パオパオだより

2011年01月10日(月)

第16回9の日平和ラン〜三宅愛子さんを訪ねて〜 [ランニング]

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三宅誠孝さん宅前で (三宅愛子さん撮影)

 昨日9の日だったのだが出張販売日と重なったため、今日あらためて「平和ラン」をすることにした。
 今日の行き先は、三宅誠孝さんち。私が今まで出会った人の中で一番好きな人。亡くなられて、もうすぐ2年になる。(三宅誠孝さんは、元京都市会議員さん。このブログにも何回も登場していただきました。)

 今年の愛子さん(誠孝さんの奥様)の年賀状に、ちょっと気になることが書いてあった。しかしその表現が文学的すぎて、石頭かんたろう的な私にはそのこころが読めない。本人さんの話を聞いてみたい。
 「そや、近くやし走って行こー!」

 カーナビで調べたら、うちから三宅誠孝さんちまで4.5km。ということは、往復で9km。
 やったー、「9の日平和ラン」にぴったり。

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 お昼ごはんを食べ、スタートしようとすると雪。
 ゆっくり時間をかけて「平和・憲法九条」のアピールランをしようと思ったので厚着していくことにした。。ジャージの上にウィンドブレーカー、その上に「ランナーズ9の会」のランシャツ。もう、お腹パンパン。

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 北稜高校を過ぎたところの交差点で、三宅誠孝さんの後継者・ひぐち英明京都市議の車に遭遇。しっかりのぼりを振って激励しておいた。
 10日ほど前、うちいなかのおもちつきでお会いして以来だがお元気そうだった。街頭演説にでも行かれるのだろうか。

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 パンダ帽子をかぶり「平和・憲法九条」ののぼりを持って走っているところをカメラに収めたかったのだが、風がきつくてうまくいかない。

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 今度は成功かと思ったら、風にたなびきすぎてのぼりの文字が見えない。うまいこといかんもんです。

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 しばらく走ると雪はやみ、青空が広がった。比叡山もくっきりと見える。
 こうなると、今度は暑い。

 三宅誠孝さんのご自宅近くまで来ると、また雪がちらほら。いかにも冬らしいお天気。
 私は一度もおじゃまさせてもらったことがないので、そこらへんの人に聞きまくってなんとか到着することができた。
 4.5kmのはずなのに、40分ほどかかったことになる。

 「すんませーん、藤井です。ちょっと心配になってお伺いしました。」
 「いやー、ありがとうございます。どうぞ入ってください。散らかってますけど・・・。」

 この後40分ほどお話させてもらった。
 内容については、極めて個人的なものも含まれるのでここには書きません。ただ、私が心配していたようなことはなかったのでほっとした。

 私は自分で勝手に一番の「三宅誠孝ファン」だと思い込んでいた。今年4月から月刊誌「ねっとわーく京都」に連載させてもらっている記事の題を〜「憲法9条」+「ランニング」=「パオパオ」と言われる日をめざして〜にしたのも、三宅誠孝さんを意識してのものだ。
 だが、大事な人を忘れてました。「愛子さん」のお話をお聞きしていると、奥様のお話というより大ファンのお話ですね。「夫」とか「主人」とか「ダンナ」ではなく、「誠孝は・・・」、「誠孝は・・・」とおっしゃっていたのがすごく印象的でした。
 なかでも、お二人で広河原のバス終点から岩倉のご自宅まで歩かれたことや、滋賀県の堅田まで往復された話など。その話をされている時の愛子さんの表情はピカ一でした。

 愛子さんが三宅誠孝さんの志を少しでも継いでいこうとされているように、私も私のやり方で力を尽くしたい。私は三宅誠孝さんとはランニングクラブ「京都ランナーズ」を通して知り合ったので、ランニングによる平和運動を続けていこうと思っている。即効性はなくても、誰かのどこかの記憶に残るように・・・。

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 お別れするとき、愛子さんの写真を撮らせてもらおうかとも思ったがやめておいた。愛子さんも「京都ランナーズ」で知り合った人だ。私にとっては、京都の女性ランナーの草分け的存在である。
 「走ってはらへんのですか?」とお聞きすると、「この2年間はまったく・・・。でも、今年はまた走り始めます」ときっぱり。
 「今の言葉、ボクのブログに書いときますわー。こら走ってもらわなどもならん!」
 愛子さんのお写真は、その日までの楽しみにとっておきます。

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 「私ねえ、パソコンてほとんどさわらへんにゃけど、息子に頼んで『パオパオだより』はお気に入りに入れてあんのよ。見せてもらってます。」
 「いやー、そんなんゆうてもろたらうれしいですわ。ボクのブログの読者って、結構ご高齢の方が多いみたいで、そんな話ようお聞きします。ありがたいこってすわー。」

