2013年11月28日(木)
秘密保護法案にNOを! [時事]
◎京都新聞11月28日朝刊
秘密保護法案反対 京から
監視社会の恐怖訴え 紛争地取材、写真家の僧侶
「まだ諦めていません。法案にNOを」。強行採決で衆院を通過し、27日に参院で審議入りした特定秘密保護法案に反対するため、世界の紛争地を取材してきた写真家の僧侶が、京都市内の繁華街で訴えを続けている。
■繁華街でプラカード「言論の自由奪うな」
左京区の専修寺副住職の岸野亮哉(りょうさい)さん(38)。紅葉が見頃を迎え、人出でにぎわう東山区の四条大橋東詰に23日から立っている。プラカードを手に「この姿を撮影してツイッターやフェイスブックで広めてください」と声をからす。
岸野さんは、スリランカやイラク、ミャンマーなどの紛争地に十数回入った。そこでは市民が自由にものを言えない監視社会が広がっていた。記者への不当な拘束、過度な規制による盗聴を気にしながらの取材。それでも現地の人々は「ありのままを伝えてほしい」と、危険を顧みず協力してくれた。「言論の自由が奪われた国で、事実を伝えることがどれほど貴重で、どれほど困難なことか」
特定秘密保護法案は情報を漏らした公務員だけでなく、それを「教唆」や「扇動」した市民も処罰すると規定している。「秘密漏えいを防ぐだけなら現行法で対応可能なのに、なぜ市民まで処罰の対象にするのか」と岸野さん。「外敵から国を守るために必要というが、紛争地で聞いた言葉と全く同じだ」と危機感を募らせる。
戦前の日本では、多くの仏教教団が戦争に協力し、反戦を唱えた僧侶は僧籍を剥奪された。「あの過った歴史を絶対に繰り返してはならない。平和な世に生まれた僧侶の信念として、法案に反対したい」と、今日も立つ。
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岸野さんといえば、私が入らせてもらっている「静市九条の会」にもお話に来てもらった方だ。「九条の会」の集まりはたいてい日曜で、「京都キャロット」の出張販売と重なる。だから、その時も出席できなかったけれど。
「平和な世に生まれた僧侶の信念として・・・」
京都には、岸野さんのようなお坊さんがまだまだたくさんおられる。自分が今できることを探し、それを実行しておられる姿はすばらしい。
先日、義兄が少し話してくれた。
「こないだ地下鉄・北山駅前で、秘密保護法案反対のビラ配りしたんや。ところが消費税増税反対のビラとは大ちがいで、ほとんど誰も受けとってくれへんねん。まだ法案通ってへんのに、もう『そういうことにはかかわらんほうがええ』ちゅう空気になっとる。今反対しいひんかったら、ほんまにこんなビラを読むことさえできんようになるかもしれんのに・・・。」
「とりあえず、あなたが投票した議員さんに秘密保護法の説明してもらってくださいってゆうてんねん。そんなことをしてもらうために議員になってもうたんかちゅうことやな。ちゃんと説明できん議員には、次は絶対入れたらあかん。」
少しずつだが、ビラを受け取ったり、話を聞いてくれる人が増えてきているらしい。
どの世論調査でも秘密保護法案反対が圧倒的に多いのに、国会では逆に圧倒的多数で通過してしまう。これでいいはずがない。私もなにかしなくては・・・。
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【RUN】
今日も昼前からバイト。
よって、私の苦手な朝練。朝練と言っても、9時過ぎからですけど・・・。
もうすぐ12月。街路樹の葉っぱももうだいぶ落ちてしまった。
「今年もあと1か月か…。」
十王堂橋往復5km。26分13秒。
やっぱり、肩が気になるなあ。
1kmプラスして、今日は6km。
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【今日のきく】
私が走りに出るとき、きくが廉の部屋からのそっと出てきた。
「オバサンには散歩につれて行ってもうたけど、オッサンはないんか。」
「あー、分かった分かった。帰ってきたら行くから。」
走って帰ってきたら、家を出る時刻までもう30分ほどしかない。
「いそげー!」
でも、きくはゆっくりゆっくり。
ぐるっと回って帰ろうとすると・・・。
「こんなちょっとの散歩ではやってられん。ガウガウ!」
笑ってるように見えますが、「もっと、あそばんかい!」と怒ってる顔です。
「あー、かわいい。」
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天皇の政治利用 [時事]
