2017年12月28日(木)
斉藤由貴様 [私の好きな人]
◎週刊朝日8月3日
斉藤由貴 3度目の“不倫”会見の貫禄 ノホホン釈明で夫はショック倍増?
女優・斉藤由貴(50)が3日夜、週刊文春の“ダブル不倫”報道を受けて会見を開いた。妻子ある男性医師とのて映画館デートや直後の手繋ぎ、別宅で二人っきりで頻繁に会っているところを激写、大々的に報道されていた。
斉藤は男性医師とは家族ぐるみの付き合いで、男女の関係は無いと答えたものの、男性医師に対する好意は否定せず、なんとも煮え切らない内容に終始。斉藤の夫が会見を見てたら、複雑な気分になったのは間違いない。
1994年に一般男性と結婚した斉藤は三児の母だ。しかし、過去には歌手の故・尾崎豊、タレント・川崎麻世と既婚者と不倫をし、その都度、釈明会見を開いていた。
斉藤の会見は、ドラマの収録が延びた影響で、15分遅れで始まった。急いで会見会場に来たからなのか、髪が乱れたままだった。
女性レポーターたちから、なぜ手を繋いだのか、なぜ男性と二人っきりで映画を観に言ったのか、好意はあったのか、と厳しい質問を浴びた。
しばらく沈黙したのち、「やっぱり好意があるから手を出されて握ったんでしょうね。そういうところが甘いんでしょうね」と夫が聞いたらショックを受けそうな返答をした。
別宅のマンションについて、文春の報道では夫は「知らなかった」などと答えていたが、そのことについてはこう語った。
「私が夫に何を聞かれても『知らない』と答えてほしいと伝えていた。マンションのことは伝えていなかった。仕事に集中する環境が欲しくて、借りた。夫はなんとなく知っていたのでは……」
夫が存在を知らない別宅で、週4回も会っていたとなると、夫はやるせない気持ちだろう。
3度目の“不倫会見”についてどう思うか問われると、再び長い沈黙をした後、独特のノホホンとしたトーンで返答した。
「気の利いたコメントをすればよいんでしょうけど、思いつかないです…」
ドラマ収録の関係があったにせよ、斉藤は前日、自宅に戻らなかったこともあり、夫とはまだ直接この件で話し合ってないという。
「あーっと思って、当然責められてしかるべきなんで、怖くて言えない。でも、主人も聞いてこない。今日は『会見やるの?』とは聞かれました……」
記者会見の前に、夫にちゃんと釈明すべきだったのでは。(本誌・大塚淳史)
※週刊朝日 オンライン限定記事
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なにをいまさら、斉藤由貴?
8月3日ということは、もう4か月も前のこと。
斉藤由貴ファンの私も、もうすっかり忘れていた。しかし、今日は久しぶりの木曜勤務。以前は木曜勤務だったので、帰りに車のラジオで「オールナイトニッポン・ミュージック10」の木曜担当・斉藤由貴の声を聴くのが楽しみだった。
一番よかったのは、ニュースと天気予報担当の男性との掛け合い。このコーナーのファンは多かったと思う。
今日は久々の木曜、しかしもちろん斉藤由貴は降板している。どうも木曜はぐちゃぐちゃになっているようで、今日は知らない女性がパーソナリティーを務めておられた。全然おもしろくなかった。
惜しい人を・・・。いや、別に死んだわけじゃないし。
私が斉藤由貴ファンと言ったら、本当の斉藤由貴ファンは怒るでしょうね。「そんなヘンタイじゃーねーし」ってね。
高校時代、「天地真理か南沙織か」(ふるー)という話題の時、「やっぱり藤圭子やねえ」と一人納得していたヘンタイですから。
中学校の卒業記念制作でトーテンポールを作っとたき、それらしいいかついポールの中に雪女みたいな変なポールがあった。それが私の卒業記念制作、「藤圭子トーテンポール」でした。あー、ヘンタイ!
元に戻って、斉藤由貴。
私の一回り下ですか(実際は11歳下)。この事件当時は50とは言え、デビュー当時(18歳?)は文句なしにあやしかわいかったなあ。
えっ、でもその時、私29歳ですか。結婚した歳ですやん。
やっぱり、斉藤由貴よりますみさんのほうがずっとずっとかわいかったです。
以上!
