2012年11月11日(日)
第22回南紀日置川リバーサイドマラソン [ランニング・出張販売]
「こわいわ!」
昨日「19分台で3位くらいを・・・」と書いたのだが、結果は19分58秒で第3位。
暴風雨の中の後片付けだったので、表彰式には参加できなかった。でも、自分の思ったとおりの結果が出たので何も言うことはありません。(私の背中に神さんかなんかついてる?)
椿温泉の民宿「ひらみ」さんを6時に出発。
日置川に着き、コンビニでおにぎりやサンドイッチを買って会場(日置小学校)入り。6時20分くらい。この大会では、いつも一番乗りがラーメン屋さんで二番がうち。ラーメン屋さんも、海側から吹き込んでくる強風に困惑されていた。
前面から雨風が吹き込むので、テントの前に透明ビニールを張り、やっと開店準備完了。しかし、商品が飛ばされたりぬれたりしないように注意しなくてはならない。
この大会は、会場中央部でくつろぐ場所がとってあるのが特徴。今年は大雨確実の天気予報だったのでどうするのかと心配だった。しかし、超大型テントが2張りも張ってあった。さすがです。
受付に行き、チェック欄を見てビックリ。私の「5km一般男子50歳以上」は43名のエントリーだったが、私が受付に行った時点で41番目。この荒れた天候なのに、棄権の方がほとんどおられない。こんなに参加率の高い大会はめずらしい。
小学校の裏は太平洋。海岸沿いの道路でアップしようと思ったら、毎度おなじみ岡山の角田さんに遭遇。角田さんは第1回大会から22年連続出場。娘さんのダンナさんのご実家が日置川町だそうだ。会場まで歩いて来れる近さらしい。
角田さんから風向きの情報など仕入れて、アップジョグ。
ジョグと流しで全部で3kmくらい。
よく考えてみると、こんなにアップをするようになったのはここ最近。以前は「京都キャロット」のテントにスタート直前までいて、10分前くらいにスタートラインに並んでいた。それではいい結果が出るはずはない。最近いいタイムが出るようになったのはこれも大きい。
10時からハーフがスタート。
今年はかなり参加者が増えたらしい。
今年も快調、森本・花村ペア。
こちらは廣田さんと・・・。
森本さんと廣田さんは、ほとんど毎年この大会のハーフに出ておられます。
スタート前、ヨメさんにお願いしてうちの出店テント前で記念撮影。後ろは日置小学校体育館。
「今日は雨やし、写真撮りにこんでええでー。」
このときは雨はやんでいた。心配なのは強風。それにさえ負けなければ20分は切れると思った。
朝、去年の5kmで競った方がわざわざ声をかけに来てくださった。
「私は今年はハーフに出場します。去年の入賞の方がたくさんハーフに回ったようなので、今年は上位入賞のチャンスですよ。」
しかし何連勝もされているDさんは出場。ナンバーカードは調べてこなかったが、スタートラインに並んだときすぐに見当がついた。強い人にはオーラがある。
10時30分、5kmがスタート。
200m過ぎからの下り坂で気持ちよく加速。1kmは3分40秒。上々の滑り出し。
心配していた強風は、海から離れるにつれ弱まりほとんど気にならなくなった。
2km7分37秒(3分56秒)。まあまあですか。
途中でDさんに抜かれたが、1km過ぎまでは年代別トップを走っていたことになる。
2km過ぎの小さなチアガールたちの応援がうれしい。「ありがとう」と言いながら手を振ったら、女の子たちも喜んでくれた。
折り返してきて3km12分11秒(4分34秒)。
これはない。なんぼなんでもうキロ4分半超えはない。どう考えても距離表示がおかしい。
4km15分56秒(3分44秒)。
これもない。ここで3分44秒は無理。でも、あと1kmは正確だと信じてがんばるしかない。
残り数100mというところで、いきなり暴風雨。後ろから追いついてくるランナーの気配。ここで抜かれるのは悔しい。最後の上り坂で追いつかれたが、そこからスパート。最後は、ぬかるんだ小学校のグランドも必死で駆け抜けた。
私の時計で19分57秒(4分01秒)。
最後に背後に迫ってきてくれたランナーのおかげで20分を切ることができた。よかった。
記録証発行所には優勝のDさんが。
「タイムはどうでした。」
「ダメでした。18分が切れなくて・・・。」
なんとDさんは18分04秒。4km弱で私を2分近く離したことになる。すごいです。私も、60歳でオーラがメラメラと出るランナーをめざします。
「ゴールの写真撮りに行ってたんやけど、大雨になって商品が心配やったし戻ってん」とヨメさん。
「今日はええって。」
雨で髪の毛が張り付いて、かなり頭部が危険な記念撮影。大事なソーティスーパーマジック5もビチャビチャになってしもたけど、このシューズのおかげで20分を切れたと思う。
着替えたあとで、「屋台に腰掛けラーメン・・・」じゃなくて、お隣のテントで出店されているラーメンを食べた。
表彰式と抽選会、餅まきは、少し離れた日置中学校の体育館で行われることになった。雨風がますますきつくなり、とてもそんなところへ行く余裕はなかった。
抽選会にはうちのシューズを出しているので、サイズ交換を待たなくてはならない。ところが、待っているときに今日最大の強風が吹き、テントの重しの砂袋のヒモが切れてしまった。あわててテントの鉄パイプにしがみついたが、テントごと空中へ。
