2012年11月20日(火)
ベルパライソの夜 [宿情報]
8月以来のリゾートホテル・ペルパライソ。
8月はここに3連泊させてもらったが、今回は2連泊。
このホテルを選んだわけ。
?ごん太がいる。
?お風呂に洗い場があり、ゆっくりとくつろげる。
?安い。
そのほか、8月はホテルのまん前がビーチというのも決め手になった。しかし、残念ながらさすがの沖縄ももう秋。確か、海水浴エリアの囲いも10月末で撤去であったと思う。
8月に来たとき、初子オバアの甥っ子さん(つまり、真樹の幼馴染の九ちゃんのいとこ)が、レストランで働いていることが分かった。
今回は京都のおみやげを渡すことができた。そしたら、気を使ってくださってだいぶサービスしてくださった。申し訳ない。
写真を撮らせてもらうのを忘れていたが、スリムクラブの内間さんを若くしたような感じ。うちの廉と同い年くらいかな。今度来るときは写真撮らせてくださいね。
1階のレストランは8月は改装中で閉鎖れていた。しかし、今回は泊り客も少ないのにオープン。ただし、8月に2階のお店で食べたときとメニューは同じ。もうちょっとメニューをふやしてほしいなあ。
到着が遅くなって、ごんちゃんには会えなかった。でも、明日9時前には出勤と聞いてほっとした。ごんちゃんに会えへんかったら、ベルパライソに泊まった意味がない。ほんま。
ゆっくりお風呂に入り、琉球コーラを飲んで早めの就寝。
明日、真樹は受験ですから・・・。
※「ごんちゃんありがとう」に続く。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
北山高校駅伝部激励 [陸上競技]
「藤井さん、今ちょうど駅伝部父母会会長の関口さんが来られています。紹介します」と上原校長先生。
「あっ、1区の関口君のお父さんですね。」
「よくご存知で・・・。」
「ちゃんと調べて来てますから。」
関口君は3000mSCでインターハイにも出場した選手。そのお父さんと少しでもお話ができてよかった。
「駅伝は個人競技とちがっていろいろな要素がありますから。12月23日当日に、萎縮せず最大限の力が発揮できるように気を配ってあげてください。」
我ながらいいこと言いました。
北山高校に着いたのは5時過ぎ。
「2日前にお電話させていただいた京都の藤井です。駅伝部の激励に来ました。」
職員室前でそう声をかけると、一人の女性が出てきてくださった。
「私が電話に出た者です。しばらくお待ちください。」
しばらくして、「校長室へどうぞ。」
上原校長先生はまだお若い感じの方だった。
「明日、娘の大学受験で沖縄に来てるんです。ちょうど、駅伝の沖縄県大会で北山高校さんがアベック優勝されたと聞き、ぜひ激励に行きたいと思い来させていただきました。
娘の小学校時代のPTAのお母さんに今帰仁村出身の方がおられて、沖縄旅行のたびにご実家に寄らせてもらってるんです。だから、少しだけですけど今帰仁にはなじみがあるんです。
それと、私も学生時代は何もしてなかったんですけど、社会人になってから走り始めてマラソンには興味があります。沖縄でも、西表や渡嘉敷や伊江島のマラソンに出たこともあります。実は娘の受験に便乗して、あさって沖縄市である中部トリムマラソンにも出るんですよ。」
上原校長先生はすごく喜んでくださった。
おみやげとしてランニング用ソックスを部員数だけ持ってきた。渡そうとすると、「駅伝部のマネージャーだけ残っていますから呼んできます。直接渡してやってください。」(部員は九州大会出場のため福岡行き。)
かわいい2年生の女子マネージャーが2人。校長先生が「京都から応援に来てくださった」と説明されるとちょっと驚いていた。しかし、しっかりとしたお礼の言葉ももらった。また、京都で会えるといいのにね。
校長先生が、「校内をご案内します。」
「ちょっと学校のホームページを見せてもらったんですけど、全校生徒が300人ちょっとですよね。」
「現在297名です。」
「そうなんですか。300人切ってますか。そんなに小さい学校が男女とも優勝ってすごいじゃないですか。」
「今年から指導してもらっている先生が、去年の優勝校から来られた方なんです。それも大きいかもしれません。それと、うちは駅伝部は全員寮生活ですから、結束力という点では強いものを持っています。」
「計算上はいい結果を望むのは難しいとは思いますが、本当に駅伝は何が起こるか分かりませんから。最後まで自分たちの力を信じてがんばってほしいです。」
さすがの真樹も、ここは車で待機。
