パオパオだより

2010年12月01日(水)

「10時40分!10時40分!」ー兵庫・ゆめさき舎にてー [私の好きな人]

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 「MI君、『10時40分!』やってー。今日のブログの題は、『10時40分』に決まり!」

 私がゆめさき舎について、一番喜んでくれたのがこのMI君。なぜかずっときげんがよく、一人ミュージカル状態になっていた。
 その中で、腕をまくって「10時40分! 10時40分!」
 そんなシュールなギャグを、この私が見逃すはずがない。
 「それ、もーらい。それ京都に持ってかえってはやらすわー。10時40分! 10時40分!」

 そのあと間欠泉のように突然「10時40分! 10時40分!」
 その声を聞いた私は、多少離れたところにいても「10時40分! 10時40分!」と返事。
 「MI君、ほかのんもできるで。11時30分! 11時30分!」
 「2時55分! 2時55分!」
 「おっ、やるやんけー。4時50分! 4時50分!」
 「10時40分! 10時40分!」
 「おっ、またもどっとる。10時40分! 10時40分!」

 こうして、パオパオ対MI君の禅問答(?)は果てしなく続くのであった・・・。

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 昨日、ゆめさき舎のまっちゃんこと松本さんに電話。
 「急で申し訳ないんですけど、明日行かせてもらっていいですか。なんかお手伝いできることがあったらさせてください。
 朝早めに出て、JRで姫路駅まで行って、そっから走って行きますわ。姫路駅からゆめさき舎までちょうど20kmくらいみたいです。『平和・憲法九条』ののぼり背負って行きますわー。」

 のぼりを背負って行くのは平和のアピールランをするというより、変なオッサンがのぼりをはためかせてやってきたらゆめさき舎のみんなが喜んでくれるだろうと思ったから。

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 だいたい思い通りの時間に姫路駅に着いた。
 でも、駅前でのぼりを背負う形にセットするのにてこずってしまった。着替えなどを入れてきたバッグも背負わなくてはならないのでよりてこずった。
 駅をスタートしたのは10時15分。
 ここから20kmを2時間20分くらいで行く予定だったので、これでは到着がかなり遅くなってしまう。
 スタートした場所は日陰で寒かったので、上は3枚も着ていた。ほぼ、だるまさん状態。

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 姫路城は修復中のようでよく見えなかった。その代わりに、歩道上に設置されていたしゃちほこの写真を撮っておいた。

 交差点で信号待ちをしている時、向かいの軽バンのおじさんが「がんばってやー。」
 これだけ大きな字で「平和」と書いたのぼりを見まちがえるはずがない。「平和」をアピールして走っている私に向かっての声かけだ。ああ、ありがたいお言葉。がぜんやる気がわいてくる。

 その少し後には、車の助手席で笑顔で拍手をしてくださっている若者とも出合った。声を出しての応援は恥ずかしいけど拍手ならしてあげられる、という気持ちだったんでしょう。ありがとね。これもうれしかった。

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 日なたに出ると汗がふき出してきた。
 美術館前でいったん荷物を降ろして、ウインドブレーカーを脱いだ。これでちょっと動きやすくなった。

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 国道312号と山陽道が交差するところ。
 「うん? ここなんか見覚えあるぞー。」

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 通り過ぎたところで確信した。
 「○○君ちや。」

 表にお母さんがおられた。
 「すいませーん。ここ、○○君のおうちですよね。」
 「はい、そうです。」
 「私、ゆめさき舎の松本さんの友だちです。○○君とも仲良くさせてもらってる者です。これから、ゆめさき舎まで走っていきますねん。」
 「そうなんですか。」
 「お母さん、○○君に『お母さんにおうた』てゆわんならんし、写真撮らせてください。」
 「はい。」

 それにしても1年前に一度通っただけのおうちを、よくおぼえていたものだ。

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 走っている途中に、大きな会社や工場がたくさんあった。上の写真は、「ショーワグローブ」さん。

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 踏み切りを越えたら、ちょうど「カーンカーンカーン」。
 せっかくなんで電車(播但線)の写真も撮っておいた。