「あーれー・・・。」
そのまま空まで飛んでいくかと思いましたわ。
それに気づいた役員さんが二人、あわてて助けに来てくださった。何から何まですいません。
これで、シューズのサイズ交換を待つのは堪忍してもらうことにした。このまま待機すると大惨事になる可能性もある。シューズが当たった方、申し訳ありません。こういう事情でしたので・・・。
例年より早く片付けたせいか、毎年かかる渋滞にもかからなかった。途中でぬれてしまった服の着替えを買ったり、夕食の食材を買ったりしたのに2時に出て7時に帰ってくることができた。
私らが遅くなったら、今日も真樹一人の晩ごはんになるところだった。しかし、思いのほか早く帰れて3人で食べることができた。
廉も東京で、セカンドベストの5000m16分01秒が出たということでよかった。
雨で大変やったけど、まあいい日でしたかね。
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2012年11月10日(土)
宇治川マラソン休止 [ランニング]
◎京都新聞11月10朝刊
宇治川マラソン休止 出場者急増で安全配慮
宇治市で毎年恒例のスポーツイベント「宇治川マラソン大会」の来年2月の開催を中止すると、主催する実行委員会(坂田緑郎委員長)が9日発表した。近年の市民マラソンブームで参加者が急増し、交通渋滞や安全面の問題が出てきたという。過去29回で中止は初めて。コースを見直し、2014年2月の再開を目指す。
大会は1984年に始まり、ハーフマラソンと10キロ、5キロの3種目を毎年2月に実施。ハーフは宇治川沿いの世界遺産・平等院や三室戸寺周辺を走るコースで人気が高く、マラソンブームもあり、近年は年500人ペースで参加者が増加していた。
昨年は過去最多の3586人が参加し、市中心部で交通渋滞が発生。苦情が相次ぎ、今年は初めて定員を設けた。さらに道が細いなど安全面に不安があるとして、大勢が走っても影響が少ない新コースを今後1年かけて選定することにした。
次回は30回の記念大会に当たり、坂田委員長は「出場制限をなくし、盛大に開催したい」と話している。近く前回大会の出場申込者に、中止をはがきで知らせる。
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来年2月の大会やのに、今頃休止発表ですかー。
「京都キャロット」は2006年から7年連続で出店させていただいているのに、この休止を今日の新聞で知りました。こんなにお付き合いが続いていても、大会関係者の中には入れてもらっていないということですかねえ。
来年の2月24日は、廉が「東京マラソン」で初フルの予定。私は宇治川マラソン5kmで2年連続入賞して、遠くから廉を応援と思っていたのに・・・。
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【RUN】
午前中に3kmだけ、16分27秒。
スロージョグ1kmプラスで、今日は4km。
走っているとき廉に遭遇。廉は、明日東京の国立競技場で5000m。自己ベストの15分55秒以内をめざしている。
ただ廉は、それよりもレース後の「東京フラフラ」を楽しみにしているらしい。まっ、いいか。
私は、「南紀日置川リバーサイドマラソン」へ。
去年、5km20分54秒で5位入賞。今年は1分縮めて19分台で3位くらいを・・・。
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小さいけれど大きいニュース [時事]
◎時事通信 11月7日(水)18時56分配信
元教員への賠償、都に命じる=君が代不起立訴訟で初―東京高裁
入学式や卒業式で、国旗に向かった起立と国歌斉唱を義務付けた東京都教育委員会の職務命令に従わず、停職処分を受けた都立養護学校元教員の女性(62)が、都に300万円の損害賠償などを求めた訴訟の差し戻し控訴審判決が7日、東京高裁であった。南敏文裁判長は請求を棄却した一審東京地裁判決を変更し、30万円の支払いを命じた。
原告側代理人弁護士によると、君が代不起立訴訟で、損害賠償が認められたのは初めて。
判決は、「不起立で女性に不利益な処分をすることは、思想や良心の自由に影響を与える」とし、戒告、減給から停職へと機械的に加重して処分すべきではないと指摘。都には、不起立による学校運営への影響など、処分の際に考慮すべきことを認識しなかった過失があるとした。
その上で、「養護学校では、教諭と児童・生徒との触れ合いが教育に欠かせず、女性はその触れ合いを特に重視していた」と判断。停職中、教壇に立てないことによる精神的苦痛は、支給されなかった給与の支払いでは回復できないと結論付けた。
女性は、都を相手に処分取り消しと損害賠償を求めて提訴。一、二審は訴えを退けたが、最高裁は停職処分を「懲戒権者の裁量の範囲を超えている」として取り消し、賠償請求について高裁に審理を差し戻していた。
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◎日経ビジネスオンライン 2011年6月3日「小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句」より
判決は気味が良かったですか?
