2012年11月19日(月)
沖縄四日間で真樹は成長した [沖縄]
14時05分那覇発、15時55分伊丹着(ANA)。
16時25分伊丹発、17時15分京都駅着(空港バス)。
17時24分京都駅発、17時43分国際会館駅着(地下鉄)。
ヨメさんがきくをつれて駅に迎えに来てくれた。
午後2時すぎに那覇空港を飛び立ち、夕方6時に自宅着。4時間で帰って来れるなら、沖縄もそんなに遠くはない。ただ費用がねえ・・・。
16日(金)から今日までの4日間、沖縄でいろいろなことを経験してきました。真樹にとってはしんどいことが多かったけれど、一回り(半周り?)成長したと思う。
旅行出発前日に「竹串飲み込んだかも疑惑」だったきくが元気そうで何より。
私たちの沖縄での様子は、またぼちぼち書いていきます。
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首里城ガイド(旅行4日目) [沖縄]
11月19日(月)は、「首里城」→「ブルーシール」→「那覇空港でお買い物」。
旅行最終日は、真樹のリクエストの首里城。真樹は今回で9回目の沖縄なのだが、首里城は来たことがなかった。
NPO法人・那覇市街角ガイドでガイドさんをお願いした。この「那覇市街角ガイド」は全部で19のコースがあり、すべて1時間半から2時間。7名までは3500円均一のガイド料。
私は6年前に廉と来たことがある。ただ時間がなくて、首里城前で写真だけ撮って帰ってしまった。せっかく来て、これではあかんね。そう思い、今回はくわしく説明してくださるガイドさんをお願いすることにした。
10時、守礼門前で待ち合わせ。私たちのガイドをしてくださるのは金城さんというベテランガイドさんだった。
私が聞いて覚えていること。
1.首里城の各部分は次々と建て増しした経緯があり、どの部分が何年に建設されたかはっきりしないところが多い。
2.各地の豪族を首里に取り込み、地元に帰さず謀反を起こさせないようにした。
3.首里城の下働きの者には大事な仕事はさせない。それは、派閥ができたり不満を持つ者が出てこないようにするためだったらしい。
4.首里城は西向き。普通は南向きに建てるものだが、中国に対して背を向ける形になるので西向きになった。それと、王が東から上がる太陽の光を浴びて神々しくみえるようにという配慮もあったようだ(てぃーだ信仰)。
5.琉球王国の尚王朝は一度途切れているが、後継の王も「尚」を名乗った。現在も尚家は続いているが、一般人としてひっそり暮らしておられるらしい。
6.首里城は戦火で全焼したが、写真を元に復元。そのとき残っていた土台を更地にせず残し、その上にかさ上げして再建築したため世界遺産として認められた。
7.世界遺産に認められてから、障害者のための手すりやスロープがつけられなくなってしまった。
8.ハワイのハイビスカスは、沖縄からの移民がアカバナを持っていって広がっていった。
こんなところでしょうか。
ガイドしてもらったあとの真樹の言葉。
「真樹も沖縄に住んだら、こんなガイドしてみたいなあ。」
そうできるようになったらいいのにね。
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2012年11月18日(日)
驚異の新記録(旅行3日目) [沖縄]
11月18日(日)、「中部トリムマラソン」→「沖縄こどもの国」→「まきし食堂」。
第23回中部トリムマラソンは申告タイムレース。
私は申し込み時に5kmを20分00秒で申告してエントリー。先々週19分52秒、先週19分58秒なのでいけるかも。ところが、「9時30分現在の気温は23.5度」のアナウンス。日差しがきつく、「これはがんばっても20分30秒くらいが限界かなあ・・・。」
でも、気を緩めず走りきったらギリギリ20分は切れるかもと思いスタートした。走り出すと、意外と暑くない。中だるみもなく終盤へ。
残り1kmのあたりで、真樹と比嘉さんからの応援。これはうれしかった。サブトラックの周りを回って残り500mあたりで、もう一度真樹と比嘉さんからの応援。
「ここまで走って応援に来てくれたんやね。よっしゃー、ターボ前回じゃー!」
自分がどれくらいのタイムで走っているのかサッパリ分からず。しかし、一度もだれることなく5kmを走りきった。
ゴールには真樹と比嘉さんがニコニコして待ってくれていた。
