2022年12月15日(木)
いなかの水止めから沖縄・名護へ [沖縄]
今日の朝、新聞を取りに出ると氷が張っていた。
ということは、ここらでも零下。うちのいなかはここらより3℃ほど低いはずなので、水道が凍って管が破裂する恐れがある。
今日から沖縄で、しばらくいなかに帰ったりできないので、午前中に水を止めに行くことにした。
その前に寄った銀行で、カードの不具合が出て足止め。予定していたより遅くなってしまった。
市原から花脊峠を越えて16km。車だと30分もかからない。
うちの近くで黒い犬を散歩させている人を見かけたので、たぶんご近所のそうへい君。声をかけたかったが、今日は急いでいたのでスルー。
昨日の夜から今日の朝にかけての冷え込みでは、うちの水道は破裂しなかったようだ。よかった。
水をすべて抜いて、今度の春まで破裂しないように祈る。
ほんとうは、冬もちょこちょこ帰ればいいんですけど。
ヨメさんが私の朝のお茶漬け用に買ってくれたシラスがいっぱい残っていた。今日から5日間いないので、残っていたシラスでシラス丼。これに豚汁付きで、お昼から豪華だった。
みーちゃんも、シラス1ぴきだけもらいました。
ヨメさんに国際会館駅まで送ってもらい、14時59分の地下鉄で四条まで。そこから阪急で十三、十三で乗り継いで三宮。三宮からはポートライナーで神戸空港へ。16時53分着。
国際会館駅から2時間。家からだともっとかかるということ。大きな荷物があると、けっこうたいへん。
神戸空港は小さな空港なので、人があふれかえっているということはない。搭乗手続きもすいていていい。
いつもはソラシドに乗ることが多いのだが、今日は値段の安かったスカイマークにした。
17時35分発、19時50分着。予定時刻通り。
今日は、仕事が休みだった真樹が迎えに来てくれた。
空港の駐車場は、30分まで無料らしい。
真樹のおすすめの「丸源ラーメン」さんへ。
カーナビを見ながら行ったのだが、初めて通るような道ばかり。たぶん、首里城の近く。
初めに餃子が来たので、すぐに食べ始めた。
真樹は「味玉肉そば」。
私は「海鮮五目そば」。
エビやイカが入っていた。
これは、セットにしたチャーハンS。
これが一番おいしかったかも。
お腹いっぱいになり、名護に向かう。
途中で「かねひで」でお買い物。
真樹のアパートに着いたのは10時半を過ぎていた。
はんちゃん、こわがっていたけどもう逃げ込むベッド下がない。
ぺんちゃんは、一応シャーと威嚇していたけどすぐ慣れた。
すぐに捕まるぺんちゃん。
このあと、私も捕まえてだっこさせてもらった。
うちのみーちゃんは、いつになったら抱っこできるんかなあ。
おふろのあとはゆんたく。
京都よりはずっと暖かいのだが、沖縄にしては寒い。こんな時に意外とカゼをひいたりするのかも。気を付けなくては。
私からは何も聞かないが、真樹が自分の事をぽつりぽつりと話し出す。いろいな経験をして、この先のこともしっかり考えている。
「なーんにも考えんと、ぼーっと生きてるのはアンタだけ」とよくヨメさんに言われる。ほんまにそうやねえ。
真樹は私と似たところがあるので、もっといい加減かと思っていたがそうでもない。やっぱりいい加減なのは私だけでした。つくづく。
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2022年06月24日(金)
京都まで11時間半 [沖縄]
今日は京都に帰るだけ。
船などを使ってゆっくり帰る。
朝、比嘉増美さんが昨日の応援のときに持って来てくださっていたパイナップルを持って来てくださった。それにマンゴーなどのおみやげまで。それは私にではなく、「眞寿美さんに」。
「10年連続で、これで終わるんですよね。」
「いえいえ、真樹が沖縄に住んでいて、私が健康なら、まだまだ走りますよ。」
いつもありがとうございます。今回はしっかり連絡できていなくてご迷惑おかけしました。また来年、よろしくお願いいたします。
さあ、あとは帰るだけー。
9時20分、真樹にジンベエ・マリンの発着所まで送ってもらった。
(注)まだまだ、続きます。
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2022年06月21日(火)
自宅から名護まで8時間半 [沖縄]
11時50分 自宅出発
12時03分 叡電
12時27分 京阪
13時26分 大阪メトロ
ここまでは順調。
