パオパオだより

2011年01月15日(土)

ひとりもみすてない・おっはー [雑用]

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 また、行ってきましたでー。おっはー候補の応援に。
 京都府南部N市のイズミヤ前。

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 私が到着したのは予定の3時の10分前くらい。
 そのとき見つけたのは3人だけ。
 それでも時間がたつにつれチョビチョビ人が集まり、最終30人くらいに。

 「ひとりもみすてない○○女性の会」とおっしゃっていたのかな。だから、集まってこられたのはほとんど女性。男性は私を入れても4名だけ。

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 最後尾のメガホン役の女性の声は、すごくよく通っていた。
 私らはその声についていくだけ。

 「ひとりもみすてない」という言葉は力強く、心にしみる。
 なかなか言えないことだが、よく考えれば政治に携わる者なら基本中の基本。それが当たり前の世界になってほしい。

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 そのパレードは3時過ぎにスタートし、3時半過ぎには終了した。
 「ああ、食い足らん!」
 くたくたになるまで市内を練り歩きたかったなあ。

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 今日は初めて「ランナーズ9の会」と「平和・憲法九条」ののぼり2本立て。
 せっかくなんで写真を撮ってもらったが、風がきつくてのぼりがうまく写らなかった。
 パレードの間中ずっと掲げていたが、少しはアピールになったかな。

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 お別れの時に、残っておられた方にごあいさつをした。
 そのとき、「どちらから? ○○○ですか? ○○?」と聞かれた。
 「いやー、私、今無職ですねん。Oさんのお父さんの友だちの友だちで・・・。にぎやかしに寄せてもろたらええかな、と思って来させてもらいました。」

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 車をイズミヤ駐車場に入れていたので、中でいちご大福を買った。真樹が食べたがってたんもんで・・・。(と言いつつ、私が6個中3個食べてしまいました。)

 「ひとりもみすてない」と堂々といえる人が、みんなをまとめる立場になっていただければ本当にうれしいです。

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2011年01月14日(金)

「ロンちゃん」〜シリーズご近所犬14〜 [わんこ・にゃんこ]

 今朝の記事「緊急! ロンちゃんを探しています」をあらためて書き直し。
 (ロンちゃんは、午後1時過ぎ無事に見つかりました。)

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 今日10時過ぎ、郵便受けを見てみると一枚のビラ。
 「ロンちゃん・・・、ロンちゃんてすぐそこの・・・。えー、おらんようになったん?」
 ロンちゃんは、本来ならずっと前にこのブログに登場してもらうべきワンちゃんだった。なんたって近所も近所、うちから20mほど離れたおうち。
 でも、うちのきくと同じでほとんど家の中。写真を撮るチャンスがなかった。

 昨日の朝9時頃失踪って・・・。そういえば昨日の朝何回も発砲音見みたいなんが響いていたな。雷とかへっちゃらなうちのきくも腰抜けてたもんな。しし追いか猿追いか知らんけど、あれは何とかしてもらわなどもならんな。
 そんなこと言っててもしようがない。なにか自分もできることをせんと・・・。

 飼い主さんのおうちを訪ねると、玄関は開けっ放し。ロンちゃんがいつ帰ってきても大丈夫なように。
 チャイムを鳴らそうと玄関をのぞき込むと、飼い主さんが玄関の板間にへたりこんでおられた。
 「すいませーん、そこの藤井です。ロンちゃん、まだ見つかってませんよね。
 ボク、ブログ書いてるんですけど、このチラシをそのままブログに載せさせてもらっていいですか。ロンちゃん見つかったらすぐ消しますし。」
 「お願いします。」

 そのあと、きくを連れて「ロンちゃん捜索隊」。
 前に家出したきくを探した経験から、私の予想は近所のおうちの庭があやしいと思った。特に、空き家や一人暮らしのひっそりしたおうち。
 東映団地、二軒茶屋団地、洛北台とまわったが見つけられず。きくは一見シェパードだが、鼻がまったくきかない。初めて通るところも多かったので、しっぽたれたれ。

 仕方なくいったん家に戻る。これは大量のポスターを貼る作戦に出たほうがいいかも。うちにはいいカラーコピー機があるし、こんな時に役立てねば。
 そう思っていると、私のケイタイに着信。
 「藤井さんのケイタイですね。ロン、見つかりました。」
 「いやー、よかったですね。私もだいぶ探してみたんですけど・・・。」
 「ありがとうございます。グリーンハイツのほうで見つかったんです。」

 グリーンハイツといえば、「京都キャロット・産大前店」のすぐ横。そやそや、きくも一回だけ向こうへ逃げて、お店のバイトさんに確保してもらったことがある。うーん、でもここは思いつかんかったなあ。

 きくのときもそうやったけど、あこに行くにはバス通りを横断せんならん。よう車にひかれへんかったなあ。
 それに、一晩どこで過ごしてたんやろう。不安やったやろなあ。

 とにかく早く見つかってよかった。
 ロンちゃん、どんなことがあってももう逃げ出したらあかんよ。
 これから先も、きくといっしょにこの町を守ろうぜ! 