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2017年12月25日(月)
くさかべやんけー [私の好きな人]
「ふじい・・・。」
「えっ、くさかべやんけー・・・。」
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今日は寮2(出町)24時間。
こちらはいつもは金曜なのだが、年末ということで今日に変更。
そこに現れし、同年代の男性。
向こうから気づいてくれた、「ふじい・・・」と。
私もすぐに分かった。
高2の時のクラスメイト。
昼休みにはいつも、テニスボールを使って野球をしていた。
その時「グッパ」で一応組み分けをする。しかし、それは全く意味のない「グッパ」。なぜかというと、「グー」は必ず負ける私ら負け組、「パー」はどんな手を使ってでも勝ちたい勝ち組。「グッパ」出す前から、メンバー固定してますねん。
あの高校時代の「お昼休み野球」は、「ノン・エリート」対「勘違いエリート」の戦いであったのかも・・・。
もちろん私は「グー」、くさかべ君も「グー」。「グ―組」は、どんな手を使ってでも勝ちたいなんて絶対に思わない穏やかな集団です。ヤクルトの14連敗なんてかわいいもんで、我が「グ―組」の連敗は100は超えていた。
一度だけ、なんかのまちがいで「グ―組」が勝ちかけたとき、もう始業のチャイムが鳴っているのに「パ―組」が無理やり延長を強要。「そんなにまでして勝ちたいんかい」と心に思いながらも付き合ってあげましたわな。「グ―組」の仲間の心は広い。「ほれほれ、点とらしたげましょ・・・。」
あー、あの時の「グ―組」の仲間に44年ぶりに会えるなんて!
私の勤務日が変更になっててよかった。
ほんま、幸せもんじゃー。
(また、神さんが私を励ます使者を送った?)
でも、肝心の「グッパ野球」の話すんのん忘れてた。
まあ名刺ももらったし、また大好きだったくさかべ君としゃべれるね。
寮の写真は撮ったらあかんので、外で撮らせてもらった。
いつも、なぜかはにかんでしゃべっていたくさかべ君。ちょっとしゃべっただけやけど、そのしぐさや様子は今もいっしょやった。
私も顔が全然変わってへんかったから、すぐ分かったんやって。名前も名のってへんかったのに。
うれしい、うれしい。
こんなこともあるんやねー。
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2017年12月21日(木)
ごほうび [私の好きな人]
「由美さんがお祝い持ってきてくれはったでー。けんかしたらあかんし、2人分別々やて―」とヨメさん。
「いやー、うれし。でも、なんでけんかせんならんのん?」
いつも私のことを気遣ってくださっている、かもなす由美さん。ふだんあまりパソコンを見ることはないとおっしゃっていたのに、またまたタイムリーに見てくださったんですね。本当にありがとうございます。
すっかり忘れていましたが、6年前に黒猫・あんもちゃんが死んじゃった時も慰めに来てくださいました。かもなす由美さんは、私のことを一番心配してくださっている方かもしれません。
さっそく、お礼のショートメール。
ーーーキャロットの藤井です。5時にお迎えで店に行くと、由美さんからのごほうびが届いていました。ありがとうございます。由美さんのために、生きる!ーーー
今日は、年内最後の三線教室。
今回で丸半年、12回。受付の方が、「だいぶ上達されたでしょう」と声をかけてくださった。「いや、歳取ってるのであきません。」
生徒は、前からおられる女性が2名と7月に私と同時入会した女性が2名。その同時入会したうちのお一人が、かもなす由美さんに感じが似ているTさん。
「孫の世話が大変で、全然練習できてへんねん」というのが口癖になっている。
私は孫の世話はないのだが、全然練習できていないのは同じ。二人で呆然としている時間が多い。それでも、「しっかり弾けるようになるようにがんばりましょうね」と励ましあっている。
父の誕生祝に「十九の春」を弾いて、みんなに歌ってもらった話も聞いていただいた。私にはお姉さん的な存在であり、たいへんありがたい。
「上達のスピードは遅くとも、あきらめずに続けていきましょうね。」
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【RUN】
「沖縄100K」以後、中三日あいて初のRUN。
ゆっくりゆっくり、いつもの十王堂橋往復5km。32分34秒。
ここからまた速く走れるようになるのだろうか。
次の目標は、1月21日「名護ハーフ」を1時間34分台で年代別優勝!
