2009年09月15日(火)
きくのゲーはパオパオのせい [わんこ・にゃんこ]
「きくがゲーはいた。」
昨日、テスト週間で早く帰っていた真樹から電話があった。
真樹の部屋のカーペットの上に、三ヶ所もはいてしまったようだ。
「やっぱり・・・」
日曜の「京都ランナーズ例会」で右アキレス腱を痛めてしまった私は、珍しくシップをはった。夜、ふろに入るとき足にはっていた2枚を洗面所に置いておいた。ふろからあがるとなくなっていたので、ヨメさんがかたずけてくれたのかと思って聞いてみたが「知らん」。
きくがどこかに隠したのかとも思い、そこら中を探してみたが見つからず。でも、まさかね・・・。あんなもん、食わんわな・・・。
ばんごはん前に、「はたえだ動物病院」へ。
と言っても、きくは私をかみちゃちゃくるので、ここはヨメさんの出番。
病院前で大格闘の末、「犬ぐつわ」をお借りして、やっと院内へ。
きくはヨメさんにだっこしてもらったら、やっと落ち着いたようだ。
結論から言うと、「しばらく様子を見る」。
飲み込んだ直後であれば、無理やりはかす方法もある。しかし、病院に連れていった時点で、もう丸1日がたってしまっていた。これだけたつと、お尻から出てくる可能性も高い。きくの体力なら、すぐにどうこうなることはないので、普通にエサをやってウンコの状態を観察すること。
という診察で、帰ってきた。先生は、「ほとんど何もしていない」ということで診察料を取られなかった。ほんとに面目ないです。
きくの「犬ぐつわ」姿を写真に撮りたかったけど、さすがのふまじめな私も、この原因が自分にあったので自粛しました。
その夜のエサもきちんと食べ、夜もふだん通りによく寝たようだ。
そして、今朝。
いつもどおりの私との散歩。
私は心の中で「ウンコ、ウンコ・・・」と思いながら歩いているのに、今日に限ってなかなかしない。「やっぱり、具合悪いんかなあ。」
そうとう歩きまわった末、やっとしました。(上の写真)
「ふつう!」
シップは見あたりましぇーん。
「ゲー」とか「ウンコ」とかの話題ですいません。
ここらでお口直し(?)に、今日の花背造園さんの花を。
そもそも、今回のこの騒動は全部私のせい。
日曜の「京都ランナーズ例会」で、御所1周目に激痛を感じていたにもかかわらず2周目も走ってしまったこと。このアッポなオッサンの判断のせいで、シップがきくのおなかの中へ。
きくは、いつもと変わらんような、ちょっと元気がないような。
今日も、きくは仕事場へ。
いつもはヨメさんのほうばっかりに行くのに、今日は何の気まぐれか私のほうへ。
「きくのこと心配してくれてねありがとね。」とでも思ってくれてんのかな。
「オッサンはヒマそうやのに、オバサンはいそがしそうね。」
「なーんか、オッサンも仕事してるふりしてるし、まるまっとこか。」
話はここで終わらず。
今日の夕方。
「きくがゲーあげた。」と真樹から電話。
「うん? 昨日の録音再生?」
「シップも出てきたー。」
「あーよかった。1個? 2個?」
「ようわからんけど、たぶん1個。」
あわてて家に帰って、廉が掃除してくれていた「きくのゲー」を見ると、やっぱり1個。あと1個はまだ腹の中かー。
きくちゃんよー。
口からでもお尻からでもええから、はようもう1個のシップ出してくれー。
(「はたえだ動物病院」の先生のお話によると、最悪の場合は開腹手術になるそうです。それだけは、かんにんしてくれー。)
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2009年09月14日(月)
自民党は負けてはいない [雑感]
「民主圧勝、自民惨敗!」
2週間前、テレビや新聞でこの文字がおどっていた。
「うん?」
しろうと政治評論家(?)の私としては、そう思わずにいられなかった。
選挙結果の解説もいろいろなものがあったが、どれも似たりよったりでピンとくるものは少なかった。
※ さて、ここからは私の得意な「へ理屈のサーカス」です。へ理屈が嫌いな人は読まないでください。
今回の選挙結果を私なりに結論づけると、次のとおりです。
「自民党という名の自民党が負け、民主党という名の自民党が勝った」