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2011年01月13日(木)

「春との旅」 [映画]

◎日経トレンディネットより

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 名優・仲代達矢が「自分の長い役者人生のなかでも、この脚本の出来映えは150本中、5本の指に入る」と絶賛するほどに脚本に惚れ込み、9年ぶりに主演した映画が『春との旅』だ。74歳の老人と19歳の孫娘が、親類を訪ねて旅をする物語のなかに、仲代は何を見たのだろうか?

 物語は北海道・増毛の寂れた海辺から始まる。忠男(仲代達矢)はここでニシン漁を生業にしてきたが、そのニシン漁も今は廃れ、かつての面影もない。忠男自身、足が不自由となり、5年前に娘を亡くしてからは、孫娘の春(徳永えり)に頼って暮らす日々。だが、地元小学校の廃校に伴い、春が給食係の仕事を失ったことからドラマが幕を開ける。

 春は「東京に出て仕事を探す」と言い出し、その一言に、春がいないと暮らせない忠男は激怒。引き留める春を振り切り、家を出てしまうのだ。行く先は、今は疎遠となっている姉兄弟の家。頼れる家があれば、そのまま居候させてもらう魂胆だ。だが春は、足の不自由な忠男を1人で行かせるわけにもいかず、慌てて祖父を追いかけることに。かくして、忠男と春との2人旅が始まっていく。
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 仲代達矢が好き。仲代達矢が主演、それだけで見に行きたいと思った映画。(私は目に狂気を漂わせている俳優さんが好き。)
 ただ封切りの時には見逃していた。京都には「2番館」はもうほとんどない。唯一残っている2番館と言っていい祇園会館。そこでグッドタイミングで上映されていた。
 昨日は午前中運転免許更新、昼過ぎおっはー候補激励、そのあと時間があったので見に行くことにした。

 本来2本立てで1600円なのだが、京都新聞トマトクラブカード提示で800円になる。これはお得。この料金だと、1本だけ見て帰ってももったいないという感じがしない。

 3時35分からの上映。少し早く着いたので館内に入ると、もう1本の「フラワーズ」の上映中で、そろそろ終わりというところだった。祇園会館の割にはたくさんのお客さんだった。しかし、それが終わるとどどどっと出て行ってしまわれた。私の感覚では3分の1くらいに減ってしまった感じ。 
 「なんで、『春との旅』のほうがおもしろそうやのに・・・。」

 仲代達矢は、アップに耐えられる俳優。あらためてそう思った。映画の内容がどうであれ、顔の表情変化を見ているだけでも値打ちがある。さすが。
 仲代達矢さんに関しては、私がどうのこうのと言えるレベルの俳優さんではない。日本の最高峰と言っても過言ではないでしよう。

 まったく期待もしていなくて、見たら意外によかったのが孫娘役・徳永えり。初めて見た女優さんだが、こちらも十分アップに耐えられる。
 一番印象的だったのは、がに股ペンギン歩き。私的には、そのシーンがこの映画のキーになっているような・・・。(そんな評価をする人はいないでしょうね。)
 大阪吹田の出身だそうだ。もう、それだけで応援したくなる。彼女の出る次回作も見てみたい。

 映画の中味はくらーい話が延々と続き・・・、私はこんなん好きです。ただ最後がねえ・・・。ありえへんねえ。「リヤ王かい!」とつっこみたくなった。
 そういやあ、「リヤ王」の時代劇リメイク版ともいえる「乱」の主役は仲代達矢やったなあ・・・。

 あっ、そうか。これを一般人におきかえたらあかんにゃ。じいさんが仲代達矢やったらと思って見んとあかんにゃ。ふむふむ。それやったら納得です。

 私の言ってること、意味不明でしょうね。まあ、見て損をしたとは思えない映画ではあると思います。自分自身の行く末も含め、いろいろなことを考える時間がたっぷりととってある映画でした。ぜひ。

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祇園会館近くの八坂神社

※ 「仲代達矢」で検索してびっくり。1932年12月13日生まれ。私の誕生日と1日ちがい。
 ねっ、私の「12月生まれはかしこそう」って、あってると思いません?