 期待してくれてはる人がいやはんにゃったら、それを裏切らんようにしっかり書かなあかんとあらためて思う。

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 帰りは下りで、暑くもなく寒くもなく走りやすかった。
 「平和・憲法九条」ののぼりを見てくれてはる人もけっこうおられたし・・・。

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 自宅まであと500mくらいの頼光橋のあたりで、サングラスのかっこいいランナーが私を見て立ち止まる。
 「四万十でご一緒させてもらった原です。」
 「あー・・・、このお近くでしたっけ?」
 「いえ、今日は練習で30kmほど、ぐるっと回ってるんです。もうすぐあの時一緒だった彼女も追いついてきます。」
 「はー、そうなんですか。練習で30kmも・・・。でも、今日は走りやすい気候ですよね。」
 「そうですね。・・・また、四万十は行かれるんでしょ。」
 「いや、今年はちょっと考えなおそうかなあと思ったりもして・・・。」}
 「えっ! 申込もされないんですか!?」
 「はあ、今のところ・・・。」

 そこで追い付いてきた彼女に向かって、「藤井さん、今年、四万十申し込まないって!」
 「えっ! どうしてですか。」
 「いやいや、まあ、まだ考え中で・・・。」

 私がウルトラを申し込まないということだけで、こんなに盛り上がってしまうとは・・・。全然完走できてへんのに、「パオパオ=ウルトラ」というイメージができあがってしまってんのかなあ。
 「パオパオ=平和アピールランナー」の道険し。

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 道路の反対側にかわいいワンちゃん見っけ。

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 「すんませーん、ワンちゃんの写真撮らせてください。甲斐犬ですよね。」
 「そうです。」
 「お名前は?」
 「○○です。」

 おー、なんてこったい!
 私ともあろうものが、聞いた名前を忘れてしまった。犬の名前が覚えられんようになった時が私のランニング引退の時と決めてあるのに、もう?
 でも、ご近所さんみたいやし、きっとまた会えるね。

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 「○○・メス・9歳」

 ちょっとこわがりやったけど、今日もしめはかわいいワンちゃん。
 「平和・憲法九条」、どうかよろしくお願いします。
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◎2009年、三宅誠孝さんからの年賀状 (この半月後の1月17日に亡くなられました。)

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2011年01月09日(日)

第37回武庫川新春ロードレース [ランニング・出張販売]

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 精悍な顔つきの大型犬・・・、実はこわがりな雑種。
 「チロ・オス・2歳」
 朝からかわいいワンちゃんに会えた日は、レースのほうもがんばれる。

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 今年は5km10kmをがんばると決めてから、それ以上の距離のレースはどう走ったらいいのか分からなくなった。
 ここはスタート時刻のかげんで、ヨメさんが10時からの5km、私が11時50分からのハーフに出場というパターンが続いている。でも、もうハーフでも「ながっ!」という感覚になってきた。

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 今日は廉が手伝いに来てくれたので、ヨメさんの走っている写真も撮りに行くことができる。

 スタートから300mくらい先に行くと、かわいいワンちゃん。
 「ココア・メス・8歳」

 「ワンちゃんの写真、撮らせてください」と言うと、「こんな犬の写真撮ってもなあ」と飼い主さん。
 「いやー、めっちゃかわいいですやん。背中のガラなんか、ハスキーが入ってんのとちゃいます?」
 「ははー、ただの雑種です。」

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 そんなことをしゃべっているうちに、「ランナーズ9の会」の9ちゃんの姿が。 
 女性で青のランシャツランパンは少ないので見つけやすい。(女性ランナーは、赤やピンク系のウェアが多いから。)

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 そのだいぶあと、ヨメさんの姿を発見するも人ごみにまぎれている。
 何とか撮れたのが、上の一枚。

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 毎年10kmに出場されていた一(はじめ)さん。今年は5km。
 と言うことは、私と同じでスピードレース志向?

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 9ちゃんが戻ってきた。

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 「練習ができてない」とおっしゃていた割に、早く戻ってこられてびっくり。(23分台でゴールされたらしい。)

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 それほど間もあかず、ヨメさんが帰ってきた。

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 髪の毛がたなびくということは、いつもよりはスピードが出ているということだろうか。

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 ゴール前も力強い走りで、29分55秒。
 久しぶりの30分切り。

 「めざせ、若き日の自己ベスト24分!」

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 武庫川では、カヤックの練習をしている人たちが・・・。

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 さあ、次は私の出番。
 今日の目標をどうしたらいいか分からなかったが、いいことを忘れてた。それは、「新しいシューズ」のデビュー。

 フルやウルトラ用のシューズは山ほど持っているのだが、短い距離のレース用のシューズは「ミズノ・ウェーブスぺーサーGL」のみ。このシューズもはき出してだいぶたつのでだいぶへたっている。やっぱりもう1足はいる。