◎朝日新聞11月27日朝刊・今こそ政治を話そう
内なる天皇制 映画監督・作家、森達也さん
戦後約70年が経ち、天皇陛下に対する私たちの意識は変わったと思っていたが、違った。久々に耳にした「不敬」は、私たちは変わったというよりは、天皇についてただ考えなく、語らなくなっているだけなのだと教えてくれる。だから語ってもらおう。かつて憲法1条=天皇をテーマにドキュメンタリーを撮ろうとした、森達也さんに。
――園遊会で山本太郎参院議員が天皇陛下に手紙を渡した件は、参院議長が厳重注意し、落着しました。
「『常識を欠くもので、極めて遺憾』と。しかし常識というのはとても恣意(しい)的な言葉です。何のルールを侵したのか明示されないまま、ペナルティーが与えられる。極めて日本的なやり方ですっきりしませんね。そもそも手紙を渡すことがどうして『政治利用』になるのでしょう。強いて言うなら『政治利用未遂』だし、それ以前に、利用するとかされるとか、それこそ天皇に失礼じゃないですか。僕だったら『私はモノじゃない』と言いたくなります」
「騒動後に社会とメディアにあふれた言葉は『政治利用』だけではなく、『非礼』や『失礼』、そして『不敬』でした。この国の『内なる天皇制』はこれほどに強固だったのかと感じ入りました」
――どういうことですか。
「大学の授業で、学生たちに山本さんの行為をどう思うかを聞くと、一様に『失礼だ』『不敬だ』との答えが返ってきました。その表情は真剣です。『天皇がとても困っているように見えた』とか『手紙を片手で渡すなど失礼だ』などと発言する学生もいました。でも『例えば学生が学長に、あるいは社員が社長に手紙を渡すことは非礼なのか?』と聞くと『それは違います』と。『ではなぜ天皇に対しては非礼になるのか?』と重ねて聞けば、『確かになぜでしょうね』ときょとんとしている。彼らは平成生まれです。なのに天皇はタブーに囲まれた特権的な存在だという意識をいつの間にか内面化している。これが『内なる天皇制』です。今の若い世代は権威に従順で空気に感染しやすいので、自然とそうなってしまったのでしょう」
――とはいえ歴史を踏まえれば、天皇の政治利用は許されません。
「そうですね。しかし天皇制の歴史は、時の政治権力に利用され続けてきた歴史ともいえる。その究極がアジア太平洋戦争です。政治利用のリスクを本当に退けたいなら、戦後、天皇制を手放すべきでした。しかしアメリカは日本の占領統治を円滑に進めるために、天皇制を残したほうがいいと考えた。そのために昭和天皇は戦争に積極的ではなく、軍部に利用されただけだという『物語』を強調しました。その副産物がA級戦犯で、天皇制を守るためにA級戦犯に責任を背負わせた。だから昭和天皇も今上天皇も、A級戦犯が合祀(ごうし)されて以来、靖国神社を訪れたことはありません」
「ところが自民党の歴代首相は靖国神社参拝に意欲を見せ、その一方で改憲して天皇を国家元首にしようと。これほど倒錯した政治利用はありませんが、自民党も国民も気づいていない。そのレベルで戦後を過ごしてきたからこそ、山本さんの件では表層的な批判が宙を舞い、『内なる天皇制』や皇室タブーがさらに強化され、本質的な議論がますますしづらくなったと思います」
「今年4月に政府が主催した『主権回復の日』を祝う式典への天皇、皇后の出席が政治利用だと指摘されました。天皇、皇后が退席する際、会場から『天皇陛下万歳』の声がかかり、安倍晋三首相や麻生太郎副総理も万歳したことも批判された。でも話はそこにとどまりません。その後にアップされた政府のインターネットテレビの動画をみると、なぜか『天皇陛下』の音声だけが消えています。数秒間無音になって、唐突に『万歳』が聞こえてくる。意図的かどうかは別にして、これこそ非礼でしょう。少なくとも万歳三唱の際の天皇の表情は、山本さんから手紙を渡された時よりも困惑しているように僕には見えました」
■ ■
――原発反対の一点で支持され、国会議員になった山本さんが、その原発問題について天皇に「直訴」する。戦後の民主主義とはいったいなんだったのでしょうか。
「民主主義や主権在民という言葉がむなしく響きます。結局は与えられたままになっているということです。その理由の一つは、やはり天皇制にあると思います。統治者と被統治者という緊張関係があるからこそ、被統治者の権利への意識が覚醒し、民主主義は実体化する。しかし日本では、天皇制がその緊張関係に対する緩衝材のような役割を果たしてきました。為政者にとってはとても都合の良いシステムです」