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 もう、汗ブルブル。
 上着を脱いで、代わりに「ランナーズ9の会」のランシャツを着る。こんないい天気なら、初めからこのスタイルでよかったかも。

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 またもや「ショーワグローブ」さん。ほんまに大きな会社みたい。

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 さっきとは反対側からまた電車。さっきのとはちがう色の電車だ。

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 横道から出てきたかわいいハスキーちゃん。ハスキーは誰にでもなつくようなので、「雑種専門」を公言している私にはある意味禁じ手。でも、かまいに行ってしまった。
 「やと・オス・2歳半」

 変った名前なので由来を聞いてみたが、「特別な意味はない」とのこと。私的には、「やっと」買うことができたから「やとちゃん」なんかなあと思ったり・・・。

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 そのちょっと先に、かわいい柴犬君。

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 ありゃりゃ、ぎょうさんおる。

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 みゃー、いっぱいいっぱい・・・。
 とよく見てみたら、ブリーダーさんのよう。

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 後ろから「プップップ」とクラクション。
 よく見たら、松本さんのハイエース。何人かを乗せて、ゆめさき舎に帰られるところのようだった。
 ちょっと先回りして、私への応援。
 MI君とSA君と松本さんが車から降りて、「パオパオさーん」と手を振ってくれていた。私一人だけへの応援。なんとぜいたくな!

 ここで荷物を預けさせてもらい、再スタート。たぶん、残り半分(10km)くらい。
 「きばって走りまっさー。待っててねー。」 

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 「ネッスル」の工場を通り過ぎ・・・。

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 紅葉のきれいな小高い山を越え・・・。

 そうそう、この手前の畑で農作業をされている方(40前後の男性)からも応援が。
 「がんばってくださーい。」
 少しはなれたところからだったのに、私ののところまでしっかり届く大きな声の応援だった。本当にありがとうございます。

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 丘の上に見えるのは、香寺町運動公園の体育館。
 松本さんは、ここまで走りにこられることが多いと前に言っておられた。

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 十字路をまっすぐ入ったところから、やや迷走。
 でも、太陽が出ていたのでとりあえず北へ。そこで中国道にぶつかったら左折(西へ)、そうすればゆめさき舎にたどり着けるはず。

 携帯電話で松本さんに連絡をしようと思ったが、携帯は預けた荷物に入れたままやった。肝心なもん持ち忘れとる。

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 工業団地の丘を越え、下っていくと中国道が。
 どうも予定していたルートより東側に出でしまったようだが、ここからは高速に沿っていけばまちがわない。

 ただ、この時点で12時半。
 先にお昼ごはん食べてくれてはったらいいんやけど、きっと心配して待ってくれてはんにゃろね。すいません。

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 福崎町から夢前町へ。
 今は市町村合併で姫路市夢前町になっているので、分かりにくいったらありゃしない。

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 ところどころにため池があったが、ここらも雨が少ない地域なのだろうか。

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 おー、やっと見えた。 
 うん? 看板きれいになったんちゃうん。

 もう、12時50分過ぎてるし。
 「すんませーん、おそなりました」と言って声をかけると、「パオパオさん、パオパオさん、・・・」と首をふりながらMI君が出てきた。
 いっしょに出てこられた女性スタッフさんが、「車と出会いませんでしたか?」
 心配した松本さんが、予定ルートを逆走して探しに行ってくださったそうだ。私はちがう道から来てしまったためにすれちがい。ほんまにほんまにすいません。

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 女性スタッフさんが松本さんに連絡してくださり、戻ってこられた松本さんとやっと再会。なんと、このときちょうど午後1時。みなさん、この時間までお昼ごはんを食べずに待っていてくださっていたのだ。

 のぼりを背負った変なオッちゃんのために、お昼ごはんがおそうなってしもうてごめんね。でもな、「平和」あってこその昼ごはんやから、それに免じて今日はかんにんしてな。(おー、我ながらむちゃくちゃな論理!)

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 私が着替え終わって、やっと昼食。
 ほんまにこんなおそうまで、よう待ってくれたもんや。これ私が逆の立場やったら、絶対に暴れてる。まちがいない!