でも、「12月23日当日は、私たちは仕事(万博クロスカントリー)で応援に行けないので娘に頼んでおきます」と言っておいた。
ほんまに頼むでー。パオパオの分までしっかり応援してやー。
※「ペルパライソの夜」に続く。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
今帰仁の駅そーれのネコ [わんこ・にゃんこ]
こんなかわいいネコちゃんがベンチで寝てました。
いつも寄らせてもらっている初子オバアのおうちはここからすぐ。しかし、8月にもおじゃましたばかりなので今回はスルー。
でも、真樹が合格したらまた来ますねー。
※「北山高校駅伝部激励」に続く。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
部間タイヤの比嘉さん [私の好きな人]
部間タイヤさんは、名護の西の端。もう少しで本部町にというところにある。高速道の終点・許田ICからはだいぶ離れている。それでも豊見城から1時間10分くらいで来れた。自分で運転してきたら、そんなに遠く感じない。
比嘉増美さんは、「京都キャロット」通販のお客様。いつもお電話で注文してくださっている。すごく低くていいお声で、独特の間があるしゃべり方をされる。
注文していただいた商品の発送先が、いつも「部間タイヤ」。私はてっきり、比嘉さんはその会社にお勤めされているのだと思っていた。でもちがった。経営者側の方だったんですね。
ダンナさんの比嘉三雄さんもランナーで、優勝や入賞も何回もされているとのこと。「21世紀の森RUNクラブ」に入っておられ、名護湾の海岸沿いの公園で練習されているそうだ。
タイヤの前にネコちゃんが2ひき。
写真を撮ろうとしたら、1ぴきは逃げてしまった。
かわいいかわいいネコちゃんでした。
いろいろとお話させていただいて、真樹も心強く感じたようだ。本当にありがとうございます。
そして、お別れするとき最後に私が言った。
「実はあさっての中部トリムマラソン、走るんです。私だけですけど。」
「あら、私たちも行くんですよ。クラブの仲間もたくさん出て、走ったあとはみんなで宴会のようなことをするんです。いっしょに食べましょう。」
「ありがとうございます。楽しみにしときます。」
比嘉さんからたくさんのおみやげもいただいた。うちの大事なお店お客さまなのに、これでは反対ですね。お言葉に甘えさせてもらって、これからも娘のことで頼りにさせてくださいね。
※「今帰仁の駅そーれのネコ」に続く。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
「うるま食堂」 [グルメ情報]
「日替わり定食、600円。これにしょ。」
「今日の定食はてんぷらです。」
出来上がって持ってこられた定食を見てビックリ。
「えー、こんなに多いん!?」
エビ、チキン、魚、ピーマン、サツマイモ、野菜のかきあげに沖縄そばやサラダ、アイスコーヒーまでついてこの値段。
「こりゃ食べ切れんかも・・・。」
11月16日午後1時15分、那覇空港到着。
海上自衛隊が何かの訓練をしているようだ。
そこからレンタカー屋さんに行き手続き。8月に来たときはここでずいぶん待たされてイライラした。しかし、今回はスムーズ。それでも手続きが終わってスタートたのは2時半。もう、お腹ペコペコ。
レンタカー屋さんのすぐ近く、豊見城市名嘉地の「うるま食堂」発見。「なんで、豊見城やのにうるまなんかなあ」と思いつつ店内へ。
イス席のほかに座敷もあった。「これがウワサの昼寝ゾーンかなあ・・・。」
真樹は「じゅーしーそば定食の(小)」(550円)。
「小」でもかなりの量だった。
いつもなら無理して食べないのに、「全部食べる」と言う。翌日の大学入試に向けて気合を入れているようにも見えた。
「ええぞー。」
私はあんなにお腹ペコペコだったのに残してしまった。ああめずらし。
沖縄紹介本に、「『食堂』と書いてあるお店では、その量の多さに要注意」と書いてあったのを思い出した。味はすごくよかったので、残したのがほんとに申し訳なかった。
ここから、名護の比嘉増美さんに電話。空港から部間タイやさんに電話したら、「2時ごろ来ます」とのことだったので。
「すいません、そちらに比嘉増美さんいらっしゃいますか。」
「はい。」
「あっ、比嘉増美さん・・・。あの、京都のランニング用品店の京都キャロットの藤井です。」
「あー、藤井さん。お久しぶりです。」
「実は、今、娘といっしょに沖縄に来てるんです。前にお電話でゆってたと思うんですけど、名護の大学受験で。」
