2012年12月29日(土)
いい一日 [家族]
昨日はいい一日だった。
家族みんなで喜び合える日だった。
真樹の今後を大きく左右する「大学入試」。やっと「合格」といういい通知が来た。
夕方から廉がバイトだったので、お昼にすぐ近所のお好み焼き屋さん「ゆめの樹」へ。みんなで笑いながらおいしくいただきました。
推薦入試一期は11月17日受験で、11月30日合格発表。これはあっという間だった。
一期は残念な結果だったが、気を取り直して二期も受験。12月15日受験で、12月28日合格発表。これが長かったこと。一期と同じ2週間ほどだったのに長くて長くて。
私は昨日も早朝バイト。
天気予報では雨が降り出すとのこと。これは大降りになる前に走らねば。12月20日から28日までの9日間は、「真樹の合格祈念ラン」のつもり。合格発表当日に走らないでどうする。
9時半ごろ、家から鴨沂高校まで走るつもりでスタート。円通寺の横の急坂を下り下鴨方面へ。しかし、北山通りを越したあたりで雨がポツポツ。グダグダしてたら11時の発表にも間に合わなくなる。ここは、出雲路橋で折り返しということにしよう。ここまで26分06秒。5kmくらいですね。
帰りは鴨川を北上。
途中対岸におまわりさんがいっぱい。なんかの捜査をしておられたようだ。
このコースは、こないだの「京都鴨川ゆっくりラン」の帰りプラス600mくらいだから5.6km。32分17秒。
合格発表の時間には間に合った。
真樹がケイタイで検索。
「あった・・・。」
「よかったー・・・。」
部活に行っていた廉に連絡。
「みんなでお昼食べに行くし、はよ帰っておいで。」
雨に打たれて帰ってきた廉の手にはマールブランシュのケーキ。
「真樹が合格したら、買ってきたろと思っててん。」
なんてええ兄ちゃんじゃー。
このあとすぐ近くの「ゆめの樹」さんへ。
お好み焼きか焼きそばにサラダ、デザート、飲み物おかわり自由のランチセット(1000円)。
みんなほっとして・・・。
いや、真樹が一番ホッとしたんでしょうね。
高校に合格の報告に行ったら、「今年の国公立合格一番乗り」とほめてくださったそうだ。
夜も、真樹の大好きなお寿司にサーモンのお刺身。
そして、長らく封印していたカラオケ三昧。
本当にいい一日でした。
私は、合格したら走ろうと言っていた「おきなわマラソン」に真樹と出られるのがうれしい。
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2012年12月28日(金)
合格! [家族]
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2012年12月25日(火)
クリスマスプレゼント [家族]
「メリー クリスマス!」
と言ってくれるのは、今やカーナビの音声くらい。
昨日はヨメさんと真樹とで外食。外食と言っても高級レストランではなく、700円くらいで食べられる定食屋さん。昨日はクリスマスイブだったが、さすがにガラガラ。若い男の人が一人、ごはんのおかわりをされていた。
そのあとちょっと買い物へ。
家に帰れば、ヨメさんからクリスマスプレゼント。
「変な服とかより食べるもんのほうがええやろ。チョコレート。」
「いやー、ありがとう」と言って抱きつこうとすると、いつもならしばかれるのにちょっと引っついてくれた。
そのとき背後から、「気持ちわるー」と真樹。
昨日はそれでおしまい。
今日の朝、昨日の話の続き。
「真樹は私らが仲良くしてたらうれしいんやな。」
「そらそうやん。前からゆうとるやろな。ますみちゃんさえしんぼうしたら、うちはうまいこといくねん。」
「なんで私ばっかりしんぼうせなあかんねん・・・。」
ますみ説によると、「私がアンタと仲良くしたら、ガッカリくるファンがぎょうさんおんねん。」
「えー?」
そんなマニアよりわが娘を大事に!
なあ。
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【RUN】
今日もきくと店往復1.3km。
そのあといつもの5kmコース。
今日は時計を見ずゆっくり走ることにした。キロ6分ペースで走る練習。いつの日か、マラソンのペースランナーの依頼がある日のために。
ゴールして時計を見ると、31分32秒。あー、ゆっくり走りすぎたか。むずかしいもんやね。
1kmスロージョグをプラスして、今日は7.3km。
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2012年12月22日(土)
真樹のおでん [家族]
今日はバイトさんが休みのため、ますみさんは7時過ぎまで家に帰れない。それからばんごはんの用意は大変なので、真樹の登場でおでんづくり。
ちょっとゆでたまごを失敗してしまったけど、それ以外はバッチリ。味がよくしゅんでいるよう。私も大根投入だけお手伝い。
7時半ごろ疲れて帰ってきたヨメさんの評。
「なかなかいけてるやん!」
まきー、来年一人暮らしになっても、しっかりご飯を作って食べてくれよー。
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【RUN】
今日はお昼前にいつもの5kmコース。
行き12分42秒、帰りももピッタシ12分42秒で25分25秒。
明日はレースなのでこれでおしまい。
明日は自分のレースより、全国高校駅伝の沖縄代表・北山高校の応援だー!!!