――山本さんの弁明は「この胸の内を、苦悩を、理解してくれるのはこの方しか居ない、との身勝手な敬愛の念と想(おも)いが溢(あふ)れ、お手紙をしたためてしまいました」でした。
「まるで一昔前の恋文ですね。でも考えてみれば、山本さんほど直情径行ではないにせよ、天皇に対する信頼がいま、僕も含め、左派リベラルの間で深まっていると思います」
「きっかけのひとつが、2001年の天皇誕生日に先立って記者会見し『桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています』と語ったことです。さらに10年にも、やはり桓武天皇に触れながら『多くの国から渡来人が移住し、我が国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました』と。最初の発言は小泉政権下。日韓関係が冷え込んでいました。2度目の発言は、尖閣諸島沖で中国漁船による衝突問題が起きた1カ月後です」
「04年の園遊会では、当時東京都教育委員だった棋士の米長邦雄氏が『日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事』と発言したのに対して、『やはり、強制になるということではないことが望ましい』と応じた。快哉(かいさい)を叫んだ左は多かったと思います。明らかに天皇は一定の意思を示していて、追い詰められるばかりの左にとって最後の希望のような存在になってしまっている。倒錯しています。でも白状すると、その心性は僕にもあります」
■ ■
――権力や権威に常に懐疑の目を向けてきた森さんが、天皇にそんな思いを抱いているとは意外です。
「直感でしかないけれど、人格高潔で信頼できる方だと好感を持っています。そしてそういう自分の心情も含めて、危なっかしいなあとも思います。天皇への依存感情が生まれているわけですから。戦後約70年かけて、また戻ってきちゃったなと」
「政治家も官僚も経営者も私利私欲でしか動いてないが、天皇だけは違う。真に国民のことを考えてくれている。そんな国民からの高い好感と信頼が今の天皇の権威になっていると思います。昭和天皇は遠い存在でした。遠くて見えないことが、権威の源泉になっていた。しかし今上天皇からは肉声が聞こえるし、表情もうかがえる。だから右だけではなく左も自分たちに都合よく天皇の言動を解釈し、もてはやす。いわば平成の神格化です。天皇は本来、ここまで近しい存在になってはいけなかったのかもしれませんね」
「そもそも人間は象徴にはなり得ません。ひとりひとり個性があるからです。表情や発言に感情がにじんでしまうことがある。寿命があるから代替わりもする。象徴天皇制は、どんなキャラクターの人が天皇になるかによってその相貌(そうぼう)が変わる、実はとても不安定な制度です」
「天皇が『現人神(あらひとがみ)』のままでは占領統治がうまくいかないと考えたアメリカの意向を受け、昭和天皇は『人間宣言』をし、象徴天皇となった。ここで捩(よじ)れてしまったのです」
■ ■
――ただ、天皇への思い入れが薄い若い世代が増えれば、状況はずいぶん変わってくるでしょう。
「僕もそう思っていましたが、今回、それは違うと気づいた。老若男女を問わず日本人は好きなんですね、『万世一系』という大きな物語が。日本は世界に例をみない特別な国なんだという、インスタントな自己肯定感を与えてくれますから」
「天皇制は、選民思想を誘発します。この国の近代化の原動力の一つは、他のアジア諸国への蔑視であり優越感で、敗戦後もその感情は持続しました。だからこそ原爆を二つ落とされ、首都は焼け野原になって無条件降伏をしたのに、二十数年後には世界第2位の経済大国になった。確かにこれはミラクルです。しかしGDP(国内総生産)は中国に抜かれ、近代化のシンボルである原発で事故が起き、日本は今後間違いなく、ダウンサイジングの時代に入ります。でも、認めたくないんですよ。アジアの中のワン・オブ・ゼムになってしまうことを。ひそかに醸成してきたアジアへの優越感情をどうにも中和できない。その『現実』と『感情』の軋(きし)みが今、ヘイトスピーチや、『万世一系』神話の主役である天皇への好感と期待として表れているのではないでしょうか」
「結局、戦後約70年をかけてもなお、僕たちは天皇制とどう向き合うべきか、きちんとした答えを出せていない。山本さんの軽率な行動は図らずも、このことを明らかにしてくれました」(聞き手・高橋純子)
*
もりたつや 56年生まれ。明治大学特任教授。98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画「A」を発表。著書に「死刑」「A3」など。