 「オッサンは機能性ではなく、見た目で選ぶ。」

 「京都キャロット」にあるレース用シューズを片っ端から観察してみた。その中で一番「かっちょいいー」と思ったのが「アディゼロジャパンKYOSO」。
 フラッシュオレンジとフラッシュグリーンのカラーリング。それに、アディダスの3本ラインの間からあやしいオッサンがのぞいている・・・。
 「これに決まり!」

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 今日もまた、100m×5本の流しを含めて3kmのウォーミングアップ。
 そのあと21kmも走らんなんのに、ちょっとアップしすぎかなとも思ったが・・・。

 スタート地点にも、めずらしく20分近く前に並んだ。
 競技役員さんから、ていねいなコース説明があった。例年ハーフは南に向かってスタートするのだが、今年は北向きに変更。ハーフは1324人のエントリー。史上最高らしい。

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 ウォーミングアップの時ずっしりと重たかった足も、レースがスタートすると軽くなっていた。

 折り返して戻ってきたトップ争いの写真を撮っておいた。
 後で見てびっくり。先頭のランナーはピースサインをしているじゃーありませんか!

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 廉の高校時代の体育担当のT先生。
 T先生も、手を振ってくださっているじゃーありませんか。

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 「いつもブログを見せてもらってます」と、朝あいさつに来てくださった奈良の橋本さん。
 今日の目標は、1時間30分くらいでゴールすることらしいです。

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 やっと最初の折り返し。
 ここで5km弱だそうだ。23分46秒。このペースで行ければ、1時間45分は切れる。

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 「ランナーズ9の会」のBUNさん。

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 「ランナーズ9の会」のウルトラマン8アスナロさん。

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 「京都走ろう会」の山本ほまれと書いてたかしさん。

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 「ランナーズ9の会」のかわせみさん。

 私はこのあとスタート地点まで戻って10km弱、47分12秒(23分26秒)。

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 また、橋本さん。

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 620mほど南に下って、50分15秒。

 またスタート地点に戻って(約11,1km)、53分25秒。

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 また、ウルトラマン8アスナロさん。

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 あと1往復というところで、「ますみちゃーん」。
 「お仕事ご苦労さんどす」と感謝しつつ、残り10km弱へ。

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 おっと、「ランナーズ9の会」のトロイカ?
 サワーさん、尼崎の酔うたろう君、9ちゃん。
 こちらも、ご苦労さんどす。

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 「ランナーズ9の会」のお二人。
 二人で走っていると、なんか楽なんですよねえ。

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 「すいませーん、ワンちゃんの写真撮らせてください。秋田犬ですよね。」
 「はい、そうです。」
 「お名前は?」
 「ゆうです。」
 「ゆうちゃん。オスですよね。」
 「はい。」
 「歳は?」
 「7歳です。」
 「ゆうちゃん、がんばって走ってくるわ。ありがとうございました。」

 これで何秒かな。

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 T先生、快調です。

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 またまた、橋本さん。
 目標達成なるか。

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 あんぱんまんバイキンマンさん、かわせみさんを引き離したよう。

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 ちょっと離されたかわせみさんも、笑顔。だいじょうぶ。

 さて、私のゴール。
 残り5kmくらいは足が棒。お腹もペコペコ。残念ながら気持ちいいゴールにはならなかった。
 でも、1時間43分39秒だから良しとするか。

 ゴール後は後に続くランナーの撮影を。、

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 BUNさん。

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 あんぱんまんバイキンマンさん。

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 山本誉さん。

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 いやー、竹下弁護士さん、走ってはったんや。

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 かわせみさん、最後はだいぶ時間がかかったようですが、笑顔のゴール。

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 今年は食べ物系のテントがたくさん出ていてよかった。私はゴール後、ラーメン(500円)を食べた。

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 この大会は今年から自動計測機が導入された。そのせいもあったのか、参加者が3000人を超えたそうだ。
 大会に望むことは人それぞれだと思うが、私は自動計測にはそんなにこだわってはいない。(自分の時計で測るのが一番正確。)
 それよりも重視しているのは、「正確な距離表示」と「トイレの数」。
 この大会は、距離表示については、「残り3km、2km、1km」があるのみ。ハーフでは最初の1km、2kmと5kmごとの表示はほしい。
 それからトイレの数。3000人で、「男子用3、女子用3」では少なすぎるでしょう。みなさんどうされたんでしょう。私は阪神・武庫川駅のトイレまで行きました。
 ランネットの大会評価の項目に「トイレの数」がないのは不思議。私はその昔、「諏訪湖マラソン」のスタート前にトイレに行けなくて、その翌年から出場を断念しました。

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 距離表示はなかったが、スタート前に競技役員さんがだいたいの距離を説明しておられた。そこから計算すると、だいたい次のようになる。

 北折り返し 4.93km 23分46秒
       5km換算  24分06秒

 1往復目 9.86km  47分12秒
      10km換算  47分52秒(23分46秒)

 南付けたし 11.1km 53分25秒

 北折り返し16.03km 1時間18分04秒
      15km換算  1時間13分03秒(25分11秒)