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【今日のきく】
今日は長めのお散歩。
きくは、あちこちにおいだりしてなかなか歩かなかった。まあ、たまにはわがままも聞いたらんなんな。
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2017年04月10日(月)
ことちゃん [私の好きな人]
「こうちゃん?」
「えっ、ことちゃん。こんなとこで・・・。」
神さん、いますね。いや、仏さんか。
昨日の京都駅からの帰り、関空リムジンバスが少し早く着き、思っていたより1本早い地下鉄に乗れた。電車が到着した時、なぜか並んでいたところをずれて、一つ前の車両に乗り込んだ。
座席はすぐに埋まり、仕方なく出入り口付近に立っていた。
そこに、つかつかと近寄る女性あり。
ありゃ、なんか悪いことしたんか知らんと思った瞬間、・・・「こうちゃん?」
ことちゃんは、私の小中時代の同級生。あっ、もちろん保育園も。
幼なじみで会いたい人と言えば、もちろん「ことちゃん」。なんてったって、ことちゃんは私の初恋の人やから。
ことちゃんはふだん車で行動しているのに、なぜか今日は地下鉄。それも滋賀県人やから、京都にそうしょっちゅう来ているわけではない。
「奇遇ですなあ。」
いや、やっぱり神さんか仏さんが私に使者を送ってくれてはんにゃわ。刺客の反対ね。なんちゅうにゃろ。(「刺客の反意語」で検索しても出てこんかった。)
京都駅から鞍馬口駅までの10数分。いっぱいいっぱいしゃべったわ。また、どうしても病気の話になってしもたけど。
ことちゃんのダンナさん、3年前に亡くならはったんやて。59歳の若さで。知らんかった。
今は、胃がんや肺がんなどポピュラーな病気ではすぐには死なん。ことちゃんのダンナさんも、めずらしい病気やったみたい。
「ボクもめずらしい病気やし、ヒビッてんねん。」
ことちゃん自身も、ダンナさんの亡くなられた直後に入院手術。みんなみんな大変やわ。
「ことちゃん、ボクのブログにな、初恋の人はことちゃんて書いてるし。もうかわいいてかわいいて。」
「なんでやな。ゆうこちゃんのほうがかわいかったやろな。」
「いやいや、もう絶対にことちゃん。うちのヨメさんにもゆうてあるし。前にことちゃんの写真見てな、『別所出身にしてはシューとしてはるやん』ゆうて感心しとったし。」
「またー、うまいことゆうて。」
「ほんまやて。」
名残惜しい鞍馬口駅。
ことちゃんは降り際に振り返り、「だいじょうぶやって」とにっこり。
ほんまかなー、ほんまにだいじょうぶなんかなー。
こんなにいいことばっかり続くと、かえってこわいわー。
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2017年01月09日(月)
山下けいきさんの応援 [私の好きな人]
1月15日告示、22日投票で茨木市議選が行われる。
私が所属する「ランナーズ9の会」の仲間、山下けいきさんが引き続き立候補される。
メールでお知らせがあり、お手紙もいただき、先日は直接お電話もいただいた。政治には全くの素人の私なのに、こうして頼りにしてくださると放っておくわけにはいかない。
本来は1月15日の告示日に「走って出陣」と言うのがあるので、それに参加したかった。しかしその日は京都走ろう会の例会があるし、午後には都道府県対抗女子駅伝もあるし。
今日は9日。毎月私が「9の日平和ラン」をする日。
「そうや、今日行こう!」
ちょうどよかった。自前の「平和・憲法九条」ののぼりをもって、茨木市内を練り歩きましょう。
私は今まで特定の候補を応援したことはほとんどない。
例外は3人だけ。
一人は、2010年4月の京都府知事選挙に立候補された門祐輔さん。理由は単純、憲法をまもるウルトラランナーだったから。
二人目は、2011年1月の長岡京市長選挙に立候補された小原明大さん。理由は単純、綾部の「カフェ・じょんのび」の息子さんで、憲法をまもる候補者だったから。
そして、2012年4月の茨木市長選に立候補された山下けいきさん。理由は単純、「ランナーズ9の会」の仲間であり、憲法をまもる候補者だったから。
6、7年前は、私もけっこういろんなところに首を突っ込んでいたんですね。
今回の山下けいきさんの応援は、約5年ぶりの選挙応援カムバック(?)