今までの自民党は、危機に陥るごとに前政権とは毛色のちがった総裁を選び、疑似政権交代を行ってその危機を乗り越えてきた。これは多くの評論家が指摘している。
私は、今回もそれとほとんど同じことが行われたと言っていいと思っている。
「小選挙区制度で自民党の公認をもらえない人たちが中心になっているのが今の民主党」と言っては言いすぎでしょうか。
今回は、民主党への政権交代ではなく、自民党小沢派(プラス金魚のフン)への疑似政権交代と思った方がいいのでは。
自民党田中派の中心で育ち、今もお金に関する汚いイメージしかない小沢氏の民主党。
「郵政選挙」で自民党に投票した人にも驚いたが、今回民主党に投票した人にも「ぶっくり!」です。(ぶっくりとは、ものすごびっくりという意味です。)
自民党は長年政権を担ってきたので、多くの人が「金権体質、財界重視、アメリカべったり、天皇崇拝、改憲勢力・・・」とある一定のイメージがわいてくる。
かたや民主党は・・・。ほとんど何もうかんでこない。私は、今回民主党に投票した人は「自民党によく似てるが名前のちがう党」と思って投票したのではないだろうかと思う。
なんせ、代表は元自民党の大看板・鳩山家出身、実質のオーナーは「ダーティーマネー」の小沢氏。自民党とのちがいを探すほうが難しいんじゃないでしょうか。
「今日から、民主党は新自民党と名称を変更します」と言っても、だれも不思議がらないのでは。
「郵政選挙」で結果としてだまされ、今度は「政権交代選挙」でだまされる人が多く出るような気がしてしょうがありません。
一度だまされた人はまただまされやすいといいます。
「あー、実質は政権交代じゃなかったんかー。ちょっとはましになると思ったのに、まただまされたー」なんて言わずに済むように、政界の今後の動きに目を光らせましょう。
今後の注目は、民主党よりもむしろ自民党と公明党。
自民党の議員は自分の信念より当選第一と思っている人が多いので、来年の参議院選挙に別の党(まさかの民主党)から立候補する人も出てくるだろう。
「わしは今、何党だったかと秘書に聞き」という川柳もありましたよね。
これが進めば、ますます民主党の自民党化が顕著になっていくでしょう。
そして、あっち付きこっち付きの公明党。
もちろん、次のねらいは民主党との連立。
「前から民主党さんの主張はすばらしいと思ってたんですよー」と、もみ手をしながら近づいてくるんでしょうね。
さて、ここで民主党は究極の選択。
護憲政党社民党との連立を続け自民党との違いを強調するか、腐っても数十議席を持っている公明党と連立し足かせになっている社民党をばっさり切るか。
以前ある政治評論家が言っていた。
「連立政権は難しいように思われるかもしれないが、アメとムチをうまく使っててなづければこんな都合のいいものはない。」
つまり、法律を通すとき一党だけだと「一党独裁」と批判される。ところが連立政権だと、形だけでも「みんなで相談して決めた」と言える。
このいい例(悪い例?)が、1999年自自公連立政権(自民・自由・公明)で成立させた「国旗・国歌法」、「組織犯罪対策3法」。それまで、弱者・少数者の見方だと思われていた公明党が見事に豹変した。こんなことまでして、政権与党側にいたいのか・・・。
「国旗・国歌法」が成立したのは、公明党様様のおかげ。私はこの事実を死ぬまで忘れません。
長年の支持者から見放されつつある両党。さあ、次はどんな手を打ってくるのでしょう。
こんな風に見ていけば、政治もちょっとはおもしろい・・・ことないですか。
おふざけついでにもういっちょう、私はこの人を次期自民党総裁に推薦します。
「鳩山邦夫氏!」
理由は、もうおわかりですよね。
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2009年09月13日(日)
京都ランナーズ例会・9月第2日曜 [ランニング]
御所に着くと、最初に声をかけてくださったのは松田発世さん。
「あー、藤井さん。いよいよ来週ですね、丹後100km。」
「松田さんも出やはんにゃね、100km。」
「はい。土井さんも出やはるよー。」