「藤井さん、18分台ですよ」と比嘉さん。
まさかと思ったが、完走証をもらうと「18分43秒」。脅威の新記録。これは、私の35歳くらいまでの記録に相当。ひょっとしたら、私の20代の自己ベスト18分03秒も更新できるかも・・・。
「60歳で5000m18分台を出して引退」と決めていたのに、この調子だと引退時期が早まるかも・・・。
※真樹は、自分の重い一眼レフで写真まで撮ってくれました。
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2012年11月17日(土)
ごんちゃんがくれた幸運(旅行2日目) [沖縄]
11月17日(土)は、「ごんちゃんとの再会」→「真樹の受験(小論文)、私は名護ラン」→「真樹の受験(面接)、私は読書」→「農芸茶屋 四季の彩で夕食」→「真樹と夜ゆんたく」。
前日ペルパライソに着いたのは5時半ころ。残念ながら、ごんちゃんたちはもう帰ってしまって会えなかった。
でもごんちゃんは朝9時前に出勤ということだったので、朝からその時刻になるのを今か今かと待っていた。9時前、浜辺に出るとごんちゃんと「★の砂さん」が来ておられた。
8月に会ったときはなかなか来てくれなかったのに、今回は私たちを見つけたらしっぽを振って近づいてきてくれた。
ごんちゃんにはワンちゃんのおやつを、「★の砂さん」の娘さんには絵本をプレゼント。すごく喜んでもらってよかった。
試験場に向かう真樹の言葉。
「スカートにごんちゃんの毛がついてる〜。」
これは、「すごいラッキーでうれしい」という意味です。
ごんちゃんのおかげで、リラックスした気持ちで試験場に向かえました。
ありがとね、ごんちゃん!
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2012年11月16日(金)
ますみさんをたずねて(旅行1日目) [沖縄]
11月16日(金)、那覇空港からレンタカー屋さんへ。そのあと、「うるま食堂で昼食」→「比嘉増美さん訪問」→「北山高校駅伝部激励」→「リゾートホテル・ペルパライソ」。
名護で唯一の知り合いと言えるのは、「京都キャロット」通販のお客様である比嘉増美さん。何年か前、「たたらぎダム湖マラソン」会場で一度だけお会いしたことがある。
いつもご注文はお電話でしてくださるので、「ひょっとしたら娘が名護の大学に行くかもしれません。そのときはお世話になります」とお願いしていた。今まで何回も名護には来ていたのだがたいてい土日。今回は平日に来れたので、比嘉さんの職場である「部間タイヤ」におじゃまさせてまらった。
「真樹ちゃん、かわいいわねえ。中学生みたい。」
「名護に来たら、何でも聞いてね。私は、真樹ちゃんのお母さんとおんなじ名前だよ。」
「21世紀の森でみんなと走ったらいいよ。」
真樹は恥ずかしがりなので、初めて会う比嘉さんとしゃべるのを嫌がるかと心配だったが意外とよくしゃべった。知らない土地で暮らしていくには、頼れる人がいればありがたいと思ったのだろう。
比嘉増美さん、真樹のことをよろしくお願いします。(大学に受かったらの話ですけど・・・。)
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今日から沖縄 [沖縄]
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2012年11月15日(木)
カープ・栗原選手の思い [平和]
◎毎日新聞11月14日夕刊
ヒロシマと生きる 「被爆者 プレーで元気付けたい」
カープ・栗原選手 FA行使せず残留
プロ野球のフリーエージェント(FA)権行使の申請期間が13日終わり、広島の栗原健太(30)の残留が確定した。公式ブログで被爆地への思いを発信する栗原だが、今季は5月に右肘を手術、原爆の日前夜に開かれたピースナイターも自宅観戦するしかなかった。「来季こそは全力プレーで、被爆された方々を元気づけたい」と話している。
右肘手術の影響で今季は21試合出場にとどまり、0本塁打、5打点、打率2割1分1厘。主力になって最低の数字に終わった。
山形県生まれ。日大山形2年の98年夏、甲子園の土を踏んだが、広島は遠かった。原爆のことは教科書でしか知らず、初めて訪れたのは17歳、入団発表の日だ。原爆資料館の前で記念撮影したものの入館しなかった。