 ゴール 21.097km 1時間43分39秒
     20km換算   1時間38分17秒(25分14秒)

 やっぱり2往復目はだいぶ落ちた。

 しかし、ニューシューズ「アディゼロジャパンKYOSO」はバッチリ!
 最初の足入れ感が抜群だったが、それはハーフ終盤でも変ることはなかった。軽い割にはかかと部分がやや厚めでしっかりしている。ハーフ以下の距離のレースなら十分使えそう。(ただし、サイズ選びに注意が必要。私は他のシューズは26.5だが、このシューズは26.0でいけた。)
 「このシューズで、5km10kmのレースをがんばるぞ!」

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 後片づけをしている時、ヨメさんが「こうじさん、かわいいワンちゃん!」
 「おー、こら写真撮らせてもらわんなん。」

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 私の手の大きさとくらべてみてください。
 めっちゃ小さくてかわいいワンちゃん。

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 「リリー・メス・13歳」

 最後のしめにチョーかわいい雑種に会えて、しあわせ!

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2011年01月08日(土)

学校が大好き [学校]

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昨日すねていたきく

◎毎日新聞1月8日朝刊 「新教育の森」欄より

 「不適切な授業 なぜ多発」に全国からお便り

 ◇先生取り巻く問題、指摘と提案の数々
 昨年11月に、このページで「不適切な授業」をしてしまう先生の実態と背景を取り上げ、ご意見を募集したところ、全国からお便りをいただいた。先生の資質や家庭教育の重要さ、多忙な教員の現状など、体験を交えて指摘された方もいた。一部を紹介する。【まとめ・澤圭一郎】

 ◇先生への敬意を家庭で教えなければ
 不適切な授業をしてしまう先生が、その理由を問われると「子供たちの関心を引きたかった」と説明するケースが多い。親しみを持たれたいと考える先生が、行き過ぎた指導や授業をしてしまうのかもしれない。しかし、「教師と生徒の立ち位置は違う」と指摘する投書もあった。

 大阪府高槻市の主婦、森佳奈子さん(41)は、幼稚園や小学校で読み聞かせをしている。その中で「おふざけが過ぎて羽目を外す子供もいますが、そういう時は大人として毅然(きぜん)とした態度で接します」という。「それで子供たちが私に対して距離を置くかというとまったく逆。一種の畏れを抱きつつも慕ってくれる。信頼を得ていると感じます。家庭で先生に対しての敬意を教えることが必要」という結論だ。

 ◇資質審査できないものか
 資質や経験を問題視する意見もあった。東京都品川区のピアノ奏者、本田成子さん(59)は、自身の子供がかかわった教員の問題を書き、「国が何らかの方法で、適性のような基準を設けたらどうか」と、教員の資質審査ができないものかと問いかける。

 愛知県豊田市の主婦(40)は「先生になる前に多様な子供とかかわるべきだ」とした上で、「人の話に注意を向けたり、聞き続けることが難しい子や席に座り続けることができない子、発達障害の症状がある子供たちを理解できずに、行き過ぎた発言や授業をしているケースもあるのでは」という見方だ。

 先生の多忙さや環境に遠因を求める意見も多かった。

 横浜市に住む国際救急法研究所理事長の宇田川規夫さん(64)は「戦後の教育行政は、教育にはなじまない目標管理体制がとられ、それが給与にも及ぶ仕組みになっている。報告書作りに追われ、管理だけを考える校長、安易に文句を言う親などとのあつれきが教員を襲い、学校がバラバラにされている」と書く。さらに「相談するゆとりもない中で、若い教員が試行錯誤することも許されず、孤立し、過労にさいなまれている実態」に原因があると見る。

 ◇書類作りに追われ孤立、過労にさいなまれている
 東京都杉並区の元教員の女性(79)も「子供に向き合う時間もないほど、形ばかりの会議が多く、誰のために書くのかわからない書類の多さ、追いまくられる学校にしてしまったのは教育行政のせいではないか」と憤る。

 ◇保護者も教師と共に育つつもりで
 大阪市の助産師、涌嶋嘉子さん(36)は、専門学校で教員をしていた経験から「教員は本当に多忙で、家に帰っても夜中まで授業の準備に追われていた」と振り返り、「小学校の先生は保護者の対応もある。保護者が学校に多くのことを求め過ぎている。しつけや道徳教育まで押しつけて、先生の目についたことに文句をつけるのでは、教師がつぶれてしまいます」という。報道されたケースは不適切だとした上で「保護者も教師を育て、共に育つつもりでつきあわないといけないと思います」という感想だ。

 ◇校長のリーダーシップで成果は上がる
 不適切な授業が公立校で多発する現状に対し、埼玉県所沢市の元日本教育大学院大教授、井口哲夫さん(57)は「教育公務員である公立教員は、サラリーマン化してしまいプロ教師としての研さんを放棄しているところに問題がある」と指摘。「公立校でも、校長が、教育理念を実現しようとする意志の強さを持ち、教員集団をまとめ上げるリーダーシップがあれば、目に見える成果が上がる」という。