「そうなんですか。今、どこに。」
「昼過ぎに那覇について、さっきお昼ごはんを食べたとこです。ご迷惑じゃなかったら、今から部間タイヤさんに行かせてもらおうかなと思ってるんですけど・・・。」
「はい、どうぞ。きたないとこですよ。来られたら、あちこち案内しましょうかねえ。」
「いえいえ、今日はもうあまり時間もないんで、ごあいさつだけさせてもらって失礼します。またこれから娘がお世話になることもあると思いますので、顔だけでも見ておいてもらおうと思って。」
「分かりました。じゃ、気をつけて来てくださいね。待ってます。」
ちょうど3時ころ、名護めざして出発。
※「部間タイヤの比嘉さん」に続く。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年11月19日(月)
沖縄四日間で真樹は成長した [沖縄]
14時05分那覇発、15時55分伊丹着(ANA)。
16時25分伊丹発、17時15分京都駅着(空港バス)。
17時24分京都駅発、17時43分国際会館駅着(地下鉄)。
ヨメさんがきくをつれて駅に迎えに来てくれた。
午後2時すぎに那覇空港を飛び立ち、夕方6時に自宅着。4時間で帰って来れるなら、沖縄もそんなに遠くはない。ただ費用がねえ・・・。
16日(金)から今日までの4日間、沖縄でいろいろなことを経験してきました。真樹にとってはしんどいことが多かったけれど、一回り(半周り?)成長したと思う。
旅行出発前日に「竹串飲み込んだかも疑惑」だったきくが元気そうで何より。
私たちの沖縄での様子は、またぼちぼち書いていきます。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
首里城ガイド(旅行4日目) [沖縄]
11月19日(月)は、「首里城」→「ブルーシール」→「那覇空港でお買い物」。
旅行最終日は、真樹のリクエストの首里城。真樹は今回で9回目の沖縄なのだが、首里城は来たことがなかった。
NPO法人・那覇市街角ガイドでガイドさんをお願いした。この「那覇市街角ガイド」は全部で19のコースがあり、すべて1時間半から2時間。7名までは3500円均一のガイド料。
私は6年前に廉と来たことがある。ただ時間がなくて、首里城前で写真だけ撮って帰ってしまった。せっかく来て、これではあかんね。そう思い、今回はくわしく説明してくださるガイドさんをお願いすることにした。
10時、守礼門前で待ち合わせ。私たちのガイドをしてくださるのは金城さんというベテランガイドさんだった。
私が聞いて覚えていること。
1.首里城の各部分は次々と建て増しした経緯があり、どの部分が何年に建設されたかはっきりしないところが多い。
2.各地の豪族を首里に取り込み、地元に帰さず謀反を起こさせないようにした。
3.首里城の下働きの者には大事な仕事はさせない。それは、派閥ができたり不満を持つ者が出てこないようにするためだったらしい。
4.首里城は西向き。普通は南向きに建てるものだが、中国に対して背を向ける形になるので西向きになった。それと、王が東から上がる太陽の光を浴びて神々しくみえるようにという配慮もあったようだ(てぃーだ信仰)。
5.琉球王国の尚王朝は一度途切れているが、後継の王も「尚」を名乗った。現在も尚家は続いているが、一般人としてひっそり暮らしておられるらしい。
6.首里城は戦火で全焼したが、写真を元に復元。そのとき残っていた土台を更地にせず残し、その上にかさ上げして再建築したため世界遺産として認められた。
7.世界遺産に認められてから、障害者のための手すりやスロープがつけられなくなってしまった。
8.ハワイのハイビスカスは、沖縄からの移民がアカバナを持っていって広がっていった。
こんなところでしょうか。
ガイドしてもらったあとの真樹の言葉。
「真樹も沖縄に住んだら、こんなガイドしてみたいなあ。」
そうできるようになったらいいのにね。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年11月18日(日)
驚異の新記録(旅行3日目) [沖縄]
11月18日(日)、「中部トリムマラソン」→「沖縄こどもの国」→「まきし食堂」。
第23回中部トリムマラソンは申告タイムレース。
私は申し込み時に5kmを20分00秒で申告してエントリー。先々週19分52秒、先週19分58秒なのでいけるかも。ところが、「9時30分現在の気温は23.5度」のアナウンス。日差しがきつく、「これはがんばっても20分30秒くらいが限界かなあ・・・。」