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2011年01月12日(水)

おっはー [雑用]

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 行ってきましたでー。
 ただ、このことをどう書くかがちょっと問題。

 いろいろな制約があるらしいが、私が覚えている限りの会話をそのままここに書くというのはどうでしょう。(もしご迷惑をおかけする箇所がありましたらご指摘お願いします。即座に訂正または削除します。)

 「すいませーん、突然おじゃまします。」
 「どうぞとうぞ、お入りください。」
 「あのー、いきなりですけど激励に来ました。」
 「ありがとうございます。まずは・・・」と言われ、両手を出されかたい握手。
 「えー、どういうつながりで来させてもらったかと言いますと・・・。お父さん、じょんのび村の。」
 「あっ、父ですか。」
 「私、お父さんの友だちの友だちです。その友だちは京都ランナーズというランニングクラブの・・・。」
 「あっ、京都ランナーズ・・・・。」
 (知ってくれてはるんや。)

 「私、『平和・憲法九条』と書いてあるのぼり持って走ってるんですよ。門さんが知事選に出られたときも応援に行って、いっしょに走らせてもらいました。生まれて初めて選挙カーに上らせてもらって、応援演説もさせてもらいました。
 実はね、今日免許の更新に来たついでにちょっとのぞかせてもらおうかなと思って寄ってみたんです。」
 「そうだったんですか。ありがとうございます。」
 「私の義理の兄が、何回か前の市長選に立候補した中村です。」(あとで思い出したのだが、16年前と12年前。)
 「えっ、中村さん。ついさっきも来ておられたんですよ。」
 「そうですか。ボク来たゆうといてください。」
 「はい。・・・と言うことは、お姉さんはタヅコさん。長岡市役所にはきちんとした労働組合がなかったんですよ。それをね、お姉さんたちが中心になって作っていかれたんですよ。」
 「そうなんですか。私も20年前までは組合の活動してたんですけど、仕事も辞めて、今はヨメさんに食わしてもらってる身ですから・・・。今はそのへんのことさっぱり分かりませんねん。
 あっ、そうそう、その姉が暮れのもちつきでおうた時ゆうてましたわ。O君はほんまによう勉強してる。候補者同士の討論会のときも、具体的な数字をどんどん出して反論してた。抽象的な政策じゃなく具体的な話をしてもらえると説得力あるなー、って。」
 「そう言っていただけるとうれしいです。」
 「あのー、せっかく寄せてもらってこんなこと言うのもなんなんですけど、ここに来たことをブログに書いたりできないんですよね。まだ全面解禁じゃないですもんね。」
 「いや、候補者本人やその選挙関係者についてはちょっと厳しいですけど、一般の人が選挙事務所に行ってきましたというのをブログに書く程度ならまったく問題ありませんよ。」
 「そうなんですか。・・・そうですよね。」
 「投票依頼さえ書かなければ大丈夫です。」
 (選挙のプロが言っておられるのだからまちがいないでしょう。) 

 「投票日っていつでしたっけ?」
 「今度の日曜です。」
 「あー、それやったらもう日がありませんねえ。にぎやかしになんかさせてもらおうかなあと思ってたんですけど・・・。」
 「それなら、土曜の3時から、イズミヤ前からパレードをするんです。よろしかったらそれに来ていただけませんか。」
 「分かりました。できるだけ来れるようにします。」
 「ありがとうございます。」

 最後に、同席されていた選挙本部長さん(?)にお願いしてOさんとの2ショット。どうもありがとうございました。
 (なお、上の会話はOさんだけでなく写真を撮ってくださった方の話も混ぜてあります。)

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N市で一番有名な○○天神

 今日の記事の題「おっはー」は、Oさんの愛称。
 京都府南部N市の、33歳の市長候補。

 ご本人のホームページ、「おっはー!」にリンクさせてもらおうと思いましたがうまくいきませんでした。まあ、それはそれで変なところからいちゃもんをつけられんでよかったかも・・・。
 興味のある方は、「おっはー!」で検索を。

(注) 昨日(1/12)、○○天神の写真をまちがって載せていました。昨日の写真は、祇園会館の近くの八坂神社でした。かっこわるー。

  

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2011年01月11日(火)

おかちゃんの思い出 [家族]

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 後列右から3人目が母、その隣りが父。
 前列右端が姉(長女)みき江、その隣りが私、一人飛ばして兄優三、姉(次女)多鶴子。

 私が2歳だとすると、父36歳、母32歳、みき江姉10歳、兄9歳、多鶴子姉6歳。

 うちの家だけなのかうちのいなか全体がそうなのかわからないが、母親のことを「おかちゃん」と呼ぶ。(ここは「か」にアクセントをつける。サッカー監督の<お>かちゃんではない。)
 うちのおかちゃんが死んで、今日でちょうど20年。命日は1月11日という1が3つ並ぶ日で覚えやすい。