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昨日バイト先で見た朝日新聞・オピニオン欄に、興味深い記事があった。
山本太郎参院議員の天皇陛下への手紙から始まる「政治利用」論争。正直、私自身はどう反応していいのやら戸惑っていた。私にとっては、「ホテルの食材偽装」も「天皇の政治利用」も同じくらいの遠さ。「そんなん、食べたこともないし、おうたこともないし・・・。」
山本議員を処分するといっても、「どの法律で?」ということになる。これから新しい法律を作るにしても、どれも憲法違反になりそう。まさか、山本議員を罰するために憲法改正? それはないわな。
森達也さんの分析については、何度か首をひねってしまう箇所もあったが概ねうなずけるものだった。
4000字分ほどのインタビュー。朝日新聞デジタルは有料なので、「これを手打ちはしんどいなあ」と思っていた。「でもまるまる3時間ほどはヒマやし、やってみるかー」と思いながらも、一応どこかに出ていないか探してみた。ありましたー。( 無断でパクラせていただきました。)
その記事にはこんな見出しもあった。
若者に醸成された強いタブー意識 左派にも依存感情
戦後70年経てなお答え出せぬ僕たち 「手紙」で見えた
「若者に醸成された強いタブー意識」
今22歳の我が息子・廉もそんな感じのところがある。「山本太郎の字、めちゃくちゃ下手やったな」とコメント。「関心はそこ?」と思ってしまった。
「左派にも依存感情」
私は左派ではないが、9年前の米長氏への天皇の言葉「強制になるということではないことが望ましい」は自分の心のお守りのように思っている。
「戦後70年経てなお答え出せぬ僕たち」
私の答えは、「皇室の民営化」です。小泉さんや橋下さんは「何でもかんでも民営化論者」なのに、「皇室の民営化」だけは一言も言わない。やはりタブーなんでしょうか。
生まれながらに自分の運命が決められている「お世継ぎ」は、憲法で保障されている基本的人権があると言えるのか。最小限「皇室離脱の自由」くらいは認めるべきだと思う。
ただし、日本国憲法第1章 天皇(第1条ー第8条)との関係がむずかしい。でも集団的自衛権の憲法解釈みたいに、コソコソとやる手もあるみたいだし・・・。
独立採算性をとっているらしいイギリス王室は、どうなんでしょう。エリザベスさんの息子は、王室を継がないみたいなことも言われていますが。そもそも、エリザベスさんに手紙を渡すこと自体が失礼とも思えないし・・・。
「『手紙』で見えた」
私には、今までさんざん天皇を政治利用してきた議員が、「ポッと出の山本、お前はへっこんどれ」と言ってるように見えた。「わしらの既得特権領域に入ってくんな」という感じ。
何もせん議員より、批判はあってもいろいろ動いてみる議員の方がましなような気がする。今回の「手紙問題」で、ふだんあまり考えることのない天皇制について考えた人は多かったのではないだろうか。
※ 「今上天皇」のことをずっと「こんじょうてんのう」だと思っていた。変換したら「根性天皇」になってしまった。正しい読み方が分かって「きんじょうてんのう」と打って変換したら、「金城天皇」。「おきなわか!」と突っ込みたくなってしまった。
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2013年11月27日(水)
第47回勝手に国労応援ラン [ランニング]
毎月最終水曜日に、勝手に国労応援ランをしている。
しかし、今日は臨時で寮の管理人代行のバイトが入ってしまった。もちろんバイト最優先。ただ11時半にバイト先に入ればいいので、少しは時間がある。
「ちょっとだけでも走りに行こうっと。『いらんちゃ 米軍基地!』のジャンバーも来て走らんなんし・・・。」
ということで、8時半ころ自宅出発。めざすは先月のゴール地点「JR新田駅」。
車を置く場所を探していたら、新田駅の東側の大きな団地に入り込んでしまった。先月この駅に来たとき、「どこにこんなたくさんの高校生がいるんやろう」と不思議だったが、たぶんこの団地の子たちだったんですね。
このあたりをぐるぐる回っているうちに、時間がどんどんなくなっていく。けっきょく、駅からだいぶ離れた「イズミヤ」さんの駐車場に入れさせてもらった。
そこから新田駅へラン。駅に着いたとき、もう10時を過ぎていた。
先月はまだ緑だったイチョウが、見事な黄色に。
私の「いらんちゃ 米軍基地!」の黄色ジャンバーとコラボ?
