パオパオだより

2009年09月01日(火)

しょぼいスーパーマン [家族]

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 昨日、ヨメさんの親友くーちゃんが徳島から出て来た。
 久しぶりということで、ヨメさんとくーちゃんはお昼を食べに。先週私と行ったばかりの中国料理「彩彩」のランチバイキングへ。
 その時、ヨメさんが「ユニクロ」でTシャツを買ってきてくれた。貧弱な体の私にはどうも似合わん「スーパーマンTシャツ」。

 「しょぼい、スーパーマン!」

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 でも、これがこないだの結婚記念日のプレゼントの「ほほえみがえし」のかわりかな?
 今日も、こないだの服を着てくれていたし・・・。

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 最近、家で誰も私の相手をしてくれないのできくばっかりかまってしまう。
 なんぼのきくもしつこくすると、「ガウガウガウ・・・」

 昨日の晩は、見事鼻をかまれ血がタラタラ。

 痛かった。血がなかなか止まらんかった。
 きくちゃんはひょっとして、「鬼犬」かい?

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※先日の「謎の応援ハガキ」の主がやっと名乗り出てくださいました。私が「女優」と呼んでいる、ベテランランナーの由美さんでした。ありがとうございます。
 それにしても、お名前に「美」がつく人が意外と多い。うちのヨメさんも含め、私の周りには「美」ばかり。目がくらんで困ります。

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2009年08月31日(月)

毒嫁ファン [家族]

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 「藤井さん、また『毒嫁シリーズ』書いてくださいね。あれは、おもしろいから。」

 私のブログに「毒嫁シリーズ」って、ないんですけど・・・。毒嫁ファンもおられるんですねえ。
 でもよく考えたら、私のブログの「ヨメさんが」というところを「毒嫁が」に代えたら立派な毒嫁シリーズになるのかも。

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 24時間テレビの中のドラマ「にぃにのことを忘れないでー脳腫瘍と闘った8年間」の中で一番よかったシーン。
 一旦退院した息子(錦戸亮)が母親(黒木瞳)に話しかける。
 「お母さんはどこでお父さんと知り合ったの。お父さんのどこを好きになったの。」

 ますみちゃん、うちの子らにもゆうたって。
 「どこでパオパオと出会ったの。パオパオのどこを好きになったの。」
 「なーんも出会ってません。どっこも好きになってませーん。どうしょーもないし、ここにいるだけですー。」
 「なんちゅうことゆうねん。そんなことゆうたら、子どもらガックリくるやろがー。」
 「うちの子は、私一人で生んで、私一人で育てましたー。」

 とか言いながら、子どもらのマイナス部分は全部パオパオのせいにするくせにー。
 これぞ毒嫁の本領発揮ですなあ。

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 最初の言葉、「毒嫁シリーズはおもしろい」と言ってくださったのは、久保井洋次さん(「みかた残酷マラソン」実行委員長)でした。

 久保井さんは、スタート30秒前にスタート地点に到着。それでもゴールは1時間46分台。さすがです。たぶん、1000人くらい抜いてはるね。
 毒嫁ファン・久保井さんは元気です。

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2009年08月30日(日)

第30回兵庫神鍋高原マラソン [ランニング・出張販売]

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 「走れへんでも、なんかできることはある。」

 そうや、「ランナーズ9の会」の宣伝。
 かわせみさんの「9・9・9平和ラン」の宣伝も兼ねて。

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 さっそく、反応があった。
 
 「9の会のランシャツ売ってんの?」
 「いえ。私が会員なんで、宣伝で・・・。」
 「はぁ・・・。あっ、京都キャロット・・・、ブログ見たことありますわ。」
 「ありがとうございます。」
 「私も、去年はこのランシャツで走ったんやけどね。これ着て走ったら、○○党と思われるからなあ。でも、憲法9条は守らなあかんわな。」
 「そうですよね。」

