パオパオだより

2011年03月01日(火)

サンマルクで誕生日 [家族]

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ソフト効果を使ってぼかしてみました

 パオ 「これからの1年でいろんなことやってしまわなな。」
 ヨメ 「なにをー?」
 パオ 「人だましたり・・・とかさ。」
 廉  「結婚詐欺? 無理、無理。されるほうやったらあるかもね。」
 ヨメ 「はー。(と、深いため息)」

 黙って聞いていた真樹は何を思う・・・。

 久しぶりに家族4人そろっての外食。
 ますみさんの○○歳の誕生祝い。
 かわいい服は、真樹からのプレゼント。似合ってる。
 

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 全部食べ終わって、廉に撮ってもらった1枚。
 来年もまた、こんな食事会ができますように・・・。
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【何を今さら5km20分切りメモ】

 夕方6時半、今日もまたまたいつもの5km。
 26分29秒(13分12秒+13分16秒)。
 1kmジョグプラスで、今日も6km。
 ちょっと練習がマンネリ。ちがうメニューを考えねば・・・。

 ランニングの話ではないんですが・・・。
 今日、うちの黒猫あんも(21歳)が、階段の真ん中あたりから転げ落ちた。今までも1段踏み外すようなことはあったのだが、それは前のめり。今日は背中側に転落して、7段目くらいから一番下まで落ちてしまった。
 そのあとすぐ起き上がって、缶詰やカリカリをバクバク食べていたのでだいじょうぶだとは思うが心配は心配。足腰はかなり弱っているようだ。歳ですからねえ。

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2011年02月25日(金)

ひな・たち [家族]

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 「パオパオー、かわいいし写真撮っとく?」

 うちのひな1号・真樹が私に言った。「かわいい」のは自分のことではなく、ひなあられ。
 今、何とか「伊江島マラソン」に付いてきてもらえないか交渉中。その前にまず旅行資金の工面ですか。

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 「あんもなでんのなんか、10年ぶりくらいやわー。」

 今日もまた、うちのひな2号・あんもが下におりてきた。ヨメさんはこわごわだったが、あんもの背中をなでてみた。
 私が毎日あんもの食事中のすきを見てなでているだけのことはある。ちょこっとカリカリをあげるとなでさせてくれる。でも安心してはいけない。きげんをそこねると、「シャー!」と威嚇。
 あんもとヨメさんのツーショットを撮るのはやめておいた。それであんものきげんをそこねてしまったら、元も子もないし・・・。

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 「ふぇんふぇんふぇんふぇんふぇーん・・・」

 うちのひな3号・きくはよくしゃべる。私にはまったく分からないのだが、ヨメさんはほとんど分かるらしい。
 「オッサンのあほー・・・。はよ、あそばんかい!」とか?
 「オバチャンこわいー・・・。何でもゆうことききます」とか? 

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 「私の写真は載せたらアカン!」

 うちのひな4号・ますみさんは、顔はかわいいのに根性は○○。

 以上。
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【何を今さら5km20分切りメモ】

 夜7時前、いつもの5km。
 腰の具合があまりよくないので、今日もゆっくり目。
 26分58秒(13分18秒+13分39秒)。
 1kmダウンで、合計6km。

 昨日の「篠山ねえ・・・」の続き。
 まっちゃんにその話をしたら、「合流するところまで真剣に走って、そこから折り返しに向かわずにゼッケンはずして走って帰ってきたら」と提案。おー、それもいいかも。それやと30kmくらいに短縮できるんかなあ・・・。

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2011年02月22日(火)

ビューティ・コロシアム 「うちの中で一番のふたえは」 [家族]

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 「うちの中で一番のふたえはパオパオやん」と真樹。
 「なんでえー」と私。
 「パオパオ、ふたえやって。なあ、かあちゃん」と廉。
 「知らんわ! パオパオの顔なんか、見とうもない。ああ、きしょくわる!」とヨメさん。

 「ふたえなんてゆわれたん、はじめてやわー。」
 でも、子どもら二人がそうゆうてくれてるんやから、これからは「うちの中では一番のふたえのパオパオです」って言おう。

 テレビ番組「ビューテイ・コロシアム」を見ていてのうちの家族の会話。
 まあ、最後は「今日のブログの題、『うちの中で一番のふたえは』にしょうっと」という私の言葉で終わり。それだけですけど・・・。

 上の写真は、今日書いた履歴書に貼ったもの。写真自体は、1月12日に免許更新のときに撮ってもらったもの。写りがまあまあだったので、コピーして使わせてもらった。

 「履歴書って?」と不審に思われる方もあるでしょう。
 実は、今日はアルバイトの面接日だったんです。
 「55のオッサンが、アルバイト?」
 さらに不審に思われる方もあるでしょう。しかし、話せば長くなるのでそこらは省略。