先月の30日、いわゆる「君が代不起立訴訟」について、最高裁が原告側の上告を棄却する判決を下した。
興味深い話題だ。
が、記事として取り上げるのは、正直に言って、気が重い。
今回は、私自身のこの「気後れ」を出発点に原稿を書き始めてみることにする。
「君が代」について書くことが、どうして書き手にストレスをもたらすのか。
「君が代」の最初の課題はここにある。圧力。見逃されがちだが、大切なポイントだ。
気後れの理由のひとつは、たとえば、コメント欄が荒れるところにある。
愛国心関連の記事がアップされていることが伝わる(どうせ伝わるのだよ。どこからともなく。またたく間に)と、本欄の定期的な読者ではない人々も含めて、かなりの数の野次馬が吸い寄せられてくる。その彼らは、「売国」だとか「反日」だとかいった定型的なコメントを大量に書きこんでいく。休止状態になっている私のブログにも、例によっていやがらせのコメントが押し寄せることになる。メールも届く。「はろー売国奴」とか。捨てアドレスのGmail経由で。
私は圧力を感じる。コメントを処理する編集者にも負担がかかる。デスクにも。たぶん。
ということはつまり、コメント欄を荒らしに来る人々の行動は、あれはやっぱり効果的なのだ。
この程度のことに「言論弾圧」という言葉を使うと、被害妄想に聞こえるだろう。
「何を言ってるんだ? こいつ」
「反論すると弾圧だとさ」
「ん? 読者の側に言論の自由があるとそれは著者にとっての言論弾圧になるということか?」
「どこまで思い上がってるんだ、マスゴミの連中は」
圧力と呼ばれているものの現実的なありようは、多くの場合、この程度のものだ。
憲兵がやってくるとか、公安警察の尾行が付くとか、目の据わった若者が玄関口に立つとか、そういう露骨な弾圧は、滅多なことでは現実化しない。その種の物理的な圧力が実行されるのは、お国がいよいよ滅びようとする時の、最終的な段階での話だ。
わが国のような民主的な社会では、目に見える形での弾圧はまず生じない。
圧力は、「特定の話題を記事にすると編集部が困った顔をする」といった感じの、微妙な行き違いみたいなものとして筆者の前に立ち現れる。と、書き手は、それらの摩擦に対して、「いわく言いがたい気後れ」や、「そこはかとない面倒くささ」を感じて、結果、特定の話題や用語や団体や事柄への言及を避けるようになる。
かくして、「弾圧」は、成功し、言論は萎縮する。そういうふうにして、メディアは呼吸をしている。
当初、私は、この話題を、大阪府の橋下府知事が、起立条例の法案について語ったタイミング(具体的には先々週)で、原稿にするつもりでいた。が、その週はなんとなく気持ちが乗らないので、別の話題(IMF専務理事の強制わいせつ疑惑)を選んだ。翌週も同様。メルトダウンについて書いた。
結局、私は、書きたい気持ちを持っていながら、実現を先送りにしていたわけだ。
理由は、前述した通り、面倒くさかったからだが、より実態に即して、「ビビった」というふうに申し上げても良い。
が、いずれであれ、面倒くさいからこそ書かねばならないケースがある。
君が代は、そういう話題だ。
(以上、5ページの記事の1ページ分。この先を読むのは有料らしい。)
◎ウィキ ニュース【2011年5月30日】
君が代訴訟、教職員への起立を命じる職務命令は「合憲」- 最高裁が初判断
毎日新聞・朝日新聞によると、卒業式において『君が代』斉唱時に起立しなかったことを理由に、東京都教育委員会が定年後の再雇用を拒否したことが、「思想・良心の自由」を保障した憲法に違反するなどとして、元都立高校教諭(64歳)が東京都に対し損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は5月30日(UTC+9)に、「校長の教職員に対する起立斉唱命令は合憲である」とする初判断を示した。
毎日新聞によると、その上で、元教諭敗訴の二審の東京高裁判決(2009年10月)を支持し、上告を棄却。元教諭の敗訴が確定することになった。
朝日新聞によると、元教諭は、2004年3月の当時の勤務校の卒業式で、「国歌斉唱の際は、国旗の日の丸に向かって起立するように」と校長から命令を受けたものの、起立しなかったことから、戒告の処分を受けた。その後、2007年3月に定年退職する前に「嘱託員」として再雇用するよう申請したものの不採用とされたため、都に対し損害賠償などを求め提訴した。この訴訟で、一審の東京地裁は2009年1月に、職務命令は合憲としながらも、2004年3月以降は元教諭は職務命令に従っていた点などを考慮し、「裁量権の逸脱」と判断、約210万円の支払いを都に命じる判決を出した。しかし、二審の東京高裁は2009年10月に、「都には広範な裁量権がある」として、元教諭の逆転敗訴の判決を出したため、元教諭が上告していた。
朝日新聞によると、上告審においては、「再雇用の拒否が裁量権の逸脱・濫用に相当するか」などの争点については、既に第二小法廷が上告審として受理しないことを決定しているため、今回の判決は、「職務命令そのものが憲法に違反するか」のみが争点として残っていた。第二小法廷は、この日の判決の中で、「合憲である」との判断をした上で、損害賠償などを求めた元教諭側の上告を棄却する判決を言い渡した。