しかし、地下鉄なんばから南海なんばの乗り換えが7分しかなかった。それは無理でしょう。
南海なんばのホームに到着した時、ちょうど関空行きが出発。惜しかった。その15分後の電車を待つ。
13時53分 南海
14時37分 関空着
ピーチの出発が15時30分だったので、楽勝と思っていたらかなりギリギリになってしまった。第2ターミナルまで行かんなんので。
飛行機は予定通り、13時30分−17時50分。
そこからやんばる急行バス、18時31分―20時18分。
4分ほど遅く着いたけど、これならましなほう。
名護バスターミナルから歩いて5分で、やっと真樹のアパートに到着。トータル8時間半ちょっと。一日仕事やねえ。
朝からずっと頭とのどが痛くてしょうがなかった。あさって70km走ろうというのに。
まあ、真樹のところのはんぺんちゃんをかまったら元気出てくるでしょう。
真樹はバイトで留守。
勝手に合鍵で入らせてもらいました。
番犬ならぬ番猫。
はんちゃんはあやしいオッサンを監視。
ぺんちゃんはいつものおとぼけ顔。
はんぺんのために買ったバナナ型クッションは、写真で見たときよりかなり小さくて入れないらしい。
はんちゃんはいつの間にかベッドの下へ。
ぺんちゃんもいつの間にかベッドの下へ。
入ってすぐより、ちょっと時間がたったほうが警戒される。
お腹がすいてきたので、食べに出た。
下の駐車場には新しい猫。しっぽが切れているらしい。
すぐ前にやんばる食堂があるのだが、8時で終わり。
「たしか、バスターミナルの向かいに食べるところがあったような・・・。」
マンションの1階にこじんまりしたお店が見つかった。
「まんまる」という名前がかわいい。
女性オーナーさんと、女性バイトさん2人の3人でやっておられた。
Wi-fiが使えるようだったので、パスワードをお聞きした。
バイトさんがメモを持ってきてくださったので、それを見て入力したが全然ダメ。途中からバイトさんが入力。それでも全然ダメ。よくよく見てもらったら、元のお店のWi-fiが別のものだった。一からやり直してもらって、やっとつながった。
忙しい時にてこずらせてすみませんでした。パスワードを入れてくれたのは名桜大学の1年生。真樹の9歳下ということになる。また機会があれば、このお店に来させてもらいます。
はんぺんをかまったので、頭痛とのど痛はましになった気がした。
でも、そんなにいっぱい食べたいというところまでは行かない。
ちょこちょこっとしたものを注文。
里芋のから揚げはめっちゃおいしかった。おかわりしたいくらいだった。
お好み焼きをいただいて、今日はこれで終了。
私にしては小食と言える。
真樹のアパートに戻って、真樹が帰ってくるのを待つ。
はんもぺんも落ち着かん。
12時過ぎ、やっと真樹がバイトから帰ってきた。
この時間から、真樹は食事。ご苦労様です。
遅くなったのでゆんたくはなし。
明日は真樹もバイトがお休みなので、ゆっくりしましょうね。
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2022年05月14日(土)
名護ルーティン [沖縄]
私の名護ルーティン。
1.真樹のところに泊めてもらって、はんぺんふれあい体験
2.「理容きゃん」さんで散髪
3.「きっと屋キッチン」で食事
4.玉城さんにごあいさつ
真樹は朝ごはんを作ってくれ、9時半ごろバイトに。
今回は一泊だけなので、はんちゃんが慣れる時間もなかった。
ぺんちゃんはいつもの愛嬌のある顔で、私の前をウロウロしてましたけど。
けっこう雨がきつかったので、「理容きゃん」さんまで真樹に車で送ってもらった。
まだ9時半すぎで早すぎるかと思ったが、全然だいじょうぶ。いつもの安定1500円コース。「うまい、早い、安い」。
散髪のあと、いったん真樹のところに帰った。
雨が小降りになったので、「きっと屋キッチン」さんへは走って行くことにした。
パチンコ屋さんの駐車場に、かわいい猫ちゃんがいた。
陸上競技場の横を通ると、メインスタンドがなくなって芝生になっていた。これだと、公認大会が開けないのではないかと心配。
今日は土曜日なので、玉城さんのお勤め先は休みと分かっていたが、どなたかおられるかもしれないと思い一応訪ねてみた。
残念ながらお留守。また、「沖縄慰霊の日」の前にお会いしましょう。
「きっと屋キッチン」さんに行くのにはどの道が一番近いのか、よく分かっていない。けっこう細い通りがあり、迷路みたいなところもある。