 お話の主は、?369「HIKORAN」さん(兵庫・尼崎)でした。

 かわせみさんのチラシは、HIKORANさんを含め3人の方が持って行ってくださった。暇がなく積極的に宣伝できなかったが、少しは役にたったかな。

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 そのあとも、声をかけてくださる方あり。
 岡山の海部進さん。去年の「瀬戸内海タートルマラソン」の帰りのフェリーでお話させていただいた方。

 「春の『小豆島オリーブマラソン』も申し込んでおられたんでしよう。」
 「そうそう、中止になってしまったね。」
 「うちは、えらい痛手でした。11月の小豆島、また来られるんですか。」
 「もう、申し込みました。」
 「そしたら、また小豆島で。」

 お知り合いになれた方と、思ってもいないところでまたお会いできる。こんなうれしいことはない。

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 「あっ、あいかちゃん。」
 写真撮っとこー。

 あいかちゃんは、うちのきくとちがってほかのワンちゃんとあっても因縁を付けに行かない。
 「かしこー」。・・・というか、それが普通なんか。

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 ゆるキャラナンバーワン、「はばタン」もスタート地点まで応援に。
 ちなみに、うちのニッサン・キャラバンにも「はばタン」のマスコットぶらさげています。

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 8時30分、ハーフがスタート。
 ここは定員制(総数5000人でしめ切り)のため、ハーフもそんなに多くはない。(1488名)

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 スタート直前、細かな雨が降り出した。でも、この時期の雨は「天然のシャワー」。きっと、走りやすいにちがいない。
 ああ、申し込みをもっと早くにしとけばよかった。

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 「誰か、知ってる人、見つけられんかなあ」と思って、カメラを構えて待っていたが、みんな早くて・・・。
 と思っていたら、ほぼ最後尾に久保井洋次さん(「みかた残酷マラソン」実行委員長)。
 「おおー」
 むこうも気づいてくださった。でも、あのバリバリランナーがどうしてこんな後ろに?

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 あっという間に、すべてのランナーが最初の長い坂を上って行った。
 ここは、スタートからしばらく広い道路が続くので混雑しなくていい。

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 自分がレースに参加している時は、なんやかんやと書くことができる。ところが、レースに出ないと、ほとんど書くことがない。走っている人に声もかけにくいし・・・。
 会場風景でもレポートしようかなとも思ったが、走らないとそんな風景までさびしく感じる。走らない自分には、マラソン会場独特の「高揚感」というのが、まったく感じられない。

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 この「但馬ドーム」が会場になってから、うちの出店も雨の心配がない。
 マラソンのゴールが室内というのも珍しく、ランナーもうれしいのではないだろうか。

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 せっかくうちの出店場所のすぐ後ろが進入ゲートだったので、ゴールしてこられるランナーを観察した。1時間ほど見ていたので、数千人かな。
 一つ気づいたことは、顔をゆがめてゴールしてくる人がほとんどいないこと。半分以上の人が「爽快な表情」に見えた。
 いいことですね。

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 大会が終わるころ、但馬ドームの大屋根がやっと開いた。やっぱり空が見えた方が開放感があっていい。

 来年は早めに参加申し込みをすましてっと。
 大1になっているはずの廉と、高1の真樹が手伝いに来てくれたらうれしいんやけど・・・。

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2009年08月29日(土)

第30回兵庫神鍋高原マラソン・前日受付 [ランニング・出張販売]

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 「今年もハーフですか?」
 「いや、今年は申し込みが遅れてしまって、走れないんですよー。」
 「えー。」

 今日、この会話を何回しただろう。
 レースに参加しない京都キャロットのオッサンは、存在価値ゼロ。みなさん、そう思っておられるようだ。私もそう思います。

 じょうだんで、「私の代わりに出られますか?」と言ってくださった方があったが、もう全然そんな気はなし。今さら走る気にはなりません。

 今年は第30回記念大会だというのに。第2次マラソンブームのおかげで、参加申し込みも以前より厳しくなっている。ほかの大会も、申し込みを早め早めにしておかなくては・・・。