毎日新聞によると、今回の判決は、担当の裁判官4人全員一致の判断であった。小法廷はまず、「起立斉唱行為は、卒業式などの式典における慣例上の儀礼的性質を有し、個人の歴史観や世界観を否定するものではなく、特定の思想を強制するものでもない」と指摘した。但し、起立斉唱行為について、教員の日常業務には含まれないとした上で、「国歌への敬愛表明を含む行為で、『思想・良心の自由』への間接的制約となる面がある」と位置付け、間接的制約が認められるかについては、「命令の目的や内容、制約の態様を総合的に考慮し、必要性や合理性の有無によって判断すべきである」との判断基準を示した。
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◎ねっとわーく京都・2011年9月号
「憲法9条」+「ランニング」=「パオパオ」と言われる日をめざして
以下、6年前のある小中併設校の入学式でのPTA会長の祝辞です。
2005年度ご入学、○○さん、○○さん、ご入学おめでとうございます。
話は短くしてとうちの子に言われてきたのですが、どうしてもお話したいことがあるので聞いてください。
私が新入生のお二人に一番望むことは、「自分の気持ちを口に出してはっきりと言える人になってほしい」ということです。心の中にうれしいことやいやなことがあっても、言葉にしないとなかなか人には伝わりません。自分一人でうまく言えない時は、まわりの人に助けてもらってもいいでしょう。
例えば、私の話になりますが・・・。前からずっとおかしいと思っていても、なかなか口に出して言えないことがありました。それは、「入学式や卒業式での日の丸と君が代の押し付け」です。私はそれがいやで、14年前小学校の先生の仕事を辞めました。そして、14年間おかしいと思いながら、何も言わずに過ごしてしまいました。
でも、今年入学式のお祝いの言葉を言うことになり、自分の考えははっきり言おうと決めました。昔の友だちに相談すると、こんなかわいい勇気づけてくれるバッジを作ってくれました。
このバッジには、こう書いてあります。「日の丸、君が代のおしつけダメ!」
このバッジを作ってくれたのは、ある小学校の先生です。そして、このバッジをうちの家まで届けてくれたのも別の小学校の先生です。私はこの二人の先生から力をもらって、胸をはってここに来ることができました。
学校に関係のあるすべての方にお願いします。押し付けの教育は、絶対にしないでください。日本国憲法・教育基本法の精神に沿った、生き生きとした伸び伸びとした教育をお願いします。
○○さん、○○さん、自分の気持ちをはっきり口に出して言える人になってくださいね。みんな応援しています。
以下、この祝辞を述べたPTA会長からバッジを作ってくれた友だちへのお礼の手紙(一部抜粋)。
○○先生、ほんとにほんとにありがとう。○○先生のおかげで、長い長い間肩にズシンとのっていた重りが少しだけ軽くなりました。
今年は、確か「日の丸・君が代強制20周年」。教師として6年、一民間人として14年、ほとんど何もできなかった自分を情けなく思います。「生まれてくる子どもの前で胸を張って生きて行きたい」と言って教師を辞めたはずなのに、14年間そんな父親ではありませんでした。今年は、自分ではPTA会長になるつもりはなかったので、心の準備ができていなかったのですが、どうせ引き受けるなら何かやらねばと心に決めました。(ここで何もしなかったらもう人間失格!)
今日一日を振り返ると・・・。
朝、新中2と新小5の二人の子どもが家を出る前、「君が代の歌の時、イスに座って歌わへんけどびっくりせんといてな」と声かけ。上の子はちょっと動揺していた。下の子は「いいよ」とニコニコ。「○○君かって、いつも絶対歌わはらへんもん。」「へー、そうなん」と私。
子どもたちが家を出た後、パジャマ姿で祝辞の手直し。(前夜遅くまで悩みに悩んで仕上がっておらず。)原稿が完成したのは9時50分。「あと10分で始まるやん。」
急いで着替え・・・、と言ってもスーツではなく白いジャンバーです。高校時代、生徒会執行部で制服反対運動してた人間がスーツなんて着て行けますかって!(人を服装で判断するな。)
バッジ、バッジ、バッジ。○○先生手作り「日の丸・君が代おしつけダメ!」ブーちゃんバッジ。
ギリギリセーフで会場へ。
受付で「PTA会長さんは、一番前へ」と言われ進んでいくと、老人会会長の父が座っている。(おとちゃん、スーツ用意してくれたのに着んとごめんな。スーツなんて着慣れんもん着たら、今日のハードルは越えられへんねん。)
(中略)
式が終わり、会議室でお茶会。私の横に座った校長さんが顔面蒼白。(えー、どうしたん。別に個人攻撃したわけじゃないのに。そうか、誰かに何か言われはったんか。)
自己紹介の時におわび。
「私の言葉で、新入生の○○さんや○○さんのご家族に不愉快な思いをさせてしまったかもしれませんが、もしそうだったらおわびします。どうもすみませんでした。子どものためになることを見つけて努力するのが大人のつとめだと思いますので、私も自分なりにできることをがんばりたいと思います。どうか応援してください。」
心配していた父は意外にニコニコ。それに比べて自治会長さん。「今まで行われてきた伝統を大切にし、厳粛な雰囲気のある式がこれからも続けられるようお願いしたい。」(私は今までなかったくらいに厳粛な気持ちで祝辞を述べたのに・・・。)