事務所に応援に来られていたメンバーは、いかにも常連さんという感じの方が多かった。
「私は若造で何も分かりませんので・・・」とあいさつしようと思ったが、見かけだけは十分ベテラン系なので大きな顔をして待機させていただいた。
午後1時半から「大宣伝行動」。
と言われても何をしていいか分からなかったが、3グループに分かれ、2組は練り歩き、1組は自転車でアピール。
事務所を出たときは10数名で、途中から6・6くらいに分かれた。
私は、練り歩き隊の東方面担当グループに入れてもらった。
先頭の方が山下さんの政策を吹き込んだテープを流され、その後ろをのぼりを持った者や、政策ビラを配る者が続く。
山下けいきさんの議会報告ビラの表紙には、「チェックから改革へ」へのキャッチフレーズ。
1.維新前市長と対決してゴミ委託改革
2.市議選ポスター水増し請求疑惑追及
3.くらしの110番 障がい者支援からトイレ様式化まで
「社会の主人公は、カジノ賭博や水道民営化出で組む自民、維新ではなく、私たちです」
テープの内容もだいたい上記と同じような感じ。
私は裏表紙に書かれていた「平和憲法が私の原点です」を入れてほしかったんですけど・・・。市議選の争点にはふさわしくないんでしょうね。
今日は成人の日なので、あちこちで晴れ姿の若者を見た。
こんないい日にアピールウォークができてよかった。
時折雨がパラついたが、昨日の大雨に比べるとかわいいもんだった。
ウインドウにうつった私の姿をパチリ。
一人毛並みの変わったんが混じってますけど、今はやりの「多様性」と言うことで・・・。本人けっこう楽しく歩いています。
今日は祝日だったので、商店街もお客様が多かった。
茨城戎神社前も通過。
カードマンさんが立っておられると、「私も早う復帰せな」と焦ってしまう。
すごくかわいい地蔵さん発見。
もちろん、みんなの幸せを願っておきました。
「あっ、山下さん当選のお願いすんのん忘れたー。」
阪急・茨木市駅前を通り事務所へ。
1回目のアピールウォークは約3.6km、1時間10分ほど。かなりゆっくり歩いたことになる。
事務所で休けい。
戻ってこられたみなさんがいろいろなお話をされていた。
「茨木はどちらかとうといなかになるんですかねえ。」
「・・・。(みなさんどういう意味か計り知れず、返答なし。)」
「いや、ビラを配っていても抵抗なしに受け取ってくださる方が多くて。都会の真ん中なら、ほとんど無視されるでしょう。『ごくろうさん』と言ってくださる方も多くて・・・。」
「確かにいなかのいいところも残ってますが、それよりも山下さんの日ごろの活動をよーく見ている方が多いんだと思いますよ。」
「成人式の振袖の袖が変になっている子がいてねえ、呼び止めてきちんとなるようになおしたけげたわ。これから式に行くみたいやったんで、ビラは邪魔になるし、よう渡さんかった。もうちょっとせんでんしたらよかったなあ・・・。」
「雨がパラパラ来た時に、小さな子とお母さんが上を見上げてはって、なにやろうと思って見上げたらきれいな虹。山下さんの虹色ののぼりとピッタリシンクロしてよかったわー。」
(◎毎日新聞 2012年4月2日より
◇茨木市長選・山下慶喜候補
山下氏は平和と個人の多様性を尊重する公約「レインボープロジェクト」を掲げ、教育現場への競争原理の導入に反対した。東日本大震災への対応では「市民の生命を守る立場から、放射能に汚染されたがれきを持ってこない」と約束した。)
みなさん、いろいろと楽しんでおられる。私はそのきれいな虹に気付かず、残念!