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 「子どもさんは?」
 「二人とも今年は受験生で、来てないんです。」

 これも、何人ものお客様から聞かれた。
 京都キャロットと言えば、「子連れ出張販売」。そんな子どもたちも、もう高3と中3です。なかなかついて来てはくれません。

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 前日受付会場では、マラソンクリニックが行われた。その最後に、参加者に当たる抽選会があった。その賞品の一部は、京都キャロット提供です。

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 後片付けが終わると、民宿「ささや」さんへ。 
 こちらも、長年ずっとお世話になっている。

 「ささや」さんには中3の息子さんがおられ、野球部だったのだが陸上部の駅伝のメンバーに選ばれたそうだ。それで、レースに使うシューズがほしいということで、ご両親が会場まで買いにきてくださった。シューズの重さを量るはかりを持参される力の入れようだった。

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 「ささや」さんのつけもんはうまい。
 そんなちょっとしたことが楽しみ。

 明日は走らへんからなー。へーやなー。

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2009年08月28日(金)

忘れていた結婚記念日 [家族]

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 私たちの結婚記念日は、8月20日。今年はすっかり忘れていた。
 昨日、思い出した。「もう、1週間も過ぎてるー。」

 今日、カナートへ。
 「 CLEF DE SOL 」という店でかわいい服を見つけた。
 「これ、全部ください。」
 3点セットプラスアクセサリー。

 家に帰って、ヨメさんに渡す。
 「また、ブログのネタにすんにゃろー。」
 と言いつつ、顔はうれしそうだった。

 24年、ありがとね。

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※本日、月間アクセス数50000突破。ありがとうございます。
 1アクセス1円でももらえたらなあ。けっこうなおこづかいになるのになあ。

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2009年08月27日(木)

「子どもは見ていた」 [平和]

 8月は、新聞に戦争関連の特集記事が組まれていた。
 いろいろあったが、連載ものの中で私がもっとも心に残ったのは、毎日新聞の「子どもは見ていたーー戦争と動物」シリーズだ。

 8/10 愛犬供出「心が死んだ」
 8/11 軍用兔飼育「小国民の務め」
 8/12 伝書鳩は戦友だった
 8/13 馬の出征 泣いた母
 8/14 ゾウ列車は夢を乗せて

 この連載の中でも、第1回の「愛犬供出」は泣けて泣けて・・・。
 少し長いですが、ぜひ読んでください。

◎毎日新聞 2009年8月10日

 子どもは見ていた:戦争と動物/1 愛犬供出、「心が死んだ」

 犬、ウサギ、馬……。戦時中、家々で大切にしてきた動物が子どもたちの前から姿を消した。国に求められ、差し出す役割を担わされた子もいた。出征する家族との別れにくわえ、小さな友達まで奪われた悲しみ。終戦から64回目の夏、当時を知る人たちが若い記者に語ってくれた。動物を通して見えた戦争を伝えたい。

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渡辺礼子さん(中央)とマル        =礼子さん提供

  ◇兄出征の悲しみに追い打ち 撲殺役も少年「国のため」

 ペット問題を担当する私(記者)の元に昨秋、一通の手紙が届いた。差出人は宇都宮市の渡辺礼子さん(81)。ペットブームの中で捨てられた動物が毎日殺処分されている記事を読み「やり切れない思いです」とあった。

 つづられていたのは17歳だった戦争中、軍服の毛皮にするため愛犬「マル」を供出させられた悲しい記憶。「マルのような犬がいたことを忘れないで」

 私は市営住宅で1人暮らしをする礼子さんに会いに行った。

     *

 戦時中、礼子さんは栃木県西方町の農家に暮らしていた。ある夕方、弟が友達に子犬をもらってきた。もこもこした真っ黒な毛。8人のきょうだいのうち、小さい弟や妹から順に抱っこした。やっと長女の礼子さんの番が来た。腕の中でしっぽを振り続けた。前に飼っていた犬の名をつけることで家族全員が一致した。