転機は04年の結婚だった。妻(27)が被爆3世で、8月が近づくたび原爆のことを口にした。被爆体験を語らぬ親戚がいること。被爆者が減り、広島でさえ原爆への関心が薄れていること。資料館も一緒に見学した。黒く変色した弁当箱の白飯に、言葉を失った。「一発の爆弾が日常を奪ったのか」
焦土の広島に球団が生まれた意義も考えた。被爆者を含む市民は、創設時から募金で球団を支えた。その思いに応えられないか。08年まで本拠地だった旧広島市民球場では、原爆の日に試合がなかった。疑問に思い、その年8月6日、ブログで書いた。「とても大事な日ですが、僕たちは毎年遠征で広島にいません。理由はあるのでしょうか?」
静かに過ごしたい被爆者に配慮し、市条例の施行規則で市民球場が休場と知って反省したが、のちに規則は改正される。11年8月6日、マツダスタジアムでピースナイターは開かれた。今年は日程の都合で前夜に開催された。しかし、立つべき打席に自分がいない。歯がゆかった。
「ピースナイターを楽しみにしてくれる被爆者の方もいる。全力で打ち、走り、元気を送る。それが広島で野球を続ける意義」。来季の活躍を誓って振り抜いたバットが、広島の室内練習場に快音を残した。【平川哲也】
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<橋下・大阪市長>「核廃絶無理」発言 広島市長が苦言
遊説先の広島市で10日、核兵器の廃絶を「現実には無理」などと発言した日本維新の会代表の橋下徹大阪市長に対し、広島市の松井一実市長は14日の定例記者会見で、「被爆の実相を十分理解していない人の発言」と苦言を呈した。広島を訪れて実相を理解してもらうよう橋下氏に求めるという。
松井市長は発言を「いろいろな考え方の一つ」としながらも、「被爆者の話を聞いていただければ、おのずと分かるのでは」と述べた。政令指定都市の市長が集まる会合などで、橋下氏と面会した際に広島訪問を求める意向だ。大阪市は、核兵器廃絶を求める国際NGO「平和市長会議」(会長、松井市長)に加盟している。
一方、橋下氏は14日、「核廃絶を訴えても世界には響かない」と改めて持論を展開した。市役所で記者団に「核廃絶は理想だが、政治は現実に即して戦略を考えないといけない」と主張。日本が国連安全保障理事会の常任理事国ではない現状を指摘し、「一地域でペーパーをまとめるだけでは世界は動かない」と、湯崎英彦広島県知事らに反論した。【中里顕】
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プロ野球でお金をたくさん持っているチームは、自力で選手を育てようという気がないように見える。。他チームの主力選手を引き抜き、他チームを弱体化させるのがチームの方針なのだろうか。
わがヤクルトスワローズからは、ハウエル、ペタジー二、ラミレス、グライシンガー、ゴンザレス・・・。苦労して探してきた主力外国人選手を札束で・・・。
広島東洋カープも、江藤、金本、新井と次々と4番バッターを取られてしまった。次に狙われるのはヤクルトなら林 昌勇(イム・チャンヨン)、広島なら栗原かなあと思っていた。
しかし、栗原はちがった。今年は故障で出番が少なかったが、本調子なら広島の4番を打つバッターである。広島の安月給に対抗して、厚い札束を出してくる球団があれば心も揺れるものだ。
これを押しとどめたのは、被爆3世の奥様の力が大きいだろう。実際に被爆した者の恐怖、痛み、苦しみ、悲しみを祖父母から直接聞いた奥様は、ご自身も体に異変があるのかもしれない。そういう話をしっかり受け止め、自分の生き方に反映させている栗原選手は立派だと思う。
まるで他人事のようにしか発言できない大阪市長とはえらいちがい。まず、栗原選手ご夫婦と橋下大阪市長との対談でもしてもらったらどうでしょう。
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2012年11月14日(水)
北山高校を応援しよう ・続き [陸上競技]
「はい、ホクザン高等学校です。」
「あっ、あのー・・・」
朝、せっかく沖縄の北山高校に電話したのに初めの一歩でつまずいてしまった。電話をかけるまでずっと「キタヤマ高校」だと思い込んでいた。学校のホームページに、ちゃんと「HOKUZAN」と書いてあったのに・・・。