時間はないが、とにかく次の「JR城陽駅」をめざしてスタート。
走っている途中、踏切の「カンカンカン・・・」の音が聞こえたので振り向くと、なんとそこは神社の境内。神殿に向かう途中に線路があり、電車が横切ってますがなー。
背中の写真を撮り忘れていたので、このめずらしい「神社の鳥居と踏切のコラボ」をバックに1枚。
なんか、私の右肩が上がってますね。これがいろんなところの痛みの原因かも・・・。
スタートして20分ほどになるのに、3km先の城陽駅が見当たらない。おかしいと思い、寺田小学校を過ぎたところで左折。すると、しばらくして線路と交差。右左よーく見てみると、左(北側)に電車が止まっていた。
「なんや、城陽駅を通り越してたんや。」
新田駅もそうだったが、この城陽駅も含め、JRの駅は大通りから入ったところに多い。初めて来る者には見つけにくい。でも私のように「一人駅伝」をしている者にとっては、駅を見つけ出す楽しさもある。
もう次の駅まで行く時間がない。帰らねば。
電車は出たところだったが、1駅分くらいなら走ったって知れてる。走って、イズミヤ駐車場へ。
ポカポカといい陽気だったので、ジャンバーの中に熱がこもってしまった。このジャンバーは、昔風の雨も風も通さないが汗もこもるというもの。なんかなつかしい感じがした。
帰りは、ジャンバーを腰に巻いてラン。
今日はJRにも乗らず、1駅分往復のみなので7km弱。
来月は、城陽から木津くらいまで(約15km)行きたいなあ。
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2013年11月26日(火)
なぜ安倍晋三首相の趣味をやるのか [時事]
◎毎日新聞11月25日夕刊
文太さん「悪法反対」
戦争透けて見える
俳優の菅原文太さん(80)が24日までに、共同通信の取材に応じ、特定秘密保護法案について「異様な感じで受け止めた。先の戦争の片りんが影絵のように透けて見える」と強い危機感を示した。「あの不幸な時代を繰り返してはならない」と強調し「(法案は)改憲への布石では」と警鐘を鳴らした菅原さん。「悪法に反対するため、国民一人一人の力を結集しないといけない」と呼びかけた。
法案には「今の日本にそんなものがいるんだろうか」と疑問を呈する。法案では、公務員以外も情報の入手や漏えいの教唆などで処罰される可能性がある。「防衛省や外務省の一部の人たちには必要かもしれないけど、一般の国民は・・・」と首をひねった。
安倍政権が法制定の先に見据えるのは憲法改正だと見る。「9条が最終的な狙いなのか」として「俺は断固反対。9条があるから戦後70年、ほぼ平和にきたんだ」と意義を訴えた。
菅原さんは戦時中に少年時代を過ごした。「大人たちが自由にしゃべれなかったのを覚えている」。灯火管制で電灯が黒い布で覆われ、ちゃぶ台の上が小さく丸く照らされていた場面も脳裏に深く刻まれている。
戦地にいた父は終戦の2年後に「よれよれになって帰ってきた」。やはり戦地に送られてきた叔父は、生死も分からないままだ。
「そんな時代が再び来たらいけないということは、戦争をちらっとでもかじった人はみんな考えるはずなんだけど、今の政治家にはほとんど(経験者が)いないのかな」と危惧する。
「国際協調に基づく積極的平和主義」を唱え、集団的自衛権行使容認の道を探る安倍晋三首相。「愛想よくほほ笑みながら、言葉巧みに美しい約束を繰り出すが、俺たちはきれいな明かりに誘導されて炎に飛び込んで死ぬガのようにはなりたくないね」と苦笑いした。
戦争反対への強い意志と今の時代への憂慮をゆっくり、しかし力強く語った菅原さんは、こう締めくくった。
「また不幸な時代を日本国民が迎えてしまうのか。単なる杞憂じゃなく、危ない時代になっている。主義、思想は関係ない。右も左もともに闘う。是は是、非は非でいかないと道を間違える」
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◎毎日新聞10月24日朝刊
秘密保護法「戦争の準備」
知る権利 侵害懸念 村上・元行革担当相が批判
安全保障に関する国家機密の漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法案について、自民党衆院議員の村上誠一郎元行革担当相(61)が毎日新聞の取材に「財政、外交、エネルギー政策など先にやるべきことがあるのに、なぜ安倍晋三首相の趣味をやるのか」と述べ、今国会での成立を目指す安倍内閣の姿勢を痛烈に批判した。25日の閣議決定を前に、法案に身内から強い反発が出た形だ。