 「MI君、パオパオさんに歓迎の言葉言おか」と、松本さん。
 「むにゃむにゃむにゃ・・・。」
 「ありがとう。」

 私は私のことを明らかに嫌がっている人以外は、みな歓迎してくれているものと思っている。そういう意味では、私のことをまったく見てくれないあの子やこの子も含めて、ここにいる全員に歓迎してもらっていると思える。
 みんなみんなありがとね。今はしゃべってくれていない子も、これからちょっとずつでもしゃべってな。


(注)まだ、続きます。

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2010年11月26日(金)

supercell [私の好きな人]

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【Wikipediaより】
 supercell(スーパーセル)は、ミュージシャンryoを中心とするクリエイター集団である。音声合成ソフトの「初音ミク」を用いた楽曲およびそのPVなどの関連作品を発表している。
 
 2007年12月7日、ryoが、動画共有サイトのニコニコ動画に「初音ミク」を用いたオリジナル楽曲「メルト」を投稿する。この動画は500万回以上再生される大ヒット作となったが、ryoは動画内で119(ひけし)が描いたイラストを無断で使用していた。それを動画の視聴者から指摘されたryoは、119に謝罪のメールを送ったが、そこで「メルト」を気に入った119と意気投合し、共に活動を始める。これが、supercell結成の発端である。それをきっかけに、119と親交のあるイラストレーターが続々とsupercellに加入し、メジャーデビュー時点で総勢11人のグループとなっている。なお、現在は、119はsupercellを脱退している。

 ニコニコ動画に楽曲を投稿したのは、「ryoがニコニコ動画が好きだったから」「レスポンスが期待できるから」という単純な理由からきており、ボーカルに「初音ミク」を使用しているのも、「当初知り合いに歌い手がいなかったから」「ニコニコ動画で初音ミクが流行っていたから」「『初音ミク』に詳しい友達に薦められたから」というだけで、ryoは「別に初音ミクを使う事ありきではない」と語っている。また、メンバーのほとんどは、「メルト」がブレイクするまで「初音ミク」の存在を知らなかったという。

 シングル 1st 2009年8月12日 君の知らない物語 5位 (週間最高順位)
        2nd 2010年2月10日 さよならメモリーズ 7位        
        ※ 2010年7月14日 こっち向いて Baby/Yellow 9位       
        3rd 2010年8月25日 うたかた花火/星が瞬くこんな夜に 9位  

 アルバム  2009年3月4日 supercell  4位
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【ニコニコ大百科より】
 supercell nagi→supercellのメジャーシングル第1弾『君の知らない物語』よりボーカルを担当している。ただし、彼女はあくまでもsupercellにはゲスト参加しているというスタンスをとっており、正式メンバーでは無い。
 メディアにいっさい露出しないこともあり、ファンはその透き通った歌声から色々と想像を膨らませてしまうが、実はいたって普通の女の子である。

 ニコニコ動画では「ガゼル」という名前で動画を投稿していたが、現在はニコニコ動画での活動は引退している。詳しくは「ガゼル(歌い手)」を参照。

 なお、彼女はニコニコ動画に登場する以前から「やなぎなぎ」という名前でアマチュア活動をしており、当時からその才覚を現していた。
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 ある日の私と廉の会話。
 「廉よ、廉が入れてくれたCD 、なかなかええな。」
 「ああ、『着ラブ』?」
 「でも、だれが歌ってんのか全然分からん。ヒルクライムの『春夏秋冬』とGReeeeNの『キセキ』とAIの『Story』くらいは分かったけど・・・。そや、あの一番最後のヤツ、めっちゃええな。」
 「ええやろ。でもな、あれは別のとこから1曲だけ入れといてん。」
 「えっ、そうなん。特別サービスかいな。」

 珍しく親子の趣味がピッタリあった歌、「さよならメモリーズ」。
 どうもアニメ系の曲らしい。私も50代で「オタク」の仲間入り?