 家にはマルと遊びたい子どもたちが集まってきた。食べるものも着るものもなく、重い空気がたちこめた村に笑顔が戻った。

 礼子さんは国民学校(現在の小学校)を卒業後、畑仕事に出た。父は勤め、兄は学校に行くため、母と2人での麦作り。人手が足りず雑草に負けてしまい、供出する分しか収穫できない。「私もマルも、いつもおなかをすかせてた」。くたくたになってあぜ道を歩いた。マルが後をついてきて、どこかで拾ってきた干しイモやたくあんをポリポリと音を立てて食べていると、ほっとした。

 一番の楽しみは三つ上の兄、郁さんとハーモニカを吹くことだった。普段はおとなしいマルが「ウオーン、ウオーン」と歌うように鳴き声を合わせるので、2人で声を上げて笑った。

 その兄の出征が決まった。見送る途中で涙をこぼし、村の大人に「どの家もお国のために兵隊を出してる。名誉の戦死を遂げるんだ」としかられた。一人でハーモニカを吹いた。マルが一緒に鳴いてくれた。

 だが間もなく役場から連絡が来た。「兵隊さんの毛皮にするので犬を供出せよ」。もう言葉も出なかった。

 犬たちは学校の校庭に集められた。マルを連れていった近所のおじさんから「校庭の手前から足を踏ん張って歩こうとしなくて困った」と聞かされた。

 話し終えた礼子さんがつぶやいた。「戦争で、私の心は一回死んだの。うれしいことも悲しいことも、感じないように決めたの。苦しまずにすむから」。戦後は准看護師として働き、戦場で心を病んだ人たちの世話もした。犬を飼うことも、誰かにマルの話をすることもなかったという。

     *

 集められた犬はどうなったのか。動物の供出に詳しい児童文学作家の井上こみちさんが、犬や猫を撲殺する仕事をしていた修さん(79)=仮名=のことを教えてくれた。北海道に住む修さんに取材を申し入れると「忘れたいし、妻や子にも秘密にしている」と悩みつつも「勝っても負けても戦争はだめ。それを伝えられるなら」と話してくれた。

 1944年の冬休み。15歳だった修さんは友達に「いい仕事がある」と誘われた。家族5人、長屋での貧しい暮らし。「少しでもお金になるなら」と飛びついた。

 指定された場所に集まり、初めて仕事の内容を聞かされた。仲間の一人は逃げ出した。修さんは「満州や空の上の兵隊さんはどんなにお寒いだろう。これもお国のためだ」と心に決めた。でも子ども心に「猫は化けて出る」と思うと怖くて眠れず、便所に一人で行けなかった。

 いろんな町を泊まり歩き、集められた動物を仲間が押さえ、修さんが撲殺する。「毛皮に傷が付かぬよう、犬は丈夫な木の棒、猫には金づちを眉間(みけん)めがけて力いっぱい振り下ろせ」と教えられた。連れてくる飼い主たちの表情は暗い。みんな悲惨な光景を見て動揺し「殺さないで」と懇願する。泣きだす少女。「うちの犬だけは助けて」と、どぶろくをわいろに差し出す男の人。泊めてもらった農家の犬をこっそり見逃したこともあった。仕事は20日間ほど続いた。帰宅して、家族に何をしていたかは言えなかったという。

 私が「かわいそうなことをしたという思いはありますか」と尋ねると、修さんの口調に怒気が混じった。「ないね」。自分に言い聞かせるように続けた。「仕方がなかった。そう思うほかないんだ」