村上氏は特定秘密保護法案と国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案について「戦争のために準備をするのか。もっと平和を考えなければいけない」と懸念を表明。さらに「(特定秘密保護法案には)報道・取材の自由への配慮を明記したが、努力規定止まりだ。本当に国民の知るべき情報が隠されないか、私も自信がない。報道は萎縮する。基本的人権の根幹に関わる問題だ」と、国民の「知る権利」が侵害を受ける危険性に言及した。
村上氏は22日、自民党総務会を途中退席して法案了承に反対の意向を示した。村上氏は「党総務会は官邸の意向を振りかざし、熟議のないまま進んでいる。慎重な上にも慎重にしなければいけない」と合意を急いだ党運営を批判。退席者が自分一人だったことには「小選挙区制では党が公認、カネ、人事の権限を握る。政治家の良心として言わねばならないことも言えなくなっている」と話した。衆院本会議での採決については「懸念する点が解消される修正があるかどうかだ」と審議を見守る考えを示した。
村上氏は衆院政治倫理審査会長。愛媛2区選出で当選9回。新人時代の1986年11月、谷垣禎一氏(現法相)、大島理森氏(元党幹事長)ら自民党中堅・若手国会議員12人の一員として、中曽根康弘内閣の国家秘密法案への懸念を示す意見書を出した。【青島顕】
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今日、特定秘密保護法案が衆議院を通過した。
原発の問題など、もっと緊急に取り組まなくてはならないことが山ほどあるだろうに。自民党でただ一人造反した村上議員が言われるように、「なぜ今、安倍晋三首相の趣味をやるのか」と思っている人は多いと思う。
連立与党である自民党・公明党に加え、野党・みんなの党も賛成。(修正案に合意していた維新はなぜか退席。)
1999年に成立した国旗国家法案のときも、自民党単独ではなく公明党ほか他の政党、議員の協力で成立した。私はそれまで公明党に特別な意識がなかったが、それ以来「自民党の補完勢力」としての価値しかない政党と思うようになった。
今回も連立与党である公明党は「自民党補完勢力」一番手。二番手争いとして、みんなの党と日本維新の会が競っていたが「みんなの党の勝ちー!」
自民党プラスかくれ自民党みたいな政党がほとんどという今の国会は、これで正常と言えるんでしょうか。
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【RUN】
今日はゆっくり5+1。
5kmは28分43秒。
左ヒザの痛みはとれたが、今度は腰の右側。
あいおわ治療院の高橋大輔似の先生によると、この腰の痛みは肩の痛みから来ているらしい。次々とあちこち痛くなるもんですね。
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2013年11月25日(月)
南紀日置川から [ランニング]
「南紀日置川リバーサイドマラソン」は、大会役員さんが写真を撮ってくださり、それを記録一覧といっしょに送ってくださっている。
今年も11月10日に大会があり、先週の頭くらいに送られてきていたのだが、ヨメさんがどこかに置いてしまって行方不明になっていた。それが今日見つかりましたー。台所のたまねぎやにんじんの下。何でこんなところにあったんかねー。
1枚目は折り返し付近でしょうね。
5km20分切りをあきらめずに狙って走っているところ。
これはゴールまであと900mくらいのところだと思う。
競う人がいればもうちょっと粘れたと思うが、ここらは攻めの走りができなかった。
ゴール直前。
けっきょく、今年は20分を15秒オーバーしてしまった。しかし、毎年秋冬シーズンの幕開けは「南紀日置川」からという思いがある。今年の結果は決して満足ではなかったけれど、次に気持ちよく進める大会となった。
ジャジャ降りの雨の中、写真を撮り続けてくださった大会役員さん、ありがとうございました。自分のレース中の写真はなかなか手に入らないので、みなさん喜んでおられと思いますよ。
もちろん、私も大喜び。いっつもこんな顔で走っているんですね。険しい顔とまではいかないけれど、もうちょっといい顔で走らないとね。できれば、いつも笑顔を忘れずに!