夜、校長さんから電話。「どうしてもお話しておきたいことがある。時間をとってほしい。」「私ら給料生活者とちがうんです。いつでも年休が取れる仕事とちがうんです」といくら説明しても理解してもらえない。「こんなにお願いしているのに、どうして時間を取ってもらえないんですか」という上から口調には、私たち商売人をバカにしているような姿勢も感じられた。これからも「いやがらせ」が続きそう。
でも、今回大変やったけど、私の父やうちの子に自分のことが少し説明できたのがよかったです。また、「いやがらせ」をする人より○○君のご家族のようにこっそり味方になってくれる人のほうが多いということも分かってよかったです。
また頼ることがあると思いますが、その時は助けてください。○○先生からもらった力が少しでも広がっていくようにがんばります。
2005年4月8日 ○○○○
手紙の最後の「○○○○」は、6年前の私です。これで、私が反「日の丸・君が代」派ではなく、自分に納得できないものを強制されることに抵抗しているだけということが分かっていただけたでしょうか。
あれから6年がたち、君が代不起立処分最高裁合憲判断や大阪府の「起立斉唱義務条例」施行など、思い上がった人々を喜ばせる情勢が強まっています。「強制」から生み出されるものって、いったい何なんでしょうね。
それでも私はまだあきらめてはいません。嫌がっている人に強制することに喜びを見出すような人とも、粘り強く対話して行きたいと思っています。
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あっちこっちからいろいろと引っ張ってきて、長々とした記事になりました。(前半と後半の記事は別の「君が代不起立」訴訟です)
今回「君が代不起立訴訟で、損害賠償が認められたのは初めて」ということなのに、取り扱いが小さすぎると思って・・・。
私が思う「成熟した社会」とは、「できる限り自分と合わない人たちも受け入れられる」社会。そこに一番必要なものは、「ユーモア」であるような気がする。カンカンになって頭から湯気を出している人たちは、ユーモアにかけてる人が多いんいですよね。
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2012年11月09日(金)
第38回9の日平和ラン [ランニング]
このごろ朝晩が寒い。 しかし、その分昼間に晴れるとぽかぽかして暖かく感じる。これを「小春日和」というんですね。
今日も、私が家を出る朝6時過ぎは8℃。午前は曇っていて寒さが続いたが、午後から晴れてきた。気温は15℃くらいだが、日が当たっているところはもっとあったかい。
午後4時、久しぶりにランパンで走ってみることにした。
今日は、GPS時計で測って9.9km走ることにした。
自宅から北稜高校前へ。ちょうど下校時刻かと期待していったが、高校生にはあまり会えなかった。
いつもは北稜高校から真っ直ぐ東に進むのだが、今日は次の信号で右折。そのほうがにぎやかな通りを通るので、アピールランとしてはいい。
遠回りをしてきたので、BOOKーOFFまえでちょうど2.5km。コーナン往復があきたら、この往復でも5kmが取れる。
いましたー、花園橋近くのかわいいワンちゃん。
さわらしてくれるかなと手を出したら、ちょっとにおいでから「うぉん、うぉん・・・。」
ちゃんと番犬してるね。
ここまでちょうど4km。今日のコースだと往復8kmコースになる。またこのコース、練習に使おう。
「猫カフェ」さんで、約4.5km。ここで折り返したらうまい具合に9kmになりそうだが・・・。今日は9.9kmと決めたので、もうちょっと。
松ヶ崎橋で4.93km、27分ちょっと。
ここで折り返し。
白川通から宝ヶ池通へ。
高校駅伝(男子)の第3区、都道府県対抗女子駅伝の第5区に当たるコース。こんなとこ走ってみたいわ。やっぱり、京都マラソンは駅伝とおんなじコースがええなあ。
「すんませーん、ワンちゃんの写真撮らせてくださーい。」
「はい。」
「あっ、ちょっと恐がってますね。ごめんなー。」
「今日はたくさん散歩したから、疲れてるんやと思います。」
「お名前は?」
「ランです。」
「ランちゃん、メスですね。お歳は?」
「もう14歳なんですよ。」
「そうなんですか。でもすごく元気そうですね。足は?」
「病気で・・・。」
「そうですか。でも、外には出たがるんでしょ。」
「はい、散歩が大好きで・・・。」
「それならきっと長生きしますよ。」
走ってて一番の楽しみは、かわいいワンちゃんに会えること。
このちょっと前に、横断歩道を手を上げて渡っているのに車(プリウス)にひかれかけた。「なにすんねん、この○○ハン!」と言いたかったけどやめといてよかった。そのあとこんなかわいいワンちゃんに会えたんやから。
また会えるといいね。
RIGHTーON前を右折すると、家まであと2km。
北稜高校前では、さっきより高校生がたくさんいた。
自宅到着、4.92km。28分ちょっと。
えーと、4.93+4.92で9.85kmかー。
あかん、50mたらんがなー。
そこらをチョロチョロ走ろうかとも思ったが、「京都キャロット・産大前店」に出勤中のきくを迎えに行くことにした。
家から店まで0.66km。ちゅうとはんぱやなー。
きくとちょっとだけ遠回りして走りながら帰る。0.88km。
9.85+0.66+0.88で11.39km。おっ! 一応、最後に「9」が出たな。
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2012年11月08日(木)
「旅芸人の記録」 [映画]