  「めっちゃよかったわー」と言ったら、今まで出ているシングルを全部つなげたCDを作ってくれた。初音ミクのコンピューター合成音は、さすがに聞いていて頭がおかしくなりそう。「チーチーパッパー、チーパッパー。」50代のオッサンには無理。でも、nagiさんのはめっちゃいい。 
 それから1カ月ほど、ほとんど毎日聞いてます。

 「メディアにいっさい露出しない」suopercell。ぼかし入りで「紅白」に出てほしかったなあ。


 さ〜く〜ら〜が さ〜く〜よ〜 
 みなれ〜たいつもの さか〜みちに〜
 あ〜 わか〜れを

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2010年10月13日(水)

「あしたまた、来るん?」のMI君 [私の好きな人]

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 今日、兵庫の「ゆめさき舎」のまっちゃんから電話があった。
 まっちゃんとは、6月6日の「たたらぎダム湖マラソン」以来会っていない。
 昨日、「京都キャロット」へウェアの注文をしてくださり、即発送。「早く届いてビックリしてます」というお礼の電話だった。
 この8月には、「京都キャロット・産大前店」にも来ていただいたそうだ。「ご無沙汰していますが、ブログはきっちり見せてもらってます」とは、うれしいお言葉。

 その要件の前に・・・。
 「藤井さん、ちょっとMI君がしゃべりたいゆってるんですけどいいですか。」
 「はいはい。・・・もしもしー、もしもしー・・・。」
 「パオパオー・・・」
 「藤井さん、もうこれでいいらしいわ。」
 「えー、もうちょっとしゃべってほしかったなあ。」

 MI君と言えば、去年の10月初めて「ゆめさき舎」におじゃまさせてもらったとき、帰り際に「あしたまた、来るん?」と言ってくれた子。あの言葉は、ほんまにうれしかったなあ。そのあと12月にもう1回行ったきり。そんなんやのに、私のことおぼえてくれてるんかなあ。

 「パオパオー」と言えば・・・。
 廉が保育園に入ったころのお昼寝の時、目が覚めて「パオパオー」と叫んだそうだ。(「かあちゃーん」じゃなく。)それを聞いた先生は、「ぞうさんか」と言いながらあやしてくださっていたらしい。
 このエピソードは、廉の結婚式の時にせんならん。

 今日は、10ヶ月ぶりにMI君の声を聞いて、無性に会いたくなった。
 去年2回行った時も、こんな変なオッサンのどこを気に入ってくれたのかよく引っ付いてきてくれた。「パオパオさん、パオパオさん」ゆうて・・・。

 そうや、今度の日曜の「四万十ウルトラ」で、走るのがいやになったら「ゆめさき舎」のお友だちのことを思い浮かべよう。これは絶対、力が湧いてくる。
 「Good idea!」

※去年10月と12月、「ゆめさき舎」におじゃまさせてもらった時の記事は、「パオパオだより」の名作中の名作だと思っています。よろしかったら、見てください。

 「あしたまた、来るん?」(09/10/14)

 「めげるって!」(09/12/03)

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2010年09月28日(火)

ゼファー750さん [私の好きな人]

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2009神奈川反核平和マラソン (09/7/11)

 まず初めに、ゼファー750さんのブログ「田舎に暮らしたい!」の今日の記事、「臓器移植」を読んでください。(渾身の力作と言ってもいいと思います。)

 実は、私はゼファー750さんと会ったのは、去年の7月11日の一回きり。「神奈川反核平和マラソン」のAコース37.2kmを一緒に走らせてもらっただけである。
 あらためて去年のその記事を読み返してみた。若い美人ランナーお二人のことばかり書いてあって、ゼファー750さんがどこにも出てこない。われながら、「なんちゅうやっちゃ」とあきれかえる。

 常に私たちのグループの先頭に立ち、張りのあるよく通る声で「反核平和マラソン実施中でーす。核のない世界を目指して走ってまーす・・・」と元気に訴え続けられている方がおられた。
 私はその姿を後ろから見ながら、「自分もいつかはあんなふうになりたい」と思ったものだ。そのときも、ただ後ろから指をくわえて見ていただけ。