「へー、そしたら今日のメンバーから3人ですか。こら、楽しみや。」
土井さんは今日の担当役員さんでいそがしそうだったので、あとで3人で写真をと思っていたのに。松田さんが帰ってしまって、「京都ランナーズ丹後100kmチャレンジトリオ」の写真は土井さんとのツーショットに。
土井さんは、第1回に60kmの部を完走。3年前に100kmの部に出られたが碇高原牧場で関門収容。まだ、100kmの完走経験なし。
たしか松田さんも100km完走経験なしだったと思う。
かくいう私は、第1回大会より8年連続関門収容。最高で85kmまでしか行けてません。
ということで、私も含めたこの3人はどっこいどっこい。
でも、あのレースはスタートから1時間ほど真っ暗で、知ってる人を見つけるのがむずかしいんですよね。
まあ、みんなで楽しみましょかいな。
今日もスタート前にいろいろな告知があった。
中でも、「京都ランナーズ」の名入りの半ソデTシャツと長ソデTシャツのご披露は注目を集めていた。半ソデ2700円、長ソデ3300円だそうです。
(申し込みなどくわしいことは、「走人ニュース」で。)
橋爪さんともおもしろい会話があった。
「藤井さん、LSDのことで何回か電話させてもらったんですけど・・・。」
「ああ、名簿に書いてある番号、引っ越す前のいなかの番号ですねん。まあ、家だけは置いてあるんですけど・・・。」
「いなかのおうちって、花背の?」
「そうですねん。ボクがヨメさんに捨てられたときに帰るとこがあるように・・・。」
「なにゆうてはりますのん。」
「いやー、ようわかります。」横から木村さんが。
「ボクね、何の役にも立ってませんねん。まあ、しいて言えば、バンに荷物積み込むとき天才的な能力を発揮することくらいですかねえ。これは絶対ほかの人にはできませんし。もし『荷物積み込み選手権』ていうのがあったら、けっこうええ線行きまっせー。」
「イヤー、そら大事なことですやん。」
橋爪さんもやさしい。
今日のスターターは、角南さん。(ブログ「ふくたままのRunRunLife」の)
角南さんも、私を見つけて声をかけてくださった。
「もうすぐ丹後100kmですねえ。練習はしてられませんよね。」
「もちろん! 今、自分の体調の分析とコースの分析に力を入れてるところです。」
「がんばってくださいと言っていいのかどうか・・・。」
「がんばりまっせー。せめて今までの最高記録の85kmはこえたいんやけどねえ・・・。」
「すごいですね。」
「今年ね、急に出店してくれっていう依頼があって、初めてヨメさんが来ますねん。チョー久しぶりに応援してもらえるかも・・・。まあ出店は前日だけなんで、レース当日はホテルで寝てるわってゆうてますけど・・・。」
「よかったじゃないですか。」
いつも思うのだが、彼女のブログの中の激しい調子の文体と、いつもお会いして話されるときの穏やかな表情が全く結びつかない。ブログも実物も変わらぬ「いいかげんさ」をかもし出している私から見ると、すっげーギャップ型人間に見えてしまう。(もちろん、私はこんな彼女が大好きですが・・・。)
松田さんの写真がどっかにないかなあーと探していたら、ありました。スタートピストルのすぐ横に。
「やったんでー」系のいいフォームです。
「丹後は、負けへんでー。」
スタートシーンを撮影しておられた外人さん。こちらも一枚撮らせていただきました。
今日は第2日曜なので、時計をはずして宣言タイムレース。
私は毎度おなじみ、「いっちゃん最後に、人の書いたタイムを見て見て自分の宣言タイムを書く」ズッコシ作戦。
いつも同じくらいの杉原さんが22分。最近あまり調子がよくないらしい。木村さん、19分30秒。そんなかからんと思いますけど・・・。
人見さん、18分40秒。あっ、これやね。「人見さん、目標にさせてもらいまっさー。」
私は、18分30秒と記入。
しかし、水曜の42km走の疲れが残っているのか体が重い。人見さんは何とか抜くことができたが、私より遅いタイムを書いていた人たちに次々と抜かれる。ヤバイ!
半周過ぎ(2kmちょっと)のところで、3分後スタートのトップ中村智明さんに早くも抜かれてしまう。ということは、1kmで1分半ほど速いんかい?