 修さんは犬や猫が捨てられていると、拾ってきてしまうという。4年前からは茶色い雑種を育てている。

 「鼻をなでてやると、じいっとこっちを見るんだ。かしこいんだ」。顔を上げてくれたのは、この時が初めてだった。【田後真里・28歳】

 ◇物資不足で食用、軍服の毛皮用に
 「犬の現代史」(今川勲氏著、現代書館)によると、日中戦争開戦後の1940年、国会で「人間も食べるものがないのだから、軍用犬以外は殺して利用してはどうか」という犬猫不要論が巻き起こった。当時は「愛犬家の楽しみを奪ってよいものか」との慎重論も強く、退けられた。

 だが戦争の長期化で44年12月、当時の軍需省は強制的な供出を決定。毛皮は飛行服、肉は食べるためだった。同月19日付少国民新聞(現在の毎日小学生新聞)は<犬君も撃滅(げきめつ)戦へ>という見出しで、犬の供出により空襲を受けた際に国民がかみつかれることも防げると書いている。<立派な忠犬にしてやりませう>と訴えた隣組回報も残っている。


※このシリーズ「子どもは見ていた」は、すべてネット上に公開されています。他の記事も読んでみてください。

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 子どもたちに戦争の話をするのは、すごくむずかしい。自分が経験していないことを話さねばならない。
 そんな時、「今普通に過ごしていることが普通にはできなくなる」ということを示せばいいのかと思う。

 この「愛犬供出」は、犬猫を飼っている子には衝撃的な記事である。
 例えば、うちの「きく」や「あんも」が兵隊さんの毛皮のために使われるとしたら・・・。これなら、廉や真樹も理解できるだろう。
 犬猫の扱いに慣れている私は、犬の撲殺役に任命。それを受け入れなければ「非国民」。家族の一員だと思っていっしょに暮らしていた犬や猫が・・・。
 ここから先は、それぞれが考えましょう。

 最後に、京都新聞のコラム「灯」から。

◎京都新聞 2009年8月19日

 「ささやかな継承」

 80歳になる母親と8歳の息子と広島平和記念資料館に行った。小3の息子には父親として戦争の写真や映像を見せて、恐ろしさを教えてはいるつもりだ。とはいえ、自身も戦争を知らない世代で、書籍などで学んだことでしかない。
 そこでわが家でただ一人の戦争体験者であるわたしの母親の出番だ。資料館で母は手を引っ張ってくれている孫に、展示物の解説を丹念にしてくれていた。被爆直後の広島の模型の前で、自らが体験した神戸空襲での恐怖を重ねて話していた。
 被爆当時、13歳や14歳の女学生が着ていた衣服の前で足が止まった。原爆の熱線を浴びてボロボロになり焦げている。「怖かったろうなあ」と、当時、16歳だった母は、今、生きていれば同世代の人たちの苦しみを思いやった。
 そして、つぶやいた。「戦争中も戦後も物は何もなかった。本当に惨めな暮らしだった」。孫の手をギュッと握り、「あんたは幸せやなあ。いっぱい楽しいことをしいな」と笑った。三世代でのささやかな平和学習だった。
 母の住む神戸の家は阪神大震災で半壊した。次は震災体験を話してもらおう。母にしか孫に伝えられないことはまだまだある。   (塚本宏)

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 そう、一番大事なのは「継承」なんです。
 私も、現在87歳の父から戦争体験をたくさん聞いている。でも、そのうちの少ししかうちの子には話していない。
 いつも私の心に引っかかるのは、私の一番嫌いな「強制」にならないかということだ。

 平和運動に携わる人々の高齢化が目に付く。
 「あなたたちの子や孫に、あなたたちの考えは引き継がれていないんですか?」と問いかけたくなってしまう。
 たぶんそれは私と同じく、「強制」の大嫌いな上品な方たちばかりで、自分の子にまで気を使いすぎているのかも。

 でも、私は、「コソッ」、「コソッ」と伝えていくつもり。子どもたちも、この「パオパオだより」を時々は読んでくれているらしい。

 「ささやかな継承」、するぞー。

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