真樹のところから1.65km。
雨のせいか、その時お客様はおられなかった。
「ずっといますね。」
「いますね。丸9年が過ぎて、10年目に入りました。」
まるで小説の書き出しのようなテンコさんと私の会話。主語が省かれているが、もちろん真樹のこと。
「前は近くてよかったんですけど、今はここまで1.6kmくらいあります。」
「その間に、今帰仁もありましたね。」
「よく覚えてくださってますね。」
「娘がバイト先のオーナーさんに、『お父さんときっと屋キッチンのテンコさんはお友だち』ってゆうてるらしい。」
「そうなんですか。」
「お友だち」はちょっとちがうような気がする。「いつも実のある会話ができる相手」というのが適格かも。
今日は安定のカレー(990円)。
きっと屋キッチンさんは、毎日メニュー1本で勝負。
食事とセットのドリンクは、+110円。
今日もおいしゅうございました。満足、満足。
途中からお客様が入ってこられ、おしゃべりはそこまで。
それでも、かなりいろいろなことが話せてよかった。
「来月22日は娘と来ます」と言っておいた。
その日のメニューはなんじゃろな。今から楽しみ。
帰り道で見かけた猫ちゃん。
名護は、かわいい猫がたくさんいる。
帰りは1.51km。
もっと近道があるかもしれん。また調べてみよう。
はんぺん、仲良くなれるヒマがなかったね。
また6月に来るからね。バイバイ。
下の駐車場もきれいにされ、前からいる猫ちゃんたちも快適そう。
やんばる急行バスではちょうどいい時間のがなかったので、バスターミナルから普通の高速バスに乗った。やんばるより580円高い2230円。いたいねー。
那覇―石垣間はANA。
ここが一番近いのに一番高くついた(8840円)。
180人乗りだと思うが、乗っているのは30人くらい。大赤字ですね。
「明日は大雨になりませんように」と空の上から願っていた。
大会ボランティアスタッフの高校生・大久保君に教えてもらった本屋さん兼文房具屋さんで、ウクライナアピールゼッケンを補強するケースやテープを買った。石垣島に、こんな立派なお店があるとは知らなかった。
これで準備万端。
あとは、しっかり走るだけー。
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2022年05月13日(金)
2022年02月08日(火)
学習性無力感 [沖縄]
◎毎日新聞2月8日朝刊
<火論> 勝つまで続くジャンケン 大治 朋子
先月投開票の沖縄県名護市長選は、米軍普天間飛行場の辺野古移設計画を進める政府・与党が推薦する現職が再選された。
果たしてこれは「基地容認」の潮流なのか。琉球新報の前編集局長で現在、取締役広告事業局長の普久原均さんに聞いた。
普久原さんによると、沖縄では景気が悪くなると「生活防衛の心理」が働き、政府からの予算締め付けなどでさらに経済が悪化しないよう、与党支持の候補に票が集まりやすくなるという。
古くは1998年、基地問題解決に尽力する当時現職の大田昌秀知事が、3選をかけた戦いで敗北を喫した。現職有利とされたが、沖縄の失業率は当時過去最悪の9・2%を記録。危機感をあおるように、「9・2%」とだけ書かれたポスターがどこからともなく張り出され、保守系候補が勝利した。
今回もコロナ禍で、基幹産業である観光業や飲食業が大打撃を受けている中での選挙だった。
ただ、経済界だけではない「もっと大きな、漠然とした恐怖ともいうべき心理」が現職再選の背景にあると感じているという。
普久原さんの「仮説」はこうだ。
「明治維新の琉球処分や沖縄戦を通じ、日本政府や日本兵に逆らったらどんな目に遇うか、という経験を通じて県民一般の深層心理に刷り込まれた恐怖が、緊急時に発動してしまうのではないか」
沖縄ではいま、急激に景気が悪化している。危機に瀕すると人減の思考は本能的になりやすい。過去のつらい体験から、政府の意に沿わない候補者を選ぶことに、直感的にためらいを覚えてしまう――。つまり「心のどこかに刷り込まれている恐怖から、無意識のうちに、政府に対峙しない、対峙してもしょうがない、という無力感が生まれ、対峙を避けようとする心理が働くのではないか」という。
普久原さんの言葉を聞いて、学習性無力感という心理学の概念を思い起こした。抵抗も回避もできないストレスや抑圧を受け続けると、「自分は無力だ」と学習してしまい、逃れる努力すらできなくなるほど無気力に陥ってしまう。