丸太町通りにはいるとさらに次々と・・・。女性のトップ外峯さんにもアッという間に・・・。
でも、そんなことより、向こうからシェパードちゃんが。
「あっ、前にもお写真撮らせてもらいましたよね。お名前、なんでしたっけ。」
「リーバです。」
「そやそや、リーバちゃん。」
この手前あたりから、右アキレス腱に強烈な痛み。でもリーバちゃんに再会できて、ちょっと気がまぎれた。
愛妻家かつ律儀な人・池田さんも好調。最後の第4コーナーを曲がったあたりで抜かれた。
鴨沂高校の前を通ると、目に付くポスター。文化祭で演じる劇のポスターのようだ。
こんなんを見ると、校舎は古いけどよさげな高校に見えてくる。
1周目(4.1km)、いったいどれくらいかかったんやろう。皆目見当つきません。
私のすぐ後ろには、吉田出さん。最後はちょっと疲れられたようです。
2周目途中で橋本さんに抜かれ、私は最終走者だったかも。
今日は宣言タイムレースだったので、差の少ない人から表彰。
見事1位は、私のすぐ後ろでゴールされた吉田出さん。5秒差だったそうです。
2周目に私を抜いていった橋本さんも入賞。
ダントツトップの中村智明さんも入賞。
今日の私のテーマは・・・。
?7月11日以来のロングタイツに慣れる。
?丹後100kmの前の最後の調整。
?デジカメで連写に挑戦。
?は、OK。まったく問題なし。
?は、右アキレス腱を痛め、ちょっと心配。1週間でなおさんと。
?むずかしい。デジカメは簡単なようで奥が深い。
けっきょく私の1周は19分22秒。宣言とは52秒差で、はるか入賞圏外。
2周は39分57秒。2周目の4.1kmは、20分35秒もかかったことになる。やっぱり、右アキレス腱が重症かも。
そろそろ帰ろうかというとき、小学生のN.T君のお母さんが話かけてこられた。
「京都キャロットの方ですよね。うちの子がいいシューズをほしいって言ってるんですけど・・・。」
「何年生ですか?」
「小4です。今は、ランニングシューズまがいのくつをはかせてるんです。」
「小4ですか。足のサイズは?」
「22cmなんです。このサイズだと、なかなかないですよね。」
「そうですね。だいたい22.5か23からですから。小4やったら、高いくつはもったいないですね。まだ体重も軽いし、今はいておられるシューズでもまだだいじょうぶだと思いますよ。」
「そうですよね。本人はほしがってるんですけど・・・。」
「まあ、もうちょっとしんぼうしてもらって、足が22.5になったら探してみやはったらいいんとちがいますか。」
N.T君は4校が統合してできた「西陣中央小」の4年生だそうだ。笑顔がとてもかわいくて、速くなりたいという気持ちもすごく伝わってくるいい子だ。
これからも無理をせず、ずっと楽しく走り続けてね。応援するよ。
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2009年09月12日(土)
9・9・9(サンキュー)平和ラン・帰り道 [ランニング]
「ランナーズ9の会」の仲間と東寺で別れ、私は一人家路へ。
まえにカーナビで調べたら、東寺から自宅・二軒茶屋までは約12km。10km+20km走った後、一息ついてからの12kmはしんどいぞー。
帰りは大宮通りから堀川通り。自動車の多い通りなので、私の大好きなワンちゃんと出くわすことは望み薄。
こんなときこそ、いろいろなことを考えながら走りましょう。
大宮通りを四条まで上がり右折、四条堀川を左折し、そこからまっすぐ御薗橋をめざす。
四条堀川上がる東側にあるピカピカの高校。ここが「堀川の奇跡」と呼ばれる高校だ。
京都に長年続けられた「高校進学小学区制」を崩し、国公立大学への進学者を増やした高校。
楽天野村監督の言葉を借りれば、「バッカじゃなかろかルンバ!」(この言葉は、去年の交流戦で、巨人原監督と伊原コーチに向かって投げられたもの。)
多額の資金にものを言わせ、他チームの4番やエースを引き抜くやり口・・・。でも、作戦は幼稚・・・。なんか似てますねえ。
元々お勉強の良くできる子を集め、野望を持ったギラギラ教師に指導させる。そら、進学率上がるでしょう。それを「奇跡」と呼んだら、「奇跡」という言葉が泣きまっせ。