◎Yahoo映画より
軍事政権下、ある時には作品内容を前世紀の田園劇と偽って(ちょうどナチ占領下のフランスの「天井桟敷の人々」のように)製作された、旅一座の家族を通じギリシア現代史をパノラミックに総括した壮大な映画の叙事詩。一家の物語はそのままアトレウス家の古代神話をなぞり、これを39年のメタクサス将軍の極右独裁体制の開始から、ムッソリーニの侵攻、42年の独軍占領、44年の国民統一戦線の勝利、戦後のゲリラ下部組織の掃討から共産派弾圧、52年のパパゴス元帥の軍事政権の誕生までの歴史事実を生々しく介在させ、政治の荒波に翻弄される画面外の民衆の息吹すら感じさせる偉大な作品。ひたすら曇天下での計算され尽くした路上のシークェンス・ショットは、古典劇の重みの中に過去の迫真の蘇りがみられ、幾度も息を呑んで見守ってしまうはずだ。
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◎goo映画より
■解説 - 旅芸人の記録
1939年から1952年までの14年間のギリシャの圧制、占領、反乱の歴史を背景に、全土を巡業する、ある旅芸人一座の波乱に満ちた生きざまを描く。製作はヨルゴス・パパリオス、監督・脚本はテオ・アンゲロプロス、撮影はヨルゴス・アルヴァニティス、音楽はルキアノス・キライドニス、編集はタキス・ダヴロプロスとヨルゴス・トリアンダフィルー、美術はヨルゴス・パッツァスが各々担当。出演はエヴァ・コタマニドゥ、ペトロス・ザルカディス、ストラトス・パキス、アリキ・ヨルグリ、マリア・ヴァシリウ、・ヨルゴス・クティリス、キリアコス・カトリヴァノス、グリゴリス・エヴァンゲラトス、アレコス・ブビス、ニナ・パパザフィロプル、ヤニス・フィリオス、ヴァンゲリス・カザンなど。
■あらすじ - 旅芸人の記録
1952年の秋、ギリシャ南部のペロポネソス半島の北端の町エギオンに、疲れはてた12名前後の旅芸人一座がおりたった。町は大統領選挙を数日後にひかえており、選挙カーが慌ただしく通りすぎる。“パパゴス元帥に投票せよ!”。同じエギオンの町、1939年の晩秋、11人の旅芸人一座。座長のアガメムノン(ストラトス・パキス)、母クリュタイムネストラ(アリキ・ヨルグリ)、長女エレクトラ(エヴァ・コタマニドゥ)、次女のクリュソテミ(マリア・ヴァシリウ)とその幼い子供の5人の一家に、先頭をゆくピュラデス(キリアコス・カトリヴァノス)、詩人と呼ばれる青年(グリゴリス・エヴァンゲラトス)、老男優(アレコス・ブビス)、アコーデオン奏きの老人(ヤニス・フィリオス)、アイギストス(ヴァンゲリス・カザン)らだ。一行のそばを通りすぎていく男が明日の午後、ドイツ第3帝国情報相ゲッベルス閣下が、オリンポス見物の途次、エギオンを通過すると告げた。公演場所の講堂で憩う一座。表の広場では極右ファランギの青年兵士たちが“父よ、世界はなぜかくも美しい”を歌い、ピュラデスは“おまえはいつか悔いて戻ってくる”を歌う。一座の出しものは「ロミオとジュリエット」風の恋愛を描く「羊飼いの少女ゴルフォ」。エレクトラがゴルフォ役を母から受けつぎ、弟オレステス(ペトロス・ザルカディス)が恋人タソス役を父から受けついだが、兵役にとられた彼に代ってピュラデスがタソス役やることになった。その夜、エレクトラは、母クリュタイムネストラとアイギストスの密通を目撃してうちひしがれる。夜明け、思いがけずに特別休暇をとって帰ってきたオレステスと舞台の役名で挨拶を交わす姉弟。しかし、舞台の幕があくと、秘密警察の男たちが来て、ピュラデスが捕えられたため、公演は中断した。 1940年10月28日、一座が降りたった駅では、町の人々が行進して歌を歌い、民家にはギリシャ国旗が翻っていた。が、まもなく空襲がはじまり、アガメムノンは補充兵として去り、母の室にはアイギストスが入ってきた。41年の正月頃、街なかでファランギの下士官に暴行されそうになったエレクトラが危いところを逃げ去った。その年の4月、ギリシャ全土が独軍に占領された。42年の初冬、英国が送りこんだ救援軍兵士とギリシャのゲリラ兵を追及する占領独軍が旅芸人たちの宿舎を襲い、アイギストスの密告で、オレステスがゲリラに加わっている事がわかり、代りにアガメムノンが銃殺された。座長になったアイギストスに皆は黙ってついていくが老男優だけが出ていった。1943年頃、独軍占領がながびく中、ある日エレクトラは、脱獄に成功してゲリラになっていたピュラデスに再会。彼はオレステスと合流するところだった。一座がバスで旅を続けていた時、他の市民と一緒に独軍に捕まり全員が射殺されそうになる。が、その時襲撃してきたゲリラ軍によって助かった。こうして、独軍の勢力は衰退し、 44年の秋独軍は徹退した。国民統一政府の成立を祝して、人民歌で行進する国民解放戦線の長い行進が続く。45年の正月、一座が山岳地帯での巡業に入ったある日、エレクトラは、オレステス、ピュラデス、詩人と再会し劇場に戻った。オレステスは、舞台上で母とアイギストスを射殺した。その夜、母のレコードを聞いて思いにふけるエレクトラが、仮面をつけた秘密警察の男たちに強姦された。45年12月に結ばれたヴァルキザ協定により、ゲリラは新政府に協力することを余儀なくされ、山にこもり続けるゲリラは重犯罪人とみなされた。49年の春、英軍のジープが、ゲリラの首をさらして村をゆく。そのあとにつづく捕えられた最後のゲリラたちの中にオレステスがいる。 50年、反共宣誓書にサインして釈放されたピュラデスに再会するエレクトラ。その年の暮に再会した詩人は、なかば廃人となっていた。51年、エレクトラは、ようやくオレステスと面会するが、それはすでに処刑された彼の死体との面会だった。オレステスの葬式で、遺骸が土にうずめられようとする時、思わずエレクトラが拍手を送った。そして、それに合わせて拍手に送る一座の人々。詩人は無言で空をあおいだ。52年の晩秋の夕べ。その夜は、クリュソテミの息子(ヨルゴス・クティリス)の初舞台で、彼はタソス役を演じる。メーキャップをなおしてやるエレクトラは思わず咳いた。“オレステス!”。そして「羊飼いの少女ゴルフォ」の幕がやがてあいた。