沖縄では選挙のたびに基地の是非が問われ、何度もノーを突き付けてきた。だが「本土」はそれを無視するように「容認」を求め続ける。それはまるで「勝つまで何度もジャンケンを迫る幼児のよう」だという。普久原さんは、県民に漂うそんな「無力感」に強い危機感を覚え、自ら執筆した社説で警鐘を鳴らしてきた。
今回の選挙結果を単純に「基地容認」と受け止めることはできない。
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今日は火曜の17時間バイト。
ヨメさんがいつも、「ムダな新聞を2つも取って。アンタが新聞読んでるとこ、見たことない」となじる。
少なくとも、火曜と金曜の長時間アルバイトの日はじっくり読んでますよー。そうでもしないと、時間が長すぎて・・・。
今日の毎日新聞のコラム<火論>で、先の名護市長選のことが取り上げられていた。
真樹が住む沖縄県名護市は、沖縄本島北部の人口6万人あまりの市である。真樹は、名護市の海が見渡せる丘の上にある名桜大学を卒業し、そのままそこに住み着いている。名護市民歴9年で、もうすぐ10年目に突入する。
前回、フルマラソンも走られる現職市長の稲嶺ススムさんが敗れたのはショックだった。今回は若くて知名度も高い岸本洋平さんにバトンタッチされ、辺野古移設反対派が再び勝利するものと思っていた。
ところが、結果は5000票の大差で容認派の現市長が勝利。
「なんでやねん!」と残念でならなかった。
琉球新報の普久原さん、毎日新聞の大治さんは、それを「学習性無力感」という言葉を使って解説されている。
私も読んでいて、最初は「そうそう」と思っていたが、いや「ちょっとちがう」。
「年代別投票先」を見たとき、学習性無力感を感じていくはずの高齢層は、いまだに辺野古移設に抗う人が圧倒している。
辺野古容認派の市長を再任させたのは、10〜50代の「戦争を知らない子どもたち」のそのまた子どもの世代。私はこの世代を「太平洋戦争の学習をしない世代」と呼びたい。
以前にも書いたが、京都と沖縄は似たところがあった。それは、「保守」ではなく「革新」が強かったところ。次第に京都の「革新」勢力が弱まって行ったときも、沖縄の「革新」勢力は強かった。その違いは、京都が親から子、孫へ「反戦平和」の考えがうまく引き継がれなかったのにくらべ、沖縄のそれは地道にしっかりと引き継がれていったからだと思う。
しかし、残念ながら今の沖縄はかつての「弱化京都」に似てきている。
それは悲しい、そんな沖縄は見たくない。
毎年6月23日「沖縄慰霊の日」に、「平和・憲法九条」ののぼりを背負って炎天下70kmほど走っているのも、「反戦平和」を忘れた沖縄になってほしくないから。
うれしいことに、車のクラクションをならして応援してくれたり、すれちがいざまに「ありがとう!」と声をかけてくださる方は、圧倒的に若いお母さんが多い。どう見ても20代30代。これは希望が持てる。
真樹が名桜大学に入ってから、9年連続で走ってきた。今年は記念すべき10年目。くしくも沖縄復帰50年と重なった。
記念すべき10年目なので、福井のネコ4さんを見習って「3日で170km」くらい走ろうかと計画していた。ところが甲状腺癌の悪化で、ちょうどその時は入院前の「チラージン中止」の時期に当たる。体がだるくて仕方がない状態になるらしい。(チラージンは、甲状腺を全摘し甲状腺ホルモンが出なくなった患者が毎日服用する薬。)
「毎日マラソンしてるんですけど、チラージン中止したあとも走ってもだいじょうぶですか」という問いに、医師は「走ってはダメということはありませんが・・・。」
それは、「走れそうなら、走ってみられたら」というニュアンスに聞こえた。もっと意地悪く聞けば、「走れるもんなら、走ってみー」ってとこですかね。
あー、今年の6月23日は絶望かー。
「学習性無力感から学習性有力感へ」。
まだ日はある。よーく考えましょう。
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【今日のきくみー】
昨日のきく。
オッサンのこと好きやから、フンフン言ってても鳴きやむ。
と思ったら、やっぱりオバサンの方が好きみたい。
今朝のみーちゃん。
ストーブのおはようタイマーが効いていて、朝からぬくぬく。
よかったね。
これは、昨日のかわいいみーちゃん。
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