うちのヨメさんは短大卒。しかし、結婚してから堀川高校定時制の3年に編入させてもらった。それから卒業までの2年間、「何物にもかえがたいいい経験をさせてもらった」そうだ。
定時制高校に来る子にはさまざま理由があるが、誤解を恐れず言うと、「他に行き場がないと思っている」子が多い。しかし、他の学校でよく聞く「いじめ」だけはなかったそうである。
このピカピカの新校舎になるときとほぼ同じ時期に、堀川高定時制は募集停止になった。
「なんやねん、勉強できんやつは出て行けちゅうことか!」
私ら夫婦の怒りは最絶頂になった。
「なにが『堀川の奇跡』じゃー。定時制の子は『堀川』に入れてもうてへんのかい!」
このピカピカの校舎を見るたびに、またムカムカしてくる。
ついでにもうちょっといいですか。
大阪の教育委員をしていた有名オリンピックコーチ(女性)。「定時制不要論」をまくしたてておられましたよねえ。「あまやかすな」ってねえ。
それなら、そんな行き場を見失っている子たちを末長く見守ってくださるのかと思っていたら、「すかしっぺ」ですか。言いたいことだけ言って、今は中国に招かれて「日本以上の選手を育てる」とうれしそうに話されてます。
あなたは一部のエリートを育てるには手腕を発揮されたかもしれないけれど、いろいろな子がいる学校に関わる教育委員としては不向きでしたね。
なぜか、ピカピカのこの校舎を見ると、○○コーチの誇らしげな顔が浮かんできて困ります。
二条城。
ここは、ヨメさんが堀川高定時制に通っていたとき、体育の時間に走ったところ。
「学年の女子で一番やねんでー」と言っていた姿がなつかしい。
檀王さんの信ヶ原さんが、「以前、元旦ロードレースの上位に名前出てたよねえ。」と言ってくださった。
「元旦ロードレースって、二条城でやってたやつ?」とマコちゃん。
「二条城でやってたん、そうとう前ですよ。そのあと御所になったんですわ。二条城でやってたんは25年くらい前ですね。」
「はー、私ら、元旦ロードレースと言えば二条城ですから・・・」
マコちゃん、私と同じ名字なので、いつも「兄です」と言ってくださるのだが、この調子だとかなり歳の離れた兄になってしまう。
堀川の商店街を走っていると、後ろから追いついてこられた自転車の女性。
「一人で走ってはるんですか。」
「いえ、ついさっきまで5人で走ってたんです。」
「これからどなたかにバトンタッチですか。」
「いえ、もう終わって家に帰るところなんです。」
「そうなんですか。がんばってください。」
そうか。この女性は、私が背中に付けているゼッケン
「スポーツは平和とともに
核兵器廃絶
反核平和マラソン」
これをしっかり読んで声をかけてくださったのだ。
うれしい。こんなちょっとした声かけがすごい励みになる。かわせみさんからいただいた「憲法9条パンフ」をお渡ししておいた。署名も頼めばよかったかな。
京都市立北総合支援学校。
こちらもピカピカの新しい校舎。しかし、高い塀に囲まれ、とても地域に溶け込んでいるとは思えない。第一、「特別な支援」って、あまりにも上から目線過ぎません?
学校で調理する給食じゃなく、冷凍した食品を解凍するだけの「クックチル方式」の問題はどうなったんでしょう。
こんなところにも目を光らさねば。少数者の口をふさぐ教育にはしたくありませんね。
京都北郵便局。
毎日、通販の「ゆうパック」でお世話になってます。
「日通」さんとの合併は、一時凍結だそうですね。これから先、どうなるんでしよう。
小泉さんの仕掛けた4年前の「郵政選挙」。たくさんの人が「郵政民営化賛成」の候補者に投票。
「だまされた」ではすまんぞ。この失われた4年間を作り出したのは、そんな人に投票したあなたです。あまりにも単純すぎたんじゃありませんか。
やっと、御薗橋。
鴨川沿いの歩道を走って、ビックリ。
歩道に大きな桜の木が、ドーン。これって、ギリギリ人は通れるけど自転車は無理。えらい歩道があったもんや。
やっぱりいろんなところを走ってみて、タウンウォッチングせなあかんね。市長さんも、「タウンミーティング」より「タウンウォッチング」しやはったほうがいいんとちっがいます?