 現役の先生からもメールをいただいた。埼玉県に住む高校の女性教諭(52)は、授業をバラエティー番組のように“面白く”することを難じつつ、「勉強が楽しくなる前には、単調な作業を我慢し集中力を身につけさせなくてはならない。それを乗り越えさせず、レベルの低い『おかしさ』だけで終わらせては生徒に申し訳ない」という。

 ◇背景まで踏み込んだ報道を
 また、報道にも注文がついた。茨城県つくば市の会社員、秋元靖史さん(47)は、埼玉県で起きた「セクハラサイコロ」を作った教員について「この教師は父母に非常に評判が良く、復帰を願う署名運動まで起きていると報じている新聞もある」とし、「いたずらにセンセーショナルな面のみ針小棒大に報じ、熱意ある教育現場の努力を無にすることは慎まないといけない」と、問題の事象だけでなく、教師の背景まで踏み込んだ報道が必要と指摘した。
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 「学校と私」欄より

 学校と私:先生に集会打ち切られ憤った=シンガー・ソングライター、中川ひろたかさん

 ◇絵本作家、シンガー・ソングライター、中川ひろたかさん

 はた目には楽しい学校生活だったと思うよ。クラスの人気者で、学級委員をみんなで決めるとたいていぼくが選ばれた。勉強もそこそこできた。

 でも大学中退まで、学校には何も期待していなかったし、先生にはどこか冷めていたと思う。良くされたと感じたのは小学1年の秋、給食の時間にうんこを漏らし、後始末をしてもらった時ぐらいかな。生意気かもしれないけど、少しも影響を受けたとは思わない。

 どうしてだろう。印象に残るのは中学の時、学校集会が先生たちに一方的に打ち切られたこと。確か「校則」についてだったかな。世は学生運動華やかなりしころ。意識の高い子もいて、議論は盛り上がった。でもぼくたちは、説明もなく学校から帰されてしまった。

 後で知ったのはその日放課後、学校でテレビ番組の収録があったということ。人気バンド「ザ・テンプターズ」のメンバーが卒業生だったことから撮影があったらしい。学校側は混乱を嫌ったんだろうね。ぼくは大人の一方的な圧力に小さく憤ったよ。まあ、先頭に立ってガンガン怒ったり、学生運動に目覚めたりしたわけじゃなく、実に中途半端だったけれど。

 そういえば小学校の時、担任の先生に何か質問をしたら、「勉強のしすぎで頭がおかしくなったんじゃない」と言われたこともあったね。

 学校で教わることがすべてじゃない。学校は子どもが友だちに会いに行くための場所。子どもは自分で面白いことを探せばいい−−。保育園に勤務したこともあるからか、そう思う。学校はその支援をすればいい。

 こう言うと怒られるかもしれないけど、いい先生の条件って、子どもに害をなさないことじゃないかな。大人にはしないような失礼なことは、子どもにもしない。それでいて「学校に毎日行きたい」と思わせられればいい。授業なんて、子どもの目の色が少しでも変われば御の字だよ。

 そうそう、この場を借りて言いたいことがあったんだ。学校の教室ってどうして、声や音が響きすぎるんだろう。仕事でおじゃますると、実に落ち着かない。みんな、情緒不安定にならないのかな。【聞き手・遠藤拓】

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 ■人物略歴

 ◇なかがわ・ひろたか
 1954年埼玉県生まれ。87年にバンドデビュー。代表作は「世界中のこどもたちが」。95年からは絵本も手がける。「D1だじゃれグランプリ」「A1あそびうたグランプリ」主宰。

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「帰らん!」と言い張るので一時置き去りに・・・

 今日は、私の「勘ちがい」シリーズということで・・・。(うん? そんなシリーズあったっけ?)

 「何? 55のオッサンが『学校大好き』って・・・。どうゆうこと?」
 そう思われるのも無理もない。
 23歳から12年間小学校教師をしていたとは言え、退職してから早20年。その年に生まれた長男はもうすぐ成人。

 私が学校が大好きな理由の一番は、やっぱり給食。だから、学校と言えばそれはイコール小学校になってしまう。
 私の小学生の時、給食はすぐ近所の「おハナさん」が作ってくださっていた。料理の腕は超一流。でも私は、ネギとタマネギとニンジンが嫌いだった。今もニンジンは苦手なまま。ごはんも全部は食べられなくて、いつも富雄ちゃん(同級生)に食べてもらっていた。
 そんな私でしたが、給食はやっぱり大好きだった。

 理由の二番は、そりゃ夏休みでしょう。今も「夏休み」という言葉を聞いただけで心が熱くなる。
 何で大人には夏休みがないんかなあ。いっそ、7月中旬から8月中旬まで日本中休みにしたらどやねん。