3時20分すぎに、2回目のアピールウォーク。
用事のある方もあり、残ったメンバーでもう一度。
「今日は1万歩行けたから満足! 何グラム体重へったかなー」と言いながら帰って行かれた女性もあり。楽しんでますねー。そうでないと、続きませんよねー。
2回目は、東コースをショートカットして約2.9km、43分ほど。
2回行くだけの人たちだけあって、1回目よりスピードアップ。
2回合わせて約6.5kmウォーク。
私は個人的には、前日の雨中のハーフレースのダメージ回復に役立った。
知らない町を一人でアピールウォークとなると心細いが、5、6人もおれば心強い。これがウオークじゃなくてランだともっとうれしいんですが、人混みを走るのはムリですね。
それはまたの機会に。
私はこれでもう応援には来れないと思いますが、山下さんしっかり!
まあ大阪ふうに言わせてもらえば、「バチもんに負けるな!」ちゅうとこですか。山下さんが今まで取り組んでこられたことを多くの方に訴えて行けば、絶対にだいじょうぶ。
せめて投票率が50パーセントを超えてほしいところですね(前回41.79、前々回45.23)。
駅までの帰り道に、沖縄料理「しーさ」さん。
沖縄の方がやっておられるんでしょうか。
また、沖縄にいる真樹のことを思い出した。
「京都に帰ってこんかなあ・・・。」
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2017年01月04日(水)
「遠くの存在に感じない」 [私の好きな人]
今日は、寮の管理代行の2017年の初仕事。寮1(二条)17時間。
この時期、心身ともに変調をきたす者が出てくる。今まで真剣に生きてこなかった私には、そんな若者らにアドバイスできることは何もない。ただ一つだけ言いたいのは「思い詰めないで」ということ。まだまだ先は長いのだから。
今日の休けい時間に、今年来た年賀状の整理をした。
うちには住所が4つあり、それが全部生きているからややこしい。一つは市原の自宅(借家)。次に京産大前の店舗。そして柊野の旧事務所。この3つはみな近所なので、車で回ればすぐ年賀状が回収できる。
問題なのは花背別所町のいなかの家。もうそこを離れて10年になるのだが、いまだにそちらに年賀状が届く。これはなかなか回収に行けない。あて名を印刷している人は、相手の住所が変わっていてもあんまり気にならないようです。
一応前記3か所に1月3日までに届いた年賀状は130枚ほど。出したのが200枚ほどで、いなかに届いている分と今日以降に届く分を合わせれば、かなりの回収率ということになる。ありがたい、ありがたい。
2年前まで「年賀状大賞」というのを選んでいたのだが、けっきょく自分の好きな人から来たものばっかり選んでしまうのでやめた。
でも、今年は秀逸なものが多かった。みなさんひと言コメントを書いてくださっているのだが、今年は私の病気を心配してくださっているコメントが多かった。「パオパオだより」をしっかり読んでくださってるんですね。ありがたい、ありがたい。
その中でも、この人からのひと言は「うっ」と来た。
「ブログ、拝見しています。あまり遠くの存在に感じません。」
やられました。まいりました。
ずいぶん前の「北軽井沢マラソン」で、乳母車に娘さんを乗せて走っておられたみったんさん。その時、娘さんは眠ってしまったようで、手に持っていたアイスキャンディーが溶けていた。それがすごく印象的で、思わず声をかけさせてもらった。
ただそれだけの関係なのに、なぜかいつの間にか私のブログにコメントを入れてくださるという関係になった。
「病気に負けないで」という直接的な応援もうれしいが、「遠くの存在に感じません」という言葉はそれ以上にうれしい。「遠く離れていて、会って話すわけでもないけれど、いつもすぐ近くにいるように感じてますよー」と言われたら、何か胸の奥のほうから熱いものがこみ上げてくる。
ヨメさんに話すとき「みったん」では通じないので、「乳母車の子のアイスキャンディーが溶けていた・・・」というと話が早い。
人間て不思議です。ちょっとした一つの出来事で、そのあとずーっとその人のことを忘れない。私とみったんさんはそういう関係なんでしょうね。
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