 ゴール地点で、「せっかく遠く京都から参加していただいたのでひと言どうぞ」と言われ、私なりの平和に対する思いを述べさせてもらった。そのあいさつが終わったあとに、つつつーと私に近づいてこられたのがゼファー750さんである。
 私もちょっとしたことですぐ人を好きになってしまうタイプだが、その時のゼファー750さんの笑顔はきっとそれと似たような状態であったのだろう。

 ゼファー750さんは、「ランナーズ9の会」の会員さんである。その時点で、私がゼファー750さんについて知っていたのはそれだけ。お名前も年齢も職業も、何もかも知らなかった。ただお互いにブログを書いていることだけは分かった。

 それ以来、ゼファー750さんは欠かさず私の「パオパオだより」を見てくださっているようだ。それに反して、私はゼファー750さんのブログ「田舎に暮らしたい!」はほとんど見ていなかった。(「お気に入り」にすら入れていなかった。)
 なんと言ってもカテゴリーが、「薬害・医療」「蝶」「音楽」「ジョギング」「バイク」「バンジョー」「グループサウンズ」「日本のフォーク−歌謡曲まで」「アマチュア無線」「イレギュラー」ですよ。私がついていけそうなのは、「ジョギング」と「日本のフォーク−歌謡曲まで」くらいですか。

 でも、私が8月30日に書いた「臓器移植とあんもちゃん」にコメントを入れてもらって以来、新たな展開が生まれてきた。かなり窮地に陥りかけていた私を救ってくれたのは、ほかならぬゼファー750さんだった。
 ゼファー750さんの今までのブログの記事のうち、せめて「薬害・医療」の部分は全部読もうと心に決めたのはこの日から。今ぼちぼちと、むずかしい言葉を調べながら読んでいます。

 今書いているこの記事のカテゴリーは「私の好きな人」ですが、ゼファー750さんに関しては、「じわじわ好きになりつつある人」あるいは「今後まだまだ好きになりそうな人」と言ったほうがいいのかもしれません。

※ちなみに、今も私はぜファー750さんのお名前を知りません。年齢は私と同い年。職業は、文面から判断してお医者さんかなあ・・・。
 あっ、それから、「ゼファー750」とはカワサキのバイクの名前らしい。わたしゃ、最初は医学用語かと思ってましたわ。

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2010年07月07日(水)

中野さんイメージダウン作戦 [私の好きな人]

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 「今度、『中野さんイメージダウン作戦』という題でブログ書きますわー。へへへー。」
 「えー、中野さんに焼きもちやいてんじゃないのー。」
 「サロマ前夜交流会」で同席しておられた高久さんの奥様がそう突っ込んでこられた。

 焼もちとちがうんですよ。
 私は、どの世界でもがんばっておられる人に対して素直に認められないようなところがある。どんなすばらしいことをしておられたとしても、それがいろいろな犠牲の上であったり、その人だけの特殊な状況の上でのみ成り立っているとしたら・・・。それだと、多くの人の共感を呼ぶことはむずかしい。

 中野勇人さんは一般からは関心が薄れてしまった「JR不採用問題」の解決の糸口をさぐろうと、「国会前54日間連続フルマラソン」を決行された。これは、ギネス登録はしておられないが、実質世界記録。
 その46日目、私も1日だけいっしょに走らせてもらおうと思い、前夜、中野さんの携帯に電話した。電話する前は、「ギンギンギラギラの声のでかいオッサンが出たらどうしょう」と思っていた。申し訳ないけど、そういうイメージを持っていた。
 ところが、電話の声の主は常識のある落ち着いた声の方だった。「あれー、普通の人やん。」
 その日の夜、東京行きの夜行バスに乗り国会議事堂前へ。スタート地点には私が先に着き、しばらくすると中野さんが現れた。中野さんは、私とそう体格の変わらないおだやかな人だった。「あれー、普通の人やん。」