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廉や真樹は生まれてすぐ、「京都キャロット」の出張販売につれて来られていた。時々、「旅芸人の記録みたいやなあ」とヨメさんに言っていたのだが、その思いは伝わっていたのだろうか。たぶん、ヨメさんはこの映画は見ていないと思うし・・・。
しかし、かく言う私も20代の後半に見たときはほとんど寝てしまった。なんせ4時間の映画ですから。私の長い映画鑑賞歴史上、ほとんど寝てしまったのは「旅芸人の記録」(232分)と「山猫」(187分)。
覚えているシーンは、旅芸人の一団が荷物を持って歩いているシーン(上の写真)くらい。小さな子どもがいたなあ、という程度。
今回は、「絶対寝えへんどー」と意気込んで行った。しかし何のことはない。初めから終わりまで一度も眠くなることもなくしっかり見てきました。すごくいい映画でした。私もこの30年の間に成長したもんや。
今回も何の下調べもせずに見たのだが、話がしっかりつながった。映画の理解度が、10%から50%くらいにアップです。まあ、まだ半分はよう分からんけど・・・。
しばらくしたらもう一度見てみたい映画です。
次は80%理解をめざして・・・。
※ なんと、映画を見たのは5月2日以来半年ぶりでした。これからじゃんじゃん見に行くどー。
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2012年11月07日(水)
アリタックスラン [ランニング]
「近くに来たら寄ってください、ってコメント入れてくれはったし来ました。」
「ありがとうございます。ごめんなさいね。水木金と大学に講義に行ってて留守なんです。」
「えー、週に3日も行ってはるんですか。」
「そうなん。」
「ほな、今度は月曜か火曜に来ますわ。」
私の古くからの走友・有田行雄さんは、烏丸今出川の近くで税理士事務所を開いておられる。その傍ら、滋賀大学経済学部特任准教授として講義にも出かけておられる。残念ながら、今日はちょうどその曜日に当たってしまった。でも奥様の孝子さんとも以前から懇意にしていただいていたので、長話をして帰ってきてた。
「御所に走りに来はったん?」
「いえ、今日は四条烏丸の京都シネマに映画見に行ってきたんです。家から走って。今、その帰りです。」
「そうやったんですか。藤井さん、今もいっぱい走ってはるようやね。時々ブログ見せてもらってます。」
「ありがとうございます。ボクはもうフルは引退で、短いのんばっかり出てますねん。」
「そうですか。うちのはこのごろウルトラに出たがってるみたいです。ウルトラに出ると、フルが速く走れへんようになるみたいやね。こないだの下関は4時間半越えてしもて・・・。」
「そうでしょう。体がそのペースを覚えてしまうんですわ。そやしボクも短いのを速く走りたいし、フルやめたんです。フルの走り方と短いのんの走り方はちがうと思いますわ。」
「そうみたいやね。」
「奥さんもお元気?」
「はい、元気にしてます。」
「奥さん、ようがんばらはるし。『京都キャロット』は奥さんの力が大きいしね。」
「大きいどころか100パーセントヨメさんの力です。」
「いえいえ、そんなことはないでしょう。」
「(ひいき目に見て、95対5くらいかな。)」
「有田さんと長いことお会いしてませんけど、ブログ見せてもうてますし全然そんな感じしませんわ。」
「お互いに。」
「どこ行かはんのも、奥さんが有田さんについて行ってはるのがすごくいいですね。」
「走ってる間けっこう時間があるし、一人で好きなところを観光したりしてるんよ。」
「そらいいですね。奥さんはもう全然走ってはらへんのですか。」
「そう、6年前から・・・(この間の事情は個人情報のため省略)。でも、1年に1回くらいやけど3kmとか5kmとかは走ったんよ。」
「いやー、それでいいですやん。」
「また、ちょくちょく寄ってくださいね。」
「はい。月曜か火曜ですね。」
そう言ってお別れしたのだが、よく考えると水曜以外はなかなか来にくい。スペシャルランを考えんとあかんね。
(有田さんのブログ今日も“LOOKING GOOD!"ものぞいてみてください。ほとんどがランニングのレポートですが、「お上品な仲良し夫婦の旅行記」として見られてもおもしろいと思います。)
京都シネマの会員継続のハガキを探していたら遅くなってしまった。今日見る予定の「旅芸人の記録」は10時40分から。それなのに、家を出たのは9時38分。ゆっくりのんびり走っていく予定だっのに、そこそこのスピードで行かないと間に合わない。
鴨川に出て、木のトンネルを通り抜ける。
御所の横を通り、烏丸通りを真っ直ぐ南下。
京都シネマ前まで約9.6km、55分36秒。