 面接に来ていたのは3人。その中では、私が一番よく働きそうに見えたんですけどねえ・・・。採用されへんかったらショックやなあ。
 でも、3人の中で私が一番あやしそうでもありました。ヘラヘラしてて・・・。ひっひっひー。

 ついでに、私のしょうもない学歴と職歴も披露しときましょう。

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 「家事手伝いじゃなくて、家業手伝いやろう」とヨメさんに叱られたけど、書き直すのんめんどくさいしそのまま。
 それにしても、字がきたなくなってしもた。前は父親譲りのしっかりした字を書いてたのに・・・。
 「おとちゃん、泣くで。」
 「もう、とっくに泣いとる。」
 「失礼しました!」
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【何を今さら5km20分切りメモ】

 今日は400mダッシュ。

 うちの近くの新しい道を車で測ってみた。地球研前から頼光橋がちょうど400m。ゆるやかな下りなので、ダッシュの練習には最適。

 1kmジョグのあと、(下り400mダッシュ+上り400mジョグ)×5本。
 82秒、85秒、83秒、83秒、82秒。

 これではあかんな。
 廉の5000mは今16分10秒。これは、400mを78秒弱のペース。ということは、廉の5000mにトラック1周も付いて行けんちゅうことかーい! ああ、なさけなや。とりあえず400mダッシュの当面の目標は、この78秒やね。

 1kmダウンジョグをしている時、左のおケツがしみしみと痛い。家に帰って廉に報告。
 「400mダッシュをアスファルトでやるときついな。おケツがいとうていとうて・・・。」
 「そやろ、それ、『ケツわれる』ゆうねん。」
 「そっかー。でもな、これからがんばって体重減らしてな、62kgになったらソーテイもらうねん。」
 「ソーティ? 足にはあんまりようないんちゃうか。」
 「いやいや、ソーティはけるようになって、そこからさらに上をめざす・・・。」

 次々と自分勝手な目標を設定して楽しんでいる私を見て、あきれている廉でした。

 今日は合計6km。
 フロ上りは、「みず!」

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今日はなぜかよくないたあんも

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2011年01月11日(火)

おかちゃんの思い出 [家族]

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 後列右から3人目が母、その隣りが父。
 前列右端が姉(長女)みき江、その隣りが私、一人飛ばして兄優三、姉(次女)多鶴子。

 私が2歳だとすると、父36歳、母32歳、みき江姉10歳、兄9歳、多鶴子姉6歳。

 うちの家だけなのかうちのいなか全体がそうなのかわからないが、母親のことを「おかちゃん」と呼ぶ。(ここは「か」にアクセントをつける。サッカー監督の<お>かちゃんではない。)
 うちのおかちゃんが死んで、今日でちょうど20年。命日は1月11日という1が3つ並ぶ日で覚えやすい。

 私の母・俊子は、1925年(大正14年)北区小野郷生まれ。18歳で小学校教師になり、左京区久多小学校に赴任。そのあと、左京区別所小学校に転任。
 そこで中国から帰国した藤井善一(私の父)と知り合い結婚、退職(22歳)。その後は、畑仕事山仕事をしながら4人の子を育て上げる。

 母が亡くなったのは、1991年1月11日の早朝。そのとき65歳。胃がんだった。

 おかちゃんの一番の思い出と言えば、「こうじ! こっちおいで・・・、バシン!」やね。この「バシン!」はほっぺたをしばかれる音。あのこわさは、今も忘れられん。ほっぺた、痛かったなあ。
 でも、おとちゃん(父)のことを聞かれても、やっぱり怒られてこわかったことになるのでいっしょか。要するに、私は末っ子やから甘やかされてゆうこと聞かん子やっただけのことか。

 「マザコン」という言葉がある。私はまぎれもなくマザコンですなあ。ただし、「コンプレックス」本来の意味「複雑なもの」という意味で。「マザコン」というのは母に対する劣等感ではなく、母に対する複雑な感情というのが本来の意味のはず。
 単純より複雑のほうが、なんか賢そうでいいですやん。ああ、「マザー」なんてとんでもないから「おかコン(おかちゃんコンプレックス)」と言ったほうがいいかも。

 母が亡くなったのが、1991年1月。小学校教師の退職願いを出したのがその少しあと。辞めようと思った理由はしっかりとあったのだが、辞めたら一番怒るであろう母が亡くなったのも大きかった。
 当時私は35歳だったのだが、そんな歳にもなって母の落胆を恐れていたのだから、やっぱりマザコン。
 ただ、私が教員採用試験に合格した時一番喜んでくれたのも母だった。母は、少しの間でも小学校教師をしていた自分のあと継ぎのように思ってくれていたんでしょう。