 このとき、私は確信した。
 「この『国会前54日間連続フルマラソン』は、中野さんのような一見どこにでもいそうな普通の人がやっているからこそすばらしい。」
 それに加えてこうも思った。
 「ごく普通の人をここまで駆り立てた『JR不採用問題』のことを調べてみたい。」
 それまでほとんど関心のなかった私の関心を引いただけでも、このアピールは成功と言えますよ。

 さて、本題の「中野さんイメージダウン作戦」を。
 ヨメさんと中野さんの話題になると、必ず「家族はどう思ってはんにゃろ」ということになる。これだけは、ご本人に聞かないと分からない。幸い、「サロマ前夜交流会」に、中野さんの次男君が出てきてくれた。私はすかさず隣りの席をゲット! さあ、根掘り葉掘り・・・。

 「お父さん、龍二君の中学生のときから徳島に行ってしまわはったやん。それをどう思っているかなあと思って・・・。」
 「もう7年になるのでいないのが当たり前になって・・・。もう慣れました。いつも家族のことを考えてくれているのは分かるんだけど、一番いてほしかった肝心な時にいなかったから・・・。」
 (うーん、これは評価の分かれるところか・・・。でも、この「一番いてほしかったときに・・・」というのは今後一生言われそう。)

 「龍二君、映画の中で、『お父さんは頭が悪い』って言ってたやん。そのへんは?」
 「悪いと思いますよ。それなのに、ぼくらには『勉強しろ、勉強しろ』ってうるさいんですよ。自分がしなかったくせにね。」
 「えー、中野さん、そんなんゆうん。意外やなー。」
 「それにね、自分の机はぐちゃぐちゃなくせに、『部屋をきれいに整理しろ』とうるさいんですよ。たまに帰ってきたと思ったら、これですから。」
 「えー、中野さん、そんなことも・・・。」
 「あっ、それにね、中野家では腕相撲で一番のものが家で一番えらいということになってたんですよ。それでつい最近ぼくのほうが強くなったら、今度はちがうことで勝負しようとか言い出すんですよ。どう思います。ひどいでしょう。」
 「まあ、そう言わずに。今度はマラソンで勝負しよう。」と中野さん。

 こらあー、何ゆうとんねん、このオッサン。
 「勉強しろ」、「片付けろ」、「勝負は自分の得意分野で」てか? まあ、なんと普通なこと。
 でもそんなごく普通の人をここまで駆り立てたのは・・・。

 中野さんが国労闘争団四国常駐として徳島に行かれてから、「南の国から」というおたよりを出しておられる。(私のこのブログのリンク集「中野勇人さんのページ」から「闘争団のたより」を開き、「南の国から」を見てください。)
 今、私はそのおたよりを最初から読んでいる。もう55号にもなるので、まだ4分の1くらいまでしか読めていない。それでも、中野さんの足跡が少しずつ分かってきてた。もっと早く読めばよかった。

 さあ、私の「中野さんイメージダウン作戦」は成功したでしょうか。(逆効果かな。)

 最後に超貴重なおまけを。
 「サロマ前夜交流会」が終わろうとしているとき、中野さんの次男君に聞いてみた。
 「最後に聞くけど、これだけは人に絶対言えないなあというお父さんの秘密の話してくれへん。」
 「うーん。・・・これ言っていいのかな。
 お父さんが初めてお母さんに出会ったときの・・・。
 『飲みなよ、ベイビー!』と言ってお酒をスーと・・・」
 これは、うけた。

※「南の国から ?8」2004.8.25 (中野さんを訪ねられた奥様の言葉の一部)

 主人も慣れない土地で一人で頑張っていられるのも周りの多くの方々の支え応援があるからだと感じることが出来ました。もちろん本人の努力と人柄もあると思いますが…(妻が言うのもおかしいですが)これからも四国の方々に何かとご迷惑をおかけする事と思いますが、見知らぬ土地で一人で頑張っている主人を勝利解決の日まで支えてほしいと思います。  
 私も少々寂しい日々が続きますが、「亭主元気で留守がいい!」ぐらいの気持ちで納得のいく解決まで頑張りたいと思います。


(注)今日、やっと「サロマ湖100kmウルトラ」の記事を書き上げました。6月27日、28日に戻って見てください。

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2010年06月04日(金)