 私の母・俊子は、1925年(大正14年)北区小野郷生まれ。18歳で小学校教師になり、左京区久多小学校に赴任。そのあと、左京区別所小学校に転任。
 そこで中国から帰国した藤井善一(私の父)と知り合い結婚、退職(22歳)。その後は、畑仕事山仕事をしながら4人の子を育て上げる。

 母が亡くなったのは、1991年1月11日の早朝。そのとき65歳。胃がんだった。

 おかちゃんの一番の思い出と言えば、「こうじ! こっちおいで・・・、バシン!」やね。この「バシン!」はほっぺたをしばかれる音。あのこわさは、今も忘れられん。ほっぺた、痛かったなあ。
 でも、おとちゃん(父)のことを聞かれても、やっぱり怒られてこわかったことになるのでいっしょか。要するに、私は末っ子やから甘やかされてゆうこと聞かん子やっただけのことか。

 「マザコン」という言葉がある。私はまぎれもなくマザコンですなあ。ただし、「コンプレックス」本来の意味「複雑なもの」という意味で。「マザコン」というのは母に対する劣等感ではなく、母に対する複雑な感情というのが本来の意味のはず。
 単純より複雑のほうが、なんか賢そうでいいですやん。ああ、「マザー」なんてとんでもないから「おかコン(おかちゃんコンプレックス)」と言ったほうがいいかも。

 母が亡くなったのが、1991年1月。小学校教師の退職願いを出したのがその少しあと。辞めようと思った理由はしっかりとあったのだが、辞めたら一番怒るであろう母が亡くなったのも大きかった。
 当時私は35歳だったのだが、そんな歳にもなって母の落胆を恐れていたのだから、やっぱりマザコン。
 ただ、私が教員採用試験に合格した時一番喜んでくれたのも母だった。母は、少しの間でも小学校教師をしていた自分のあと継ぎのように思ってくれていたんでしょう。

 もし、母が天国から今の私を見ることができたらきっとこうです。
 「こうじ! こっちおいで・・・、バシン!」

 ウェーン・・・。
  

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2011年01月10日(月)

第16回9の日平和ラン〜三宅愛子さんを訪ねて〜 [ランニング]

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三宅誠孝さん宅前で (三宅愛子さん撮影)

 昨日9の日だったのだが出張販売日と重なったため、今日あらためて「平和ラン」をすることにした。
 今日の行き先は、三宅誠孝さんち。私が今まで出会った人の中で一番好きな人。亡くなられて、もうすぐ2年になる。(三宅誠孝さんは、元京都市会議員さん。このブログにも何回も登場していただきました。)

 今年の愛子さん(誠孝さんの奥様)の年賀状に、ちょっと気になることが書いてあった。しかしその表現が文学的すぎて、石頭かんたろう的な私にはそのこころが読めない。本人さんの話を聞いてみたい。
 「そや、近くやし走って行こー!」

 カーナビで調べたら、うちから三宅誠孝さんちまで4.5km。ということは、往復で9km。
 やったー、「9の日平和ラン」にぴったり。

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 お昼ごはんを食べ、スタートしようとすると雪。
 ゆっくり時間をかけて「平和・憲法九条」のアピールランをしようと思ったので厚着していくことにした。。ジャージの上にウィンドブレーカー、その上に「ランナーズ9の会」のランシャツ。もう、お腹パンパン。

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 北稜高校を過ぎたところの交差点で、三宅誠孝さんの後継者・ひぐち英明京都市議の車に遭遇。しっかりのぼりを振って激励しておいた。
 10日ほど前、うちいなかのおもちつきでお会いして以来だがお元気そうだった。街頭演説にでも行かれるのだろうか。

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 パンダ帽子をかぶり「平和・憲法九条」ののぼりを持って走っているところをカメラに収めたかったのだが、風がきつくてうまくいかない。

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 今度は成功かと思ったら、風にたなびきすぎてのぼりの文字が見えない。うまいこといかんもんです。

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 しばらく走ると雪はやみ、青空が広がった。比叡山もくっきりと見える。
 こうなると、今度は暑い。

 三宅誠孝さんのご自宅近くまで来ると、また雪がちらほら。いかにも冬らしいお天気。
 私は一度もおじゃまさせてもらったことがないので、そこらへんの人に聞きまくってなんとか到着することができた。
 4.5kmのはずなのに、40分ほどかかったことになる。