おおー、産大前。
ここまできたら、あと家まで1km ほど。
もう腰は爆発寸前。右ヒザも「ギーギー」と変な音がしだした。
「京都キャロット」は、本日水曜定休日。
ここから家まで約700m。あとちょっと。
鞍馬街道から「地球研」方面へ。
遠くに見えるは比叡山。その手前には京都精華大学。
やっと、我が家に到着。
朝7時56分に家を出て、約42km。所要時間7時間半。もう終わりと思ってからの12km走は値打ちがあった。ジュースを買って飲んだとき以外は休まず走ることができた。
ちょっとは力がついてきたんかな。
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2009年09月11日(金)
9・9・9(サンキュー)平和ラン・続きの続き [ランニング]
この「平和ラン」に参加するに当たって、一つ心配なことがあった。
呼びかけ人のかわせみさんは大阪、参加表明されていたあんぱんまんバイキンマンさんは兵庫、けいくんは茨城。ということは、地元京都の私に道案内役がまわってくるのでは・・・。
なんせ私、京都出身とはいえ、京都の北の端・鞍馬からさらに北へ10kmの花背別所町の出身。お寺でデートの経験も乏しく、街中の道とか全然知りましぇーん。
でも、安心。
実は、かわせみさんは京都のど真ん中、立誠小学校学区出身でした。そしてもう一人の参加者・マコちゃんは、北白川出身の生粋の京都人。この頼りになるお二人のおかげで、お寺からお寺へすいすいと走って行くことができた。
このお二人が、要所要所でいろいろと解説。
円山公園の中に、祇園祭の「山」(山鉾のうちの山)の倉庫があることも初めて知った。
あちこちで記念撮影。
平日だというのに、清水寺周辺はすごい人だかり。
清水寺山門前で、署名活動。
しかし、修学旅行生とその引率の先生がほとんど。私は声かけをようしませんでした。
「音羽の滝」で水を飲ませてもらおうと思ったら、すごい行列。
「これ、池に入って落ちてくる水受けて飲んだらあかんのでしょうかね。」
「だいじょうぶ。裸になって、あの水に打たれてる人もいるくらいやから。」とマコちゃん。
「ほんまですか。さすが仏教、なんでも来いやね。イスラム教やったら死刑やね。」
けいくんとちょっとしゃべらせてもらった。
けいくんは、茨城県つくば市の会社勤務の48歳。福岡への出張で、同僚はみな飛行機で帰ったがけいくんだけ新幹線で京都途中下車。この「平和ラン」参加のために。
あんぱんまんバイキンマンさんも、がんばってはりまっせー。
東本願寺さんの玄関にあった標識。ええこと書いてあります。「差異を認める世界」、これがすべての基本ですね。
かわせみさんの話。
「お寺によって対応はいろいろでね、東本願寺は趣旨に賛同してくださってすぐOKが出たんです。ところが、西本願寺は『宗務議会にかけないと・・・』と言われて、日が迫ってたのでご遠慮させてもらいました。」
かわせみさん、いろいろと事前交渉ご苦労さまでした。
名だたる有名寺院と対等に交渉できるかわせみさん。あなたはいったい・・・。
午後1時半過ぎ、九条通りに面する最終目的地・東寺に到着。
かわせみさんのごあいさつ。
「みなさん、どうもありがとうございました。今日は2009年9月9日ということで、9時9分スタートの平和ランを企画してみました。私たち『9の会』にはピッタリだと思いまして。次となると、3009年になりますので、ちょっと・・・」
そんなこと言わずに、また来年の9月9日、やりましょうよ。
「(核兵器廃絶の)署名用紙、回収します。」と言われたが、白紙なので渡せません。これから行くマラソン大会で、署名をお願いしようと思います。
もし、「署名したってもええでー」と思っておられる方おられましたら、よろしくお願いします。
ここで、記念撮影。ちょっと近すぎて車道にはみ出しての撮影。(これはちょっと危険なので、ひとには頼めません。)
九条山9時9分スタートから総行程約20km、4時間24分。ほんまに値打ちのある「平和ラン」でした。
段取りを付けてくださったかわせみさん、ありがとうございました。
今日の大きな収穫。
聖護院のご住職の手書きの色紙。私たちに手渡される時、ちょっとはにかんでおられたような表情だった。
「かたくるしい平和運動ではなく、ユーモアある平和運動を」と教えられたような気がした。
私は着替えも持ってきておらず、ここでお別れ。残りの4人は、京都駅近辺で打ち上げだそうだ。いいなー。
ここから自宅までの約12km。私の「平和ラン」は、まだまだ続く。