気を取り直して話し始めた。
「あのー、駅伝部のことでお聞きしたいことがありましてお電話させていただきました。」
「はい、ありがとうございます。どのようなことでしょうか。」
「えっと・・・、全国高校駅伝の出場おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
「私京都の者なんですが、あさってそちらの近くに行く用事がありまして、そのときに京都のお菓子でも持って駅伝部の激励に行きたいと思ってるんです。」
「えー、わざわざ京都からですか。」
「はい。うちの娘が高3で、沖縄の大学を受験するんです。宿泊が今帰仁のペルパライソなんで、すぐ近くなんで行きたいなあと思いまして・・・。」
「そうなんですか。それはみんな喜びます。」
「あさっての金曜日なんですけど、駅伝部のみなさんはおられますよね。」
「しばらくお待ちください。・・・、すいません。18日が駅伝の九州大会で、あさってから出かけます。」
「あらー、そうでしたか。それは残念。でもせっかく近くまで行くので学校には伺わせていただきます。おみやげ持って。」
「申し訳ないです。」
「駅伝部は男女合わせて何名ですか。」
「はい、マネージャーも入れて全部で24名です。」
「えー、そんなに少ないんですか。その人数で県大会優勝とはすごいですね。」
「ありがとうございます。」
「お会いできないのは残念ですけど、とにかく行かせていただきます。よろしくお願いします。」
「分かりました。駅伝部にはそう伝えておきます。ほんとうにありがとうございます。」
ということで、主なき北山高校駅伝部訪問が決定。やっぱり京都のおみやげと言えば「おたべ」かな。あと、せっかくなんでランニングソックスでも・・・。これはヨメさんに相談しなくては。
夕方、不審者と思われていないか心配だったので手紙と名刺をFAXしておいた。
◇ ◇ ◇
北山高等学校駅伝部様
こんにちは。
今朝お電話させていただいた京都の藤井と申します。
全国高校駅伝大会ご出場、おめでとうございます。
うちの家族はみんな沖縄ファンで、毎年高校駅伝でも沖縄代表を応援しています。
私の娘の小学校時代、PTAのお母さんの中に今帰仁村出身の方がおられました。その関係で、沖縄に旅行に行くたびに今帰仁小学校の近く(謝名)のオバアのおうちに遊びに行かせてもらっています。そんななじみのある今帰仁の北山高校が、県代表を勝ち取られ京都に来られることを心からうれしく思っています。
うちの高3の娘は、小6のときから何度も沖縄旅行をしたせいか、今沖縄の大学に進学を希望しています。11月17日(土)は、その入試日です。(北山高校からの受験生もいらっしゃるかもしれませんね。)
駅伝部のみなさんは九州大会出場のためお留守とのことでしたが、16日(金)の夕方におみやげを持っておじゃまさせていただこうと思っています。今回は残念ですが、次に京都に来られるときにお会いできればいいですね。
昨日は、私のブログ「パオパオだより」に「北山高校を応援しよう」という記事を書かせていただきました。駅伝は一人の力ではなく、多くの要素が重なり合って結果が生まれる競技です。12月23日当日に、今までの何倍もの力を発揮され、よい結果を出されることを期待しています。
駅伝以外でも今後もし京都に来られる機会がありましたら、ぜひお声をかけてください。
それでは失礼いたします。
2012.11.14
藤井 廣司
◇ ◇ ◇
これで、不審者とは思われへんかな。
北山高等学校駅伝部、九州大会もしっかり!
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【RUN】
今日はお昼前に練習。
練習と言っても、いつもの5kmコース。
行き12分ちょうど、帰り11分57秒で23分57秒。快調!
やっぱり明るい昼間に走るほうがずっといい。短時間でさっと切り上げる練習をこれからも心がけよう。
1kmダウンジョグのとき、ご近所のおなじみネコちゃんに遭遇。このネコちゃんは、なんぼでもなぜさせてくれるよいネコちゃんです。
なかなかいい背中です。
おっちゃんはしっかり走るでー。
バイバーイ。
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