でも、気を緩めず走りきったらギリギリ20分は切れるかもと思いスタートした。走り出すと、意外と暑くない。中だるみもなく終盤へ。
残り1kmのあたりで、真樹と比嘉さんからの応援。これはうれしかった。サブトラックの周りを回って残り500mあたりで、もう一度真樹と比嘉さんからの応援。
「ここまで走って応援に来てくれたんやね。よっしゃー、ターボ前回じゃー!」
自分がどれくらいのタイムで走っているのかサッパリ分からず。しかし、一度もだれることなく5kmを走りきった。
ゴールには真樹と比嘉さんがニコニコして待ってくれていた。
「藤井さん、18分台ですよ」と比嘉さん。
まさかと思ったが、完走証をもらうと「18分43秒」。脅威の新記録。これは、私の35歳くらいまでの記録に相当。ひょっとしたら、私の20代の自己ベスト18分03秒も更新できるかも・・・。
「60歳で5000m18分台を出して引退」と決めていたのに、この調子だと引退時期が早まるかも・・・。
※真樹は、自分の重い一眼レフで写真まで撮ってくれました。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年11月17日(土)
ごんちゃんがくれた幸運(旅行2日目) [沖縄]
11月17日(土)は、「ごんちゃんとの再会」→「真樹の受験(小論文)、私は名護ラン」→「真樹の受験(面接)、私は読書」→「農芸茶屋 四季の彩で夕食」→「真樹と夜ゆんたく」。
前日ペルパライソに着いたのは5時半ころ。残念ながら、ごんちゃんたちはもう帰ってしまって会えなかった。
でもごんちゃんは朝9時前に出勤ということだったので、朝からその時刻になるのを今か今かと待っていた。9時前、浜辺に出るとごんちゃんと「★の砂さん」が来ておられた。
8月に会ったときはなかなか来てくれなかったのに、今回は私たちを見つけたらしっぽを振って近づいてきてくれた。
ごんちゃんにはワンちゃんのおやつを、「★の砂さん」の娘さんには絵本をプレゼント。すごく喜んでもらってよかった。
試験場に向かう真樹の言葉。
「スカートにごんちゃんの毛がついてる〜。」
これは、「すごいラッキーでうれしい」という意味です。
ごんちゃんのおかげで、リラックスした気持ちで試験場に向かえました。
ありがとね、ごんちゃん!
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年11月16日(金)
ますみさんをたずねて(旅行1日目) [沖縄]
11月16日(金)、那覇空港からレンタカー屋さんへ。そのあと、「うるま食堂で昼食」→「比嘉増美さん訪問」→「北山高校駅伝部激励」→「リゾートホテル・ペルパライソ」。
名護で唯一の知り合いと言えるのは、「京都キャロット」通販のお客様である比嘉増美さん。何年か前、「たたらぎダム湖マラソン」会場で一度だけお会いしたことがある。
いつもご注文はお電話でしてくださるので、「ひょっとしたら娘が名護の大学に行くかもしれません。そのときはお世話になります」とお願いしていた。今まで何回も名護には来ていたのだがたいてい土日。今回は平日に来れたので、比嘉さんの職場である「部間タイヤ」におじゃまさせてまらった。
「真樹ちゃん、かわいいわねえ。中学生みたい。」
「名護に来たら、何でも聞いてね。私は、真樹ちゃんのお母さんとおんなじ名前だよ。」
「21世紀の森でみんなと走ったらいいよ。」
真樹は恥ずかしがりなので、初めて会う比嘉さんとしゃべるのを嫌がるかと心配だったが意外とよくしゃべった。知らない土地で暮らしていくには、頼れる人がいればありがたいと思ったのだろう。
比嘉増美さん、真樹のことをよろしくお願いします。(大学に受かったらの話ですけど・・・。)
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
今日から沖縄 [沖縄]
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2012年11月15日(木)
カープ・栗原選手の思い [平和]
◎毎日新聞11月14日夕刊
ヒロシマと生きる 「被爆者 プレーで元気付けたい」
カープ・栗原選手 FA行使せず残留
プロ野球のフリーエージェント(FA)権行使の申請期間が13日終わり、広島の栗原健太(30)の残留が確定した。公式ブログで被爆地への思いを発信する栗原だが、今季は5月に右肘を手術、原爆の日前夜に開かれたピースナイターも自宅観戦するしかなかった。「来季こそは全力プレーで、被爆された方々を元気づけたい」と話している。