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2009年09月10日(木)
9・9・9(サンキュー)平和ラン・続き [ランニング]
「何年ぶりになるんかなあ。」
「あれからいっぺんも会ってへんし、たぶん28年ぶりくらいやと思います。」
「そんなになるんやなあ。」
「おいくつでしたっけ。」
「55やけど・・・」
「はー、2つ上ですか。でも、全然変わってはらへん。元気そう。」
「そうやろ、若いやろ。」
久しぶりに会う人が、元気で幸せそうだとホッとする。
信ヶ原雅文さん。現在「檀王法林寺」のご住職。しかし、私にとっては小学校教師生活のスタートとなった「大原小学校百井分校」の先輩の先生。
信ヶ原さんは、百井分校から異動された数年後、退職され「檀王法林寺」の跡継ぎに。
私は信ヶ原先生が異動された翌年に異動。上賀茂小に6年、雲ヶ畑小に3年勤務後退職。それ以後18年間放浪(?)生活。
「雲泥の差」とは、こういう時に使う言葉でしょうか。
信ヶ原先生の思い出はいろいろあるが、なんといっても一番は「人形劇」。
発砲スチロールのかたまりをカッターで切り形を作り、それに和紙を張り色づけ。人が抱えて動かす人形なのでかなり大きなもの。その人形の作り方を、不器用な私にも根気よく教えてくださった。できない子を(大人も含め)、ゆったりした心で見続けてくださる先生だった。
現在、保育園の園長もされているようだが、信ヶ原先生にはピッタリ。天職だと思います。
檀王さんでは、玄関横の応接のようなところで冷たいお茶をいただいた。その時の会話。
「ほんとに久しぶりですね。息子さんとは、2年前、沖縄戦のフィルム上映会でお会いしたんですけど・・・。」
「ああ、そうそう、息子から聞きました。」
「奥さんと目元がよう似てはって・・・。」
「そうかあ。今28で、結婚して娘が一人いるんや。藤井さんとこはどうなん。」
「うちは高3と中3です。ふたりとも受験生なんです。」
「そしたら、こんなことしてる場合じゃないやん。」
「いやー、全然だいじょうぶ。ボク、家族の勘定に入ってませんねん。うちは3人家族やって・・・。」
「またそんなこと言って・・・。若いときもおんなじこと言ってたね。変わってへんなあ。」
「○○さんは○○小学校の校長先生に、△△さんは△△小学校の校長先生になってはんなあ。」
「ああそうですか。」
信ヶ原さんの口から元同僚のなつかしい名前が。
「校長先生になられた」というのは、以前は尊敬の念をもって語られた言葉だが、今はどうなんでしょう。「教え子を再び戦場に送らない」という気持ちをもって教師になられた人々が、今は「お上のいいなり」になっているような気がしてなりません。それとも、今校長になられる人々は、「教え子を・・・」という言葉すら知らない世代なんでしょうか。 上からの圧力に屈せず、本当に子どもたちの将来のためになる行動を起こしてくださる校長先生が増えることを願います。
「『ランナーズ9の会』は大きな平和運動ですね。」
「大きないって、ちっちゃな平和運動ですって。」
信ヶ原さんのおほめの言葉に、すかさずつっこんでおいた。
「でも、どうしてもこういった運動は固定したメンバーになってしまうことが多いけど、『ランナーズ9の会』は全国いろいろなところでアピールできるからいいですね。」
さすがじゃー。私が常々思っていることをピタリと言い当てられた。平和に無関心な人、さらにはこういった運動に反感をもっている人にまで少しずつでも理解していってもらえたら・・・。たぶん、この会に入っておられる方は、みなそんな思いでおられると思う。
檀王さんは、沖縄とも深いつながりがあるらしい。
今年の6月30日(沖縄慰霊の日)には、元沖縄県知事太田昌秀さんをお招きし、「命の尊さ、平和の大切さを語り継ぐ会」を催されたそうだ。260名の方が集まってくださったそうである。
11月3日には、「沖縄フェスティバル」もされるそうだ。お寺を通して沖縄に関心を持ち平和について考えられたら、また新しく平和運動に携わる人が増えるかもしれない。
(娘さんが、「檀王法林寺」のホームページを開設しておられるらしい。関心のある方は、ぜひのぞいてみてください。)
28年ぶりにもかかわらず、以前とまったく変わらぬ元気な笑顔で迎えてくださった信ヶ原雅文さん。本当にうれしかったです。
それぞれ行っている運動の規模はそれこそ「雲泥の差」ですが、「戦争のない平和な世界」をめざしてお互いにがんばりましょう。
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