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2013年11月24日(日)
第34回瀬戸内海タートルフルマラソン [ランニング・出張販売]
「ますみちゃん、ウォーミングアップをきつめにやっといたらレースが楽ということがやっと分かったわ。」
「今ごろかー。アンタ何年走っとんねんな。」
「31年。」
「アホちゃう。」
いやいや、31年かかってもその極意が分かったら立派なもんやないですか。
去年のタイムより30秒縮めて、10km40分55秒。峠越えがあるきついこのコースで、このタイムは上出来といえる。年齢部門のない10kmの部542名エントリーで第13位。
「亀岡元旦」で10km40分切りをめざすにはいいスタートが切れた。
朝6時起き。
いつものように、朝ごはん抜きでコンビニへ。ところがおにぎりがほとんどない。そらそうや。ここは島。第一便のフェリーが来ないとコンビニのおにぎりもない
この大会のオープニングはこれ。
毎年恒例の土庄小学校トランペット鼓隊。
お客様も少ないので、ウォーミングアップに。
以前ならてんてこ舞いで、とてもそんな時間もなかったのに。
小豆島の気候は穏やか。
歳とってから住むにはいいところだと思う。
2kmほど走ったところで自分撮り。
昨日買ったナイキのジャージ、具合よろしい。
9時から開会式。
大会会長である岡田土庄町長のごあいさつ。
司会は、地元土庄町出身の吉岡美穂KSBアナウンサー。
最後に100m流しを6本。
これで心肺はMAXに。
空は快晴。風もほとんどなし。
これは、いいタイムが出そうな絶好のコンディション。
ウォーミングアップをしていて思ったのだが、本当に迷路のようなところがいっぱいあった。
9時40分、ハーフのスタート。
今年はフルがなくなり、種目変更した人も含め1889名のエントリー。例年よりかなり長い列になっていた。
9時50分、10kmがスタート。
私は、いつもどおり前から2列目からスタート。
スタートから積極的にバンバン前へ。最初500mほどがループ状。そこから海岸沿いのコースへ。そこで前のランナーを数えたら、ちょうど10人。私は11位。
1kmの標示はなかったが、確実に4分は切っている感覚。2kmの標示もなかったが、ここも4分は切れていそう。
2kmすぎの上り坂までは11位のまま。しかし、あの峠越えの上り坂を「はーはーひーひー」言いながら上っていると、後ろから「前、引っぱりましょうか」の声。振り向くとさわやかな青年。ありがたく引っぱってもらった。そのおかげで、上り坂もそんなに落ちていないと思う。
私の得意な下りで、そのさわやか青年を抜き返した。
5km地点は標識があり、そこは20分19秒。10kmの中間点としてはまずまず。
折り返してからの帰りも攻めの走り。自分なりにグイグイ行ったつもり。
しかし、帰りの上り坂でさっきのさわやか青年ともう一人に追い抜かれる。それでも、上りはこの二人にがんばってついていった。
下りに入り徐々に離されるが、前の二人を追って精一杯の走り。そして、ゴールへ。
ゴールタイム、40分55秒。10km全体の13位。
後半5kmも20分36秒だから、ほとんど落ちていない。久しぶりに、「10kmを一気に走った感」を感じることができた。
第13位の飛び賞は、マルキン醤油A賞。
ヨメさんいわく、「優勝よりええ賞品やん!」
このあと1kmほどクーリングダウン。
今日は全部で14kmほど。
今回いい結果が出たのは・・・。
まず、気候が抜群によかった。
ウォーミングアップがバッチリ。
上り坂のある10kmコースの練習がしっかりできていた。
私はお弁当とにゅうめん。
ヨメさんはにゅうめんだけではお腹が減るので、「にゅうめんバーガー」というのを買って食べていた。どうも、ビミョーだったらしい。
フルがないので早仕舞い。
天気がいいので会場にはたくさんの方が残っておられたが、「京都キャロット」の出店テントに来られる方は少なかった。
ボンボン片付けたら、土庄港発2時半のフェリーに間に合った。
ただし、またもや宝塚トンネル前の渋滞。一番混む時間帯にまともにぶつかってしまった。仕方ないので、また早い晩ごはん。権現湖PAというところに入ると、ラーメン屋さんしかなかった。
私は「たまごかけご飯とラーメンのセット(730円)。ヨメさんは、なぜかラーメン屋さんで「ステーキ定食」。肉食系女子はやることがちがう。
ヨメさんの視線の先にはこの張り紙。
「ラーメン食べて元気出す」と言われてもねえ。この脱力系の文字を見ていると、元気は出てこんぞ。