右肘手術の影響で今季は21試合出場にとどまり、0本塁打、5打点、打率2割1分1厘。主力になって最低の数字に終わった。
山形県生まれ。日大山形2年の98年夏、甲子園の土を踏んだが、広島は遠かった。原爆のことは教科書でしか知らず、初めて訪れたのは17歳、入団発表の日だ。原爆資料館の前で記念撮影したものの入館しなかった。
転機は04年の結婚だった。妻(27)が被爆3世で、8月が近づくたび原爆のことを口にした。被爆体験を語らぬ親戚がいること。被爆者が減り、広島でさえ原爆への関心が薄れていること。資料館も一緒に見学した。黒く変色した弁当箱の白飯に、言葉を失った。「一発の爆弾が日常を奪ったのか」
焦土の広島に球団が生まれた意義も考えた。被爆者を含む市民は、創設時から募金で球団を支えた。その思いに応えられないか。08年まで本拠地だった旧広島市民球場では、原爆の日に試合がなかった。疑問に思い、その年8月6日、ブログで書いた。「とても大事な日ですが、僕たちは毎年遠征で広島にいません。理由はあるのでしょうか?」
静かに過ごしたい被爆者に配慮し、市条例の施行規則で市民球場が休場と知って反省したが、のちに規則は改正される。11年8月6日、マツダスタジアムでピースナイターは開かれた。今年は日程の都合で前夜に開催された。しかし、立つべき打席に自分がいない。歯がゆかった。
「ピースナイターを楽しみにしてくれる被爆者の方もいる。全力で打ち、走り、元気を送る。それが広島で野球を続ける意義」。来季の活躍を誓って振り抜いたバットが、広島の室内練習場に快音を残した。【平川哲也】
--------------------------------------------------------------------------------
<橋下・大阪市長>「核廃絶無理」発言 広島市長が苦言
遊説先の広島市で10日、核兵器の廃絶を「現実には無理」などと発言した日本維新の会代表の橋下徹大阪市長に対し、広島市の松井一実市長は14日の定例記者会見で、「被爆の実相を十分理解していない人の発言」と苦言を呈した。広島を訪れて実相を理解してもらうよう橋下氏に求めるという。
松井市長は発言を「いろいろな考え方の一つ」としながらも、「被爆者の話を聞いていただければ、おのずと分かるのでは」と述べた。政令指定都市の市長が集まる会合などで、橋下氏と面会した際に広島訪問を求める意向だ。大阪市は、核兵器廃絶を求める国際NGO「平和市長会議」(会長、松井市長)に加盟している。
一方、橋下氏は14日、「核廃絶を訴えても世界には響かない」と改めて持論を展開した。市役所で記者団に「核廃絶は理想だが、政治は現実に即して戦略を考えないといけない」と主張。日本が国連安全保障理事会の常任理事国ではない現状を指摘し、「一地域でペーパーをまとめるだけでは世界は動かない」と、湯崎英彦広島県知事らに反論した。【中里顕】
--------------------------------------------------------------------------------
プロ野球でお金をたくさん持っているチームは、自力で選手を育てようという気がないように見える。。他チームの主力選手を引き抜き、他チームを弱体化させるのがチームの方針なのだろうか。
わがヤクルトスワローズからは、ハウエル、ペタジー二、ラミレス、グライシンガー、ゴンザレス・・・。苦労して探してきた主力外国人選手を札束で・・・。
広島東洋カープも、江藤、金本、新井と次々と4番バッターを取られてしまった。次に狙われるのはヤクルトなら林 昌勇(イム・チャンヨン)、広島なら栗原かなあと思っていた。
しかし、栗原はちがった。今年は故障で出番が少なかったが、本調子なら広島の4番を打つバッターである。広島の安月給に対抗して、厚い札束を出してくる球団があれば心も揺れるものだ。
これを押しとどめたのは、被爆3世の奥様の力が大きいだろう。実際に被爆した者の恐怖、痛み、苦しみ、悲しみを祖父母から直接聞いた奥様は、ご自身も体に異変があるのかもしれない。そういう話をしっかり受け止め、自分の生き方に反映させている栗原選手は立派だと思う。
まるで他人事のようにしか発言できない大阪市長とはえらいちがい。まず、栗原選手ご夫婦と橋下大阪市長との対談でもしてもらったらどうでしょう。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
【 過去の記事へ 】