 そして最後に、学校にはおもしろいことがいっぱいつまっていた。いやなこともちょっとはあったけど、そんなもんみんな忘れた。おもしろかったことは今も覚えている。
 いっちゃん覚えてるんは、授業中に前に出て一発芸をしてみんなを笑わせてすっと席に戻ったことかな。あれはそうとうやりかましたな。小4の時。担任の先生困っとったなあ。

 学校大好き少年の念願かなって小学校教師になってはみたものの、どうしたらええか分からんことばっかり。そんな時の決まり文句は、「班で相談しなさい」。もちろんほったらかしではなく、ちゃんと話し合いは見守ってはいたけれど・・・。
 確かに経験の少ない若年教師一人の考えより、6人の少学生の話し合いのほうが明らかに上。これでなんぼ助けてもうたか分からん。

 学級崩壊が話題になっているけれど、私はそれ以前の「人間崩壊」。先生が人間崩壊していたら、クラスはまとまるぞー。
 小学生であってもしっかりとした考えを持った子が何人もいて、先生に頼れないと判断すると自分たちの力を最大限に発揮しようとする。みんな学校に楽しみに来ているのに、それをジャマすることだけはしたらアカン。それだけはいつも胆に命じていた。
 6人の班のメンバーは抽選で決めていたので崩壊する班が出てくるかもと思ったが、奇蹟的にそれもなかった。運がよかっただけなんかなあ。
 自分一人がよかったらいいという考えの子がいなかったのが、今思ったら不思議でたまらん。なんで、みんないっしょにと思ってたんやろう。前の担任がよっぽどよかったんかな。

 教師を辞めて20年になるのに、今も学校や教育についての新聞記事は気になる。今日の毎日新聞の「新教育の森」はおもしろかった。教育に関しても人の考えは様々。一番大事なのは、様々な意見があるというところからスタートすること。そこからアウフヘーベン(止揚)すること。(へへへー、哲学用語つこたったー。)

 「学校と私」の中川ひろたかさんの記事の後半部分にびっくり。常々私が思っていたこととあまりにも似ていて・・・。

 「学校で教わることがすべてじゃない。学校は子どもが友だちに会いに行くための場所。子どもは自分で面白いことを探せばいい−−。」

 「こう言うと怒られるかもしれないけど、いい先生の条件って、子どもに害をなさないことじゃないかな。大人にはしないような失礼なことは、子どもにもしない。それでいて「学校に毎日行きたい」と思わせられればいい。授業なんて、子どもの目の色が少しでも変われば御の字だよ。」

 ほんまにそう思います。

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夜にはきげんはなおっていた

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2011年01月07日(金)

とよぞのおっさん・続き [家族]

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今朝の二軒茶屋公園前

 胸のあたりに花を置き、豊三叔父さんの顔をのぞきこんだ瞬間涙がこみ上げてきた。
 「あかん、あかん、ちがう、ちがう。」
 叔父さんの奥さんと4人の子どもたち(娘3人、息子1人)がまだこらえているのに、甥である私ごときが先に泣いてどうする。そうは思ったが、もう耐え切れなかった。一歩二歩後ずさりして、人の影に入って泣かせてもらった。(ハンカチを持ってきていてよかった。)

 20年前私の母が亡くなったとき、もっともっと話をしておけばよかったと後悔した。今度またまったく同じ後悔を・・・。
 上品で物知りで、それでいていつも謙虚だった「とよぞのおっさん」。きっと、私のような者でも話を聞きに行けば喜んでくださっただろうに・・・。

 ◇ ◇ ◇

 今日もまた、雪。いなかから出てきたうちの本家のおじさんは、「一晩で40cm積もった」と言ってはった。
 うちのあたりも2、3cmの積雪。しかし、葬儀場のある円町あたりはまったく積もっていなかった。

 私は、昨日に引き続き立礼役。
 昨日は、100円ショップの数珠とただ黒いだけの690円のドタ靴がばれないかとハラハラしていた。まあそれも2日目となるとちょっと余裕。
 滞りなく式は進行し、あとは出棺を残すのみとなった。私はお山(火葬場)には行かないので、今日のお役目はこれにておしまいという感じだった。

 ◇ ◇ ◇

 昨日は、いろいろなことを考えた。
 家から円町まで一人で運転してきたのだが、その間ずっと豊三叔父さんの上品な語り口を思い出していた。自分が話されるだけでなく、人の話を聞くのもすごくうまい。人に自分の考えを押し付けたり、怒鳴ったり怒ったりしているのも見たことがない。
 それは、退職されるまで長年ハイヤーやタクシーの仕事をされていたのと関係あるのかもしれない。いや逆か。そういう性格だったからこそ、その仕事が長く続けられたのかもしれない。

 ◇ ◇ ◇

 豊三叔父さんに関する間接的なエピソード。

 今から32年前、私の教師1年目のこと。そのとき担任していたクラスは、子ども一人だけ。学芸会の劇を一人ではやりようがないので、私もかつらをかぶり武士の役で出演した。
 その学校はうちのいなかの隣りだったので、私の両親も見にきていた。そして、私の武士の姿を見た母がびっくりぎょうてん。「とよぞのおっさんに、そっくり!」本当に目を丸くして言っていた。
 私は自分ではそんなに似ているという意識はなかったのだが、かっこいいと思っていた「とよぞのおっさん」にそっくりと言われていい気分だった。
 
 この話、「とよぞのおっさん」本人にはしてへんかったなあ。残念!