 もし、母が天国から今の私を見ることができたらきっとこうです。
 「こうじ! こっちおいで・・・、バシン!」

 ウェーン・・・。
  

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2011年01月07日(金)

とよぞのおっさん・続き [家族]

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今朝の二軒茶屋公園前

 胸のあたりに花を置き、豊三叔父さんの顔をのぞきこんだ瞬間涙がこみ上げてきた。
 「あかん、あかん、ちがう、ちがう。」
 叔父さんの奥さんと4人の子どもたち(娘3人、息子1人)がまだこらえているのに、甥である私ごときが先に泣いてどうする。そうは思ったが、もう耐え切れなかった。一歩二歩後ずさりして、人の影に入って泣かせてもらった。(ハンカチを持ってきていてよかった。)

 20年前私の母が亡くなったとき、もっともっと話をしておけばよかったと後悔した。今度またまったく同じ後悔を・・・。
 上品で物知りで、それでいていつも謙虚だった「とよぞのおっさん」。きっと、私のような者でも話を聞きに行けば喜んでくださっただろうに・・・。

 ◇ ◇ ◇

 今日もまた、雪。いなかから出てきたうちの本家のおじさんは、「一晩で40cm積もった」と言ってはった。
 うちのあたりも2、3cmの積雪。しかし、葬儀場のある円町あたりはまったく積もっていなかった。

 私は、昨日に引き続き立礼役。
 昨日は、100円ショップの数珠とただ黒いだけの690円のドタ靴がばれないかとハラハラしていた。まあそれも2日目となるとちょっと余裕。
 滞りなく式は進行し、あとは出棺を残すのみとなった。私はお山(火葬場)には行かないので、今日のお役目はこれにておしまいという感じだった。

 ◇ ◇ ◇

 昨日は、いろいろなことを考えた。
 家から円町まで一人で運転してきたのだが、その間ずっと豊三叔父さんの上品な語り口を思い出していた。自分が話されるだけでなく、人の話を聞くのもすごくうまい。人に自分の考えを押し付けたり、怒鳴ったり怒ったりしているのも見たことがない。
 それは、退職されるまで長年ハイヤーやタクシーの仕事をされていたのと関係あるのかもしれない。いや逆か。そういう性格だったからこそ、その仕事が長く続けられたのかもしれない。

 ◇ ◇ ◇

 豊三叔父さんに関する間接的なエピソード。

 今から32年前、私の教師1年目のこと。そのとき担任していたクラスは、子ども一人だけ。学芸会の劇を一人ではやりようがないので、私もかつらをかぶり武士の役で出演した。
 その学校はうちのいなかの隣りだったので、私の両親も見にきていた。そして、私の武士の姿を見た母がびっくりぎょうてん。「とよぞのおっさんに、そっくり!」本当に目を丸くして言っていた。
 私は自分ではそんなに似ているという意識はなかったのだが、かっこいいと思っていた「とよぞのおっさん」にそっくりと言われていい気分だった。
 
 この話、「とよぞのおっさん」本人にはしてへんかったなあ。残念!

 ◇ ◇ ◇

 私の兄は、中学校の3年間、豊三叔父さんの家にお世話になりその地域の中学校に通わせてもらった。(いわゆる里親里子の関係です。)どういういきさつでそうなったのかは知らないが、当時はそういうこともめずらしくはなかったようだ。
 兄は「とよぞのおっさん」のことをどう思っていたのだろう。自分の甥を預かった豊三叔父さんは、私の兄のことをどう思っていたのだろう。私には想像もつかない。

 ◇ ◇ ◇

 昨日お通夜が終わったあと、食事の準備ができるまで少し間があった。
 そのとき、私は飾られている叔父さんの写真を一人で見続けていた。遺影が何かを語りかけてくるということはない。こちらが一方的に話しかけるだけだ。

 しかし、ずっと見続けていると写真の表情が変る錯覚に陥る。まわりを飾る花やろうそくも動き出すような・・・。

 「とよぞのおっさん」は私のことを「こうじ」と呼んではったっけ? 
 いやいや、「こうじ君」と君付けで呼んではったように思う。
 最後に会ったのは2年前のお墓参り。若いときに毎日あの道を通って山仕事に行かれた話をしてくれはりましたよね。そのときは、「こうじ君」とは呼んでくれはらへんかったけど・・・。

 ◇ ◇ ◇

 叔父さんにお花を捧げたあと、なかなか涙が止まらなかった。しかし、叔父さんにとってただ一人の孫・Sちゃんが横で大泣きしている姿に気づいてやっと我に返った。

 私の母が亡くなったとき、お通夜でもお葬式でも泣かなかった。なぜかしら現実味がなかった。しかし、亡くなって1週間くらいたってからだろうか、運転中に急に涙があふれ出して運転できなくなってしまった。
 たぶん、叔父さんの奥さんと4人の子どもたちもそれと似たような状態なのかもしれない。本当に悲しいのは、もうちょっとたってから・・・。

