を超えた民衆の平和的連帯に向け「『誘い水』を打つ役目は日本の民衆が担っている」「理想を語らずして何を語ろうか」と力を込めた。 (吉野太一郎)

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 また24時間寮管理代行のバイト。恒例、朝日新聞チェック。
 今回は、ブッダの言葉を引用したセイロン元大統領の言葉を引用したにしゃんたさんの引用。ああややこし。

 「憎しみは憎しみによってではなく、ただ愛によってのみ消える」
 どんなことがあろうと絶対に戦争しないという憲法を持つ日本は、「愛の国」と呼ばれるのにふさわしいだろう。「理想を語らずして何を語ろうか」、その通りだと思う。

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2015年08月26日(水)

平和は退屈? [時事]

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◎朝日新聞8月19日朝刊・平和のすがた 戦後70年 第6部

   「平和」とらえ直す 

 戦後の日本人にとって、「平和」は輝いていた。各地に「平和通り」ができ、戦後初の特急列車は「へいわ」と名付けられた。安保闘争やベトナム反戦運動でも、平和という言葉は強い求心力を持った。

 戦後50年を過ぎた1998年、「平和」イメージの変容を映すような本がベストセラーとなった。漫画家・小林よしのり(61)の「新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論」。冒頭、「平和だ…あちこちがただれてくるよな平和さだ」と時代の空気を描写した。

 小林は「平和をサービスとすら捉える甘えた時代になってしまった。公に奉仕する精神の必要性を説きたかった」と振り返る。だが今年刊行した続編「新戦争論1」の帯は「ようござんすね?このまま戦争で」とうたう。「右傾化しすぎた。真ん中に戻す」と語る。

 平和は「停滞」ともみられる。批評「『丸山眞男』をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は、戦争。」を2006年発表したフリーライター赤木智弘(40)は、格差を固定化する「平和な社会」は戦争によりリセットされるべきだと主張。大不況の中で社会に出たロストジェネレーションの閉塞(へいそく)感を代弁した。赤木は言う。「平和と言っても、経済成長がセットだった上の世代と僕らでは内実が違う。ロスジェネにとって、平和は長い坂をゆっくり下っている日常なんです」

 戦後70年、「平和」の受け止められ方は変わってきた。帝京大教授(歴史社会学)の筒井清忠(67)は80年代が一つの分岐点と見る。

 「日本の特徴だった分厚い中間層が衰弱した。ビジュアル性やわかりやすさが重視されるようになった。左右の極端な言説がもてはやされ、平和や穏健、中道は人気がなくなっていった」。その傾向は、戦前日本にも共通するという。

 「戦争が『過程』であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の『状態』である。だから、非常にわかりにくく、目にみえにくく、心に訴える力が弱い」。精神科医の中井久夫(81)は05年の論文「戦争と平和についての観察」で看破し、今もそう考える。中井は、平和が続くにつれて社会全体の見渡しが利かなくなり、「退屈」感を生むと指摘。欧州の近代における平和の「有効期限」は、「幼年期と老年期を除いた人の寿命」とほぼ同じ約半世紀だともいう。


 ■若い世代、乗り越えるには

 「退屈」が次の戦争を防ぐ力をそぐとしたら、「戦争を知らない世代」はどう乗り越えればいいのか。

 世界を知る重要性を説くのは元国連事務次長の明石康(84)だ。「退屈するほどの平和は、世界にはほとんどないことを知ることが大切だ」といい、現代の国際情勢を「戦争と平和の間のグレーゾーンが広がってきた」と指摘。「複雑化する世界で日本だけが平和というのは、かりそめの平和に過ぎない」

 作家・雨宮処凛(かりん)(40)も世界に目を向ける。初めて戦争の世界を見たのは99年。イラクで、劣化ウラン弾の影響に苦しむ子どもたちが次々と死んでいくのを見た。「1次情報じゃないと、たちまちうそくさくなる」。戦争や平和は「学校で説教くさく教えられるもの。第2次大戦も、江戸時代の○○の乱と差がなかった」と思っていた自分だからこそ、若い世代に戦争のリアリティーを伝えたい。戦場体験のある8人の証言集「14歳からの戦争のリアル」を7月、出版した。

 戦争を知らない世代ながら戦争小説を書いた作家・高橋弘希(35)は「戦争も忘れられていく。疑似体験で書かれたものがあってもいいと思った」。太平洋戦争中、南洋の島に投入された若き兵士が主人公の「指の骨」で芥川賞候補になった。兵士は野戦病院で果てしない無間地獄を生かされる。「今の日本は平和。でも、誰しも生きてる意図が分からない感じがある。そういう気分が無意識に映り込んでいるかもしれない」

 世代間格差、熾烈(しれつ)な就職活動、ブラック企業……。作家の高橋源一郎(64)は「若い世代にとっては生きることが既に戦争状態のようなもの」とみる。「理不尽な暴力を権力やシステムが押しつけてくるものが戦争だとするならば、もしかしたらこの社会にとって戦争というものは常に存在しているものかもしれない」

 「あの戦争」にリアリティーが感じられない世代の感受性を否定せず、むしろ「あの戦争」の神格化を解く糸口として、ポジティブに捉えようという。「あの戦争よりも、この身近な『戦争』をなくすことで、足元にまともな社会をつくろうとする。そこから平和を考えはじめるのでもいいんじゃないか」

 =敬称略

 (板垣麻衣子、中崎太郎)


 ■取材後記

 平和は長く続けば続くほど当然視され、陳腐ともみなされる。そんな平和の逆説を、「退屈」というキーワードで考えてみた。

 難題だった。平和という言葉のとらえどころのなさに、私たち自身が苦しんだ。

 この企画を進めている間、安保法制関連法案が衆院で可決。反対デモで、多くの若い世代が国会前に集まった。「退屈」なんて言っていられない。平和が脅かされつつある気配を察知して、声を上げている。平和はまた求心力を持つのだろうか。

     *

 いたがき・まいこ 1983年生まれ。富山、甲府各総局を経て文化くらし報道部記者▼なかざき・たろう 86年生まれ。神戸、鳥取、広島各総局を経て国際報道部記者。

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 寮管理バイト恒例の朝日新聞チェック。

 平和が退屈とは・・・。
 退屈の反意語は、熱中・没頭・繁忙などだそうだ。
 平和の反対は戦争だから、戦争に熱中・戦争に没頭・戦争に繁忙・・・。
 やっぱりおかしい。

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