2009年09月10日(木)
9・9・9(サンキュー)平和ラン・続き [ランニング]
「何年ぶりになるんかなあ。」
「あれからいっぺんも会ってへんし、たぶん28年ぶりくらいやと思います。」
「そんなになるんやなあ。」
「おいくつでしたっけ。」
「55やけど・・・」
「はー、2つ上ですか。でも、全然変わってはらへん。元気そう。」
「そうやろ、若いやろ。」
久しぶりに会う人が、元気で幸せそうだとホッとする。
信ヶ原雅文さん。現在「檀王法林寺」のご住職。しかし、私にとっては小学校教師生活のスタートとなった「大原小学校百井分校」の先輩の先生。
信ヶ原さんは、百井分校から異動された数年後、退職され「檀王法林寺」の跡継ぎに。
私は信ヶ原先生が異動された翌年に異動。上賀茂小に6年、雲ヶ畑小に3年勤務後退職。それ以後18年間放浪(?)生活。
「雲泥の差」とは、こういう時に使う言葉でしょうか。
信ヶ原先生の思い出はいろいろあるが、なんといっても一番は「人形劇」。
発砲スチロールのかたまりをカッターで切り形を作り、それに和紙を張り色づけ。人が抱えて動かす人形なのでかなり大きなもの。その人形の作り方を、不器用な私にも根気よく教えてくださった。できない子を(大人も含め)、ゆったりした心で見続けてくださる先生だった。
現在、保育園の園長もされているようだが、信ヶ原先生にはピッタリ。天職だと思います。
檀王さんでは、玄関横の応接のようなところで冷たいお茶をいただいた。その時の会話。
「ほんとに久しぶりですね。息子さんとは、2年前、沖縄戦のフィルム上映会でお会いしたんですけど・・・。」
「ああ、そうそう、息子から聞きました。」
「奥さんと目元がよう似てはって・・・。」
「そうかあ。今28で、結婚して娘が一人いるんや。藤井さんとこはどうなん。」
「うちは高3と中3です。ふたりとも受験生なんです。」
「そしたら、こんなことしてる場合じゃないやん。」
「いやー、全然だいじょうぶ。ボク、家族の勘定に入ってませんねん。うちは3人家族やって・・・。」
「またそんなこと言って・・・。若いときもおんなじこと言ってたね。変わってへんなあ。」
「○○さんは○○小学校の校長先生に、△△さんは△△小学校の校長先生になってはんなあ。」
「ああそうですか。」
信ヶ原さんの口から元同僚のなつかしい名前が。
「校長先生になられた」というのは、以前は尊敬の念をもって語られた言葉だが、今はどうなんでしょう。「教え子を再び戦場に送らない」という気持ちをもって教師になられた人々が、今は「お上のいいなり」になっているような気がしてなりません。それとも、今校長になられる人々は、「教え子を・・・」という言葉すら知らない世代なんでしょうか。 上からの圧力に屈せず、本当に子どもたちの将来のためになる行動を起こしてくださる校長先生が増えることを願います。
「『ランナーズ9の会』は大きな平和運動ですね。」
「大きないって、ちっちゃな平和運動ですって。」
信ヶ原さんのおほめの言葉に、すかさずつっこんでおいた。
「でも、どうしてもこういった運動は固定したメンバーになってしまうことが多いけど、『ランナーズ9の会』は全国いろいろなところでアピールできるからいいですね。」
さすがじゃー。私が常々思っていることをピタリと言い当てられた。平和に無関心な人、さらにはこういった運動に反感をもっている人にまで少しずつでも理解していってもらえたら・・・。たぶん、この会に入っておられる方は、みなそんな思いでおられると思う。
檀王さんは、沖縄とも深いつながりがあるらしい。
今年の6月30日(沖縄慰霊の日)には、元沖縄県知事太田昌秀さんをお招きし、「命の尊さ、平和の大切さを語り継ぐ会」を催されたそうだ。260名の方が集まってくださったそうである。
11月3日には、「沖縄フェスティバル」もされるそうだ。お寺を通して沖縄に関心を持ち平和について考えられたら、また新しく平和運動に携わる人が増えるかもしれない。
(娘さんが、「檀王法林寺」のホームページを開設しておられるらしい。関心のある方は、ぜひのぞいてみてください。)
28年ぶりにもかかわらず、以前とまったく変わらぬ元気な笑顔で迎えてくださった信ヶ原雅文さん。本当にうれしかったです。
それぞれ行っている運動の規模はそれこそ「雲泥の差」ですが、「戦争のない平和な世界」をめざしてお互いにがんばりましょう。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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