 ◇ ◇ ◇

 私の兄は、中学校の3年間、豊三叔父さんの家にお世話になりその地域の中学校に通わせてもらった。(いわゆる里親里子の関係です。)どういういきさつでそうなったのかは知らないが、当時はそういうこともめずらしくはなかったようだ。
 兄は「とよぞのおっさん」のことをどう思っていたのだろう。自分の甥を預かった豊三叔父さんは、私の兄のことをどう思っていたのだろう。私には想像もつかない。

 ◇ ◇ ◇

 昨日お通夜が終わったあと、食事の準備ができるまで少し間があった。
 そのとき、私は飾られている叔父さんの写真を一人で見続けていた。遺影が何かを語りかけてくるということはない。こちらが一方的に話しかけるだけだ。

 しかし、ずっと見続けていると写真の表情が変る錯覚に陥る。まわりを飾る花やろうそくも動き出すような・・・。

 「とよぞのおっさん」は私のことを「こうじ」と呼んではったっけ? 
 いやいや、「こうじ君」と君付けで呼んではったように思う。
 最後に会ったのは2年前のお墓参り。若いときに毎日あの道を通って山仕事に行かれた話をしてくれはりましたよね。そのときは、「こうじ君」とは呼んでくれはらへんかったけど・・・。

 ◇ ◇ ◇

 叔父さんにお花を捧げたあと、なかなか涙が止まらなかった。しかし、叔父さんにとってただ一人の孫・Sちゃんが横で大泣きしている姿に気づいてやっと我に返った。

 私の母が亡くなったとき、お通夜でもお葬式でも泣かなかった。なぜかしら現実味がなかった。しかし、亡くなって1週間くらいたってからだろうか、運転中に急に涙があふれ出して運転できなくなってしまった。
 たぶん、叔父さんの奥さんと4人の子どもたちもそれと似たような状態なのかもしれない。本当に悲しいのは、もうちょっとたってから・・・。

 ◇ ◇ ◇

 父は、最後のお別れにと無理してお山までついて行った。
 自分の弟が自分より先に死んでしまうなんて・・・。

 何年か前から、父は「出かけるというと、葬式ばっかり」と嘆いていた。ましてや、自分に最も近い肉親を送り出さなくてはならないとは・・・。

 出棺の前、父も何度も何度も涙をぬぐっていた。
 もしかしたら、その輪の中で一番泣いていたのは私の父だったかもしれない。

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2011年01月06日(木)

とよぞのおっさん [家族]

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うちの家紋「角立て井筒に剣かたばみ」

 今日は、豊三叔父さんのお通夜だった。
 豊三叔父さんは私の父の弟。父の4歳下なので85歳だった。

 昨日、いなかの倉庫の前の雪かきをしている時、兄から電話があった。
 「とよぞのおっさんが、1月3日に亡くならはったんやわ。」
 「えー!」
 前から具合はよくないとは聞いていたが、まさか・・・。

 小さいときから「豊三叔父さん」とは呼んだことはない。ずうっと、「とよぞのおっさん」。
 私の父は、(息子の私が言うのも変かもしれないが)とても山奥の農家の長男とは思えない気品がある。そして、次男・豊三さんはそれにさらに輪をかけたような上品さがあった。そして、すごく物知りでもあった。(ついでに言うと、男前でかっこよかった。)父も叔父さんも高等小学校しか出ていないはずだが、人間の品格と学歴とは関係ないといういい見本だ。

 豊三叔父さんについては、若いころ東京で働いていたこと、そこで知り合った人と結婚したことくらいしか知らなかった。お母さんが関東の人なので、4人の子どもはみんな京都弁と関東弁のチャンポンだ。

 その叔父さんが、戦時中満蒙開拓団に入っており戦後シベリアに抑留されていたというのを知ったのは去年。もうそのときは、叔父さんとは話ができない状態になっていた。
 「シベリア抑留」の補償が話題になっていた時、自分にはまったく関係のない話だと思っていた。こんな身近にその対象者がいたというのに・・・。
 戦争体験の話は、やはり自分と少しでも関係のある人から聞いたほうが心に残る。その体験を話せる人がどんどん少なくなっている。
 今日、父と豊三叔父さんのいとこ「ひろしのおっさん」とちょっと話ができた。ひろしのおっさんは豊三さんの1つ下の84歳。
 「おっさんは戦争中どうしてはったんですか」と聞くと、「東京の海軍兵舎で働いとった」とのこと。そのあと時間がなくて話が広がらなかったが、まだまだ元気そうなのでまた話を聞きに行こう。