「あと5分ほどで始まるー、急げー。」
ぎりぎりセーフ。
けっこう汗をかいてしまい、着替えも持ってこなかったのは失敗だった。
ここから休けい10分を含め4時間ちょっとの映画。終わったのは2時50分ごろ。お腹がへっていたけど、家まで走って帰ってお茶漬けでも食べよう。
いやその前に、御所の横を通るんやから「有田税理士事務所」に寄らねば。
前にいただいたコメントを確認してこなかったもんだから、ちょっと迷走。かなりジグザグに走ってしまった。有田さんの事務所は、今出川通りの一筋南の武者小路通りにあった。
四条烏丸からここまで3.7km(実際はもっと近い)。時計をとめるのを忘れていたが23分くらいかかったと思う。
長話のあと、有田さんの奥様の笑顔に見送られ、再スタート。
あっ、一つ忘れてました。有田さんは大阪マラソンの抽選に当たったそうです。またカメラを持ってのレポート、楽しみにしています。
来た道と同じコースを通り家まで。
鴨川の土手には、小さくてかわいいピンクの花がいっぱい咲いていた。
やってんのか休みなんかよう分からん「京都キャロット・産大前店」。
今日水曜日は定休日です。
西日の影がこんなに長くなった。
もうすぐ冬ですね。
岩倉に抜ける新しい道に入ると、家まであと200mほど。
烏丸今出川から6.8km、42分09秒。
さすがに足が疲れ、ペースが落ちた。
それでも全部で9.6+3.7+6.8で20.1kmも走れた。こんなに走ったのは9月9日の「九条ラン」以来。20kmを超えたのは7月8日の「反核平和マラソン以来。いい練習になった。
シャワーを浴びる前に体重測定。
59.4kg。
昼ごはん抜きで20km近く走ったら、こんなもんです。ばんごはんをしっかり食べたあともう一度測ると、60.4kg。このあたりをキープできたら理想的です。
ただ、家では足の指がつってつって困った。おんなじような練習じゃなく、できるだけ練習のバリエーションを増やしたほうが体にはいいみたい。そこらへんをまた考えてみよう。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年11月06日(火)
イメージトレーニング [ランニング]
私が勝手にライバルと思っている人たちと、私との一番大きなちがいは練習量である。私の現在の月間練習量は平均150kmほど。「毎日5km走って意味ある?」と聞かれてしまう練習量だ。たぶん、マスターズの伊神さんも、大学生のみずぽんも、高校生のあーちゃんも女子ではあるが私の倍以上練習していると思う。
でも、三重の林さんが言ってくださったように、「藤井さんは効率のいい練習ができている」のかも。練習が少ない割には、最近はそこそこのタイムをたたき出している。その理由は・・・。
思いつくのはイメージトレーニングでしょうか。
私のスタンダードコースは、家から北稜高校前の真っ直ぐな道を通るもの。行き2.5kmがゆるやかな下り、帰り2.5kmがゆるやかな上り。ふつう帰りの上りが遅くなると思うのだが、たいてい帰りのほうが速くなる。これは、走るたびに同じことを思い出すからだ。
「関西馬が強いのは、栗東トレセンの坂越えコースで練習しているから。」
これは、30年以上前8チャンの競馬中継で聞いた言葉。まだ福永洋一さんが元気だったころの話です(圧勝惨敗をくり返す逃げ馬・エリモジョージ、好きやったなあ)。
「そうや、坂越えコースは力つけてくれるんや」と思いながら走ると、自然とペースが上がる。このコースを走っているのが最近速くなってきた理由の一つかもしれない。
ついでに言うと、「競走馬は首が上がったら終わり」という言葉もよく思い出す。それを思い出したらぐっと首を下げる、競走馬のように。そうすると上体も起き上がらず、やや低い姿勢で攻めて行ける。
「わしゃー、馬かー。」
長距離は身体能力より精神面の要素が大きい。短距離が速くないのに長距離になると次々と逆転するという人も少なくない。私もそっち系だ。
以前は、きっと最大酸素摂取量が平均より上回っているのだと思っていた。ところが、だいぶ前の話だがトライアスロンに出たときに測ってもらったら「なななんと、平均以下!」。調べてくださったお医者さんが、首をひねっておられた。「こんな低くて、フルトライアスロンが完走できるなんて・・・。」
ここまで来ると「わけ分からん」の世界です。
ただ、トラックレースの中盤から終盤にかけて苦しくなったら「廉のがんばり」を思い出す。ラスト数100mは前で八田さんが「藤井さん、ついてきー」と言ってくださっていると思って走る。そういうイメージ化はうまいほうだと思う。
もうここまで来たら、こっちの道を極めることやね。
できるだけ実際に走る量を減らし、イメージトレーニングのバリエーションを増やす。これやと故障の心配もないし、ええでー。
さあ、こんな甘い練習計画でタイムは縮まっていくでしょうか・・・。
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【RUN】
今日も同じ5kmコース。
行き13分11秒、帰り13分03秒で26分15秒。
やっぱり帰りが速くなった。
1kmスロージョグをプラス。
こんな練習だけでいいんでしょうか。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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