「人らしく生きよう・パート2・新たな出発」 [私の好きな人]

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 国労闘争団の中野勇人さんが3月4日に送ってきてくださったビデオを、今日やっと見た(ヨメさんと二人で)。3ヶ月見ずにほっておいたことになる。
 「アンタみたいな人間を不誠実なヤツっていうんや。」
 毎度毎度、ヨメさんからのお叱りの言葉。
 「まあ、こんなもんや。」
 中野さんも、この私にそんなに多くのことを望んでおられるはずもない。

 このビデオは、今から6、7年前の国労闘争団の様子を追った内容だった。
 その中でも一番多くの時間を割いて紹介されていたのが、北海道北見から四国徳島常駐となった中野勇人さんの姿だった。ビデオの中の中野さんは、まだ41歳。徳島に移られてまだ半年というころだった。北見に残っている奥様や二人の息子さん(高3と中2)の話される姿もおさめられていた。
 「離婚を考えたこともありました・・・」
 「お父さんはバカだと思う・・・」
 その映像からすでに6年がたっている。

 中野さんは「54日連続フルマラソン」を完走された人だが、お会いしてみるとごく普通の人だった。それと同じように、ビデオに出てきた奥様や息子さんたちもごく普通の人たちだった。そんなごく普通のご家族を、長年にわたって苦しめている国鉄=JR=政府の責任は重い。

  徳島の若者が言っていた。「中野さんに会わなければ、JR不採用問題など一生知らないままで終わったと思う。中野さんに会って、その問題を教えてもらってよかった。」
 今の私も同じ気持ちです。教えてもらったからと言って何ができるというわけでもないが、まったく何もできないということもない。今こうして、このブログに国労闘争団を紹介していることだけでも何がしかの役に立っているかもしれない。そう思っています。

 ヨメさんが言った。
 「私はこんな目にあいたくない。」
 「そら、だれかってあいたくないって。中野さんかて、自分がそんな目にあうとは夢にも思ってはらへんかったって。」
 「もし私がこんな目にあったら、すぐあきらめてほかの仕事探すわ。」
 「でもな、やっと自分のしたい仕事に就けたと思ったら、なんの理由もなくクビやで。それで、はい分かりましたってやめられるかー。」
 「私はやめるかもしれん。いくら正しいことでも、そんな長い間耐えられへん。」
 「それでは向こうの思うつぼや。なんの負い目もない人間がクビにされたら、普通は『おかしい』と思ってがんばるやろう。そういう思いで中野さんもがんばってきやはったんやと思うで。」
 話は堂々巡り・・・。

 ビデオの最後のほうで、中野さんが自分の好きな言葉を言っておられた。
 「道険笑歩」・・・どうせ通らなければならない道なら、どんな険しい道でも笑って歩こう。(これは、元ボクシング世界チャンピオンの徳山選手の言葉だそうだ。)
 私は険しい道を通った経験がないが、どんなしんどい時でも笑えるという特技(?)がある。人が怒ったり泣いたりしているときでも、何か笑かすネタがないかと探しているようなところがある。(不謹慎!)
 元気のなくなった人は、それで元気を取り戻してくれることもある。もちろん、反対に私の不謹慎な態度に逆上される方もある。そんな私ですが、これからも勝手に国労を応援させてもらいます。

 今月末、「サロマ湖ウルトラ」で中野さんに会える。中野さんは、17年前、フルも走ったこともないのにサロマを初挑戦で完走された。そのあとも連続完走されているらしい。
 私も同じ年、ヨメさんと1歳の廉についてきてもらいサロマに初挑戦。雨に体温を奪われ、80km地点でバスに収容。翌年再挑戦。またもやヨメさん廉付き、ヨメさんのおなかには生まれる前の真樹。その年は余裕たっぷりのつもりが、70km地点でバスに収容。今年はそれ以来16年ぶりの挑戦になる。

 私の宿泊先は中野さんの地元・北見市。レース当日はむずかしいが、その前後には中野さんと会えそうだ。
 中野さんに会ったら、いっぱいしゃべろうっと。

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