 「すんませーん、藤井です。ちょっと心配になってお伺いしました。」
 「いやー、ありがとうございます。どうぞ入ってください。散らかってますけど・・・。」

 この後40分ほどお話させてもらった。
 内容については、極めて個人的なものも含まれるのでここには書きません。ただ、私が心配していたようなことはなかったのでほっとした。

 私は自分で勝手に一番の「三宅誠孝ファン」だと思い込んでいた。今年4月から月刊誌「ねっとわーく京都」に連載させてもらっている記事の題を〜「憲法9条」+「ランニング」=「パオパオ」と言われる日をめざして〜にしたのも、三宅誠孝さんを意識してのものだ。
 だが、大事な人を忘れてました。「愛子さん」のお話をお聞きしていると、奥様のお話というより大ファンのお話ですね。「夫」とか「主人」とか「ダンナ」ではなく、「誠孝は・・・」、「誠孝は・・・」とおっしゃっていたのがすごく印象的でした。
 なかでも、お二人で広河原のバス終点から岩倉のご自宅まで歩かれたことや、滋賀県の堅田まで往復された話など。その話をされている時の愛子さんの表情はピカ一でした。

 愛子さんが三宅誠孝さんの志を少しでも継いでいこうとされているように、私も私のやり方で力を尽くしたい。私は三宅誠孝さんとはランニングクラブ「京都ランナーズ」を通して知り合ったので、ランニングによる平和運動を続けていこうと思っている。即効性はなくても、誰かのどこかの記憶に残るように・・・。

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 お別れするとき、愛子さんの写真を撮らせてもらおうかとも思ったがやめておいた。愛子さんも「京都ランナーズ」で知り合った人だ。私にとっては、京都の女性ランナーの草分け的存在である。
 「走ってはらへんのですか?」とお聞きすると、「この2年間はまったく・・・。でも、今年はまた走り始めます」ときっぱり。
 「今の言葉、ボクのブログに書いときますわー。こら走ってもらわなどもならん!」
 愛子さんのお写真は、その日までの楽しみにとっておきます。

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 「私ねえ、パソコンてほとんどさわらへんにゃけど、息子に頼んで『パオパオだより』はお気に入りに入れてあんのよ。見せてもらってます。」
 「いやー、そんなんゆうてもろたらうれしいですわ。ボクのブログの読者って、結構ご高齢の方が多いみたいで、そんな話ようお聞きします。ありがたいこってすわー。」

 期待してくれてはる人がいやはんにゃったら、それを裏切らんようにしっかり書かなあかんとあらためて思う。

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 帰りは下りで、暑くもなく寒くもなく走りやすかった。
 「平和・憲法九条」ののぼりを見てくれてはる人もけっこうおられたし・・・。

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 自宅まであと500mくらいの頼光橋のあたりで、サングラスのかっこいいランナーが私を見て立ち止まる。
 「四万十でご一緒させてもらった原です。」
 「あー・・・、このお近くでしたっけ?」
 「いえ、今日は練習で30kmほど、ぐるっと回ってるんです。もうすぐあの時一緒だった彼女も追いついてきます。」
 「はー、そうなんですか。練習で30kmも・・・。でも、今日は走りやすい気候ですよね。」
 「そうですね。・・・また、四万十は行かれるんでしょ。」
 「いや、今年はちょっと考えなおそうかなあと思ったりもして・・・。」}
 「えっ! 申込もされないんですか!?」
 「はあ、今のところ・・・。」

 そこで追い付いてきた彼女に向かって、「藤井さん、今年、四万十申し込まないって!」
 「えっ! どうしてですか。」
 「いやいや、まあ、まだ考え中で・・・。」

 私がウルトラを申し込まないということだけで、こんなに盛り上がってしまうとは・・・。全然完走できてへんのに、「パオパオ=ウルトラ」というイメージができあがってしまってんのかなあ。
 「パオパオ=平和アピールランナー」の道険し。

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 道路の反対側にかわいいワンちゃん見っけ。

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 「すんませーん、ワンちゃんの写真撮らせてください。甲斐犬ですよね。」
 「そうです。」
 「お名前は?」
 「○○です。」

 おー、なんてこったい!
 私ともあろうものが、聞いた名前を忘れてしまった。犬の名前が覚えられんようになった時が私のランニング引退の時と決めてあるのに、もう?
 でも、ご近所さんみたいやし、きっとまた会えるね。

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 「○○・メス・9歳」

 ちょっとこわがりやったけど、今日もしめはかわいいワンちゃん。
 「平和・憲法九条」、どうかよろしくお願いします。
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◎2009年、三宅誠孝さんからの年賀状 (この半月後の1月17日に亡くなられました。)

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