 ◇ ◇ ◇

 今まで、お通夜といえばお焼香だけして帰るというものだった。でも、今日はちがう。喪主が豊三さんの息子で、男兄弟はなし。いとこで男は私と兄だけなので、兄が受付、私が立礼役をすることになった。
 喪主の横に立って、お焼香に来ていただいた人に礼をする役目だった。初めてのことなので緊張したが、半分近くは知り合いだったので心配することもなかった。
 それよりビビったのは、お焼香。なんと、私は喪主の次。
 「えっ、私はナンバー2あつかい?」

 お焼香のあと、ご住職様から「通夜 お別れ説教」があった。戒名についての説明、叔父さんの経歴、残された者の心の持ち方などについて話してくださった。これは本当によかった。みなさんもそうおっしゃっていた。
 「今のうちにボクが死んだ時の分の原稿書いとこう。ええことばっかり書いて、お坊さんにゆうてもらおう。」・・・ややヒンシュク。

 ◇ ◇ ◇

 叔父さんの長女は私と同い年。
 小さいときは同い年ということで、ちょっとライバル心もあった。私も当時はいなかでは「かしこ」でとおっていた。でも、豊三叔父さんの長女も「かしこ」という評判だった。そして対面して思った。都会のかしこはいなかのかしこの3倍くらい賢そう。
 「負けましたー。」

 私の祖母のお葬式に会って以来なので、たぶん43年ぶり。弟や妹たちはさっぱり見分けられなかったが、長女・Rちゃんの賢そうな風貌に変りはなかった。
 「お久しぶり、元気にしてる?」
 「うーん、元気というかなんというか・・・。こうちゃん、顔変ったね。」
 「そうか? 若く見えるってことかな・・・。」

 「お通夜の席で、遺族に何ゆうとんねん」って感じでした。(あとで思ったんやけど、「顔かわったね」はボクがアホっぽくなったっていう意味やったんかなあ。)

 とよぞのおっさん、こんなお気楽な甥ですが、天国からあたたかく見守ってくださいね。

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2011年01月05日(水)

雪かき [雑用]

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 朝、藤井勘太君のお母さんに箱根駅伝の写真を持っていった。当日は線路をはさんだ向かい合わせのホームで出会っただけなので、あまりお話ができなかった。
 一番お聞きしたかったのは、10月16日の箱根駅伝予選会にも出ていなかった勘太君が、2ヶ月ほどの間でどうして16人の登録メンバーに選ばれ、10人しか走れない本番も走ることができるまでになったのか。いろいろお聞きしたが、お母さんの結論は「私も不思議です」。
 今度本人に会うことができたら、そのへんをくわしく聞いてみたいと思った。

 藤井勘太君のプロフィールについては、テレビや新聞、雑誌などでもほとんど取り上げられていない。いわゆるノーマークの選手であったようだ。今までの箱根駅伝で脚光を浴びた選手とは、またひと味ちがう選手であるようにも思う。ぜひ、自分の歩んできた道を自分の言葉で語ってほしい。

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 そのあと、車検のため倉庫にいったん降ろした荷物を積み込むためにいなかへ。
 暮れに降った雪は水分を多く含んでいたようで、たくさんの杉の木が倒されていた。

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 ただし、道路はきれいにブルドーザーでかいてあったので、チェーンを巻かずに帰ることができた。

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 雪は一番多いところで50cmくらいだろうか。

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 この雪の状態だと、道路から家に入るのが大変だ。

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 家の前の橋に積もっていた雪は、踏み固められていなかったので割と雪かきは楽だった。
 でも、その近くの倉庫はブルドーザーで集められた雪が凍ててしまってカチカチだった。ここの雪かきがおよそ1時間。この雪をどけないことには荷物が出せないので仕方ない。久しぶりに力仕事をした。

 そのあと、在庫表を作り直しながら荷物の積み込み。
 11時前にはいなかに到着していたのに、すべての積み込みが終わったのは3時過ぎだった。

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 倉庫からいなかの我が家のほうを見ると、右手坂の上に藤井勘太君のお父さんの実家が見える。人の気配がなかったが、家に上る坂はきれいに雪かきがしてあった。

 この春には、勘太君も京都に帰ってくるらしい。ぜひ、おじいちゃんおばあちゃんのいるいなかにも顔を出してほしいと思う。
 「もし時間ができたら、いなかの雪かきもしてあげてね。」

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 今日は久しぶりに仕事らしい仕事をしたので、今年初めての外食でもまあまあ大きな顔して食べることができた。
 「ろくに仕事もせんとメシばっかりバクバク食べて・・・」とは言われなかった。
 「ほっ!」

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