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2012年12月19日(水)
91歳の誕生会 [家族]
毎年恒例、私の父の誕生会。
父は、1921年(大正10年)12月5日生まれ。
いつもはその日に近い日にしていたのだが、今年はいろいろと事情があり2週間遅れになってしまった。今日はいなかに雪が降り、こちらに出てくるのも大変だったみたいだ。
ケーキに絵を描いてくれたのは真樹。真樹はセンスいい。
おじいさんも喜ぶにちがいない。
会場は、これも恒例の「東華菜館洛北店」。
メンバーも毎年同じ。父と私の姉夫婦に我が家の4人。
恒例、ますみ社長のあいさつ。
「おじいさんが戦争から命がけで帰ってきてくれたおかげで、廉や真樹が今こうしてここにいます。二人にはこの先まだまだ大変なことが待ち受けていると思うので、おじいさんにしっかり見守ってもらいたいと思っています。こうじさんもこの調子やし・・・。」
「なんちゅうことゆうねん! そんなたよりないちゅうことかー!」
私の突っ込みも無視されたが、いいあいさつだった。
冬になり雪が降って外に出にくくなったため、父が運動不足で動きにくいと言っていた。しかし、今日は元気そうに見えた。
帰りは廉が運転してくれるので、私もヨメさんも気にせず飲める。ヨメさんは今年も恵藤さん(義兄)と、紹興酒をちびりちびりと飲んでいた。
燦然と輝く「91」。
真樹の絵も喜んでもらえた。
「お誕生日おめでとう!」の記念撮影。
いつもたくさんのローソクの火を消すのが大変なので、ことしは「91」だけ。
最後に父のお礼のあいさつ。
私が何度も繰り返し「誕生会はヨメさんのおかげ」と言っているので、ちゃんと眞寿美さんに向かって言っているように見えた。言葉づかいもていねいです。
帰る前に全員で記念撮影。
私は生ビール3杯でまっかっか。
また来年。そして、その先も・・・。
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2012年12月14日(金)
今日は何の日? [家族]
早朝バイトから帰ると、家にはきくだけ。
真樹とヨメさんは、私がバイト前に地下鉄の駅まで送っていった。明日、大学受験の再チャレンジ。
廉は大学の授業があるようだ。
テーブルの上に伝言。
「12/14 きく さんぽ、ごはん OKです。 れん」
ありゃ、もう一つお手紙が。
真樹から、「パオパオへ」やって。
「誕生日おめでとう」と、受験への意気込みが書いてあった。
ありがとう、そして 「 しっかり!」
推薦入試の1期が残念な結果に終わったとき、人生初めての挫折でその落ち込みようはひどかった。しかし、それをいつまでも引きずらず、冷静に自己分析をして次に備えていた。結果がすべてではない。そういったことを経験しながら、物事の判断がしっかりできる大人になっていく。そんな場に、今自分がいられるだけでも幸せだと思わなくては・・・。
今朝起きたとき、先に起きていたヨメさんが「誕生日、おめでとう」。
まあ、こんなこと何年ぶり(何十年ぶり?)でしょう。
きついスケジュールで大変だと思いますが、真樹のサポートしっかりお願いします。
私の誕生日12月14日は、「四十七士の討ち入りの日」。
と言っても、今の若い人はチンプンカンプンでしょうね。
■四十七士討ち入りの日,忠臣蔵の日
1702(元禄15)年のこの日、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。
1701(元禄14)年3月、江戸城松之廊下で播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩[あさのたくみのかみながのり]が、幕府の礼式を司る高家[こうけ]筆頭の吉良上野介義央[きらこうづけのすけよしなか]に小刀で切りかかるという事件が起った。浅野には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられたが、吉良には一切のお咎めがなく、これが事件の発端となった。
家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、翌年12月14日寅の上刻(現在の暦法では15日午前3時ごろとなるが、当時は日の出の時間に日附が変わっていたので14日となる)、大石内蔵助[おおいしくらのすけ]の率いる47人が、本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入った。2時間の戦いの末、浪士側は一人の死者を出さずに吉良の首を取ることができた。
世論は武士の本懐を遂げた赤穂浪士たちに味方し、幕府は翌年2月4日、一同切腹という処置をとった。
この事件を題材として、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』等100種にも登る作品が作られ、現在まで語り継がれている。
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なんと、「四十七士の討ち入り」は実際は12月15日未明ですか。それも旧暦なので、現在の暦になおすと1月31日。
12月14日は、ほとんど意味なかったですね。
ちなみに、先日亡くなられた中村勘三郎さんと私は同い年。彼は5月生まれなので、57歳と半年ほどの命だった。
私は60歳までは生きたい。そのころには、真樹も大学卒業のめども立っているだろうし・・・。
「あっ、まだ大学決まってへんやん!」
そやそや。明日、しっかりね。
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