今年はフルがなくなったとは言え、それ以上に売り上げ激減。帰りの渋滞の中でこの先のことをいろいろと考えた。ますます厳しい状況で、「京都キャロット」はどこまで踏ん張れるんだろう。もう少しはがんばっていかないと・・・。
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2013年11月23日(土)
第34回瀬戸内海タートルフルマラソン・前日受付 [ランニング・出張販売]
日生からのフェリーの予約が取れなかったので、今年は新岡山港から。
「あのヘルメットかぶってたワンちゃん、もうおらへんやろなあ。」
「そやなあ。もうだいぶん前のことやもんなあ。」
ところがところが、9時半のフェリーに乗れずがっかりしていた私たちの前に現れました。あの何年か前に会ったヘルメット犬が。
「9時半のフェリーに乗れへんかってよかったやん。ヘルメットワンちゃんに会えたし」とヨメさん。
「そやなー。でもあのワンちゃん、フェリー出航前に毎回顔見世興行してはんのかもしれんで。」
「そうかもなあ。」
とにかく、このヘルメットワンちゃんは大人気。いっぱい写メを撮られていた。うちのきくもここまでとは言わんけど、みんなにかわいがってもらえるワンちゃんになってくれへんかなあ。
「ムリ!」
前日受付は、土庄港フェリーターミナル。
ここには、去年なかった「赤い犬」の銅像が。何でもかんでも犬系大好きの私は、横に並んで記念写真。何でも、この「赤い犬」はフランスのアーチストの作品らしい。
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朝6時、自宅出発。
うまくいけば、新岡山港9時半発のフェリーに乗れる。しかし、いつもの宝塚トンネル前が渋滞。港には9時15分くらいに着いたのだが、もう船待ちの車であふれかえっていた。
係の方に聞くと、「次の10時半に乗れるかも微妙」とのこと。
仕方ないので、早すぎるお昼ごはん(うどん)を食べることにした。
私のわかめうどんは500円。麺も汁もおいしく、最後の一滴まで残さず食べつくした。
食べ終わって表に出てくると、あーなつかしや「ヘルメット犬」。
船待ちのお客さんたちから注目の的。
「ヘルメット犬」もまんざらでもなさそう。
ヨメさんが飼い主さんにワンちゃん名前を聞いてくれた。
「もんた!」
来年、また会おうね。
10時半発のフェリーにはギリギリ後ろのところで乗れた。これで、土庄港11時30分着。
受付は11時からだったので急いで出店準備をしたが、ランナーぽい方はあまり来られなかった。
ヨメさんは、朝からずっと頭が痛いと言っていた。だからといって仕事を休めるわけではない。
ターミナルの近くにコンビニができていたので見に行ってみたが、頭痛薬はなかった。ターミナル内の観光案内所でお聞きすると、2kmほど先まで行かないと薬屋さんはないらしい。でも、いいトレーニングになるので走っていくことにした。
翌日の大会会場になる役場前も通ったので、係の方にごあいさつもしておいた。
このときの往復が約4km。ほかの用事でも2回で2kmほど走ったので合計6km。泊まりの出張販売の前日はまったく走れないことが多いのだが、ヨメさんの頭痛のおかげ(?)で6kmも走れた。
出店場所は、フェリーターミナルビル前の一番端の「赤い犬」前。
今年は自然災害でフルの部がなくなり、そのせいかお客様も少なかった。
たぶん来年も前日はこの「赤い犬」前で出店していると思いますので、ぜひ来年はご来店ください。
お客様がほとんどなく、早めの後片付け。6時過ぎに片付け終わったので、宿に行く前にちょっと「マルナカ」へお買い物へ。いつもは大会後にお買い物をしてからフェリーに乗るのだが、今年は早く帰る予定だったので前日に。
ヨメさんはおじいさんや真樹へのおみやげ。私は、ナイキのジャージ上下が4900円になっていたので購入。これはまたヨメさんにしばかれるパターン。
ここ数年のお泊りは、港の近くの「岡田長栄堂(大師の宿)」さん。大会会場にもお土産を販売に来られているお店。ところが、駐車場も食堂もひっそりしていた。
今年は急にフルの部がなくなり、キャンセルがたくさん出て大変だったそうだ。自然災害だけはどうしようもないですね。「京都キャロット」も同じように大変です。また来年盛り上がることを願いましょう。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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