 ◇ ◇ ◇

 父は、最後のお別れにと無理してお山までついて行った。
 自分の弟が自分より先に死んでしまうなんて・・・。

 何年か前から、父は「出かけるというと、葬式ばっかり」と嘆いていた。ましてや、自分に最も近い肉親を送り出さなくてはならないとは・・・。

 出棺の前、父も何度も何度も涙をぬぐっていた。
 もしかしたら、その輪の中で一番泣いていたのは私の父だったかもしれない。

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2011年01月06日(木)

とよぞのおっさん [家族]

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うちの家紋「角立て井筒に剣かたばみ」

 今日は、豊三叔父さんのお通夜だった。
 豊三叔父さんは私の父の弟。父の4歳下なので85歳だった。

 昨日、いなかの倉庫の前の雪かきをしている時、兄から電話があった。
 「とよぞのおっさんが、1月3日に亡くならはったんやわ。」
 「えー!」
 前から具合はよくないとは聞いていたが、まさか・・・。

 小さいときから「豊三叔父さん」とは呼んだことはない。ずうっと、「とよぞのおっさん」。
 私の父は、(息子の私が言うのも変かもしれないが)とても山奥の農家の長男とは思えない気品がある。そして、次男・豊三さんはそれにさらに輪をかけたような上品さがあった。そして、すごく物知りでもあった。(ついでに言うと、男前でかっこよかった。)父も叔父さんも高等小学校しか出ていないはずだが、人間の品格と学歴とは関係ないといういい見本だ。

 豊三叔父さんについては、若いころ東京で働いていたこと、そこで知り合った人と結婚したことくらいしか知らなかった。お母さんが関東の人なので、4人の子どもはみんな京都弁と関東弁のチャンポンだ。

 その叔父さんが、戦時中満蒙開拓団に入っており戦後シベリアに抑留されていたというのを知ったのは去年。もうそのときは、叔父さんとは話ができない状態になっていた。
 「シベリア抑留」の補償が話題になっていた時、自分にはまったく関係のない話だと思っていた。こんな身近にその対象者がいたというのに・・・。
 戦争体験の話は、やはり自分と少しでも関係のある人から聞いたほうが心に残る。その体験を話せる人がどんどん少なくなっている。
 今日、父と豊三叔父さんのいとこ「ひろしのおっさん」とちょっと話ができた。ひろしのおっさんは豊三さんの1つ下の84歳。
 「おっさんは戦争中どうしてはったんですか」と聞くと、「東京の海軍兵舎で働いとった」とのこと。そのあと時間がなくて話が広がらなかったが、まだまだ元気そうなのでまた話を聞きに行こう。

 ◇ ◇ ◇

 今まで、お通夜といえばお焼香だけして帰るというものだった。でも、今日はちがう。喪主が豊三さんの息子で、男兄弟はなし。いとこで男は私と兄だけなので、兄が受付、私が立礼役をすることになった。
 喪主の横に立って、お焼香に来ていただいた人に礼をする役目だった。初めてのことなので緊張したが、半分近くは知り合いだったので心配することもなかった。
 それよりビビったのは、お焼香。なんと、私は喪主の次。
 「えっ、私はナンバー2あつかい?」

 お焼香のあと、ご住職様から「通夜 お別れ説教」があった。戒名についての説明、叔父さんの経歴、残された者の心の持ち方などについて話してくださった。これは本当によかった。みなさんもそうおっしゃっていた。
 「今のうちにボクが死んだ時の分の原稿書いとこう。ええことばっかり書いて、お坊さんにゆうてもらおう。」・・・ややヒンシュク。

 ◇ ◇ ◇

 叔父さんの長女は私と同い年。
 小さいときは同い年ということで、ちょっとライバル心もあった。私も当時はいなかでは「かしこ」でとおっていた。でも、豊三叔父さんの長女も「かしこ」という評判だった。そして対面して思った。都会のかしこはいなかのかしこの3倍くらい賢そう。
 「負けましたー。」

 私の祖母のお葬式に会って以来なので、たぶん43年ぶり。弟や妹たちはさっぱり見分けられなかったが、長女・Rちゃんの賢そうな風貌に変りはなかった。
 「お久しぶり、元気にしてる?」
 「うーん、元気というかなんというか・・・。こうちゃん、顔変ったね。」
 「そうか? 若く見えるってことかな・・・。」

 「お通夜の席で、遺族に何ゆうとんねん」って感じでした。(あとで思ったんやけど、「顔かわったね」はボクがアホっぽくなったっていう意味やったんかなあ。)

 とよぞのおっさん、こんなお気楽な甥ですが、天国からあたたかく見守ってくださいね。

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